一般社団法人
職人がつくる木の家ネット 事務局
〒711-0906
岡山県倉敷市児島下の町5-7-3 児島舎内
E-mail jimukyoku@kino-ie.net
TEL 086-486-5464


淡路島の中央に位置する兵庫県洲本市。小川沿いに車を走らせると小高い場所にポツリと住宅と工場のような建物が見えてくる。ここが今回紹介する藤田さんの営む《淡路工舎》の事務所・作業場、そして自宅だ。

まずはプロフィールのご紹介。
藤田 大(ふじただい・48)さんは1972年 神戸市生まれ。高校在学中に法隆寺宮大工の故・西岡常一棟梁の著書「木に学べ」を読み宮大工の面白さに触れる。高校卒業後、西岡棟梁の紹介で「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に弟子入りし、11年間宮大工として修行する。
2001年 淡路島・洲本市の小川寺を建てるために移住。翌2002年 小川寺の完成と共に30歳で独立。神戸へのUターンも考えたが淡路島での暮らしが肌に合い、島内に残ることにした。
その後、敷地内の古民家を改修し自宅とし、作業場内には事務所と住み込みの弟子のための住居を建て、今の淡路工舎の形となる。現在は5名体制で社寺から住宅まで様々な仕事をこなしている。

「住宅をずっとやりたかったんですが、元々社寺ばかりやってきたので、知らないことばかり。家づくりを覚えたい一心で、地元の親方のもとで、昔ながらの淡路島の住宅や、プレカット工法の現代的な建築など幅広く学びました。」と藤田さん。

自宅に案内していただき詳しくお話をうかがった。


宮大工の経験を家づくりに活かす

⎯⎯⎯⎯ 住宅と社寺とではどれくらいの比率で仕事をされているのですか?
「7:3くらいで住宅が多いかなとは思いますが、その時々で変わってくるので一概には言えないですね。今年はたまたま新築の住宅が多いですけど、来年に向けてお寺の仕事が控えています」

⎯⎯⎯⎯ 藤田さんの周りには他に手刻みで木の家を建てられている大工さんはいらっしゃいますか?
「木の家ネット会員の総合建築植田さん(植田さんの紹介記事はこちら)、僕のところ、あとやっていそうなのは、社寺を専門にしているところが、たまに民家を手掛ける際に手で刻んでいるのかなというくらいの感覚ですね。10年くらい前は、まだちらほら淡路島特有の伝統的な民家も建っていたんですが、めっきり見なくなりましたね。確かに残念といえば残念ですが、決めるのはお客さんなので難しい問題ですね」

⎯⎯⎯⎯ とはいえ島内には立派な淡路島らしい住宅も残っているように見受けられます。そういった住宅の改築・リフォームはどういった方からのご依頼が多いですか?
「元々住まわれていた家を直したいというご年配の方から、比較的若いと30代後半くらいのご夫婦だったり様々です。淡路島で特徴的なのは、移住のために古民家を購入して改装したいというお客さんが多いことですね」

⎯⎯⎯⎯ このご自宅も改築されたそうですね。
「はい。この家も自分で改築しました。斯く言う自分も移住組です(笑)。近所の人からは『潰した方がええ』と言われていました。雨漏りは酷いし棟は落ちているしシロアリはいるし、本当に荒廃していたんです。もちろん新築した方が簡単なんですが、古い家でも改築したらこんな風にできるんだという事例を作りたかったんです。なのでモデルハウスとして公開しています。お客さんには生活感も含めて見てもらえるようにしています」

そんな藤田さんの想いが詰まった自宅をご紹介する。


玄関はまだ仕上げ途中。ゆっくり時間を掛けて少しずつ作り上げている。

まだまだ現在進行中

「風通しの良い家にしたかった」という藤田さん。取材日は7月上旬、大雨の合間の蒸し暑い日だったが、玄関をくぐった瞬間からひんやりと心地よい。建てて7年になるが、より良い住まいを目指し現在も改築作業は進行中だ。

玄関を入って目の前に広がるリビングと和室の広々とした空間。実に風通しが良い。

リフォームと呼ぶには大規模すぎるほど解体し骨組みだけに。梁や柱は島内のいろいろな解体現場からもらってきた物を組み合わせて使っている。

敷地内にはさらに作業場が2つある。3年前には作業場の中に事務所を作った。外からはわからないが実は二階建てになっており、一階は事務作業や設計、製図、打ち合わせなどに使われ、二階はお弟子さんたちの宿舎になっている。

この中に二階建ての事務所兼宿舎がある。

左:広々とした作業場 右:島内には林業がないので、島外の市場で原木を買ってストックしている

左:事務所 中:図面は手でもCADでも描く 右:淡路工舎の看板

現在のお弟子さん2人以外にも、手伝いできてくれた人も泊まれるように4人分のスペースを確保している。合宿さながらの和気藹々とした生活が目に浮かぶ。

もう一つの作業場

板に描かれたお寺の設計図。細かい情報が全て詰め込まれている。


淡路工舎のお弟子さん達は基本的に皆、この宿舎に住み込みで働いている。現代ではこういった環境はかなり少ないのではないだろうか。

⎯⎯⎯⎯ 住み込みにこだわるのはなぜですか?
「今、住み込みでは2人来てくれています。福本杜充さん(ふくもと もりみつ・23歳・大阪出身)と板良敷朝和さん(いたらしき ともかず・21歳・沖縄出身)。僕が鵤工舎で弟子だった時も住み込みで生活していました。いつも合宿のようで楽しかったし、何よりとてもいい経験になりました。だから自分が弟子を取る立場になったら、絶対住み込みでしか取らないと決めていました」

左から藤田さん、福本さん、板良敷さん

⎯⎯⎯⎯ 弟子と言えば、ご長男の樹さんが藤田さんと同じく鵤工舎に弟子入りしていると聞いたのですが、どういう経緯だったのですか?
「僕が紹介した訳ではなく、自分から連絡して採用してもらいました。高校卒業後5年間の約束で弟子入りしています。今年で5年目なので来春には淡路島に戻ってくる予定です」

来春からは、他のお弟子さんと全く同じ条件で採用し、この宿舎で衣食住を共にすることになる。


大工にしかできない建売りの家

淡路工舎の門を叩いてくる若い子は「木を触りたい」「刻みたい」という志を持ってやって来る。しかし実際の仕事は昔ながらの社寺や伝統建築ばかりという訳ではない。

「ここ数年で一般的に民家の新築はプレカットばかりになってきました。その手法に対する良し悪しや好き嫌いは別として、若い大工が短期間で一軒建てることができます。現場の数をこなせて、仕事を覚えられ、自信がつくという意味においては、特段悪くないと考えています」

そう考える藤田さんはある試みに挑戦中だ。

「志を持った若い職人が、ちゃんとした材料を使いながらコンスタントに家を建て、経験を積めるようにするためにはどうしたら良いか。それをずっと考えた結果『そうだ!もう建売りしよう!』と思い立ちました」

「自分たちでプランニングから始めて、模型を作ったりCADで図面を引いたりして、自分たちが良いと思える素材を使い、良いと思える家を作る。そして良いと思える暮らしを提案し、商品として家を買ってもらうんです」

「すると大体の人は、目の前に出来上がった家だけを見て暮らしを想像します。その時に『あ、良い!』と単純に思ってもらえたら、それが一番いいんじゃないかなと考えています。お客さん自らは興味がない場合でも『安全で体に良い素材を使って暮らしやすい家を建てたんです』とこちら側からカタチにして見せることもありなんじゃないでしょうか」

「注文住宅を一緒に作って行くことも素晴らしいし楽しいですが、一つのモデルを作って提案するというのも大切なような気がします。後からアレンジしたり手を加えて行くことももちろん可能ですし、自分たちの家づくりのパターンとして、《建売りというカード》を持っておくのは悪くないと思うんです」

確かな技と良い素材を使い、その良さが滲み出てくる家。《寡黙だけど慕われる人》が頭に浮かんだ。


その建売り住宅の第一弾が洲本市宇山に出来上がろうとしていた。

不動産屋さんが持つ土地に淡路工舎が家を建て、セットで販売してもらう。一般的な建売り住宅に比べるとかなり強気な価格設定になっているが、すでに売約済み。ほとんど既製品は使わず、建具は全部手づくりだという。

「使っている材料や、やっている仕事から考えれば、かなりお得な金額にはなっています。やっていることは間違いないという手応えがあります。万人受けはしないかも知れないけど、ハウスメーカーでは実現できないような家になっているので『こんなのが欲しかったんだよ!』と思ってくれる人もきっといるんじゃないかなと思って作りました」

完成見学会(取材後に完成済み)では「島内でこんな家を作るところがあるとは思わなかった」「今まで見てきたモデルハウスの中で1番や」と嬉しい声が聞かれたそうだ。

「もちろんこのやり方に対しては賛否両論あると思います。それを分かった上でやっている試みなので、これからどういう評価を受けるのか楽しみです。お客さんの声に耳を傾けて、また次の手を考えていきたいですね。従業員の間で『次、こういうのやろうよ』『こんなのどう?』と声が上がってきたら、ますます面白いことになると思っています」

熱く語る藤田さんの目は少年のように輝いている。

⎯⎯⎯⎯⎯ 今後のプランを教えてください。
「社寺の仕事をやりながら、建売りの住宅も平行して作って行ける仕組みを作って行きたいです。そうすれば人を雇うということも怖くなくなりますし、若い子にも来てもらいやすくなります。それを見越して製材機も導入しました。原木を買って来て、まとまった量の材木をストックしておくつもりです。短期間で答えは出ないですが、5年後くらいに軌道に乗れば良いかなと考えています。」


