本物は変わらない

山崎建築
山崎 四雄さん

半世紀近くに渡り、新潟に根差し、多くの伝統的な木造住宅や社寺仏閣を手掛ける一方、若手の育成や自身の夢など、これからの木の家づくりのあり方も探究し続けている山崎四雄さんをご紹介します。

山崎四雄(やまざきよつお・73歳)さん プロフィール
昭和23年(1948年)新潟県新潟市生まれ。山崎建築 代表。15歳で大工の道を志し27歳で独立。以来46年間、一般住宅の新築・改築から神社仏閣まで、伝統的な木造建築を軸に、木材をきちんと選び、冬あたたかく夏過ごしやすい、暮らしやすい家づくりを心がけてきた。また、新潟県立新津工業高等学校日本建築科で教壇に立つなど、若手の育成にも力を入れている。技能検定功労を称えられ令和3年春の叙勲受賞。


 

夏至の朝。空港まで迎えにきてくれたのは、アポイントメントの電話の通り、柔らかい物腰の山崎さん。「ここから作業小屋まで車で30分くらい。途中にある建てたところを何軒か見ていこう」とのご提案で案内してもらったのだが、「ここ。ここも。あとそこも。」とちょっと進んだだけで、かなりの数の手掛けられた建物を教えてもらった。すぐに飛び出していきたいところだが、「気になったところは後で見にくれば良い」と言われたので、経歴や仕事のことを伺うことにした。


やるからには本気で。

 

⎯⎯⎯ 大工の道を志された経緯を教えてください。

「小さい頃からものづくりが好きでした。親戚が大工をやっていて、中学の時から叔父のもとでアルバイトをしていました。そして15歳の時にそのまま弟子入りして12年で独立しました。20歳の時に自分の住む家を建てたんですが、ちょっと間違えて菱っぽい家ができてしまいました(笑)。仲間の左官が土を持ってきてくれて壁を塗ったんですが、あまり物ばかりを混ぜこぜに寄せ集めてきたので二度と再現できない色になりました。とにかくハングリーでしたね」

⎯⎯⎯ 独立されたきっかけや原動力は?

「ある時、自分で生きていくと心に決めたんです。独立には設備も必要だし、エネルギーもいっぱいいる。だから本気じゃなくちゃできない」

 

⎯⎯⎯ 住宅の新築・改築、それから社寺仏閣だと、どういったお仕事が多いのですか?

「住宅ばっかりだね。社寺なんかは滅多にない。この辺りに社寺だけで食ってる人はいないんじゃないかな。伝統的な木造建築をやる人自体がいないんです。みんなプレカットになっちゃって」

⎯⎯⎯ プレカットが主流だと社寺の仕事をできる人自体がいなくなってしまいますね。

「もうその流れは止められないですね。俺のとこにも大工が頼みに来る。予算や色々な都合の制約があるので、本格的なものはなかなかできない。神社仏閣の仕事が1番難しいんだけど大工である以上挑戦したいんです」

神明宮 | 平成8年(1996年)・新潟市江南区茗荷谷
46〜48歳の時に3年間かかって作ったという。彫刻は、木彫刻のまちとして知られる富山県井波の彫刻屋さんに半分依頼。半分は山崎さん自身で彫られている。

⎯⎯⎯ 手刻みでなくても手軽に建てられてしまうのが世の中の流れではありますが、逆に若い世代でそのことが本質的におかしいんじゃないかと気付いている人もいます。

「大手のハウスメーカーで建てるのと同じだけの金額を出せば、相当いい家を建てて渡せられる自信があります。今こそ、手刻みだからこそできる仕事をして、その違いがきちんと説得できるようにしていかないといけないと思います」

⎯⎯⎯ 山崎さんのもとにも、若い世代のお客さんからご依頼がありますか。

「あります。中には全く知らない人がHPを見て依頼してくれることもあるし、親御さんの家を昔建てた縁で、そのお子さんの家も建ててくれっていうことも結構あります」

半世紀近く、手刻みを続けてきた作業小屋

⎯⎯⎯ 特に思い出に残っていたり大変だった仕事はありますか?

「一年中大変ですよ。いつでも真剣勝負。今やっているのだってそう。矢代田に建てている新築の家。パッと外から見たら数寄屋の佇まいなんだけど、中に入ったら古民家の趣のある家。さらに奥の部屋は面皮柱を使った客人をもてなすための茶室。と、全く違う三つのものを一つにまとめて、それらの良さを兼ね揃えたものにしていかないとならない。これが難しいんです。でもそこが面白い」

 

⎯⎯⎯ 日々心がけていることやモットーを教えてください。

「とにかく一番は丈夫なこと。デザインはその次。使いやすくて丈夫。それが絶対条件です。そのためにはなるべく一本ものの長い木を使うのが鉄則だと思います」

⎯⎯⎯ 長年大工をされていて、どんな転機がありましたか?

