一般社団法人
職人がつくる木の家ネット 事務局
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木を使って、かっこよく作ってやる。大阪・四條畷(しじょうなわて)市の木又工務店の二代目大工棟梁・誠次さんの信条だ。その仕事は木と手道具を使うことにこだわった「手づくりの家づくり」から、地元神社の被災した鳥居の復興まで多岐にわたる。木にこだわり、木を通して人を喜ばせる大工としての夢を語り、技を磨く姿に、施主さんや地元の仲間、弟子たちは信頼を寄せている。

木又工務店の2021年の大仕事は、四條畷神社の木造鳥居の建築だ。鳥居は吉野ヒノキを使い、高さ6.91メートルもの大きさ。材木も普段の民家のサイズより大きく、住宅街の幅6.3メートルの道路に建てるという初めての試みでもあった。

すっきりと美しい木造鳥居。9月19日に竣工式を迎えた

材料は吉野檜。一般的なものより長いものを使い、大迫力だ!

木又さんは少なからず不安もあったというが「建った時かっこええやろな、絶対建てたるってわくわくが勝った」と振り返る。新型コロナウイルスの流行の影響で後期は延びたものの、2021年、建前を迎えた。

この鳥居、もともとは石製だったものが2018年6月の大阪北部地震で損壊してしまい、木又さんが旗振り役となって再建にこぎつけた。神社から依頼されたわけはない。損壊後、木又さん自ら見積りをとり、1000万円借金をして吉野ヒノキを購入。本音は「丸ごと寄付できる金額やない」としつつも、神社には費用を集める氏子組織がなく、再建の声が上がらなかったことで、動き出したという。木ならば地震や風にも強く長持ちし、さらに美しいという考えもあった。

建前を終えた現在は、木又さんの心意気に感謝した神社が、再建事業の寄付金を受けることになっている。

地元を大切に思い、実際にアクションを起こす木又さん。20代で青年団を立ち上げ、この神社で「畷祭」を始め、毎年続けてきた。神輿や流しそうめんをして仲間と盛り上がることを、心底楽しんでいた。

まつりで神輿をかつぐ木又さん。笑顔がまぶしい

大切な場所が、地震により鳥居というシンボルを失った痛みは、青年団や地元全体を覆っていた。自分の力が使えるならば何とかしたいという思いが行動に移させた。実際に見積りをとったり、材木を見に行ったりするたびに、「木又が何か始めたって、なんやみんな楽しそうで、それがうれしかった」という。

「それに、地図や歴史に残る仕事なんて大工の醍醐味。自分の子どもや地元のみんなに、『この鳥居、木又が建てたんやで』って言えるやんか」と人懐っこく笑った。

木製鳥居の再建までのストーリーは木の家ネットYoutubeチャンネルでも紹介している

大工の夢を語る

四條畷市は、木又さんの父・健次さんが徳島から出てきて工務店を始めた場所。住み込みの弟子たちと寝食をともにし、作業場が遊び場だった木又さんは「大工以外の職業は考えたたことない」という。

地元の高校の建築学科を経て専門学校で設計を学んでいる時に、社寺や凝った木造建築との出会いがあった。木を手道具で美しく加工し、組み上げる。こんな仕事がしたいとほれ込んだ。設計の道へ行くか、大工の道に行くかという迷いは晴れ、木造の伝統建築に強い奈良県の梅田工務店に弟子入りを志願。当時は弟子が多く断られたものの、「無給でいいから」と頼み込み、採用された。

修業時代は、作業場の二階に住み込みで木と向き合った。少年時代から大工の働きぶりを見て、高校や専門学校で学美積み上げてきた自信は「打ちのめされた。できることが本当に少なくて。悔しいからめっちゃ努力した」と、木又さんは原点を語る。5年の修業と1年のお礼奉公ののち、地元へ帰り、木又工務店を継いだ。

現在の木又工務店の職人たち

大工としての仕事をこなしながら、「畷祭」をきっかけとした地元との絆も強まっていく日々。仲間の中には写真が得意な人やウェブページのデザインができる人もいて、木又工務店のウェブページがあっという間に立ち上がった。木又さんは、「仲間と酒飲みながら、木の仕事がしたいって語っていたことを、どんぴしゃでかっこ良く作り上げてくれた。かなり有能な営業をしてくれている」と感謝する。

ウェブページの発注には初期で60万、リニューアルで100万かけた。確実に受注にもつながっており、木又工務店はウェブからの受注が6割と半数を超えている。

ウェブページに掲載した大工道具の写真

年間の施工件数は新築が4~5件で、リフォームが20~30件となっている。施主さんの思いやこだわりを丁寧に形にすることで、愛着が持てる家を作りたいという姿勢は一貫している。

木又工務店が手掛けた家。木の美しさが際立つ

そのために、工務店に木又さんを含め6人いる大工は、技術を磨き続けることに余念がない。うち3人は木又さんが直接修行をつけた20~40代の男性。木又さんは手道具の手入れをはじめ仕事内容について「基本的にきつく言う方だと思う」と話す一方で、「いい腕になるには、いい仕事を作らな。それも親方業や」と言い切る。

愛用の手道具たち

今年の鳥居のように、大きな仕事、誰もやったことのない仕事など「俺が夢を語ると、弟子らが目輝かす時があるんや」と、大工棟梁自ら仕事に夢を持ち、ポジティブでいることの重要性を実感する。

弟子の島岡寛裕さんは、木又さんのもとで修業して9年。「親方みたいに器がでかくなりたい」と尊敬のまなざしだ。厳しさは認めつつも「わかるまで教えてくれるし、ぼくら弟子の考えも聞いてくれる」と信頼は厚い。

材木にもこだわりを見せる。構造材には国産材を使用し、仕上げには無垢の天然素材を使用するよう心がけている。

作業場に材木を保管している

材木屋に加工を依頼するのではなく、実際に原木市場に出向いて見てから取り寄せ、作業場で加工する。材木ひとつひとつにストーリーが生まれ、施主さんのこだわりを持った家づくりに応えられると考えている。値段を安く抑えることにもつながる。

材木は作業場に置き、天然乾燥させる。作業場は260坪の広さで、ただ作業をこなすのではなく、いつでも木材や機械に触れられる研鑽の場だ。弟子たちが自由に使える、学び舎としての役割を果たしている。

自由に使える作業場で腕を磨く

天然乾燥の場合、材木に乾燥ムラが出ることもあるが、そんな時は自作の乾燥機を使う。幅2.2メートル、奥行6.2メートルの箱に電気のスポットヒーターがついており、ムラの部分に点灯することで全体を整える。

「最初は、滋賀の宮内棟梁の水中乾燥がいいなって思ったんだけど、池の環境がなかったので機械をつくっちゃった」と笑う木又さん。ユニークなアイデアと、実践力が光る。

自作の乾燥機も必見

夢をかたちにしていく

現在は、「弟子にも仲間にも施主さんにも恵まれ、やりたい仕事ができている」と木又さん。7年ほど前から設計も依頼されるようになり、専門学校で学んだ知識も生きてきた。

木又工務店が設計施工した物件

しかし、最初から順風満帆なわけではなかった。修業が終わり地元に戻った時は、父の大工仕事も減少傾向で、弟子も1人しかいなかった。回ってくる仕事も、賃貸マンションのリフォームやクロス作業など、理想とする木とはほど遠い仕事だった。自分ってちっぽけ。そう思う日々だった。

「これではあかん!」と一念発起した木又さんが仕掛けたのは、なんと営業。自分で施工事例の写真を並べたパンフレットを作成し、インターネットで大阪で木造建築をやっている設計事務所を調べて「大工仕事をやらせてください」とお願いして回ったのだ。その中の一つの事務所が興味を持ってくれた。

現在も付き合いが続く、間工作舎設計事務所の小笠原絵里さんは言う。「木又さんって、言ったことを夢で終わらせずにしっかり叶えていくんですよ。信頼できるし、『次はどんなことするんだろう?』ってワクワクしながら見ています」。現在60歳の小笠原さん、「80歳まで一緒に仕事したい」と笑う。

間工作舎設計事務所が設計し、木又工務店が施工した物件

 理想とする木の仕事にしっかりと狙いを定め、現状から足りない点を洗い出し、行動を起こし、結果につなげる。「壁を壁って思わない。前どころか上向いて歩いてるんや」と大声で笑った後、「修業時代を思えばどうってことない。世の中って厳しいもんやから」と話すまなざしは、鋭かった。

木又さんが考える伝統建築とは、長い時間をかけて洗練されてきたもの。その当時流行したものに、使いやすかったり見栄えが良かったりと少しずつ変化が加えられてきた。今も進化を続けている。ただ同じ形を踏襲するだけのではないのだ。

そうなると、「現在の伝統建築も、固苦しいイメージがあるかもしれやんけど、もっとオシャレで馴染みがあるものに変えていきたい。流行りも取り入れていい」と木又さんは考え、建築雑誌を読み込み、試行錯誤しながら設計に取り組む。自然素材ももっと勉強したいと意欲は増す。

伝統と流行それぞれの良さを生かしながら両立させることを目指す

 木を使って、かっこいい大工仕事がしたい。繰り返し語ってきた夢を現実のものとした木又さんは、令和の時代の新たな夢を、描き始めている。

木又工務店 木又誠次さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、写真提供:木又工務店

● 取 材 後 記 ●

電話で話を伺った設計師の小笠原さんは、木又さんについて「ぱっと見は演歌って感じだけど、話すとジャズ」とユニークに語った。「アレンジ」「即興」など自由なイメージが、聞いてきた仕事ぶりに、重なった。
木又さんが語ってきた「木の家をつくる」という夢はこれから、もっともっと自由に、新しい音を奏でていくのだろう。

広島県福山市で社寺建築や伝統建築、古民家再生を手がけながら、そのスキルを若い職人たちに伝え、従来の木造建築の枠にとどまらない新たな可能性を切り開こうとしている野島英史さんをご紹介します。

野島英史(のじまひでふみ・45歳)さん プロフィール
昭和50年(1975年)広島県福山市生まれ。株式会社のじま家大工店 代表取締役。中学生から幼稚園児まで4人兄妹の父。15歳で大工の道を志し地元の工務店に弟子入り。20歳で岐阜県飛騨の古川町で「飛騨の匠」として10年間修行を積み社寺建築を身につけた。その後、地元福山に戻り32歳で独立し「のじま家大工店」を開業。14年目の今年、新たな試みとして「ログキャビン」を提案・発売する。


飛騨での10年を経て

 

⎯⎯⎯ 大工の道を選んだ経緯を教えてください。

「曾祖父・祖父が大工でした。祖父母に育てられたこともあり、子供の頃から大工になりたいと思っていました。私が物心がついた頃には、祖父は現役を引退し毎日縁側で仏像を彫っていました。ですので「大工=彫り物もするものだ」という概念が幼い自分の体験にあったので、社寺建築を志すようになりました」

⎯⎯⎯ ターニングポイントをお聞きしたいのですが、飛騨での10年間で何か大きな節目はありましたか?

「飛騨に行こうと決めた時点で、社寺建築を中心とした伝統建築の方向を生業にしようと心に決めていました。古川町は大工職人の町として有名で、町内のいろんな工務店に同世代の大工が14人くらいいました。彼らとはみんなライバル同士なので、とにかく負けたくなくて切磋琢磨しながら一生懸命やっていましたね」

⎯⎯⎯ 今も社寺に携わることが多いですか?

「いえ、今はそんなことはありません。文化財の修復なども手掛けますが、古民家再生や住宅の新築もまんべんなく手掛けています」

⎯⎯⎯ それから「ログキャビン」を販売されるそうですが、とても面白そうですね。お話を聞かせてもらえますか?

「もちろんです!」


 

新提案 DIY型ログキャビン【やまとCHAYA】

今年後半、野島さん考案のDIY型ログキャビン【やまとCHAYA】が製造・販売になる。
住宅とは異なる空間を手軽に楽しめる【やまとCHAYA】は、伝統的な木組みの技術「扠首(さす)」を取り入れることで、一般の方でも組み立てが可能。縄文時代の竪穴式住居を模したデザインで、日本古来の大和比(白銀比)で設計しているのが特徴だ。希望に応じて、オリジナルキャビンの製造や、テラスの追加などオプション対応もする。余分なものを取り除いたミニマムな住まいでありながら、使う人の感性を取り入れられる空間で自然を楽しむことができる。

 

⎯⎯⎯ 新たに考案された【やまとCHAYA】について詳しく教えてください。

「ひとりでも多くの方に木の香り・自然とのふれあい・家族の絆を楽しみ、深めていただくきっかけになればと思い考案しました。自ら組み上げ、自分だけの場所、また家族と共に楽しめる場所にしていってもらいたいですね。またこの辺りだと【瀬戸内しまなみ街道】があるので周辺の観光地や農園、キャンプ場などへの設置が向いているかな思っています」

 

⎯⎯⎯ DIY型ということですが、どのような工夫が施されているのですか?

「全て、込み栓(柱と土台、柱と桁などの仕口を固定するための、2材を貫いて横から打ち込む堅木材)を使って作ることも考えましたが、一般の方が作りやすいように組み木を味わえる部分を残しながら、ボルトで締める安心感を両立させました」

組み木とボルト締めで作り上げていく

屋根が低い位置まであり軒も出ているので、ほぼ日差しを遮ることができる。壁なしにすれば風もよく通るので、あずまやとしても打って付けだ。

⎯⎯⎯ 木材は何を使われていますか?

