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林業・和田善行さん(TSウッド協同組合):山側から提案する家づくり


林業家 TSウッドハウス協同組合 和田善行さん

1975年 東京の大学で林業を学んだ後、徳島に戻る
1983年 葉枯らし乾燥を復活
1984年 日本初のスギ実大強度試験
1985年 自宅を真壁軸組構法で建てる
1995年 TSウッドハウス協同組合設立
1997年 モデルハウスゆたか野の家オープン
2003年 木造民家の倒壊実験足

徳島の林業の仲間たちとつくった「TSウッドハウス協同組合」で、杉をあらわしにして使う真壁軸組の家づくりを林業家たちの側から提案していくという運動をしている和田です。家づくりのための規格材をつくり、設計士さんに「こんな風に使ってほしいんだ」ということを直接はたらきかけています。

これまで、木を育て、伐採して原木市場や製材所に売る私たち林業家は、自分たちが育てた木がどのように使われていくのかを知ることができませんでした。山側から家づくりの提案をする!ということは、今までになかったことです。なぜ、そんなことをはじめたのか、そしてどのような家づくりの提案をしているのか、について、山側の事情もからめながら、お話ししましょう。

徳島に帰ってきて、家業の林業を継ぐ

何世代か続いてきた徳島の林家なんですが、私自身はじつは徳島生まれの東京育ちなんです。親父は東京にいながら木頭の山を経営していた人でしたから。でも、休みのたびに徳島の山に連れて行ってもらっていて山の空気をずっと感じてきたせいか、林業を継ごうという気持ちになっていました。大学の経済学部を出た後、さらに二年間、東京農工大で林学を勉強し、「学んだことを実践するんだ!」という意気込みで徳島に帰ってきたんです。

徳島は全国的にもめずらしく民有林率が高いところでね。その元をたどれば、江戸時代に阿波藩を長く治めていた蜂須賀公の藩有林だったんです。徳島藩は森や木を厳しく保護していました。阿波水軍の軍用船の用材、城下町の建築資材を確保するため、そして、海を越えて関西向けに材木や屋根葺き材を売るために。うちのご先祖は、藩から仰せつかって地元の森林を管理する役をしていたようです。他県では、明治の世に変わった時に藩有林が国有林になっていくんだけれど、徳島藩だけは、廃藩置県に先だって、藩の独断で藩有林を民間に払い下げてしまったんです。そういうわけで、徳島は民有林率が95%ととても高く、他よりは広い面積を所有する林業家が多いんです。

うちの家系のルーツにあたるの人は江戸時代末期には、那賀川の上流、今の木頭村、上那賀町あたりの御林のお目付役を任されていた。植林をしたり、那賀川の流れを利用していかだに組んで木を出したり、木頭林業の草分け的な存在だったらしい。その次男の家系がうち。屋号はヤマツ。約500haの植林杉林を70年伐期でまわしています。年間7ha伐採して、7ha造林するという素材生産が主ですが、父の代に下流の阿南市に丸太を集積する土場をもつようになって「親和木材」という名前がつきました。徳島に帰ってきた私がこの会社の後継ぎとなるわけです。

大事に育てた木は、家に使ってほしい

徳島に帰った1975年といえば、原木の輸入自由化から15年、木材製材の輸入自由化から13年。その間に、木材の自給率はすでに35.9%にまで落ち込んでいました。(今ではなんと、その半分の18%ですから、事態はさらに深刻です) 私のように親父の林業を継いでいくことになっている若い後継者たちでつくる「徳島林業クラブ青年部」ができた年でもあり、さっそく入会させてもらいました。そこでいっしょにいろいろなことをいっしょに勉強しながら、きびしい時代にあっての活路を見いだそうとしたんです。商売の関係以上の信頼関係をずっと築いてきました。この仲間達のつながりが、今のTSウッドハウス協同組合にまで発展していくんです。

ドル安が進んでいって、どんどん安くなってくる外材に、人件費が高い国産材はおされていた頃でした。それでも私たちが原木を売る先である製材業界には「関西方面の建築現場で足場板として使ってもらえば、3年後にはまた注文が来るんだ」という風潮がありました。そんなことでは、せっかく長伐期で育ててきた木がもったいない、悔しい、という思いがありました。70年かけて育ててきた木は、育ってきた年月以上にはもってほしい。そうなるとやっぱり、育てた木は家の材になっていってもらわないと。原木市場や製材所に売っているだけでは、父祖の代から育てた木がどう使われるかは分からない。だったら、家の材に使ってもらえるように、自分からはたらきかけていかなくては。こうして、林業家でありながら、建築の世界に越境するということをはじめたんです。

私らのエリアである徳島県南部では、昔から杉を家の建築材料として使ってきている歴史があります。ところが、徳島の北の方の吉野川流域では、高知から入ってくる檜の柱と、地元の松の梁が主流。杉を建築材として使うという習慣がないんです。そこで、まずは県北に新たな販路を求めたいということで、県の木材組合連合会でモデルハウスを建てる、という話があった時に「杉の梁をおさめたい」と申し出たんです。

いい梁をもっていって、杉のよさを見てもらおう、と意気込んでおさめたんです。建前の時はすごくよかったんですが、できあがった家を見たら、構造材がみんな新建材でおおわれた大壁づくりになっていて、肝心の自慢の梁はなんにも見えないんです。杉だって立派な構造材になるんだ、というところを見せようというのに、木が見えている部分といえば、和室にちょこっとあるだけ。これでは杉の良さを分かってもらうこともできないよなあ、と、がっかりしてしまいました。

もっと杉の良さが見えるような家づくりに使ってもらいたいと模索していたちょうどその頃、新聞で産直の檜材で規格住宅をつくっている設計士がいる、という記事を見かけたんです。さっそくその人に会いに行って話をしてみたら「スギは強度がないから使えないよ」と言われてしまったんです。建築基準法をひもとくとたしかに、89条に木材の許容応力度、95条に材料強度の表が載っていて「強度試験の結果に基づき定めるほかは、次の表の数値によらなければならない」と書いてあるんです。その表には針葉樹は、強度の高い順に「あかまつ、くろまつ、べいまつ」「からまつ、ひば、ひのき、べいひ」「つが、べいつが」「もみ、えぞまつ、とどまつ、べにまつ、すぎ、べいすぎ、スプルース」とくくられている、つまり杉が最低ランクだというんです。


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