福井県高浜町は、七年に一度「高浜七年祭」が450年以上続いてきた歴史のある町。伊藤和正さんはこの地で、自然素材を使った昔ながらの家づくりを受け継ぎ、貫いている。大工二代目として、地域の担い手として、伝統を重んじながら、新しいアイデアも盛り込む姿を追った。
伊藤さんが愛する「七年祭」は「けんか祭り」の異名を持つ激しさで有名だ
「そこいらの大工さんとは違うって、有名やったんですよ」と伊藤さんについて語るのは、福井県美浜町・北山建設の北山大志郎社長。北山社長は10年ほど前から福井県内の空き家を再生するプロジェクトを始め、NPO法人ふるさと福井サポートセンターの理事長を務めている。プロジェクトのための勉強会を開くにあたって、伊藤さんに声を掛けた。
一緒にプロジェクトに取り組んだ北山社長(奥)と、リノベーションした現場で
北山社長はすぐに、「技術、発想、経験が本当にすばらしい」と伊藤さんに驚くことになった。プロジェクトでは2人をはじめデザイナーなどでチームを組み、敦賀市の空き家をコミュニティスペース再生に取り組んだ。
この家は昭和20年代に、地元の人たちがある医者に「家はみんなで建てるからここで病院をやってほしい」と頼み込み建てられたという、ドラマティックな場所だ。持ち主の事情により手放すことになったが、北山社長は「大切にされてきた歴史があるし、柱など今では考えられないような価値の高いものも使わせている。空き家を有効活用するモデルケースをつくりたい」と当時を振り返る。チームでのミーティングでも「古い雰囲気は残しつつ洗練された感じに」「人が集まって語れる場にしたい」と夢は膨らみ、ビジョンはまとまるものの、具体的にどこをどうリノベーションするかというと見当がつかなくなってしまったという。
そんな時、「ミーティング中は言葉少なかったんだけど、実際に手を動かすとどんどんかっこいい空間を作り上げていったのが、伊藤さんだった。プロに任せるとすごいって、感動した」と北山社長。
1階の土間には薪ストーブを設置した
2階と1階のキッチン部分は天井に、重厚感ある構造材が見えるようにした。特に2階は、壁と屋根の間にアクリル板を張ることで、梁組を見せつつ暖房効率を上げるようにした。アクリル板は丸鋸の専用チップソーを使うという、伊藤さんにとっても初の試みだった。
キッチン部分は、構造材と照明の融合が美しい。水回りにはモルタルを利用した。
室内の部屋の建具も、再利用したものを使った。伊藤さんは「古いものを大切に使いたいというのは自分も同じ。そのために、考えて手を動かしながらの、試行錯誤だった」と話す。一人泊まり込んでの作業にも「いいものを作ろうって集中できた」と苦にしない。
大工工事の経験から、構造がどうなっているかはイメージできる。解体しながら傷み具合をチェックし、魅せられる部分は魅せ、抑えることろは抑えて、バランスをとりながら工事を進めていった。
全体を整えるキモは、「左官工事」と伊藤さんは振り返る。ベテランの職人さんに、古い土壁を一度はがして、新しく漆喰まで塗り直すという作業をやってもらった。「ちりも丁寧に仕上げてもらい、全体の雰囲気がグレードアップした」と職人技のすごみを実感する。
職人技が光る漆喰壁
この場所はイベントスペース「朱種~Shushu」としてたくさんの人が訪れるようになったが、「どなたもきれいに使ってくれる。特に若い方のリピーターが多い。建物に整った雰囲気があるからだと思う」と北山社長は喜ぶ。今後は一棟貸しのゲストハウスとしても展開していく予定だ。
伊藤さんも「古い建物ってええなって伝えられる現場になるといい。自分も自信をつけさせてもらった場所なんで」と、思い入れは大きい。
「自信」。伊藤さんがインタビュー中に何度も口にした言葉だ。
高浜町で、手刻みの家づくりをする大工の家に生まれた伊藤さんだが「昔から大工になりたいと思っていたわけでもない。高校出る時に何しよ、うち大工やし、まあ、しよかってなった」という。父親には「外で勉強してこい」と言われ、隣の美浜町の工務店で修業した。厳しいけれど優しい親方と、何もないところから作り上げていく面白さに直面し、「勉強も部活も中途半端やった」青年は、懸命に汗を流した。