それでは家の中を詳しく見ていこう。

「自分で住みたいと思う家を設計した」と言う藤田さん。特徴は2階にキッチンとリビングに置き、スキップフロアと勾配のある天井にしたところ。気持ちいい空間が広がる住まいになった。

上:2階の大空間は明るく風通しも良い 左下:正面の外壁は瓦タイル 右下:スキップフロアの階段は半透明。玄関に優しい明かりが差し込む

上:柱には必要はないが遊びで社寺の要素を取り入れている 左下:大黒柱 中下:スキップフロア分の空間は全て収納スペースに充てられている 右下:屋根裏部屋さながらの広大な収納スペース

上:消臭性や調湿性に優れた《ほたて漆喰》 左下:家具ももちろん手づくりだ 右下:お弟子さんたち自身で作った模型

7月末に完成し、見学会も開かれた。(写真:上記3点藤田さん提供)

この家を買ってくれたのは30代の会社経営者。「僕らの建てるものなら絶対良いと言ってくれてすぐに購入してくれた」と藤田さん。

「住宅というものは、いち家族のために作るものだとばかり思っていました。しかし会社で購入し福利厚生のために使うようなケースもあるということを知り勉強になりました。今までの経験の中でだけ顧客層を考えるのではなく、もっと視野を拡げ、いろんな人が『買いたい』と思えるものを創り出していけばいいんです」

「自分は一体どこに向かっているんだろうと思うこともありますが、次の世代の子たちが《手仕事さえ覚えたら絶対的に食べていけるような環境》を整備してあげたいんです。自分だけが楽しみたいのであれば、ずっと社寺をチクチクつくるのもいいですが、そこにこだわり過ぎると、これからの時代に生き残れる人材は育たないんじゃないかなと僕は思います」

「実際、弟子の2人もこの現場を通してだいぶ成長が見えました。今までは『もっと考えろ』『どう思う?』と、こちらから声をかけることが多かったのですが、最近は自分から『面白い』『きれいやな』と自然と言葉が出てくるようになりました。自分がやり遂げたことに対して、自信を持てたり、達成感を得られたりと、単純に楽しめている証拠です」

「本当、何でもしますよ。今回は基礎も自分らでやったし。これからもどんどん新しいことにチャレンジして行って欲しいですね」

最後に、藤田さん自身がチャレンジして来た社寺の仕事をいくつか紹介しておこう。


制限があるからこそ、ええもんが作れる。

福田寺(ふくでんじ) | 淡路市志筑

このお寺の新築工事は5年前(42歳の時)に手がけた。
ちなみに取材後に知ったのが、ここには源義経と静御前のお墓があるという(見てみたかった、残念)。

住職が書かれた文字を、藤田さんが彫刻のみで掘り込み、金箔を貼った。

「階段を降りきったところに柱を建てる余裕がなかった」という藤田さん。限られた条件だったからこそ独特の手摺りが生まれた。

正面の屋根を降りきったところが、左右よりもなだらかに高く膨らんでいる。なかなかやっているところは少ないそうだが、藤田さんが修行していた時はこれが当たり前だった。なので予算があるないにかかわらず『ええことは知ってるから、しとかなあかんこと』だと言う。

「そんな技術とかこだわりも随所に詰まってはいますが、見に来てくれた人が『キレイやなぁ』と思ってくれたらいいだけ。あんまり細かいことは自分からは言わないようにしています」

ここを建てたご縁で、来年からは別のお寺の現場も始まるそうだ。

「どこのお寺も檀家さんが少なくなって、予算面や設計・施工面でも制限がある場合が多いんです。でも声を掛けて来てくれることが嬉しいので、そのお客さんのために、どうやったら条件をクリアしながらええもんを作れるかをいつも考えています」

藤田さんの人柄と滲み出る想いが、仕事や人をつないでいる。


厳島神社(いつくしまじんじゃ) | 洲本市本町

左上:舞楽殿 右上:回廊 左下:渡り廊下 右下:社務所

13年前、35歳で舞楽殿・社務所・回廊・渡り廊下を手がけた。
厳しい設計士の先生で「ほんまにお前にできるんか」みたいに思われていたが、やっていくうちに認めてもらえたそうだ。

「屋根などの意匠にとてもこだわりを持たれている先生との仕事は、今見てもやっぱりいい仕上がりになっていますね。鉄筋コンクリートや銅板の仕事が初めてだったので、個人的にものすごく意義のある仕事でした」


伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) 制札 | 淡路市多賀

文字は宮司さんによる手書きのものだ

厳かな参道の鳥居のすぐ横にある制札。天皇陛下(現在の上皇陛下)御在位参拾年奉祝記念、いざなぎ會設立七拾周年記念として2019年に手がけた。

意匠に決まりがあるわけではないので、設計には経験とセンスが必要だ。楔もちょっとやそっとでは抜けないよう噛み合わせの細工や入れ方にも工夫が込められているそうだ。

「出来上がってしまえば小さいけど、こういうのも大事な仕事です」


新しいカタチの工務店

伝統的な職人の技を受け継ぎ、社寺建築での確かな腕を持つ藤田さん。しかしそこに甘んじることなく、新しいこと・知らない世界へと果敢にチャレンジしていく姿は、お弟子さんの意識も変え始めていた。

「新しいカタチの工務店を作って行きたいんです。若い職人が与えられた仕事をこなすだけではなく、自分たちで提案してそれを全員でカタチにしていくようなスタイルを確立できたら、やる気も全然違うでしょうし、面白いんじゃないかなと思います。」

「仕事は時間をかけて量をこなせば絶対的に身に付きます。幸いにもその時間や機会を用意できる環境はある程度整っています。それよりも大事なのは『大工って面白い』と思える《仕事づくり》じゃないでしょうか」

藤田さんは《家をつくること》を通して《次世代への道筋》をつくろうとしている。


淡路工舎 藤田 大 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)


淡路島の中央に位置する兵庫県洲本市。小川沿いに車を走らせると小高い場所にポツリと住宅と工場のような建物が見えてくる。ここが今回紹介する藤田さんの営む《淡路工舎》の事務所・作業場、そして自宅だ。

まずはプロフィールのご紹介。
藤田 大(ふじただい・48)さんは1972年 神戸市生まれ。高校在学中に法隆寺宮大工の故・西岡常一棟梁の著書「木に学べ」を読み宮大工の面白さに触れる。高校卒業後、西岡棟梁の紹介で「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に弟子入りし、11年間宮大工として修行する。
2001年 淡路島・洲本市の小川寺を建てるために移住。翌2002年 小川寺の完成と共に30歳で独立。神戸へのUターンも考えたが淡路島での暮らしが肌に合い、島内に残ることにした。
その後、敷地内の古民家を改修し自宅とし、作業場内には事務所と住み込みの弟子のための住居を建て、今の淡路工舎の形となる。現在は5名体制で社寺から住宅まで様々な仕事をこなしている。

「住宅をずっとやりたかったんですが、元々社寺ばかりやってきたので、知らないことばかり。家づくりを覚えたい一心で、地元の親方のもとで、昔ながらの淡路島の住宅や、プレカット工法の現代的な建築など幅広く学びました。」と藤田さん。

自宅に案内していただき詳しくお話をうかがった。


宮大工の経験を家づくりに活かす

⎯⎯⎯⎯ 住宅と社寺とではどれくらいの比率で仕事をされているのですか?
「7:3くらいで住宅が多いかなとは思いますが、その時々で変わってくるので一概には言えないですね。今年はたまたま新築の住宅が多いですけど、来年に向けてお寺の仕事が控えています」

⎯⎯⎯⎯ 藤田さんの周りには他に手刻みで木の家を建てられている大工さんはいらっしゃいますか?
「木の家ネット会員の総合建築植田さん(植田さんの紹介記事はこちら)、僕のところ、あとやっていそうなのは、社寺を専門にしているところが、たまに民家を手掛ける際に手で刻んでいるのかなというくらいの感覚ですね。10年くらい前は、まだちらほら淡路島特有の伝統的な民家も建っていたんですが、めっきり見なくなりましたね。確かに残念といえば残念ですが、決めるのはお客さんなので難しい問題ですね」

⎯⎯⎯⎯ とはいえ島内には立派な淡路島らしい住宅も残っているように見受けられます。そういった住宅の改築・リフォームはどういった方からのご依頼が多いですか?
「元々住まわれていた家を直したいというご年配の方から、比較的若いと30代後半くらいのご夫婦だったり様々です。淡路島で特徴的なのは、移住のために古民家を購入して改装したいというお客さんが多いことですね」

⎯⎯⎯⎯ このご自宅も改築されたそうですね。
「はい。この家も自分で改築しました。斯く言う自分も移住組です(笑)。近所の人からは『潰した方がええ』と言われていました。雨漏りは酷いし棟は落ちているしシロアリはいるし、本当に荒廃していたんです。もちろん新築した方が簡単なんですが、古い家でも改築したらこんな風にできるんだという事例を作りたかったんです。なのでモデルハウスとして公開しています。お客さんには生活感も含めて見てもらえるようにしています」

そんな藤田さんの想いが詰まった自宅をご紹介する。


玄関はまだ仕上げ途中。ゆっくり時間を掛けて少しずつ作り上げている。

まだまだ現在進行中

「風通しの良い家にしたかった」という藤田さん。取材日は7月上旬、大雨の合間の蒸し暑い日だったが、玄関をくぐった瞬間からひんやりと心地よい。建てて7年になるが、より良い住まいを目指し現在も改築作業は進行中だ。

