温故知新

松匠建築
小松 匠さん

高知県南国市で手刻みにこだわりながらも、伝統建築にとどまらず様々な仕事を手がけている 《松匠建築》の代表 小松 匠(こまつたくみ)さんをご紹介します。

小松 匠(こまつたくみ・44歳)さん プロフィール
1976年高知県生まれ。高知県内の高校を卒業後、(財)木材研究所土佐人材養成センターに入所、大工技術の基礎を学ぶ。卒業後は個人工務店で数年間の修行を経て30歳で独立。松匠建築として走り続けて今年で15年になる。


手仕事こそが大工の醍醐味

⎯⎯⎯ まずは大工を志そうと思ったきっかけを聞かせてください。
「高校生の時に、建築の板金屋さんでアルバイトをしていて、その現場で大工さんの働きぶりに惚れ込んで「カッコええなー」と思って憧れを抱いたのがはじまりですね」

 

⎯⎯⎯ お名前が「匠」ですが、親御さんも大工なんですか?

「よく言われるんですが、大工ではなかったんです。弟子の時は『名前負けや』とか言われて辛かったんですが、独立してやるようになってからは、いい名前を付けてもらったなと思えるようになりました」

大工として働き出された1990年代といえば、ちょうどプレカットが急速に台頭してきた時代。職人による《墨付け》や《刻み》などの手加工も、まだしっかりと残っており、木の捻じれや方向を見る《目》を養うようにしっかりと教え込まれたそうだ。

「そういう意味ではギリギリいい時代に弟子として学ばせて頂いたと感じています。プレカットは手仕事という、大工として一番重要な仕事を下請けにまわしてしまっている感覚があります。自信を持って大工の仕事をするなら自分で墨付けて加工するのが当然ですし、醍醐味だと思います」

 

⎯⎯⎯ 今、お弟子さんや一緒に動いている職人さんはいらっしゃいますか?

「一つ下の職人さんが一人来てくれています。同年代の職人さんたちに恵まれていると思います。若い頃は年配の職人さんのもとで下積みしていましたが、独立してからは同年代ばっかりですね。「この仲間たちと一緒に歳とって行くんだろうな」と感じています。みんな信念をもって仕事していていい刺激になっています」

「若い子に関しては、うちにも過去には何人か居たんですが辞めてしまいました。人を育てるのは本当に難しいです。『とにかく堪えてやれ』と教えるのがいいのか。『いろんなことやってみたらええ』と言って送り出すのがいいのか。自分の頃とは時代も違いますし、どっちが正解かは分かりませんけど、自分が教えてもらったことはしっかりと教えていきたいです」

⎯⎯⎯ それではご自身が教わったことで大切にしていることはありますか?

「先ほどの話にあった手加工のことや《目を養う》ことなどの技術的なことはもちろんですが、お客さんとの接し方、人と人との付き合いについて多くを学びました。お施主様としっかり話し合って納得できる家づくりを心がけています」


訪れた転機

 

⎯⎯⎯⎯ 松匠建築を14年間続けて来られて様々なことがあったと思いますが、一番の転機について聞かせてください。

「2008年に行われた伝統構法木造住宅の実大振動実験(実験の様子はこちら)に参加させてもらいました。あの実験を目の当たりにして完全に頭が切り替わりましたね。全国から職人さんや設計士さんがたくさん集まって伝統的な木造建築に情熱を燃やしている。その姿に触発されて木の家ネットに入会することを決めたんです。もしあの実験に参加していなかったら今は惰性で仕事をしていたかもしれません。現実にはボードを貼ったりする仕事もやっていますが、いざ伝統的な木造建築を依頼された時にはすぐに動ける心づもりでいます」

「木の家ネット会員のみなさんの建てられている家を見てすごいなと思うのは、伝統的な建物であることにとどまらず、謂わば温故知新でちゃんと自分のエッセンスを加えているところなんですよ。古いけど新しい。僕もそういう家づくりを目指しています」

