三重県志摩市、海と太陽がまぶしいこの地域で、120年あまり大工を営んできた東原建築工房。四代目の達也さんと五代目の大地さんは、受け継がれてきた手刻み・石場建てなどの伝統構法を活かし、現代のエッセンスを加えている。修行中の大地さんが初めて棟梁を努めた「いかだ丸太の家」が各種の建築賞を受賞。風土に根ざし、施主や地域住民と共に進める家づくりは、志摩の自然に寄り添う豊かな暮らしを実現している。

達也さんによると、地元の志摩市阿児町立神には「立神大工(たてがみだいく)」という言葉があり、古くから職人の里であったと伝えられている。江戸時代から多くの職人が活躍し神戸や大阪にも進出、大和の国長谷寺にも携わったといわれている。

「木も竹も土も身近にある、あるもので家をつくるという考え方は当たり前にある」と達也さん。同時に、この地は台風など自然災害も多く、自然を敬う姿勢も身についてきた。

現在は親子で、木の家を中心に設計・施工を行っている。
木組み土壁の住宅を、手刻みの石場建てで建てる。さらに増改築や修繕などを丁寧にこなす日々だ。

自宅脇に構えた作業場は、先代の實さん(三代目)の代から増築を重ねてきた。それでも手狭で、小屋組み材などは作業場横の屋外で加工することもあるというダイナミックさ。太陽と雨風を得て天然乾燥材となって行くそうだ。裏山にある竹林は、土壁の竹小舞にも使われている。

先代の實さんは、地元で大工修行の後、大阪に出て夜間は専門学校で学び、建築士免許を取得したという努力家。帰ってきてすぐに伊勢湾台風(1959年)があり、「災害復旧にも尽力し、丁寧にやってくれたと、今でも地元の方に言ってもらえています」(達也さん)。

その背中を見てきた達也さんも大地さんも、志摩市で育ち、大学時代を関東で過ごした後、Uターンして大工となった。父親は家族であり、親方でもあるという環境。ふたりとも口を揃えて「小さいころから大工になると自然に感じていた」という。

都市への人口流出が進み、市外に働きに行く大工職人も多くなった昨今、地域で、手刻みの大工仕事をしている東原親子は、稀有な存在だ。大地さんに至っては「携わった新築はすべて手刻みの石場建て、施主さんに恵まれています」と話す。

親子での役割分担は特になく、設計も施工も、打ち合わせも2人で相談しながら進めていく。達也さんだけが指導するのではなく、刻みや建前など仕事に合わせて先輩職人を招いてその仕事を学び、木の家ネットの仲間の現場に参加するなど、大地さんはさまざまなやり方を吸収している。

二人とも穏やかな性格だからか、「ぶつかることはほとんどない」という関係性だ。

達也さんは「今まで取り組んだことのない仕事でも、見たり触れたり調べたりして『こんな感じやな』と、工夫して自分の手でかたちにできるのが、職人の醍醐味」と笑う。

四代目の達也さん

大地さんは「施主さん家族も職人さんも、ご近所の方も、みんなで家づくりができるってのが楽しいですし、そういうやり方を続けていきたいです」と話す。

五代目の大地さん

在学時には技能五輪への出場や、木の家ネットメンバーの綾部工務店でインターンシップの経験を積み、木造の伝統構法を学んできた。木造BIMや限界耐力計算についても学びを深めている。「もちろん大工の腕も磨きながら、親父ができない分野も頑張りたいという気持ちもあります。それに、どんな勉強も普段の大工仕事に必ずつながってきますから」という。

大地さんは小学校3年生の誕生日に大工道具をねだり、工業高校3年生の時、地元の薬師堂再建で初めて、実際の墨付けをしたという。薬師堂は、夏に毎年盆踊りが開かれる場所で、平成22年に火事により燃えてしまったお堂を、3坪程に小さく再建することになったものだ。

この小さな薬師堂が、今取り組んでいる「みんなで家づくり」の大きなきっかけとなった。地元の人たちと一緒に、石場建ての地盤を固めるヨイトマケを行い、土壁の竹小舞や荒壁土は地山のものを使っている。大学進学を機に一度志摩を離れた大地さんも、夏休みなどを活かし地元の小学生たちと一緒に汗を流した。木の家ネットの仲間の池山さんや高橋さんに学んだワークショップが活かされている。

