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里山循環大工:池山琢馬(一峯建築設計)

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里山循環大工

前号でご紹介した、黒田さんの「オフグリッド=電力自給の家」を手がけた三重の大工、池山琢馬さん。「ヨイトマケ」「竹伐り」「土壁塗り」など、建て主やそのまわりを巻き込んで、家づくりをしています。池山さんの現場は、いつも楽しそうです。

前号の続きとして「独立電源の家」に携わって思ったことから、池山さんが考える「大工の役割」や「本来の家づくり」について伺いました。

絶対的な答って、ない。
あるのは「その時にあり得た最良解」

前号でご紹介した黒田さんの家は「電力会社とは契約しないで生きる!」という熱い思いに応えて、手探りで手伝わせていただきました。「原発事故があっても原発をやめられない電力会社には、頼らずに生きたい」という思いは、ぼくも一緒でしたし。

って、言いながら、こんなこと言うと「え?」って言われそうですけど、じつは「電力会社の技術って、すごいなあ」って感心もしましたよ。遠くで作った電気を、はるばる運んできて、休むことなく、安定的な交流電源として供給してるって、すごい!実際に独立電源の家づくりをやってみて、実感。

ぼくも、広島のケケさんこと石岡敬三さんに協力してもらい、太陽光パネル工事用の仮設電源を自給するシステムを作ってみました。最大発電能力=760W、交流変換能力=2000W、蓄電能力=600Ahで、経費込みで約50万円かかりました。ひとつの現場で、だいたい仮設電源費として、7〜10万円くらい掛かりますから、設営手間を無視すれば6〜7回くらい使えれば元がとれてます。現場に持ち込まない時には、事務所で使ってます。

池山さんの事務所と現場の電力をまかなう太陽光パネル

けれど、この太陽光パネルとバッテリーっていう組み合わせが、最良の解決なのか? っていうと、確信はないんです。「いいこと」のように見えて、なにか落とし穴があるかもしれない。たとえば将来この機材のリサイクルがどの程度できるのか、今の自分にはわからないんです。

だったら、もしかしたら、現時点では「独立」にこだわり過ぎず「どうしても足りなくなったら電力会社の電気を使わせてもらおっか!」と割り切って、電力会社につないではおいて、その分、バッテリーや太陽光パネルの数を減らす、という方法もアリかも?って思ったりもします。

当初みんなが結構期待してた風力発電だって、あとからいろいろな弊害が分かってきた。自然エネルギーだから、自給できてるから、いいとは言い切れない。「これで解決!」という絶対的な答は、なくて、つねに、変わってく。その中で「今の、最良解」をやってくしかないのかなと。柔軟にね。

それでも「いい技術が出て来たら、その時に乗っかってやろう!」って、待ってるんじゃなくて「やってみる!」というのは、大事なこと。やってみて、見えてくることって、たくさんありますやん!「やってみる」「まだ使わないでおく」「組み合わせて使う」など、それぞれの選択がありながら、少しずつ、進んでけばいいんじゃないかと、思いますけどね?

「独立電源の家」もそんな風に、絶対的なものとしてでなく「その時の僕らの最良解」としてとらえてもらえたらいいな、と思います。その時の気持ち、その時にあった資源、その時のメンバーだったからこそ、できたことの結晶としての、ね。

「電力自給」より広い意味の
「オフグリッド」を目指したい!

僕自身はね、電力自給そのものがやりたいんじゃないんです。もっと広く、暮らし全般を大きな経済システムから「オフグリット」させていきたいんです。自分たちの暮らしのいろいろを、できるだけ自分たちでまかなう方向にね。

最近、経済システムの中に暮らしが取り込まれてる割合が増えていますけど、もともと、ご飯を作って食べる、家事をする、子どもを産んで育てるっていうことは、暮らしの大事な要素ではあるけど、経済活動ではないでしょう? 農「業」といえば、経済が入ってくるけれど、自分ちの米や野菜を作って食べる分には、お金が介在するわけではないし。

猟師からもらった鹿をさばいて、みんなで分け合って食べる。

家づくりもね。もともとは、集落で共同作業したり、まあ、部分的に大工風なやつに頼んでみたりもしながら、経済行為というよりは、自分たちでまかなう「暮らし」の一部だったと思うんですよ。まあ、言ってしまえば、家づくりって巣作り。動物は、自分でやってることですからね!