玄関を入って目の前に広がるリビングと和室の広々とした空間。実に風通しが良い。

リフォームと呼ぶには大規模すぎるほど解体し骨組みだけに。梁や柱は島内のいろいろな解体現場からもらってきた物を組み合わせて使っている。

敷地内にはさらに作業場が2つある。3年前には作業場の中に事務所を作った。外からはわからないが実は二階建てになっており、一階は事務作業や設計、製図、打ち合わせなどに使われ、二階はお弟子さんたちの宿舎になっている。

この中に二階建ての事務所兼宿舎がある。

左:広々とした作業場 右:島内には林業がないので、島外の市場で原木を買ってストックしている

左:事務所 中:図面は手でもCADでも描く 右:淡路工舎の看板

現在のお弟子さん2人以外にも、手伝いできてくれた人も泊まれるように4人分のスペースを確保している。合宿さながらの和気藹々とした生活が目に浮かぶ。

もう一つの作業場

板に描かれたお寺の設計図。細かい情報が全て詰め込まれている。


淡路工舎のお弟子さん達は基本的に皆、この宿舎に住み込みで働いている。現代ではこういった環境はかなり少ないのではないだろうか。

⎯⎯⎯⎯ 住み込みにこだわるのはなぜですか?
「今、住み込みでは2人来てくれています。福本杜充さん(ふくもと もりみつ・23歳・大阪出身)と板良敷朝和さん(いたらしき ともかず・21歳・沖縄出身)。僕が鵤工舎で弟子だった時も住み込みで生活していました。いつも合宿のようで楽しかったし、何よりとてもいい経験になりました。だから自分が弟子を取る立場になったら、絶対住み込みでしか取らないと決めていました」

左から藤田さん、福本さん、板良敷さん

⎯⎯⎯⎯ 弟子と言えば、ご長男の樹さんが藤田さんと同じく鵤工舎に弟子入りしていると聞いたのですが、どういう経緯だったのですか?
「僕が紹介した訳ではなく、自分から連絡して採用してもらいました。高校卒業後5年間の約束で弟子入りしています。今年で5年目なので来春には淡路島に戻ってくる予定です」

来春からは、他のお弟子さんと全く同じ条件で採用し、この宿舎で衣食住を共にすることになる。


大工にしかできない建売りの家

淡路工舎の門を叩いてくる若い子は「木を触りたい」「刻みたい」という志を持ってやって来る。しかし実際の仕事は昔ながらの社寺や伝統建築ばかりという訳ではない。

「ここ数年で一般的に民家の新築はプレカットばかりになってきました。その手法に対する良し悪しや好き嫌いは別として、若い大工が短期間で一軒建てることができます。現場の数をこなせて、仕事を覚えられ、自信がつくという意味においては、特段悪くないと考えています」

そう考える藤田さんはある試みに挑戦中だ。

「志を持った若い職人が、ちゃんとした材料を使いながらコンスタントに家を建て、経験を積めるようにするためにはどうしたら良いか。それをずっと考えた結果『そうだ!もう建売りしよう!』と思い立ちました」

「自分たちでプランニングから始めて、模型を作ったりCADで図面を引いたりして、自分たちが良いと思える素材を使い、良いと思える家を作る。そして良いと思える暮らしを提案し、商品として家を買ってもらうんです」

「すると大体の人は、目の前に出来上がった家だけを見て暮らしを想像します。その時に『あ、良い!』と単純に思ってもらえたら、それが一番いいんじゃないかなと考えています。お客さん自らは興味がない場合でも『安全で体に良い素材を使って暮らしやすい家を建てたんです』とこちら側からカタチにして見せることもありなんじゃないでしょうか」

「注文住宅を一緒に作って行くことも素晴らしいし楽しいですが、一つのモデルを作って提案するというのも大切なような気がします。後からアレンジしたり手を加えて行くことももちろん可能ですし、自分たちの家づくりのパターンとして、《建売りというカード》を持っておくのは悪くないと思うんです」

確かな技と良い素材を使い、その良さが滲み出てくる家。《寡黙だけど慕われる人》が頭に浮かんだ。


その建売り住宅の第一弾が洲本市宇山に出来上がろうとしていた。

不動産屋さんが持つ土地に淡路工舎が家を建て、セットで販売してもらう。一般的な建売り住宅に比べるとかなり強気な価格設定になっているが、すでに売約済み。ほとんど既製品は使わず、建具は全部手づくりだという。

「使っている材料や、やっている仕事から考えれば、かなりお得な金額にはなっています。やっていることは間違いないという手応えがあります。万人受けはしないかも知れないけど、ハウスメーカーでは実現できないような家になっているので『こんなのが欲しかったんだよ!』と思ってくれる人もきっといるんじゃないかなと思って作りました」

完成見学会(取材後に完成済み)では「島内でこんな家を作るところがあるとは思わなかった」「今まで見てきたモデルハウスの中で1番や」と嬉しい声が聞かれたそうだ。

「もちろんこのやり方に対しては賛否両論あると思います。それを分かった上でやっている試みなので、これからどういう評価を受けるのか楽しみです。お客さんの声に耳を傾けて、また次の手を考えていきたいですね。従業員の間で『次、こういうのやろうよ』『こんなのどう?』と声が上がってきたら、ますます面白いことになると思っています」

熱く語る藤田さんの目は少年のように輝いている。

⎯⎯⎯⎯⎯ 今後のプランを教えてください。
「社寺の仕事をやりながら、建売りの住宅も平行して作って行ける仕組みを作って行きたいです。そうすれば人を雇うということも怖くなくなりますし、若い子にも来てもらいやすくなります。それを見越して製材機も導入しました。原木を買って来て、まとまった量の材木をストックしておくつもりです。短期間で答えは出ないですが、5年後くらいに軌道に乗れば良いかなと考えています。」


それでは家の中を詳しく見ていこう。

「自分で住みたいと思う家を設計した」と言う藤田さん。特徴は2階にキッチンとリビングに置き、スキップフロアと勾配のある天井にしたところ。気持ちいい空間が広がる住まいになった。

上:2階の大空間は明るく風通しも良い 左下:正面の外壁は瓦タイル 右下:スキップフロアの階段は半透明。玄関に優しい明かりが差し込む

上:柱には必要はないが遊びで社寺の要素を取り入れている 左下:大黒柱 中下:スキップフロア分の空間は全て収納スペースに充てられている 右下:屋根裏部屋さながらの広大な収納スペース

上:消臭性や調湿性に優れた《ほたて漆喰》 左下:家具ももちろん手づくりだ 右下:お弟子さんたち自身で作った模型

7月末に完成し、見学会も開かれた。(写真:上記3点藤田さん提供)

この家を買ってくれたのは30代の会社経営者。「僕らの建てるものなら絶対良いと言ってくれてすぐに購入してくれた」と藤田さん。

「住宅というものは、いち家族のために作るものだとばかり思っていました。しかし会社で購入し福利厚生のために使うようなケースもあるということを知り勉強になりました。今までの経験の中でだけ顧客層を考えるのではなく、もっと視野を拡げ、いろんな人が『買いたい』と思えるものを創り出していけばいいんです」

「自分は一体どこに向かっているんだろうと思うこともありますが、次の世代の子たちが《手仕事さえ覚えたら絶対的に食べていけるような環境》を整備してあげたいんです。自分だけが楽しみたいのであれば、ずっと社寺をチクチクつくるのもいいですが、そこにこだわり過ぎると、これからの時代に生き残れる人材は育たないんじゃないかなと僕は思います」

「実際、弟子の2人もこの現場を通してだいぶ成長が見えました。今までは『もっと考えろ』『どう思う?』と、こちらから声をかけることが多かったのですが、最近は自分から『面白い』『きれいやな』と自然と言葉が出てくるようになりました。自分がやり遂げたことに対して、自信を持てたり、達成感を得られたりと、単純に楽しめている証拠です」

「本当、何でもしますよ。今回は基礎も自分らでやったし。これからもどんどん新しいことにチャレンジして行って欲しいですね」

最後に、藤田さん自身がチャレンジして来た社寺の仕事をいくつか紹介しておこう。


制限があるからこそ、ええもんが作れる。

福田寺(ふくでんじ) | 淡路市志筑

このお寺の新築工事は5年前(42歳の時)に手がけた。
ちなみに取材後に知ったのが、ここには源義経と静御前のお墓があるという(見てみたかった、残念)。

住職が書かれた文字を、藤田さんが彫刻のみで掘り込み、金箔を貼った。

「階段を降りきったところに柱を建てる余裕がなかった」という藤田さん。限られた条件だったからこそ独特の手摺りが生まれた。

正面の屋根を降りきったところが、左右よりもなだらかに高く膨らんでいる。なかなかやっているところは少ないそうだが、藤田さんが修行していた時はこれが当たり前だった。なので予算があるないにかかわらず『ええことは知ってるから、しとかなあかんこと』だと言う。

「そんな技術とかこだわりも随所に詰まってはいますが、見に来てくれた人が『キレイやなぁ』と思ってくれたらいいだけ。あんまり細かいことは自分からは言わないようにしています」

ここを建てたご縁で、来年からは別のお寺の現場も始まるそうだ。

「どこのお寺も檀家さんが少なくなって、予算面や設計・施工面でも制限がある場合が多いんです。でも声を掛けて来てくれることが嬉しいので、そのお客さんのために、どうやったら条件をクリアしながらええもんを作れるかをいつも考えています」

藤田さんの人柄と滲み出る想いが、仕事や人をつないでいる。


厳島神社(いつくしまじんじゃ) | 洲本市本町

左上:舞楽殿 右上:回廊 左下:渡り廊下 右下:社務所

13年前、35歳で舞楽殿・社務所・回廊・渡り廊下を手がけた。
厳しい設計士の先生で「ほんまにお前にできるんか」みたいに思われていたが、やっていくうちに認めてもらえたそうだ。

