小千谷市小栗山に住む片岡哲太郎さん。奥には家業の錦鯉のポスターが見える
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新潟県中越地震被災地訪問レポート

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延べ石基礎、玉石基礎に土台が載るだけ
建物は地面に緊結されていない

長谷川さんの助言で家を修復された小千谷市小栗山に住む片岡哲太郎さんの家を訪れました。中越地方の山間部に多く見られる「中門造り」と呼ばれるL字に折れ曲がった平面プランを持つ古民家で、屋根も茅葺きで、苔は生えていますが、よく手入れされ美しい姿で建っていました。築200年程のこの家の基礎は「石場がち」といって、地盤を突き固めて、そこに水平に自然石を据えただけのものです。その上に大柱を立て、あるいは木の土台を敷いた上に柱が立っている構造で、上部構造は重力で石の上に載っているだけ。つまり、建物は地盤から切り離されているのです。

片岡さんの家のような古い民家の特徴としては「地盤や基礎と上部構造が緊結されていない」ということがまずあげられます。いうなれば地球の上に「ちょんと」のっかっているに過ぎません。今、一般的につくられる木造住宅の場合は、杭などでしっかり地盤を固めた上にコンクリートの基礎を固定し、その上に木造部を載せボルトで緊結するのが常識です。言うなれば「地球と一体化」されているわけです。さてどちらのほうが地震に対して有効なのでしょう。

家を「電車に立つ人」にたとえて
どちらが地震にたえるか考えてみよう


基礎と柱脚・土台緊結の有無による、破壊態様の違い
(「地震被災建物 修復の道しるべ」より)

電車の車内に立つ人を連想してください。ひとりは動き出したり止まったりするたびに「おっとっと」と足をバタバタと踏み変えながら、立ち位置をずらしてこらえます。もうひとりは「動いちゃいけない!」と、靴底を接着剤で貼り付けて「ふんばるぞぉ」と体全体を硬くしてこらえようとします。どちらが電車の動きに対して長くこらえて立っていられるでしょう?

地震に対して「おっとっと」という構えをするのが古い民家、「ふんばるぞお」と頑張るのが現代工法の家、というたとえです。いろいろな考え方があり、正解はないと思いますが、「おっとっと」というようなかたち(古い道理)で中越の古い民家は生き残ったのは事実だと思います。もしもこれがコンクリート基礎にアンカーボルトで固定されていた(新しい道理)としたら? 谷底にすべり落ちていった地盤に引っ張られ、破壊被害はより大きくなっていたのではないでしょうか。

免震の考え方は
昔の民家にすでにあった

「免震」という言葉があります。最近はテレビのCMにも時々出てくるようになったのでご存知の方も多いかと思いますが「地震の揺れを、自分自身が動くことで免れる」構造の考え方です。割と新しい考え方・技術だと思われがちですが、じつは「コマ石基礎」「延べ石基礎」などの中越の民家をはじめ、全国的に慣習的に使われてきている技術、古い道理なのです。みなさんの家の近くにもある神社は、礎石の上に柱が立つ「古い道理」の代表格といえる建物です。

アンカーボルトで緊結された柱。地震の力に耐えられず破壊された。
(写真提供:長谷川順一)
2009年11月に兵庫県のE-ディフェンスでおこなわれた「3階建て長期優良住宅の耐震実験」においても興味深い結果が出ています。これは、足元をしっかりとめつけた住宅(長期優良住宅の耐震等級2を満足するもの)と、足元を少しゆるめに留めつけたもの(基準法を守っているだけのもの)を同時に揺らすという実験でした。耐震等級2の長期優良住宅仕様の方が、足元がガチガチに固められていたために上部構造への地震力入力が減衰されずに完全倒壊。そこまで固めていない建物の方は、足元がずれることで踏みとどまったのです。様々な意見が飛び交っていますが、「足元フリー」の有効性を示唆している結果といってもよいのではないでしょうか。

足元を浮かせながら地震にもちこたえ、
しなやかな貫構造で復元した

片岡さんの家は、地すべり等で30センチを越える地盤の沈下があり、家もだいぶん傾いたそうですが、雪国の民家ならではの積雪にも耐える骨太な上部構造のおかげで、しなやかに変形を受け止め木構造部分だけで足元を一部浮かしながら自立していたそうです。地盤とつながっていないことで、上部構造が地震のエネルギーをうまく逃がしながら、丈夫でしなやかな木組みのおかげで踏みとどまったということなのでしょう。

「あんなに揺れるもんかと思うぐらい、ほんとに揺れたんだね」「一度傾いたんが、戻ってきたんだね。起きてくるんだね」と片岡さんが話されるように、地震時の揺れの驚きとともに骨太の貫構造によって傾きが直っていくことに感心されたようです。長谷川さんは「地震後の積雪による重みで押しつぶれていく家もある中で、昔ながらのつくりの家々はその骨太の架構によって、しなりながら傾いていくが、春になって雪が融けると、構造材や貫などの接合部による「めり込み」と「曲げ」の復元力で元に戻ろうとしていた。そういった家を何軒も見た」と話されていました。これも地震の際に「古い道理」が有効にはたらいた実例だと思います。