「県内産ヒノキの天然乾燥材を使用しています。風雨に晒されるものなので半年以上乾燥させた強度のある材木を使用するため、年間20棟限定での販売を考えています。また、屋根は杉材を土居葺(通常だと瓦葺きの下地となるもの)にしたものです。この屋根が一番時間のかかる部分だと思います。プロで3日かかりました。やりがいは相当あると思います」

使い方に想いを馳せる野島さん

⎯⎯⎯ これは相当楽しめそうですね。職人さんたちの評判はどうですか?

「職人たちも楽しんでやってくれています。お客様向けに、木に触れること自体を味わったり、ここでの体験を提供したいと考えているのと同時に、職人自身が普段の仕事以外で楽しみながら取り組めるめるものを作りたかったんです」

⎯⎯⎯ これからの展望を一言お願いします。

「これからの時代は、ネットでもリアルでも販路を開拓していかないと、続いていかない考えています。地元だけではなくて、日本だけでもなくて、世界に目を向けていかなければなりません。【やまとCHAYA】が、日本の伝統建築の技術と世界のお客さんとを結ぶ架け橋になって欲しいですね」

「今後、人口減少と共に家を建てる人がどんどん減ってきます。その中で、大きな家だけではなく【やまとCHAYA】のような手軽に建てられるものに、木組みや伝統建築のエッセンスを加えることで、ニッチな層だけでなく幅広いお客さんに「木とともに生活すること=持続的な暮らしを実践し受け継ぐこと」に興味を持ってもらいたいです」

⎯⎯⎯ ということは販売は日本中、ひいては世界中を視野に入れているんですね?

「そうですね。めっちゃ世界中に持って行きたい。『お前どうやって持っていくんだ!?』という話にはなるんですけど、そこは夢ですから。具体的な障壁は一つひとつクリアしていって楽しめるんじゃないかなと考えています。何に対してでも楽しんで、もっともっと視野を拡げていったらいいんじゃないかなと思います」

やまとCHAYA 施工風景

水平レベルを出すのが難しいので取っ掛かりは出張作業が必要。

木組み、屋根とシンボリックな形が姿を現してきた。テラス部分はオプションで予価50万円。床もテラスも含めると200万円程度を想定している。

左:床を張る職人さん / 中:「壁なしのこの状態が一番かっこいい!アクリルを貼ってスケルトンにしても面白そう(野島さん)」 / 杉材の土居葺


現場への指示を遠隔でささっと行う野島さん

宣言「わしは現場には出ん!」

 

⎯⎯⎯ 野島さんは今は現場からは離れてらっしゃると伺っています。どのように仕事を進めているのか教えてください。

「今、のじま家大工店では、20代が1人、30代が2人、40代が2人の合計5人の大工職人で現場を回しています。あとは要所要所で外部の職人さんに応援を頼んでいます」

「現場自体は棟梁に任せていて、重要な決定は私がするというスタイルになっています。あとは社長業であったり、これからのことを考え、舵を切っていくような役割をしています」

 

「私が現場へ出て行かない方がいいんです(笑)。私は昔のタイプの人間なので、職人の仕事ぶりについ口を挟んで余計なことを言ってしまうので。。今後のことを考えるとそれじゃあマズいなと思い、数年前の法人登録を機に『ワシは現場には出ん!』と宣言しました。任せて良かったと思います。職人たちも自分で考えるようになってどんどん伸びていっています」

⎯⎯⎯ 経営者ならではの醍醐味や逆に苦労している点はありますか?

「自分が経営者になるとは思ってなかったんです。立場上、人の前でいろいろと話をする機会が出てきますよね。でも元々そういうのが苦手で、黙々と大工をしていたくてこの道に進んだんです。だから正直辛いんです(笑)。あと、職人や棟梁として現場に入っていると完成した時に「できたー!」という達成感が大きいですが、今の関わり方だとそれが味わえません。そこは職人がうらやましいですね。しかし、みんなが自分のところに集まってくれて、同じ方向を向いて取り組んでくれていることが嬉しいですし、やりがいを感じます」

⎯⎯⎯ 「ベテランの大工さんと若い子は居るけど、働き盛りの30~40代の大工さんがいない。世代間の色々な溝を埋めるのが大変」という話をよく聞きます。野島さんのところでは関係なさそうですね。

「そうですね。もちろん、うちにも以前はベテラン大工が来てくれていました。今は主力となっている40代の大工が技術は概ね身につけているので、問題なく仕事はこなせています」

 

⎯⎯⎯ 皆さん、正社員なんですか?

「昔は終身雇用にしていましたが今はやめました。育ってきたら独立しやすい環境にしてあげた方が、各地にネットワークを作ることができてお互いにメリットがあると考えています。これからますます仕事も暮らしも多様化していきますからね」

⎯⎯⎯ 今話されたような考え方やビジョンなどは職人さんたちにも伝えているんですか?

「はい、伝えています。本人の希望でずっとうちに居たい人には、うちのやり方をしっかり教えます。逆に、例えば独立して経営者になりたい人に対しては、経営者の集う団体の会などにも一緒に参加して、必要なノウハウを教えています」

⎯⎯⎯ 基本となる大工技術がしっかりあってこそ、立ち振る舞いや考え方が重要になってくるんですね。のじま家大工店ならではの技術や強みとはどういったものでしょうか。

「古民家再生や普通の伝統構法も得意としていますが、ちょっと変わった建て方もしています。例えば、これは120mm角の材木で構成する建物で、ハシゴ状に組み上げていって材料が少なくても粘りと強度を持たせることができます。また大きな材料を使わなくて済むので斜面にも建てることができますし、材料の無駄も少ないです。大きな梁の建物も好きですが、この方法だと立体的で強度もあり、見た目も美しいので気に入っています」

120mm角の材木で構成された独特な木組み 写真提供:野島さん

のじま家大工店の礎となる古民家再生と伝統構法の事例を一件ずつご紹介します。


 

広島県福山市 M様邸 「囲炉裏のある家」

2019年完成。飛騨での経験を買われ「飛騨っぽい家をつくって欲しい」と施主のMさんからのご依頼。「理想の家を建てる大工を見つけるのに40年かかった」と言わしめたそうだ。当時30代後半だった大工が手刻みを志して1年で棟梁を務めた。

左:木部の塗装は古色仕上げ(ベンガラ・硝煙・柿渋)/ 中:赤漆に八角形の窓が特徴的だ / 右:左官さんこだわりの粋な意匠

囲炉裏を中心に設計された空間。使用している材木は広島県内産の桧と松。部位によっては杉も使っている。

M様邸の写真すべて:©︎Atelier Hue 田原康丞


 

広島県福山市 臨済宗建仁寺派 神勝禅寺

含空院(茶房)
2014年竣工。この現場を最後に野島さんは現場を離れた。滋賀県 臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物。元々は永和3年(1377年)考槃庵の名で建立され、当時の建物は永禄6年(1563年)に焼失。正保4年(1647年)に再興されて以来、歴代住持の住居及び修行僧の研鑽の場だったそうだ。移築に際しては天井裏の炭に到るまで持って帰り、解体は実に3ヶ月を要したとのこと。

破風:昭和の時代の増築のため、なくなっていた部分。建築当時の元来の姿を再現した。

上:心地よい風が吹き抜ける縁側 / 左:中からの眺めも素晴らしい / 右:今は茶房として湯豆腐やかき氷などを提供している

当時を振り返りながら、丁寧に説明してくれる野島さん

「古民家再生においては、古いままの状態を可能な限り忠実に再現・表現することが、のじま家大工店の得意とするところなんです。ボロボロだったところも修復して使えるようにしています(野島さん)」

戸袋:左がオリジナルで、右が野島さんが再現したもの。「柿渋を塗って色合わせには気を使いました。なるべく忠実に再現しています(野島さん)」

天井は浮造り仕上げ(うづくりしあげ:木の板・柱などの柔らかい部分を磨きながら削ぎ落として木目を浮き上がらせる仕上げ)になっていたので、全て番付して持って帰って浮造りし直した

左:柿渋の6回塗りの床 / 右:柿渋の10回塗りの床はさらに深い色合いだ

左:聚楽壁(じゅらくへき:京都西陣にある聚楽第跡地付近で産出された「聚楽土」に、藁・麻・スサ・砂・水などを混ぜ合わせた土壁):霧吹きで浮かせ、仕上げ・中塗り・荒壁と分けて持って帰り再現している / 右:この壁も同じく、霧吹きで浮かせて剥がして巻いて持って帰ったもの。「移築前のそのままのものです(野島さん)」

左:古い木材と馴染ませるために、新しい木材にはカンナを掛けた後に浮造りをして凹凸を出している。 / 右:敷居も丁寧に直して再び使えるようにしている

 

「傷んでしまって『こんなの使えるのか?』というようなものでも、新しいものと組み合わせて馴染ませてやったら息を吹き返しますよね。そこが古民家再生のいいところだと思います」


鐘楼

 

神勝寺で最初のしごとがこの鐘楼。山の頂上にあったものを4トン車で降ろして移築した。

懸魚(げぎょ:屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾り)は反対側のものを忠実に再現する形で野島さんが彫ったそうだ。


慈正庵

 

こちらも2014年に移築を担当。

「小さいお堂だけど、当時の職人の技術が詰まっています。手鋸しかない時代によくここまで細かい細工ができたものだと感心しました」


⎯⎯⎯ 最後に大切にしていること、これから大工を志す人へのメッセージをお願いします。

「楽しめる職場・楽しめる仕事 をモットーにしています。どれだけ仕事を楽しめるか。どれだけ木を愛せるか。もうそれだけだと思います。気合や根性でどうこうなる時代ではないです。これからの時代を生き抜いていくためには、大工技術だけではなく人間性や交渉力など様々なことを身につけていかなければならないと考えています。技術だけでは舐められてしまいます。身につけた技術を十二分に活かして生きていって欲しいですね」

 

今回の取材では、ログキャビン【やまとCHAYA】についての話をメインにしようと予定していましたが、そこまでに至るまでの経緯を聞いていくうちに、確固たる技術と経営手腕に裏打ちされたビジョンこそが、野島さんのつくり出すものを成形しているのだと感じました。「これから先、どれだけ楽しみ、どれだけ木を愛せるか」と未来を語る時の野島さんは一際かっこいい。


株式会社のじま家大工店 野島英史(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

半世紀近くに渡り、新潟に根差し、多くの伝統的な木造住宅や社寺仏閣を手掛ける一方、若手の育成や自身の夢など、これからの木の家づくりのあり方も探究し続けている山崎四雄さんをご紹介します。

山崎四雄(やまざきよつお・73歳)さん プロフィール
昭和23年(1948年)新潟県新潟市生まれ。山崎建築 代表。15歳で大工の道を志し27歳で独立。以来46年間、一般住宅の新築・改築から神社仏閣まで、伝統的な木造建築を軸に、木材をきちんと選び、冬あたたかく夏過ごしやすい、暮らしやすい家づくりを心がけてきた。また、新潟県立新津工業高等学校日本建築科で教壇に立つなど、若手の育成にも力を入れている。技能検定功労を称えられ令和3年春の叙勲受賞。


 

夏至の朝。空港まで迎えにきてくれたのは、アポイントメントの電話の通り、柔らかい物腰の山崎さん。「ここから作業小屋まで車で30分くらい。途中にある建てたところを何軒か見ていこう」とのご提案で案内してもらったのだが、「ここ。ここも。あとそこも。」とちょっと進んだだけで、かなりの数の手掛けられた建物を教えてもらった。すぐに飛び出していきたいところだが、「気になったところは後で見にくれば良い」と言われたので、経歴や仕事のことを伺うことにした。


やるからには本気で。

 

⎯⎯⎯ 大工の道を志された経緯を教えてください。

「小さい頃からものづくりが好きでした。親戚が大工をやっていて、中学の時から叔父のもとでアルバイトをしていました。そして15歳の時にそのまま弟子入りして12年で独立しました。20歳の時に自分の住む家を建てたんですが、ちょっと間違えて菱っぽい家ができてしまいました(笑)。仲間の左官が土を持ってきてくれて壁を塗ったんですが、あまり物ばかりを混ぜこぜに寄せ集めてきたので二度と再現できない色になりました。とにかくハングリーでしたね」

⎯⎯⎯ 独立されたきっかけや原動力は?

「ある時、自分で生きていくと心に決めたんです。独立には設備も必要だし、エネルギーもいっぱいいる。だから本気じゃなくちゃできない」

 

⎯⎯⎯ 住宅の新築・改築、それから社寺仏閣だと、どういったお仕事が多いのですか?

「住宅ばっかりだね。社寺なんかは滅多にない。この辺りに社寺だけで食ってる人はいないんじゃないかな。伝統的な木造建築をやる人自体がいないんです。みんなプレカットになっちゃって」

⎯⎯⎯ プレカットが主流だと社寺の仕事をできる人自体がいなくなってしまいますね。

「もうその流れは止められないですね。俺のとこにも大工が頼みに来る。予算や色々な都合の制約があるので、本格的なものはなかなかできない。神社仏閣の仕事が1番難しいんだけど大工である以上挑戦したいんです」

神明宮 | 平成8年(1996年)・新潟市江南区茗荷谷
46〜48歳の時に3年間かかって作ったという。彫刻は、木彫刻のまちとして知られる富山県井波の彫刻屋さんに半分依頼。半分は山崎さん自身で彫られている。

⎯⎯⎯ 手刻みでなくても手軽に建てられてしまうのが世の中の流れではありますが、逆に若い世代でそのことが本質的におかしいんじゃないかと気付いている人もいます。

「大手のハウスメーカーで建てるのと同じだけの金額を出せば、相当いい家を建てて渡せられる自信があります。今こそ、手刻みだからこそできる仕事をして、その違いがきちんと説得できるようにしていかないといけないと思います」

⎯⎯⎯ 山崎さんのもとにも、若い世代のお客さんからご依頼がありますか。

「あります。中には全く知らない人がHPを見て依頼してくれることもあるし、親御さんの家を昔建てた縁で、そのお子さんの家も建ててくれっていうことも結構あります」

半世紀近く、手刻みを続けてきた作業小屋

⎯⎯⎯ 特に思い出に残っていたり大変だった仕事はありますか?