「屋根などの意匠にとてもこだわりを持たれている先生との仕事は、今見てもやっぱりいい仕上がりになっていますね。鉄筋コンクリートや銅板の仕事が初めてだったので、個人的にものすごく意義のある仕事でした」


伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) 制札 | 淡路市多賀

文字は宮司さんによる手書きのものだ

厳かな参道の鳥居のすぐ横にある制札。天皇陛下(現在の上皇陛下)御在位参拾年奉祝記念、いざなぎ會設立七拾周年記念として2019年に手がけた。

意匠に決まりがあるわけではないので、設計には経験とセンスが必要だ。楔もちょっとやそっとでは抜けないよう噛み合わせの細工や入れ方にも工夫が込められているそうだ。

「出来上がってしまえば小さいけど、こういうのも大事な仕事です」


新しいカタチの工務店

伝統的な職人の技を受け継ぎ、社寺建築での確かな腕を持つ藤田さん。しかしそこに甘んじることなく、新しいこと・知らない世界へと果敢にチャレンジしていく姿は、お弟子さんの意識も変え始めていた。

「新しいカタチの工務店を作って行きたいんです。若い職人が与えられた仕事をこなすだけではなく、自分たちで提案してそれを全員でカタチにしていくようなスタイルを確立できたら、やる気も全然違うでしょうし、面白いんじゃないかなと思います。」

「仕事は時間をかけて量をこなせば絶対的に身に付きます。幸いにもその時間や機会を用意できる環境はある程度整っています。それよりも大事なのは『大工って面白い』と思える《仕事づくり》じゃないでしょうか」

藤田さんは《家をつくること》を通して《次世代への道筋》をつくろうとしている。


淡路工舎 藤田 大 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

時代と共に自分の関心も世の中のニーズも変わって当然

埼玉県越谷市で設計事務所「けやき建築設計」と建築施工会社「欅組」を営んでいる畔上順平(あぜがみじゅんぺい)さんのご紹介です。

畔上さんは、1976年生まれで現在43歳。生まれも育ちも越谷で、地元越谷を離れる事なく、東京の学校や会社に通い、29歳で「けやき建築設計」を設立。現在は同じく地元越谷生まれの奥さんと10歳の娘さん、6歳の息子さんの4人家族だ。

元々設計事務所だけでスタートし木の家を中心に作ってきたが、住む環境や自分を取り巻く状況などによって徐々に興味関心が変わってゆき、設計行為だけでは物足らなさを感じ、実際に手を動かして作ることに関心が出てきたそうだ。

「ちょっと直してよ」とか「まとめてやってよ」という依頼が増えていく中で、徐々に自分で職人さんを手配したり仲間が集まってきたりと、建築会社らしくなっていったとのこと。今では設計から施工まで一貫して引き受けられるように「けやき建築設計」と「欅組」の両輪を廻している。設計だけの仕事・施工だけの仕事・設計施工まで一貫して引き受ける仕事など、様々な立場で仕事をされている。

デザイン設計・職人さんの技術・本物の素材を使うという3点がクリアできていれば手段やポジションは問わないというのが社内での共有意識だという。

「オールラウンダー的な感じです。時代と共に自分の関心も世の中のニーズも変わっていく訳ですし、ベースとなる得意分野から少しずつ領域を広げていくというのは、当然なのかなと思っています。」


その家、本当に必要なんですか?

また、家族の存在も今の仕事の方法論に影響を与えている。

「我が家はみんな越谷なので『視野が狭いね。そこしか見えてないんだね。』なんて声も聞こえてきそうですが、逆に越谷という共通言語が家族内にあるというのは、広がりはないですが、ガッチリとした連帯感があります。家族を通して地域の暮らしを見つめ直している時期ですね。ですのでお客さんに対してもそういう目線で提案できるようになりました。」

例えばこんな提案だ。

「新築で家を建てたいと相談に来たお客さんに『本当に必要なんですか?』と言ったことがあります。もちろん『なんでそんなことを言うんですか?』という反応をされる訳なんですが、『いや、もったいないからです。ローンも含めて何千万円も払うわけじゃないですか。それをやめればいろんなことにそのお金を使えますよね。』とお答えしています。ご両親の家はガラガラだったり土地が余っている場合などもよくあります。一時的に我慢をしたくなかったり、同居できない理由を一生懸命考えるんですが、逆に我慢せずに一緒に居られるようにするためにはどうすれば良いかと言うことを、設計や計画で解決できる場合もあるということを提案しています。」

かなりプライベートな部分にまで踏み込んでいく印象だ。

「もうそこまで踏み込んで提案する産業にしていかないとダメだと思います。日本って住宅に対するお金の掛け方が異常じゃないですか。一代でローンを組んで、晩年までお金を払い続けて、完済した頃にはもう老朽化して壊したり、不要になって空き家になったり。そんなシステムは非常に良くないと思っています。もう新しい家ばっかりいらないんです。ちょうど世の中的にもリノベーションとか既存ストックを有効活用することが認知されてきているで、お客さんに対して『まだ捨てなくていいんじゃないんですかね?』『大切にしませんか?』と提案できる良いタイミングかなと思っていますし、提案していかなければならない立場にいると思っています。」

何がそこまで畔上さんを本気にさせるのだろうか。

「自分の地元のことだから本気で考えられるんです。死活問題ですから。遠い地方から依頼されて知らない人や知らない街のためにする仕事だと、どうしてもここまで本気で取り組めないと思うんですよ。地域のコミュニティ・アーキテクトとか小さい単位での建築士の役割が非常に大切だと思います。」


外注という言葉は存在しない。〝チームけやき〟で作り上げる。

次に会社のスタッフや職人さんとのやりとりについてお話を伺った。

「うちの技術系のスタッフは自分以外に2名が監督として在籍しています。まだ両名とも若いのですが、お客さんとの打ち合わせ・調査・積算・見積もり・工事の契約・管理監督・引き渡し・アフターメンテナンスまでワンストップでやる仕組みにしています。もちろん得意不得意が出てくる部分もありますが、全部トータルで経験してもらって、徐々に自分の得意分野に特化してやっていってもらえばいいかなと思っています。」

実際の業務では信頼関係を築いてきた職人さんたちと監督とで案件ごとのチームを組んで進行している。監督が若手である一方、職人さんは40代を中心に若手から年配まで様々だという。

「一緒にチームで仕事をするので外注という言い方はしないようにしています。職人さんたちも自分たちを〝チームけやき〟と呼んで愛着を持って取り組んでもらえているので嬉しいです。『信頼関係が一番』というと薄っぺらいように聞こえますけど、それが全てなんですよね。大手ゼネコンの仕事のように一から十まで管理して進めると、僕らのやっているような家づくりでは全然仕事にならないでしょうし、いいものにもなってこない。『ここは全部任せたよ』と言って、各々の責任で仕事をしてもらっています。信頼しているからこそ、この言葉を発せられるし、受け止めてもらえるのではないかと思っています。」

「また、監督である若いスタッフに対しては、私がずっと張り付いて、ああしてこうしてと指示を細かく出すこともできますが、それはしないようにしています。その中でも一定以上のクオリティの建物を作ることができているのは、やっぱり職人さんの力があるからこそなんです。監督という立場ではありますが、及ばない部分は、実際は職人さんが補填してくれている訳です。監督として管理はしていますが、逆に職人さんから教わって学ばせてもらっている状態ですね。それが出来ているのは職人さんの技術や人間性が高いレベルで保てているからだと感じています。」

きっちりと模型を作ることもチーム内の意識を統一するために重要だ

畔上さんはよくスタッフに『他の工務店にパッといって同じ仕事ができると思ったら大間違いだから。』と言っているそうだ。だからと言ってどこでも潰しが効くような育て方に変えるつもりはないとのこと。

「上手くいっているチームにいて失敗が少ないから監督はそのことがわかんないんです。あんまり成長しないんじゃないかとも思われますが、いいものを見て、いい仕事をちゃんとやるということを覚えて、いい経験を積み重ねていってくれれば、いつしか今度は若い職人さんを引っ張りあげる力になるんじゃないかと考えています。」

「そうやって、職人同士や設計者同士の枠を超えて、技術やノウハウが行ったり来たりしながら伝わっていくことで、次の世代に引き継がれていくという形もあるんじゃないかと思うんです。同じことをやるにしても、立場や専門分野によっていろんな見方がある。それを受け入れられるようになってくると成長して行くんじゃないかな。そんな学びの場でもある〝チームけやき〟が、きちんとクオリティの高い建物を作り上げて、お客さんに届けられているということには、誇りを持っています。」

一般的な手法とは一線を画す考え方で若手を育ててられている畔上さんの話にはうなずくばかりだが、チームメイトの職人さんの場合はどうなのだろうか。職人さんの話になると必ずといっていいほど話題に挙がるのが後継者問題。畔上さんは何を感じ、どう考えているのか質問してみた。

「自分の周りの職人さんの場合も、やはり後継者をどうするかという問題には直面しています。僕は直接は関係していない訳ですが、実はあえてそこに介入しています。」
「ただ『継ぎなさい』と無下にいうのではなく、例えば『お父さんのやっている仕事は本当に素晴らしいから、受継げば必ず需要もあるし求めてくれる人も沢山いるよ。自分たちも真剣にやっているから一緒に仕事をやらないか?』と言って迷っていた息子さんを誘ったりしています。やっぱり第三者が介入しないと、親子だけではこいうった話はすんなりは進まないんですよね。」

