鶴岡総会予告 その1 散るより、生き延びよ!

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職人がつくる木の家ネットの活動の真骨頂は、なんといっても、毎年期の替わる10月に開催され、メンバーが一堂に集まる「総会」です。開催地は会員の持ち回りで、今年は10/13(土)〜14(日)に山形県鶴岡市にて、番匠 剱持工務店の剱持大輔さんの幹事で行われます。

 
 

剱持大輔さん

この一年は、夏の台風による水害、ユネスコ無形文化遺産にむけての職人宣言キャンペーン始動と、木の家ネットのつくり手一人ひとりが「どのような家づくりをめざすのか」「なぜ、そうするのか」という原点にたちかえる年でした。総会での仲間同士での情報共有や意見交換を通して、一人ひとりがその原点からの発信をしていくことの大切さを改めて確認しあい、日々の実践を支える信念を固めることがお互いにできたらと思います。

総会まであと2ヶ月と、いよいよ間近になってきましたので、今年の総会について、2回にわたってお伝えしようと思います。その1回目として、今回は、見学日にあたる総会2日目の午前午後にわたって訪れる、鶴岡の歴史的な建築について、ご紹介します。

10/13(日) 11:15〜13:00 見学
松ヶ岡開墾場

東北列藩同盟の雄、
旧 庄内藩のラストサムライたち

鶴岡といえば、幕末に佐幕派の先頭に立った庄内藩の城下町です。倒幕派がのさばる明治の世に納得のいかない東北の志士たちは手を組んで「奥羽越列藩同盟」を起こし、政府軍に反旗をひるがえしました。これが「戊辰戦争」です。列藩の中でも最強を誇った酒井忠篤率いる庄内藩は、会津藩の降伏をもって戦いが終わった時にも、政府軍を鶴岡に寄せ付けることはありませんでした。

奥羽越列藩同盟の旗 福島県のwebサイトより

負けることなく降伏した鶴岡の志士たちを、粛正するのではなく農村開拓に向わせたのは、今年の大河ドラマで話題の「せごどん」こと、政府軍の西郷隆盛です。

酒井忠篤と旧庄内藩士七十余名は西郷のこの処遇に感激し、薩摩を訪れて3ヶ月ほど滞在して最後の教えを乞い、故郷に戻るとその言動を「西郷南洲遺訓」に著し、西郷が説く農本主義にもとづいた地域づくりをはじめるのです。鶴岡の人たちは、今でもそのことに感謝していて、鶴岡市と鹿児島市とは「兄弟都市」としての交流を続けているそうです。ちなみに、北海道木古内町と北海道名寄市とは「姉妹都市」、東京都新島村と鹿児島県曽於市とは「友好都市」だそうで、「兄弟都市」という呼称は鹿児島市との間だけで使われています。


西郷隆盛

酒井忠篤

旧藩士たちが養蚕を手がけた
「松ケ岡開墾場」

その旧 庄内藩士たちが原野を切り拓いてつくったのが、鶴岡の郊外にある「松ヶ岡開墾場」です。ここを総会2日目のお昼に訪問します。

入植者たちがここで取組んだのは、米や野菜ではなく、その後明治時代の基幹産業となっていく絹織物の原料を得るための「養蚕」でした。何棟も建ち並ぶ、石場建て・総二階・越屋根付きの大きな建物は養蚕のための施設で、旧藩士達は餌となる桑を周囲に植え、広い養蚕室で蚕を飼い、絹糸を取るための繭にまで育てあげました。

松ヶ岡開墾場

日本近代化の風景として
「日本遺産」に認定

文化庁では、2014年から、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを有する地域を「日本遺産」として認定しています。

日本遺産のマーク

庄内は今でも、養蚕から製糸・製織・精練・染色・縫製というシルクを作る一貫体制が域内に集まる、全国唯一の地域として有名です。その背景として「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」というストーリーがあるということで、2018年7月、日本遺産となりました。

日本遺産のWebサイト、鶴岡を紹介しているページ

日本遺産のWebサイトに掲載されているビデオ

このストーリーの原点として「松ヶ岡開墾場」もその重要な構成要素のひとつとなっています。ここを拠点にがんばってきた旧庄内藩士たちの苦労や試行錯誤があってこそ、庄内シルクは今にまでつながってきたのです。