みんなの場所を、みんなでつくる。

志摩の自然を拝借し、生かしていく。

そんな家づくりの心地よさが受け入れられたのか、当時の小学生の親御さんや地域の住民、観光協会の職員などが、その後、施主さんとなり、新築の石場建てを依頼するようになった。

これまで手掛けた石場建ての家は、3坪から18坪とコンパクトなものが多い。達也さんは「施主さんは、予算はもちろんありますがそれよりも『薬師堂みたいな家がいい』『自分や家族でつくりたい』などの要望を優先することが多いかもしれませんね。大工にとってもやりがいのある仕事なんで、本当にありがたい」と話す。

達也さんは、大学時代に都会の先進的な建物にも触れる中、卒論では「志摩地域の風土と建築」をテーマに取り組んだ。「新しいものだけが本当に良いものなのか、地域で育まれた住まいや暮らしに関心があった」と振り返る。

気候風土適応住宅と、昔からの暮らし方

そんな思いを抱えて大工をする中で、一人の施主さんとの出会いがあった。竹内さんの新築物件「いかだ丸太の家」(2020年竣工)を、国土交通省のサステナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)として申請。達也さんは「これまで自分の感じていたものを、一つの形にすることが出来た」と言う。

「省エネ法改正が進む中、法の「気候風土適応住宅」の制度は、地域の木の家づくりに大きな意味をもっている。それは国が定めた基準を満たせない物件への救済措置だけではなく、地域が育ててきた自然と共生する住み方暮らし方といった建築文化に通じています」と話す。

竹内さんの家は、6坪の三和土土間の団らんスペースを中心に、両脇にそれぞれ6坪の居間、4坪のダイニングなどを配した設計だ。設計は愛知県の六浦基晴(m5_architecte)さんが担当した。

東原さんは設計の六浦さんや施主の竹内さんと話すうち、「志摩らしい建物を建てたい」という思いを共有する。浮かんだのは、地元では当たり前の存在である「いかだ丸太」だった。いかだ丸太とは、志摩でさかんな真珠の養殖いかだに使われる材木のことで、県産のひのきの間伐材を丸太のままで使う。気候風土適応住宅への親和性も感じた。

この丸太を、「シザーストラス」として小屋組みに用いた。建築家アントニン・レーモンドが好んだ構造で、この建物の特徴の一つとなっている。レーモンド事務所で学んだ建築家・津端修一さんが自邸に採用した方式で、達也さんは「施主さんの恩師でもある津端さんの自然な暮らしを大切にする姿を重ね合わせ、レーモンドスタイルを提案しました」と振り返る。

断熱材には、志摩産のもみ殻を用いた。竹内さん夫妻が知り合いの農家から分けてもらったもみ殻を、ドラム缶で燻炭とし、袋詰めして床下に敷き詰めた。天井には、乾燥したもみ殻を充填し突き固めた。すべて手作業だったという。

建具は、雨戸、よしずを張った網戸、木製ガラス戸、障子の4層すべてに古建具を再利用した。夫妻が解体される家を回って100枚近く集めた中から厳選したという。それぞれの建具は状態が異なるので、大工は調整に苦労したという。

また、家の中心にある竹内さん夫妻が愛情をこめて叩きに叩いた土間は、夏は南北の掃き出し窓を開け放つことで心地よい風が吹き抜ける。三和土(たたき)には地元の海水を使い、志摩特産の真珠の貝殻も埋め込み、さらに志摩らしさをあらわした。片隅には薪ストーブを置き、冬の暖を確保する。普段の煮炊きも薪ストーブが活躍する。

アートに精通し自らも油絵などを描く竹内さんは「志摩クリエイターズオフィス」というアーティスト集団を主催、この空間がその仲間と語らう場となっている。

仲間らは建設時から、土壁塗りや三和土(たたき)などのワークショップに訪れ、一緒に汗を流した。その数はなんと50人以上にも上ったという。竹内さんは「この家はひとつの作品。来る人来る人に、こんな暮らしいいね、憧れだねとうらやましがられるの」と微笑む。