「その考え方は今も昔もこれからも同じだと思います。古い家の改修を手がける際には、何十年も前の職人技に直接触れることになります。そうすると当時の大工さんもいろいろ知恵を絞って、その時々で温故知新で自分らしい仕事をしていたことがよく分かります。ということは今、僕が直したものも何十年か後に後世の大工に見られるかもしれない。そう考えると手を抜けませんし、モチベーションも上がります。素敵な職業だと思います」


「なんで今さら作業場?」

 

案内された作業場は買って約3年。建物付きの土地で数十万円。ちょうど探していた条件にぴったりだったので即決したという。まさに《捨てる神あれば拾う神あり》だ。

「錆いいでしょ。僕好きなんです」

「木の家ネットの会員の皆さん当然のように作業場を持ってらっしゃいますよね。僕も独立したら作業場を持つのが当たり前だと思っていましたが、既製品の世の中で墨付けが必要なくなくなって来ているので、木の家ネットに入会していなかったら作業場を構えようと思わなかったかもしれないです」

「手仕事をやっていない人(やめた人)からは『なんで今さら?」という感じで不思議がられましたが、やっている人からは『頑張れ!』と背中を押してもらいました」

「大工は刃物が好きじゃないとあかん。うちに来たら弟子の子もみんな替え刃禁止です」

自慢の鉋

左:倉庫を買ったときに置いてあった建具に枠をつけて事務所に設置している / 右:事務所の天井にも古材の梁が覗く

左:「これ何やと思う?」 / 中:正解はスケボーのランプ。 もちろん手仕事でつくる /
右:自慢のバイク カワサキ Z2 「家もバイクも古いのがええ」(写真提供:小松さん)


今日行くところ、ウエスタンですけどいいですか

 

作業場でスケボーのハーフパイプを作っていることにも驚いたが、この日案内してもらう建物が「ウエスタン」であると聞いてさらに驚いた。木の家ネットでは後にも先にもお目にかかれないかもしれない。

 

訪れたのは南国市にある《レザークラフト WHOL(フール)》。6年前に完成したお店だ。

小松さんと同い年で20年来の付き合いという岡林さんが、ご夫婦で経営されているお店でオリジナルレザーアイテムを1点1点ハンドメイドで製作している。また岡林さんが直接買い付けて来た、こだわりのウエスタンギアやネイティブアメリカンクラフトも所狭しと並んでいる。小松さん自身もバイク仲間とよく訪れるとのことだ。

店主の岡林さんとは同い年

日本の古材の梁がアメリカンな空間に溶け込んでいる

看板も印刷ではなく手描きの職人さんによるもの

左:無数の革の原反 / 右:開いた状態のワニ革に初めて触れた

左:ウエスタンなグッズが一面に並ぶ / 右:ハンドメイドのアクセサリー

内装の板張りの塗装は全て岡林さんご夫婦とお客さんがされたそうだ。お二人に完成当時の様子を振り返ってもらった。

岡林さん(以下 岡林) 一生に何度も経験できるようなことではないので、とてもいい経験になりました。いろんな職人さんが来られるので、間近で職人技に触れられてすごく楽しかったです。予算のない中でイメージ通りに作っていただいて大満足です。

 

小松さん(以下:小松) ウエスタンで建ててくれと言われたことは後にも先にも他にないので面白かったです。

岡林 いろんな工務店さんに聞いたんですけど、予算が厳しかったのと、どうしても西海岸風になってしまうんでですよね。

 

小松 僕も、自分の知り得るウエスタンのイメージで提案したんですけど『これねぇウエスタンなんですけど、ちょっと西海岸に近い方ですね』と言われて『えぇ~!違うの!?』と驚きました。そこから色々勉強して作り上げていきました。面白かったです。またこんなのやりたいです。

岡林 やっぱり木は味も出てきますしいいですよね。僕のやっているレザークラフトも、分野は違えど古くからある素材と技術で造るものです。木も革も不自由なんですよね。不自由の中で創り上げてゆくところに惹かれるのかも知れません。

岡林 柱の面取りだったり床の金物だったり、細かい部分まで小松さんにアイデアと職人技が光っています。

左:随所に小松さんの手仕事が光る / 右:床・壁・柱、全て高知県内産の杉を使用している

小松 隠しきれないセンスです(笑)

岡林 冗談抜きで本当にそうです!

