三重県志摩市、海と太陽がまぶしいこの地域で、120年あまり大工を営んできた東原建築工房。四代目の達也さんと五代目の大地さんは、受け継がれてきた手刻み・石場建てなどの伝統構法を活かし、現代のエッセンスを加えている。修行中の大地さんが初めて棟梁を努めた「いかだ丸太の家」が各種の建築賞を受賞。風土に根ざし、施主や地域住民と共に進める家づくりは、志摩の自然に寄り添う豊かな暮らしを実現している。

達也さんによると、地元の志摩市阿児町立神には「立神大工(たてがみだいく)」という言葉があり、古くから職人の里であったと伝えられている。江戸時代から多くの職人が活躍し神戸や大阪にも進出、大和の国長谷寺にも携わったといわれている。

「木も竹も土も身近にある、あるもので家をつくるという考え方は当たり前にある」と達也さん。同時に、この地は台風など自然災害も多く、自然を敬う姿勢も身についてきた。

現在は親子で、木の家を中心に設計・施工を行っている。
木組み土壁の住宅を、手刻みの石場建てで建てる。さらに増改築や修繕などを丁寧にこなす日々だ。

自宅脇に構えた作業場は、先代の實さん(三代目)の代から増築を重ねてきた。それでも手狭で、小屋組み材などは作業場横の屋外で加工することもあるというダイナミックさ。太陽と雨風を得て天然乾燥材となって行くそうだ。裏山にある竹林は、土壁の竹小舞にも使われている。

先代の實さんは、地元で大工修行の後、大阪に出て夜間は専門学校で学び、建築士免許を取得したという努力家。帰ってきてすぐに伊勢湾台風(1959年)があり、「災害復旧にも尽力し、丁寧にやってくれたと、今でも地元の方に言ってもらえています」(達也さん)。

その背中を見てきた達也さんも大地さんも、志摩市で育ち、大学時代を関東で過ごした後、Uターンして大工となった。父親は家族であり、親方でもあるという環境。ふたりとも口を揃えて「小さいころから大工になると自然に感じていた」という。

都市への人口流出が進み、市外に働きに行く大工職人も多くなった昨今、地域で、手刻みの大工仕事をしている東原親子は、稀有な存在だ。大地さんに至っては「携わった新築はすべて手刻みの石場建て、施主さんに恵まれています」と話す。

親子での役割分担は特になく、設計も施工も、打ち合わせも2人で相談しながら進めていく。達也さんだけが指導するのではなく、刻みや建前など仕事に合わせて先輩職人を招いてその仕事を学び、木の家ネットの仲間の現場に参加するなど、大地さんはさまざまなやり方を吸収している。

二人とも穏やかな性格だからか、「ぶつかることはほとんどない」という関係性だ。

達也さんは「今まで取り組んだことのない仕事でも、見たり触れたり調べたりして『こんな感じやな』と、工夫して自分の手でかたちにできるのが、職人の醍醐味」と笑う。

四代目の達也さん

大地さんは「施主さん家族も職人さんも、ご近所の方も、みんなで家づくりができるってのが楽しいですし、そういうやり方を続けていきたいです」と話す。

五代目の大地さん

在学時には技能五輪への出場や、木の家ネットメンバーの綾部工務店でインターンシップの経験を積み、木造の伝統構法を学んできた。木造BIMや限界耐力計算についても学びを深めている。「もちろん大工の腕も磨きながら、親父ができない分野も頑張りたいという気持ちもあります。それに、どんな勉強も普段の大工仕事に必ずつながってきますから」という。

大地さんは小学校3年生の誕生日に大工道具をねだり、工業高校3年生の時、地元の薬師堂再建で初めて、実際の墨付けをしたという。薬師堂は、夏に毎年盆踊りが開かれる場所で、平成22年に火事により燃えてしまったお堂を、3坪程に小さく再建することになったものだ。

この小さな薬師堂が、今取り組んでいる「みんなで家づくり」の大きなきっかけとなった。地元の人たちと一緒に、石場建ての地盤を固めるヨイトマケを行い、土壁の竹小舞や荒壁土は地山のものを使っている。大学進学を機に一度志摩を離れた大地さんも、夏休みなどを活かし地元の小学生たちと一緒に汗を流した。木の家ネットの仲間の池山さんや高橋さんに学んだワークショップが活かされている。

みんなの場所を、みんなでつくる。

志摩の自然を拝借し、生かしていく。

そんな家づくりの心地よさが受け入れられたのか、当時の小学生の親御さんや地域の住民、観光協会の職員などが、その後、施主さんとなり、新築の石場建てを依頼するようになった。

これまで手掛けた石場建ての家は、3坪から18坪とコンパクトなものが多い。達也さんは「施主さんは、予算はもちろんありますがそれよりも『薬師堂みたいな家がいい』『自分や家族でつくりたい』などの要望を優先することが多いかもしれませんね。大工にとってもやりがいのある仕事なんで、本当にありがたい」と話す。

達也さんは、大学時代に都会の先進的な建物にも触れる中、卒論では「志摩地域の風土と建築」をテーマに取り組んだ。「新しいものだけが本当に良いものなのか、地域で育まれた住まいや暮らしに関心があった」と振り返る。