「突然《この時》というはなくて、毎日暮らして毎日仕事をして、やっと今日のここへと辿り着く訳です。日々本気を出してやっていくしかないんだよね。作ったものがずっと残る訳だから、建てた数だけ責任があります。
長くやっていると『こういう作り方をすると長持ちする』とか『ここが壊れるな』とか経験を積まないと分からないことが見えてくる。本気を出して丁寧にやってても必ずどこか悪くなる。永久のものなんてありませんからね。ましてや、初めからいい加減に作るようなことは決してあってはならないことです」

ここで、山崎さんに案内していただいた住宅をいくつかご紹介。


 

新潟市江南区直り山 T邸
平成22年(2010年)頃完成。平家のおおらかな佇まいが落ち着く。

「軒周りは二丁桁で一番丈夫なつくりだと思います」と山崎さん

この梁は建て替え前の家のものを再利用したもので、大工だったTさんのおじいさんが刻んだものとのこと。

左上:案内してくれる山崎さん / 右上:自慢の庭を眺められる / 左下:随所に粋な手仕事が光る玄関 / 右下:上がり框にも素敵なあしらいが


山崎さんのご自宅
平成10年(1998年)完成。モデルハウスとしてお施主さんにも公開している。

この外壁の吹き付けの色は山崎さんいつも好んで使うもの

左上:柔らかなむくり屋根に佇む鳥の瓦。気づいた人を和ませてくれる / 右上:三角窓も山崎さんの目印だ / 左下:美しいリビングの天井 / 右下:槍鉇(やりがんな)で凹凸をつけた式台が素足に心地いい

上:玄関正面には花を生けるスペースが。お客さんの要望も多い / 左下:下駄箱には数百年前のものと思われるケヤキの埋れ木も使われている / 右下:玄関の屋久杉は屋久島で買ってきたもの

上:細やかな手仕事 / 左下:青森ヒバの床 / 右下:趣のある下地窓


新潟市江南区 K邸
平成5年(1993年)完成。「いつもなるべく派手にならないように作ろうとしている」と説明してくれた。

外壁の色と屋根裏の三角の通気口が山崎さんの目印

「こういうのが難しいんだ」と山崎さん


大工の未来のために。

 

次に、高校での取り組みやお弟子さんのことなど、次世代の担い手の育成についてのお話を伺った。
山崎さんが教壇に立つ、新潟県立新津工業高等学校の日本建築科は、新潟県が推進する「魅力ある高校づくりプロジェクト」の一環として平成24年に設置された学科。日本の伝統的な木造建築物に関わる知識と、職人の大工技術を身につけた、伝統技能を持つ技術者を育成している。

⎯⎯⎯ 新津工業高校のことを少し教えてください。

教えにいって、かれこれ約10年になります。毎年30人くらいのクラスで伝統構法の家づくりを教えています。そこから大工になるのが5〜6人。あとは上の学校にいったり建築関係の会社に入ったりしています。ここに行く前には職業訓練校でも教えていました。

⎯⎯⎯ 長年教壇に立たれていますが、どういう想いをお持ちなんですか。

想いというほどのことではないんですが、絶えたら困りますからね。伝統的な木の家を建てられる大工がいなくなるのも困るし、教える人がいなくなるのも困る。だからちょっとでも大工になりたい子の手助けになったらいいなと思って続けています。

ミーティング風景。休憩中の談笑から一転、仕事の話になると全員の顔つきが変わった

⎯⎯⎯ 山崎建築のお弟子さんたちは元々手刻みで木の家を建てたいという想いがあって弟子入りされているんですか。

そうです。元々彼らは新津工業高校の俺の生徒。だからある程度理解した上で、やってみたいと思った子が来てくれています。お互いの癖や好き嫌いなんかも最初から知っているから就職にありがちなミスマッチはありません。毎日ミーティングをしてコミュニケーションをしっかり取り、伝えたい想いや技術は日々口にしています。

⎯⎯⎯ お弟子さんたちに一言お願いします。

プロになったからには、ゆっくり作っていいってことはない。アマチュアとプロの差はそこ。何にでも言えることだけど、できるようになると楽しい。できないうちは楽しくないものです。だから楽しめるように鍛錬してください。

四人のお弟子さんからもそれぞれコメントを頂いた。

 

佐藤 良さん | さとう りょう・40歳・昭和56年(1981年)生まれ
「親父が大工だったので、小さい頃からその後ろ姿に憧れて自分も大工になろうと決めました。親方の木に対する情熱を尊敬しています。木にまっすぐ向き合い、適材適所一つひとつ吟味する姿勢を見習っていきたいなと思っています」

