一般社団法人
職人がつくる木の家ネット 事務局
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木を使って、かっこよく作ってやる。大阪・四條畷(しじょうなわて)市の木又工務店の二代目大工棟梁・誠次さんの信条だ。その仕事は木と手道具を使うことにこだわった「手づくりの家づくり」から、地元神社の被災した鳥居の復興まで多岐にわたる。木にこだわり、木を通して人を喜ばせる大工としての夢を語り、技を磨く姿に、施主さんや地元の仲間、弟子たちは信頼を寄せている。

木又工務店の2021年の大仕事は、四條畷神社の木造鳥居の建築だ。鳥居は吉野ヒノキを使い、高さ6.91メートルもの大きさ。材木も普段の民家のサイズより大きく、住宅街の幅6.3メートルの道路に建てるという初めての試みでもあった。

すっきりと美しい木造鳥居。9月19日に竣工式を迎えた

材料は吉野檜。一般的なものより長いものを使い、大迫力だ!

木又さんは少なからず不安もあったというが「建った時かっこええやろな、絶対建てたるってわくわくが勝った」と振り返る。新型コロナウイルスの流行の影響で後期は延びたものの、2021年、建前を迎えた。

この鳥居、もともとは石製だったものが2018年6月の大阪北部地震で損壊してしまい、木又さんが旗振り役となって再建にこぎつけた。神社から依頼されたわけはない。損壊後、木又さん自ら見積りをとり、1000万円借金をして吉野ヒノキを購入。本音は「丸ごと寄付できる金額やない」としつつも、神社には費用を集める氏子組織がなく、再建の声が上がらなかったことで、動き出したという。木ならば地震や風にも強く長持ちし、さらに美しいという考えもあった。

建前を終えた現在は、木又さんの心意気に感謝した神社が、再建事業の寄付金を受けることになっている。

地元を大切に思い、実際にアクションを起こす木又さん。20代で青年団を立ち上げ、この神社で「畷祭」を始め、毎年続けてきた。神輿や流しそうめんをして仲間と盛り上がることを、心底楽しんでいた。

まつりで神輿をかつぐ木又さん。笑顔がまぶしい

大切な場所が、地震により鳥居というシンボルを失った痛みは、青年団や地元全体を覆っていた。自分の力が使えるならば何とかしたいという思いが行動に移させた。実際に見積りをとったり、材木を見に行ったりするたびに、「木又が何か始めたって、なんやみんな楽しそうで、それがうれしかった」という。

「それに、地図や歴史に残る仕事なんて大工の醍醐味。自分の子どもや地元のみんなに、『この鳥居、木又が建てたんやで』って言えるやんか」と人懐っこく笑った。

木製鳥居の再建までのストーリーは木の家ネットYoutubeチャンネルでも紹介している

大工の夢を語る

四條畷市は、木又さんの父・健次さんが徳島から出てきて工務店を始めた場所。住み込みの弟子たちと寝食をともにし、作業場が遊び場だった木又さんは「大工以外の職業は考えたたことない」という。

地元の高校の建築学科を経て専門学校で設計を学んでいる時に、社寺や凝った木造建築との出会いがあった。木を手道具で美しく加工し、組み上げる。こんな仕事がしたいとほれ込んだ。設計の道へ行くか、大工の道に行くかという迷いは晴れ、木造の伝統建築に強い奈良県の梅田工務店に弟子入りを志願。当時は弟子が多く断られたものの、「無給でいいから」と頼み込み、採用された。

修業時代は、作業場の二階に住み込みで木と向き合った。少年時代から大工の働きぶりを見て、高校や専門学校で学美積み上げてきた自信は「打ちのめされた。できることが本当に少なくて。悔しいからめっちゃ努力した」と、木又さんは原点を語る。5年の修業と1年のお礼奉公ののち、地元へ帰り、木又工務店を継いだ。

現在の木又工務店の職人たち

大工としての仕事をこなしながら、「畷祭」をきっかけとした地元との絆も強まっていく日々。仲間の中には写真が得意な人やウェブページのデザインができる人もいて、木又工務店のウェブページがあっという間に立ち上がった。木又さんは、「仲間と酒飲みながら、木の仕事がしたいって語っていたことを、どんぴしゃでかっこ良く作り上げてくれた。かなり有能な営業をしてくれている」と感謝する。

