オープン直後の木の家ネットTOPページ。つくり手インタビュー第一回目の掲載が来月にあると予告されている。
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10周年企画:木の家ネット誕生物語

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2001年10月に誕生した「職人がつくる木の家ネット」は、おかげさまで昨秋、第10期を迎えました。10周年を記念して、木の家ネットの誕生と成長の物語を、その最初から今日まで、事務局として関わって来た視点から、2回連載でお届けします。

オープン前の一年間を
思い出してみる

木の家ネットがWebサイトとしてオープンしたのは2001年の10月ですが、それまでには、およそ1年間の準備期間があり、木の家ネットをつくろうという動きはその前の2000年には始まっていました。

その頃、モチドメデザイン事務所(当時は持留デザイン事務所)は東京の吉祥寺で、夫婦二人(持留和也、ヨハナ)の小さなデザイン事務所を開いたばかりでした。木の家づくりどころか、建築のことはまったくの門外漢だったのですが、いろいろなご縁が重なって、木の家ネットの事務局をつとめるようになり、依頼、毎月のコンテンツ発信のための取材と執筆、会員のみなさんのお世話、運営委員のみなさんのお手伝いを10年にわたってさせていただいてきています。

若い大工のニーズ:
伝統木造を志す大工達のつながりを成長させたい

持留ヨハナ:2000年の春、大工の中村武司さんが、当時、東京に住んでいた私たちを訪ねて来てくれました。名古屋市内の大工の家の3代目にあたる中村武司さんは、大学で建築を学んだ頃は「かっこいい建築」に憧れるいわゆる「建築少年」でした。卒業して親の下で働くようになりはじめた当初は、木造にそれほど強い思い入れがあったわけではなかったのですが、個人で「木の住まい」というミニコミをつくっていた林孝さんが主催した名古屋でのイベントがきっかけで、次第に伝統的な木の家づくりに傾倒するようになり、「大工塾」という大工の勉強会に参加するようになっていました。

中村:「1998年に設計士の丹呉明恭さんと構造の専門家の山辺豊彦さんが若い大工に伝統木造を教える『大工塾』という私塾が始まったんです。僕も縁あって1期生となり、埼玉で毎月行われる一泊二日の座学と構造実験に、名古屋から通いつめました。2期目に入っても、引き続き大工塾に出入りし、ともに学んだ仲間たちと互いの建前を手伝いに行き合ったり、交流が続いていました」

中村さんが私たちを久しぶりに訪問してくれたのは、そんな若い大工たちの動きが始まった頃のことでした。お互いの近況を語り合う中で、自然と木の家ネットが誕生するきっかけが生まれたのです。

独立したてのデザイナーの願い:
この世に発信すべきコンテンツをつくりたい

「当時、大工塾に集まっていたのは、20代から30代の若い大工。ぼくのように家業だから大工になった人、住宅メーカーに就職したものの疑問を感じてやめた人、大学院を出てから大工を始めた人、いろいろな人がいました。みんなエネルギッシュで、これからは環境面から言っても伝統的な木の家づくりの知恵を活かすべき時代なんじゃないかという熱い思いを共有していました。当時、ひとりひとりはまだまだこれからな若造ばかりでしたが、つながれば道が開けるかもしれない、なんとかしてこのつながりを成長させていきたい!と思うようになったんです」

中村さんの語る伝統木造の大工の世界の話は、私たちにとって初めての内容でしたが、聞いているうちにその世界に惹き込まれていくようでした。「持留さんのしているような仕事で、ぼくらのつながりをなんとかつけていけるようなことって、できないかな」そう語る中村さんを目の前に、私たちの心の中で、何かが動き始めたのでした。

ちょうど子どもが生まれたばかりで、自然な暮らしや伝統の知恵の大切さを実感し始めていた頃でした。日本の伝統建築というと、社寺や古民家のこと?ぐらいに思っていたのが、今もその知恵が木の家づくりの中にいきづいていて、しかもそれが日本の山を守り、自分たちの日々の暮らしを豊かにもするものだということを、恥ずかしながら初めて知りました。

と同時に、そうした木の家づくりが、戦後から高度経済成長期にかけて生まれてきた、経済効率を優先したより簡便な家づくりやそれを主流とする法制度などに押され、風前の灯火であることも知ることとなります。

日本の伝統の知恵を活かした木の家づくりが、今でもできる!ということすら、きちんと伝わっていない。しかも、このままでは失われていくおそれすらある。それはあまりにも、もったいない。食や健康に気を遣い、自然と調和した生き方をしたいと願う人は増えているのですから、万人にとはいかなくても、せめて、そういう人意識をもった人たちが家をつくる選択肢として、木の家づくりが選ばれる、そうなるぐらいになれば・・・と思いましたね。

持留和也:誰かが伝えたいことを、人に伝わる形にするのがうちの仕事です。一生のうちにできる仕事に限りがあるのだったら、今、この世に伝えるべきものをもっている人のための仕事がしたい。

