淡路島の中央に位置する兵庫県洲本市。小川沿いに車を走らせると小高い場所にポツリと住宅と工場のような建物が見えてくる。ここが今回紹介する藤田さんの営む《淡路工舎》の事務所・作業場、そして自宅だ。
まずはプロフィールのご紹介。
藤田 大(ふじただい・48)さんは1972年 神戸市生まれ。高校在学中に法隆寺宮大工の故・西岡常一棟梁の著書「木に学べ」を読み宮大工の面白さに触れる。高校卒業後、西岡棟梁の紹介で「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に弟子入りし、11年間宮大工として修行する。
2001年 淡路島・洲本市の小川寺を建てるために移住。翌2002年 小川寺の完成と共に30歳で独立。神戸へのUターンも考えたが淡路島での暮らしが肌に合い、島内に残ることにした。
その後、敷地内の古民家を改修し自宅とし、作業場内には事務所と住み込みの弟子のための住居を建て、今の淡路工舎の形となる。現在は5名体制で社寺から住宅まで様々な仕事をこなしている。
「住宅をずっとやりたかったんですが、元々社寺ばかりやってきたので、知らないことばかり。家づくりを覚えたい一心で、地元の親方のもとで、昔ながらの淡路島の住宅や、プレカット工法の現代的な建築など幅広く学びました。」と藤田さん。
自宅に案内していただき詳しくお話をうかがった。
宮大工の経験を家づくりに活かす
⎯⎯⎯⎯ 住宅と社寺とではどれくらいの比率で仕事をされているのですか?
「7:3くらいで住宅が多いかなとは思いますが、その時々で変わってくるので一概には言えないですね。今年はたまたま新築の住宅が多いですけど、来年に向けてお寺の仕事が控えています」
⎯⎯⎯⎯ 藤田さんの周りには他に手刻みで木の家を建てられている大工さんはいらっしゃいますか?
「木の家ネット会員の総合建築植田さん(植田さんの紹介記事はこちら)、僕のところ、あとやっていそうなのは、社寺を専門にしているところが、たまに民家を手掛ける際に手で刻んでいるのかなというくらいの感覚ですね。10年くらい前は、まだちらほら淡路島特有の伝統的な民家も建っていたんですが、めっきり見なくなりましたね。確かに残念といえば残念ですが、決めるのはお客さんなので難しい問題ですね」
⎯⎯⎯⎯ とはいえ島内には立派な淡路島らしい住宅も残っているように見受けられます。そういった住宅の改築・リフォームはどういった方からのご依頼が多いですか?
「元々住まわれていた家を直したいというご年配の方から、比較的若いと30代後半くらいのご夫婦だったり様々です。淡路島で特徴的なのは、移住のために古民家を購入して改装したいというお客さんが多いことですね」
⎯⎯⎯⎯ このご自宅も改築されたそうですね。
「はい。この家も自分で改築しました。斯く言う自分も移住組です(笑)。近所の人からは『潰した方がええ』と言われていました。雨漏りは酷いし棟は落ちているしシロアリはいるし、本当に荒廃していたんです。もちろん新築した方が簡単なんですが、古い家でも改築したらこんな風にできるんだという事例を作りたかったんです。なのでモデルハウスとして公開しています。お客さんには生活感も含めて見てもらえるようにしています」
そんな藤田さんの想いが詰まった自宅をご紹介する。
まだまだ現在進行中
「風通しの良い家にしたかった」という藤田さん。取材日は7月上旬、大雨の合間の蒸し暑い日だったが、玄関をくぐった瞬間からひんやりと心地よい。建てて7年になるが、より良い住まいを目指し現在も改築作業は進行中だ。
敷地内にはさらに作業場が2つある。3年前には作業場の中に事務所を作った。外からはわからないが実は二階建てになっており、一階は事務作業や設計、製図、打ち合わせなどに使われ、二階はお弟子さんたちの宿舎になっている。
淡路工舎のお弟子さん達は基本的に皆、この宿舎に住み込みで働いている。現代ではこういった環境はかなり少ないのではないだろうか。
⎯⎯⎯⎯ 住み込みにこだわるのはなぜですか?
「今、住み込みでは2人来てくれています。福本杜充さん(ふくもと もりみつ・23歳・大阪出身)と板良敷朝和さん(いたらしき ともかず・21歳・沖縄出身)。僕が鵤工舎で弟子だった時も住み込みで生活していました。いつも合宿のようで楽しかったし、何よりとてもいい経験になりました。だから自分が弟子を取る立場になったら、絶対住み込みでしか取らないと決めていました」
⎯⎯⎯⎯ 弟子と言えば、ご長男の樹さんが藤田さんと同じく鵤工舎に弟子入りしていると聞いたのですが、どういう経緯だったのですか?