気候風土適応住宅と、昔からの暮らし方

そんな思いを抱えて大工をする中で、一人の施主さんとの出会いがあった。竹内さんの新築物件「いかだ丸太の家」(2020年竣工)を、国土交通省のサステナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)として申請。達也さんは「これまで自分の感じていたものを、一つの形にすることが出来た」と言う。

「省エネ法改正が進む中、法の「気候風土適応住宅」の制度は、地域の木の家づくりに大きな意味をもっている。それは国が定めた基準を満たせない物件への救済措置だけではなく、地域が育ててきた自然と共生する住み方暮らし方といった建築文化に通じています」と話す。

竹内さんの家は、6坪の三和土土間の団らんスペースを中心に、両脇にそれぞれ6坪の居間、4坪のダイニングなどを配した設計だ。設計は愛知県の六浦基晴(m5_architecte)さんが担当した。

東原さんは設計の六浦さんや施主の竹内さんと話すうち、「志摩らしい建物を建てたい」という思いを共有する。浮かんだのは、地元では当たり前の存在である「いかだ丸太」だった。いかだ丸太とは、志摩でさかんな真珠の養殖いかだに使われる材木のことで、県産のひのきの間伐材を丸太のままで使う。気候風土適応住宅への親和性も感じた。

この丸太を、「シザーストラス」として小屋組みに用いた。建築家アントニン・レーモンドが好んだ構造で、この建物の特徴の一つとなっている。レーモンド事務所で学んだ建築家・津端修一さんが自邸に採用した方式で、達也さんは「施主さんの恩師でもある津端さんの自然な暮らしを大切にする姿を重ね合わせ、レーモンドスタイルを提案しました」と振り返る。

断熱材には、志摩産のもみ殻を用いた。竹内さん夫妻が知り合いの農家から分けてもらったもみ殻を、ドラム缶で燻炭とし、袋詰めして床下に敷き詰めた。天井には、乾燥したもみ殻を充填し突き固めた。すべて手作業だったという。

建具は、雨戸、よしずを張った網戸、木製ガラス戸、障子の4層すべてに古建具を再利用した。夫妻が解体される家を回って100枚近く集めた中から厳選したという。それぞれの建具は状態が異なるので、大工は調整に苦労したという。

また、家の中心にある竹内さん夫妻が愛情をこめて叩きに叩いた土間は、夏は南北の掃き出し窓を開け放つことで心地よい風が吹き抜ける。三和土(たたき)には地元の海水を使い、志摩特産の真珠の貝殻も埋め込み、さらに志摩らしさをあらわした。片隅には薪ストーブを置き、冬の暖を確保する。普段の煮炊きも薪ストーブが活躍する。

アートに精通し自らも油絵などを描く竹内さんは「志摩クリエイターズオフィス」というアーティスト集団を主催、この空間がその仲間と語らう場となっている。

仲間らは建設時から、土壁塗りや三和土(たたき)などのワークショップに訪れ、一緒に汗を流した。その数はなんと50人以上にも上ったという。竹内さんは「この家はひとつの作品。来る人来る人に、こんな暮らしいいね、憧れだねとうらやましがられるの」と微笑む。

達也さんは、「こういうワークショップ形式の建て方や自然と共に丁寧に暮らす住まい方は、確かに手間ひまがかかりますが、人の心を豊かにしてくれます。物質的な豊かさとは、また違いますよね」と実感する。

この家は、第40回三重県建築賞に加え、ウッドデザイン賞2021、第53回中部建築賞の受賞など、多くの評価を得ることとなった。

竹内さんは、この「いかだ丸太の家」の前に、敷地内にある築80年の平屋の古民家の改修を東原さんに依頼していた。先代の實さんと達也さん、学生の大地さんと三代で取り組んだ。この建物は日本各地で要職を歴任した猪子氏の終の棲家で、昭和時代に何度かリフォームがされていたが、空き家となり廃墟となりかけていた。壊れたサッシを木製建具に戻したり、朽ちたシステムキッチンを外して土間を復活させたりと「建築当時の復元」を念頭に進めていった。

のちに登録文化財となる旧猪子家住宅

竹内さんは東原さんを、「住む人のことを思って、要望に必ず応えてくれるすごい大工さん。特に猪子邸の改修は、設計図もないのに美しく復元してくれて、その技量に驚きました。本当に、よう作ってくれました」と話す。

その言葉に達也さんは「いやいや、よう任せてくれました」と笑顔で応える。

2つの物件がある敷地は、なだらかな起伏の土地にツバキや栗など四季を感じられる木々が並ぶ自然林だ。緑が太陽の光をやわらげ、小鳥のさえずりが耳に心地よい。時折、海風も届き、豊かな自然を存分に味わえる。

大地さんは、「職人と施主さん、家族や仲間とみんなでつくる家づくりは、本当にやりがいがあります。つくるのは家ですが、人と人の間で動くことを大切に、大工をしていきたいです」と、まっすぐに未来を見つめていた。

東原建築工房 東原達也さん、大地さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:丹羽智佳子(一部写真、岩咲滋雨、六浦基晴(m5_architecte)、朴の木写真室)

