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3.11後を生き抜くコミュニティーの力 牡鹿半島 福貴浦より

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牡蠣の養殖業 阿部信彦さんのお話

震災を通して、牡蠣を生業とする
コミュニティーの結びつきは強まりましたね

バビ 牡鹿半島東浜地区には鹿立浜、福貴浦、狐崎浜、竹浜、牧浜という5つの浜があり、どの浜でも牡蠣(かき)の養殖をしています。ホタテの貝ガラに海水中の種カキがつき、稚貝から成長していって、二年かけて立派な牡蠣に育っていきます。牡蠣が育つお世話をし、収穫するのが、ぼくらの生業です。

福貴浦って、どんなところですか?

バビ 三世代同居も多く、10人家族なんていう大家族も何世帯があります。子ども達は、山道を20分歩いて、東浜小学校まで通ってます。牡蠣でやっていける集落だから、牡蠣の生業を継ごうという若者も結構いますよ。お隣の鹿立浜と合わせると、三十代の若い跡継ぎ世代が三十人ぐらい居ます。浜にはいつも人が出ていて、牡蠣を洗ったり、剥いたり、船を出していたり・・と、活気があります。ぴーすぼーと石巻の一週間滞在型プログラム「イマ、ココ プロジェクト。」からのボランティアさんが来るようになって、震災前よりにぎわっているかもしれないですね。

バビ 仮設住宅ができるまで待ちきれなくて町場に出た家族もいるけれど、クルマで40〜50分かけてでも、通って来て牡蠣を続けてる人も多いですよ。牡蠣をやっていた24戸中、18戸は元気に続けています。まだ処理場ができていないほかの4つの浜の人たちにも、交代で使ってもらっています。住むところは今のところはまだバラバラですが、コミュニティーの結びつきは、前より一段と強くなっています。

いつも誰かしら牡蠣のシゴトをする人が浜に出ている福貴浦。ボランティアさんと地元の人がいっしょになって。

稚貝は抑制気味で育て、沖出し後に
一気に大きくするのがコツ

牡蠣の養殖はおよそどのようにするのですか?

バビ まず、4月から8月が、種付けの時期。牡蠣の原盤となるホタテの貝殻をロープに結びつけ、潮の干満で海水に浸かったり浸からなかったりする、浅い海に置いてやります。過酷な条件で、成長を抑制しながら育てます。

バビ 二年目の7月頃から牡蠣を「冲出し」用のローブに、個体間の間隔を十分にとった状態で通し替えて、外海と内海の境あたりのいい潮の流れのところに移します。それまで抑制気味に育てられて来た牡蠣が、プランクトンなどの栄養が豊富な環境に移るこどで貪欲に餌を食べ、ぐっと大きくなります。このように海に垂らしたロープで養殖する方法を「延縄垂下法(はえなわすいかほう)」と言います。

■左:組み上げたパイプ筏に「「イマ、ココ プロジェクト。」で参加したボランティアさんのサインが! ■右:かごに入れた原盤ホタテを、これから単管パイプに取り付けるところ
一年半ぐらいは、潮の干満で海面の上になったり下になったりする浅い海で管理する
■左:ひとつひとつの間隔をとるように牡蠣を通し直した延縄(はえなわ)を沖合に沈める ■中:これから沈める延縄 ■右:延縄垂下法の図

バビ 毎日小型の船で、牡蠣の様子を見に行って、成長具合や、天敵がついていないかを確かめます。天敵やヒトデとムール貝。牡蠣を食べてしまうので、見つけ次第、やっつけます! 育ち具合を見て、ロープの位置を移動してやったりすることもあります。

バビ 二年目の9月から3月でようやく収穫期を迎えます。牡蠣が重くなってきて、垂らしたロープのいちばん上につけてある浮き樽が沈んでくるので、毎日、ロープの沈み具合を見て、収穫できるようになっていそうなロープを巻き取り機で引き揚げ、浜に戻ります。

■左:大きく育っているのが、水面からでも分かる ■中:いよいよウィンチで引き揚げる ■右:牡蠣のまわりに、海藻やほかの生きものもたくさんくっついてくる

バビ 浜に持ち帰った牡蠣は、腸の中のものを出させるために、殻つきのまま一晩、水タンクに漬けます。翌朝、タンクから出して、加工所の高圧洗浄機で洗い、殻を剥きます。女達は一日中、殻を剥き、男達は午後から船で出て、翌日剥く牡蠣を引き揚げてくる。だいたいそんな流れです。

養殖は共同作業なのですか?