ウェブページの発注には初期で60万、リニューアルで100万かけた。確実に受注にもつながっており、木又工務店はウェブからの受注が6割と半数を超えている。

ウェブページに掲載した大工道具の写真

年間の施工件数は新築が4~5件で、リフォームが20~30件となっている。施主さんの思いやこだわりを丁寧に形にすることで、愛着が持てる家を作りたいという姿勢は一貫している。

木又工務店が手掛けた家。木の美しさが際立つ

そのために、工務店に木又さんを含め6人いる大工は、技術を磨き続けることに余念がない。うち3人は木又さんが直接修行をつけた20~40代の男性。木又さんは手道具の手入れをはじめ仕事内容について「基本的にきつく言う方だと思う」と話す一方で、「いい腕になるには、いい仕事を作らな。それも親方業や」と言い切る。

愛用の手道具たち

今年の鳥居のように、大きな仕事、誰もやったことのない仕事など「俺が夢を語ると、弟子らが目輝かす時があるんや」と、大工棟梁自ら仕事に夢を持ち、ポジティブでいることの重要性を実感する。

弟子の島岡寛裕さんは、木又さんのもとで修業して9年。「親方みたいに器がでかくなりたい」と尊敬のまなざしだ。厳しさは認めつつも「わかるまで教えてくれるし、ぼくら弟子の考えも聞いてくれる」と信頼は厚い。

材木にもこだわりを見せる。構造材には国産材を使用し、仕上げには無垢の天然素材を使用するよう心がけている。

作業場に材木を保管している

材木屋に加工を依頼するのではなく、実際に原木市場に出向いて見てから取り寄せ、作業場で加工する。材木ひとつひとつにストーリーが生まれ、施主さんのこだわりを持った家づくりに応えられると考えている。値段を安く抑えることにもつながる。

材木は作業場に置き、天然乾燥させる。作業場は260坪の広さで、ただ作業をこなすのではなく、いつでも木材や機械に触れられる研鑽の場だ。弟子たちが自由に使える、学び舎としての役割を果たしている。

自由に使える作業場で腕を磨く

天然乾燥の場合、材木に乾燥ムラが出ることもあるが、そんな時は自作の乾燥機を使う。幅2.2メートル、奥行6.2メートルの箱に電気のスポットヒーターがついており、ムラの部分に点灯することで全体を整える。

「最初は、滋賀の宮内棟梁の水中乾燥がいいなって思ったんだけど、池の環境がなかったので機械をつくっちゃった」と笑う木又さん。ユニークなアイデアと、実践力が光る。

自作の乾燥機も必見

夢をかたちにしていく

現在は、「弟子にも仲間にも施主さんにも恵まれ、やりたい仕事ができている」と木又さん。7年ほど前から設計も依頼されるようになり、専門学校で学んだ知識も生きてきた。

木又工務店が設計施工した物件

しかし、最初から順風満帆なわけではなかった。修業が終わり地元に戻った時は、父の大工仕事も減少傾向で、弟子も1人しかいなかった。回ってくる仕事も、賃貸マンションのリフォームやクロス作業など、理想とする木とはほど遠い仕事だった。自分ってちっぽけ。そう思う日々だった。

「これではあかん!」と一念発起した木又さんが仕掛けたのは、なんと営業。自分で施工事例の写真を並べたパンフレットを作成し、インターネットで大阪で木造建築をやっている設計事務所を調べて「大工仕事をやらせてください」とお願いして回ったのだ。その中の一つの事務所が興味を持ってくれた。

現在も付き合いが続く、間工作舎設計事務所の小笠原絵里さんは言う。「木又さんって、言ったことを夢で終わらせずにしっかり叶えていくんですよ。信頼できるし、『次はどんなことするんだろう?』ってワクワクしながら見ています」。現在60歳の小笠原さん、「80歳まで一緒に仕事したい」と笑う。

間工作舎設計事務所が設計し、木又工務店が施工した物件

 理想とする木の仕事にしっかりと狙いを定め、現状から足りない点を洗い出し、行動を起こし、結果につなげる。「壁を壁って思わない。前どころか上向いて歩いてるんや」と大声で笑った後、「修業時代を思えばどうってことない。世の中って厳しいもんやから」と話すまなざしは、鋭かった。