設計も施工も家も家具も、自分の手を動かして大切に作りたい。埼玉県久喜市の「はすみ工務店」6代目棟梁、蓮実和典さんの心意気だ。

はすみ工務店は明治創業で、令和の現在も木組み・土壁といった日本の伝統工法や自然素材を使った家づくりに取り組む。つくる家々が醸し出すムードは、日本人が古くから持つ和の精神を大切にし、人と人、人と自然が調和している。施主さんは「背中で語る、まさに職人」と言わしめる。

蓮実さんは、大学卒業後8年の大工修行を経て家業を継ぎ、8年となる。現在、蓮実さんと60代の大工さん、20代の弟子1人の3人で仕事に取り組む。

祖父の代から使う作業場

作業場祖父の始さんは、蓮実さんに代替わりして6年後に亡くなった。始さんの代からはすみ工務店で働く秋元文男大工(69)は、蓮実さんについて「真面目で、実直よ。大工や職人がどんどん少なくなる中で、これと決めて続けてる根性はたいしたもんだ」と太鼓判を押す。

手仕事がやりたい

蓮実さんは、「やりたい大工仕事ができている。施主さんやじいちゃん、修行をつけてくれた親方のおかげです」とはにかむ。

やりたい仕事とは、「手刻みだったり、自然素材を使った家づくりや、古民家の改修とか。いわゆる手仕事ですかね」と蓮実さん。

なぜ手仕事にこだわるのか。蓮実さんは、家とは「単なる箱ではなくて、家族が和気あいあいと過ごし、その空間を通して心豊かな生活を送るためのもの」と考えている。

「そのためには施主さんの要望を設計段階から聞きつつ、人の手で心を込めてつくることが大切だと思うんです」と話す。国産材や地域材の活用にもこだわり、木1本いっぽんを見極める力も磨いている。

時代は機械化、合理化が進み、手間や時間がかかることは避けられる傾向もある。それでも、「複雑で粘り強い加工など、機械ではできないことがある。それに何十年、年百年経った時、『やっぱり手仕事はいい』ってなるに決まっている。丈夫で長持ちする上、使うほど味が出ますから」と語気を強める。

仕事の内容は、年に1棟ほど新築依頼があるほか、改修工事やウッドデッキの新設、バリアフリー工事、カウンターといった家具の新設など多岐にわたる。祖父の代からのお施主さんもいれば、木の家ネットのホームページを見て問い合わせが来る場合もある。

「新規の方の場合、ハウスメーカーの家づくりがしっくりこない人が、いろいろと探してうちに来る印象があります。だからこそ、メーカーのように施主さんにある中から選んでもらうのではなく、欲しいものをゼロから作りたい。施主さんの持っているイメージを、木でかたちにしたいし、木なら自由になんでもできる」と力を込める。

設計に「大工目線」

一級建築士の資格を持つ蓮実さんは、自ら設計もこなす。

「施主さんの要望を元に、設計の提案や図面を描きますが、大工の視点での考えが多分に入っています。構造の木組みや造作の詳細な納まりは、施工に無理が無いよう、メンテナンスがし易いように配慮しています。もちろん、見栄えも大切ですが」と話す。

家業を継いで初めて設計施工で請負した小屋は、趣味のものを展示するためのものだ。

2021年末に建設中の一軒家の施主さんは、子どもや孫の代まで長く残せる家づくりをイメージしていた。化学的な素材の匂いも苦手だったという。

蓮実さんと出会い、どんな家に住みたいか話をしていく中、「蓮実さんが図面を何度も直してくれて、自分の迷いが整理されていった」という。

蓮実さんの提案により、室内の壁は自らの手でローラーを使いドロプラクリームという塗料を塗った。「素人だからムラだらけだけど、自分の家を自分で作れるなんて楽しい」と笑顔がはじける。

「施主さんにも手仕事のおもしろさをわかってもらえて嬉しいです」と蓮実さん。また、木造だからといって和風にこだわらず、建具や窓の位置を変え洋風にした家づくりも行ってきた。

この物件は外壁に土佐漆喰を使用。石灰と藁スサを水練りし熟成させたもので、卵焼きのようなふんわりとした色合いに仕上がった。時間がたつにつれ色合いの変化も楽しめる。

構造は木造で、柱や梁など構造材と壁の仕上げ材の間に、通気胴縁を付けた。壁の中が通気できるようになり、より長持ちするという。

 蓮実さんは「いろいろなやり方があるから、施主さんのコストやニーズに合わせて対応していきたい。『できないです』は言いたくないんです」と語気を強める。

 施主さんのオーダーを聞き、今までの仕事や経験の中で近いものがあるか思い出し、ある程度完成形をイメージする。特に家具については具体的なオーダーでなく、「こんなものが欲しいのだけどつくれる?」と言われる場合も多いという。

「イメージしたことを手で形にしていく、試行錯誤していく過程が、わくわくするので好きですね。なんとかなる、なんとかしようって気持ちで、完成すると達成感がたまらないです」と蓮実さん。

材料も国産材、地域材を使いたいという。コストに見合い、カウンターや収納棚のようなものなら強度も問題ないと考えている。

イメージを作り上げるために本やインターネットで情報を探すこともあるが、「自分の経験や、木の家ネット仲間の仕事ぶりのほうが参考になりますね。木をうまく使っているから」と笑う。

親方から受け継ぎ、弟子に伝える

蓮実さんは、木の家ネットメンバーが設計した物件の大工工事をしたり、一緒に古民家の改修や耐震工事をしたりとつながって仕事をしている。そもそも、大工修行をしたのは木の家ネットメンバーの綾部工務店だ。