「一年中大変ですよ。いつでも真剣勝負。今やっているのだってそう。矢代田に建てている新築の家。パッと外から見たら数寄屋の佇まいなんだけど、中に入ったら古民家の趣のある家。さらに奥の部屋は面皮柱を使った客人をもてなすための茶室。と、全く違う三つのものを一つにまとめて、それらの良さを兼ね揃えたものにしていかないとならない。これが難しいんです。でもそこが面白い」

 

⎯⎯⎯ 日々心がけていることやモットーを教えてください。

「とにかく一番は丈夫なこと。デザインはその次。使いやすくて丈夫。それが絶対条件です。そのためにはなるべく一本ものの長い木を使うのが鉄則だと思います」

⎯⎯⎯ 長年大工をされていて、どんな転機がありましたか?

「突然《この時》というはなくて、毎日暮らして毎日仕事をして、やっと今日のここへと辿り着く訳です。日々本気を出してやっていくしかないんだよね。作ったものがずっと残る訳だから、建てた数だけ責任があります。
長くやっていると『こういう作り方をすると長持ちする』とか『ここが壊れるな』とか経験を積まないと分からないことが見えてくる。本気を出して丁寧にやってても必ずどこか悪くなる。永久のものなんてありませんからね。ましてや、初めからいい加減に作るようなことは決してあってはならないことです」

ここで、山崎さんに案内していただいた住宅をいくつかご紹介。


 

新潟市江南区直り山 T邸
平成22年(2010年)頃完成。平家のおおらかな佇まいが落ち着く。

「軒周りは二丁桁で一番丈夫なつくりだと思います」と山崎さん

この梁は建て替え前の家のものを再利用したもので、大工だったTさんのおじいさんが刻んだものとのこと。

左上:案内してくれる山崎さん / 右上:自慢の庭を眺められる / 左下:随所に粋な手仕事が光る玄関 / 右下:上がり框にも素敵なあしらいが


山崎さんのご自宅
平成10年(1998年)完成。モデルハウスとしてお施主さんにも公開している。

この外壁の吹き付けの色は山崎さんいつも好んで使うもの

左上:柔らかなむくり屋根に佇む鳥の瓦。気づいた人を和ませてくれる / 右上:三角窓も山崎さんの目印だ / 左下:美しいリビングの天井 / 右下:槍鉇(やりがんな)で凹凸をつけた式台が素足に心地いい

上:玄関正面には花を生けるスペースが。お客さんの要望も多い / 左下:下駄箱には数百年前のものと思われるケヤキの埋れ木も使われている / 右下:玄関の屋久杉は屋久島で買ってきたもの

上:細やかな手仕事 / 左下:青森ヒバの床 / 右下:趣のある下地窓


新潟市江南区 K邸
平成5年(1993年)完成。「いつもなるべく派手にならないように作ろうとしている」と説明してくれた。

外壁の色と屋根裏の三角の通気口が山崎さんの目印

「こういうのが難しいんだ」と山崎さん


大工の未来のために。

 

次に、高校での取り組みやお弟子さんのことなど、次世代の担い手の育成についてのお話を伺った。
山崎さんが教壇に立つ、新潟県立新津工業高等学校の日本建築科は、新潟県が推進する「魅力ある高校づくりプロジェクト」の一環として平成24年に設置された学科。日本の伝統的な木造建築物に関わる知識と、職人の大工技術を身につけた、伝統技能を持つ技術者を育成している。

⎯⎯⎯ 新津工業高校のことを少し教えてください。

教えにいって、かれこれ約10年になります。毎年30人くらいのクラスで伝統構法の家づくりを教えています。そこから大工になるのが5〜6人。あとは上の学校にいったり建築関係の会社に入ったりしています。ここに行く前には職業訓練校でも教えていました。

⎯⎯⎯ 長年教壇に立たれていますが、どういう想いをお持ちなんですか。

想いというほどのことではないんですが、絶えたら困りますからね。伝統的な木の家を建てられる大工がいなくなるのも困るし、教える人がいなくなるのも困る。だからちょっとでも大工になりたい子の手助けになったらいいなと思って続けています。

ミーティング風景。休憩中の談笑から一転、仕事の話になると全員の顔つきが変わった

⎯⎯⎯ 山崎建築のお弟子さんたちは元々手刻みで木の家を建てたいという想いがあって弟子入りされているんですか。

そうです。元々彼らは新津工業高校の俺の生徒。だからある程度理解した上で、やってみたいと思った子が来てくれています。お互いの癖や好き嫌いなんかも最初から知っているから就職にありがちなミスマッチはありません。毎日ミーティングをしてコミュニケーションをしっかり取り、伝えたい想いや技術は日々口にしています。

⎯⎯⎯ お弟子さんたちに一言お願いします。

プロになったからには、ゆっくり作っていいってことはない。アマチュアとプロの差はそこ。何にでも言えることだけど、できるようになると楽しい。できないうちは楽しくないものです。だから楽しめるように鍛錬してください。

四人のお弟子さんからもそれぞれコメントを頂いた。

 

佐藤 良さん | さとう りょう・40歳・昭和56年(1981年)生まれ
「親父が大工だったので、小さい頃からその後ろ姿に憧れて自分も大工になろうと決めました。親方の木に対する情熱を尊敬しています。木にまっすぐ向き合い、適材適所一つひとつ吟味する姿勢を見習っていきたいなと思っています」

 

若杉 智之さん |わかすぎ ともゆき・23歳・平成10年(1998年)生まれ
第58回 技能五輪全国大会 銀賞
「子供の頃、TVで見た大工さんの仕事ぶりに惚れ込み大工になろうと思いました。親方から教わった手刻みの大工仕事をこれからもずっと続けていきたいです。いつか両親の家や自分の家を建てたいと思っています。親方は常にお客様の想いを第一に考えて仕事をされていて尊敬しています」

 

渡辺 雅空さん | わたなべ がく・19歳・平成14年(2002年)生まれ
令和元年 新潟県技能競技大会 建築大工・大工工事作業3級 優勝
「きついですけど楽しいです。小さい頃から何かものを作ったり絵を描いたりすることが好きでした。中学校の時から手刻みのできる大工になりたいと思っていました。何でもできる大工になりたいです」

 

板垣 幹さん | いたがき もとき・18歳・平成14年(2002年)生まれ
令和元年 高校生ものづくりコンテスト 木材加工部門全国大会 準優勝
「祖父と父親が大工で、自分も同じように大工になりたいなと思ってこの道に進みました。親方には高校でお世話になりましたが、もっと親方のもとで勉強したかったので弟子入りしました。自分が手伝ったものが組み上がって形になると嬉しいです。いろんなことを覚えて早く仕事に慣れるようになりたいです」


何気ない本物の家を作りたい。

 

最後に、昨今の大工を取り巻く状況と、山崎さんの今後の展望について語ってもらった。

⎯⎯⎯ ウッドショックの影響についてお話を聞かせてください。

今は一時的に市場の影響を受けるかもしれないけど、個人的には日本の木はそんなに高くならないんじゃないかと思っています。プレカットに使われているのは主に米松ですが、私たちの使っている杉の木はそもそも柔らかくてプレカットに向かないんです。ただ今後、プレカット技術が進歩していけば手刻みは敵わなくなるかもしれない。それで手刻みと同じことが出来るのなら、それはそれで構わない。そういう考えです。まぁ各人の生き方の違いなので良い悪いではないんだろうね。

 

⎯⎯⎯ 山にはいい木がたくさんあるのに、使う術がないと聞きますが。

今回の騒動で国産材が注目を浴びるようになりましたが、その生産能力を上げようにも、高齢化が進み、継ぐ人もほとんどいません。誰にその仕事を頼むんだという話ですよね。木を切る。木を下ろす。そしてまた木を植える。長い歳月とそれに付き合える人材が必要です。いくら山に豊富に木があると言っても使ってやれないのが現状だと思います。

⎯⎯⎯ 何か具体的な取り組みはありますか?

そんな林業を取り巻く状況もあり、杉山を持っている友人に協力してもらって、一貫体制で手掛けていこうと考えています。そうすれば適材適所で杉の木も選べるし、使いたい広葉樹を植えてもいい。損得勘定で考えたら良い話ではないかもしれないけど、やってみたいんだよね。これから必ず実現させていきます。

それから、間伐材を活用した大工さんでも作業できる木舞壁を考案しました。小舞を竹や葦ではなく木で作ることで左官さんだけでなく、大工でも作業しやすいようにしたものです。新津工業高校の生徒さんにも塗ってもらって扱いやすさは実証済みです。面材に使用しているのは杉の五分板で、例えば40坪の家を建てるためには丸太でおおよ三十石必要になるのですが、間伐材を活用したこの手法を多く採用してもらえれば、山を守っている人へ少しずつですが還元出来るようになります。木の家ネットの皆さんにもぜひ使ってもらいたいです。

山崎さん考案の間伐材を活用した木舞壁

⎯⎯⎯ これからの展望を教えてください。

伝統建築だからと言って、古いことに囚われすぎず、常に世の中の流れも見ていかないといけないと考えています。けど本当の本物は変わらない。今日まで本物だったものが明日突然偽物になるということはないんです。

何気ない家を作っていきたいですね。何気ない家なんだけど、車で通り過ぎてもう一回Uターンして見たくなるような家。決して派手な訳ではないんだけど、何気なく良いんだよ。しかも時間が経って古くなっても良い家。そういう家が理想です。これが難しいです。


 

《何気ない仕事》でつくる《何気ない家》。一見すると見逃してしまいそうな《突き詰められた普通》こそが、後世に残るべくして残る普遍的な本物になるのではないだろうか。聞けば聞くほどに情熱が伝わってくる一日だった。こんなに刺激的で短く感じる夏至の日は初めてかもしれない。


山崎建築 山崎 四雄(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

福井県高浜町は、七年に一度「高浜七年祭」が450年以上続いてきた歴史のある町。伊藤和正さんはこの地で、自然素材を使った昔ながらの家づくりを受け継ぎ、貫いている。大工二代目として、地域の担い手として、伝統を重んじながら、新しいアイデアも盛り込む姿を追った。

伊藤さんが愛する「七年祭」は「けんか祭り」の異名を持つ激しさで有名だ

「そこいらの大工さんとは違うって、有名やったんですよ」と伊藤さんについて語るのは、福井県美浜町・北山建設の北山大志郎社長。北山社長は10年ほど前から福井県内の空き家を再生するプロジェクトを始め、NPO法人ふるさと福井サポートセンターの理事長を務めている。プロジェクトのための勉強会を開くにあたって、伊藤さんに声を掛けた。

一緒にプロジェクトに取り組んだ北山社長(奥)と、リノベーションした現場で

北山社長はすぐに、「技術、発想、経験が本当にすばらしい」と伊藤さんに驚くことになった。プロジェクトでは2人をはじめデザイナーなどでチームを組み、敦賀市の空き家をコミュニティスペース再生に取り組んだ。

この家は昭和20年代に、地元の人たちがある医者に「家はみんなで建てるからここで病院をやってほしい」と頼み込み建てられたという、ドラマティックな場所だ。持ち主の事情により手放すことになったが、北山社長は「大切にされてきた歴史があるし、柱など今では考えられないような価値の高いものも使わせている。空き家を有効活用するモデルケースをつくりたい」と当時を振り返る。チームでのミーティングでも「古い雰囲気は残しつつ洗練された感じに」「人が集まって語れる場にしたい」と夢は膨らみ、ビジョンはまとまるものの、具体的にどこをどうリノベーションするかというと見当がつかなくなってしまったという。

そんな時、「ミーティング中は言葉少なかったんだけど、実際に手を動かすとどんどんかっこいい空間を作り上げていったのが、伊藤さんだった。プロに任せるとすごいって、感動した」と北山社長。

1階の土間には薪ストーブを設置した

2階と1階のキッチン部分は天井に、重厚感ある構造材が見えるようにした。特に2階は、壁と屋根の間にアクリル板を張ることで、梁組を見せつつ暖房効率を上げるようにした。アクリル板は丸鋸の専用チップソーを使うという、伊藤さんにとっても初の試みだった。

キッチン部分は、構造材と照明の融合が美しい。水回りにはモルタルを利用した。

 

室内の部屋の建具も、再利用したものを使った。伊藤さんは「古いものを大切に使いたいというのは自分も同じ。そのために、考えて手を動かしながらの、試行錯誤だった」と話す。一人泊まり込んでの作業にも「いいものを作ろうって集中できた」と苦にしない。

大工工事の経験から、構造がどうなっているかはイメージできる。解体しながら傷み具合をチェックし、魅せられる部分は魅せ、抑えることろは抑えて、バランスをとりながら工事を進めていった。

全体を整えるキモは、「左官工事」と伊藤さんは振り返る。ベテランの職人さんに、古い土壁を一度はがして、新しく漆喰まで塗り直すという作業をやってもらった。「ちりも丁寧に仕上げてもらい、全体の雰囲気がグレードアップした」と職人技のすごみを実感する。

職人技が光る漆喰壁

 

この場所はイベントスペース「朱種~Shushu」としてたくさんの人が訪れるようになったが、「どなたもきれいに使ってくれる。特に若い方のリピーターが多い。建物に整った雰囲気があるからだと思う」と北山社長は喜ぶ。今後は一棟貸しのゲストハウスとしても展開していく予定だ。