当時、私たちは主にCD-ROMパッケージのコンピュータで見せる本のようなものを、依頼を受けてつくっていたのですが、インターネットが急速に普及しはじめていた頃で、今後、仕事の方向性をどうしていったらよいのかと考えていた頃でした。話を聞くうちに、もしかしたら、自分にできることがあるかもしれないと、持留和也は思い始めていました。

コンピュータで見せるコンテンツは、本やテレビ番組と比べれば、低予算でできる。そこに、小さくてもよい仕事をしている人が、自由な立場で発信できる可能性が生まれる。しかも、その場で流れて終わる一過性のものでなく、大量のデータをストックしておくこともできる。マスメディアでは主流の情報しか流れない。主流ではなくても、必要な人に伝わるべき情報はあるはず。伝統木造を志す大工たちとコンピュータ、一見かけはなれているようでも、じつは、これからは必要な組み合わせなのかもしれない。

2000年当時はまだ、ひとり大工や小さな工務店がWebサイトをもつのは珍しい時代でした。大工の世界とコンピュータがどうつながるのか、その発想すらなかったといってよいでしょう。自分の技術を、この大切なこと、それでいて多くの人には認識されていないことを広めるために使えるかもしれないと、持留和也は考え始めていました。

話を聞いた当初はまだ、Webサイトがメインという発想ではなかったんです。一軒の木の家をめぐるストーリーを、時間軸に沿ってシミュレートする、「動かせるダイアグラム」のようなものを構想していました。家そのものの経年変化、それをメンテナンスしながら住み続けられるようにする大工の技術、家族構成の変化にともなう住まい方の変遷、家をかたちづくる材になるまでの山の木の育成など、いくつかの切り口から木の家をとらえ、長寿命の木の家づくりのよさ、それを支える職人の技術や知恵を伝えたいと考えました。当時は、それだけのボリュームのある、多角的な表現は、容量や再生スピードなどの関係で、CD-ROM向きかな、と思ったんです。WebサイトはCD-ROMに併設して「こんな木の家づくりを頼むなら、この人たちに」というリストをネット上にあげておくというぐらいの軽いものとして考えていました。

MMCAに応募するも、落選。
必要な失敗

中村さんには思いつきはあっても、原資がありませんでした。そこで、持留和也は当時の通産省の外郭団体であるMMCA(マルチメディア振興基金)の公募事業に、企画を応募することを中村さんに提案しました。

持留はそれまでに「ゴッホの生涯」、「TDS(東京デザイナーズスペース)の20年」というMMCAの2つのプロジェクトに、ディレクターおよびコンテンツ制作という立場で関わった経験がありました。要項を取り寄せ、大工塾に上京してくる中村さんと首っ引きで書類を作成し、画面サンプルや構成案、収支予算案をつくり、締切にぎりぎりに間に合ってMMCAに提出しました。

書類選考には無事「合格」、面接審査にまで残ることができました。最初は好感触だった面接でしたが、途中から雲行きが怪しくなってきました。というのは、面接官となっていた「有識者」と言われる数人の委員のひとりがこう言ったのです。

「もしも、そのサイト経由で施主があなた方のグループのどなたかに家づくりを依頼し、欠陥住宅であった場合には、誰がどのように責任をとるのですか?」面接の直前に、秋田県で、自治体のからんだ欠陥住宅問題が発覚したばかりでした。受注サイトなのか、発信だけのサイトなのか、当時のWebサイトの構想は、そのあたりが不明確で、満足な受け答えに至らず、面接で不合格となってしまいました。

悔しかったですけれど、ネットを通じて人の一生を左右するほどの受注に結びつくことを発信する責任の重さを感じさせられました。今から思うと、あの時、受からなくてよかったのかも。

品確法

1985年におきた阪神・淡路大震災以来、住宅の安全性をどう確保すればよいのか、建築基準法で最低基準を示すだけでは足りないのではないか、模索していた国は、2000年4月に「住宅の品質確保の促進等に関する法律(通称・品確法)」を施行しました。

品確法とは、工務店・住宅メーカー・分譲住宅会社などの住宅供給者が、新築住宅の構造や雨仕舞について、瑕疵保証を10年間にわたり行うことを義務づけるものです。この法律の施行を裏付ける任意の制度として、財団法人住宅保証機構が「住宅性能保証制度」を始めたのもこの頃です。

ところがこの「住宅性能保証」が想定するのは、ハウスメーカーの家づくりを向いた基準であり、伝統木造の性質に合わない面も、多くありました。準備委員会の発足に加わることになるメンバーの中には、品確法、性能保障など、家づくりのあり方を規定するような流れの中で、現代の家づくりとは根本的にちがった性質ももっている伝統木造が、どう生き残っていけるのだろうかと危機感を抱く人もいたのですが、当時はその人たちとは、中村さんも持留もまだ出会ってはいませんでした。

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MMCAに提出したプレゼンボードの一部。今、見直すと、伝統構法と在来工法の混同など、理解不足の点がある。