棚田が美しい山古志の風景。
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新潟県中越地震被災地訪問レポート


原稿執筆:(有) 工作舎 中村建築・アルチザンプロジェクト主宰 中村武司(大工)

新潟県中越地震から5年後の山古志へ

新潟県中越地方は、昨年のNHK大河ドラマ「天地人」で脚光を浴びた直江兼継の故郷、坂戸山や八海山といった山々から見下ろす魚野川から山古志を含む長岡、小千谷といった信濃川中流域に広がる地域。山の斜面の自然の地形に寄り添うようにして大小の棚田が点在する「日本の原風景」ともいえる美しいところです。私自身も、2007年の春から、十日町市(旧中里村東田尻)を流れる清津川の河岸段丘の南斜面にある一反の棚田をお借りして、米づくりをしています。一年の半分近くは雪に埋まる厳しい気候と棚田での稲作が、中越の人々の粘り強さや「愛と義」を重んじる気質を生んだのかな、といつも感じます。

この地域で5年と少し前の2004年10月23日、マグニチュード6.8、最大震度6〜7レベルの地震が5回発生。直後の余震によるものを含めて、死亡者68名・建物被害121900棟という甚大な被害に見舞われました。道路が寸断されて物資供給もままならず、ヘリで被災者や救援物資を運ぶ様子は、当時のTVや新聞で大きく報道され、みなさんの記憶にも新しいと思います。

旧山古志村桂谷の交差点。奥の山の斜面に大きな地すべりの跡が見える。右のモノクロ写真は地震の10ヵ月後の被災相談調査時のもの(写真提供:長谷川順一)

2009年のお盆前、十日町にお借りしている田んぼの草取り作業に出かけていた私は、同じ木の家ネットの会員の、長谷川順一さん(新潟県新潟市 住まい空間研究所)に震災からおよそ5年が経過した被災地を案内していただくために、旧・山古志村(現・長岡市山古志)や小千谷市を訪れました。十日町から車で30分ほど信濃川沿いを下ると、地震被害がより大きかった一帯に入ります。小千谷市の平野部から信濃川東側の山あいへ。当時、全村避難となった山古志をめざして、山道を登っていきます。その道すがらが、思いのほか広い幅員で、新しく走りやすいのです。震災当時のTV映像で細い山道がいたるところで寸断され山が崩れ…というイメージをもつ私には、不思議な光景に思えました。しかし道を進むにつれ、美しい棚田を背に山の上からの大きく地すべりしたままの現場も多く見え、いまだ癒えていない傷跡に非情な想いを感じました。

ほどなく、山古志に入りました。被災後、新しく建て替わった家も多いながらも、雪国という風土に合ったたたずまいの家がわずかな平地に寄り添うように建っており、生き残った茅葺きの家と錦鯉養殖の新しいガラス張りの越冬小屋とが並んでいる風景に、震災復興の力強さを感じさせられます。旧村役場で私は木の家ネットを通じて知り合った設計士の長谷川順一さんと待ち合わせていました。

修復により集落の景観が守られた、現在の山古志の風景。(写真提供:長谷川順一)

2009年3月、実大実験報告会での
長谷川順一さんとの出会い

長谷川さんと初めてお会いしたのは、2009年3月、これ木連で行った「振動大実験報告会」。伝統構法のための設計法をつくる国の委員会の主査である大橋好光先生は、会場からの「石場建ての家の実験を望んでいる。委員会最終年度に行う実験で、振動台にあげてもらえないのだろうか」という声に対して「NO」と答えたのです。そして、「石場建ての伝統構法の家は地震の際に免震的に働いたはずだが、どう思うか」という別の質問には「そんな建物があったなら、私が見てみたい」とも言われ、私は残念な気持ちを持ちました。

筆者(中村)と長谷川順一さん(右)

大橋先生の応答を聞きながら、以前に木の家ネットに載った「新潟地震調査ボランティアの報告〜被災住宅に見る古い道理と新しい道理 」というレポートを思い出していました。これは、2005年12月、木の家ネットの有志数名が栃尾市半蔵金を訪れ、被災した住宅について修復相談をした時のことをまとめたものです。コマ石という基礎石に土台がのっているだけの、地面に緊結していない構造、豪雪に耐えるだけの太い部材がしっかりした組まれた木組み。古くからの多くの民家が、土壁の剥落等はあるものの、十分に修復可能であると、メンバーは報告していました。レポートでは、地震に対する構えとして、現代の「耐震性」といった時に常識的な、剛性で地震力に抵抗する「新しい道理」とは別に、靭性による、しなやかとも言える動きで地震力に寄り添う伝統木造の「古い道理」がある、という考え方が分かりやすく示されていました。