家づくりにも、後継者問題にも、懐に一歩深く入り込むのが畔上流だ。


七左の離れ屋:「離れ屋」がある家を作るというのがテーマであり共通認識だ。第二回埼玉県建築文化賞住宅部門、最優秀賞受賞。

共通テーマがあると、みんなでそこへ向かっていける

けやき建築設計のウェブサイトを見ていると施工実績に並んでいる建物の名前が気になった。一般的に〝どこどこの家〟というネーミングが建築関係者のセオリーだと勝手に思い込んでいたので、〝原点回帰の家〟〝森の舟屋〟〝和の暮らしと趣を残す家〟といった名前は意外に感じ想像が膨らんだ。

「共通したテーマがあるとみんなでそこに向えていいなと思ってずっとやっています。迷った時に共通認識があると指針になるんですよね。お客さんともそうですし、スタッフ間や職人さんとの間でもそうです。少し話が脱線しますが、主に越谷だけを中心に建築の仕事をやるとなると、例えば〝石場建てしかやりません〟〝住宅しかやりません〟だと絶対量として仕事が成立しません。ですので手段としての領域はかなり広くできるようにしています。そんな中でいろんな仕事をしていると、スタッフや職人さんも何をするべきか迷ったり、ビジョンがぼやけちゃうんです。そこでテーマを設定することで、各々のやるべきことが明確になり、向かうべき方向を共有できるというメリットがあります。」


七左の離れ屋

2009年竣工。暮らしに色気を求める建主さんのために、住まうための機能だけに偏らず、モダンで美しい日本家屋を建てたいとの想いで、母屋とは別に〝現代の数奇屋〟のような離れのある家を作った。〝離れ屋〟がこの家の名前でありテーマという訳だ。

写真:©︎KAWABE akinobu

10年前を思い出しながら各所を見てまわる畔上さん

左:「時間が経った時によくなる家がいいですよね」というデッキは栗の木 / 中:版築の塀はワークショップで作ったので人によって層の仕上がりが違う。そこがまた面白い。 / 右:とにかくいいものを作りたいと言う時期だったので、特に細部までこだわって作っているという。(写真 左・中:©︎KAWABE akinobu )


自然と共に生きる家

こちらは今年竣工したばかりの30代のご夫婦の住まい。新築ではなく祖父母が住んでいた家を活用した。

とにかく自然素材で行こうということで設定したのが〝自然と共に生きる家〟というテーマ。モルタルの外壁は全て県内産の杉材に張り替え、グラスウールの断熱材はみんなの共通認識として使いたくなかったので、替わりに壁の中にも杉の板を敷き詰めた。普段では考えられない方法もテーマを設定すると生まれてくる。工事で出た廃材は薪ストーブの燃料になっているそうだ。

〝七左の離れ屋〟に比べるとリフォームとはいえザックリした仕上げ。設定したテーマによって〝どこにこだわるか〟が違う全く違う。決して手を抜いている訳ではないのだ。

県内産の杉材をふんだんに使っている

「テーマの下で作っていくとやっぱり出来上がるものが違うんですよね。お客さんと打ち合わせをしていく中だったり、建物の特徴だったり、色々出てくるキーワードをかき集めて『これでいきませんか?』と提案しています。関係者間で何か議論になった時でも、『テーマがこうだからこうしよう』と堂々と会話ができ、みんなが納得に達するのが早いんです。そうすると大きなミスや『話が違う』みたいなことにもならないんです。結果としてお客さんからの満足度に繋がりますし、つくり手のやりがいも出てきます。」

ここでもまた畔上流を感じた。


越谷は俺が守る

木の家を多く作ってきた畔上さんだが、最近では店舗やカフェなども手がけている。そこにどんな変化があったのだろうか。旧日光街道にある実際に手がけたお店を案内してもらいながら話してもらった。

まず連れてきてもらったのは、3年前の2016年12月に完成した〝CAFE803〟。
「日光街道にもう一度人が集まる場所を作りたい。」「越谷にサードプレイス的な場所を作りたい。」そんな想いでスタートしたプロジェクトで、現在では越谷に住む人たちのコミュニティスペースとして定着しており、想い描いていた以上の活用のされ方に驚いているそうだ。

かつての日光街道の顔つきにしたかったので、ガラスの大きな引き戸と土間という形態にした。それが共通言語(テーマ)だ。

「『そもそも日光街道を賑わせる必要があるのか』というところから議論をスタートし、『川越のような賑わい方を越谷は求めていないんじゃないか』という意見に今のところ落ち着いています。その中でも越谷で暮らす人たちが心地よく使えるような設え・店構え・街並みとはどんなものなのかと分析しながら進めている最中で、トライ&エラーの連続です。いつの間にか仕掛け人みたいな感じになっています。(笑)」

「仕掛け人です」と笑う畔上さん

「自分の興味関心が家からまちに広がっているんです。〝いい家が出来ていけば、いいまちが形成されていく。いいまちが出来れば、そこに住む人々の暮らしが豊かになっていく。〟という感覚を持っています。地域の価値が上がっていくことであれば、どんなことでもやっていこうと考えています。そういう想いで日々の仕事に取り組んでいると不思議なことにお店からの依頼が来るんですよね。そしてそのお店に足を運んでくれた人たちから伝播して、また次へと繋がっていって…という風に店舗やカフェを手がける方向に活動が広がっています。」

独立当初は、建築業界や全国基準などを気にして〝自分がどのくらいのことをしてやっているのか〟という軸で仕事をしていたそうだが、最近はそれよりも〝越谷に身を置いているので、越谷の暮らしを良くしていこう〟というスタンスで仕事をするように変わってきたそうだ。

「全国から越谷だけに視野が狭くなったという訳ではないんです。地域をより良くしたい、良い状態を保ちたいという想いで仕事をしている建築関係の人が、木の家ネットの会員をはじめ全国にたくさんいます。各地域に広がるその想いの輪が重なり合って、徐々に日本という国を覆い尽くすといいなと思っています。その中で「越谷は俺が守る(笑)」みたいな想いを胸に取り組んでいます。

地域のパートさんの手によるランチ。ほっこり落ち着くおふくろの味だ。

左:いろんなことをやっている人が越谷にいるんだという、潜在的な魅力の発見にも繋がっている。 / 中・右:ワークショップや催事の予定がぎっしり。最初はここまで埋まるとは予想していなかったそうだ。


一軒でも多く残すことが地元の建築屋の使命

続いて案内してもらったのは、同じく旧日光街道沿いにある2018年4月にオープンした〝はかり屋〟。

およそ築120年の〝旧大野邸 秤屋(はかりや)〟を、こだわりのショップ・レストラン等、当時の宿場の雰囲気を体験できる古民家複合施設として生まれ変わらせた。「人々の想いやまちの歴史を過去から現代そして未来へと繋げていける存在であり続けたい。」との願いが込められている場所だ。

奥へ奥へと4棟が繋がっている。桁と架を入れ替えて屋根を戻してある。

「佃」が元々の屋号だった

「ベッドタウンだと思ったのにこんなところあるんだ」とびっくりされることが多いとか。「もともとはこの日光街道沿いはこうだったんだよ。」というとさらに驚かれる。「外から流入してきた人が多いのでみんな知らないんですよね。」と畔上さん。

「だから地元に昔からいる人間としては、物を残すことが大事だなと思います。一度壊してしまうとただの昔話になってしまう。そうすると『ふーんそうなんだ』で終わってしまうけど、こうやって目に見える形で残して、そこで体感してもらうと一瞬で歴史を理解してもらえる。百聞は一見に如かずです。」

naya:名前の通り納屋だった場所。ギャラリーと貸しスペースとして生まれ変わった。

minette:キッシュとフレンチ惣菜のお店

「こういった建物を一軒でも多く残すことが地元の建築屋の使命かなと思っていて、ロールプレイングゲームのように楽しみながら携わっています。単純に受注されたものだけを直したり作ったりというだけのペースだと、古い建物はどんどんなくなってしまって、まちなみを残すことはできません。使命を果たすために、はかり屋もCAFE803も自分から運営にコミットしていっています。」

土間には群馬県藤岡市のダルマ窯の焼かれた藤岡瓦を敷いた。蔵の表情とも相性が良い。

傾いていた部分と、新設の水平のものとすり合わせるのが苦労したそうだ。目の錯覚も利用しながらうまく帳尻を合わせている。

「ただ結局〝他人の家〟なんですよね。『残してください』と言ってもおこがましいので『こういうことをやれば残せるんじゃないんですか』という提案の部分まで入り込んでするようにしてます。いきなり外部のコンサルみたいなのが来ると『なんだこいつは』みたいな印象を持たれてしまい、入り込むどころか門前払いされてしまいますが、はかり屋やCAFE803もやっているという実績があれば『任せてみようか』という流れにもなっていきます。」

地域密着で建築やまちづくりを地道に続けることにこそ、地方の建築士や工務店の活路が見出せるのではないだろうか。


どれだけの人が本気で関わることができるか

設計だけから設計施工へと、家づくりからまちづくりへと、自身の興味関心と共に活動範囲を広げていっている畔上さん。今後や将来に対してはどんなビジョンを描いているのだろうか。

「ハウスメーカーなどの家に比べたら、自分たちの作っているような木の家は決して安くはないので、いい家が欲しいけど手を出せないという人も多いもしれません。だったら、リフォームをしたり店舗を作ることに対して同じような想いで取り組んでいった方が、より多くに人に自分が良いと思っていることを伝えていけるんじゃないかなと思っています。もちろん一軒の家を建てて、一つの家族に満足してもらうことは大きな喜びではありますが、より多くの人に体験してもらえる形で、自分たちのやっていることを伝えていく事にこそ、いろんな活動や運動をやっている意味があると思うようになりました。」

「越谷で自分も色々やっているつもりですけど、結局盛り上がっていくスピードと落ちていくスピードを考えたら、落ちていくスピードの方が速いんですよね。そのエネルギーをとてもじゃないけど自分一人では維持することも加速させることも難しいので、仲間や共感してくれる人を増やしていきたいですね。」