木又さんが考える伝統建築とは、長い時間をかけて洗練されてきたもの。その当時流行したものに、使いやすかったり見栄えが良かったりと少しずつ変化が加えられてきた。今も進化を続けている。ただ同じ形を踏襲するだけのではないのだ。

そうなると、「現在の伝統建築も、固苦しいイメージがあるかもしれやんけど、もっとオシャレで馴染みがあるものに変えていきたい。流行りも取り入れていい」と木又さんは考え、建築雑誌を読み込み、試行錯誤しながら設計に取り組む。自然素材ももっと勉強したいと意欲は増す。

伝統と流行それぞれの良さを生かしながら両立させることを目指す

 木を使って、かっこいい大工仕事がしたい。繰り返し語ってきた夢を現実のものとした木又さんは、令和の時代の新たな夢を、描き始めている。

木又工務店 木又誠次さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、写真提供:木又工務店

● 取 材 後 記 ●

電話で話を伺った設計師の小笠原さんは、木又さんについて「ぱっと見は演歌って感じだけど、話すとジャズ」とユニークに語った。「アレンジ」「即興」など自由なイメージが、聞いてきた仕事ぶりに、重なった。
木又さんが語ってきた「木の家をつくる」という夢はこれから、もっともっと自由に、新しい音を奏でていくのだろう。

広島県福山市で社寺建築や伝統建築、古民家再生を手がけながら、そのスキルを若い職人たちに伝え、従来の木造建築の枠にとどまらない新たな可能性を切り開こうとしている野島英史さんをご紹介します。

野島英史(のじまひでふみ・45歳)さん プロフィール
昭和50年(1975年)広島県福山市生まれ。株式会社のじま家大工店 代表取締役。中学生から幼稚園児まで4人兄妹の父。15歳で大工の道を志し地元の工務店に弟子入り。20歳で岐阜県飛騨の古川町で「飛騨の匠」として10年間修行を積み社寺建築を身につけた。その後、地元福山に戻り32歳で独立し「のじま家大工店」を開業。14年目の今年、新たな試みとして「ログキャビン」を提案・発売する。


飛騨での10年を経て

 

⎯⎯⎯ 大工の道を選んだ経緯を教えてください。

「曾祖父・祖父が大工でした。祖父母に育てられたこともあり、子供の頃から大工になりたいと思っていました。私が物心がついた頃には、祖父は現役を引退し毎日縁側で仏像を彫っていました。ですので「大工=彫り物もするものだ」という概念が幼い自分の体験にあったので、社寺建築を志すようになりました」

⎯⎯⎯ ターニングポイントをお聞きしたいのですが、飛騨での10年間で何か大きな節目はありましたか?

「飛騨に行こうと決めた時点で、社寺建築を中心とした伝統建築の方向を生業にしようと心に決めていました。古川町は大工職人の町として有名で、町内のいろんな工務店に同世代の大工が14人くらいいました。彼らとはみんなライバル同士なので、とにかく負けたくなくて切磋琢磨しながら一生懸命やっていましたね」

⎯⎯⎯ 今も社寺に携わることが多いですか?

「いえ、今はそんなことはありません。文化財の修復なども手掛けますが、古民家再生や住宅の新築もまんべんなく手掛けています」

⎯⎯⎯ それから「ログキャビン」を販売されるそうですが、とても面白そうですね。お話を聞かせてもらえますか?

「もちろんです!」


 

新提案 DIY型ログキャビン【やまとCHAYA】

今年後半、野島さん考案のDIY型ログキャビン【やまとCHAYA】が製造・販売になる。
住宅とは異なる空間を手軽に楽しめる【やまとCHAYA】は、伝統的な木組みの技術「扠首(さす)」を取り入れることで、一般の方でも組み立てが可能。縄文時代の竪穴式住居を模したデザインで、日本古来の大和比(白銀比)で設計しているのが特徴だ。希望に応じて、オリジナルキャビンの製造や、テラスの追加などオプション対応もする。余分なものを取り除いたミニマムな住まいでありながら、使う人の感性を取り入れられる空間で自然を楽しむことができる。

 

⎯⎯⎯ 新たに考案された【やまとCHAYA】について詳しく教えてください。

「ひとりでも多くの方に木の香り・自然とのふれあい・家族の絆を楽しみ、深めていただくきっかけになればと思い考案しました。自ら組み上げ、自分だけの場所、また家族と共に楽しめる場所にしていってもらいたいですね。またこの辺りだと【瀬戸内しまなみ街道】があるので周辺の観光地や農園、キャンプ場などへの設置が向いているかな思っています」

 

⎯⎯⎯ DIY型ということですが、どのような工夫が施されているのですか?