しかし、20歳の時に首を怪我し、入院。その後大阪でサラリーマンとして働いたものの、22歳で再び大工を目指し実家に戻ることに。そこには1歳下の弟がすでに大工修行中で、ライバルのように腕を磨いていった。
「弟はガチガチの職人肌でこだわりが強く、時間かけてものをつくる。自分はそこまでせんでもぼちぼちいこってタイプ。やから自信もなかった」という。30代のころにはバブルが終わり、ハウスメーカーが台頭と、時代が変わってきた。家業も昔ながらの家づくりから下請けをするように変わったものの、経営は厳しくなっていく。大工は弟に任せ、自分は別の仕事を探そうと考えた矢先に、弟が事故死した。大きな喪失感だった。
同じ頃、テレビで木の家ネットメンバー・宮内寿和さんの放送があった。「衝撃だった、自分も下請けなんかせんとやりたい仕事をやろう。やっぱり、木の家づくりがしたい」。ふっきれた瞬間だった。宮内さんの講演会をきっかけに木の家ネットメンバーとつながり、現場を行き来した。理想を実現するために模索する姿を目の当たりにすることで、その気持ちは確固たるものになっていった。
立地も後押しした。「福井はありがたいことに、手刻みがいい、和室を作ってという施主さんがいらっしゃった」と伊藤さん。ひとつひとつの家づくりに向き合う姿勢は好評で、口コミで途切れることなく仕事は続いてきた。
空き家再生のプロジェクト「朱種~Shushu」にも結び付き、同じものをいいと思える仲間ができた。彼らは補助金やポケットマネーを活用してでも「古いものを残したい」という姿勢で、伊藤さんを「こういう人たちのための大工技術や。儲けは多くなくても、なんとかやっていければそれでいいやんか」という思いにさせた。
また、このプロジェクトでは、伊藤さんが今まで一緒に仕事したことがないベテランの左官職人さんが現場に入った。「この職人さんがとにかく凄腕」と伊藤さん。仕事の合間に、土、自然、技術のこと、木の家ネットでの話題を、職人さんに聞いてみた。そうしたら『若いのによう勉強しとんな』と態度が変わって、いろいろと教えてもらえるようになった。自分がすごいって思った人に認めてもらえたようで、嬉しかったなあ」と目を細める。そしてそれが、自信になった。
伊藤さんが木の家ネットに入るきっかけであり、先輩大工でもある宮内さんは、「30代は知識を身に着ける段階で、壁にぶつかる。でも、この時の頑張りが次の世代の底力になる。伊藤くんは熱心に勉強していたから、今もいい仕事ができているんやと思う」と話す。伊藤さんをはじめとする今の40代、さらに若手の木の家ネットの職人たちを、「みんな優秀。これから先も職人として生きていけるように俺もできることせな、と刺激をもらっている」と、SNSなど新たな展開に力を入れる。
「木の家はいい。触って仕事していてとにかく気持ちがいいし、職人の気合が入ってる。骨組みがしっかりしているから、壁が崩れたとしても修理すれば長く使える」と言い切る伊藤さんのすがすがしさは、自信に裏打ちされている。
多忙な時期は、昼に打ち合わせや現場仕事をし、真夜中に墨付けすることもある。疲れているはずなのに、不思議と頭は冴え、集中できるという。「一人なのに一人じゃないって感じることもあるんよ。木には命があって、人間よりずっと長生きやからかな」とほほ笑む。
「木の家の良さを、もっとたくさんの人に知ってほしい」と考える伊藤さんは、8年前に構えた事務所を石場建て、木組みで建てた。壁は土壁にして、ベンガラを混ぜ赤くした漆喰を塗っている。ここで打ち合わせをする時に、自然素材の気持ちよさ、時がたつにつれて増す風合いの良さを体感してほしいという気持ちが込められている。
6畳ほどの広さで、壁にフォレストボードを張っているので暖気も逃げない。以前はハロゲンヒーター1つで冬を過ごせたというが、現在は愛猫「アントン」のためにエアコンを導入している。
屋根も片面ずつ5寸勾配と4寸勾配に変え、雨切りや見た目がどう変わるか見てすぐわかるようにした。