そこにどれだけの人が本気で関わることができるか。越谷だけではなく、各地方のまちづくりにおけるターニングポイントだ。


けやき建築設計・欅組 畔上順平(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

一歩足を踏み入れると、まるで背筋が伸びるような、凛とした別世界・・・埼玉県新座市の内田工務店が手がけた木の家は、そんな空気をまとっていた。

内田工務店は、現在の会長である内田光男さんが、いち大工から叩き上げで大きくしてきた。
大工の道に入り、職人を束ねる棟梁、そして社長として役割を変えながら、木の家と真剣に向き合ってきた。内田さんは、「木の家づくりには、ひとりの職人を一人前にしてくれる懐の深さがある」と力を込める。これまで約15人の弟子を育て、施主に喜ばれる家づくりの輪を広めている。

木の家づくりで人を育てる

「木の家でないと、大工は育たない。プレカットではだめだ」。内田さんはまなざし鋭く、こう言い切る。
手刻み、木組みの木の家づくりに必要な能力は、数多あるという。全体を見ながら細部にも気を配ること。木や土など、自然から生まれた個性ある素材を組み合わせ、美しく仕上げること。粘り強く時間をかけながらも、納期を意識すること。何より、単なるものづくりでなく、財産づくりそのものだ。

施主の中には、家づくりのためにストレスを抱えたり、借金を背負ったりする人もいたという。家をつくる大工には、責任感が重くのしかかる。

内田さんはその責任感を、10代で弟子入りした時からひしひしと感じてきた。幼いころから手先が器用だったことから、親戚の大工のもとで修行。26歳で独立した。30代で法人化。72歳になった今は、会長として工務店を支える。

新座の商店街にある内田工務店。「一棟入魂」の文字が目をひく

「時代とともに、家づくりの考え方が変わってきた」と内田さん。以前は、大工と施主が、世界にただ一つの家を「なにもないところからつくる」ものだったが、ハウスメーカーなどの台頭により「あるものの中から選ぶ」感覚になってきているとみる。そうなると予算ありきの買い物になり、手刻みよりも安く済むプレカットを使うことが、現実的な場合も出てきたという。

現在、内田工務店が手掛ける家づくりで、手刻みとプレカットの割合は半々くらいだ。工務店に所属するのは職人5人、現場監督2人。加えて、事務を担当する従業員が3人いる。
工務店の経営や施主の予算を考えると、木組みや手刻みだけにこだわり続けるのは難しい状況だというが、「職人を育てるという視点では、木の家づくりをゼロにしてはいけない」と考えているという。

こう考えるには、わけがある。内田さんは修行時代から造作仕事が得意で、「建物の線が綺麗と言われるのが、嬉しかった」という。
腕を生かせるのが、木組み、手刻みの木の家だった。寺の鐘楼堂や、数寄屋風の家づくりにのめりこんだという。

寺の改修工事をした時、住職に書いてもらったという思い出の木札

しかし独立してひとりで仕事をするようになると、壁にぶつかった。「俺はいい家を建てられる、という自信があったが、腕は2本しかない。喜ばせられる施主さんの数も少なくなってしまう。俺と同じ仕事ができる人間をつくろう」との思いから、弟子をとるようになった。

地元の若者を紹介してもらったり、大工育成塾の受け入れ先になったりして、さまざまな弟子と出会ってきた。「何もわからない若造が、腕を磨いて、一軒建てちゃうんだぜ。感動するよ」と内田さん。そのためには時間が必要で、時間をかけて作り上げる木の家が最適なのだと強調する。

その時間も、ただかければいいというわけではない。大工の技術には、単に美しく仕上げるだけでなく、効率よく作り上げる知恵が詰まっているのだという。積み重ねてきた伝統の成せる技だ。マニュアル冊子があるわけでもなし、職人同士、手を動かし、言葉をかけながら伝えていくしかないのだ。

大工から社長、そして会長へ

修行した弟子のほとんどが、地元で工務店を立ち上げ社長として活躍している。削ろう会で賞をとった人もいて、「自慢の存在」と誇らしげだ。

一方で、「誰もが俺みたいな仕事ができるわけじゃない。向き不向きがあるから、やめたってかまわない」と思うようにもなった。そして、「いくら腕がよくても偏屈では通らない。施主さんを喜ばせようって気持ちで仕事をするよう伝えているつもり」と笑う。

伝統を受け継ぐ大工と、人を育て経営を担う社長、それから、職人を束ねる棟梁の両立。
「バランスをとろうとか、理想があってやってきたわけじゃない。施主さんの要望に応えようと、一軒一軒真剣勝負してきただけ」と振り返る。
その結果は、現場から経営まですべての経験として、内田さんの中に積み重ねられている。

令和に時代が変わり、同工務店も8月、息子の健介さんに社長職をゆずった。光男さんは現場を回るより、図面を書いたりと事務所で過ごす時間が増えた。

大きいテーブルで、従業員の顔を見ながら作業する。ほとんどの事務作業は手書きで行う

健介さんいわく、光男さんは「経験値がけた違い。頼りになる存在」と話す。光男さんも「信じて任せることで成長するから。なるべく口出しはしないようにしてる」とほほ笑む。

社長の健介さんとのタッグが心強い

自由設計で満足いく家づくりを

内田工務店のコンセプトは「自由設計の家」。この自由さが、施主の満足度を高める。

「無垢の木の家に住みたい」。このような要望があった市内の日本画家・Aさんは、内田さんとの出会いにより理想としていた数寄屋風のアトリエ兼住居に住むことができた。

この家の門は、木製の数寄屋門だ。雨や風を優しく受け止め、また、Aさんの手によって丁寧に磨かれることで、独特の風合いがある。内田さんは、「建てたばかりの真っ白な門もいいが、日がたってまたさらに深みが出たな」と目を細める。

門をくぐった瞬間、外の空気と違う空気が流れて、落ち着くような、懐かしいような、そんな気持ちにさせる。庭には、紅葉やイチョウなどさまざまな木が美しく連なり、季節を教えてくれる。

玄関を開くと、スギヒノキでできた壁や床のホールが、ぬくもりを感じさせる。正面にあるケヤキの小さな床の間に飾られた季節の花からは、温かみがこぼれるようだ。

「本物の木の家には、何十年経っても古くならない良さがある」と言い切る内田さん。Aさんも、「飽きないです。わびさびの世界に身を置くことは、日本人にとって心地よいことなんでしょうね」とうなずく。

玄関の横には下地窓(竹小舞の見える窓)をあけた土壁を配置。来客は驚き、手触りを楽しむという(左)。ヒノキの階段は、ホールの中で主張しすぎず、すっきりとした印象に仕上げた(右)

2人に、建設当時を振り返ってもらった。
Aさんは以前、ハウスメーカーの中古の一軒家に住んでいたが、住んでいくうちにとちょっとした違和感や住みづらさが出てきたという。「今思えば、合板や集成材といった材料にひっかかっていたんでしょうね」とAさん。

新築を考える際も、ハウスメーカーに相談したが、ドアノブひとつにしてもあるものの中から選び、そこに気にいるものがなければ、オプションで高額になるというスタイルが「自分にはしっくりこなかった」という。

インターネットで見つけた内田工務店は、内田さんにイメージを伝えると、新しいものを次々に提案してくれたという。数寄屋門や、家のサイズに合わせた小さめの床の間がそうだ。

内田さんの自宅である無垢の木の家を訪れた時には、その居心地の良さにすっかり魅了されてしまったという。さらに、内田さんの現場仕事が休みの日曜に、嫌な顔せず相談に乗ってくれたり、趣のある古材を探しに秩父まで同行してくれた姿に、信頼を寄せている。

内田さんの自宅の数寄屋門(左)と庭が見える居間の建具(右)。どちらも古くなることで趣が増す

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自宅内の建具の一部は、木の家ネットのメンバーから譲り受けたもの。「思い出が残ってるのがまたいい」と内田さん。

それから、憧れた無垢の木の家だが、心配だったのは値段だ。内田さんは予算内に収まるような工夫をしてくれた。

その一つが、玄関ホールの床板。見栄えがするところなので通常なら高級な床材を勧めるが、
ヒノキの木裏を使うことでコストを抑えた。

さんは「家が建っていく時のわくわくは、今でも忘れられない。私は人を感動させたいと思って絵を描いていてなかなか難しいのですが、大工さんは簡単にこなしてしまう」と話す。

Aさんは数寄屋風の家づくりにこだわったが、内田工務店の「自由設計の家」は、伝統的
な大工仕事だけにとどまらず、モダンなデザイン住宅も手掛けている。

施主の要望は多種多様。どんな形の家であっても、「本物の無垢の木を使うことで、住み心地のよい空間をつくりたい」というのが、内田さんの信念だ。それを実現するには、木の変化に対する深い理解と、高い技術力を持つ大工の存在が欠かせない。すべてはつながっているのだ。

「好きでこだわった仕事で、施主さんに喜んでいただき、人も育つ。こんなにありがたいことはない」と内田さんは語る。

● 取 材 後 記 ●

家づくりのスタイルと同様、働き方のスタイルも変わり、職を替えていくのが珍しくない現代。木の家にかかわり続けて50年以上という経験から生まれる存在感は、とてもまぶしかった。

こちらが質問すると、ぽんぽんとよどみなく答えが返ってくる。長年の経験を、きちんと整理、咀嚼している様子は一目瞭然だった。

あまりの明瞭快活ぶりに、「昔からこんな性格なんですか?」と聞くと、18歳の時、仕事中に大けがをし、大工を続けられるかの瀬戸際に立たされたことを打ち明けてくれた。「好きな仕事をやらせてもらえるのは、本当に幸せなことなんだよ」という言葉は、シンプルに、胸に突き刺さった。

