瓦も 人も 何気なく 馴染んでゆく

光本瓦店有限会社
光本 大助さん

今回ご紹介するのは、京都で瓦葺きをされている光本大助さんです。みなさんご存知の通り、京都には歴史ある文化が沢山残っており、今も脈々と受け継がれています。文化財や町家などの建物ももちろん大切にされています。そしてどんな建物にも欠かせないものといえば、そう、屋根です。しかしながら、工法や木材、壁、床は気にするけど、屋根や瓦に関しては無頓着だという方も少なくないのでは?
さて、瓦葺き一筋の光本さんから、どんなお話が聞けるのでしょうか。

光本大助さん(みつもとだいすけ・66歳)プロフィール
1957年(昭和32年)京都府京都市生まれ。光本瓦店有限会社代表取締役。京都工芸繊維大学 工業化学科を卒業後、父親から継承した瓦店を営みながら、さまざまな訓練校などに通い活動のフィールドを拡大。2020年度(令和2年)には、かわらふき工にて「現代の名工」に認定。


大学へはトラック通学

⎯⎯⎯ お父さんも瓦屋さんだったとのことですが、どんな幼少期を過ごされたのですか?

光本さん(以下敬称略)「母親も瓦屋の手伝いをしていましたし、私も物心ついた頃から遊びがてら現場について行って手伝っていました。父親からは『大変やから継ぐのはやめとけ』と言われていましたが」

⎯⎯⎯ それがなぜ継ぐことになったのか気になります。

光本「ずっと手伝っていたので、もう体に馴染んでいて、高校生の時には先生の家の雨漏りを直しに行ったりしていました。その後、京都工芸繊維大学の夜間部の工業化学科に通いながら、昼間は瓦屋の手伝いを続けていました。そのうちに瓦屋の手伝いに、大学の後輩を誘い、同級生を誘い、だんだん形になってきてしまったんです。それで『もう辞められへんなぁ』という流れです。最初は理科の先生になりたかったんですが、だんだんと瓦屋が面白くなってきました。大学にトラックで通っていたくらいです(笑)。卒業後は他の現場も知りたくて、いろんな親方について、あっちこっち引っ張ってもらっていました。結局、この道を選んでよかったと思っています」

光本瓦店の入り口にはこんな看板が掲げられている

⎯⎯⎯ 今は何人でお仕事をされているんですか?

光本「社員が8人で、いつも来てくれる外注が3人くらい。大体10人前後でやっています。自分一人でできる事って限られてるし、いろんなことをやろうとするとこれくらいの人数にはなりますね。幸い年齢も分散されています。私と同い年の66歳が1人と、30〜50代が4〜5人、20代が4人です。うちが変わっているのは、みんな、何気なく好きな時に来て、好きな時に帰る気ままなバイト君だったのが、いつの間にか社員になっているんですよ」

⎯⎯⎯ 20代の方が多いのはいいですね。皆さんバイトからというのはどんな経緯で?

光本「何でなんですかね(笑)本人たちにも聞いたんですよ。『なんでうちに居着いたの?』って」

⎯⎯⎯ 居着いた! それでどんな回答が。

光本「『やっているうちに馴染んできた』とか『身を固めたい』とか、そんな話ですね。うちで社員になるということは、訓練校に入るということなんです。京都府立瓦技術高等職業訓練校(現 京都瓦技術専門学院)というのがあって、週に1回2年間行くんです。その段階を経てやっと社員です」

⎯⎯⎯ きっちり線引きされているんですね。

光本「そうなんです。福利厚生面では、以前は日当制だったのですが、残業手当・休日出勤手当・有給休暇なども整備しています。大企業では当たり前かもしれませんが、この業界ではかなり早い段階で導入しました」

⎯⎯⎯ 話が前後しますが、瓦専門の訓練校があるんですね。

光本「もちろん他の地域にもありますが、京都らしいですよね。僕ね、訓練校大好きなんです。大学を卒業してから、まず瓦の訓練校に行って、大工の訓練校に行って、板金の訓練校にも行きました。50代になってからも、同志社大学の大学院の総合政策科学研究科というところに行っていました。大体夜間の学校ばかりなので、夜は家にいない人間です(笑)」

⎯⎯⎯ すごいバイタリティですね。大学院ではどんなことを研究されたんですか?

