青森ヒバの原木。「ここからここまで、俺が買った木だ!」ということを示す赤い塗料が吹き付けられている。(撮影:高橋昌巳 1987年)
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設計士・高橋昌己さん(シティ環境建築設計):東京でも木組み土壁の家を!

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独立。「山とつながる建築」を手探りで求めていく。

建築設計の仕事をひと通り身につけ、1987年に独立した高橋さん。「いよいよ念願の木造をやるんだ!木造をきちんとやるには、山とつながり、山に還元しなければ!という思いに胸を膨らませてのスタートでした」と当時を回想します。

まずは、知り合いの薦めで、青森の大工・日沢良雄さん(日沢建設)さんに会うために、青森・岩手・秋田の県境にある三戸市田子町にまで出かけていったそうです。「国産材を使った仕事がしたい!」自分の思いを熱く語ると「じゃあ、青森ヒバの原木を見に行きましょうか」と、さらに奥の下北半島の先端まで車を走らせること5時間。ヒバ材専門の横浜製材所に着き、右も左も分からないままに初めての青森訪問で原木を購入することに。

以来、7年間、青森に通い続け、7件の現場を、直接自分で買い求めた原木で「総青森ひば普請」したそうです。最初のうちは原木を買い付けだけだったのが、次第に製材の現場まで行くようにもなり「『先生、で、どうやって木取りしますか?』なんて、白いチョーク持たされて困ったり・・今にしてみれば、なにも知らない若造が、知らないがゆえの無謀なことばかりしていましたね」青森通いの最後の頃には、原木市場での競りにも参加していたそうです。

その後、埼玉県飯能市の岡部材木店さんと知り合い、青森ほど遠くに行かなくても、設計者が原木を自分で買い付けるところからしなくても、山とつながる家づくりはできることを知り、かなり気が楽になったそうです。「青森に通ったあの頃のことは、今から思い出すと恥ずかしいことだらけだけれど、それでも、自分で考え、行動し、あたって、教わったこと、学んだことは、自分の基礎を築いてくれたと思いますね」と。何事も無駄にはなりません。

「したい家づくり」を体現する
土佐漆喰塗りのアトリエを建築。

独立するにあたって高橋さんはまず、西大泉の自宅の敷地の一角に、自分が手がけていこうとする家づくりを体現したアトリエを作ります。

左:アトリエ外観 右上:アトリエ玄関。瓦敷きのアプローチが美しい。右下:若き日の高橋昌巳さん。アトリエの工事をしたのは34歳の頃。当時1歳半のご長男を抱いて。

「マンションの一角に設計事務所を構えていても、僕に頼んだらどんな家づくりができるのか、見えないでしょう? 僕のしたい家づくりはこうなんだ、ということを道ゆく人にも示したかったんです」と高橋さんは言います。地元での開業という強みもあって、親戚や知り合いからの依頼は途切れずにあり、手がけた家の建て主が、口コミで次の仕事を生み、設計業務は順調に続いていきました。

「したい家づくり」として、アトリエ建設でどうしても実現したかったのが、土佐漆喰の塗り壁。「左官教室」に出ていた高知の田中石灰工業株式会社さんに「東京で土佐漆喰ができる人はいないか?」と問合せたところ、戦後の建築家 白井晟一設計の住宅や文化財修復など、高い技術を要する左官仕事を手がける加藤左官工業の加藤信吾さんを紹介され、以来、つきあいがずっと続いています。

加藤左官工業の加藤信幸さん。加藤信吾さんの息子です。

伊予で見て衝撃を受けた「あたりまえに土壁づくり」

1991年、愛媛県の伊予北条での家づくりを依頼されて現地に赴いた高橋さんは、そこでまだまだ普通に土壁の家づくりがされているのを見て衝撃を受けます。「民家型構法の現場は見ていたので、漆喰塗りまでは想像の範疇でしたが、土壁は『まだできるのか!』と驚きでしたね」

民家型構法の実践を心に決めていた高橋さんが一点だけ、疑問に思っていたことがありました。それは「せっかくの柱や梁をあらわす木組み真壁の家なのに、漆喰壁の下地には新建材の構造用合板を使うなんて・・もったいない!」という点です。それを土壁にすれば、竹小舞をかいて塗るのだから、新建材を使わなくて済む。「『近くの材料でつくる』に、これで一歩大きく近づける!と、嬉しかったですね」