バビ 一軒一軒が個人事業主として牡蠣の種付けから収穫、加工、出荷までをこなしています。はえ縄を所有して牡蠣を養殖するのは個人単位でしていますが、収穫した牡蠣を殻から出してむき身にする加工は、宮城県漁協石巻市東部支所で共同所有する「カキ共同処理場」でしてます。

バビ 個々人が自営で、実入りの具合や量で日々売上が変動するので、張り合いもあります。雪の多い年は、山の滋養がゆっくりと海に浸透してくれ、牡蠣が美味しくなるので、楽しみですねー。

バビ 普段はそんな感じで、家族経営でやっているのですが、震災の後は、みんなが協力し合わなければやっていけないことがたくさんありました。浜にたまったガレキの処理、漁具の引き揚げ、なくなった資材の調達など、あらゆる面で、助け合いの関係でものごとが進んでいきました。本来のコミュニティーの力が、あらためて発揮されたのだと思います。

大震災の地殻変動で、岸壁は1メートルほど沈下。片側の防波堤は50メートルほどが10mほどの高さの津波に流されました。福貴浦32軒のうち、津波に流されず残ったのはたった7軒だったそうです。

なんもかんもが流された

■左:震災前(2010年6月25日)の福貴浦 ■右:震災後(2011年4月6日) 左右ともにGoogle Earthより

震災の津波で、福貴浦はどのような影響を受けましたか?

バビ うちはクルマと軽トラが流されただけ、ギリギリのラインで残りましたが、家をなくした人は、もともと山の高台を通る道もあって関係の深い隣の鹿立浜(すたちはま)で家を流された人もいっしょに、福貴浦集会所に避難し、寝泊まりしていました。

バビ 食事は、残った7軒で全員の炊き出しをしてしのぎました。どこの家でも、秋に一年分の米を買っていたから、残った家の米でみんな食べられたんです。寝泊まりは公民館だけれど「同じ釜のメシ」食って、前から強かった結束が、ますますかたくなった感じです。

バビ 生業の牡蠣についていえば、すべてが海にあったわけだから「なんもかんもなくなった」ですね。養殖資材のロープも、種カキも、みんな流された。震災前には、石巻漁協東部支部に属している東浜5つの浜それぞれにカキ共同処理場があったのですが、それもひとつ残らず流されました。処理場以外にも、収穫した牡蠣を水に漬けて体内に残存するものを排出させるための浄化施設、給油施設、倉庫もありましたが、全てが壊滅状態。途方にくれましたね。漁船は地震直後に田代島沖まで沖出ししたためほとんどの船が整備をすれば使える程度の被害で済みました。ただ、海底が持ち上がって港の水位がもとより下がってしまったので、船は港外に錨泊させてあり、小型ボートで寄り付いて乗り換えているような状況です。

隣浜やボランティアさんと協力して
マイナスからのスタート

復興は何から手をつけたのですか?

