今回の伊藤松太郎さんへのインタビューは、つくりあげたばかりの木の家への往復路、車の運転中に行わせていただきました。日本の夏の暑さが厳しさを増すなか、長野や山梨の高原地には都心からの移住者も増え、伊藤さんの元にはそういった方々からのご依頼がくるそうです。
お父様が引退され、ひとりで家づくりをされるようになった伊藤さんに、高原地ならではの家づくりと節目を迎えた今の心境を伺いました。
伊藤松太郎さん(いとうしょうたろう・36歳)プロフィール
1988年長野県諏訪郡生まれ。一級建築士、大工。父の寛治さんが営む伊藤工務店の作業場を遊び場にし、大工たちの仕事ぶりを見ながら、自分も大工になることを思い描き育つ。物づくり全般に興味が広がり、母が美術大学出身でその影響もあって、デザインを学ぶため東京造形大学に進学。卒業後は埼玉県の綾部工務店で7年の大工と設計の修業を積み、故郷に戻り、伊藤工務店を継承。
⎯⎯⎯ 本日は、つい数日前にお施主さんに引き渡しをされた新築物件をご案内いただけるとのことで、楽しみにやって来ました。
伊藤さん(以下、敬称略)「僕も、みなさんにお見せできるのがとてもうれしいです。お施主さんが、公開をお許しくださったおかげですから、感謝しかありません。
そもそも、僕につくらせてくださったことが本当にありがたいことです」
⎯⎯⎯ どのような経緯でご依頼をいただいたのでしょうか?
伊藤「日本の伝統的な建築法をいかした木の家を建てたいというご希望で、ネットで調べられて僕の親方である綾部孝司(埼玉県・綾部工務店 つくり手リスト)さんに依頼されたんです。ただ、土地が長野県なのでとても通いきれないということで、親方が僕のことを紹介してくれました」
⎯⎯⎯ 信頼されているんですね。その親方のもとでの修行時代について教えてください。
伊藤「こうやって家づくりについて僕が語るなんて、怒られそうでちょっと緊張しています(笑)。建築士としても大工としても尊敬する、頭が上がらない厳しい親方です。
僕も大工になるなら、手刻みで木構造がちゃんと見える真壁の家づくりをする大工に絶対なるんだという思いがあったので、門をたたきました。
日本の伝統工法を守り伝える立場をとっていて、僕ら弟子にもそういった家づくりを経験させてくださいました。親方はもちろんですが、先輩との力の差にも悩み苦しんだ修業時代でした」
⎯⎯⎯ 美術大学を卒業されていますが、建築を学ばれたんですか?
伊藤「いえ、グラフィック・デザインです。うちのウェブサイトは大学時代の友人たちにつくってもらっているんですが、本来はこういう仕事につくための勉強をする学部ですね。
デザインも好きでしたが、デザインは設計でいかせばいい、やっぱり自分は技術を身に着けたいと思いました」
⎯⎯⎯ 大工さんの上下関係は、ちょっと恐そうなイメージです。何年くらい勤められたのですか?
伊藤「あ、怒鳴るとか、そういうのはないですよ! 一番厳しかった先輩は、僕が必死で木材を刻んでいたりすると、通りすがりに鋭い目線でスッと見て去っていくんです。これは、なかなかのプレッシャーでした。
できない自分と『これでもか!』というくらい向き合いながら、でもやらなければいけないという苦しい日々でしたね。
7年修業をして、実家の工務店に入りました。使い物になる頃には大工は独立しますから、それをわかっていて育ててくれる親方という存在には尊敬しかありません」
⎯⎯⎯ ご実家の工務店ではどのようにお仕事をされてきたのですか?
伊藤「大工工務店ですので、子どもの頃から見てきた、設計と施工を同時に受注するという父のような仕事の仕方を目指してきました。
昼間は父と一緒に大工仕事をして、設計まで任せてもらえている仕事に関しては、夜に図面を引くという形で働いてきました」
⎯⎯⎯ それはなかなかハードですね。
伊藤「設計というかデザインすることも好きですが、ずっと机にかじりついているのは苦手で。体を動かす大工仕事も楽しいです。親方も先輩たちも、そうやって仕事をしていると思います。
これからご案内する木の家は、じつは僕が初めてひとりで組み上げた家なんです」
⎯⎯⎯ 初めての経験や親方からの紹介と色々なプレッシャーが重なりましたね?
