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工務店・織田清さん(織田住建):工夫し続けて40年

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工務店 おだ住建 織田清さん

1948年 福井県生まれ
1963年 大工見習いとして修業をはじめる
19**年 独立
19**年 おだ住建発足

大工さんの仕事を見ていて、自然と大工になった

福井の生まれで、親父は板金屋でした。家の近くに大工さんの作業小屋があって、年少の頃からずっと、そこがおもしろそうで、いつもそこで仕事している様子を見ていましたね。昭和39年、中学卒業を間近に「進学か、就職か」という分かれ目に立ち「みんなが行くからって高校に進学してもしょうがないから、大工にでもなろうかな」と、知人の世話で、近所の工務店に弟子入りしました。戦後のベビーブームで、1クラス52人で12クラス、中学の総生徒数が1800人という時代です。就職組はクラスで4分の1ぐらいだったかな。

親方のところは、大工が12、3人いる工務店で、休憩のときに職人同士の会話は、外国語同然で全く理解出来なく、1年ぐらい経ってから少しずつわかるようになった事を覚えています。仕事の内容は、他の工務店と少し違っていて、木造土壁で外壁はトタンという住宅の仕事が半分。あとは、地下ケーブル埋設、鉄塔の型枠づくりなど、いろんな経験をさせてもらいました。中でもおもしろかったのは、木造の工場。福井は繊維の町で、染色工場は木造でした。間口8間、14メートルのトラスを木造でつくったこともありますよ。今じゃあ、できない経験です。この時に聞き覚え、見覚えしたことが、いろいろ工夫してやろう、という姿勢につながっていると、感謝していますよ。

木造軸組があたりまえの中で育ち、
仕事してきた

そうやって仕事をしはじめた頃が、大工技術の変わり目だったように思いますね。ラスボードやアルミサッシといった新建材が出てきて、まだまだ値段は高かったけれど、普及しはじめた頃です。大工仕事にも、角栓機、溝切り機といった電動工具が入ってきていました。でも、そういうものごとが簡単にできる道具を使うようになる前に、手でなんでもやることを仕込まれたことは幸せだったと思います。手でやればできることを電動工具にやってもらう、というスタンスができましたからね。最初の入り口が逆だったら苦労しますよ。

その後、年長の従兄弟と大工の手間請けをしたり、二級建築士、一・二級大工技能士、職業訓練指導員と、資格もいろいろとったりしながら、29歳の時に、おだ住建をつくりました。最初は大工工事だけの手間請けから始めて、だんだんにお施主さんから直接頼まれるようになっていきました。良いお施主さんが多く、一般的な建て売り住宅のようなものではなく、ちゃんとした木造住宅を建てる機会に恵まれました。幸い、ここ福井あたりでは、予算優先で建て売り住宅というのでなければ、昔ながらの木造軸組が望まれますからね。

自分が大工ですから、プレカットでなく手で刻んだ、木をあらわしに使う家が基本です。伝統構法がいいから、という以前に、自分ができることにこだわっていったら、自然とこういう家づくりになりました。全国一律に同じ家づくりをする大手メーカーにはできない、ここの風土に合った家をつくることを心掛けています。となると、長年やってきた工法が基本になるんですよね。山と里と海ではつくりがちがう。このへんでも、海の方だったら塩害を受けることが多いから、外壁は下見板張りにするとか、色々とあるんですよ。先人の知恵ですよね。

湿気のこもらない、風の通る家

梅雨時だけでなく、1年を通して湿度の高い福井の家は、湿気に対する構えが大事です。結露が起こるようなことをしておいて後から湿気対策をするのではなく、最初から風通し第一の家を考えています。強制的に換気する必要なく、構造的に湿気をためない「風が抜ける家」として最近よくやっているのが「大黒柱四ツ組の家」です。家の中心に4本から6本、24センチ角の柱を立て、そこをコアに、左右対称にバランスよく木を組んでいきます。大黒柱の内側の空間を吹き抜けにし、2階の屋根裏にも越屋根をつけ、冬は閉じ、夏は開放してやることで、風の道をつくります。

湿気のこもりやすい断熱材は用いず、2層の空気層をつくることで断熱層をつくりだします。内装にもここ3〜4年程前から、能登の珪藻土をよく使っています。湿気のとれかたがちがいますよ。材木ももちろん呼吸してくれますけれど、珪藻土ほどではない。両方に活躍してもらえば、大部分除湿できます。基礎もベタ基礎に中抜きの換気孔で、空気のよどみはつくらないようにしています。

左右対称、構造的にバランスのいい 大黒柱四ツ組の家

「大黒柱四ツ組の家」がいいと思ってやっているもうひとつの理由は、構造的なバランスのよさです。日本の昔からの「田の字」プランも、バランスがいいんですが、今要求される部屋数やプライバシー・機能を満たそうとすれば、田の字では出来ないんです。で、バランスのよさはそのままに規模を大きくするには、中心の大黒柱を四本にする。そういう発想で四本柱に至りました。大黒柱で囲まれた空間は2階までズドンと突き抜けていて、間を4段か5段、梁が横に刺さっています。左右対称であれば、構造的に無理は来ませんから。中をしっかり組んで安定させようということですね。

ことは大工で!

下駄箱や流し台、テーブルや椅子も、家に合わせて造ります。ちょっと前までは、家具の材料になる手頃な木が合板や集成材しかなかったので、無垢材で家具をつくろうとすると高くついて作りにくかったんですが、最近では中国の桐板が入ってくるので、大分やりやすくなりました。釘には、ヒバ・竹を削ってつくる木釘を使います。板が割れないし、釘の頭が出ないから仕上がりがきれいです。

近くの山の木を使う

福井近郊の「近くの山の木」を使うことも心掛けています。今回の水害からも分かるように、近くの山がダメになると、地域の環境もダメになる。それをよくしていくには、近くの山の木を使うことで山にお金を戻し、間伐などの手入れがされるようになるのがいちばんの早道です。近くでとれた木なら、ここの気候風土に合いますしね。ここ4、5年、福井の杉を使っています。以前から柱、鴨居、造作材は容易に手に入るのですが、梁など大物の構造材は、材木屋さんの協力も得て、福井近郊の材木市場で丸太を買ってきてもらいます。丸太の耳、つまり天地の側面だけを切り落とす「太鼓落とし」にして、桟積し、最低でも3〜6ケ月程自然乾燥し、木拾いができてから、製材します。

県が主体になって、福井県産材を使って家をつくろう、という主旨で意識をもったつくり手が集まる協同組合ができています。モデル住宅をつくったり、共同での広報をしたり、イベントをしたりして、県民の意識に浸透していくような努力をしています。

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