室内は瓶にパンと建築材料を入れて経年変化を見るなど、実験的な場所にもなっている。木と漆喰を入れたものと、一般的な建築材料をいれたもの。カビの生え方で、空間の違いが一目でわかる。
「どんな家で生活したい?って、これ見てほしいわ」と伊藤さん
この事務所は、先代である父親の建てた作業場が老朽化し、移設したことををきっかけに新築した。その父親も1年前に引退し、現在は社員1人との2人体制。その社員も妹の夫で元土建業をしていたという関係だ。
工務店のかたちも、35歳で事業継承し42歳で法人化と、変化してきた。法人化して7期目となり、設計、大工業は伊藤さんが引き続き担うが、経理は外注するようになった。最近は新築や大改修を行うときは、モデレーターに頼んでBIMのモデリングも取り入れている。
「本当は『自分がもう一人いれば』って思うくらい、何でも自分でやりたい」という伊藤さんだが、プロにはプロのやり方があることを知り、任せるところは任せるよう方向転換した。
柔軟にかたちを変えていくのは、いい仕事を遺すため。弟亡き後も大工を続けていると、施主さんたちに「ここは弟さんがやってくれたんやね」「大切に使わなね」と言われることがあった。作った大工は死んでも、家は遺る。中途半端な仕事はできない。
長く残っていく家はやはり、昔ながらの手刻み、木組みの家だ。最近力を入れている改修工事も、昔の大工が手間と時間をかけて建てたからこそ次の世代へをつなげていける。経験から「利益に走ると、仕事が雑になる」という実感もある。
木を丁寧に扱う伊藤さんの手は、仲間や職人とつながりながら、未来にのこる家づくりを手掛けていく。
取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:伊藤和正
ご家族の死、ご自身の怪我など、胸にしまっておきたいようなお話も語ってくれた伊藤さんには、感謝が尽きません。「やりたい仕事をやる」。現在、実現できていることを心から嬉しく思いましたし、応援しあう木の家ネットのつながりに感動もしました。このような家づくりが未来に残せるよう、ライターとしても気が引き締まりました。
コロナでデジタル化が加速する昨今、伝統建築の改修でBIMをはじめとしたITを導入し、可能性を見出している設計士がいる。福井県の「一級建築士事務所山田屋」を営む山田健太郎さんだ。「複雑で手間がかかる伝統工法こそ、ITを利用した見える化がとても効果的」と手ごたえを感じている。山田さんの緻密かつわくわくが感じられる仕事ぶりと、BIMを学び始めた三重県の若手大工の対談から、「IT×伝統建築」という新しい風を読む。
山田さんが座るパソコンの画面上に、現場の立体モデルが浮かび上がる。山田さんは、野帳はタブレットのノートアプリに書き込み、ドローンや360度カメラでの撮影、3Dスキャナを活用した点群データなどを資料に、スケッチアップやVectorworksというBIMの設計アプリケーションを駆使して設計立案をするスタイルで、木造住宅や古民家・文化財などの改修設計を行っている。
Vectorworksで作成したモデル(左)と野帳のアプリ(右)
ドローンを活用しての撮影
BIMとは、Building Information Modeling(ビルディング インフォメーション モデリング)の略で、コンピューター上に建物の3次元モデルを再現し、設計する。「目の前に現場があるような感じ。こんな建物ができるのかって、圧倒的にわかりやすい」と山田さん。設計された部材パーツには幅や奥行き、高さなどのデータが盛り込め、またそのデータはクリックひとつで伸ばしたり縮めたりできる。設計図の中の柱を太くする(または細くする)、間口を広くする(または狭くする)動作も短時間ででき、それによって室内のイメージがどう変わるかも明瞭に伝えられる。