綾部工務店との縁は、大学時代に生まれた。大工の家で育ち、幼いころから漠然と「建築の仕事がしたい」と考えていた蓮実さん。

タイムスリップしたような雰囲気の事務所には、祖父への感謝状が並ぶ

大学で建築を学んだものの、卒業後は建築のうちどの道に進むか決めかねていたという。インターン中に綾部工務店の伝統工法の仕事を経験し、昔ながらの家づくりの魅力に目覚めた。

「自然素材の木や土は安心して使える。どんな形にもできるから、自由で、完成した時の達成感がある」と語る。

修行中は、大工技術に加えて設計、経営や見積もりも学んだ。常時5人ほどの弟子とともに生活する中で「自分はあまり言葉が多くないほうだったから、世話焼いてもらいました。感謝しています」と振り返る。

目の前の作業への集中力。創意工夫。全体を見渡すこと。親方の仕事ぶりから伝わることは数多くあり、「親方みたいになりたいって思ってます」と力を込める。

一級建築士の資格を取得したのも修業中のこと。建築について学びを深められた上、最近はインターネットから新規の問い合わせも増えてきて、信頼獲得にもつながっていると実感する。

修業を付けた綾部孝司さんは「昔の大工ってこんな感じだったんだろうなってやつです。指示を出すと、質問もせずすぐに手を動かしてぴったりのものをつくる。本当に手を動かすのがすきなんだよな」と認める。

手は、動かせば動かすほどに木や道具が理解できる。「棟梁になったら、大工や施主さんにわかったことを伝えられるようになれよ、とよく話してました」と振り返る。

そんな修業時代を過ごした蓮実さんは現在、21歳の弟子に仕事を手ほどきしている。「ただ作業するのでなく、その意味とか、その先の作業とのつながりとか、全体を見られるように伝えています。それがわかると、大工が面白くなる」という気持ちで向き合っているという。弟子の作業のために図面をおこすなど工夫も凝らすが、一番は「自分が恥ずかしくない仕事をしているところを見せたいです」と話す。

弟子に伝えるための書き込みがある図面

蓮実さんには、実直さがある。「こんな仕事をやっていきたい」と、堂々と口に出せる。施主さんの要望を素直に受け止め、実現のため腕を磨く。祖父や親方を「すごい」と認め、良いところを真似、まっすぐに背中を追いかけている。

その実直さは、ごまかしがきかない自然素材に向き合うべき伝統工法に活かされている。蓮実さんが作り上げた空間には、大いなる自然と丁寧な手仕事が編み出す安心感があった。

はすみ工務店 蓮実和典さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:はすみ工務店

時を重ねるほどに美しくなるもの

自然の理にかなったもの

木の家ネットは、大工工務店、建築士、左官、建具職人、材木屋など「国産無垢材を使った、職人の顔が見える木の家づくり」に関わる多くの職種の会員が、全国に分布しています。

「職人がつくる木の家」に住みたい人が、それを建ててくれる人を探すために、地域別の全国の木の家 つくり手リストがあるわけですが、一方でこのリストは、つくり手同士がつながるためにも役に立っています。建築士が地元以外で仕事をする時に施工者を探したり、施工者から建築士に設計を依頼をしたり、施工者同士が建前の応援を頼み合ったり…などといったケースがあります。

総会や研修などで顔を合わせ、家づくりについての理念や姿勢をある程度共有していることで、地域の境を越えて協働できる可能性がある。これも、木の家ネットの意義のひとつといえるでしょう。

今回のコンテンツでは、木の家ネットのメンバー同士の協働事例について、岡山県倉敷市で一級建築士事務所 (有) バジャンを主宰する和田洋子さんが設計者として関わった複数のチームの現場を通じてご紹介しましょう。

和田洋子さん
[ 一級建築士事務所 (有) バジャン ] 岡山県

設計者、施工者それぞれが、どのような思いをもってその仕事に臨み、相手に対してどのような期待や信頼を抱いて進め、どのような相乗効果があったのか。

和田さんと協働してきた木の家ネットメンバーのうち、岡山の杣耕社 山本耕平さんとジョンストレンマイヤーさんとの仕事については、現地取材にもとづいてご紹介します。広島の株式会社のじま家大工店の野島英史さん、京都の大」(だいかね)建築の金田克彦さん、奈良の不動舎の宮村樹さんとの仕事については、和田さんご自身の言葉でご紹介いただきます。

1. 和田洋子さんの家づくりの姿勢

チームでの協働事例に入る前に、和田洋子さん自身が設計をする時に大切にしていることについて、概観しておきましょう。

地域の材料、職人で

地域の気候風土に合った家づくりを

和田さんが何より大事にしているのは「地域の材料」「地域の職人」による「地域の気候風土に合った」家づくりです。

それが、地域の技術の伝承、地域内での経済循環、輸送エネルギーの削減、エネルギー消費量を低く抑えた気持ちのいい暮らしにつながるからです。

地元の良い木は

無垢の木のまま生かしたい

まずは、岡山県内で建てる場合には、県産材を使います。その理由について和田さんはこう語ります「岡山は林産県ですが、戦後大量に植林された檜や杉の多くは、集成材やCLTになっています。十分な大きさや美しさを持つ材木までエンジニアリングウッドにするのはもったいない。木は木のままで活かしたい。山の人には建物になる姿を想像しながら良い木を育ててもらいたい。そういう思いもあって、県内で建てる時には木材は県産材を使うようにしています」