内田工務店 内田光男さんさん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子(一部写真は内田さん提供)

東京都国立市でビオフォルム環境デザイン室を主宰する山田貴宏(53)さんは、地域の自然や風土に溶け込む、持続可能な暮らしができる住まいの設計をしている。

職人がつくる木の家ネットには様々な会員がいるが、山田さんの経歴は少し変わっていて、伝統工法や木の家づくりをやっていきたいというマインドがスタートではなく、出身の早稲田大学建築学科では環境設備系の研究室に在籍していた。卒業後は大手ゼネコンで設備設計に従事した後、一級建築士事務所 長谷川敬アトリエ(長谷川さんは木の家ネットの発起人の一人)に転職。6年間務め2005年に独立。今年で14年になるビオフォルム環境デザイン室にはパートナーの設計者も含め、9名のスタッフが在籍する。

山田さんは自身の経歴を「他の会員さんとは少し毛色が違うかもしれませんね」と話す。

「大学の建築学科へは真面目に建築をやりたいと思って入ったんです。ちょうどバブルの頃だったので建築業界が混迷している状態で、逆に『こんな建築が続くはずがない』と感じて興味を失っちゃったんです。

建築の原点みたいなことを考えると、人間が健康に暮らしていくためには、自然が厳しい時にはそれから守るシェルターとしての機能があって、逆に自然が豊かな時にはそれを受け入れて感じることができる。そういう自然環境との応答性のある関係の中で建築って成立している。
そんなことを考えて建築学科の中でも環境系の研究室を選びました。建築と環境の間のインターフェイスする部分の設計をやりたかったんです。また、山登りや自然の中で遊ぶことも好きだったということもあって、だったらそこを掘り下げていこうと思うようになったんです。」


自然界のような小さな良い関係を、たくさんつくる。

まずは、そんな思いを形にした「里山長屋(神奈川県相模原市)」のご紹介。中央線の終点の高尾駅からさらに西へ2駅進んだ緑豊かな藤野駅近くにあるこの建物は、日本のパーマカルチャー(後述)的な風景としての「里山」と、昔ながらのご近所づきあいを象徴する「長屋」をイメージした横並びに続く住居が4世帯(それぞれが間口三間・奥行き四間)と、住まい手みんなが利用できる〝コモンハウス〟と呼ばれる空間が用意されている。また、2016年度 日本建築家協会 環境建築賞住宅部門優秀賞を受賞している建物でもある。ちなみに一番奥が山田さんのご自宅だ。

里山長屋 竣工当時の様子 (写真提供:山田さん)

手前が4世帯が共有して自由に使える〝コモンハウス〟。自然と一体となった屋根が目を引く。

〝コモンハウス〟内装(写真提供:山田さん)

左:庇の前半分はガラスになっており、雨よけと縁側のような空間を両立している。/ 中:4世帯の郵便受けはコモンハウス内にある/ 右:日差しの差し込む土間

山田さんの建築を紹介していく上で重要なキーワードが『パーマカルチャー』だ。環境問題に意識を持った人には馴染みのある言葉だそうだが、一般的にはあまり耳にしたことがない言葉かもしれない。

パーマカルチャーとは、パーマネント(永久な)とアグリカルチャ-(農業)あるいはカルチャー(文化)を組み合わせた造語で、生態系・自然の循環の仕組みに学び、衣食住すべてにわたって、自然と共生できる有機的で持続可能な暮らしのデザインをしようという考え方だ。里山長屋に住まう住民の方々はこのパーマカルチャーについて学び、実践しながら暮らしている。

パーマカルチャーについて山田さんにさらに掘り下げてもらった。


「環境系の出身なので、環境と建築を合わせて考えたいんですよね。生態系というのは小さな循環・小さな良好な関係がたくさん集まって成立している。そしてその仕組みを人間の暮らしのデザインにもフィードバックしようと言うのがパーマカルチャーの考え方で、僕はそれにとても共感を覚えるんです。パーマカルチャー的な視点・手法を家づくりにも活かしていきたいというのが、僕の設計のコンセプトです。」
「〝関係性をどうデザインするか〟がポイントで、建物をポンと一つつくるのではなく、それをつくることによって、地域の材料・風土との関係や、地域の職人さんや業者・生産者さんとの関係など、小さな良好な関係を築いていって成立するものだと思います。」

左:それぞれの家の前には家庭菜園ができる畑が用意されている。/ 右:山田さんの畑はイノシシに荒らされてしまったらしく、現在は芝を張っている。

各々が雨水タンクを設置している。

「この日本で住宅くらいの規模の建築を風土との応答性という視点で突き詰めていくと、自ずと木造で伝統的な建築というところに行き着いちゃうんですよね。入り口は他の木の家ネットの会員さんとは少し違うかもしれないけど、同じところに辿り着いたという感覚です。」


昔の技術+現代の技術=〝次の時代の民家〟

同じところに辿り着いたと語る山田さんだが、ただ伝統構法に立ち返れば良いという訳ではなく、さら前進して今の時代だからこそできる木の家づくり、今の時代にこそ必要な木の家づくりを提唱・実践してる。

「伝統的な木造建築には、もともと断熱材などは使われていないので、それでいいのではないかという見識もある一方で、現代の住環境・社会環境ではどうしても成立しにくいので、伝統的な建物ではあるけれども温熱環境にもしっかり配慮するというアプローチがどうしても必要だと思っています。」


「むしろ僕は伝統構法の家が温熱環境の面でも優れているということを証明していきたい。例えば、実際この里山長屋は土壁でできているんですが、土は蓄熱容量が大きいのできちんと断熱してあげると、むしろ温熱環境には有利に働くんですよね。今日みたいに燦々と光が差し込む日には、その熱が一旦壁に蓄えられて、夜になって外が寒くなっても家の中をポカポカと温めてくれるという効果があります。そういう事実を売りにして『実は伝統構法の木の家って温熱環境的にもいいんだよ』ともっと謳っていくべきだと考えています。
さらにこの家には〝そよ風〟という太陽熱を利用して屋根面で温めた空気を床下に送り、家全体を温めるという装置を導入しています。あまり装置に頼るのは好きではないんですが、そよ風は仕組みも簡便なのでここ以外にも多く採用しています。昔ながらの伝統構法の技術に、こういった現代の技術を組み合わせることで〝次の時代の民家〟を作れるんじゃないかと思っています。」

山田さんの自宅に佇む〝そよ風〟。ダクトと通じて暖かい空気が床下に巡り、家全体に届けられる。

木の家を次世代に受け継いでいってもらうためには、このような技術面での現代への最適化もさることながら、環境面での優位点をもっとアピールするべきだと山田さんは続ける。

「ご存知の通り、国連がSDGsへの取り組みを呼び掛けるなど、昨今は世界規模で環境意識が高まっている時代です。伝統構法の木の家づくりは、環境に優しくてサスティナブルなものづくりなんだということをもっともっとアピールしていいと思います。建てる時には、地域の自然素材を使い・地域の職人さんが手を動かし、地産地消の循環型の資源で建てることができる。また、暮らす時には、土壁をうまく断熱をしてあげれば冬場でも暖かく、庇を長くして開口部を広くすれば、夏場は日差しを遮り風が通って過ごしやすい。さらに時を経て、たとえ壊すことになったとしても、ほとんどの材料は再利用したり自然に返したりすることができる。木の家は真にサスティナブルなエコハウスなんですから。」

「現代人はどうしてもメリット・デメリットみたいな尺度で判断するので、『昔のものはいいものだ』とガムシャラにがんばっても、一般的にはなかなか木の家の良さが伝わらず『古臭いものでしょ』と思われ『最新』『スマートハウス』みたいな言葉に押されてしまうので、ちゃんとしたメリットがあり、合理的に判断すると、むしろ木の家が良いんだという事実を、はっきりと示していく必要があると思います。そうすれば、今まで関心がなかった人もこっちを向いてくれるはずです。」

時代を味方につけるのか、敵に回すのか、アピールの仕方次第だ。


次の世代へ『残していきたい』と思える住まいを、木構造のフレームで。

ここで、現在山田さんが取り組んでいるプロジェクトの中から、国土交通省「気候風土適応型プロジェクト2018※」に選ばれた、伝統的な軸組木構造と竹小舞土壁で、地域の気候と特性に応じた設計や、伝統的な技術と新しい技術との融合を目指している住宅、通称〝日高の家〟を紹介する。

※平成30年度サステナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)に採択されたプロジェクトの略称。
地域の気候風土に応じた木造建築技術の継承・発展と低炭素社会の実現に貢献するため、伝統的な住文化を継承しつつ、環境負荷の低減を図るモデル的な住宅の建設に対して、国が建設工事費の一部を支援するもの。


日高の家は、伝統的な軸組木構造と竹小舞土壁の家ながら、地域の気候と特性(川・林)に応じた、ダイレクトゲイン(直接蓄熱)、 通風などのパッシブデザイン(自然エネルギーをコントロールすることで建物の温熱環境を整えようとする手法)を取り入れることで、適度なコストで取得でき、その価値が持続するという総合的にエコロジカルな住まいづくりであるという点が評価されている。

お施主さんは30代のご夫婦と現在保育園のお子さんの3人家族。子供の成長などの家族構成の変化に応じて住まい方をアレンジできるよう二階には建具は入れず、あえて〝がらんどう〟にしてあるという。もちろん初期導入のコストも抑えられる。

