笑顔のためにもうひとがんばり

竹内建築
竹内直毅さん

あなたの周りに「しんどいんです」「やらなあかん」と切羽詰まったような状況を、なぜか嬉しそうに笑顔で話せる人はいませんか?それはきっとその先にある未来を思い描けている人だから。そして周りの人を安心させ笑顔にする力を持っている人物である場合が多い。今回紹介する竹内さんはまさにそんな人だ。

写真提供:竹内さん

写真提供:竹内さん

竹内直毅さん(たけうちなおき・45歳)プロフィール
1978年(昭和53年)岡山県生まれ。株式会社竹内建築代表。島根大学生物資源科学部を卒業後、兵庫の工務店、木の家ネット会員でもある宮内建築(滋賀県)宮内寿和さんのもと大工修行を積み、2015年に独立。2022年4月には法人化。京都・滋賀を中心に、木造新築・リフォーム・古民家改修など、幅広く仕事を手掛けている。


山小屋での経験から大工の道へ

⎯⎯⎯ 島根大学 生物資源科学部のご卒業とのことですが、生物資源科学部とはどのようなことを学ぶところなんですか?

竹内さん(以下敬称略)「平たく言うと林業ですね。森に入って木の樹種の名前を調べたり、森林自体の管理について学んだり、森林組合などと関係を築きながら、森のことを全部をひっくるめて勉強しました」

⎯⎯⎯ そこからなぜ大工の道に?

竹内「森林について学ぶ中で、日本の森林がすごく荒れていて、国産材もどんどん使わないといけないという現状を知ったんです。そこから、どうやったら木に携われるような仕事に就けるかなと思うようになりました。
卒論のための取材で、兵庫の氷上郡(現 丹波市)の、とある家を訪れたんです。そこはジャーナリストの青木慧さんという方が作った【山猿塾】と呼ばれる場所でした。青木さんは自らすぐ近くの山から木を切り出してきて、家も全て自分で作ったという、すごいおっちゃんでした。
そのご縁で青木さんから近くの工務店を紹介してもらって、トントン拍子で弟子入りさせてもらいました」

⎯⎯⎯ ということは、大工の経験は全くない状態で受け入れてもらえたんですね。

竹内「そうなんです。父親は公務員ですし、親の後を継いでというような形ではないですね。とにかく木を扱う仕事がしたかったという想いと、自分の家は自分で建てたいという想いを持ち始めていたので、それだったら『もう大工しかない』と決心していました」

⎯⎯⎯ そもそも木や環境に興味を持たれたのはどうしてなんですか。

竹内「思い返してみたら、子供の頃に毎年1回くらいの頻度で3家族くらいで山小屋に泊まりに行ってたんですよね。そこでの経験が自分の中に残っていて、今に繋がっているんだろうなと思います。その山小屋というのが本当に山の奥の方にあってポツンと立ってるんです。一緒に行っていたメンバーの方々がセルフビルドで建てられたそうなんですが、大工でもない素人ばっかりで、しかも2階建ての山小屋を作るって、今考えたらよく建てられたなと驚きしかありません。
森の中で遊んで、木に登ったり、山小屋の中に入っても丸太にぶら下がってみたり、そこで触れるものは、もう本当に木ばっかりだったんですよ。近くの川には冷たくて綺麗な水が流れていて、そこでスイカを冷やして食べたり、焚き火を囲んでイノシシを食べたり。そういう子どもの頃の経験がやっぱり影響しているんだろうなとしみじみ思います」

⎯⎯⎯ いい経験ですね!話を脱線させてしまいすみません。そして修行時代を経て、木の家ネットの会員でもある宮内建築さん(宮内寿和 つくり手リスト)に入られたんですよね。どういった経緯だったのでしょうか。

竹内「ある日【住まいづくり読本】という本を本屋さんで見つけて、それを買って読んでいたら、滋賀県でも伝統構法で手刻みで家を建てているところがいくつもあって、その中で特に気になった宮内建築に突撃で電話をかけてみたんです。そうしたら『来てもいいよ』と言ってくれたんです」

⎯⎯⎯ 手元の資料によると、宮内建築で10年勤められたそうですが、その間どんな成長があったのでしょうか。

竹内「壮絶の一言ですね。厳しいけど、いろいろ任せっきりにしてくれるので、もう自分でやらないとならないので、どんどん仕事を覚えていけるような環境でした。だからものすごく経験になったし、成長できたと思います」

