
地域材である杉材を主な建築材料とし、シックイ・和紙等の自然素材に依る、人にも地域環境にも負荷の少ない住まいづくりを実践。森林見学会等への参加を通して、住み手が納得し愛着の持てる家づくりに取り組む。


地域材である杉材を主な建築材料とし、シックイ・和紙等の自然素材に依る、人にも地域環境にも負荷の少ない住まいづくりを実践。森林見学会等への参加を通して、住み手が納得し愛着の持てる家づくりに取り組む。
石巻市内旧北上川河口から2キロ上流の住宅地に私が手がけた平成18年完成の「湊の家」、平成11年3月の震災で床上2mをこえる津波の被災があったが構造的には問題なかったし、災害危険区域にも指定されなかったので改修して住み続けることを決意された。1階の床、壁を剥がし、ヘドロを掻き出し洗浄クリーニングしたうえで断熱工事、元と同じ杉の一寸板を張った。元々2階にLDKがあり改修ついでに1階のサンデッキ前に土間で使えるマキストーブのある応接兼多目的スペースを増築し昨年11月完成した。増築部分天井兼厚野地板も杉本実加工一寸板を使用した。
サンデッキ前に増築した、土間で使えるマキストーブのある応接兼多目的スペース内観。今土間には、建て主が岩手でオーダーした大きな一枚板のテーブルが納まっている。
宮城県の県北:美里町に平成25年10月に完成した59.8坪の2世帯6人同居の家。震災前は築40年ほどの入母屋の65坪の家だったが、大規模半壊の判定を受けて、公費解体の上建て替えにより今回の工事となった。
宮城県石巻市北上町に築29年だった北上事務所兼自邸の建物は平成11年3月の震災の津波で全壊流失した。2階3階の木造自宅は流失したが1階RC造躯体部分は残ったので、災害危険区域に指定されて住宅は建てられないが倉庫、作業場、事務所なら建築許可が出るとのことで、復興の拠点となるよう設計事務所再建を進め昨年8月完成した。既存RC1階の上2階木造平屋増築で混構造のため構造計算、塩害RC躯体のコア抜き試験報告など苦労した。家族の同意を得られないまま進めてしまったので、これからの自分の活動で納得してもらうべく頑張るしかない。
集団地の家は石巻市北上町十三浜の地にある。この地域は1896年に明治三陸大津波によって大きな被害を受けている。沿岸部にあった集落はその後の1933年の昭和三陸大津波により被災し、高台へ集団移転した。A邸は元々は沿岸部に家があったが明治三陸津波で家が流されたため、現在の高台に移転した経緯があり、その為2011年の東日本大震災の津波被害は避けられた。地盤も良いこともあり、地震の被害も壁の漆喰など軽微なもので、戦後すぐ建て替えられたものだが構造的には問題なかった。元々、屋根は天然スレート葺きで、当初管理が大変なので金属板に葺き替えを予定していたが、スレート職人との出会いがあり、痛んだ箇所中心に全体を補修したが予定より安く仕上げることができた。長期優良住宅先導事業の既存住宅等の改修部門の補助事業で木造建築病理学「既存ドック」システムに申請し、H23年度採択され、それに基づく改修再生工事となった。
3・11の大震災で構造的に不具合の出た既存RC造の住宅の解体を決められ、建て替え新築にあたって、かねて希望していた古民家の移築再生での住まいを模索されていた。
既に山形の鶴岡で立派な土蔵を手に入れられており、私の方で紹介した大和町の古民家も気に入られ、2軒合わせて移築再生が決まった。母屋は宮城県黒川郡にあり3.11の震災により解体が決まっていた築130年の民家を移築、土蔵は山形県鶴岡市にあった築100年程度の蔵を移築再生した。移築古民家である母屋民家と土蔵を繋ぐ中間の空間として玄関を配置し、母屋側を生活空間、土蔵側をゲストスペースと位置づけ、一体感を持ちながらも音や光を分離して使いやすい設計とした。