経済性だけを考えれば、ほかで調達する方が、運送コストを含めても地元の材料より安い場合もありますが、地域の産業や技術を絶やさないためにも、和田さんは「地元で調達すること」をなるべく優先させています。

「壁や床にも、地域の土を使います。仕上げ塗りには時に京都や土佐、愛知の土を使う事もありますが、荒壁や中塗り土は地元の矢掛町の土を使っています。建具や家具も、地域の職人さんに作ってもらいます。私の自宅は戦前に建てられた賃借長屋ですが、当時の並仕事の建具でも、今も十分使えます」

気持ちよく暮らすために

床の上下で「風通し」を確保

温暖で、夏には湿度も高くなる中国地方で、機械空調に頼らずに気持ちよく暮らすために、和田さんが設計上大事にしているのは「風通し」です。

「柱は石場建てにして、床下の風通しが良いことを大前提にしています。家の中の風通しを確保するためには、南面はほぼ全開口、北面にも通風のための窓を多く設けますが、開口部が多くても構造的にもたせるよう、構造計算をしています」

以上の考え方を実践している2事例をご紹介しましょう。

国府市場の家

息子さん達が独立された後、ご夫婦二人で農作業を愉しみながら暮らすための家です。農作業中でも土足で訪問客と応対できるよう、玄関土間にベンチを設けています。土間の三和土に使ったのは、地元矢掛町の土です。

1. 湿気対策として靴箱は「簀戸」に 2. 「三和土(たたき)」の土間


3. スリット状の引き戸をスライドして開閉する「無双窓」 4. 竹小舞を塗り残した「下地窓」

風通しを確保する工夫として、留守中にも換気ができるよう、無双窓を設けました。また、玄関と居間の間には、通気と目隠しを兼ねた下地窓を作りました。いずれも、ゆるやかに外界とつながり、風の通り方を必要に応じて調整する「和の住まい」として伝承されてきた要素です。日本の優れた暮らし文化を新築住宅に取り入れた例として国交省の「気候風土適応住宅」事例に採択されました。

女性らしい

細やかな感性が光る

地元産の木をあらわしにしたのびやかな空間が広がります。梁が重なっていても、重苦しさやあらあらしさを感じさせないのは、女性らしい感性でしょうか。端正で、すっきりとした美しさが際立ちます。伝統の技術と時代の息吹やセンスとが融合した「現代の伝統構法」事例として、後世に残る建物といえるでしょう。

木組み・土壁・石場建ての保育園

子どもたちに手仕事を教えるモンテッソーリ教育に取り組む保育園の園舎を、木組み・土壁・石場建てで手がけた事例です。

木の香りがする

風通しのいい園舎

園児を連れてくる保護者の方々から「良い木の香りに驚きました。木の香りがこんなにするなんて」と言われるそうです。柱や梁、床にいたるまで、岡山県産の檜です。地元材のよさを、子どもたちが家に次に長い時間を過ごす保育園で知ってもらえるのは、すばらしいことです。

機械空調を極力せず、風通しで自然な涼しさを得るために、南の縁側も、向かい側の北面も、窓だらけです。建具は地域の職人さんに作ってもらいました。「きちんと園児たちの指を使わせてあげたい」という先生方のご希望で、鍵はあえて昔ながらの螺子(ねじ)締まりにしてあります。

障子がある日常で

子どもたちが身につけること

ひなたぼっこをする縁側と保育室との間は、障子で仕切られています。やわらかな光が部屋を満たしています。走り回ったり、暴れたりして、障子紙が破けてしまうのでは?と尋ねると「乱暴に使うと破れるから大事に使ってね、と子どもたちに話をしました。先生方のやわらかい所作を日々目にし、まねることで、物を大切に扱う事は自然と身についていきます」という答えが返って来ました。

もし破れても、先生方は紙をきれいな形に切って穴のあいたところに貼ることを、子どもたちに教えるのだそうです。「大切に使うとは、こわごわ使うことでなく、こわれたら直せると知っていること」という和田さんの一言に、大きく頷かされました。障子がない家が大半だからこそ、この園での障子に触れることがが、忘れられかけている大切な感覚を育てる体験となるのです。

幼い子にこそ、本物を

「子ども達には、うわべだけ、表面だけでないものを与えたいんです。汚すから、こわすからといって、プラスチック製品を、というのではなく、本物に愛着をもって触れ、その奥行きや深みをうんと味わってほしい」と和田さん。

本物の素材でできた園舎で、先生方の穏やかな見守りと導きの中で育ち、巣立つ子どもたちは、幸せです。このような保育園や幼稚園、学校、学童施設が、全国にたくさんできてほしいものです。

2. 大工たちと和田さんとの協働

その接点は「伝統構法」

ご紹介した2例をはじめ、和田さんは新築であっても「木組み・土壁・石場建て」で設計をしています。無垢の木を組んだ軸組構造に、土壁を塗り、家の柱は石の上に「載っている」だけの石場建て。昔ながらの家に多いこのつくり方に和田さんは魅力を感じ、取り組んできました。