その同じ頃、新潟市在住の長谷川さんが、「古い道理」の建物を救うために被災地で継続的に活動されていたことは、木の家ネット経由で知っていました。割り切れない思いの残る「振動大実験報告会」でしたが、その休憩時間にその長谷川さんが「山古志の神社修復や、修復ボランティアで動ける大工さん募集の広報では、木の家ネットの皆様にお世話になりました」と木の家ネット事務局の持留ヨハナさんに挨拶されており、その場で紹介されたのです。

数々の民家を解体から救って来た
長谷川さんの活動

中越地震直後から、行政主導の「応急危険度判定」がはじまりました。「危険」と判断され、赤い紙が貼られた建物には、早々に解体されていくものもありました。しかし「もう住み続けられない」というのは性急な思い込みであり、実際には、被災した伝統的な木組みの家には、礎石は動き、床が沈み、柱が傾いていても、直せばまだ住み続けられるものも多くありました。「まだ住み続けられる民家が壊されるのはしのびない。早々に壊されるのは、伝統的な民家の特徴である粘り強さ、手の入れやすさが認知されていないため。ならば、自分が動かなくては!」そんな思いで長谷川さんが被災地を飛び歩く日々が続いたそうです。

左:建具の変形が地震時のひずみの大きさを物語る。建物自体はその後、伝統構法特有の靭性による復元力特性により、ここまでゆれ戻した。 中:独立柱の沈下がおき、敷居や床が盛り上がった。 右:地震後の大雪に押されて15%まで変形しても、粘り強くもちこたえる伝統民家(「地震被災建物 修復の道しるべ」より)

小千谷市、川口町、長岡市(旧・山古志村、小国町を含む)で長谷川さんが関わった修復説明会は6回、相談件数は149件。既存建物を温存しての地盤・基礎の修復、伝統構法の復元力を活かした「建て起こし」、適切な応急処置と住みながらじっくり取り組む修復…。長谷川さんが地元大工さんと恊働し、地域ぐるみでの情報共有を大切にしながら、解体から救ってきた民家がたくさんありました。

「自分の経験から得た知恵を共有できるよう、今後起きる震災に備えて整理しておこう」という思いから、長谷川さんは(財)新潟県中越大震災復興基金事業の一環として「地震被災建物 修復の道しるべー新潟中越地震・能登半島地震・中越沖地震 被災住宅支援の現場からー」と題した報告書をまとめられています。被災した住宅の実例による解説と分析、応急処置や修復に必要な技術、修復のケーススタディが盛り込まれ「木造建築は弱く、古いほど危険だ」という風評をくつがえすだけの力をもった報告書です。非売品ということで、現在頒布されていないのがとても残念ですが、新潟県には強く再版をお願いしたいところです。

阪神大震災の神戸波で揺らされた
実験棟を引き取った気持ちとクロスする

長谷川さんをそうした行動に駆り立てた気持ちに通じるものが、私の中にもありました。2008年11月、伝統構法のための設計法づくりのために、兵庫のE-ディフェンスで行われた実大実験で、阪神大震災の神戸波で痛めつけられた実験棟。土壁が剥落し、何本かの柱が折れはしたものの、倒壊はせず十分に直して住み続けられることが、実験で証明されました。しかし、その実験棟は、データ取りが終わったら、産業廃棄物として廃棄される運命にありました。実験後の損傷観察メンバーとして参加していた私は「実際に修復するところまでやらなければ、伝統木造住宅の特徴である再生可能性を示したことにはならない」「阪神大震災クラスで揺らされても、こうすれば住み続けられるということを、もっと広めたい!」という思いから、その実験棟の引き取りを申し出ました。それが、今進行中の「アルチザン・プロジェクト」のスタートとなったのです。

長谷川さんと出会ったその頃が、ちょうどプロジェクトのスタート直前というタイミングにあたっていたこともあり、「一度、山古志にいらっしゃいませんか?」「被災してもちゃんと残っている民家を自分の目で見たいですね」というやりとりが長谷川さんとの間で自然と交わされました。そして、夏休みに中越を訪問することを、その短い休憩時間に約束していたのでした。


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2009年に兵庫県のE-ディフェンスで行われた実物大振動実験で、
スタッフとして損傷観察をする中村さん。実験の詳細はこちらを御覧ください。