光本「引退した高齢の職人さんを指導者にして、伝統建築の現場でワークショップを開催して、成長の記録などを論文にまとめました。とても面白かったです。トータルすると人生の半分以上、学生をやってきました。行くところ行くところで人の輪がバーッと拡がる。そしてそれがまた繋がって行くんですよ」


こんなんやるのは、うちぐらい

⎯⎯⎯ 光本瓦店のWEBサイトを拝見して「瓦は新しいからいいわけではない」という言葉にグッときました。古い瓦は解体現場などからもらってくるんですか?

光本「それもありますが、発掘現場からもらってくることもあります。幕末の大火事で燃え落ちた建物が今も埋まっているんですよ。焦土層といって地下2mくらいの深さに赤い地層になっています」

⎯⎯⎯ さすが京都。しかし江戸時代でそれくらい深いんですね。不思議です。

光本「でしょ。考古学的には、あくまで通過点の層であまり興味を持たれないので、ありがたく頂いています。それを見て自分なりに分析して『この時代はこのサイズが多い』『もっと前の時代だとまたちょっと違うな』という風に研究しています。『こんなん他に誰も調べてへん』みたいなことを言いながらね」

⎯⎯⎯ 新旧織り交ぜて瓦を葺く場合もあるとか。

光本「そうなんです。武庫川女子大学(兵庫)の甲子園会館では、まさに新旧織り交ぜて葺いています。これが得意なんです。いつ葺いてもランダムに混じって見えるように、新しい瓦も古びた時の色を想定して16色作っています。何列目の何番目に何色を葺くかプランが決まっているんです。最近携わった景観建築学科東棟は新築で新しい瓦ですが、同じように葺いています」

武庫川女子大学景観建築学科東棟|兵庫県西宮市|2020年
写真:建築・都市デザインスタジオ一級技能士事務所

⎯⎯⎯ それはすごい!

光本「なるべく古い瓦を使う提案をしています。寸法調整したり穴を開けたり爪をつけてたりして、手間暇がかかるので『そんなことしたら、よけい高こうつくやん』と言われますけど、かまへんと思うんですよね。絶対再現できない味があるんで。メーカーには嫌がられそうですけど」

⎯⎯⎯ 瓦にも耐用年数があると思いますが、その辺りはどうなんでしょうか?

光本「もちろんそれはあるんですが、大事なのは実際に瓦を見ることですね。例えば北側にあった瓦を南側に持っていくのはいいけど、南側にあった瓦を北側に持って行くと傷みやすいとか。よそから貰ってくるにしても、暑いところから寒いところに持っていったら傷みやすいとか。あとから替えられるように予備をストックしておくことも大事です。新品の製品なら規格もありますが、実際瓦なんて不均一なものなので、割れるものもあれば割れないものもあります。特に古瓦は保証できるものではないので、交換で対応できるようにうちが10年間保証すればいいだけの話です」

新しい瓦は事務所にもストックしてある。

⎯⎯⎯ なるほど。その分ストックされているんですね。

光本「それなりにストックはしています。でもストックがなくても粘土で作ればいいだけです。その時にプラスで予備も作れるし。保証できない瓦をいかに安心して使ってもらえるかを考えて、実際に使う古瓦で引っ張り実験をしたこともあります。1平米分並べて輪っかをつけてギューッと持ち上げたり、小刻みに150回引っ張ったりして、何ニュートン耐えられるかを計測して、高さ何メートルの屋根まで耐えられるかを判定する試験です。この試験は、”瓦屋根標準設計・施工ガイドライン”として自主規制でやってきたんですが、令和元年(2019年)に房総半島を襲った台風15号の大きな被害を踏まえ、令和4年(2022年)1月改正の建築基準法に採用されています。元々試験方法を確立しているとはいえ、古瓦でそんな試験やるのはうちぐらいです」

瓦葺ガイドライン工法の仕組みを説明するための展示物。実際に触れて体験できるので安心感がある。


捨てる神、拾う神、あげる神!?