「全て、込み栓(柱と土台、柱と桁などの仕口を固定するための、2材を貫いて横から打ち込む堅木材)を使って作ることも考えましたが、一般の方が作りやすいように組み木を味わえる部分を残しながら、ボルトで締める安心感を両立させました」

組み木とボルト締めで作り上げていく

屋根が低い位置まであり軒も出ているので、ほぼ日差しを遮ることができる。壁なしにすれば風もよく通るので、あずまやとしても打って付けだ。

⎯⎯⎯ 木材は何を使われていますか?

「県内産ヒノキの天然乾燥材を使用しています。風雨に晒されるものなので半年以上乾燥させた強度のある材木を使用するため、年間20棟限定での販売を考えています。また、屋根は杉材を土居葺(通常だと瓦葺きの下地となるもの)にしたものです。この屋根が一番時間のかかる部分だと思います。プロで3日かかりました。やりがいは相当あると思います」

使い方に想いを馳せる野島さん

⎯⎯⎯ これは相当楽しめそうですね。職人さんたちの評判はどうですか?

「職人たちも楽しんでやってくれています。お客様向けに、木に触れること自体を味わったり、ここでの体験を提供したいと考えているのと同時に、職人自身が普段の仕事以外で楽しみながら取り組めるめるものを作りたかったんです」

⎯⎯⎯ これからの展望を一言お願いします。

「これからの時代は、ネットでもリアルでも販路を開拓していかないと、続いていかない考えています。地元だけではなくて、日本だけでもなくて、世界に目を向けていかなければなりません。【やまとCHAYA】が、日本の伝統建築の技術と世界のお客さんとを結ぶ架け橋になって欲しいですね」

「今後、人口減少と共に家を建てる人がどんどん減ってきます。その中で、大きな家だけではなく【やまとCHAYA】のような手軽に建てられるものに、木組みや伝統建築のエッセンスを加えることで、ニッチな層だけでなく幅広いお客さんに「木とともに生活すること=持続的な暮らしを実践し受け継ぐこと」に興味を持ってもらいたいです」

⎯⎯⎯ ということは販売は日本中、ひいては世界中を視野に入れているんですね?

「そうですね。めっちゃ世界中に持って行きたい。『お前どうやって持っていくんだ!?』という話にはなるんですけど、そこは夢ですから。具体的な障壁は一つひとつクリアしていって楽しめるんじゃないかなと考えています。何に対してでも楽しんで、もっともっと視野を拡げていったらいいんじゃないかなと思います」

やまとCHAYA 施工風景

水平レベルを出すのが難しいので取っ掛かりは出張作業が必要。

木組み、屋根とシンボリックな形が姿を現してきた。テラス部分はオプションで予価50万円。床もテラスも含めると200万円程度を想定している。

左:床を張る職人さん / 中:「壁なしのこの状態が一番かっこいい!アクリルを貼ってスケルトンにしても面白そう(野島さん)」 / 杉材の土居葺


現場への指示を遠隔でささっと行う野島さん

宣言「わしは現場には出ん!」

 

⎯⎯⎯ 野島さんは今は現場からは離れてらっしゃると伺っています。どのように仕事を進めているのか教えてください。

「今、のじま家大工店では、20代が1人、30代が2人、40代が2人の合計5人の大工職人で現場を回しています。あとは要所要所で外部の職人さんに応援を頼んでいます」

「現場自体は棟梁に任せていて、重要な決定は私がするというスタイルになっています。あとは社長業であったり、これからのことを考え、舵を切っていくような役割をしています」

 

「私が現場へ出て行かない方がいいんです(笑)。私は昔のタイプの人間なので、職人の仕事ぶりについ口を挟んで余計なことを言ってしまうので。。今後のことを考えるとそれじゃあマズいなと思い、数年前の法人登録を機に『ワシは現場には出ん!』と宣言しました。任せて良かったと思います。職人たちも自分で考えるようになってどんどん伸びていっています」

⎯⎯⎯ 経営者ならではの醍醐味や逆に苦労している点はありますか?