この手法が確立した背景について山田さんは、これまでの設計の表現の手法は「建築の二次元的な表現を紙の上に手で書いてコピーして配る」ことから、それを「コンピューターの中で二次元で書いてプリントして配る」よう進化してきたが、「21世紀に入りコンピューターゲームの爆発的発達によって立体データを高速に処理・表示できるようになり、その応用として建築を三次元的に表現し、そこから半自動的に二次元表現を作成するBIMとよばれる技術が立ち上がった」と話す。
BIMの「最初から立体で設計する」手法は、これまでの建築製図とは全く異なり、「図面間の整合性の高さ」「直感的なわかりやすさ」「新しい図面表現」といった利点があると山田さんは考える。
まだ伝統建築の分野では利用は一般的ではないが、国土交通省が建設現場でICTや3次元データを活用した作業時間短縮、生産力向上を目指す「i-Construction」というビジョンにも適応した“これからの”設計手法といえるだろう。
山田さんはBIMを導入して約6年、愛用のVectorworksは10年目だ。昨年から勉強を始めた三重県の大工・東原大地さんと、BIMのおもしろさについて語り合った動画を紹介する。
大地さんは木の家ネットメンバーの東原達也さんの息子で、まさに“これからの”大工だ。
建設現場での情報共有ツールとしての有効性が光るBIM。単純に「おもしろい」というわくわくも詰まっている。活用方法は幅広いが、その中から山田さんが使っている①3次元モデルからの図面起こし②部分改修の色分けの2点を動画で紹介する。
①3次元モデルからの図面作成
福井県の発心寺本堂の6年にわたる大改修工事では、山田さんを含むプロジェクトチームがBIMで作った3次元モデルから改修案を提示。モデルから図面を起こし、職人に渡したという。
動画にはないが、断熱材などの資材を入れる場合のシュミレーションもでき、そのシュミレーションから資材のサイズや規模のデータを取り出すこともできる。
②部分改修の色分け
鐘楼の改修設計の際、折れてしまった屋根の構造材をどのように分解し、どのように改修するか、色分けして職人に示した。黄色く塗られた部分を解体し、赤は新しい木材に付け替え、緑は補修、といった具合で、設計者の意図を正確に施工者に伝えたいという目的があるという。
山田さんは3次元モデリングに欠かせないのが、「現況調査をきちんと行うこと」と強調する。3次元モデルを作成し、その上に、丁寧な調査から得た現状の情報を重ねていくことで、その建物が抱えている問題が見えてくるという。解決方法も提示できるのだ。「ちゃんと検査しないで、いきなり開腹手術をする先生はいませんよね」と説いている。
現場だけでなく、施主さんにとってのメリットももちろんある。線だけで書かれた図面は、毎日設計図に触れることのない人には完成予想をイメージすることは難しい。山田さんは「3次元モデルなら施主さんと設計の段階から完成イメージを共有できる。納得感が得られ、信頼関係も築けるでしょう」とみている。
ITを使いこなす山田さん。幼いころの愛読書は「百科事典」だったという好奇心旺盛な性格だ。高校時代はコンピュータープログラミングにのめりこみ、「家に機械がなかったから、毎日学校帰りに電気屋によっていじらせてもらっていた」と振り返る。
地元の福井大学建築学科に進学したものの、エネルギーは引き続きプログラミングの勉強と、アマチュア演劇に注ぎ込む日々。建築とは距離を置いた青春だったという。
しかしある時、膨大な時間をかけてプログラミングした結果がフロッピー1枚に収まってしまうことにむなしさを感じ、並行して学んできた「大きくて広がってなくならない空間=建築」の道に進むことを決心した。劇団では照明担当だったこともあり「演出された空間へのこだわりはあった」という。
卒業後は岐阜の設計事務所に就職。デザイン性の高い設計を手書きで学んだ。その後福井に戻り、公共工事などを手掛ける事務所で働いた後、2002年に独立した。
福井では大学時代の恩師の手伝いをする機会もあり、プログラミングが得意だったことから2003年の地元イベント「わかさ路博」にデジタル展示する三重塔のモデリングを頼まれた。そこから、建築とITの道が重なり、BIM設計など現在の仕事につながってきた。
三重塔のモデリング
