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設計士・丹羽明人さん(丹羽明人アトリエ):納得できる答を探して


丹羽明人アトリエ 丹羽明人さん

1962年 愛知県生まれ 1984年 長谷川敬アトリエに勤務 1994年 丹羽明人アトリエ開設

インタビュー実施日時:2002年10月17日 再構成:2012年6月25日 於:愛知県小牧市 聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)

家具職人の家に生まれ 『長谷川学校』で修行

生まれ育った愛知県の小牧市で設計事務所を主宰しています。

父親は家具職人でした。小さい頃は父親の木工場が遊び場。木を使って工作するのが大好きで、それがきっと今の“木の家づくり”につながっていると思います。

父親がいなくなった今でも、事務所一階の工房では、イスやテーブル、キッチンなどの無垢の木の家具を作っています。

大学では4年間建築を学び、長谷川敬アトリエに就職しました。長谷川敬アトリエは、会社というよりは「学校」のようなところ。まだ今ほど「環境意識」や「健康志向」が高まっていなかった頃でしたが、『自然素材を活かし、太陽熱利用や合併浄化槽など、環境に負荷が少ない家づくり』、そして『大量生産ではなく、職人の技術を生かした、地域に根ざした家づくり』など。大事なことをたくさん学びました。

長谷川敬アトリエで学んだ、環境に負荷が少なく物質循環の場となる家 絵=長谷川敬氏

入社したての頃は、まず店舗のデザインをいくつか担当しました。まだ設計力が未熟な当時の自分にとっては、クライアントの要求事項をきちっとくみ取ることから、プランとデザインを練って図面やスケッチを描いてプレゼンテーションすること。また、コスト監理や現場での施工者との打ち合せなど、設計の仕事をしていく上での基本からを学ぶことができて、毎日がとても充実した楽しい時期を過ごさせていただきました。その後、住宅を何件か担当し、最後に桜町病院ホスピスの設計に携わり・・・、と気がつくと計10年間、長谷川アトリエに在籍していました。

ヨーロッパ旅行で目の当たりにした
「伝統の受け継ぎかた」

長谷川敬アトリエを退職して、東京から実家がある小牧に戻ったのですが、途中、家内と少し寄り道をしたんです。ヨーロッパの幾つかの国々を・・・。 今思い返せば、貴重な寄り道でした。どの国の人々も、それぞれの伝統と文化を大切にしていることが、とても強く感じ取れた旅でした。きっとこの体験が、その後の建築に取り組む姿勢を、より明確にさせてくれたんだと思います。

不思議なもので、異国の異文化でも、古き良きものを見ると、なぜか懐かしいんです。それでいて新たに加えられたエッセンスが新鮮で、街を歩いていてもとても楽しくて心地よくって・・・と、気がつけば、貧乏旅行も季節変わって、春から夏を超して秋になっていました。それで長かった寄り道を終えて、この小牧に帰って事務所を開設したんです。

古い民家を活かした設計の依頼

幸いにも事務所開設当初から、小さいながらもポツポツと設計の依頼を頂き、ゆっくりと滑り出したところに、ある時、師匠である長谷川さんの著書、『働く家』を読んで感銘を受けた、という方から設計の依頼を受けることになりました。

はじめは新しい住宅地に新築を建てるというお話だったのですが、よくよく訊いてみると、「本当は奥さんがこどもの頃に住んでいた築80年の民家を再生して住みたいと考えていたんです」と言われるんです。「しかし、かなり痛んでいたのでまわりから反対され、あきらめました」と。

「元気いっぱいの、子供が4人もいるそのご家族の様子からは、几帳面に宅地造成された新興住宅地に新築を建てるよりも、片田舎の山の中で、まわりを自然で囲まれた、その古い民家の環境の方がしっくり来そうなことは、当時まだ新米だった私にも感じ取れましたし、長い寄り道で感じ得た「大切なこと」に通じるものを感じ、私の気持ちは、気がつくといつの間にかその古民家に引きつけられていました。


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