達也さんは、「こういうワークショップ形式の建て方や自然と共に丁寧に暮らす住まい方は、確かに手間ひまがかかりますが、人の心を豊かにしてくれます。物質的な豊かさとは、また違いますよね」と実感する。

この家は、第40回三重県建築賞に加え、ウッドデザイン賞2021、第53回中部建築賞の受賞など、多くの評価を得ることとなった。

竹内さんは、この「いかだ丸太の家」の前に、敷地内にある築80年の平屋の古民家の改修を東原さんに依頼していた。先代の實さんと達也さん、学生の大地さんと三代で取り組んだ。この建物は日本各地で要職を歴任した猪子氏の終の棲家で、昭和時代に何度かリフォームがされていたが、空き家となり廃墟となりかけていた。壊れたサッシを木製建具に戻したり、朽ちたシステムキッチンを外して土間を復活させたりと「建築当時の復元」を念頭に進めていった。

のちに登録文化財となる旧猪子家住宅

竹内さんは東原さんを、「住む人のことを思って、要望に必ず応えてくれるすごい大工さん。特に猪子邸の改修は、設計図もないのに美しく復元してくれて、その技量に驚きました。本当に、よう作ってくれました」と話す。

その言葉に達也さんは「いやいや、よう任せてくれました」と笑顔で応える。

2つの物件がある敷地は、なだらかな起伏の土地にツバキや栗など四季を感じられる木々が並ぶ自然林だ。緑が太陽の光をやわらげ、小鳥のさえずりが耳に心地よい。時折、海風も届き、豊かな自然を存分に味わえる。

大地さんは、「職人と施主さん、家族や仲間とみんなでつくる家づくりは、本当にやりがいがあります。つくるのは家ですが、人と人の間で動くことを大切に、大工をしていきたいです」と、まっすぐに未来を見つめていた。

東原建築工房 東原達也さん、大地さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:丹羽智佳子(一部写真、岩咲滋雨、六浦基晴(m5_architecte)、朴の木写真室)

三重県四日市市に、設計事務所「スタヂオA.I.A」を構える伊藤淳さん。彼が設計した家に、一歩足を踏み入れる。すーっと通り抜ける風が心地よい。

「風通しのいい家が好きなんや。気持ちいい暮らしができるから」と目を細める伊藤さんは、木組みや土壁など自然素材を生かし、室内にいても自然を感じられる設計をする一方で、自ら工具を握り工事もこなす万能派。丁寧に施主さんに寄り添うコミュニケーションが、施主本人も気づかない要望をくみ取り、ゆるぎない信頼を集めている。まさしく風のようにさわやかな仕事ぶりに、迫った。

施主の要望を引き出すコミュニケーション

伊藤さんについて「設計士さんなんだけど、土壁塗りの先生で、暮らしのアドバイザーでもある。なんでも相談できる存在」と話すのは、施主の佐野さん。伊藤さんの設計で、2019年4月、同県菰野町に自宅兼絵画教室を完成させた。

木組みのしっかりした構造材に、全面土壁の2階建ての家。外壁は波状のトタンを張り、外から見た雰囲気と中に入った雰囲気の違いが個性を発揮する。大黒柱はないが、「構造材を一般の住宅より太めにとることで安全も確保した」(伊藤さん)。絵画教室のスペースは吹き抜けになっていて、天井から床まで土壁の表情を存分に楽しめるのが魅力だ。

この土壁、荒壁塗りは、施主さん家族や友人が半年かけてセルフビルドした。土の感触と仲間とのコミュニケーションを楽しみながら、時間をかけて完成させていった。やり方は伊藤さんが教えたという。佐野さんは「いやー、楽しかったですよ。完成後も友人と思い出話で盛り上がりますし、自分の家って愛着がわきました。自然素材で住み心地も最高です」と、目を輝かせる。伊藤さんは「時間が経つと、さらにいい味が出てくると思いますよ」とほほ笑む。