その理由を尋ねると「家を長もちさせたいからです。床下に風が通りやすく家の足元が腐りにくいですし、腐ったとしても、直しやすいのです」とのこと。長年住まわれておらず、家が傾きかけていた石場建ての古民家を改修した体験が、その確信を強めました。「壁土を落とすと、柱の何本かの根元が腐っていました。家全体を30センチジャッキアップし、柱を根継ぎして下ろしたら、健全な状態に戻りました。それぞれの柱が個別に立つ石場建ては、こうやって直せるのだなと実感しました」

左. 石場建てを採用した、保育園の足元の様子 右. 根継ぎ

このような作り方に、魅力を感じている大工も少なくありません。同じ岡山県内の木の家ネットのつくり手で、和田さんとチームを組んで石場建ての新築住宅を手がけた杣耕社の山本耕平さんもその一人です。

「『木は生育のままに使え』という西岡棟梁の言葉があります。山で木が立っているように石に直接柱を立てる石場建ては、理に適っていると、社寺の仕事をしていた頃から感じていました。独立したら、住宅を石場建てでやりたいと思っていたのですが、ほとんど事例がないのに驚きました。同じ県内に和田さんがいる!と、インターネットで探し当てた時には、嬉しかったです」と山本さん。

山本さん率いる杣耕社の大工のジョン・ストレンマイヤーさんも、石場建てに魅了されて来日しました。「石場建て民家や社寺の、石の上から柱がスッとのびる無駄のない美しさに憧れて、日本に来ました。京都の数奇屋工務店での修業して石場建ては学びましたが、一般の新築住宅は京都にも奈良にも、ほとんどない。和田さんとの出会いでようやく造ることができて、嬉しいです」と、ジョン。

和田さんと大工たちとが

チームを組むメリット

しかし現在、建築基準法の仕様規定にはない伝統構法で新築を実現するには、構造計算やさまざまな手続きが必要です。和田さんは、石場建てを設計するだけでなく、その構造的な安全性を検証する限界耐力計算まで手がけ、適判(構造適合性判定とよばれる審査機関によるチェック)をも、人任せにすることなく自分で通しています。

「限界耐力計算や適判まで…って、大変すぎないですか?」と訊くと「たしかに簡単ではありませんが、自分が設計する事例が構造的にどうなっているかを自分で検証し、設計にフィードバックすることで、意匠と構造とのバランスをとりながら設計を深めていくことができます。面倒だけれども、それ以上におもしろいし、楽しいです!」という答が返ってきました。

設計時に「こうかな」とはたらく直感を、自分で「やっぱり、これでいい」と検証し、適判を通して実現する。そのような実践を重ねていくごとに、和田さんの経験値もあがり、直感もますます磨かれていっているのでしょう。

普段から木を触り、軸組を組んでいる大工も、石場建てについて「これはもつ」とはたらく直感はあるといいます。それを構造的に検証し、法律的にもクリアしていく和田さんは大工たち「力強い味方」であり、貴重な存在です。

3. ともにつくってきた大工たち

協働してきた木の家ネットのメンバーのうち、岡山の杣耕社の山本耕一さん、ジョン・ストレンマイヤーさんの取材をさせていただきました。

山本耕平さん
[ 杣耕社 ] 岡山県

社寺建築の仕事をやめて

バジャンの門を敲いた

社寺建築ではあたりまえにやっていた石場建てを一般の住宅でも手がけたい!そんな思いで、和田さんに会いに行った山本さんは、当時和田さんが構想中だった石場建て住宅の基本設計図を見た時点で、それまで勤めていた工務店を辞め、その建物の施工に取り組もうと心に決めました。

協働のはじめの一歩として「一緒に軸組模型をつくってみん?」と、和田さんはもちかけました。縮尺通りに、一本一本の部材を加工して、設計者と大工とで対等にわたりあって組み方を検討して、まるまる5日。

「具体的な作業を通して互いの考え方を知るいい時間でした」と和田さんは振り返ります。お互いに「賭け」でもあったこの出会いが実ったのは、ふたりの石場建てへの思いの強さゆえでしょう。

研ぎ澄まされた設計と

木を愛する大工とが生んだ空間

玄関を一歩入ると、和田さんの繊細な設計と、山本さんとの木遣いのセンスがあいまった、すばらしい木の空間が。どこに、どの樹種の、どんな表情の木を使うか。図面には描ききれない取合せを、二人がとことん追求した結果が、ここに凝縮しています。

土間からのあがりはなにある杉の一枚板。はつったやわらかな凹凸のある表面は足あたりよく、滑りにくく、靴を脱いだ足の裏にやさしい感触です。土間との段差を昇り降りするのにつけた手すりは、握りやすく六角形にはつられています。研ぎ澄まされた空間でありながら、手触り、足あたりまで行き届いていた配慮が感じられます。

「山本さんの作業場には、彼が集めた木がたくさんあって、行くと『これ、使ってみません?』という提案がどんどんでてくるのです。樹種、色、風合い、肌触り、木目などを知り尽くしていて、最高の取合せを工夫してくれるので、部材を揃えているというより、役者の配役を楽しんでいるような感じです」と、和田さん。