伊藤さんも「古い建物ってええなって伝えられる現場になるといい。自分も自信をつけさせてもらった場所なんで」と、思い入れは大きい。

「自信」。伊藤さんがインタビュー中に何度も口にした言葉だ。

仲間、職人・・・認め合えることで生まれた自信

高浜町で、手刻みの家づくりをする大工の家に生まれた伊藤さんだが「昔から大工になりたいと思っていたわけでもない。高校出る時に何しよ、うち大工やし、まあ、しよかってなった」という。父親には「外で勉強してこい」と言われ、隣の美浜町の工務店で修業した。厳しいけれど優しい親方と、何もないところから作り上げていく面白さに直面し、「勉強も部活も中途半端やった」青年は、懸命に汗を流した。

しかし、20歳の時に首を怪我し、入院。その後大阪でサラリーマンとして働いたものの、22歳で再び大工を目指し実家に戻ることに。そこには1歳下の弟がすでに大工修行中で、ライバルのように腕を磨いていった。

「弟はガチガチの職人肌でこだわりが強く、時間かけてものをつくる。自分はそこまでせんでもぼちぼちいこってタイプ。やから自信もなかった」という。30代のころにはバブルが終わり、ハウスメーカーが台頭と、時代が変わってきた。家業も昔ながらの家づくりから下請けをするように変わったものの、経営は厳しくなっていく。大工は弟に任せ、自分は別の仕事を探そうと考えた矢先に、弟が事故死した。大きな喪失感だった。

同じ頃、テレビで木の家ネットメンバー・宮内寿和さんの放送があった。「衝撃だった、自分も下請けなんかせんとやりたい仕事をやろう。やっぱり、木の家づくりがしたい」。ふっきれた瞬間だった。宮内さんの講演会をきっかけに木の家ネットメンバーとつながり、現場を行き来した。理想を実現するために模索する姿を目の当たりにすることで、その気持ちは確固たるものになっていった。

立地も後押しした。「福井はありがたいことに、手刻みがいい、和室を作ってという施主さんがいらっしゃった」と伊藤さん。ひとつひとつの家づくりに向き合う姿勢は好評で、口コミで途切れることなく仕事は続いてきた。

 

空き家再生のプロジェクト「朱種~Shushu」にも結び付き、同じものをいいと思える仲間ができた。彼らは補助金やポケットマネーを活用してでも「古いものを残したい」という姿勢で、伊藤さんを「こういう人たちのための大工技術や。儲けは多くなくても、なんとかやっていければそれでいいやんか」という思いにさせた。

また、このプロジェクトでは、伊藤さんが今まで一緒に仕事したことがないベテランの左官職人さんが現場に入った。「この職人さんがとにかく凄腕」と伊藤さん。仕事の合間に、土、自然、技術のこと、木の家ネットでの話題を、職人さんに聞いてみた。そうしたら『若いのによう勉強しとんな』と態度が変わって、いろいろと教えてもらえるようになった。自分がすごいって思った人に認めてもらえたようで、嬉しかったなあ」と目を細める。そしてそれが、自信になった。

伊藤さんが木の家ネットに入るきっかけであり、先輩大工でもある宮内さんは、「30代は知識を身に着ける段階で、壁にぶつかる。でも、この時の頑張りが次の世代の底力になる。伊藤くんは熱心に勉強していたから、今もいい仕事ができているんやと思う」と話す。伊藤さんをはじめとする今の40代、さらに若手の木の家ネットの職人たちを、「みんな優秀。これから先も職人として生きていけるように俺もできることせな、と刺激をもらっている」と、SNSなど新たな展開に力を入れる。

木と向き合っている時が一番楽しい

「木の家はいい。触って仕事していてとにかく気持ちがいいし、職人の気合が入ってる。骨組みがしっかりしているから、壁が崩れたとしても修理すれば長く使える」と言い切る伊藤さんのすがすがしさは、自信に裏打ちされている。

多忙な時期は、昼に打ち合わせや現場仕事をし、真夜中に墨付けすることもある。疲れているはずなのに、不思議と頭は冴え、集中できるという。「一人なのに一人じゃないって感じることもあるんよ。木には命があって、人間よりずっと長生きやからかな」とほほ笑む。

「木の家の良さを、もっとたくさんの人に知ってほしい」と考える伊藤さんは、8年前に構えた事務所を石場建て、木組みで建てた。壁は土壁にして、ベンガラを混ぜ赤くした漆喰を塗っている。ここで打ち合わせをする時に、自然素材の気持ちよさ、時がたつにつれて増す風合いの良さを体感してほしいという気持ちが込められている。

 

6畳ほどの広さで、壁にフォレストボードを張っているので暖気も逃げない。以前はハロゲンヒーター1つで冬を過ごせたというが、現在は愛猫「アントン」のためにエアコンを導入している。

 

屋根も片面ずつ​​5寸勾配と4寸勾配に変え、雨切りや見た目がどう変わるか見てすぐわかるようにした。

 

室内は瓶にパンと建築材料を入れて経年変化を見るなど、実験的な場所にもなっている。木と漆喰を入れたものと、一般的な建築材料をいれたもの。カビの生え方で、空間の違いが一目でわかる。

「どんな家で生活したい?って、これ見てほしいわ」と伊藤さん

 

この事務所は、先代である父親の建てた作業場が老朽化し、移設したことををきっかけに新築した。その父親も1年前に引退し、現在は社員1人との2人体制。その社員も妹の夫で元土建業をしていたという関係だ。

工務店のかたちも、35歳で事業継承し42歳で法人化と、変化してきた。法人化して7期目となり、設計、大工業は伊藤さんが引き続き担うが、経理は外注するようになった。最近は新築や大改修を行うときは、モデレーターに頼んでBIMのモデリングも取り入れている。

「本当は『自分がもう一人いれば』って思うくらい、何でも自分でやりたい」という伊藤さんだが、プロにはプロのやり方があることを知り、任せるところは任せるよう方向転換した。

柔軟にかたちを変えていくのは、いい仕事を遺すため。弟亡き後も大工を続けていると、施主さんたちに「ここは弟さんがやってくれたんやね」「大切に使わなね」と言われることがあった。作った大工は死んでも、家は遺る。中途半端な仕事はできない。

長く残っていく家はやはり、昔ながらの手刻み、木組みの家だ。最近力を入れている改修工事も、昔の大工が手間と時間をかけて建てたからこそ次の世代へをつなげていける。経験から「利益に走ると、仕事が雑になる」という実感もある。

木を丁寧に扱う伊藤さんの手は、仲間や職人とつながりながら、未来にのこる家づくりを手掛けていく。

イトウ工務店 伊藤和正さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:伊藤和正

● 取 材 後 記 ●

ご家族の死、ご自身の怪我など、胸にしまっておきたいようなお話も語ってくれた伊藤さんには、感謝が尽きません。「やりたい仕事をやる」。現在、実現できていることを心から嬉しく思いましたし、応援しあう木の家ネットのつながりに感動もしました。このような家づくりが未来に残せるよう、ライターとしても気が引き締まりました。

多くの神社仏閣や京町家が残る歴史深い街、京都。この地で熟練の技術と豊富な知識をもって、国産無垢材と自然素材にこだわり、住宅から社寺・数寄屋まで一手に手がける大西伸之さんをご紹介します。

大西伸之(おおにしのぶゆき・65歳)さんプロフィール
1956年(昭和31年)岡山県新見市生まれ。伝統建築施工 有限会社 大西伸工務店 代表取締役。中学校の時に工務店を営む両親の仕事の関係で京都へ。学校時代から大工の父親についてたびたび現場へ。一般企業に就職し数年勤め、結婚を機に22歳で本格的に大工の道へ。以来40年以上に渡り、民家・町屋・社寺・数寄屋など、様々な木造建築の新築・改修を担ってきた。


教わらない。目で盗む。切磋琢磨。

訪れたのは京都市北区。路地に面した2階建ての住宅が完成を迎えようとしていた。ちょうど翌日引き渡しという絶好のタイミングで見学させてもらいながらお話を伺った。

⎯⎯⎯ 木の家・大工という職業との出会いについて教えてください。

「若い頃に大工の親父について現場に行っていたので、建築について全く知らないという訳ではありませんでした。大工になってからは親父の下で修行というよりは、親父と二人三脚で仕事を進めていくという感覚でしたね。最終的には親父を使うようになっていました(笑)」

北区 冠木門のある家にて

⎯⎯⎯ 修行や弟子入りしていたわけではないとのことですが、社寺や数寄屋など様々なものを手掛けられてきたと思いますが、どこで技術を磨かれたのですか?

「具体的に誰かに教えてもらうのではなく、行く先々の現場で目で盗んで覚えていきました。恵まれたことに、周りに同じような仕事をしている仲間が結構いたので切磋琢磨して良い刺激になりました。知恵を絞り合いながら技術を磨いてきました」

 

優れた技術と豊富な知識、そして質のいい材木があって初めて実現する木の家。その要となる継ぎ手のサンプルを見せてもらった。「継ぎ手という継ぎ手のサンプルは作っていて山ほどあります。全て丸太から自分で作ります」と大西さん。

サンプルに使われている北山杉。とても目が細かい。

まるでパズルか知恵の輪のようにがっちりと組まれている。

⎯⎯⎯ 建てられる時に気を配っていることなどはありますか?

「基本的に外材は使いません。桧と杉ばかりですね。化学物質は極力使いたくないので、本物の無垢の木を使用してます。建具もできる限り木製にしています。ここは準防火地域なのでサッシを入れています」

⎯⎯⎯ 大西さんの元に依頼が来るときには、お施主さん自身も自然素材や木造住宅に対する知識を既に持っていらっしゃるんですか?

「そうですね。その場合がほとんどです。この家のお施主さんは、私が昔建てたアトピー専門の病院の患者さんなんです。いろんな工務店の門を叩いたそうなんですが、建材のサンプルがすべてアウトだったようで、『大西さんしかいないんちゃう?』ということで紹介していただきました。他にもそういう事例が多いです」

細かいところにまで粋なあしらいが施されている。

左:一階には杉と桧を使う。 / 右:二階は杉のみ。

左:家具も大西さんの手によるもの。 / 右:洗濯物を室内に干すため、通気を考え収納の扉は普段は使わないパンチングの合板を使用している。


100%完璧はない。一生勉強。

 

⎯⎯⎯ 様々なお仕事をされていると思いますがメインはどういったものでしょうか?

「住宅もお寺もその時々でいろいろです。営業を一切しないので、いろんな方から回り回って声をかけて頂いて、仕事をいただいています。例えば今日ご案内する《華開院》では知り合いの工務店が檀家で居はるんですよね。その工務店の専門外で私ができる部分をお手伝いさせてもらいました」

⎯⎯⎯ なるほど。営業しないからこそミスマッチが起こらないんですね。40年の間にいろいろなことがあったと思いますが、どんなターニングポイントや転機がありましたか?

「それはもう毎回ありますね。仕事をやる上で100%完璧はないんで、まだまだ勉強しながらやっています。ゴールはないんです。一生勉強ですね」

⎯⎯⎯ 今後の展望などを教えてください。

「実はそろそろ引退したいんですけど、お声が掛かるんで、お声が掛かる限りは続けていきたいですね」

「最近までずっと若い子を採っていたんですけど今は一人で動いています。棟上げの時なんかは兄貴や仲間に手伝いに来てもらっていますが、お施主さんとの打ち合わせはもちろん、業者の段取り、現場の監督から、最後に蜜蝋ワックスを塗るところまで、全部一人でやっています。何でも屋です(笑)。時間はかかりますが丁寧にきちんと仕事をしたいんです」

次に会話に出てきた《華開院》など、近年手掛けられてきた建物を案内してもらった。

 


◎上京区 華開院(けかいいん)

浄土宗の寺院で、通称 五辻御所(いつつごしょ)とも言われている。室町時代には皇室との関係が深く、公家たちの墓が今も移し葬られている。

檀家に知人の工務店の人がいたことから紹介してもらい、2009年に書院の修復を、2011年に門の修復を手掛けた。

 

上:白く見えている部分は、膠(にかわ)と胡粉(ごふん・貝殻を原料とする白色顔料)を混ぜて塗ってある。 / 下:一回バラして組み直したという門。傷んだ柱は根継ぎしてある。


◎北区 冠木門のある家

2013年に完成した住宅で、すべて京都府内産の木材を使用している。細やかな職人技の積み重ねによって全体の品格に結びついている。

 

左:杉皮の外塀 / 右:細やかな遊びを取り入れている。「あんまりやるといやらしいので塩梅が難しい」と大西さん

「ケラバ(外壁から出っ張っている瓦の下の部分)は通常漆喰にしますが、この家は木でやりました。職人さん泣かせですが」と大西さん。他にも細かい意匠が光る。

門をよく見ると、隙間は同幅にしつつ木の太さを少しずつ変えて配してある。この絶妙なグラデーションがすっきりとした印象を与えている。


◎向日市 H邸

築120年の住宅を2017年に改修。母屋の他に納屋なども手がけている。

 

 

天井一面に敷き詰められた葦と、「とても立派だったので天井を外してあらわしにしました」という梁が印象的だ。

下駄箱と縁側の天井は竹の網代。

「ここまで上がって来られたお客さんはみなさん気に入ってくださいます」とお施主さん。


 

40年以上にわたり培ってきた職人技と、100%の満足はないという直向きで真摯な姿勢を併せ持つ大西さん。

まったく営業をしないという彼の元には、彼にしかできない仕事・彼にしか建てられない家を求めて、いつも人が集まってくる。


大西伸工務店 大西 伸之(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

高知県南国市で手刻みにこだわりながらも、伝統建築にとどまらず様々な仕事を手がけている 《松匠建築》の代表 小松 匠(こまつたくみ)さんをご紹介します。

小松 匠(こまつたくみ・44歳)さん プロフィール
1976年高知県生まれ。高知県内の高校を卒業後、(財)木材研究所土佐人材養成センターに入所、大工技術の基礎を学ぶ。卒業後は個人工務店で数年間の修行を経て30歳で独立。松匠建築として走り続けて今年で15年になる。


手仕事こそが大工の醍醐味

⎯⎯⎯ まずは大工を志そうと思ったきっかけを聞かせてください。
「高校生の時に、建築の板金屋さんでアルバイトをしていて、その現場で大工さんの働きぶりに惚れ込んで「カッコええなー」と思って憧れを抱いたのがはじまりですね」

 

⎯⎯⎯ お名前が「匠」ですが、親御さんも大工なんですか?

