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漆職人・小林広幸さん(春野屋漆器工房):木の家づくりにも関わる漆塗り職人を訪ねて

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恥ずかしながら、の弁当箱

八ヶ岳南麓の我が家から木曽路の春野屋さんまで車で一時間少し。取材当日、午後には帰っていなければならない用事もあり、昼の弁当をもっていっていた。さんざん使い込んだ弁当箱は、9年前に東京のデパートで思い切って買った漆塗り、長方形の箱が二段重なる、お重型だ。一組5000円を2組買った当時は、結構勇気が要った。

角があたって、漆がはげている「あのう、ちょっと恥ずかしいんですが、これ、見てもらえますか?」「おいしそうなお弁当だ」「(そうじゃなくて・・弁当箱を!)本漆っていうんで買って、愛用してるんですけど」弁当箱の表面は漆らしいのだが、裏面の感触が違うような気がずっとしていたので、訊いてみた。春野屋さん、ふたを取り、本体の表裏を見て「漆塗りだね。いいじゃないですか。けど、ベニヤに吹き付けだな」天然の本漆は粘度が高いため、スプレー塗装はできない。すべてが手で刷毛塗りで、高温多湿で管理する乾燥工程を何度も経なければならず、量産には向かない。そこで、外食産業などで使われる量産食器には、カシューナッツの脂をベースに天然漆をほんの少し加えた「代用漆」が使われる。代用漆ではなく天然漆をスプレー塗装できるように開発した「本うるし」という量産技術もあったりで、なかなか見分けにくい。

 (左)筆者が持ってきた弁当箱 (右)春野屋製の弁当箱

「ちょっとうちの、出してみて」と室から春野屋製の弁当箱が出てくる。木曽の曲げ物に手で刷毛塗りした本物だ。色、艶、手触りともに「ああ、やっぱり違うな〜」とため息。しかし、春野屋さんが勧めてくれたのは買い替えではなく、塗り直しだった。「一ヶ月見てくれたら、塗り直します。うんとよくなるよ」もう来年で10年になる弁当箱、買い替えもしかたないかな、と思っていた矢先、使い続けていける希望が見えて来た。

過酷な使用状況にも耐えて形を保っている愛用の弁当箱だが、側面の合わさりに隙間ができている。くっついてはいるのだが、心もとない感じ。「こんなになってるのも、なんとかなりますか?」「塗り直しをすればちゃんとくっつきますよ。漆は強力な接着剤でもあるんだから。蒸気機関車の錆び止めに使われていたし、戦争に行った親父は、戦艦武蔵の船底に漆が塗ってあったって言ってたな」そうか、それは心強い!

漆はすぐれた接着剤!


(左)鉄の鎹(かすがい)で補修した茶碗(東京国立博物館蔵) (右)すっぽりと取れてしまった注ぎ口を「金継ぎ」で補修したウェッジウッドのティーポット

日本には、欠けた陶器や磁器を漆で接着し、金で化粧する「金継ぎ」という独特の技術がある。これが中国や韓国ではそうではない。「馬蝗絆(ばこうはん)」という宗代の有名な青磁の茶碗が東京国立博物館にある。「室町時代の将軍足利義政がこの茶碗を所持していたおり、ひび割れが生じたため、代わるものを中国に求めたところ,明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鉄の鎹(かすがい)でひび割れを止めて送り返してきたという。これを大きな蝗(いなご)に見立てて,馬蝗絆と名づけられた」とある。

ところが日本では、修繕以上の表情をもたせる工夫をする。金だけでなく銀や漆のままで仕上げることもある。塗った後の磨き具合で光沢をどの程度もたせるかも変わってくる。継ぎ跡がその器の新たの景色となり、価値をあげた例も多くある。

ものは大事に、壊れたら直して、使う

「塗りの仕事でまず教わるのは、修繕ですよ」修繕作業を通して、漆器や陶磁器、そして漆の性質がよく理解できるということもある。新しくつくるだけが技術でない。使い続けるために直すことを大事にする文化がちゃんとあるのだ。「リメイク、リユース、リサイクルなんて英語でかっこよく言わなくても、昔から普通のことだったんだよねー」と春野屋さん。

「手づくりのものは、そう簡単に捨てられない」という心情は誰にもある。ところが、デパートで買った「本漆の弁当箱」は、どこで直してもらえばいいのか?となると、分からない。買った時の説明書に書いてあったかもしれないがもうどこかへいってしまったし、買う時にデパートの店員さんが「何かあったら、ここで直せますよ」と言葉を添えるわけでもない。「買っていただく方には、うちに出してくれれば直して使い続けていけることを説明します」と春野屋さん。つくり手が見えるって、こういうことなんだな、とあらためて実感したのだった。

「今の日本って、面倒くさいことを嫌うために、手放してるんですよね、せっかく手に入れたものを。もったいないですよ」と春野屋さんは言う。塗りのお椀、畳、障子、綿布団。社会全体が貧しかった時代、庶民が暮らしに用いることのできなかった「いいもの」が、誰の手にも届くようになった。「いいもの」はメンテナンスしてこそ、長く使えるし、その価値もあがっていく。漆器の塗り替え、畳の表替え、障子の張り替え、布団の打ち直し。古くなったものを捨てて新しいものを買うのでなく、そのものを再生させるために手間をやお金をかける文化が、かつてはあった。ところが、メンテナンスや再生が「面倒なこと」「お金のかかること」として嫌われ、せっかく手にできるようになったはずの「いいもの」から、自ら身を引いている、というのが現実だ。

職人の手による本物を使う日常を

面倒なのはイヤ、お金はいつもある程度はある。結果的に「古くなったら捨てて新しいのをまた買えばいい」という生活様式になり、短いサイクルで使うものならば「安物で十分」となってしまった。いや、「安物しか知らない」時代になりかけているのかもしれない。手づくりの本物を大事にするかわりに、量産品を使い捨てにする世の中が失ったのは「本物の感覚」だ。漆器のお椀を手にし口をつけた時のなじむ感じ、藁床にい草の畳に寝転んだ時のいい香り、一日の時間の経過ともに光の表情が変化していく障子、お日様にあててふかふかに戻ったふとんに入る時の安らかさ。職人の手仕事が生み出した「いいもの」を大事に使う暮らしの中でこそ「はじめて味わえる」実感が、ある。

いいものを大切に使う暮らしの中で五感が自然と磨かれ、季節や自然、人の営みに対する繊細で鋭敏な感受性が育まれる。それが豊かな暮らし文化なのだ。「職人がつくる木の家」に住まうこと、長く住み継いでいくことは、そうした感覚のひとつひとつを「取り戻す」あるいは「身に付ける」ことなのだ。春野屋さんの取材を通して、そう確信したのだった。

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