バビ 最初はまず、使えるものをガレキの中から拾っていましたね。国から給料をもらって、瓦礫を撤去して、分類整理して、掃除して・・一年ぐらいはそんな風だったかな。 海の底に沈んだ種カキや流されたロープといった資材も、鹿立浜の人たちと協力して、使えるものは引き揚げました。津波があったのが牡蠣の収穫期が終わり近い頃だったので、ある程度現金化できていたのはまだ不幸中の幸いだったけれど、これから収穫期に入ろうというわかめの人たちはもっと大変だったと思います。

バビ なくなった資材も買わなくちゃならなかったのですが、物資が不足していて、調達には苦労しました。作業も資材購入も、ひとりひとりでやっていてもおぼつかないということで、労力もお金も出し合って、みんなで協力してやりましたよ。

バビ 集会所に寝泊まりしながらいっしょに働いてくれるボランティアさんたちのはたらきは大きかった!地元は途方に暮れてるような時期からどんどん動いてくれていて、それを見て自分たちも元気づけられて、ともかくできることをしていこうと、いい方向に向かっていきました。

ボランティアさんはどんなようなことを手伝ってくれるのですか?

バビ 最初のうちは海をさらってガレキを撤去して、資材を引き揚げて。それが一段落ついてからは、今でもですが、牡蠣の種付けや収穫の作業そのものも手伝ってくれています。およそこんな日課で動いてます。

バビ ボランティアさんの中には、ネット使って情報を検索するのが上手な人も居てね、牡蠣の仕事に必要な機材類を探してきてくれたり、助かりました。若くて元気のいい、女の子のボランティアさんも来てくれるので、浜により活気が出ましたよ。うちのおばあは、うちでご飯食べてたボランティアさんの写真をいつもそばに置いてね。そんな地元以外の人との深いつながりができたのは、震災以降だものね。

バビ ボランティアさんの受け入れをコンスタントにできているのは、福貴浦に公民館が残ったから。寝泊まりしてもらえる、受け入れ施設があるかどうかは大きいですよ。仮設や個人宅では、無理だしね。

バビ 失ったものももちろんあるけれど、その分、いいこともいっぱいありましたよ。後ろ向いててもしかたない、あるものでやってくしかないし、そのためには元気で、笑顔でいないとね!

お金を出し合って共同処理施設を再建し
一年八ヶ月ぶりで生業を取り戻す

■左2つ:カキの殻と身を分ける作業をする台がいくつも並ぶ作業場。カラは下のカラ受けに落ちる ■中:滅菌洗浄機 ■右:トレーサビリティーを保証する箱。いったん入れると開けられないようになっている

出荷できるようになったのはいつ頃から?

バビ 加工施設の再建については早くから動いて、東浜の中で一番早く、2012年の11月2日から使える状況になりました。建設費は2億7千万。国や県の災害復旧事業費から9割補助が出たから、福貴浦のみんなで総額2700万円出し合った計算になります。お金が足りない人も組合から借りたり、なんとかやりくりしてね。

バビ 震災後初めての県内産の養殖カキの出荷は2012年10月15日に解禁されましたが、処理場の完成が間に合わず、6日までは殻付きのままで出荷していたのが、11月7日、震災から1年8か月めにして、ようやく本来の福貴裏の生業である、むき牡蠣での出荷が始まりました。

2012.11.7 石巻市の福貴浦漁港でむきカキの出荷開始:震災前はカキ処理場は港ごとにあり、共同での利用は初めてだが、漁師たちは互いの苦労を知っているからこそ、支え合って歩み出している。「震災前と違い、なんでも共同でやってきた。困っていることあれば手伝う、そういう気持ちになった」

日テレNEWS24

震災前後で売上はどうですか?

バビ 震災前と比べると、売上はまだまだ半分くらいかな。けれど、復興住宅も建てることだし、牡蠣でがんばるぞ!もっと稼ぐぞ!という想いでがんばります。

バビ 震災以前は、むきみにして漁業協同組合に出してさえしまえば、宮城漁連に買ってもらえるのがあたりまえ、その後、どこに売られていくのか、あんまり考えてもいなかったですね。宮城の牡蠣は放射能不検出だけれど、震災後、韓国は日本の被災地八県の海産物は買わなくなってる。これは結構、痛手ですけれど、今後は出荷してしまえばいいというだけでなく、全国の人たちに浜方面に来てもらって、カラ付きのまんま出して、楽しんで食べてもらうとか、そんなこともしていけたらいいなと思っています。

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ボランティアさんから贈られた色紙