⎯⎯⎯ 木の家ネットに入会された経緯を教えてください。

光本「東日本大震災の後、東北に木の家ネットの皆さんが行かれる際に誘われて入りました。皆さんの話が熱くて面白かったのをよく覚えています。語って語ってお風呂でも喋りまくって」

2008年に兵庫耐震工学研究センター(E-ディフェンス)で行われた、伝統木造住宅を揺らす実大実験の屋根も光本さんが葺いたものだ。木の家ネットメンバーも多く関わった。レポートはこちら 写真提供:光本さん

⎯⎯⎯ 震災というと今年は元日に能登半島で大きな地震が起こりました。木の家がダメみたいな報道のされ方が気になるのですが、そのあたりでお話しを伺えますか?

光本「あれね。わざわざ瓦がぺっちゃんこになってる家を映しに行ってますよね。阪神大震災の経験もあるし、もう慣れたというと語弊がありますが、他人の口は押さえられないし、すぐ結局忘れてくれはるやろうぐらいに思っています。ちょっとの間だと思いますよ。リフォームするから『とりあえず軽くしたいから瓦だけめくりにきてくれ』という仕事もあるんです」

⎯⎯⎯ なんと。めくるだけ。そのあとはガルバリウムですか?

光本「そうでしょうね。めくるだけなんでわかりませんけど(笑)。別に嫌でもないですし『どうぞどうぞやりますよ』というスタンスです。そこでいい古瓦があればまた使えるようにストックしておきます」

古瓦のストックヤードを案内していただいた

所狭しと積まれた瓦たち

左:塩焼瓦:塩を釉薬に用いることで化学反応によって茶色になる
右:「使わなくなった丸瓦も、ちょっとしたディスプレイにしたり使い道はいろいろあります」と光本さん

⎯⎯⎯ 捨てる神あれば拾う神あり。ですね。

光本「古瓦のストックが何箇所かあるんですけど、知り合いの職人さんや同業者の人には『勝手に持っていっていいよ』と言っていて、みんな勝手に持っていっています。一点ものとか大事な瓦はまた別のところに置いています」

⎯⎯⎯ もはや、あげる神じゃないですか。

光本「もちろん自分でも使います。京都市の要望として古瓦を使うこともあるんです。例えば、文化財の改修で全体の瓦は新しいものを使いながら、通りに面したよく目につく部分は古瓦を使い、『昔と何にも変わりませんね』という風に仕上げる場合などですね」


ここで、光本さんの施工事例をご紹介します。

八木仏具店 |京都市下京区|2007年

寛政2年(1790年)創業。江戸時代後期より東本願寺前の上珠数屋町通りで京念珠を繋いでいる。


入り組んだ屋根と赤い壁のコントラストが美しい

鍾馗さんがひっそりと鎮座する


aotake |京都市下京区|2015年

京都駅から徒歩6分。再開発の進む七条通り沿いに佇む築100年の京町家を全面改修。日本茶・紅茶・中国茶などを楽しめる人気店に生まれ変わった。

細かく入り組んだ塀の瓦。古瓦を随所に使用している。「何でもないようであるとないとではだいぶ風情が変わるでしょ」と光本さん


増田德兵衛商店 |京都市伏見区|2015年〜2018年


1675年(延宝3年)創業。酒造りのまち・伏見の最古の酒蔵のひとつ。銘酒「月の桂」の蔵元。1964年(昭和39年)には日本初の「スパークリングにごり酒」を発明。

店舗や蔵を何年もかけて順番に改修していった


京都伏見珈琲 権十郎cafe |京都市伏見区|2022年

築148年。藤田家住宅(登録有形文化財)を全面改修し、現在はカフェとして使われている。2018年には京都市の「重要京町家」にも指定されている。

左:左手に見える三列の丸瓦は「風切り丸」といい、台風などの大風の力を分散させたりピッチ調整の役割がある。また単にアクセントとして用いられることもある。
右:塀の瓦はスマートな印象