「自分が経営者になるとは思ってなかったんです。立場上、人の前でいろいろと話をする機会が出てきますよね。でも元々そういうのが苦手で、黙々と大工をしていたくてこの道に進んだんです。だから正直辛いんです(笑)。あと、職人や棟梁として現場に入っていると完成した時に「できたー!」という達成感が大きいですが、今の関わり方だとそれが味わえません。そこは職人がうらやましいですね。しかし、みんなが自分のところに集まってくれて、同じ方向を向いて取り組んでくれていることが嬉しいですし、やりがいを感じます」

⎯⎯⎯ 「ベテランの大工さんと若い子は居るけど、働き盛りの30~40代の大工さんがいない。世代間の色々な溝を埋めるのが大変」という話をよく聞きます。野島さんのところでは関係なさそうですね。

「そうですね。もちろん、うちにも以前はベテラン大工が来てくれていました。今は主力となっている40代の大工が技術は概ね身につけているので、問題なく仕事はこなせています」

 

⎯⎯⎯ 皆さん、正社員なんですか?

「昔は終身雇用にしていましたが今はやめました。育ってきたら独立しやすい環境にしてあげた方が、各地にネットワークを作ることができてお互いにメリットがあると考えています。これからますます仕事も暮らしも多様化していきますからね」

⎯⎯⎯ 今話されたような考え方やビジョンなどは職人さんたちにも伝えているんですか?

「はい、伝えています。本人の希望でずっとうちに居たい人には、うちのやり方をしっかり教えます。逆に、例えば独立して経営者になりたい人に対しては、経営者の集う団体の会などにも一緒に参加して、必要なノウハウを教えています」

⎯⎯⎯ 基本となる大工技術がしっかりあってこそ、立ち振る舞いや考え方が重要になってくるんですね。のじま家大工店ならではの技術や強みとはどういったものでしょうか。

「古民家再生や普通の伝統構法も得意としていますが、ちょっと変わった建て方もしています。例えば、これは120mm角の材木で構成する建物で、ハシゴ状に組み上げていって材料が少なくても粘りと強度を持たせることができます。また大きな材料を使わなくて済むので斜面にも建てることができますし、材料の無駄も少ないです。大きな梁の建物も好きですが、この方法だと立体的で強度もあり、見た目も美しいので気に入っています」

120mm角の材木で構成された独特な木組み 写真提供:野島さん

のじま家大工店の礎となる古民家再生と伝統構法の事例を一件ずつご紹介します。


 

広島県福山市 M様邸 「囲炉裏のある家」

2019年完成。飛騨での経験を買われ「飛騨っぽい家をつくって欲しい」と施主のMさんからのご依頼。「理想の家を建てる大工を見つけるのに40年かかった」と言わしめたそうだ。当時30代後半だった大工が手刻みを志して1年で棟梁を務めた。

左:木部の塗装は古色仕上げ(ベンガラ・硝煙・柿渋)/ 中:赤漆に八角形の窓が特徴的だ / 右:左官さんこだわりの粋な意匠

囲炉裏を中心に設計された空間。使用している材木は広島県内産の桧と松。部位によっては杉も使っている。

M様邸の写真すべて:©︎Atelier Hue 田原康丞


 

広島県福山市 臨済宗建仁寺派 神勝禅寺

含空院(茶房)
2014年竣工。この現場を最後に野島さんは現場を離れた。滋賀県 臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物。元々は永和3年(1377年)考槃庵の名で建立され、当時の建物は永禄6年(1563年)に焼失。正保4年(1647年)に再興されて以来、歴代住持の住居及び修行僧の研鑽の場だったそうだ。移築に際しては天井裏の炭に到るまで持って帰り、解体は実に3ヶ月を要したとのこと。

破風:昭和の時代の増築のため、なくなっていた部分。建築当時の元来の姿を再現した。

上:心地よい風が吹き抜ける縁側 / 左:中からの眺めも素晴らしい / 右:今は茶房として湯豆腐やかき氷などを提供している

当時を振り返りながら、丁寧に説明してくれる野島さん

「古民家再生においては、古いままの状態を可能な限り忠実に再現・表現することが、のじま家大工店の得意とするところなんです。ボロボロだったところも修復して使えるようにしています(野島さん)」