小松 いろんなレザークラフトを見ますけど、カーヴィングは岡林くんのが1番いい。

岡林さん渾身のレザーカービングのお財布

お財布を作る岡林さん

岡林 いえいえ、まだまだです。あと10年やったもう少し上手くなるんじゃないかなと思います。僕の尊敬する職人さんは70歳でまだゴリゴリ彫ってます。下絵すら描かないんですよ。

談笑する二人はお互いの職人技を尊敬し合っている

小松 へ~!そうじゃないとあかんね。

岡林 今のうちに技術を蓄えとおかないとね。

20年来の付き合いということで阿吽の呼吸で会話が繰り広げられる。《同年代の人たちに恵まれている》という言葉だけでは片付けられない、少しずつ積み上げて来た信頼関係がそこにある。
大工とレザー。日本とアメリカ。得意とする分野はそれぞれ違うが、尊敬し合う二人の化学反応があったからこそ、この素敵なWHOLというお店が誕生したのだ。


 

次にもう一軒、思い入れのある住宅を案内していただいた。
こちらも同じく南国市内にあるE様邸。完成2014年。渡り顎構法の伝統的な木組みの日本建築でありながら小松さんのエッセンスが散りばめられている。構造材はお施主さんのこだわりで、すべて桧を使用している。

左上:左官の技の光る土佐漆喰の外壁/右上:高知県産の桧と杉がふんだんに使われている/左下:開放的な吹き抜け/右下:
内部は珪藻土仕上げ


土佐とともに、これからも。

 

⎯⎯⎯ 高知の森林率は日本一の84%と聞きました。やはり小松さんも県内産の材木をよく使ってらっしゃるのですか?
そうなんです。日本一森林県なのに外国の木を使っている場合じゃないでしょう。山に行けば昔植林された杉や檜が、いい木に育っているんです。でも切って山から降ろしても二束三文にしかならないので活用されていないんですよね。高知は森林県なのに活かし切れていないのが現実です。少なくとも自分は土佐の大工として土佐の木を使って行きたいです。

⎯⎯⎯ 高知といえば真っ青な仁淀ブルーの仁淀川をイメージする人も多いですよね。

そうですね。仁淀川のあたりはやはり山自体の手入れが行き届いているからこそ川もキレイなんです。他の山に行くとそんなところばかりではないので、やはり川も濁っています。林業は高知のこれからの課題です。

⎯⎯⎯ 高知の現状とこれからの課題について伺いましたが、小松さんご自身のこれからのビジョンを教えてください。

今、高知は石場立ての家が全然建てられていないので、どうにか建てられるようにしていきたいです。土佐漆喰や水切り瓦など、土佐の気候風土に合った伝統建築の良さがあるんですが、古き良きものを大事にするという文化があまりないのかも知れません。プレカットやハウスメーカーの家づくりに流れてしまった人手をどうにか、手で墨付けをして手で加工するというの職人技の家づくりに呼び戻したいという想いがあります。

⎯⎯⎯ 具体的にどういうことをされているんですか?

何か団結して大きいアクションを起こすというわけではありませんが、できることをコツコツ続けています。中でも土佐漆喰は本当に素晴らしい素材なので、使える時は必ず使うようにしています。塗れる左官さんも年々減っているので少しでも貢献したいですね。もちろん材木も高知の木をふんだんに使って行きたいです。

 

確かな職人技と確固たる信念で大工を続ける小松さん。しかし、その手から創り出されるのは伝統的な木造住宅からウエスタンの店舗やスケボーのランプなど、実に幅が広い。まさに《温故知新》を地で行く彼の手から次に生まれるものは、いったいどんなものだろう。


松匠建築 小松 匠(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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