「よく言われるんですが、大工ではなかったんです。弟子の時は『名前負けや』とか言われて辛かったんですが、独立してやるようになってからは、いい名前を付けてもらったなと思えるようになりました」

大工として働き出された1990年代といえば、ちょうどプレカットが急速に台頭してきた時代。職人による《墨付け》や《刻み》などの手加工も、まだしっかりと残っており、木の捻じれや方向を見る《目》を養うようにしっかりと教え込まれたそうだ。

「そういう意味ではギリギリいい時代に弟子として学ばせて頂いたと感じています。プレカットは手仕事という、大工として一番重要な仕事を下請けにまわしてしまっている感覚があります。自信を持って大工の仕事をするなら自分で墨付けて加工するのが当然ですし、醍醐味だと思います」

 

⎯⎯⎯ 今、お弟子さんや一緒に動いている職人さんはいらっしゃいますか?

「一つ下の職人さんが一人来てくれています。同年代の職人さんたちに恵まれていると思います。若い頃は年配の職人さんのもとで下積みしていましたが、独立してからは同年代ばっかりですね。「この仲間たちと一緒に歳とって行くんだろうな」と感じています。みんな信念をもって仕事していていい刺激になっています」

「若い子に関しては、うちにも過去には何人か居たんですが辞めてしまいました。人を育てるのは本当に難しいです。『とにかく堪えてやれ』と教えるのがいいのか。『いろんなことやってみたらええ』と言って送り出すのがいいのか。自分の頃とは時代も違いますし、どっちが正解かは分かりませんけど、自分が教えてもらったことはしっかりと教えていきたいです」

⎯⎯⎯ それではご自身が教わったことで大切にしていることはありますか?

「先ほどの話にあった手加工のことや《目を養う》ことなどの技術的なことはもちろんですが、お客さんとの接し方、人と人との付き合いについて多くを学びました。お施主様としっかり話し合って納得できる家づくりを心がけています」


訪れた転機

 

⎯⎯⎯⎯ 松匠建築を14年間続けて来られて様々なことがあったと思いますが、一番の転機について聞かせてください。

「2008年に行われた伝統構法木造住宅の実大振動実験(実験の様子はこちら)に参加させてもらいました。あの実験を目の当たりにして完全に頭が切り替わりましたね。全国から職人さんや設計士さんがたくさん集まって伝統的な木造建築に情熱を燃やしている。その姿に触発されて木の家ネットに入会することを決めたんです。もしあの実験に参加していなかったら今は惰性で仕事をしていたかもしれません。現実にはボードを貼ったりする仕事もやっていますが、いざ伝統的な木造建築を依頼された時にはすぐに動ける心づもりでいます」

「木の家ネット会員のみなさんの建てられている家を見てすごいなと思うのは、伝統的な建物であることにとどまらず、謂わば温故知新でちゃんと自分のエッセンスを加えているところなんですよ。古いけど新しい。僕もそういう家づくりを目指しています」

「その考え方は今も昔もこれからも同じだと思います。古い家の改修を手がける際には、何十年も前の職人技に直接触れることになります。そうすると当時の大工さんもいろいろ知恵を絞って、その時々で温故知新で自分らしい仕事をしていたことがよく分かります。ということは今、僕が直したものも何十年か後に後世の大工に見られるかもしれない。そう考えると手を抜けませんし、モチベーションも上がります。素敵な職業だと思います」


「なんで今さら作業場?」

 

案内された作業場は買って約3年。建物付きの土地で数十万円。ちょうど探していた条件にぴったりだったので即決したという。まさに《捨てる神あれば拾う神あり》だ。

「錆いいでしょ。僕好きなんです」

「木の家ネットの会員の皆さん当然のように作業場を持ってらっしゃいますよね。僕も独立したら作業場を持つのが当たり前だと思っていましたが、既製品の世の中で墨付けが必要なくなくなって来ているので、木の家ネットに入会していなかったら作業場を構えようと思わなかったかもしれないです」

「手仕事をやっていない人(やめた人)からは『なんで今さら?」という感じで不思議がられましたが、やっている人からは『頑張れ!』と背中を押してもらいました」

「大工は刃物が好きじゃないとあかん。うちに来たら弟子の子もみんな替え刃禁止です」

自慢の鉋

左:倉庫を買ったときに置いてあった建具に枠をつけて事務所に設置している / 右:事務所の天井にも古材の梁が覗く

左:「これ何やと思う?」 / 中:正解はスケボーのランプ。 もちろん手仕事でつくる /
右:自慢のバイク カワサキ Z2 「家もバイクも古いのがええ」(写真提供:小松さん)


今日行くところ、ウエスタンですけどいいですか

 

作業場でスケボーのハーフパイプを作っていることにも驚いたが、この日案内してもらう建物が「ウエスタン」であると聞いてさらに驚いた。木の家ネットでは後にも先にもお目にかかれないかもしれない。

 

訪れたのは南国市にある《レザークラフト WHOL(フール)》。6年前に完成したお店だ。

小松さんと同い年で20年来の付き合いという岡林さんが、ご夫婦で経営されているお店でオリジナルレザーアイテムを1点1点ハンドメイドで製作している。また岡林さんが直接買い付けて来た、こだわりのウエスタンギアやネイティブアメリカンクラフトも所狭しと並んでいる。小松さん自身もバイク仲間とよく訪れるとのことだ。

店主の岡林さんとは同い年

日本の古材の梁がアメリカンな空間に溶け込んでいる

看板も印刷ではなく手描きの職人さんによるもの

左:無数の革の原反 / 右:開いた状態のワニ革に初めて触れた

左:ウエスタンなグッズが一面に並ぶ / 右:ハンドメイドのアクセサリー

内装の板張りの塗装は全て岡林さんご夫婦とお客さんがされたそうだ。お二人に完成当時の様子を振り返ってもらった。

岡林さん(以下 岡林) 一生に何度も経験できるようなことではないので、とてもいい経験になりました。いろんな職人さんが来られるので、間近で職人技に触れられてすごく楽しかったです。予算のない中でイメージ通りに作っていただいて大満足です。

 

小松さん(以下:小松) ウエスタンで建ててくれと言われたことは後にも先にも他にないので面白かったです。

岡林 いろんな工務店さんに聞いたんですけど、予算が厳しかったのと、どうしても西海岸風になってしまうんでですよね。

 

小松 僕も、自分の知り得るウエスタンのイメージで提案したんですけど『これねぇウエスタンなんですけど、ちょっと西海岸に近い方ですね』と言われて『えぇ~!違うの!?』と驚きました。そこから色々勉強して作り上げていきました。面白かったです。またこんなのやりたいです。

岡林 やっぱり木は味も出てきますしいいですよね。僕のやっているレザークラフトも、分野は違えど古くからある素材と技術で造るものです。木も革も不自由なんですよね。不自由の中で創り上げてゆくところに惹かれるのかも知れません。

岡林 柱の面取りだったり床の金物だったり、細かい部分まで小松さんにアイデアと職人技が光っています。

左:随所に小松さんの手仕事が光る / 右:床・壁・柱、全て高知県内産の杉を使用している

小松 隠しきれないセンスです(笑)

岡林 冗談抜きで本当にそうです!

小松 いろんなレザークラフトを見ますけど、カーヴィングは岡林くんのが1番いい。

岡林さん渾身のレザーカービングのお財布

お財布を作る岡林さん

岡林 いえいえ、まだまだです。あと10年やったもう少し上手くなるんじゃないかなと思います。僕の尊敬する職人さんは70歳でまだゴリゴリ彫ってます。下絵すら描かないんですよ。

談笑する二人はお互いの職人技を尊敬し合っている

小松 へ~!そうじゃないとあかんね。

岡林 今のうちに技術を蓄えとおかないとね。

20年来の付き合いということで阿吽の呼吸で会話が繰り広げられる。《同年代の人たちに恵まれている》という言葉だけでは片付けられない、少しずつ積み上げて来た信頼関係がそこにある。
大工とレザー。日本とアメリカ。得意とする分野はそれぞれ違うが、尊敬し合う二人の化学反応があったからこそ、この素敵なWHOLというお店が誕生したのだ。


 

次にもう一軒、思い入れのある住宅を案内していただいた。
こちらも同じく南国市内にあるE様邸。完成2014年。渡り顎構法の伝統的な木組みの日本建築でありながら小松さんのエッセンスが散りばめられている。構造材はお施主さんのこだわりで、すべて桧を使用している。

左上:左官の技の光る土佐漆喰の外壁/右上:高知県産の桧と杉がふんだんに使われている/左下:開放的な吹き抜け/右下:
内部は珪藻土仕上げ


土佐とともに、これからも。

 

⎯⎯⎯ 高知の森林率は日本一の84%と聞きました。やはり小松さんも県内産の材木をよく使ってらっしゃるのですか?
そうなんです。日本一森林県なのに外国の木を使っている場合じゃないでしょう。山に行けば昔植林された杉や檜が、いい木に育っているんです。でも切って山から降ろしても二束三文にしかならないので活用されていないんですよね。高知は森林県なのに活かし切れていないのが現実です。少なくとも自分は土佐の大工として土佐の木を使って行きたいです。

⎯⎯⎯ 高知といえば真っ青な仁淀ブルーの仁淀川をイメージする人も多いですよね。

そうですね。仁淀川のあたりはやはり山自体の手入れが行き届いているからこそ川もキレイなんです。他の山に行くとそんなところばかりではないので、やはり川も濁っています。林業は高知のこれからの課題です。

⎯⎯⎯ 高知の現状とこれからの課題について伺いましたが、小松さんご自身のこれからのビジョンを教えてください。

今、高知は石場立ての家が全然建てられていないので、どうにか建てられるようにしていきたいです。土佐漆喰や水切り瓦など、土佐の気候風土に合った伝統建築の良さがあるんですが、古き良きものを大事にするという文化があまりないのかも知れません。プレカットやハウスメーカーの家づくりに流れてしまった人手をどうにか、手で墨付けをして手で加工するというの職人技の家づくりに呼び戻したいという想いがあります。

⎯⎯⎯ 具体的にどういうことをされているんですか?

何か団結して大きいアクションを起こすというわけではありませんが、できることをコツコツ続けています。中でも土佐漆喰は本当に素晴らしい素材なので、使える時は必ず使うようにしています。塗れる左官さんも年々減っているので少しでも貢献したいですね。もちろん材木も高知の木をふんだんに使って行きたいです。

 

確かな職人技と確固たる信念で大工を続ける小松さん。しかし、その手から創り出されるのは伝統的な木造住宅からウエスタンの店舗やスケボーのランプなど、実に幅が広い。まさに《温故知新》を地で行く彼の手から次に生まれるものは、いったいどんなものだろう。


松匠建築 小松 匠(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

職人が受けて、職人が完成させる。それもいち職人でなく、会社として。工務店とも設計事務所とも違う独自のスタイルで木の家づくりをしている鯰組(なまずぐみ)は、代表で大工の岸本耕さんが立ち上げて12年になる。設計から施工までトータルで請け負える強みは、さまざまな職業が生まれては消える東京で、唯一無二の光を放っている。プロフェッショナル集団を率いる岸本さんは、ひとりひとりの職人に「それぞれのよさを生かしてほしい」とあたたかいまなざしを向ける。その姿勢は建物や材料にも向けられ、居心地のいい空間を生み出し続けている。

「鯰組」のウェブページ。かわいらしい黒い鯰のイラストが泳ぐページの右上に、「大工とは?」という問いがある。
クリックすると出てきた答え。
・大工とは、目利きの職人。
・大工とは、考える職人。
・大工とは、描く職人。
・大工とは、組む職人。
・大工とは、仕上げる職人。
・大工とは、設計士、庭師、職人をまとめる棟梁です。
そして、「私たちは、日本の大工です。」と締めくくる。

個性際立つ会社のロゴマーク

「職人の会社」にこだわり

岸本さんは、自身の肩書を「大工または棟梁」とこだわり、「建築家」とは言わない。「鯰組」も6人が所属する会社組織だが、社員とは呼ばず「職人」「大工」にこだわる。「大工は、設計から工程管理、材料など家づくりのすべてがわかっていて、施主さんとコミュニケーションを深めながら決めていく存在」という、昔から続く感覚を大切にし、誇りを持っているからだ。

そして、その職人が個人でなく、集団として働くことで「施主さんの期待以上の仕事、職人もやりがいのある仕事ができる」と考えている。

「鯰組」は、職人でつくるプロフェッショナル集団だ

職人集団「鯰組」はどんな体制なのか。現在の社員は6人で、ほとんどが20~30代で、1人たたき上げの60代の大工職人がいる。

社員は2人ずつ①設計兼、現場監督②大工兼、現場監督③大工と大工、の組み合わせで3チームに分かれ、チームごとにプロジェクトを進めていく。物件によって期間や難易度がさまざまなので、1件をじっくり進める時もあれば、何件か同時進行することもあるというという。それぞれの業務に集中できるよう、施主さんとの打ち合わせをはじめこまごましたことは岸本さんが一手に担う、という役割分担だ。