戸袋:左がオリジナルで、右が野島さんが再現したもの。「柿渋を塗って色合わせには気を使いました。なるべく忠実に再現しています(野島さん)」

天井は浮造り仕上げ(うづくりしあげ:木の板・柱などの柔らかい部分を磨きながら削ぎ落として木目を浮き上がらせる仕上げ)になっていたので、全て番付して持って帰って浮造りし直した

左:柿渋の6回塗りの床 / 右:柿渋の10回塗りの床はさらに深い色合いだ

左:聚楽壁(じゅらくへき:京都西陣にある聚楽第跡地付近で産出された「聚楽土」に、藁・麻・スサ・砂・水などを混ぜ合わせた土壁):霧吹きで浮かせ、仕上げ・中塗り・荒壁と分けて持って帰り再現している / 右:この壁も同じく、霧吹きで浮かせて剥がして巻いて持って帰ったもの。「移築前のそのままのものです(野島さん)」

左:古い木材と馴染ませるために、新しい木材にはカンナを掛けた後に浮造りをして凹凸を出している。 / 右:敷居も丁寧に直して再び使えるようにしている

 

「傷んでしまって『こんなの使えるのか?』というようなものでも、新しいものと組み合わせて馴染ませてやったら息を吹き返しますよね。そこが古民家再生のいいところだと思います」


鐘楼

 

神勝寺で最初のしごとがこの鐘楼。山の頂上にあったものを4トン車で降ろして移築した。

懸魚(げぎょ:屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾り)は反対側のものを忠実に再現する形で野島さんが彫ったそうだ。


慈正庵

 

こちらも2014年に移築を担当。

「小さいお堂だけど、当時の職人の技術が詰まっています。手鋸しかない時代によくここまで細かい細工ができたものだと感心しました」


⎯⎯⎯ 最後に大切にしていること、これから大工を志す人へのメッセージをお願いします。

「楽しめる職場・楽しめる仕事 をモットーにしています。どれだけ仕事を楽しめるか。どれだけ木を愛せるか。もうそれだけだと思います。気合や根性でどうこうなる時代ではないです。これからの時代を生き抜いていくためには、大工技術だけではなく人間性や交渉力など様々なことを身につけていかなければならないと考えています。技術だけでは舐められてしまいます。身につけた技術を十二分に活かして生きていって欲しいですね」

 

今回の取材では、ログキャビン【やまとCHAYA】についての話をメインにしようと予定していましたが、そこまでに至るまでの経緯を聞いていくうちに、確固たる技術と経営手腕に裏打ちされたビジョンこそが、野島さんのつくり出すものを成形しているのだと感じました。「これから先、どれだけ楽しみ、どれだけ木を愛せるか」と未来を語る時の野島さんは一際かっこいい。


株式会社のじま家大工店 野島英史(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

梅雨の合間のよく晴れた日、「あゆみ大工」の坪内一雅(つぼうちかずまさ)さんの元を訪れた。場所は長野県南信州・上伊那郡中川村。新緑と田植えの水面が輝き、日本の原風景が広がる自然豊かな土地だ。

山脈に囲まれた一面の田園風景。坪内さんの田んぼでも田植えをしていた。

坪内さんは愛知県出身で県内の大学を卒業し、設計事務所に3年間務めた後、品川の技専で木工を学ぶ。「デスクワークよりも現場の方に魅力を感じた」という坪内さんは、やるからには日本の伝統的な建て方をしているところで働きたいと思い、名棟梁・田中文男さんのもとで5年間修行を積む。その後いくつかの会社で経験を重ねた後、長女が小6の時に一念発起。母親が暮らす長野へ移り住んだそうだ。

「このタイミングを逃すとずっと親の面倒を見れなくなるので。もちろん不安もあったんですが、伊那には大工塾の同期の知人がいたり、応援してくれる人もいたので後押しになりました。」

そう振り返る坪内さんだが、今では地元で「あゆみさん」と慕われ、とても忙しく仕事をしている。「あゆみ大工」という屋号になった所以が気になったので尋ねてみた。

「大工になる前から“歩くこと”に縁があり、仕事をする上でも走るのではなく、一歩一歩歩んでいきたいと思ったんです。また漢字で“歩み”と書くよりも、ひらがなの“あゆみ”と書く方が優しい感じがします。この読みにはこの漢字と言う風に、枠に嵌めて決め込んだり、何かに執着するのは自分の感覚とは違うなと思っています。「いいかげん」ではなく「良い加減」と言うのが私のモットーなんです。あまり執着すると生き方に壁を作っちゃうなぁと思い、伝統的なものだけにこだわり過ぎず、いろんなことをやっています。その方が〝とんち〟が効くんです。」