お互いがチャレンジャー

「和田さんって、とにかくセンスがよくて、それが徹底している。このオフィスの空間だって、そうでしょう? 余計なものがなく、あるものは色も形もサイズも、選びぬかれている。それがわざとらしくなくて、さりげない」取材先の児島舎のオフィスで、山本さんはこう力説していました。

ジョン・
ストレンマイヤーさん
[ 杣耕社 ] 岡山県

初棟梁ジョンの

がんばりと、お人柄

石場建てにあこがれて日本にやってきたジョンは昨年、和田さんの古民家改修現場で、初棟梁を任されました。おばあちゃんが嫁に来た頃から半世紀以上住み続けた家です。「山本に『やってみるか?』と言われ『やる』と答えたのですが、やってみると分かっていないこと、見えてなかったことがたくさんでてくる毎日でした。責任をもってすべてを判断するのが棟梁だから、大変だったけれど『毎日笑顔で』と心がけ、なんとかやり通しました!みなさんには、ご迷惑をおかけしたもしれないけれど・・・」とジョン。

「建て主さんに心から喜んで住んでいただける家に仕上がって、嬉しいです。失敗しても誠意をもって取り戻そうとする、そんなジョンがみんな大好き!人に愛されることも、棟梁として大事な資質だと思います」と和田さん。

古民家本来の美しさを

もういちど輝かせる

木組みを覆っていた天井を取り払うと、美しい木組みがでてきました。黒光りした木々の重なりをきれいに見せるために、梁を磨き、あらわしました。

玄関や台所の位置なども思い切って変えて、明るく住みやすくなりました。住み慣れた間取りが変わっていくことを、当初は最初は受け入れ難かったおばあちゃん。住みながらの改修ゆえ毎朝顔をあわせるジョンは、おばあちゃんのご機嫌によっては、いろいろ言われることもあったそうです。

それでもジョンは「笑顔で」を心に、現場へ通いました。完成した今は、おばあちゃんも大満足。「思い切って直して、よかったよ!きれいになったろ?」と、自慢してくれました。

「いいと思ったものを、意思を持ってつくり続けることが何より大事だと思います。これからも、もっともっとやっていきたいし、これから続く若い大工たちも、そうあってほしいと思います」と、ジョンも満足そうです。



杣耕社 山本耕平・Jonathan Allan Stollenmeyer

岡山県外での和田さんと大工たちとの協働事例として、広島の株式会社のじま家大工店の野島英史さん、京都の大」(だいかね)建築の金田克彦さん、奈良の不動舎の宮村樹さんとの現場をご紹介しましょう。

和田さんからの説明と、大工側から和田さんへのメッセージを織りなして、お届けします。

野島英史さん
[ 株式会社のじま家大工店 ] 広島県

野島さんは、飛騨古川で修業した大工です。今は広島県福山市で「株式会社のじま家大工店」の社長として経営や設計、打合せに専念しています。林直樹さん、工裕次郎さん、市川歩さんといった、野島さんに鍛えられた優秀な大工たちが、現場にあたります。

建主さんの要望に応えるべく、のじま家大工店のおかみ、尚美さんが、木の家ネットのメーリングリストに石場建てについて質問の投稿をしたことがありました。それに私が回答したことがきっかけで、のじま家大工店初の石場建ての家を設計させていただくことになりました。

この家の設計意図をずばりと捉えて「風がうたう家」という名前を付けてくれたのは野島さん。そのすばらしいセンスに脱帽です。

初めての石場建ての苦労に加えて、どちらも引かず、意見を戦わせるタイプの野島さんと私の間で、現場の大工さんたちは、さぞ気苦労も多かったことと思います。大工さんたちが静かに見守って下さったおかげで、決め事が終わった後は何もなかったように笑いあえる仲間になれました。ありがとうございました。

和田:こちらは、廃校になった小学校をつるばら専門店に改修する仕事のアドバイスをさせていただいた事例です。

野島さんは地元のアーティストやデザイナーと一緒にまちづくりイベントなども手がけ、工務店の親方として地域人としての役割をしっかり担われていることを感じさせられます。

野島:初めてお会いした時、和田さんが「今は石場建だけです」と言ったのに衝撃を受けました。一緒に仕事をしてみて、石場建てにかける信念というよりは執念に近い気持ちで、妥協せず意思を貫いていく姿勢は、まさに「石場建ての鬼!」。言い過ぎだったら「石場建てのアネゴ!」くらいにしておきましょうか。アネゴ、これからもよろしくお願いいたします!



株式会社のじま家大工店 野島英史

金田克彦さん
[ 大」(だいかね)建築 ] 京都府

和田:大」(だいかね)建築の金田さんからは、古民家の構造計算の依頼を受けました。金田さんの考え方や数多くの古民家改修の実践には以前から興味があったので、二つ返事でお引き受けさせてもらいました。

和田:当初は「建物の耐震性評価のための限界耐力計算」の依頼だったのですが、金田さんが後押しして下さった事もあり、設計までトータルにさせていただくことになりました。

現場は「決めて行く事」の連続です。お施主さんご夫妻も一緒になって4人で楽しみながら、迷いながら、検証しながら、行きつ戻りつした現場でしたが、先日(2019年7月)ようやくお引渡しを終えることができました。。