ただ、仕事として職人さん達と関わる中で「伝統木造建築の奥深さに触れ、学びの必要性と重要性を感じた」と実感。20代の頃に参加した市民団体「ふくい・木と建築の会」で得た横のつながりを通して、大学の恩師の手伝いや社寺を手掛ける職人さんから学ぶとともに、木組のデザインゼミナール、ヘリテージマネージャー講習会、JIA文化財修復塾などにも積極的に参加した。月に1回は勉強会のため県外に出向いた。さらには大阪のMOKスクール、住宅医協会で学び「住宅医」の資格も取得した。
積み重ねた知識に、自身のコンピュータスキルをプラスし3次元モデルを作る。そうすることで「あ、この建物はこうなってるんだって理解が深まり、自信が生まれた」と山田さん。職人さんへの提案や施主さんの要望整理など、仕事の質が高まったという。
古民家改修のモデリングと、解体してあらわになった軸組。
「伝統建築にこそ相性がいいのが3次元モデルだ」と山田さんは言い切る。
社寺や古民家など改修のスパンが長く、たくさんの設計士や職人がかかわる現場では、それぞれが描く完成予想図が完全に一致していないことも多い。わずかな違いであっても仕上がりに影響は出てくるし、すりあわせの労苦は現場の士気や全体のスムースな進捗に響く。3次元モデルで共通解を提示することは建物が実際に立つ前に、問題を見つけ、解消することにも結び付く。
山田さんは、物件ごとに同じBIMアプリを使う設計士とチームを組み、作業分担をすることが多い。先述した発心寺の大改修は規模が大きく設計も複雑だったため、5人のチーム編成で取り組んだ。福井県外のメンバーもいたため情報共有はzoomやDropboxを活用。3次元モデルによるわかりやすさも手伝い、トラブルなく作業を終えられたという。
そして、職人のすごさを改めて実感している。山田さんは現場にノートブックとモニターを持ち込んで説明すると、大工棟梁はモニターに映る3Dの軸組を見て、「ここはもう少し下がっていると思う」「ここの組み方はちょっと違うと思う」など指摘し、判断を即座にしてくれた。「経験値の高い職人の目にはすばらしいものがある。それは、2Dでは伝えきれない情報を表現できるBIMのすごさでもある」と強調する。
ITの活用により、限られた条件の中で良い設計をして良い現場ができる、と山田さんは考えている。職人はそのぶん正確な刻みと納まりに心を配り、設計士も勉強して正確に意図を伝え、協働してよりよい建築を目指すビジョンを思い描く。
また、伝統建築をはじめ長く伝えられてきた建物には、建てた人、住んだ人、訪れた人、維持補修に関わってきた人など、たくさんの人の愛着が詰まっている。改修の際は「お預かりした建物をよく観察してきちんと改修して次の世代にお渡しするということの大切さが、身にしみている」と山田さん。
かやぶき屋根の古民家改修にもBIMを活用した
これまで改修した物件について、次の大改修への取り組みは数十年後。きっと、その間にもITは革新していく。「どんどんアップデートされる中で1人で勉強するのは大変だから、みんなで勉強しあったらいいんじゃないかな」と山田さん。自身もBIMは友人と一緒に学んだことでモチベーションを保ち、伝統建築は勉強会に参加することで多くの刺激をもらったという。
その先には、次の時代の改修に直面した人たちに建物の価値を理解してもらい、改修してさらに未来へとつないでいこうと再び決意してもらえるように、という希望がある。そして、ITにそれをかなえる光を、見出している。
一級建築士事務所 山田屋 山田健太郎(つくり手リスト)
取材・執筆:丹羽智佳子、動画編集・写真提供:山田健太郎
木の家ネットではこれまでもいくつかの動画を紹介してきましたが、今回は初の“対談”形式。楽しんでいただけましたか?発案は山田さんご自身で「若い人の意見を聞いてみたい」というご指名。まず、そのアイデアに驚かされました。対談中、言い方を変え動画を交えながらお話しする知識の深さと、わかりやすく伝える努力を惜しまない姿勢に頭が下がりました。新しい世界は、面白い。改めて気づけた時間でした。