左:奥さんが田植えをしている最中だった 右:除草のために借りている「レンタルやぎ」

「良い加減」で、とんちを効かせながら仕事をされる坪内さん。その仕事ぶりがわかるセルフリノベーションの事例を紹介する。


自分が関わることで救える家がある

訪れたのは、伊那市東春近にあるSさんのお宅。小さく見えていたむくり屋根が、車で近づくに連れて徐々に大きく見えてきて、期待も膨らむ。ここは元々茅葺き屋根だった築150年の由緒ある古民家をSさんが2012年に取得した物件で、坪内さんはよろび起こし(傾きを直すこと)や根継ぎ(柱や土台の腐った部分を取り除き、新しい木で継ぎ足すこと)、屋根の補修など、建物として維持させるための改修を担当し、内装の造作などは施主のSさん自身が少しずつセルフリノベーションで改修しながら暮らしている。ちなみに土壁はSさんがワークショップを開催して一般の方と一緒に仕上げたそうで、そういった家の改修や伊那谷での生活の様子をブログ「伊那谷の古民家再生」で公開しており人気を博しているそうだ。

左:改修前の茅葺き屋根の様子(写真はSさん提供) 中:元々の茅葺き屋根を新しい屋根が覆っている 右:改修した屋根の間を覗くと当時の状態がそのまま分かる

改修前はいたるところが朽ち、屋根にいたっては茅が腐って落ちてしまっている場所もあったので、雨漏りがしていたり、柱が腐っていたりと、とてもそのままでは住めるような状態ではなかったという。改修にあたり、何件か他の大工さんにも声をかけたが、目に入った瞬間に「やめておいた方がいい」と言われたとのこと。そんな中、坪内さんは土間の立派な梁を見て「いや、絶対直るし綺麗になるよ。やりましょう!」と改修を勧めたそうだ。

「雨漏りや歪みの問題、住んでいた人の考え、環境の変化など、様々な要因によって倒されてしまう家があります。中にはここのような素晴らしい立派な建物がいっぱある。その家を自分が関わることによって救うことができれば、『よかったなぁ』と純粋にうれしいです。お金に換えられえない達成感があります。」

そんな想いで取り組んだS邸の仕事で一番心に残っているのはどこなのか尋ねたところ、一番大変で、且つ一番やりがいがあったという屋根の改修について語ってくれた。

新しい屋根の下から茅葺き屋根が顔を覗かせる

「この屋根を合理的に直すなら茅葺き屋根を取っ払って普通の屋根にすれば良いのですが、せっかくの貴重な建物ですので、元の面影を残す形で「むくらせたいな」と思いました。なるべくお金をかけずにできる方法はないかといろんな人に聞いて回って、「むくり屋根」の再現を試みました。特に大変だったのは、雨漏りで材の仕口(柱や梁の接合部)が腐って失くなっている箇所の修復ですね。エポシキ樹脂の接着剤と5㎜角の材木を集成し、接着材が乾いたら整形するという工程を2~3回繰り返して形にしました。また軒先が垂れている部分は桔木(はねぎ:屋根裏に取り付ける材で、テコの原理を利用して軒先をはね上げるようにして支える)を入れて直しました。イメージ通りふんわりした印象に仕上がり、手間をかけた甲斐がありました。」

坪内さんは「家を救いたい」そして「家を救おうとしているお施主さんの手助けをしたい」という想いを胸に、心を込めてセルフリノベーション・セルフビルドの仕事をしている。

腐っていた柱は根継ぎし、さらに添え木をするなどして修復している

左:石場建ての間にモルタル・ワラ・土を混ぜたものを入れている 中:Sさん自身で塗ったいう「拭き漆」 右:室内の造作に名家の面影が残る


参加型の家づくりは、その家への愛着を育む

次に紹介するのは駒ヶ根市赤穂にあるM夫妻所有の住宅。こちらのもセルフリノベーションにて絶賛改修中だ。M夫妻の自宅横で奥さんのおじいさんが住まわれていた明治時代のもので、改修後は民泊として貸し出す予定になっている。坪内さんとM夫妻が3人揃って作業に当たるのは週に2日。その日に技術的なことをレクチャーしたり、疑問点を解決したり、相談したり、コミュニケーションを取りながら作業を進め、残りの日はM夫妻のペースでじっくりと作り上げていっている。