 

若杉 智之さん |わかすぎ ともゆき・23歳・平成10年(1998年)生まれ
第58回 技能五輪全国大会 銀賞
「子供の頃、TVで見た大工さんの仕事ぶりに惚れ込み大工になろうと思いました。親方から教わった手刻みの大工仕事をこれからもずっと続けていきたいです。いつか両親の家や自分の家を建てたいと思っています。親方は常にお客様の想いを第一に考えて仕事をされていて尊敬しています」

 

渡辺 雅空さん | わたなべ がく・19歳・平成14年(2002年)生まれ
令和元年 新潟県技能競技大会 建築大工・大工工事作業3級 優勝
「きついですけど楽しいです。小さい頃から何かものを作ったり絵を描いたりすることが好きでした。中学校の時から手刻みのできる大工になりたいと思っていました。何でもできる大工になりたいです」

 

板垣 幹さん | いたがき もとき・18歳・平成14年(2002年)生まれ
令和元年 高校生ものづくりコンテスト 木材加工部門全国大会 準優勝
「祖父と父親が大工で、自分も同じように大工になりたいなと思ってこの道に進みました。親方には高校でお世話になりましたが、もっと親方のもとで勉強したかったので弟子入りしました。自分が手伝ったものが組み上がって形になると嬉しいです。いろんなことを覚えて早く仕事に慣れるようになりたいです」


何気ない本物の家を作りたい。

 

最後に、昨今の大工を取り巻く状況と、山崎さんの今後の展望について語ってもらった。

⎯⎯⎯ ウッドショックの影響についてお話を聞かせてください。

今は一時的に市場の影響を受けるかもしれないけど、個人的には日本の木はそんなに高くならないんじゃないかと思っています。プレカットに使われているのは主に米松ですが、私たちの使っている杉の木はそもそも柔らかくてプレカットに向かないんです。ただ今後、プレカット技術が進歩していけば手刻みは敵わなくなるかもしれない。それで手刻みと同じことが出来るのなら、それはそれで構わない。そういう考えです。まぁ各人の生き方の違いなので良い悪いではないんだろうね。

 

⎯⎯⎯ 山にはいい木がたくさんあるのに、使う術がないと聞きますが。

今回の騒動で国産材が注目を浴びるようになりましたが、その生産能力を上げようにも、高齢化が進み、継ぐ人もほとんどいません。誰にその仕事を頼むんだという話ですよね。木を切る。木を下ろす。そしてまた木を植える。長い歳月とそれに付き合える人材が必要です。いくら山に豊富に木があると言っても使ってやれないのが現状だと思います。

⎯⎯⎯ 何か具体的な取り組みはありますか?

そんな林業を取り巻く状況もあり、杉山を持っている友人に協力してもらって、一貫体制で手掛けていこうと考えています。そうすれば適材適所で杉の木も選べるし、使いたい広葉樹を植えてもいい。損得勘定で考えたら良い話ではないかもしれないけど、やってみたいんだよね。これから必ず実現させていきます。

それから、間伐材を活用した大工さんでも作業できる木舞壁を考案しました。小舞を竹や葦ではなく木で作ることで左官さんだけでなく、大工でも作業しやすいようにしたものです。新津工業高校の生徒さんにも塗ってもらって扱いやすさは実証済みです。面材に使用しているのは杉の五分板で、例えば40坪の家を建てるためには丸太でおおよ三十石必要になるのですが、間伐材を活用したこの手法を多く採用してもらえれば、山を守っている人へ少しずつですが還元出来るようになります。木の家ネットの皆さんにもぜひ使ってもらいたいです。

山崎さん考案の間伐材を活用した木舞壁

⎯⎯⎯ これからの展望を教えてください。

伝統建築だからと言って、古いことに囚われすぎず、常に世の中の流れも見ていかないといけないと考えています。けど本当の本物は変わらない。今日まで本物だったものが明日突然偽物になるということはないんです。

何気ない家を作っていきたいですね。何気ない家なんだけど、車で通り過ぎてもう一回Uターンして見たくなるような家。決して派手な訳ではないんだけど、何気なく良いんだよ。しかも時間が経って古くなっても良い家。そういう家が理想です。これが難しいです。


 

《何気ない仕事》でつくる《何気ない家》。一見すると見逃してしまいそうな《突き詰められた普通》こそが、後世に残るべくして残る普遍的な本物になるのではないだろうか。聞けば聞くほどに情熱が伝わってくる一日だった。こんなに刺激的で短く感じる夏至の日は初めてかもしれない。


山崎建築 山崎 四雄(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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