「僕が紹介した訳ではなく、自分から連絡して採用してもらいました。高校卒業後5年間の約束で弟子入りしています。今年で5年目なので来春には淡路島に戻ってくる予定です」
来春からは、他のお弟子さんと全く同じ条件で採用し、この宿舎で衣食住を共にすることになる。
大工にしかできない建売りの家
淡路工舎の門を叩いてくる若い子は「木を触りたい」「刻みたい」という志を持ってやって来る。しかし実際の仕事は昔ながらの社寺や伝統建築ばかりという訳ではない。
「ここ数年で一般的に民家の新築はプレカットばかりになってきました。その手法に対する良し悪しや好き嫌いは別として、若い大工が短期間で一軒建てることができます。現場の数をこなせて、仕事を覚えられ、自信がつくという意味においては、特段悪くないと考えています」
そう考える藤田さんはある試みに挑戦中だ。
「志を持った若い職人が、ちゃんとした材料を使いながらコンスタントに家を建て、経験を積めるようにするためにはどうしたら良いか。それをずっと考えた結果『そうだ!もう建売りしよう!』と思い立ちました」
「自分たちでプランニングから始めて、模型を作ったりCADで図面を引いたりして、自分たちが良いと思える素材を使い、良いと思える家を作る。そして良いと思える暮らしを提案し、商品として家を買ってもらうんです」
「すると大体の人は、目の前に出来上がった家だけを見て暮らしを想像します。その時に『あ、良い!』と単純に思ってもらえたら、それが一番いいんじゃないかなと考えています。お客さん自らは興味がない場合でも『安全で体に良い素材を使って暮らしやすい家を建てたんです』とこちら側からカタチにして見せることもありなんじゃないでしょうか」
「注文住宅を一緒に作って行くことも素晴らしいし楽しいですが、一つのモデルを作って提案するというのも大切なような気がします。後からアレンジしたり手を加えて行くことももちろん可能ですし、自分たちの家づくりのパターンとして、《建売りというカード》を持っておくのは悪くないと思うんです」
確かな技と良い素材を使い、その良さが滲み出てくる家。《寡黙だけど慕われる人》が頭に浮かんだ。
その建売り住宅の第一弾が洲本市宇山に出来上がろうとしていた。
不動産屋さんが持つ土地に淡路工舎が家を建て、セットで販売してもらう。一般的な建売り住宅に比べるとかなり強気な価格設定になっているが、すでに売約済み。ほとんど既製品は使わず、建具は全部手づくりだという。
「使っている材料や、やっている仕事から考えれば、かなりお得な金額にはなっています。やっていることは間違いないという手応えがあります。万人受けはしないかも知れないけど、ハウスメーカーでは実現できないような家になっているので『こんなのが欲しかったんだよ!』と思ってくれる人もきっといるんじゃないかなと思って作りました」
完成見学会(取材後に完成済み)では「島内でこんな家を作るところがあるとは思わなかった」「今まで見てきたモデルハウスの中で1番や」と嬉しい声が聞かれたそうだ。
「もちろんこのやり方に対しては賛否両論あると思います。それを分かった上でやっている試みなので、これからどういう評価を受けるのか楽しみです。お客さんの声に耳を傾けて、また次の手を考えていきたいですね。従業員の間で『次、こういうのやろうよ』『こんなのどう?』と声が上がってきたら、ますます面白いことになると思っています」
熱く語る藤田さんの目は少年のように輝いている。
⎯⎯⎯⎯⎯ 今後のプランを教えてください。
「社寺の仕事をやりながら、建売りの住宅も平行して作って行ける仕組みを作って行きたいです。そうすれば人を雇うということも怖くなくなりますし、若い子にも来てもらいやすくなります。それを見越して製材機も導入しました。原木を買って来て、まとまった量の材木をストックしておくつもりです。短期間で答えは出ないですが、5年後くらいに軌道に乗れば良いかなと考えています。」
それでは家の中を詳しく見ていこう。
「自分で住みたいと思う家を設計した」と言う藤田さん。特徴は2階にキッチンとリビングに置き、スキップフロアと勾配のある天井にしたところ。気持ちいい空間が広がる住まいになった。
この家を買ってくれたのは30代の会社経営者。「僕らの建てるものなら絶対良いと言ってくれてすぐに購入してくれた」と藤田さん。