各チームは先輩と若手という組み合わせで、若手は先輩から仕事の進め方を習う。「若手は、まずはひとつのやり方をきちっと身に着けることが大事。いろいろ手を出したり、他のやり方を見ると時間ばかりかかってしまうのでやらせない」というのが、鯰組流のスタイルだ。ひとつのやり方が身につくと、その応用で別の仕事もこなせるし、つまづいた時の解決方法も見つけやすいのだという。そのやり方については、鯰組として確立したものがあるわけでなく、それぞれの先輩に任せている。

東京に構える作業場には、材木等のストックがびっしり

飛び込んだ大工の道、独立から無我夢中

このような体制になったのは5、6年前のこと。
鯰組の設立時は岸本さんひとりで、プロジェクㇳの数が増えたり規模が大きくなるごとに、少しずつ仲間を増やしていった。

会社設立前の岸本さんは、千葉の工務店「眞木工作所」で修行した。そこの棟梁・田中文男さんに師事したいという思いで門をたたいたのだった。

岸本さんは「建築を勉強したい」と大学の建築学部に入学したものの、設計だけを学ぶことに物足りなさを感じていた。そんな時、偶然知ったフランスの建築家ジャン・プルーヴェに魅了された。鉄工所育ちの職人で、金属でなんでも作ってしまうアイデアとバイタリティ。「建築家のオフィスの所在地が部材製造工場以外の場所にあることは考えられない」という哲学。この出会いが、岸本さんを「設計だけでなく実際にものを作り出す施工までやりたい、大工になりたい」と突き動かした。

雑誌『住宅建築』で「民家型工法」を紹介していた田中文男棟梁を「日本のジャン・プルーヴェだ」とほれ込み、眞木工作所でアルバイトを始めた。卒業後に弟子入りし、10人ほどの職人にもまれながらの日々。

「最初は何もできず怒られてばかりで、同じような若い職人同士で酒飲むのが心の支えだった。経験積んでできるようになると、少しずつ怒られる回数が減っていった」と振り返る。同時に、木造建築にどっぷりと触れ、その力強さや、シンプルで合理的なつくりなどの魅力を存分に味わった。

3年経った頃、大学時代の友人が古民家の改修・移築を依頼してきた。当時築80年の古民家で、ケヤキ材が多く使われていた。「この仕事、自分がやりたい」と強く惹かれ、独立へとつながった。

とはいえ工場もなしに独立した岸本さんは、移築先の現場に仮設テントを張って作業するという綱渡りのような工期を過ごした。設計から工事、施工監理まで幅広い業務を一人でこなしたが、慣れない作業もあり時間もかかった。工事中は無我夢中で、愛着と達成感はひとしお。けれど、終わってみたら次の仕事の段取りは全くできていない、という恐ろしい状態だった。「結局、眞木工作所に出戻りし、5年程お世話になりました」と振り返る。

独立のきっかけにもなった古民家は、「今も大切に使われていて嬉しい」と岸本さん(撮影:黄瀬麻衣)

集団だとできることが広がった

「設計から施工までやりたい」と大工の道に進み、独立して走り続けてきた岸本さん。仕事の進め方を模索する中で、ひとりでは1、2年かかってしまう仕事も、チームなら半年で終わらせられることや、得意分野を得意な職人に任せることで効率よく仕事を勧められることがわかってきた。

また、細かい造作が得意な職人もいれば、おおらかな屋根をつくれる職人もいる。「こういう職人がいい、という理想に自分を近づけるのではなく、自分なりの職人になればいい」と考えるようになり、若手にもそれを望んでいる。

「僕は、若手の得意分野を伸ばせるような仕事を取ってこようって本気で思ってますよ」と笑う。

自身の性格についても「手を動かしてものをつくるのは大好きなんだけど、集中しすぎて他に手が回らなくなる」と冷静に分析。現場作業の第一線からは退いている。ただ、昔から好きだというスケッチは、施主さんの要望を表現したり、細かいおさまりを説明する時に描いている。

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スケッチを描く時間は、頭が整理され、気分転換にもなるという

岸本さんは、いち職人として設計から施工までできなくとも、「鯰組」として請け負えればいい仕事はできる、と思えるようになった。

いい仕事とは、施主さんが思い描いた以上の空間をつくること、そして、職人もやりがいを得られること。

職人集団だからと言って職人のひとりよがりにはならず、施主さんの喜びを意識すること。そこには、建物の完成度だけでなく、工期や予算、打ち合わせから工事中の職人の態度も関わってくる。加えて、ただ施主さんの希望通りのものをつくるだけではなく、使う材料の個性を活かしたり、古い建具を再利用したりといったアイデアも不可欠だという。

職人のやりがいには「ほかの人にはできない」という満足感が必要だという。精巧な細工、美しいおさまり・・・これらの技術を高めていくのは一朝一夕では難しい。鯰組はプレカットなど現代の技術をうまく取り入れることも必要だと考えている。その分の時間を手仕事にあてることは、技術の継承にもつながっている。

いずれの場合も重要なのは、施主さん、材料や物件、そして職人をよく見て、よさを見出し、引き出す姿勢だ。現場の数や種類が多いほうがよく、集団であることで多数の仕事を受けられる今の体制が生きてくる。

最近の施工事例は、鳴滝の数寄屋風住宅((撮影:市川靖史)

そもそも、木造建築は「昔は一般的だったかもしれないが、今の東京ではマニアックになりつつある分野」と岸本さん。「できあがっているものを組み立てる工業製品と違って、木で形を削り出す自由度はすごい。どんな空間にもなじむし、温かみがあるのもいい」と魅力を語る。

住宅の玄関口。上がりかまちと竹柱が美しい(撮影:市川靖史)

今までは東京と言う場所柄か、数寄屋建築や茶室や料亭などの仕事が多かったという。
鯰組には職人ではないが広報担当の社員がいた時期もあり、イベント企画やカフェ運営(現在は閉店)もしていた。雑誌などにも取り上げられると問い合わせは増えるが、実際に契約まで至るのは大半が施主さんによる紹介という状況だ。

最近は古民家にも縁ができ、勉強を始めたところだという。「まずは健全な状態に戻すこと。それから、せっかく残すならよさを生かさないと意味ない」と、丁寧に見やる姿勢をさらに正す。

思い起こせば、独立のきっかけも古民家の改修だった。その時に打ち合わせを重ねた場所・埼玉県吉川市の特産が鯰だったことから、社名に鯰を取り入れたという。ちなみに、独立時の会社名は「吉川の鯰」とストレートだ。

「初心を忘れるべからず」を胸に刻みながらも、時代に合わせて、会社の体制に合わせてしなやかに変化してきた岸本さん。会社をつくるのは職人。職人の経験や技術・アイデアを信じ、職人を真ん中にした家づくりをしていきたいと前を見据える。

鯰組 岸本耕さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真提供:鯰組

● 取 材 後 記 ●

ひとつ、質問を投げかけるたびに「こういう場合もあるし、こういう視点もある」と複数の答えをくださるのが印象的だった岸本さん。常日頃から、いろいろな角度からものごとをとらえていることが伝わってきた。「わかってくれる」あるいは「わかろうとしてくれる」という安心感は、施主さんや職人への信頼につながっていることが伺える。

コンクリートジャングル・東京で、鯰組の手がけた木のぬくもりはきっと美しく映えている。今回はオンライン取材で実際に見ることが叶わず悔しいが、岸本さんのように別の角度から「次回訪れるまで楽しみをとっておこう」と考えることにしよう。

大阪市内で「人の手と心で造りこむ、温かい美しい木の家」をモットーに【有限会社 羽根建築工房】を営む羽根信一さん(はねのぶかず・66)をご紹介します。
羽根さんは三重県熊野市出身。小学生の頃から将来の夢の作文には「大工さんになりたい」と書いていたそうだ。「何が理由かは自分でもわからないんですが(笑)」と羽根さん。18歳で奈良で大工として弟子入りし入母屋造(いりもやづくり)の住宅をメインに手がけられていたそうだ。その後、20代半ばからは大阪の工務店へ。大工・現場監督そして取締役を勤め44歳で独立。そして【羽根建築工房(以下はねけん)】を立ち上げ今年で22年になる。

イチから学ぶことの大切さ

 

まずは、羽根さん自身の経歴や、職人さん・お客さんとの関わりなど、人間関係について話していただいた。

⎯⎯⎯⎯羽根さんご自身の現在のお仕事について伺います。設計から大工仕事まで手がけられているのですか?
「私自身は設計はしないんですが、現場監督が自分も含めて4名(内、設計もできるスタッフが2名)いますので、いつも4人でコンペをしています。みんなで設計しているという感覚ですね。独立前から付き合いのある設計士さんからの仕事も多いです」

「大工に関しては今は自分で刻むことはほぼなくなりました。手を出したら怒られます(笑)。というのも若い子の成長を重視しているからなんです。今の自分の仕事は「若い職人達が自分で考えながら活躍できる場をつくる」ことです。今はそこに集中しています」

⎯⎯⎯⎯具体的には若い職人さん達を育てるためにどのような取り組みされているのですか?
「若い子たちに対して気をつけていることは各々のレベルに応じて《活躍できる場》《自分で考える場》《手刻みの場》をつくってあげるという取り組みをしています」

活躍する若き大工達

「木の家を作り上げるためには、やはりイチから学ばなければならないと思うんです。いきなりプレカットのように中途から造作仕事に入るとかでは、全体の流れがわからない。イチから現場で経験してこそ一人前の大工になれると思っています。そのためにも100%手加工を貫いています」

「それから、住宅ばかりだけでなくイベントや展覧会などの施工などに、若い子たちを参加させるようにしています。普段と違うことが多いのでメリハリが出て楽しんでやっていますね。ちょうど今、神戸県立美術館で開催中の特別展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」に展示されている中村好文氏設計の小屋 《shell house》の施工を担当しています (建築知識ビルダーズ42に詳細掲載 東京をはじめ他の巡回展も担当)。そういう現場でも図面通り行かないことは多々あるので、彼らの勉強にもなるし面白い部分だと思います」

《shell house》施工風景

 


お客さんにも建築家にもNOと言います

 

⎯⎯⎯⎯次にお客さんとの関わりではどんなことを大事にされていますか?
「つくり方に対する熱い心を訴え、お互いに共有できる関係を目指しています。それと関西なので必ず負けてって言われますね(笑)『関西人やし一応言っとくわ〜』と言う感じで。それはコミュニケーションがうまく取れている証だと思っています。お互いが言いたいことを言えて、聞き入れる姿勢を持ち、できないこと・ダメなことにはきちんとNOと言える関係を築くことが大事だと思います」

「僕は建築家の言うことにもNOと言います(笑)。そうやって関わる人みんなが本当に打ち解けられる雰囲気作りを現場が始まる前にしておけば、工事中も建てた後も気持ちよくスムーズな動きができますよね」

⎯⎯⎯⎯⎯他に人の繋がりを考えて実践していることはありますか?
「はねけんでは毎年夏休みに合わせ「羽根建祭り」というイベントを二日間に渡って開催しています。『土と木に触れてもらいたい』という想いで始めたもので、家づくりや暮らしにまつわる様々な体験ができる催しです。地域の子供たち・はねけんのお客さん、さらにその友人やHPで知った人などいろんな人が、毎年約200名くらい来てくれます。毎年賑わっていて私自身も楽しみにしていたんですが、今年は残念ながらコロナで中止になりました。次に開催する際には、大人も子供もみんな一緒に『観る・触る・動かす・考える・聞く』古くて新しい感動や発見ができる場になれば良いなと考えています」

毎度盛況な羽根建祭りの様子

羽根さんは、コミュニケーションの重要性を考え、職人・設計士・お客さんに至るまで、家づくりに関わる人達と一貫して気持ちの良いやりとりをできるように心がけているのだ。

 


Photo:ViBRA photo 浅田美浩

理想の設計思想を目指して

 

次に、はねけんの家づくりの思想や特徴について詳しく聞いた。

⎯⎯⎯⎯いわゆる「伝統的な木の家」というだけではない新旧・和洋が調和した素敵な木の家を多く建てられていますね。
「いろんなお客さんがいらっしゃいますから、伝統的な方向にグッと入り込んだ家づくりはなかなか手掛けられないんですが、大工仕事自体は木の家ネット会員のみなさんと同じ、伝統的な技術・方法でつくっています」

それから木に関して言えば、吉野杉を使う機会が多いです。木の家ネット会員の中西豊さん(株式会社 ウッドベース)にいつもお願いしていますし、徳島の和田善行さん(TSウッドハウス)にもとてもお世話になっています。実は和田さんの息子さんがうちで現場監督として働いてくれているんですよ」

ここでもご縁やコミュニケーションを大事にされていることがうかがえる。

⎯⎯⎯⎯はねけんのホームページには、家を建てていく上でのこだわりや思想、重要視するポイントなどのコンテンツがとても充実していますね。見ているだけでも楽しいですし、これから家づくりをしたい方にとっても重要な資料になっていると思います。特に特徴的な強みはどこでしょうか?