伊藤「そうですね。ただ、お施主さんが本当に素晴らしい方で、信じて任せてくださったことが有難かったですし、とても貴重な経験をさせていただきました」
⎯⎯⎯ 貴重というのは、とくにどのような経験ですか?
伊藤「セカンドハウスということでご依頼をいただいたのですが、まず最初に初めて見るような厚みの設計要望書をまとめをくださったんです。
まるで一級建築士の試験問題のようで、いえ、試験の時より緊張感がすごかったですが、ご希望に沿うための技術や素材を考え、めちゃめちゃ頭を使いました。
もちろん、同じ家のなかに同居させられない項目や、思い描いていらっしゃる家の姿や暮しぶりに近づくためには『このほうがいい』という工法や素材については提案・相談し、とことん話し合いました」
⎯⎯⎯ 家づくりはコミュニケーション力も試されるお仕事ですね。
伊藤「試されるというより、自分たち大工や設計はお施主さんにも育てていただいているんだなと感じました。僕には一般企業に勤めた経験はないのですが、もしも組織のなかの若手であれば、等身大以上の課題を与えてもらい、報告・相談し導かれながら成し遂げていくのかなと、想像したりもしました」
⎯⎯⎯ では、伊藤さんがつくられた家を拝見したいと思います。
伊藤「ここは、長野県のなかでも標高が高い場所で、雪が深く積もることは珍しいのですが、冬は本当に寒くて、マイナス20度まで下がります。そのため、“凍み上がり”という現象が起きます。
これは、霜柱が立つように、冬になると地面が持ち上がってしまう現象なんですが、その対策として基礎を地中奥深くまでつくる必要があります。
室外機などの設備機器を地面に直接置くと、これもトラブルになりがちなので、建物の側面に抱かせるように設置するといった配慮もしています」
⎯⎯⎯ たしかに、室外機が見えないデザイン、素敵ですね。他にデザイン上の特徴を教えてください。
伊藤「高原の別荘によくあるヨーロッパスタイルではなく、伝統的な木組みの家にしたいというご希望だったのと、雨や夏の直射日光が十分によけられるように、軒の出を深くしました。
主屋の屋根は、これもお施主さんのご希望で、瓦ではなく天然石の石葺きで景観への調和を目標としています。それらすべての重さに耐えられるように、設計してあります」
⎯⎯⎯ 重ね梁の母屋と呼ぶそうですが、屋根を支えている木も大きくてどっしりとしていて、規則正しく並ぶ様子が綺麗で見とれます。
伊藤「ありがとうございます。ここは自分でもとくに気に入っている仕事です。僕は木が好きで、いい木を使ってそれを表に出して見せたいという気持ちが強くあります。こういうところは、もしかしたら大学でデザインを学んだこととつながりがあるかもしれません」
⎯⎯⎯ 一階部分の広々としたデッキも、塗装されていない木がそのまま使われているのが印象的ですね。
伊藤「建物のなかでデッキはとくに雨風や雪で傷みやすい場所ですが、逆に傷みが生じてきたら、すぐに見つけて部分的に修繕できるようにという考え方でつくりました。
デッキに限らず、木材は必ず年月の間に縮んで、割れたり曲がったりということが、どうしても起こります。そのリスクは十分にお話しし、ご理解いただいたうえで、つくり始めますし、定期的に点検やメンテナンスをさせていただきます」
⎯⎯⎯ 一生のお付き合いですね!
伊藤「お施主さんと関係を深めていけることも有難いですし、家の成長、木の家の経年は劣化ではなく味わい深い成長につながるので、ずっと見続けられる喜びは大きいですね」
⎯⎯⎯ 高原地となると伝統工法のみというは、難しいですか?