「住宅というものは、いち家族のために作るものだとばかり思っていました。しかし会社で購入し福利厚生のために使うようなケースもあるということを知り勉強になりました。今までの経験の中でだけ顧客層を考えるのではなく、もっと視野を拡げ、いろんな人が『買いたい』と思えるものを創り出していけばいいんです」
「自分は一体どこに向かっているんだろうと思うこともありますが、次の世代の子たちが《手仕事さえ覚えたら絶対的に食べていけるような環境》を整備してあげたいんです。自分だけが楽しみたいのであれば、ずっと社寺をチクチクつくるのもいいですが、そこにこだわり過ぎると、これからの時代に生き残れる人材は育たないんじゃないかなと僕は思います」
「実際、弟子の2人もこの現場を通してだいぶ成長が見えました。今までは『もっと考えろ』『どう思う?』と、こちらから声をかけることが多かったのですが、最近は自分から『面白い』『きれいやな』と自然と言葉が出てくるようになりました。自分がやり遂げたことに対して、自信を持てたり、達成感を得られたりと、単純に楽しめている証拠です」
「本当、何でもしますよ。今回は基礎も自分らでやったし。これからもどんどん新しいことにチャレンジして行って欲しいですね」
最後に、藤田さん自身がチャレンジして来た社寺の仕事をいくつか紹介しておこう。
制限があるからこそ、ええもんが作れる。
福田寺(ふくでんじ) | 淡路市志筑
このお寺の新築工事は5年前(42歳の時)に手がけた。
ちなみに取材後に知ったのが、ここには源義経と静御前のお墓があるという(見てみたかった、残念)。
正面の屋根を降りきったところが、左右よりもなだらかに高く膨らんでいる。なかなかやっているところは少ないそうだが、藤田さんが修行していた時はこれが当たり前だった。なので予算があるないにかかわらず『ええことは知ってるから、しとかなあかんこと』だと言う。
「そんな技術とかこだわりも随所に詰まってはいますが、見に来てくれた人が『キレイやなぁ』と思ってくれたらいいだけ。あんまり細かいことは自分からは言わないようにしています」
ここを建てたご縁で、来年からは別のお寺の現場も始まるそうだ。
「どこのお寺も檀家さんが少なくなって、予算面や設計・施工面でも制限がある場合が多いんです。でも声を掛けて来てくれることが嬉しいので、そのお客さんのために、どうやったら条件をクリアしながらええもんを作れるかをいつも考えています」
藤田さんの人柄と滲み出る想いが、仕事や人をつないでいる。
厳島神社(いつくしまじんじゃ) | 洲本市本町
13年前、35歳で舞楽殿・社務所・回廊・渡り廊下を手がけた。
厳しい設計士の先生で「ほんまにお前にできるんか」みたいに思われていたが、やっていくうちに認めてもらえたそうだ。
「屋根などの意匠にとてもこだわりを持たれている先生との仕事は、今見てもやっぱりいい仕上がりになっていますね。鉄筋コンクリートや銅板の仕事が初めてだったので、個人的にものすごく意義のある仕事でした」
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) 制札 | 淡路市多賀
厳かな参道の鳥居のすぐ横にある制札。天皇陛下(現在の上皇陛下)御在位参拾年奉祝記念、いざなぎ會設立七拾周年記念として2019年に手がけた。
意匠に決まりがあるわけではないので、設計には経験とセンスが必要だ。楔もちょっとやそっとでは抜けないよう噛み合わせの細工や入れ方にも工夫が込められているそうだ。
「出来上がってしまえば小さいけど、こういうのも大事な仕事です」
新しいカタチの工務店
伝統的な職人の技を受け継ぎ、社寺建築での確かな腕を持つ藤田さん。しかしそこに甘んじることなく、新しいこと・知らない世界へと果敢にチャレンジしていく姿は、お弟子さんの意識も変え始めていた。
「新しいカタチの工務店を作って行きたいんです。若い職人が与えられた仕事をこなすだけではなく、自分たちで提案してそれを全員でカタチにしていくようなスタイルを確立できたら、やる気も全然違うでしょうし、面白いんじゃないかなと思います。」
「仕事は時間をかけて量をこなせば絶対的に身に付きます。幸いにもその時間や機会を用意できる環境はある程度整っています。それよりも大事なのは『大工って面白い』と思える《仕事づくり》じゃないでしょうか」
藤田さんは《家をつくること》を通して《次世代への道筋》をつくろうとしている。