ふたりが出会ったのは7年前、当時、佐野さんが関わっていた子供たちがツリーハウスを作るプロジェクトで、設計を伊藤さんが担ったことだという。伊藤さんは設計のみにとどまらず、子供を山に連れ出し木を伐りだす手伝いや、自らのこぎりを握って手ほどきをしたりする様子を見て、佐野さんは「視野が広くて、信頼できる。家を建てるならこの人に任せたい」とほれ込んだ。

伊藤さんの仕事は、このように、「一緒に仕事したり、ワークショップ(土壁塗りなど)で出会った人が、別の機会に声をかけてくれることが多いな。本当にありがたい」と話す。

事務所を立ち上げて23年。自然素材を使った新築物件の設計は年間1、2件ほどで、他にも許可申請の手続きやリフォーム、店舗や倉庫、工場の設計など幅広い仕事をこなしている。

その中で心掛けていることは、「相手の話をよく聞くこと。それと、なるべくその人の言葉でしゃべってもらう」と話す。

肝となる事前打ち合わせで聞くのは、家に何を設置したいかでなく、どんな暮らしをしているか、に尽きるという。例えば、風呂に入ってからすぐに寝る生活なのか?それともゆっくりリビングで過ごすのか?どんな料理を作るのか?夫と妻が台所に立つ頻度は?トイレは広い場合と狭い場合とどちらが落ち着くか?

それも、施主さんがあまり構えすぎずに、世間話の延長線上でゆったりと聞き出すことを心掛けているという。

「資料とか他の家はほとんど参考にしないな。そこに暮らす人が納得できるように、考えて、考えて、考えるんや」と伊藤さん。うまくまとまらなかったり予算の関係で煮詰まることもあるが「この過程が一番楽しい」という。

前述の佐野さんのオーダーは「自然を生かした、住むほどによくなる家」だった。そこで土壁を提案し、予算を抑えるために、セルフビルドで、他の現場での経験を生かし伊藤さんが教えることにした。また、趣のある古建具を再利用したり、風呂をユニットでなく、モルタル仕上げの床にバスタブを置くスタイルにしたりした。作り付けの収納はほとんど作らず、引っ越しを機に処分するようアドバイスもした。伊藤さんは「話を聞いてると、好きなものだけ囲まれたいって人かなと思って。暮らしのアドバイザーって言われたけど」と笑う。

事前打ち合わせだけでなく、建設途中での要望にも柔軟に答える。「施主さんも、最初から自分が何がよくて何が嫌かわかっているわけではなくて、家づくりが進んでいくと見えてくるものがあるでしょう。せっかくお金かけて家を建てるんだから、満足してもらえるようにせんとな」と、どんな現場でもフットワーク軽く向かっていく。そして、時間をかけて話を聞き、方向性を整えていく。

伊藤さんは事務所を四日市の市街地の一角に構えるが、事務所スタッフ曰く「事務所で座ってるのは珍しく、いても施主さんや職人さんと電話してたり、打ち合わせをしていることが多い。様子を見ていると、絶対に人を邪険に扱わないから信頼されてることがわかります」と話す。

次世代に課題を残したくない

暮らす人に寄り添った家づくりを大前提とする伊藤さんだが、一つだけこだわっていることがある。風通しだ。
室内を風が通ることで、自然を感じながら生活できる。それは「とっても健康的。人間って本能的にあー、気持ちいいとなる」と確信している。さらには「今は気密性が高くて冷暖房効率いい家が主流なんやろうけど、施主さんと話してると、実は季節のいい時は風を通したいって人は多いよ」と潜在的なニーズも実感している。

そんな伊藤さんが設計する家は、自然と窓が大きく、枚数も多くなる傾向があるという。他にも、古建具の障子を外して空気が通るようにしたり、天井にファンを取り付けたりするなど、室内の風を動かす工夫も凝らす。

加えて、木の家、自然素材の家は「処分に困らないのがいいところ」と伊藤さん。基本的には、自然素材にこだわり過ぎず、施主さんの予算に見合った素材で柔軟に対応したいというスタンスで、さまざまな分野の展示会などにも顔を出している。