将来の住まい方の想像が膨らむ、がらんどうの二階

「家を建てたいと相談にみえる方の中には『ローコストでできないだろうか』と仰る方もおられるのですが、大変申し訳ないと思いながら、『自然素材で職人さんがつくる家ですから、然るべき費用はみていただかないと難しいです。ただ地域の自然素材で造られるきちんとした家で、30年で壊すんじゃなくて次の世代・次の次の世代まで使ってもらえる価値のあるものになりますから、ぜひそういう価値観で費用をかけていただければと思います』とお返事しています。」

「とはいえ、最初の資金を用意するのは大変ですので、まずは建具は入れず〝がらんどう〟でもよいので、きちんとした住まいの木構造のフレームを手に入れる。あわよくば土壁くらいまではやっちゃう。くらいの心づもりで始めるという手法もありますよね。そして、後々資金ができた段階で建具を入れてもいいし漆喰を塗ってもいい。何年も何十年もかけてじっくり作ってゆくというプロセスもありだと思います。最初の資金がないからと言って、手っ取り早く合板とビニールクロスの家に手を出してしまったら、それは『残していきたい』と思えるものにはならず、結果として30年ほどしか保ちません。お客様にはその辺をしっかりと説明するようにしています。」

飯能の杉「西川材」:江戸時代に「江戸の西の川から流れてくる」木材だったのが由縁。埼玉県の良質木材として首都圏を中心に使用されている。一般的な杉のヤング係数(材料の変質しにくさ)がE70であるのに対し、西川材はE80〜E90と強度が高い。

断熱材にはグラスウールではなく環境負荷の少ない〝ウッドファイバー〟を使用している。素材は地元飯能の杉だ。「建築が環境に配慮できることは全部やりたいんです。」と山田さん


左が里山長屋。右にはその価値に共感してくれた方が、山田さんの設計で家を建てて暮らしている。自ずとゆるい繋がりのコミュニティが形成されている。

コミュニティは、つくるものではなく、出来ていくもの。

冒頭に触れたようなパーマカルチャー的な視点・手法で、環境に配慮した家づくり、環境と応答性のある住まいづくりをしている山田さんだが、里山長屋以外にも、住民同士、あるいは地域の人々が繋がるような住まいづくりを多く手掛けてる。

山田さんの考える〝コミュニティの場〟のあり方とは一体どんなものなのか訪ねてみた。

「生態系は小さな循環・小さな良好な関係がたくさん集まって成立していると述べましたが、人間もやはり生態系の一部であるので、そのコミュニティに関しても同じことが言えると僕は考えてます。」

「無理に密度の濃い関係を築く必要はなくて、密度は薄くてもいいから〝小さな良い関係〟を、どう沢山つくるかが大切かなと思っています。いつも顔を合わせ人でも気脈が通じていなければ、なかなか打ち解けることができませんが、逆にたまにしか会わない人でも気脈が通じていれば、いざ何かあった時には助け合おうという心持ちになる。そういう関係ですね。」

「僕はコミュニティの専門家ではないので、学術的なことは言えませんが、自ずとコミュニティを大切にする建築みたいなところに行き着いているので、素人目線ながら注意していることはと言えば「作り込み過ぎないこと」です。『コミュニティって大事だから、みんな繋がって行こうよ』みたいな無理な押し付けをしないことですね。設計に関しては、むしろ〝恣意的なデザインはしない〟ように心掛けています。」

里山長屋のコモンハウスにて

「確かに今の時代、コミュニティが大事というのは、まさにその通りなんです。これからますます高齢化や過疎化が進んでいき、バリバリ健康で働いている世代の人が、体が弱ってきた時や、年老いてきた時に、一体どこにセイフティネットがあるのかと考えると、老人ホームやデイサービスなども確かにありますが、お金が掛かることですし、これから日本全体が貧困化していく状況を考えると、一体どれだけの人数が費用をかけてそこに入居することができるのかという不安があります。だとすると、やはり地域でセイフティネットを張って支え合わなくてはならないんじゃないかと思います。
しかし現代は、良い悪いは別として個人の時代ですよね。その現代人たちに向かって「強制的に繋がっていないと生きていけないんだ」という村社会の理屈は理解されないし、鬱陶しいものなんです。
その辺りのバランスを見極めて、重過ぎず軽過ぎず適度な交わり方ができるコミュニティづくりがこれから大切になってくるんじゃないかと考えています。」

では、具体的にどんなバランスで場を作っているのだろうか。さらに語ってもらった。

「個人個人が責任を持って関与できる状況を作ってあげることこそがコミュニティの下支えになるんじゃないかと思います。人間って勝手な生き物だから自分にメリットになることには目を向けるけど、デメリットには目を背けたくなるものです。その地域・コミュニティに所属することで自分にも返ってくるメリットがあると分かれば、繋がりを持とうとするんじゃないですかね。ちょっとやらしいけど、現実はそうなんじゃないかな(笑)。」


「その下支えがあって初めて『じゃあ仲良くやって行きましょう』という流れになると思うので、恣意的な仕掛けだとか強制的なルールで縛るのではなく〝がらんどう〟を作っておいて『あとは自由に使ってください』くらいの方が良いんじゃないかと考えています。」

「矛盾しているんですが、コミュニティの重要性は考えつつも、ことさらそのためだけの空間・施設を作ろうとはしないんです。例えばアメリカで盛んになっているようですが、日本でも最近目にする事例で、コインランドリーにカフェを併設したり、そこに掲示板を掲げたりすることで、自然発生的にコミュニケーションが始まっていくという場所があります。そういった形で自然とコミュニティが育まれる環境というのがとても素敵だと思います。」

山田さんがそんな絶妙なバランスを考えながら設計した、人と人とのちょうどいい関係が生まれている場を2つ紹介する。


Okatteにしおぎ(写真:砺波周平)

1つ目は東京・西荻窪にある2×4の住宅を2015年にリフォームした〝Okatteにしおぎ〟。会員が自由に使えるキッチンを中心に「地域のハブとなるような場」を目指した〝地域のコモンキッチン〟がコンセプトの施設だ。ごはんを作りたい人・食べたい人、イベントをしたい人・参加したい人、小商いをしたい人、ただくつろぎたい人などが自然と集まり、今では会員数が100名を超えているという人気ぶりだ。


連の家プロジェクト(写真提供:山田さん)

左上:連の家1 / 右上:連の家2 / 左下:連の家3 / 右下:連の家4

2つ目は、里山長屋と同じ藤野にある〝連の家プロジェクト〟。2013年から始まった藤野の里山の風景になじむ平屋が前後に連なる集落感のあるプロジェクトで、その趣旨に賛同するお施主さんの住まいを順次建てていっている。現在4軒まで完成しており、今後さらに建てられる計画だという。里山長屋にも通じる集落感がゆるい繋がりを生んでいる。


進化する余地があるからこその伝統

今回の取材を通して〝伝統構法の木の家〟が必ずしも〝伝統的な日本家屋〟でないとならないと言う訳ではなく、その時代、その土地、その住まい手によって変化のあるものであっても良いのだと感じた。 もちろん、構法が伝統というだけで、現代的なモダンな住まいの図面を引く建築士や、新しい手法や技術を取り入れている職人など、そういった意識の作り手は多く居るものだと思うが、〝伝統〟と銘打っている以上、世間一般に与える印象はやはり保守的なものになりがちだろう。

〝伝統〟について山田さんから興味深い話をしてもらった。

「この業界にいると『伝統とは何だ。いつの時代からの建築を伝統と言うのか。』みたいな会話になることがよくあります。例えば築80年くらい以上の民家を古民家と言ったりする訳ですが、『本当にそれくらいの時代のものが伝統なのか?』とおっしゃる方もいる。『伝統を守ると言うなら、鎌倉時代とか室町時代くらいまで立ち返るのか?』といった気の遠くなる議論にもなりかねません。もちろんその優れた技術を守っていくのは、一つの答えではあるけど、民家の場合はそうもいきません。」

「例えば、『伝統的な民家には一面ガラスの縁側があってポカポカして心地いい』といったイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、ガラスで縁側を囲うようになってきたのは明治以降なので比較的新しい設えなんですよね。それより昔は濡れ縁だったので、建具はなく雨風には晒される空間で、外とは障子一枚で隔てられていた訳です。」


「〝ポカポカする縁側空間〟と言うのは必ずしも〝古い〟伝統ではないわけです。そう考えると、伝統ってやっぱり進化していて、進化する余地があるからこそ伝統なんだと思います。新しいことを取り入れることを怖がらない方がいいと思っています。ここ(里山長屋)のように木組み・貫構造・土壁の家でも、〝そよ風〟のような現代の技術を少し足していったり、あるいは、科学的に温熱環境を解析した上で、〝時代に最適化した伝統構法の木の家〟みたいなものをつくり、『これこそが今の日本に必要とされている住まいです。』と発信していくことで、次の世代に伝統を受け継いでいってもらえるのではないでしょうか。」

伝統構法の家・木の家を次世代に受け継いでいくためには、技術の継承や世界遺産への登録などの保存に必要な活動と並行して、広く一般にその必要性・素晴らしさを認知してもらうためには、日本の気候風土の中で育まれてきた木の家は、現代の住環境においても、過ごしやすくするための知恵や技術が詰まっていること。また、地球温暖化などによる環境変化や生活様式の変化にも、現代の技術や考え方を柔軟に加えていくことで、むしろ今の時代・これからの時代に適した素晴らしい〝次の時代の民家〟を作れるということを、知ってもらう必要があるのではないだろうか。

素晴らしさとメリットを主軸にして、木の家というものを広く伝えていくことで、その良さを分かち合える良好な関係のコミュニティが育ち、いつしか日本中に広がることを願わずにはいられない。


一級建築士事務所 ビオフォルム環境デザイン室 山田 貴宏(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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