伊藤「石場建、土壁は『凍み上がり』や『断熱性能』の観点から、この地域ではハードルが高いと思います。それでも素材をいかした木組みの家を建てたいという思いから伝統的な技法、例えば手刻みで加工する継手や仕口などを活用して仕事をしています。
僕は、県内でよく採れる赤松や唐松もよく使います。赤松は横架材である梁に、唐松は外壁やデッキ板などに使います。
この住まいも材料の半分以上は赤松と唐松を使用しており、『どっしりとした大黒柱や梁を』というのが、もともとお施主さんのご希望でした」
⎯⎯⎯ 赤松と唐松には、どういう特徴があるのですか?
伊藤「赤松は、ねじれなど変形しやすく難しい木ですが、杉や桧など同じ針葉樹の中でも強度が高く、梁によく使われるんです。
唐松は、赤松と同様クセの強い木ですが、水に強く腐りにくいので、雨がかかる外壁やデッキ板などに適しています。日に焼けると綺麗なオレンジ色に変わるところも魅力です」
⎯⎯⎯ 一階段部分にある、この排気口みたいなものは何ですか?
伊藤「これは、床暖房の温風の出口です。テラスに通じるガラス戸の前や、トイレやお風呂にもこの出口をつくってあります。
この住まいはオール電化で、床下エアコンでつくった暖気が循環して床上に上がってくる設計になってします」
⎯⎯⎯ 素晴らしい設備ですね!
伊藤「じつは僕は最初、無理ではないかと言ったのです。無垢の木の床で、想像通りに温風が動くのか、木への影響もわからなかったので。
そうしたら、お施主さんご自身が流体力学を研究されて、それをシミュレーション画像化して見せてくださったんです。さらに、『成功しなかったときは諦めるから、実験的にやってほしい』とおっしゃってくださったんです」
⎯⎯⎯ 伊藤さんにとっても初の試みなのですね?
伊藤「初めてのことです。まだまだ試行錯誤の中にありますが、優先すべきは住む人の快適さ、気持ちの豊かさですから、それを叶える新しい技術がありリクエストされれば、組み合わせていくことも必要だと思っています。ですから、本当に勉強になりました」
⎯⎯⎯ 薪ストーブもありますし、冬が楽しみになりますね! 大きな窓でサッシも木製で、とても優しい印象です。ここから見る冬の山や夜空は綺麗でしょうね。
伊藤「そうですね。この家で冬を過ごされことをとても楽しみだとおっしゃっています。
お施主さんは音楽もお好きで、大きなスピーカーを搬入されているのですが、ご自宅の鉄筋コンクリートのマンションと木の家での、音響のちがいも楽しみだとお話くださって、木の家が持つ可能性について僕も学ばせていただけるので、有難いです」
⎯⎯⎯ 搬入されている木の家具を見て、伊藤さんとお施主さんが興奮ぎみで話していらしたのが、微笑ましかったです。
伊藤「約2年間、設計や工程を見ていただきながら、僕が木の話ばかりするので興味を持ってくださったようで、今ではとてもお詳しいです。
家具職人さんは、その家具が置かれる場所も見たうえで、床や柱、梁の木材の種類や木目がそろうようにデザインしてくださって、こんなに幸せな仕事があるのか!というほどです」
⎯⎯⎯ 最後に今後の目標など伺えますか?