以前、とある断熱材メーカーに話を聞き処分について尋ねたところ「それは次の世代の課題ですね」と言われたという。「そんなんおかしな話や。次の世代に課題を残さないようにするのが俺たちの役割やろ」と憤ったことは忘れないという。同時に、本能的に惹かれていた自然素材の良さを再認識もした。

自ら手を動かすからこそ感じる職人への尊敬

そんな自然素材を扱う大工や左官など職人への尊敬も、伊藤さんは大切にしている。

というのも、伊藤さんは子どものころからの工作好き。現在も、ちょっとした木の棚作りやモルタル塗りは自らやってしまう。土壁塗りの先生もこなす。

いなべ市の佐野邸のライトカバーも、伊藤さんの自作だ

車には、専門業者顔負けの工具がびっしり詰まれている

「職人さんに頼むより経費を抑えられるし、自分で手を動かすのが好きなんや」とはにかむ一方で、「その分、職人さんの技術のすごさは身に染みてわかる」と力を込める。

そんな信頼関係から、「今一緒に仕事している職人さんたちには、細かいこと言わんと、任せられる。気持ちよく仕事してもらえるで、いい家ができる」と話す。

取材中の事務所にも、ある大工職人が訪ねてきて、進行中の現場について相談していた。任せる部分は任せつつ、気になる部分はコミュニケーションをとって丁寧に解消していく。

風通しのいい家づくりは、風通しのいい関係づくりにもつながっているのだ。

伊藤さんの原点とは、「建築は、暮らしをちょっと便利にするもの」だという。

工作に夢中で、ラジオを分解修理したり木で小物を作ったりしていた小学生時代。学校の黒板のチョークが、備え付けの木製置き場にうまく収まらなかったことがあった。「なんで?」教師に尋ねると、「伊藤が将来建築家になって、解決してくれや」と言われたことを覚えている。「何かをつくるって、自分が楽しいだけじゃなく、困ったことを助けられるんや」という発見が、建築の道へと進ませた。

進学した名古屋の大学では建築を学び、卒業後、学生時代アルバイトしていた鉄骨工場にそのまま就職した。鉄以外も学びたいと木造住宅の工務店に勤めた後、独立。「大きなビルより、暮らしに近い木の家のほうが考えていてわくわくした。自分に合っていたんやと思う」と振り返る。

暮らしと向き合い、ちょっと便利にするにはどんなことができるか?施主さんとのコミュニケーションで得たアイデアやインスピレーションを形にするのが、四日市の事務所だ。

さながら秘密基地のようなこの空間は、伊藤さんが「リラックスできて仕事もはかどる」という床座りスタイル。手作りの木の作業台や本棚は「ちょっと不便だっていうと、伊藤さんがさっと直してくれる」(スタッフ)という。スタッフは伊藤さん含め3人体制だ。

事務所名「A.I.A」は、Atsushi Itou Architectureからきている

設計図は手書き。「思い浮かんだことをさくさく表現できるのがいい」と話す

畳敷きの打ち合わせスペースにゆったりと腰かけて、施主さんや職人さんとのコミュニケーションが深まる。もちろん窓は開けはなたれ、心地よい風が吹き抜けていた。

● 取 材 後 記 ●

伊藤さんの愛車は、三菱のジープ。サイドの窓はビニールのジップ。そして足元は雪駄。いつでも満面の笑顔。

なんとまあ、風通しのいいことか。

それに加え、「ほー、そうなんか」と、どんな話でも面白がって聞いてくれる。

行く先々でも、「あつしさん」「あっちゃん」と笑顔で迎えられる。

この人信頼できるな、という雰囲気づくりは、簡単にできるものではない。私もいつの間にか心解きほぐされ、事務所とふたつの現場を回りながら、自分の身の上相談をしてしまっていた。

しかし、よくよく話を聞いていくと、以前、依頼主とうまくいかずに空中分解してしまった現場があった、と打ち明けてくれた。「ああいうのはもう、勘弁やな」。一瞬、笑顔が曇った。