刀を鍬に持ち替えた旧藩士たちが
つくったのは、養蚕工場でした

江戸時代までは、日本では蚕の生産量が絹の需要に追いつかず、絹糸はいちばんの輸入品でした。江戸幕府は、鎖国にともない、国内での供給を高めるために養蚕を奨励しました。特に江戸時代の末からは、農家の屋根裏を養蚕用に改造することで、生産量が増大しました。が、この段階まで、養蚕の担い手はあくまでも農家であり、家族単位で行う家内制労働でした。

博物館に移築された田麦俣の民家 この多層屋根と目みたいな通風口は、養蚕のための工夫

明治に入り、日本は富国強兵をめざす一環として生糸・織物に力を入れるようになりました。「刀を鍬に」持ち替えた非農民の旧藩士達は「松ヶ岡開墾場」をその一環として位置づけ、効率よくたくさんの蚕を育てる工夫を考えました。そこで彼らが造ったのが、住居を兼ねない、蚕室だけの特化した大きな建物です。いわば養蚕工場です。だからこそ、農家の副業や家業とは格段の規模の生産体制を実現したのです。

松ヶ岡開墾場の記念館

通風と採光、そして、蚕が発する熱を逃がすことが、養蚕の生産効率をあげるための環境要件となります。そのため「松ヶ岡開墾場」では、上州島村式の大蚕室にならい、二階は建具で全開放できるようにつくり、その上に越屋根を載せ、蚕の呼気を気抜きできるようにしてあります。

時代の変化の中で道を切り拓いて来た
「ラストサムライ」たち

このようにして、明治5年から数年の間に建てられた10棟の「養蚕工場」のうち半分が、150年もの歳月を経て、そのままの形でなお健在で、現在は庄内の養蚕と絹織物を知る資料館、カフェ、陶房、映画村などとして活用されているのは驚きです。

松ヶ岡開墾場Webサイト掲載の、松ヶ岡カレンダーより

この開墾場の石場建て・総二階の建物を建設したのも「刀を鍬に持ち替えた」旧庄内藩士たちだったはず。その手の跡を見て、時代の変化の中で、幕末までとはまったく違う生き方をせまられてなお、自分たちが信じる道を切り拓いていったラストサムライたちに思いを馳せれば、与えられた境遇にめげず、できること、やれることを手がける勇気をもらえるに違いありません。

開墾場の公式サイトに、このような言葉を見つけたので、紹介します。

庄内藩は、戊辰戦争に敗れ、賊軍といわれ国辱を受けました。当時「賊名」は武士にとって最大の恥ずべきこと、松ヶ岡を開墾し当時先端産業だった蚕糸業を興し、社会の模範となって地域(国)の活性化と発展に貢献して国辱を濯(すす)ごうと考えました。

(酒井家の家臣で「西郷南洲遺訓」をまとめた一人である)菅実秀は「国辱を濯がんと欲して荒城を出づ」と詩に詠い、「国辱を濯ぐとは、人々志を立て、道を学び、皇国のために命を擲ち、あっぱれ武士の手本、天下の模範となれば、これこそ辱をそそげりというものなれ」と述べています。

石置き屋根、石場建ての
開墾士たちの住まい

松ヶ岡開墾場の話題の最後に、このラストサムライたちが住んでいた住居をご紹介します。石場建て、石置き屋根の簡素な家です。

石置き屋根の家、軒が草屋根になってる。足元は石場建て。石の形に合わせて木が削られている

開墾にあたって、元は鶴岡にあったこのような庄内藩士の住まいを30戸ほど移築してきたのだそうです。彼らは、江戸の治安が悪くなっていた幕末に「新懲組」として江戸の町の警護にあたっていたこともあるので「新懲屋」と呼ばれています。この新懲屋の復元は、劍持大輔さんのお父様がされたのだそうです。

10/13(日) 13:30〜15:30 見学
致道博物館・荘銀タクト鶴岡

庄内の古い建築ワンダーランド!
致道博物館

松ヶ岡開墾場で昼食をはさんで見学をした後は鶴岡市内に向かい、かつての鶴ヶ岡城の三の丸に、庄内地方独特の民家や明治期の洋風建築を数多く復元再生した「致道博物館」歴史公園を見学します。

至道館博物館Webサイト掲載の、案内図


旧西田川郡役所

旧庄内藩主御隠殿

旧鶴岡警察署庁舎

地元鶴岡で庄内の文化を 守り続けてきた酒井家

殿様が幕府の意向であちこちに転封されることが多かった江戸時代の幕藩体制にあって、庄内藩は関ヶ原の戦い以来、一度も「お国替え」がなく、一貫して酒井氏が治めてきました。領主と領民の結束が強かったことが、庄内藩が戊辰戦争で負けなかった理由のひとつだといわれています。