愛媛から戻った高橋さんはさっそアトリエの土佐漆喰を塗った加藤左官さんに竹小舞土壁の可能性について相談。「『できますよ』と快く引き受けてくれたので、実現の機会を窺っていたところ、1992年に川越での依頼があり、建て主に土壁を提案してみたんです」

一軒やってみたら、ちゃんとできて・・「『できるんだ』と分かって以来、ずっと木組み土壁をやっています。加藤さん親子とは、もう二代にわたる20数年のつきあいになりますよ」

大泉には、高橋さんが設計した土壁の家が点在している。左は屋根のアールを効かせた洋風のデザイン。右はスタンダードな瓦屋根。

土佐漆喰の遊びを極めた加藤さんの楽しい自宅

加藤さんとの縁を年々深めていった高橋さんは、実家の畑だったところを青森ヒバの原木の保管場所に使っていた敷地の一部を、加藤左官さんの資材置き場として提供。小舞竹、漆喰、練って寝かせた壁土などがそこに所狭しと置かれるようになりました。そして、やがて、加藤さんは資材置き場のすぐ近くの土地に、自宅の建設を計画し始めます。

「解体した川越の古い蔵を移築し、さらに新しい要素も加えて、楽しい家にしよう!」と二人で意気投合し、高橋さんの設計による加藤さんの家づくりが始まりました。「加藤さんの意向で左官職の設計者も参加し、自分たちが学ぶ場にもしようということ様々な方が来てくれました。土佐漆喰の第一人者である高知の久保田騎志男さんに監修をお願いしました。土佐本場の技法を学んだり、新しく思いついた技術を試してみたり。本当に楽しい仕事でしたね」

黒い漆喰壁に半筒状に白い漆喰を塗り重ねた「なまこ」は、なまこの縦横のラインがぴったり揃い、その技術の高さには驚かされます。ほかにも、建物の隅をギリシャ風の柱のように円く仕上げてあったり、「象の鼻」と呼ばれる技法があったり、さまざまな遊びや工夫がこらされた、魅力ある建物になっています。

左:加藤左官さん自宅外観 右上:玄関隅の「イオニア風 柱」のアップ。 右下:大泉でもかなりの存在感を放つ外観。屋根の重量感に圧倒される。

地域のほとんどの新築物件はハウスメーカーという中に、木組み+塗り壁の家があることが、それを目にする人の心に「ああいう家もいいな」と思うきっかけをつくります。そのようにして、ゆっくりとではあっても、いつしか、地域での木組み土壁の家の存在感が増していく。それが、高橋さんの夢であり、その夢は、一歩ずつ、着実に実現してもいるのです。

内部仕上げが変われば
暮らしが変わる

取材に伺っていた頃、出産後に里帰りしてくる娘さんとお孫さんを気持よく受け入れるために、アトリエに隣接する自宅を漆喰仕上げに改装していました。

「目に触れ、肌に触れるところに、漆喰や木といった自然素材を使うだけで、日々の暮らしの質が変わります。軸組も大切ですが、それと同じくらいに内部や外部の仕上げに何を選択するかは、大事なポイントですね」と高橋さんは言います。

漆喰の下地はラスボードですることが多いのですが、あえて木ズリに漆喰を塗りました。自宅でボードに頼らない漆喰塗り仕上げを試してみてそれがうまくいけば、お客さんにもそれをリフォームの施工例として見せることができます。

漆喰塗りにするための下地の木摺り。隠れてしまうのが惜しいほどの美しさ。漆喰塗りの下地として、合板やボードでなく無垢の板材を使うこともできる例としても、意味がある。

長く住み続けていく中で、その時の家族のニーズに合せて手を入れ、より良くしていく。「以前にはなかった塗り壁の要素を、後から付け加えてより良くすることもできるんですよ!」自然素材を活かしたリフォームの提案を、高橋さんはし続けています。

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土佐漆喰の壁の部分のアップ。引っ掻いたような漆喰壁と付け柱で、真壁風に仕上げている。板金仕事による水切りをきちんとつけるのも、建物を長持ちさせるコツ