金田:江戸末〜明治初期に茅葺で建てられていたのを、昭和の改修で屋根を瓦にしたのと同時に、部分的に二階を増築したという履歴のある家です。阪神大震災のダメージもあり、耐震性に不安がある中、施主さんからは「通風採光のために2階直下の壁を取り除きたい」との要望がありました。耐震性と暮らしやすさとの折り合いの中で、何がベストかを探るために、和田さんに構造計算をお願いしました。

大工の経験と勘からの「大まかな読み」に頼ると、判断は構造的に過分なくらい安全側に傾いてしまいがちです。きっちり計算をしてもらったおかげで、既存の土壁と新しくつくる土壁とのバランス、地盤との兼ね合い、一本一本の柱にかかる重さ・・など総合的に追い込んだ判断ができ、改修のアウトラインがビシッと決まりました。設計にも入ってもらったことで、構造と意匠とのバランスがいい家になり、施主さんにもよろこんでいただけました。



大」(だいかね)建築 金田克彦

宮村樹さん
[ 不動舎 ] 奈良県

和田:斑鳩での古民家の調査依頼があったので、何度か総会やハツリイベントでお会いして社寺や和釘の話を伺っていた、当時奈良在住だった宮村さんに協力をお願いしました。調査に引き続き、改修工事を引き受ける事になったので、施工も迷う事なく宮村さんに依頼しました。

着工前の事前造成工事を行うのに、高知から「曳家岡本」に来てもらい、現在(2019年8月)曳家の真最中です。

曳家のために古民家を持ち上げたところ。横移動するためのレールが何本も敷いてある。

宮村さんは、来年はじまる改修工事の棟梁に、弟子の三好賢一さんを指名しました。若い弟子に棟梁を張らせ、ご自身はバックアップにまわることで「技術の伝承」をしようとの判断とのことです。

既存改修と増築が混在する難しい現場で色々迷う局面も出てくると思い、信頼する滋賀の建築士の川端眞さんにもサポートをお願いしています。迷ったり困った時に相談できる相手が居る事は、とても心強く、助けられています。

曳家岡本の岡本直也さん(左)と、
三好工務店の三好賢一さん

宮村:伝統構法は、技術だけでなく、人のつながりがあってこそできることを次の世代に伝えたいと、かねがね思っていました。そんな思いで、今回の現場の棟梁を弟子の三好に任せました。

曳家の岡本さん、設計の和田さんと棟梁としてわたりあって、曳家、造成、改修、増築という長期にわたる施工を経験することは、三好にとってものすごくいい勉強になるはずです。彼も弟子をとったので、孫弟子にも教えることができて、嬉しい限りです。

和田さんにこのような機会をいただけたことに心から感謝しつつ、今後彼らが関西圏で伝統構法での家づくりの実績を積んでいけるよう、引き続きバックアップしていきたいと思っています。



不動舎 宮村樹

4. この特集のまとめ

お互いをリスペクトできる
関係性が、よい実りを生む

和田さんは、木の家ネットの大工たちと協働する現場について、いつも生き生きと語られます。「どの現場も楽しくて、仕事というより部活のような感じです。それも、木の家ネットの仲間の仕事に対する姿勢やお人柄への信頼があり、安心できるからこそだと思います。大工さんそれぞれに特徴があり、その人ならではの良さに出会えるのも、楽しみですね」

施工を大工に、設計や構造計算を建築士に依頼するだけでなく、調査、建て方の応援、互いのイベントへの参加など、関係性が深まるほど、交流の輪は広がってもいるようです。力になったり、助けてもらったり。お互いの存在をリスペクトし、頼れるということは、なんと心強いことでしょうか。

よりよいものを求めて

「ともにつくる」

一般には、建築士は施工者の上に立ち、指示監督をするというイメージがありますが、今回みてきた協働事例の両者は「上下関係」ではなく「ともにつくる関係」です。

伝統構法の建物は、構造をあらわして見せる部分も多く、石場建てであれば足元まわりの施工にまで技術とセンスが求められます。それを求める設計者と応える大工とのどちらもが「よりよいものを造ろう」としのぎを削る心地よい緊張感や刺激が、協働現場にはあります。

図面は「挑戦状」

受けて立つ大工たち

「基本的な考え方が共通していて、素敵な仕事をしてくれると信じることができる方ばかりなので、思いっきり図面を描けます」と和田さんは言います。その図面は、大工自身が自分自身の想定する範囲の中で設計施工をする場合とくらべると「挑戦状」のようなものでしょう。

それに「よし、やってやろう」と燃え、張り切る大工たち。期待以上の仕上がりを見ることが、和田さんにとって、最高に楽しいことに違いありません。

小学生だった頃、大工さんが家の改修に入り、その仕事ぶりを見た和田さんは「大工になりたい!」と強い憧れを感じたのだそうです。その時に心に蒔かれた種が「大工とともにつくる」という形で実を結んだのです。

それは住む人の幸せ

にまでつながる

しかも、こうしたよいチームでの仕事は、よい家を生み、建て主さんの幸せにもつながっています。「お互いにしのぎを削り、高めあった結果が、建て主さんにも喜んでもらえる。それが、なにより嬉しいです」と和田さんは言います。

木の家ネットのつながりの中から、このような協働がさらに育っていくことを願っています。



一級建築士事務所 (有) バジャン 和田洋子

取材・執筆: 持留ヨハナ (モチドメデザイン事務所

 

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