「赤紙」「全壊」の査定にめげず
 より安心感のある住まいに再生

居間の真ん中に新たに立てられた、無垢の木の香りのただよう大黒柱

じつは、片岡さんの家は応急危険度判定で「赤紙」が貼られていました。床下にも相当のひび割れがあったので「全壊か?」という状態だったそうです。床が落ち込み、柱が傾いた状態を見て、身近な家族からも「壊すしかない」という声も聞こえたそうです。「息子や孫へ負の遺産(築200年の古家)を背負わせても仕方ない」という気持ちと「先祖が残し伝えてきた家を守りたい」という気持ちが入り混じる中、再生の道を選びました。

修復工事においては不同沈下した柱下からジャッキアップして床面の水平を直していきました。その土台と基礎石の間にはそれぞれ木や石のパッキンが挟まれるだけで地盤と家はつながれていません。以前のレポートにもあった「コマ石」ように、この地方において何百年と続く暮らしの体験の中で選ばれてきた、手堅く家を造る智恵なのでしょう。とはいえ、家の内部に目をやると太い通し柱に亀裂の入ったものもあり…。それらも接木をすることで補修したり、大きな吹き抜けの居間には棟まで伸びる大黒柱を新設して、より安心感のある住まいに再生されていました。

歩き始めたお孫さんと

はじめはあまり乗り気でなかった息子さんも生まれ変わった家に戻ってきて、震災が取り結んだご縁がきっかけでお嫁さんも迎え、かわいいお孫さんも生まれました。お孫さんをあやしながらインタビューを受ける横顔からは、震災の苦労を感じさせないほどの柔和な笑顔がうかがえ、生まれ育った山で暮らしていくことの意味を切々とお話くださいました。

崖の上につきだすようにして
半分は崩れ、半分は残った

次に訪れた山古志の池谷地区に建つ星野正利さんの家には壮絶な物語がありました。信濃川の源流のひとつである芋川のまた支流に、半島のようにつきだした崖の上に建っています。被災時には周囲の田畑が崩落する中で奇跡的に崩れ落ちなかった台地に、片足を谷に突き出したようなかたちでとどまっていたそうです。当然、「赤紙」&「全壊」の判定の状況であったと思われます。

大きく崩れていた母屋を切り取り、崖っぷちに辛うじてとどまっていた築50年の増築部分だけを残すことにしました。間近に迫っていた冬を越し、修復の手がさしのべられ、計画を練るのにまた1年を費やし、工事に取り掛かれたのは、ようやく1年半が経過してからのこと。その間、片足が浮いた状態の家を積雪から守るために、地域の人やボランティアによる雪下ろしの決死の努力が続けられたそうです。

曵き家で安全な場所に移動して再生
すごいことができたものだ!


嵩上げ2m、横曳き12mの作業に3日間、80度の回転に1日、新たな土台に据えるのに半日かかったという。
(「地震被災建物 修復の道しるべ」より)

今にも崖から滑り落ちようとしている家を救うには安全な場所まで引っ張るしかありません。設計監修した長谷川さんは、山側の道路際に新しい基礎を造り「曳き家」と呼ばれる手法で、建物全体を建ったままレールに乗せて動かすことにしました。(木の家ネットの現場報告に掲載した秋田県鹿角市での「曳き家」の例をご参照ください)そのうえ落雪処理のため、敷地に対して80度、方角を変えないといけなかったので、くるりと回して基礎の上に据えられました。そのため座敷の床の間の壁に新しい窓が開けられていたり、残った限られた空間の中で水周りなどすべてレイアウトしなおされています。長谷川さんは星野さんの話に事細かに耳を傾け細心の注意を払って2年にも及ぶ再生計画を実現させたのです。

家の中でのお話の後、一段上の高みから見下ろしたとき、地震の力はすさまじいものだったと思いますが、人の力も結集させればすばらしい仕事をすることができるんだとしみじみ感じました。

長寿命の家という器があることで
山村共同体での暮らしが継続していく

中越地震で離村した家族もありますが、片岡さんのように家の修復再生をきっかけに家族の絆をより強くする、いわば「再結成」を果たし、生き生きと山の暮らしを続けられる例も多くあります。神戸での震災時ではパニック的な混乱の中で、家の解体を促され、必要以上に木造家屋が姿を消していき、その後の落ち着き先も家族形態も変わっていきました。中越では集落が散在すること、長い積雪期をはさんだ条件なども重なり、充分に考慮しながら対応する時間があったようです。星野さんも一人暮らし世帯ですが池谷集落という山村コミュニティーの中で生きていく決心をしたようです。

子や孫に囲まれながら村の祭りや祝い事に一生懸命になっている姿を見せ、山菜取りや農作業など世代を超えて楽しく生活してゆくことが、次の時代にもその生活文化をつなげていこうという気持ちを育くんで行くのだ思います。100年を超えるしっかりとした民家は、激震を乗り越えながらも、そうした家族の器となり得るのです。家族の器たり得る、長寿命の民家が数多く存在する地域は、これからの資源循環型の社会に向けて、ひとつのすばらしいモデルとなるような気がします。

片岡さん宅に貼られていた写真。

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地震で傾いたお堂を調べる長谷川さん。中越地震関係だけで、修復の相談件数は150件に及ぶ