笑顔の絶えない現場でのやりとり

「中には『大工の作品に素人の手が入るなんて邪道だ』とお叱りになる方もいるかもしれないですが、家というものは自分の作品である前に、お施主さんのものなので、ご本人に家に対して愛着を持ってもらいたい。その方法として楽しんで創り上げてゆく参加型の家づくりはベストだと思っています。」

そう断言する坪内さん。M夫妻との笑顔の絶えないやりとりを見ていると、「確かにそうだ」と納得した。

建てられた当時から残る土壁の下地には「竹小舞」ではなく、葦を束ねた「葦小舞」が使われていた

左:Mさんのアイデアでコーヒーガラを入れた漆喰
中:床にはサクラ・ケヤキ・アカマツ・カラマツ・クリ・ツガ(トガ)の6種の木を使用/写真はMさん提供
右:通常のストーブではなくペチカを設置している

「人との関係を大切にしたい」という坪内さん。着実に素晴らしい関係を築いている。


伝統から学び、伝統に溺れず

最後に紹介するのは、電子部品などを製造しているK社さんにて、異業種の人たちと共に進めている実験的なプロジェクトだ。間伐材を使ったビニールハウスで、鉄の柱よりも木の柱の方が作物の育成に良いのだとか。あまり詳しくは語れないが「今後の展開に乞うご期待」とのことだ。

伝統的な日本家屋の仕事だけに執われることなく、どんどん新しいことにチャレンジしている坪内さん。伝統をしっかりと学び経験を積んできたからこそ、新しいことに対しても「とんち」を効かせた柔軟な発想で向き合うことができるのではないだろうか。


そろそろ定年? いや、まだまだこれからだよ。

いつも朗らかな坪内さんだが、会話が弾み建築業界の話題に話が及んだ時、笑顔の合間に真剣な眼差しを垣間見る瞬間があった。

「引っ越して来たばかりの時は当然仕事もなかったので、ハウスメーカーの仕事も手掛けていたんですが、やってみてやっぱり面白くないんですよね。『こんなことをやるために大工になったんじゃない』と思い8ヶ月ほどで辞めました。でもいろんな想いを胸にやっている人がいます。組立工と化していて数をこなさなければならず、暇もなく骨身を削り頑張っているんです。それを喜びに変えるには相当なモチベーションが必要だと察します。日本の建築はおかしいぞと感じますね。」

「もっとおかしいなと思っているのはプレカット。在来工法でプレカットと手刻みで相見積もりを取られたら、普通のお客さんはやっぱりプレカットを選択しますよね。そりゃ安い方がいいに決まってますから。見積もりを並べられて『この金額で削れるか』みたいな話になっちゃう。そこはどうにかならないものかと思います。例えば行政から助成金が出るとか、何かしら職人を残していく方法が必要だと考えています。やっぱり大工というものは、実際に刻まないといろんなことがわからない。手で刻んだか刻んでいないかで建前の意気込みも全く違うはずです。」

さらに続ける表情に、またいつもの柔らかい笑顔が現れた。

「一方で、もちろん価値をわかってくれる人も必ずいるので、そういう『ぜひ刻みで建ててください』というお施主さんを捕まえなきゃいけないなとも思ってます。まだ自分がそういうステージに上がれていないのかもしれないので、世の中を悪く言うんじゃなくて、自分のことをよく見なきゃいけないですね。『いい年でそろそろ定年なのによく言うね』みたいな声も聞こえてきそうだけど『いや、まだまだこれからだよ』という意識もあります。」

坪内さんの言う「良い加減」とは物事を真剣に見つめ、そこにある理想と現実を把握してどちらかに寄り過ぎることなく、地に足をつけて一つずつきちんと解決して行くことだと感じた。そこが坪内さんの魅力であり、あゆみ大工の魅力なのだろう。

坪内さんは今日も一歩一歩、長野の地を踏みしめながら大工という仕事に向き合っている。


あゆみ大工 坪内 一雅 (つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

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