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大工・村上幸成さん(村上建築工房):チームで大きな木の仕事がしたい!

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チームで大きい仕事がしたい

(有)村上建築工房
大工:村上 幸成さん
公式Webサイト:https://muraken5.com/

インタビュー実施日時:2010年11月3日
於:千葉県南房総市
聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)

手を動かすものづくりがしたくて、大工に

川崎から東京湾の対岸にあたる木更津に向けて、海の下を走るアクアライン。その中間地点に海上に浮かぶ 海ほたるPA から、東京湾がぐるっと一望できます。神奈川県の三浦半島と向かい合うようにして、房総半島が長く横たわりますが、その最南端にあたるのが、南総里見八犬伝の舞台にもなったかつての安房の国。今では南房総郡と呼ばれています。木更津から南房総へと南下するにつれ、街路樹にソテツが並ぶようになり、岡と水田と海が織りなす、明るく、平らで穏やかな風景が広がります。

村上幸成さんは、木組みの家づくりを手がけて10年余になります。大学の建築学科卒業と同時に淡路島で大工修業に入り、独立して南房総で工務店を興しました。どういうきっかけで、木を触る大工を志すに至ったのか、どのようにこれからの工務店経営を考えているのか、現場や工場でお話を聞かせていただきました

村上建築工房

ワークショップで「はまった」
自分の手を動かすものづくり

早稲田大学で建築科に入った当時は、まわりの同級生たちもそうでしたけれど、僕自身も安藤忠雄さんなど、コンクリートでつくるデザイン性の高い建築をつくる、華々しい建築家に憧れていました。ところが大学4年の時に、単位が足りなくなりそうだったのでたまたま取った建築実習の授業で丸山欣也先生に出会って、外でカラダを使って建築を作ることの面白さを知り、興味の方向性がガラッと変わってしまいました。

淡路の鳥の巣  写真=北田 英治

丸山先生は、建築家でありながら実際に手を動かしてのものづくりにこだわるんです。その頃、授業では淡路島で左官の久住章さんと「淡路の鳥の巣」という竹の造形をつくるというプロジェクトを手がけていたんです。淡路島まで行っちゃうんですよ、授業で。空き家になっていた久住さんの実家に泊まり込んで、短い時は2~3日、長い時は一週間と、とびとびにですが通算すると一ヶ月ぐらい淡路で生活しながら、竹の建築を作っていました。

スコップで土を掘ったり、縄で竹を縛ったり、ものをつくることは肉体労働なんだな、と実感しました。それでも、カラダを動かすだけでなく、次の作業のための段取りをしたり、もっと作業性のよいやり方はないものかと工夫したり、頭もとっても使うんです。ものをつくることの原点に触れる体験でしたね。学生よりも丸山先生の方が体力があったし、いろいろなアイデアが次々に出て来る感じでした。すごい方ですよ。

「かたちの劇場」をめくる村上さん

今年(2010年)の3月で丸山先生は早稲田大学を退官されたのですが、その直後の5月に、先生のワークショップの記録が「かたちの劇場」として出版されました。出版記念のパーティーで、ひさしぶりに大学時代の友人や建築仲間に会いました。この本はぜひ、中高生に読んでほしいですね。ものをつくるって大変そう、むずかしい技術がないとつくれないイメージがあるけれど、技術がない中でも何かしらつくれるよ、という気持ちになれる本です。子どもの頃、段ボールで家をつくってた感覚で。

「かたちの劇場」の丸山欣也先生について

丸山先生は、早稲田大学だけでなく、桑沢デザイン研究所、東京理科大学、アメリカ、フランス、ウガンダ、モロッコなど、世界各地の大学で学生たちとワークショップを実践しています。教えるほかにアトリエ・モビルという設計事務所も経営していますが、ワークショップ活動の拠点として「有形デザイン機構」というNPO法人も立ち上げています。
  • 環境問題、社会問題を解決し、より持続可能で公正な社会をめざし、世界認識の転換となる教育をする。
  • 手作業で環境から知恵を導き出し、視点を変えるための実践の場として、ワークショップを開催する。
2009年から2010年にかけても、アフリカのウガンダ共和国でHIV感染児のための小学校をデザインする、世界遺産になったモロッコのフェズで、現地で職人さん達と交流しながら土の建物づくり、プランスで学生たちとのお茶室づくりなど、さまざまな活動をしています。詳しくはこちらで!

ひとり親方に弟子入りして学んだ6年間

丸山先生の淡路での授業を通して、自分は図面だけ描いているよりは、実際に手を動かしてものを作ることが向いているんだなと実感して、卒業と同時に先生の紹介で、淡路島の江戸保さんという大工親方のところに、見習として入りしました。授業での作業は左官仕事が主だったのですが、私自身は大工になりたかったですね。設計から施工まで自分でできそうなところに、魅力を感じていたんだと思います。

江戸さんは伝統的な仕事をする人で、数寄家などが得意です。一人親方で、大好きな仕事を、ひとりでコツコツするのが好きなタイプ。建前など忙しい時にだけ、仲間の大工を応援を呼ぶようなスタイルでやってました。見習の頃、アパートは近くに借りていましたが、ご飯もお風呂も、そして洗濯も親方の家で面倒をみてもらうという、限りなく住み込みに近い形ですね。

親方はあまり教えない人で「できないことはやらせない」感じでしたから、掃除をしたり、親方の手元や下地をやったりするところからだんだんに見よう見まねで仕事を覚えていきました。何個か継手を刻む練習をするうちに、親方が墨付けをしたのをぼくが刻んでいく、という風になっていきましたが、最後まで墨付けはさせてもらえなかったですね。

独立して南房総へ

弟子入りする時に、親方のところにいるのは最短5年プラスお礼奉公1年の6年間と決めていたので、6年目に独立しました。それまでの間に一級建築士の資格を取り、大学生の頃に出会った彼女と結婚もしました。淡路を出て、どこで独立しようか、といっても、うちは親が転勤族だったので、ここという地元もなく、どうしようかなと思っていたら、ちょうど親が南房総の館山に土地を買ってリタイア後にはそこに住むから家を建ててほしいという話が出てきたんです。じゃあ、それを初仕事にさせてもらおう、ということで、千葉にアパートを借りて、館山の現場を手がけることにしました。

そのまま南房総が気に入って居着いていまして、いつのまにか子どもも3人に増えました。今ではすっかり地元の子です。少し前から、うちの弟子に教えてもらって、サーフィンを始めました。海が近いのはいいですよ。思い立ったらすぐに行けますからね。

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初めて手がけた館山の別荘