「構造を重視して100%手加工。さらに温熱的な考え方をもって建てるのがはねけんの基本です。中でも《羽根建壁(はねけんかべ)》が特徴的ですね。従来の竹小舞のように竹を編み込んでゆく代わりに、竹を貼って土を塗って仕上げます。竹小舞の土壁のように構造材にはなりませんが、現代の家づくりにも順応する土壁となり、施工性を上げながら土が元来から持つ調湿性・保湿性・防火性能を得ることができます。主に人が一番無防備になる寝室に多く採用しています」

《羽根建壁》柱間には断熱材を施せるので「省エネ等級4」に相当する断熱性能も確保する

「土壁に憧れるお客さんがやっぱり今でもいらっしゃいます。みなさん、土の持つ健康面のメリットに魅力を感じられているようです。コロナ禍において自宅で過ごす時間が増えているので、室内はより安全で快適な空間にしたいですよね」

「他には、使う材木にも特徴があります。伝統的な木の家を建てる場合の梁とか柱には結構太い木を使うと思うのですが、はねけんでは小径木の《磨き丸太》を積極的に使っています。えくぼがあったり節があったりして規格品にならないものを活用しています。アントニン・レーモンドの建築が大好きで、丸太を使うのもレーモンドの影響を受けている部分です」

 

《絵画を楽しむ家》天井に見える丸太が特徴的だ。 Photo:及川雅文

⎯⎯⎯⎯温熱環境についての話も教えてください。

「生活の場として家を考えた時に【ストレスを感じない家づくり】というのが一番だと考えています。それを実現する上で一番大事なのは構造(『地震で倒れないか心配』というストレスを感じないことなど)。その次に大事なのが温熱環境(極端な暑い・寒いというストレスを感じないことなど)なんじゃないかなと思っています。いわゆるパッシブデザインの考え方ですね。自然の光・熱・風を効率的に取り入れて、夏に涼しく冬に暖かい快適な家を作ろうと思想です」

柔らかな日差しが降り注ぐ。快適な暮らしが目に浮かぶ。

⎯⎯⎯⎯空気集熱式ソーラーシステム※なども使われるんですか?

(※:暖房・涼風・換気・循環・給湯・発電の機能を備えたソーラーシステムのこと)

「一時は使っていたのですが、そういった装置に頼ってしまうと、どうしても装置が利くかどうかと言う話で終わってしまいます。今は、構造・素材・プランなどをいろいろと試行錯誤していくことで、装置がなくても、自然のことだけを考え、昔の日本の生活様式を発展させていく形で、快適な温熱環境を整えることができるようになってきました」

「温熱の勉強は奥が深く、独学でやっていても限界があります。【Forward to 1985 energy life】という、家庭でのエネルギー消費量を賢く減らして、現在の約半分、ちょうど1985年当時のレベルにしようという取組をしている団体に所属し、みんなで学んでいるところです。木の家ネットが木の家に熱い情熱を捧げているのと同じように、彼らも温熱に対して熱い情熱を持っています」

ここまで話していただいた【職人さんの話】【壁や丸太など素材の話】【温熱環境の話】などを組み合わせながら、理想的な住まいをつくる方法を、羽根さんは考案している。
それが【HANE-ken standard】と言う住宅設計の思想だ。【HANE-ken standard】の家はどれも「本当に大切なものだけを備えれば、それは豊かな住まいになる」というコンセプトのもと、こだわりをもって建てられている。

「一般の人のための住宅を、より住みやすくよりストレスのないものにしていきたいなと考えています」と話す羽根さん。完成した家々にはその思いがギュッと詰め込まれている。

屋根付きデッキのある家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)

みささぎ台の家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)


想いを広げる

 

羽根さんの家作りに対する情熱は、全国の仲間と共に波及しはじめている。

「名前はまだ無いんですが【手刻み同好会】というものを、全国の仲間10何社かで立ち上げています。手刻みをしたことのない工務店も多いので、そういう人たちに向けた勉強の場を作りたかったのが始まりです。そこから発展し、最近では『小屋を作ろう』という企画を実施しています。小さな小屋にパッシブデザインの設計思想・大工の優れた手加工の技術、自然の素材などの粋を集めることで、日本の伝統建築の良いところを、広く発信していけたら良いなと思っています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

⎯⎯⎯⎯画面越しですが、すごい熱量を感じます(笑)。最後に一つ質問です。羽根さんにとって家づくりとは何でしょうか?

「家づくりは結局【ものづくり】だと思います。ものづくりは『一を聞いて十を知る』というような単純なことで成し得るものではなく、一から順番に全ての過程を熟知しておかなければなりません。自分の仕事に集中する一方で周りも見渡し、いろんな角度や立場から状況を見る姿勢が大事ですね。お互いに把握し理解しあってこそ【良いもの】をつくり上げることができると考えています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

広く浅くでもなく、狭く深くでもなく、広く深く探究し、常に学び体現し続けている羽根さんの【家づくり/ものづくり】に対する情熱は、日本中に広がってゆくことだろう。


羽根建築工房 羽根 信一 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

埼玉県ときがわ町・久道(ひさみち)工務店の久道利光さんは、「かっこいい木の家をつくりたい」という一心を胸に、厳しい姿勢で大工業に向き合ってきた。修行時代は新建材を使っていたものの独立後に独学で伝統構法を身に着け、現在64歳ながら大工歴は50年にせまる。久道工務店のテーマ「時の流れで、良くなっていく」のごとく、作り出した家も大工技術も、時を重ねて深みを増していく。

「久道さんへの取材は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により電話となった。zoomなどオンラインの手段は「悪いけどよくわからないんよ、しゃべるのも苦手」と言いつつも、こちらの質問に時間をかけて応えてくれた。物腰は丁寧で、声ははきはきと明るかった。

久道工務店のカレンダー。木製でかわいらしい

大工だから感じられる、つくり上げる喜び

久道さんは中学卒業後、15歳で大工の道へ。生まれは宮城県仙台市で、13歳の時に親が他界し、叔母を頼って埼玉県に引っ越した。「卒業後、住み込みで働けるところということで、大工を勧められた。本当はなりたくなかったけど、これが自分の運命だったんだろうな」と振り返る。修行先は、川越市の小山工務店。川越は東京のベッドタウンとして開発が進んでいたエリアで、修行を始めた。

最初の3、4年は、仕事の3分の1は基礎工事や丸太の足場掛け、ブロック積みなど大工仕事以前の仕事をこなした。「休みはないし給料は安いし、いやでいやでしょうがなかった」というが、少しずつ大工仕事を覚え、ものがかたちになっていく快感を味わうと、のめり込んでいった。

修行時代は新建材が普及し始めたころと重なり、洋室の床や壁は合板を使うことが多かった。しかし、建築関係の雑誌を読むと、不思議と木造建築に惹かれた。特に好きだったのはログハウス。「太い丸太を組むだけっていうシンプルな感じがかっこよかった」と話し、雑誌『WoodyLife』(山と渓谷社発刊の季刊誌)に夢中になった。一方で、外国の建物だからと、どこか遠い存在でもあった。さらに20代後半になると『住宅建築』(建築資料研究社)を読み始め、高橋修一さんや安藤邦廣さんに憧れた。

憧れの木の家が、身近になったのは30歳ごろ。修行を続ける中で、木の家ネットメンバーの高橋俊和さんの設計した伝統構法の家を見学に行った。木をシンプルに組んだ美しいたたずまいに「こういうふうに作れるんだ!やってみたい!と感動したよ」と久道さん。

その後、高橋さんの物件など伝統構法の建て方を応援に行くことで、そのノウハウを身に着けていった。特定の親方について教えてもらったわけでもなく、独学ということになるが「大工だから、目で見てりゃーだいたいのやりかたはわかる」と笑い飛ばす。軽く話すが、勘の鋭さと並々ならぬ努力が垣間見える。

久道さんの頭の中には、大壁、大屋根のシンプルな木の家というかっこいい姿が描かれている。修行で磨いた腕と、その時に得た経験の応用で、その姿を現実に落とし込むことができるのだ。

そして、34歳で独立。その時、3つの目標を立てた。

・かっこいい木の家を建てる

・紹介だけで仕事ができるようになる

・施主さんに、できるだけ安く建てる

独立して約30年。これらの目標は叶ったかと尋ねると、「ありがたいことに、だいたいかなえられてきた」と声が弾んだ。「ずっと忙しく仕事があったから、看板も作っていないんだよね」と打ち明ける。

久道さんは住宅物件を中心に新築7割、リフォーム3割の割合で仕事をしている。3年先まで仕事が決まっていることもあったほどの人気ぶりだ。特徴的なのは、親子2代で注文が入るということ。棟数は15,6軒、請け負った新築物件の半数以上を占める。

施主さんの一人・藤田哲雄さんも、久道さんの仕事ぶりにほれ込み、弟の家も、さらに息子の家も、久道工務店に任せた。久道さんを「とにかくもう、誠実」と断言する。

藤田さんの家は18年前に建てた木造2階建てで、ヒノキの木組みが「しっかりとしたつくりの家で、安心感がある」と実感する。

1階南面の窓は、1間半がひとつ、1間が3つととても広くとってあり「夏は風が入るので涼しく、冬も日差しが差し込み寒くなりすぎないので、暮らしていて自然の中にいるみたいで気持ちいい。空間に余裕があるから、心にも余裕ができて、大満足」とほれ込む。

独立してから、久道さんはときがわ町に土地を購入。木の家を好きになったきっかけであるログハウスから、次第に里山の風景や登山を好むようになり、場所を探した。そして、それまで縁がなかったときがわ町に飛び込んだ。

そこに、木組み・土壁の伝統工法で自宅を建てた。片流れのシンプルな外観で、吉村順三さんの小さな森のイメージで設計。たっぷりとった床下には材料が置けるようになっている。

とにかく開口部が大きく、自然の風が吹き抜けて季節を感じさせてくれる、気持ちの良い空間だ。
施主さんにとって、モデルルームのような役割も果たしている。伝統工法の仕組みや、自然素材の触感は、口で説明するよりも五感で感じるほうが何十倍も伝わるという。生活感もあり、実際に暮らした時の雰囲気もイメージしやすい。

作業場は、木にちょうどいい湿気具合の場所を探し、隣接する毛呂山町の200坪の土地を借りて建てた。こつこつと道具や機械をそろえてきた。

年月を経て、施主さんの要望も変化してきた。以前は「大工さんにおまかせ」が多かったということで、久道さんが信念とするかっこいい家=伝統構法が生み出すシンプルな空間を提案できた。近年は、施主さんが予算や納期をはっきりと提示するようになってきたという。合わせて、プレカットを取り入れたり、化粧張り梁など見せ場だけ伝統工法にしたりするやり方を模索してきた。

一方で、食器棚やげた箱など作り付けの家具には、広葉樹の無垢の一枚板を使うというこだわりは外せない。スギやヒノキのほうが安く抑えられ、何度か使ったことはあるものの、「なんかかっこよくはならないんだよな」と一刀両断。かっこいい家をつくるためなら妥協はしない。

作り付けの家具は広葉樹にこだわる

材料は地元の材木屋でまとめて購入することで価格を抑えている。倉庫で天然乾燥させておいているが、家で言えば5、6軒分はあるというから驚きだ。

倉庫に積まれた材木。活躍の日を待っている

目標の3つめ「施主さんにとって安い家をつくる」と、1つめ「かっこいい木の家をつくる」との両立は、決して簡単ではない。自分で考えてアイデアをひねる、頼りになる同業者に聞く、施主さんとよく相談する、書物を読みあさる・・・あらゆる手段でもがきながらも、追求し続けている。

仕事は厳しくが当たり前

そんな久道さん。「最近はほめて育てるっていうけど、俺にはできない。本当は褒めたいときもあるさ。けど、俺は仕事は厳しいもの、厳しくないといけない、って思っている」と打ち明けてくれた。

修行時代は、親方も兄弟子も「見て盗め」というスタンス。何もわからず飛び込んだ職人の世界は、やりがいはあれど、厳しかった。

それでも、「腕が上がれば家の仕上がりは確実に良くなる。これまで建てたことない家、作ったことない家具も、経験から『こうすればできる』って思えるし、実際にできる」と、厳しさが自分を強くしてくれたことを実感している。「だから、ついつい弟子にも厳しくしてしまう。申し訳ないと反省することもある」と、親方としてももがく日々だ。

これまで 20人以上の弟子に修行をつけたが、年季明けせずに去ってしまった場合が大半だという。その中の3人は自分で工務店を立ち上げ、忙しく仕事している。

久道さんが弟子に求めるのは「気づき」だ。大工作業はもちろん、掃除や、道具ひとつ置くにしても、「どうしたら作業しやすいか気づくことが大事」と強調する。作業のしやすさは仕上がりの美しさに直結するためだ。気づきの正解は、現場や気候によって変わってくるので、マニュアル化できない。場数も必要になる。「気づこうとする心掛け、やる気みたいなものだな、結局は」と見ている。

現在は、20代と30代の2人の弟子を指導している。

加藤靖さん(32)は、県外の別の親方の元で修行した後、久道さんの弟子となった。

「仕事には厳しいです。気に入らないと雷が落ちることも。けど、完成したら言うだけのことはある。きれいにおさまってさすがと思います」と実感する。仕上がりの美しさは、説得力となっている。

さらに、「施主さんに預かったお金を無駄にしたくない、金額以上のことをやりたい」という思いは、常に胸にあるという。

久道さんは「俺は学がなく、できることは大工だけ」と謙遜し、「そんな俺を信頼して家を建ててくれっていう施主さんだもの。予算以上、希望以上のことをやってやりたい」と気合が入るのだ。おのずと、仕事に向き合う姿勢は厳しくなる。