ところが、いまや、家づくりは「住宅産業」がすることであり、できあがった家を「買う」と、経済行為に取り込まれてる。つくり手と施主は「依頼主」と「外注先」との関係。施主は、家づくりの何がどうなっているか主体的に把握することなく、つくり手に丸投げ。「これだけお金、払うんだから、ちゃんとやって!結果だけちょうだい!」・・で、問題が起きれば、つくり手の責任をとことん、追求する。そんな、お金を介した一種の対立構造が、あたりまえになってる。

そこをね。家づくりを、本来の姿に、より「暮らし寄り」に戻していきたい!と思っているんです。

本人の家づくりをサポートするのが
大工の役割

家づくりが、暮らしの一部であるということは、基本は、ご飯を食べたり、子ども育てたりするのと同じように「本人がする」ことだ、ということなんです。

もともと、田舎の大工ってもともと春から秋は百姓もして、冬になれば木こりもしながら「人よりちょっと刻みがうまい」「大工仕事がちょっと得意」から、頼まれるようになったのが、始まりたど思うんです。つまり大工は「本人の家づくりをサポートする」存在と、とらえればいいんじゃないのかな、と。

もちろん、こういう伝統的なやり方は、どうやって木を組むかとか、刻みとか、いろいろ考えること、手を動かす技量がありますから、専門的な技術職であることは確かです。けれど、それをあまり「高尚な専門職」とし過ぎてしまうと「本人が、自分の暮らしの行為としてする家づくり」というところがかすんでしまうんじゃないでしょうか。

大工ですけど、たまに左官サポートもしちゃいますよ!

「医者」だってすっごく偉い人のように思われているようだけれど、ほんとは、みんなが健康であるための存在で、その目的が達成させれていれば、本来「居なくていい人」でしょ? 手術や投薬もせず、予防治療とか、健康アドバイザー的な役割にシフトしていけたら、いいはず。

大工も、そうで、まずは「家を作りたい人」という主体ありき。基本は、その人が作る家なんだけれど、その人のやりたいことの、やれない部分をサポートしながら、一緒に作る。そんな存在でありたいと思っています。

大工さんは、手伝ってくれる人
黒田 誉喜(電力自給の家の住まい手)

家づくりを「プロに丸投げする」のは、違う。大工さんは、私がする家づくりを手伝ってくれる人なんだ、ということを教えられました。できることは自分でやれば?やれることあるよ?と。土壁とかヨイトマケとか、自分でやれることを、たくさんさせてもらいました。みんなでやれて、楽しかったし、本来の家づくりって、そうなのかな、と思います。

うんと儲けたいわけじゃない。
してあげたり、してもらったり、で廻ってけばいい。

人と人とのつながりの中で、たまたま自分が得意にしている仕事を、信頼されてみんなから頼まれる。本来の大工がそうであったように、そんな風にして生きていければいいなと思います。

買ってきた材料代やガソリン代といった「経費」を立て替えてるのとか、日当いくらという「手間賃」としてのお金は、必要ですよ。けれど、それ以上に、お金をうんとたくさん儲けたいとは、思わないです。手を抜いてたくさんもらったり、手をかけたのに安く買いたたかれたり、そういう経済効率の追求という名のもとに、住宅産業では普通に行われているような「だまし合い」は、したくない。

受け取る対価の一部がお金でなく、現物、地域通貨でもいいんです。自分が知人、近所が自分だけではできない家づくりを手伝う。人の家づくりを手伝う。その分、自分ができないことを、してもらえれば。

たとえば、よはちゃんという友達がやっている定食屋さんの修繕を頼まれて、その一部を、現金でなく、240よはでもらいました。それで、10よはちゃんの定食を24回食べられる。そんなのでもいい。同じように、ミュージシャンだったら「演奏してくれること」、パン屋さんだったら「パン」、海女さんだったら「海で穫れたもの」でもいい。

お店オープンのためのちょっとした大工仕事をしてる友達に、こっちの現場の残材をあげたら、ご飯をごちそうになった。ひとりでは食べきれない鹿をさばいて、みんなで楽しく食べる。田んぼの手伝いをして、藁をもらう。そうやって、お互いに「ちょっとできること」「分け合えるもの」を持ち寄って、お金を介在させない楽しい「やりとり」がある。それも広い意味での「オフグリッド」ではないでしょうか。

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現場に手伝いに来た人と、美味しいコーヒーで一服!