伊藤「こんなに素晴らしい機会はもう無いかもしれないと思いつつ、自分はさらに自分の最高を更新していかなくてはとも思っています。
親方から学んだ伝統技術を、次の世代に手渡すべき年齢になるまで、お施主さんと家づくりの機会を大切にしながら、僕は僕を必死に磨くので、成長を見届けていただきたいです」
【取材を終えて】
取材中にお施主さんは、厳しいはずの高地の冬こそ「楽しみ」とおっしゃっていたのが印象的でした。それはきっと、暖をとるための万全の設備があるからだけではなく、木の家の中にいることで、冬山と一体になるような静かな時間が待っていると、予感しているからなのではないでしょうか。
人に自然との一体感を与えてくれる木の家の魅力を、また改めて教わったように思いました。
伊藤工務店 伊藤松太郎さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:小林佑実
梅雨の合間のよく晴れた日、「あゆみ大工」の坪内一雅(つぼうちかずまさ)さんの元を訪れた。場所は長野県南信州・上伊那郡中川村。新緑と田植えの水面が輝き、日本の原風景が広がる自然豊かな土地だ。
坪内さんは愛知県出身で県内の大学を卒業し、設計事務所に3年間務めた後、品川の技専で木工を学ぶ。「デスクワークよりも現場の方に魅力を感じた」という坪内さんは、やるからには日本の伝統的な建て方をしているところで働きたいと思い、名棟梁・田中文男さんのもとで5年間修行を積む。その後いくつかの会社で経験を重ねた後、長女が小6の時に一念発起。母親が暮らす長野へ移り住んだそうだ。
「このタイミングを逃すとずっと親の面倒を見れなくなるので。もちろん不安もあったんですが、伊那には大工塾の同期の知人がいたり、応援してくれる人もいたので後押しになりました。」
そう振り返る坪内さんだが、今では地元で「あゆみさん」と慕われ、とても忙しく仕事をしている。「あゆみ大工」という屋号になった所以が気になったので尋ねてみた。
「大工になる前から“歩くこと”に縁があり、仕事をする上でも走るのではなく、一歩一歩歩んでいきたいと思ったんです。また漢字で“歩み”と書くよりも、ひらがなの“あゆみ”と書く方が優しい感じがします。この読みにはこの漢字と言う風に、枠に嵌めて決め込んだり、何かに執着するのは自分の感覚とは違うなと思っています。「いいかげん」ではなく「良い加減」と言うのが私のモットーなんです。あまり執着すると生き方に壁を作っちゃうなぁと思い、伝統的なものだけにこだわり過ぎず、いろんなことをやっています。その方が〝とんち〟が効くんです。」
「良い加減」で、とんちを効かせながら仕事をされる坪内さん。その仕事ぶりがわかるセルフリノベーションの事例を紹介する。
訪れたのは、伊那市東春近にあるSさんのお宅。小さく見えていたむくり屋根が、車で近づくに連れて徐々に大きく見えてきて、期待も膨らむ。ここは元々茅葺き屋根だった築150年の由緒ある古民家をSさんが2012年に取得した物件で、坪内さんはよろび起こし(傾きを直すこと)や根継ぎ(柱や土台の腐った部分を取り除き、新しい木で継ぎ足すこと)、屋根の補修など、建物として維持させるための改修を担当し、内装の造作などは施主のSさん自身が少しずつセルフリノベーションで改修しながら暮らしている。ちなみに土壁はSさんがワークショップを開催して一般の方と一緒に仕上げたそうで、そういった家の改修や伊那谷での生活の様子をブログ「伊那谷の古民家再生」で公開しており人気を博しているそうだ。
改修前はいたるところが朽ち、屋根にいたっては茅が腐って落ちてしまっている場所もあったので、雨漏りがしていたり、柱が腐っていたりと、とてもそのままでは住めるような状態ではなかったという。改修にあたり、何件か他の大工さんにも声をかけたが、目に入った瞬間に「やめておいた方がいい」と言われたとのこと。そんな中、坪内さんは土間の立派な梁を見て「いや、絶対直るし綺麗になるよ。やりましょう!」と改修を勧めたそうだ。
「雨漏りや歪みの問題、住んでいた人の考え、環境の変化など、様々な要因によって倒されてしまう家があります。中にはここのような素晴らしい立派な建物がいっぱある。その家を自分が関わることによって救うことができれば、『よかったなぁ』と純粋にうれしいです。お金に換えられえない達成感があります。」
そんな想いで取り組んだS邸の仕事で一番心に残っているのはどこなのか尋ねたところ、一番大変で、且つ一番やりがいがあったという屋根の改修について語ってくれた。