これだけどっぷりと、人生のほとんどを家づくりに費やしてきた久道さんだが、まだまだ、もっとかっこいいものをつくってみたいと前を見据える。さまざまな木の家を見に行ったり、住宅雑誌を読み、見聞を広めてきた。憧れは、建築家の高橋修一さん。30年以上憧れ続け、縁があり紹介してもらったという。「五感で感じ、心豊かに住める家・・・そんな家だ」と久道さんは語る。

久道さんが考える伝統工法は、日本の四季に寄り添い、自然の力と共存する建築。木の個性をみながら加工し、柱や梁、床など、ちょうど良いところに配置する。縁側は、夏は強い日差しを遮り、寒い時期は寒気を遮断してくれる。土壁や畳の調湿効果は、家にも、住まう人にも気持ち良い呼吸を届けてくれる。

日本文化研究家のエバレット・ブラウンさんも「日本人は人間も自然の一部として認識しており、暮らしも住まい方も、 自然と一体化することを目指してきた」と、日本人にとっては当たり前の感覚を魅力としてとらえている。この発言は、木の家ネットなどが2018年秋に開いたイベント「明治大学アカデミックフェス・日本の伝統建築の魅力とその理由」での基調講演での発言だ。

そして、これらの住まい方を実現するための技術は、何世代もの職人たちによって磨かれてきた。時を重ねながら無駄なものはそぎ落とされ、便利で使いやすい上に、美しさと両立もしている。「本当に、日本の家ってのはよくできている」と久道さんは、家を建てるたびにほれぼれするのだ。

そこにさらに磨きをかけようという思惑もある。
久道さん自身、これまで自身が快適に暮らしてきた家が、近年は寒さ、冷えを感じるようになったという。住まい手の年齢や暮らしぶりによって、同じ家でも感じることが変わってくるということを実感している。工務店のコンセプト「時を経て、良くなっていく」を実現しようと、現在、改装のアイデアを練っているところだ。「完成されているんだけど、いくらでも工夫できるのが木の家。施主さんの家づくりにもつながるから」と笑う。

体が動くうちは現役大工でいたい、と考えてはいるものの、「気持ちはまだまだ満足してない」と久道さん。先を見据えるまなざしは、凛と光っていることだろう。

久道工務店 久道利光 さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真提供:久道工務店

● 取 材 後 記 ●

久道さんを取材して驚いたことのひとつが、独立のきっかけが「親方の施主さんに家を建ててと頼まれた」という話だ。これまでインタビューした方は、年季明けしたタイミングだったり、「〇歳までに独立する」など自分で決めて独立するパターンが多く、その分、独立後の仕事を心配していた。人からの依頼で独立とは!それだけ腕に、そして人柄に信頼が集まったのだろう。

久道さんは「当時は、親方の仕事をとっちゃったって悩んだんだよ」と振り返って笑うが、話し合って円満に独立できたという。今でも、親方の誕生日には一緒に飲みに行っているそう。

新型コロナウイルスの影響はいつまで続くのか、先の見通せない時代は続いている。自分で時代の流れを作り出すことも素晴らしいが、久道さんのように、時代の流れに身を任せることもありなのかもしれない。

最後に、電話での取材を快諾してくれた久道さん、写真撮影に協力してくれた弟子の加藤さんに感謝したい。

今回ご紹介するのは千葉県松戸市で「有限会社 タケワキ住宅建設」を営まれている竹脇拓也さん。
タケワキ住宅建設は父の千治(ちはる・78)さんが1972年に創業して以来今年で48年。木の家一筋の会社だ。
竹脇さん自身は大学で構造を中心に学び、大手ゼネコンに就職。東京と熊本で6年間現場監督務めた後、家業のタケワキ住宅建設を継ぎ、2009年には代表取締役に就任した。

「こういった経歴ですので、ずっと木の家をやってきたという訳ではありません。戻ってきてから父親や会社がやっていることを見ながら、木の家について学んできました。」

「しかしよく考えると、幼い頃から家づくりに触れていましたし、高校時代はアルバイトも兼ねて手伝いをしていました。常に身近に木の家づくりというものがあったので、自然と『自分もやってみたいなぁ』と思うようになったのが、建築関係に進もうと思ったきっかけですね」

父親とは少し方向は違うが建築の道を選んで進み、そしてまた木の家に戻ってきた竹脇さん。今では木の家にゾッコンだ。

木への情熱

 

⎯⎯⎯⎯HPに「社長自ら山まで木を見に行き選んでいます」と書かれていましたが詳しく伺えますか?
「毎回という訳ではないんですが《東京の木で家を造る会》に参加していたことと、当時日本の山を色々と見て廻る機会がありまして、ある時『千葉の木で家を建てたい』というお客さんが来られました。その際に、実際に地元の山に入ったり製材所を巡ったりしたのがきっかけで、地元の木も使うようになりました」

「千葉県内はもちろん、近場では東京・埼玉・栃木あたりの山を見にいきます。一口に国産材といっても特性がいろいろあるんだろうなと思い、機会があれば九州や紀州、それから奈良の吉野の山へ行ったりもします。実際に吉野の山で《番付》までして帰ったこともあります」

⎯⎯⎯⎯相当情熱を傾けてらっしゃいますね。では千葉県内の林業はどんな状況だと感じていますか?
「構造材としての材木の流通量自体はそれなりにあると思うんですが、設計事務所や工務店との接点が少ないと感じています。それから乾燥機の問題ですね。天然乾燥をやっているところは弊社が取引しているところを含め数社あります。しかし低温乾燥材の場合は、基本的に千葉の市場に出回るのはグリーン材(乾燥していない状態なのでそのままでは家づくりには使えない)なので、使用現場とのマッチングが難しい状況です。また県内の木材を扱いたいという工務店自体が少ないという側面もあります」

千葉県内で伐採された原木

「千葉県は立地的に住宅の件数自体はかなり多いのですが、やはりプレカットが主力で、国産の材木を使って木の家を建てている工務店となると数えるほどしかないのかなぁという印象です。プレカット工場で木の話をしても、例えば『化粧って何ですか?』といった具合で言葉が通じないんです。《木を見せる》という概念自体がないんです」

木の家を取り巻く状況は寂しそうだが、社内に目を向けると賑やかさを感じることができる。

 


続けていくことの大切さ

 

タケワキ住宅建設には現在、腕の立つ大工が10人(社員大工4人・専属大工6人)いる。特に若手の活躍には目を見張るものがある。34歳の篠塚大工は大工育成塾の2期生として受け入れてて以来、そのまま社員として10年以上働き、今では墨付け・刻みもこなし棟梁として仕事を任せられている。他にも20代の大工が2人、さらに50代〜84歳(なんと!)までベテラン勢が揃う。

20代の大工たちも加工に勤しむ

「ベテランの大工が辞めていくのは止むを得ないことです。幸い、うちには若い担い手が来てくれています。さらにあと何人かフレッシュな力が加われば、徐々に軌道に乗ってくるのではないかと思います」

木の家をつくれる大工が減っていく中で、こういった明るい話は嬉しい。

 

⎯⎯⎯⎯世代間の関わり方についてはどんな思いをお持ちですか?
「昔の棟梁たちは、やはりすごく厳しく育てられて来ています。でもその育て方をそのまま今の若い子達にやってしまうと、あっという間に辞めていってしまいます。そのことを棟梁たちもすごく理解しているので教え方が優しいですね。時に厳しいことも言いますが、うちの親方たちはみんな温厚なので、すごく優しいです(笑)」

4月の上棟の様子。大工たちが力を合わせる。

「できないことがあっても突き放すんじゃなくて、できるようになるまで寄り添って待つような育て方をずっとやって来ています。月日が経てば、一人前にこなせるようになりますし、きちんと自分で考えて何でも行動出来るようになります。《続けていく》ことが大切なんだと思います」

 


⎯⎯⎯⎯では、さらに若い世代に対してはどういった考えをお持ちですか?小学校で講話をされたそうですが、そのことについてお話いただけますか?

「たまたま今年2回お声がけいただき、お話をさせていただきました。1回目は、東京都大田区の池上小学校で、様々な職業について学ぶという趣旨でした。私は工務店ってどういう仕事なのかということを話してきました。東京23区の都会の学校で、マンション住まいのお子さんも多そうなので、木の家を建てて住んでいるのはかなり少ないんじゃないかと思います。身近で木の家に触れる機会がおそらくないので、『こんな家ってあるんだ!?』という驚きを持って聞いてもらいました」

大田区立池上小学校にて

「2回目は市川市の行徳小学校で、4年生の総合学習の授業で防災について学ぶという趣旨でした。ここでは熊本で建てられている木造の仮設住宅の話や、昨年千葉県を襲った台風の被害にあった住宅の修理についてお話してきました。建築というもの自体を知らない子供達が興味を持って見てくれて、中には『自分もやってみたい』という声もちらほら聞かれたので、やってよかったなと感じています」

市川市立行徳小学校にて

⎯⎯⎯⎯防災といえば、東日本大震災の際は千葉では相当な被害があったと記憶していますが、震災の経験を経て家づくりに変化はありましたか?

「そうですね。社内でもその時期から特に耐震に対して意識を持つようになり、構造計算ソフトで耐震等級3以上を標準にしていこうという話になりました。ただ弊社に来てくださるお客さんは、あまりそういった性能や数字を重視される方は少ないです」

「HPにも耐震等級や温熱環境がどうとか、あまり細かい数字の話は載せていないんです。もちろん建てる側としては必要な話ですが、お施主さんをあまり細かな数字にまで引き込んでしまうと、家づくりの本質と論点がズレていってしまいます。性能はもちろん担保した上で、どういう《気持ちの良い木の家》をつくっていけるかを追求していきたいと常々思っています」

 


事前の会話が、未来への礎となる

 

⎯⎯⎯⎯では、竹脇さんの考える《気持ちのいい木の家》とはどのような家でしょうか?

「土地土地に合った自然の力を活かすということですね。陽の入り方や風の通り方を考えて、『陽がここに当たると暖かくて気持ち良いだろうな』とか『風がこの部屋を抜けると気持ちいいだろうな』といった感覚的なことも設計段階で取り入れるようにしています」

⎯⎯⎯⎯タケワキ住宅建設のリフォームの強みは「とことん聞き出すところ。自然素材を活かした提案や、自然素材を使う技術だ」とブログで拝見したのですが、詳しく教えていただけますか。

「リフォームの依頼で数が多いのは、水回りの交換や外壁のメンテナンスなどの部分的な修繕ですが、『暮らしそのものを変えたい』ということで大規模なリフォーム・リノベーションをご依頼させれる方が年々増えてきています」

リフォーム事例

「また中古住宅を購入されてリノベーションにお金をかけ、心地よい暮らしをしたいという方も多いです。地域的に戸建てばかりではなくマンションを買われる方もいらっしゃるので、一口に『自然素材でやりたいんです』と言っても理由や背景は様々です。『なぜ自然素材を使いたいんですか』『どうしてそういう暮らしがしたいんですか』『そもそもなぜここの家を買ったんですか』など、いろんな角度から話を聞き出すことで、その家族が求める根本的な理想の暮らしを掘り下げていきます。その方が後々提案がしやすくなりますからね」

リフォーム事例

「当然限られた予算の中で実現していく訳ですから、一度に全部やり切るのは大変です。例えば『2階の部屋はお子さんが大きくなってきたら手をつけましょう』とか『外構は次回にしましょう』という風に2期・3期に分けてつくり上げていくという提案もしています」

「今日もちょうど工事しているお宅なんかは、もう7年くらいほぼ毎年何かしらの工事をしています。予算を分散させながら家族の成長に合わせて段階を踏んでいく訳ですが、肝心なのは一見関係なさそうなことや趣味のことなんかも含め、最初になるべくいろいろ聞き出して、お互いが納得のいく形で提案しながら進めていくことですね」

⎯⎯⎯⎯細やかな事前のヒアリングがあってこそ、先々のビジョンを共有できるんですね。ではアフターケアで心がけていることについて教えてください。

「自然素材でつくっていく家なので、当然経年変化して行きます。その点は理解しておいてもらわないとトラブルになりますので、事前によく説明して納得してもらうようにしています。それ以上に、心地よさ・自然素材の良さを十分にお伝えして、5年10年経った時に『ああよかった』と言ってもらえるような家づくりを心がけています」

「つい昨日も建てて4年のお宅に伺ったんです。梅雨明けしたばかりでジメッとしていましたが、すごく心地いい空間だったんです。お客さんはその中で日々当たり前に暮されている訳ですが『やっぱり心地いいんですよ』と言ってくれて嬉しかったですね。もちろん、木の色が落ちてきたり、左官でやった壁が割れてきたりはしているんですが、クレームになるのではなく『じゃあこう言う風に直しましょう』とお互いが納得した形でメンテナンスしていくことができていますね」

「また、建てて10年20年経つお宅では、当時小さい赤ちゃんだった子が、小学生や中学生になったり独り立ちしたりして、ご家族のライフスタイルが変化しています。ちょうど『子供に自分の空間を与えたい』と以前のお客さんから相談を受けたのですが、『完全に分けなくてもちょっと目線だけ隠せばいいんです』と仰っていました。設計の段階そういう話をしていたので、みんなで思い描いていた通りの未来になってきていて『よかったなぁ』と感じています」

 


木組みの家 上棟の様子

今回、竹脇さんとの会話の中で特に印象的だったことが2つがある。1つは《気持ちいい》という感覚を大事にされていること。もう1つは《長く付き合う》という姿勢だ。
《気持ちのいい暮らし》や《気持ちのいい人間関係》のために、すぐに結果を求めることなく、長い目で物事を捉え、人と共に、木と共に、家と共に、じっくり付き合うのが竹脇さんの家づくりだ。


タケワキ住宅建設 竹脇 拓也 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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