⎯⎯⎯ 一番成長できたと思うことは、どこだったんですか?エピソードがあれば教えてください。

竹内「自分の精神的なところですね。修行をはじめて3〜4年頃で『仕事せな仕事せな。やらなあかん』という思いに駆られたある日、ずっと乗らせてもらっていた親方の軽バンを自分のメンテナンス不足が原因でオーバーヒートさせてしまったんです。故障させてしまったのにも関わらず、僕は仕事のことで頭がいっぱいで、次の日、自分の車で仕事に行ってしまったんです。親方から『自分のことしか考えてへん。周りに気を遣えてない。いっぺんやめとけ。何で怒られてるんかよう考えてこい』と無茶苦茶叱られました」

竹内「それからしばらく自分と向き合う時間になりました。仕事に対する姿勢・人間関係・気遣い心遣い・自分の精神的なことなど、いろいろなことを考えさせられました。結局、自分のことしか考えてなかったんですよね。もちろんそれ以外にもいろんなことを学んで、経験させてもらって、あちこちの建築を見に連れて行ってもらったり、はっきり言って感謝しかないです。今の僕があるのは宮内建築にいたからだと断言できます。あの時、突き放してもらったことが、独立するときの原動力になったと思っています」

⎯⎯⎯ なるほど。そして2015年に独立。今年で8年ですが、特に思い出に残った仕事や、ターニングポイントがあれば聞かせてください。

竹内「今から5年くらい前にやった自宅の改修ですね。計画も解体も、もちろん業者さんの手配や打ち合わせも、全部自分一人でやらないとならなかったですし、その間、当然収入は入ってこないので、早くしないといけないというプレッシャーもあり、無茶苦茶しんどかったです」

ご自身で漆喰を塗ったという玄関の壁には、家族みんなの手形が当時の想いを今に伝えている

ご自身で漆喰を塗ったという玄関の壁には、家族みんなの手形が当時の想いを今に伝えている

⎯⎯⎯ しんどいながらも『自分の家を自分で建てたい』という夢は叶ったわけですね。お仕事はどんな案件が多いですか?

竹内「戸建ての木造住宅がメインです。最近はたまたま新築が多いですが、改修やリフォームと半々くらいです。エリアとしては滋賀県内はもちろんですが、京都の方から頼まれることも多いです。一軒やっていると、お施主さんからの紹介だったり、現場近くの方から声をかけていただいたりして、特定の地域に現場が集中する傾向にあります。ありがたいことですね」

⎯⎯⎯ お施主さんとのやりとりで心に残っていることはありますか?

竹内「もうやっぱり笑顔で喜んでくれて、『またお願いするわ』って言ってくれた時の笑顔が忘れられないです。あと『大工さん』じゃなくて『竹内さん』と名前で呼んでもらえた時も本当に嬉しいですね。
独立前に、“おうちを建ててくれてありがとう”と書かれた絵付きの手紙を、お施主さんのお子さんからもらったのですが、それが宝物でずっと残してあってたまに見返して励みになっています」

大切にとってあるお施主さんのお子さんからの手紙(写真提供:竹内さん)

大切にとってあるお施主さんのお子さんからの手紙(写真提供:竹内さん)

ここで、竹内さんの最近の取り組みを3つご紹介する。1つ目は現在滋賀県内で取り組まれている宿泊施設のお仕事。2つ目は昨年完成した京都市内の戸建て住宅。3つ目は大津っ子まつりでの「子供建前」の活動。いずれも竹内さんのお人柄や仕事に対するスタンスを垣間見ることができた。


旧街道沿いで一際目を惹く粋世 当時の職人の息づかいが感じられる

旧街道沿いで一際目を惹く粋世
当時の職人の息づかいが感じられる

事例紹介① 大津町家の宿 粋世(いなせ)

昭和8年に建てられた米殻商の町家を改修した宿。2017年には登録有形文化財に指定され、大津の伝統と文化を今に伝える貴重な場所だ。今回、竹内さんが担当されているのは、裏手に拡張される宿泊棟で、他の大工さんと協働で受け持っている。

決められた仕様の中でも可能な限りの職人技と知恵を振り絞る

決められた仕様の中でも可能な限りの職人技と知恵を振り絞る

竹内「大工によって仕上がりに大きな差があってはいけないので、お互いの仕事ぶりを見ながらコミュニケーションを密に取ることは欠かせません。またプレーナー(自動カンナ盤)仕上げの指定だったのですが、カンナに比べるとやっぱり仕上がりが綺麗ではないので、手でカンナがけしています。自分なりのできる限りのこだわりです」

現場の窓からは母屋がよく見える

現場の窓からは母屋がよく見える


事例紹介② 京都市内某所

2022年7月竣工。古くから住んでいたお宅の建て替えで、設計は同じく木の家ネット会員の川端眞さん(つくり手リスト)。お施主さんと川端さんとは10年以上の付き合いでプライベートでも仲がいいとのこと。今回、川端さんから竹内さんに依頼があり木の家ネットの会員同士での協働が生まれた。お施主さんご夫婦にもお話しを伺った。

⎯⎯⎯ 竹内さんとお施主さんとの何気ないやりとりを見ていると、気心の知れたリラックスした雰囲気を感じます。どんな現場でしたか?