明治に入ると、日本じゅうの旧藩主のうち多くが上京し、東京住まいになっていきましたが、戊辰戦争後、西郷に赦された酒井忠篤は、西郷の勧めでいったんはドイツに留学はしたものの、帰国後は鶴岡に戻り、東京に引越すことはありませんでした。現在も18代目の当主で地元では「殿」と呼ばれている酒井忠久さんが、この致道博物館の第三代の館長をつとめています。

致道博物館の第三代館長、酒井忠久さん。山形のフリーペーパー「やまコミ」のWebサイトより

ちなみに、忠久さんは、松ヶ岡開墾場の第四代の総長でもあり、父の悲願であった老朽化していた大蚕室を修復整備し、蚕室に記念館や食堂をオープンし、庄内映画村を誘致した人でもあります。

庄内の建築遺産が一堂に!

このように、一貫した歴史のある鶴岡だからこそ、古いものを大事にするのでしょう。それが、致道博物館を訪れると感じられます。

養蚕の普及とともに、先にご紹介した大屋根に採光通風のための明かりとりをあけた多層屋根の「田麦俣の民家」をはじめ、旧酒井藩主の住居と庭園、旧田川郡郡役所や旧鶴岡警察署といった明治の擬洋風建築などが立ち並び、比較的短い時間にまとまって見学することができます。

庄内藩藩校「致道館」や
「荘銀タクト鶴岡」にも足を伸ばして!

また、すぐ近くには「致道博物館」の名の由来ともなった、旧庄内藩藩校の「致道館」や、2017年秋に完成したばかりの鶴岡市の新文化会館「荘銀タクト鶴岡」もあります。「荘銀タクト鶴岡」は世界的に活躍する妹島和世さんの設計によるもので、屋根がいくつもの山の重なりのように分割された斬新な建物で、建築界では話題を呼んだ建物です。

荘銀タクト鶴岡 鶴岡市のWebサイトより

一見して伝統木造とは対極にあるように思える「荘銀タクト鶴岡」ですが、閉鎖空間であるメインホールの周りを、自由に出入り可能な回廊空間で囲む構造が、平泉の金色堂を覆っている例に見られるような、主屋を保護するために外側に覆うようにして建てる「鞘堂」を発展させたものであったり、回廊空間と外部との境界にガラスを多用することで、建物内外の連続性を出しているなど、和の建築のエッセンスがあちこちにあり、木の家ネットの会員にとっても興味深い建物ではないかと思います。

荘銀タクト鶴岡のWebサイトに掲載されているビデオ

以上、総会2日めの見学コースについて、ご案内しました。最後に、総会の2日間の行程をご確認いただいて、総会案内の1回目を終わりにしたいと思います。

鶴岡総会スケジュール

10/13(土)総会日
12:10飛行機組 庄内空港着
12:25電車組 JRあつみ温泉駅著
昼食は各自、あつみ温泉の温泉街で!ラーメン、蕎麦、定食などあり。
13:00あつみ温泉「萬国屋」 集合受付開始1F 茶室一炉庵の前
14:00〜18:30第18期 木の家ネット総会1F 平安の間
18:30〜19:15お風呂休憩大浴場
19:30〜21:00夕食&宴会宴会場
21:00〜21:30休憩
21:30〜23:00分科会和室に分かれて
24:00お風呂終了
10/14(日)見学日
5:00〜入浴可能
7:00〜8:30朝食
8:30〜9:00チェックアウト
9:00出発バス・自家用車乗り合わせ
9:45〜11:00見学1月山をのぞむ家
11:00〜11:10移動
11:15〜13:00見学2&昼食松ケ岡開墾場
11:50早帰り班 移動開始12:16 鶴岡発いなほ、12:50空港発ANA
13:30〜15:30見学3致道博物館ほか市内
15:30致道博物館前バス10分で駅へ。16:15 鶴岡発いなほ
16:15鶴岡発 特急いなほ18:01新潟着
16:00〜16:30 劔持さん作業場(建築中)見学鶴岡インター近く
17:50庄内空港発
10/15(月)オプション日

次回は、総会に幹事をつとめてくださる「剱持さんワールド」をご紹介しますので、どうぞお楽しみに!

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