「この屋根を合理的に直すなら茅葺き屋根を取っ払って普通の屋根にすれば良いのですが、せっかくの貴重な建物ですので、元の面影を残す形で「むくらせたいな」と思いました。なるべくお金をかけずにできる方法はないかといろんな人に聞いて回って、「むくり屋根」の再現を試みました。特に大変だったのは、雨漏りで材の仕口(柱や梁の接合部)が腐って失くなっている箇所の修復ですね。エポシキ樹脂の接着剤と5㎜角の材木を集成し、接着材が乾いたら整形するという工程を2~3回繰り返して形にしました。また軒先が垂れている部分は桔木(はねぎ:屋根裏に取り付ける材で、テコの原理を利用して軒先をはね上げるようにして支える)を入れて直しました。イメージ通りふんわりした印象に仕上がり、手間をかけた甲斐がありました。」
坪内さんは「家を救いたい」そして「家を救おうとしているお施主さんの手助けをしたい」という想いを胸に、心を込めてセルフリノベーション・セルフビルドの仕事をしている。
次に紹介するのは駒ヶ根市赤穂にあるM夫妻所有の住宅。こちらのもセルフリノベーションにて絶賛改修中だ。M夫妻の自宅横で奥さんのおじいさんが住まわれていた明治時代のもので、改修後は民泊として貸し出す予定になっている。坪内さんとM夫妻が3人揃って作業に当たるのは週に2日。その日に技術的なことをレクチャーしたり、疑問点を解決したり、相談したり、コミュニケーションを取りながら作業を進め、残りの日はM夫妻のペースでじっくりと作り上げていっている。
「中には『大工の作品に素人の手が入るなんて邪道だ』とお叱りになる方もいるかもしれないですが、家というものは自分の作品である前に、お施主さんのものなので、ご本人に家に対して愛着を持ってもらいたい。その方法として楽しんで創り上げてゆく参加型の家づくりはベストだと思っています。」
そう断言する坪内さん。M夫妻との笑顔の絶えないやりとりを見ていると、「確かにそうだ」と納得した。
最後に紹介するのは、電子部品などを製造しているK社さんにて、異業種の人たちと共に進めている実験的なプロジェクトだ。間伐材を使ったビニールハウスで、鉄の柱よりも木の柱の方が作物の育成に良いのだとか。あまり詳しくは語れないが「今後の展開に乞うご期待」とのことだ。
伝統的な日本家屋の仕事だけに執われることなく、どんどん新しいことにチャレンジしている坪内さん。伝統をしっかりと学び経験を積んできたからこそ、新しいことに対しても「とんち」を効かせた柔軟な発想で向き合うことができるのではないだろうか。
いつも朗らかな坪内さんだが、会話が弾み建築業界の話題に話が及んだ時、笑顔の合間に真剣な眼差しを垣間見る瞬間があった。
「引っ越して来たばかりの時は当然仕事もなかったので、ハウスメーカーの仕事も手掛けていたんですが、やってみてやっぱり面白くないんですよね。『こんなことをやるために大工になったんじゃない』と思い8ヶ月ほどで辞めました。でもいろんな想いを胸にやっている人がいます。組立工と化していて数をこなさなければならず、暇もなく骨身を削り頑張っているんです。それを喜びに変えるには相当なモチベーションが必要だと察します。日本の建築はおかしいぞと感じますね。」
「もっとおかしいなと思っているのはプレカット。在来工法でプレカットと手刻みで相見積もりを取られたら、普通のお客さんはやっぱりプレカットを選択しますよね。そりゃ安い方がいいに決まってますから。見積もりを並べられて『この金額で削れるか』みたいな話になっちゃう。そこはどうにかならないものかと思います。例えば行政から助成金が出るとか、何かしら職人を残していく方法が必要だと考えています。やっぱり大工というものは、実際に刻まないといろんなことがわからない。手で刻んだか刻んでいないかで建前の意気込みも全く違うはずです。」
さらに続ける表情に、またいつもの柔らかい笑顔が現れた。
「一方で、もちろん価値をわかってくれる人も必ずいるので、そういう『ぜひ刻みで建ててください』というお施主さんを捕まえなきゃいけないなとも思ってます。まだ自分がそういうステージに上がれていないのかもしれないので、世の中を悪く言うんじゃなくて、自分のことをよく見なきゃいけないですね。『いい年でそろそろ定年なのによく言うね』みたいな声も聞こえてきそうだけど『いや、まだまだこれからだよ』という意識もあります。」
坪内さんの言う「良い加減」とは物事を真剣に見つめ、そこにある理想と現実を把握してどちらかに寄り過ぎることなく、地に足をつけて一つずつきちんと解決して行くことだと感じた。そこが坪内さんの魅力であり、あゆみ大工の魅力なのだろう。
坪内さんは今日も一歩一歩、長野の地を踏みしめながら大工という仕事に向き合っている。