施主 奥さん「竹内さんは町内でも人気者で『工事が終わったら会えへんようになるのが寂しいわぁ』と声をかけられるほどでした」

施主 旦那さん「川端さんから『コミュニケーションが取りやすい人と一緒にやりたいなぁ』とのことで竹内さんを紹介してもらいました。気さくで話しやすくスムーズに進めてもらえました。おかげさまで、とても快適です!」

竹内「ありがとうございます。現場でも、ご近所でも仲良くやれるのが一番です。人間関係がギスギスしていたらみんなやりにくいですし、いいものもできないです。何かあったらすぐにいってくださいね!まだ建って日が浅いので、特に最初のうちは木が反ったり乾燥したりすることなどによって、パキパキ音がしたり、動いたり、隙間ができたりしますので」

⎯⎯⎯ 頼もしいですね。気軽に相談できる関係で素敵です。

竹内「何もかも上手くいくことばかりではないですし、失敗することもあります。けど、そんなこともひっくるめて最後にはみんなが笑顔でいられるのがいい現場・いい仕事なんじゃないかと思います」

竹内さんの考えで階段の手摺りには錆丸太(さびまるた)を使用。 まんまるではない、微妙な凸凹のニュアンスのおかげで手によく馴染む。

竹内さんの考えで階段の手摺りには錆丸太(さびまるた)を使用。
まんまるではない、微妙な凸凹のニュアンスのおかげで手によく馴染む。

床と階段の板のラインがピッタリ合っている。 図面にはないような、繊細な部分の丁寧な仕上げが、全体の完成度を底上げしている。

床と階段の板のラインがピッタリ合っている。
図面にはないような、繊細な部分の丁寧な仕上げが、全体の完成度を底上げしている。


事例紹介③ 大津っ子まつり 「子供建前」

多くの子供たちが集まり、とても盛況だったそうで、来年もまた取り組むそうだ。

多くの子供たちが集まり、とても盛況だったそうで、来年もまた取り組むそうだ。

つい先日の5月21日、大津市の皇子山公園で開催された「大津っ子まつり」で建築組合青年部の活動で「子供建前」実施した。子供たちに大工の仕事を実体験してもらい、少しでも家づくりの楽しさを経験してもらおうという試みだ。


もうひと踏ん張りが
仕上がりを左右する

⎯⎯⎯ 家づくりで大切にしていることやモットーを教えてください。

竹内「モットーとして考えていいのかわからないですけど、“もうちょっと頑張ってみよう”です。『これでいいかな。しんどいしやめようかな』と思うようなところを、もうひと踏ん張り頑張ってみるようにしています。お施主さんが気にもしてないような、些細で目に見えない部分かもしれないけど、やっぱり後々の仕上がりの良さに繋がっていくと信じています。お施主さんのためでもあるし、自分自身の達成感にもなりますから。手を抜いてしまうと、後で絶対気になるし、自分に負けてしまうような気がします。職人と呼ばれる人はみんなそうなんじゃないですね」

⎯⎯⎯ 株式会社にされていてホームページもしっかり作られていますね。ビジョンや方針を明確にお持ちなのかなと感じたのですが、これから先の展望について聞かせていただけますか?

竹内「職人不足のご時世なので、一人でも大工を育てることができたらいいなと考えています。株式会社にしたのは、福利厚生面の充実を図り安心して働いてもらえる環境にしていきたいからです。ホームページを作ったのも同様の理由で、求人募集の間口を広げつつ、お客さんにも家づくりについてしっかり知ってもらいたいと考えたからです。
5年後10年後には、どの職種も人手不足に陥ることは目に見えていて、大工の中でも木で手刻みでということになると特に少なくなります。個人でどうにかできる問題ではないとは思いますが、何とか一人でも大工職人を育てたいと考えています」

⎯⎯⎯ 最後に、竹内さんにとって家づくりとは何でしょうか?

竹内「笑顔になること、笑顔にすることですかね。まずは自分がイメージしたものを、自分の手でつくれるということが楽しくて家づくりをやっています。それが単なる自己満足に終わることなく、お施主さんをはじめ、職人の仲間や関わってくださる業者の方、みんなの笑顔が見えた時『よかったなぁ』と心から思えます」


竹内建築 竹内直毅さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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