左:裏には蔵もある。こちらも登録有形文化財だ。
右:袖角瓦には粋な模様。


瓦だけを見る

⎯⎯⎯ 瓦屋として大事にされていることやモットーを教えてください。

光本「瓦だけを見ること。ですかね。お客さんによって、とっつきやすい人もいれば、とっつきにくい人もいます。自分との相性もあります。そこで『なんでこんなややこしいこと言う人のために…』と思うんじゃなくて、瓦に惚れ込んで、瓦だけを見て真面目に仕事をしたらいいと思っているんですよ。そうしていたら、こっちから仕事を取りに行かなくても、自分にあった仕事が向こうからやってきます。それがモットーです」

⎯⎯⎯ 若い職人さんが4人もいらっしゃいますが、社内での関係では何かありますか。

光本「別に私の役に立たなくてもいいけど『他の職人さんが連れて行きたがるような動きをせなあかんで』とはよく言っています。あんまり怖いことは言いません。大事にしていると言うよりは、そういう風にしかできないだけです」

⎯⎯⎯ いえいえ。とても勉強になります。ターニングポイントになったお仕事や出来事があれば教えてください。

光本「徐々にやしね。そんな急に変わらへんっていうか。企業理念とか、目標とかもないんです。別に何も目指しはしないんです。ひとつあるとしたら、町家に目をつけるのが早かったことですかね。今でこそ町家ブームが起こったり、保存していこうという風潮ですけど、バブルの時は、町家といったら潰して建て替えるのが当たり前という時代でした。そんな中、町家に関する団体にいくつか入って、小さな勉強会みたいなものに参加していたんですが、後年、京都市で【京町家再生プラン】という条例が策定されました。そこに名を連ねている5団体のうち4団体に、たまたま早い段階から関わっていたんです。何気なくやってたのが『これやったんや』と思った瞬間でしたね」

光本「もう一個ありました。設計4団体(建築士会、建築士事務所協会、設計管理協会、建築家協会)全部の賛助会員なんです。必ず年に一回はPRタイムを設けてもらっていて、納涼会に総会、新年恒例会にも全部参加しています。これをやっている瓦屋は私だけです」

⎯⎯⎯ それはお忙しいですね。そんな中、今日はお時間をつくっていただきありがとうございます。

光本「これが忙しいけど面白いんです。その集まりで、鍾馗(しょうき)さん作りのワークショップを頼まれてやったのが発端で【京都鍾馗屋】という店も構えました。

鍾馗(しょうき)
京都市内の民家(京町家)など近畿 - 中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10 - 20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
出典 Wikipedia

⎯⎯⎯ 最後にもう一つ質問させてください。光本さんにとって瓦屋の魅力とは何でしょうか?

光本「建築に関わる仕事がいろいろある中で、瓦というのは目立つ所にずっと存在していて、通りがかりに見える部分です。外観の大部分を瓦が占めると言っても過言ではありません。それを子供や孫に『うちでやったんや』と言えることが誇りですね。逆にいうと粗も目につきやすい。台風で飛んだり、雨漏りしたらすぐに呼び出されます。その緊張感が、自分を鼓舞するところだと思います」


インタビュー中、光本さんの口からは「何気なくやってるだけ」という言葉が何度も聞かれました。一日中ご一緒して、それは「適当にこなす」という意味ではなく、ご自身の根底にある信念や直感に忠実に行動されていることの証なんだと感じました。
何気ない行動・何気ない言葉・何気ない繋がりを積み重ねて歩まれている光本さん。その姿は一枚一枚が積み重なってやがて屋根となる、瓦そのもののようでした。


光本瓦店有限会社 光本大助さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

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