家の新築や改修は、人生一の大きな買い物と言っていいだろう。どんなにスタイリッシュで便利な提案も、信頼できる人との出会いには適わない。そんな当たり前のことを再確認した。

スタヂオA.I.A 伊藤淳建築事務所 伊藤淳さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子(一部写真は伊藤さん、佐野さん提供)

土と水とわら。素朴な自然を混ぜ合わせ美しい空間に仕上げる左官仕事を、愛してやまない職人がいる。三重県四日市市の松木憲司(まつき・けんじ)さんだ。15歳から左官一筋。住宅から蔵、文化財までいくつもの壁を、本物の素材にこだわって塗り上げ続けてきた。

「時代が変わっても、いいものは変わらない。だから自分はぶれずに、左官仕事はいいって言い続ける」という信念で、イタリアなど海外にも出展し、その技術を世界に認められている。

それでもさらに、「蒼築舎(そうちくしゃ)」を立ち上げ次世代の育成や近代建築との融合など、新しい分野に飛び込む姿は、まさに挑戦者だ。

職人として、本物にこだわる

松木さんは、三重県四日市市の親方のもとで5年修行。親方は友人の父親だったため、軽い気持ちで飛び込んだ世界だったが、「自然素材を扱うからとにかく気持ちがよくて。形のないもん(土や水)を形にしていくのも、難しいけどたまらなく楽しかった。性格が合ってたんだろうな」と、あっという間にのめりこんだ。

使い込まれた愛用の手道具たち

21歳で独立後は、地元の左官職として、竹小舞下地、塗り壁など施工してきた。ところが30歳手前のころ、建築業界も変わり始めた。それまで主に松木さんが手がけてきたのは伝統構法だったが、効率化を重視した大量生産の住宅が台頭し、「土壁塗りの仕事がピタッとなくなった」(松木さん)時代だ。タイルやブロック貼りの仕事をしながら、やりたい仕事ができないことに思い悩む日々だったという。

松木さんはもんもんとした思いを、大津磨きなど技術向上にぶつけてきた。33歳の時には、全国左官技能大会で優勝するまでの実力を身に着けた。その縁で、ドイツ、イタリア、タイ、ベトナム、フランスなど海外でのプロジェクトに参加するようになる。海外経験は皆無で、言葉も不自由な松木さんを後押ししたのは、「日本の技術を見せつけてやる」という情熱だった。

実際に訪れたヨーロッパの壁は、日干し煉瓦を積み上げる、「版築」という土を突き固める、などが主流で、「日本の”塗る”左官技術にはみんなもうびっくりして、喜んでくれた」と手ごたえを得た。

海外での土壁塗りは大好評

以来、竹木舞と土壁、得意の大津磨きなど、自然素材を使った「自分がいいと思える仕事をしたいと声に出して言うようになった。そうすると、不思議とそういう仕事が集まってきた」と松木さん。自然素材と伝統の技にほれ込み、信じ、こつこつと積み重ねてきた仕事ぶりが、縁を繋いできたのだ。

現在は、ひと月に多ければ5、6件の現場をかけ持つ多忙ぶり。東海エリアを中心に、関東での出張仕事もこなす。

そして、どの現場でも、市販のプレミックス材ではなく、土と砂と水、すさなどの自然素材を調合して壁を仕上げる。「こんな現場、他にはないでしょう」と誇らしげだ。

愛知県常滑市の新築物件では、内壁を荒壁を塗った後、大直しの「ざっくりした状態」(松木さん)で仕上げる。大直し用の材料は、荒壁に使ったものに土やすさを加えて練り直して作る。

調合を担当するのは、息子の一真さん。足で練った後、ミキサーで混ぜて仕上げる。感触を確かめながら、微調整を繰り返す。

自然素材でやることこそ、「本物の左官の仕事だと思っている」と強調する松木さん。

その理由は3つある。1つは、ごみが出ないこと。壁塗りは、1日に必要な量を予想して午前中に材料を作る段取りで仕事をしている。プレミックス材は、その日に使いきれなかった場合、ただごみになってしまうというが、自然素材なら使い切れずとも翌日に練り直せばいい。家を解体した時の古い土も、練り直せばまた使える。使わなかったとしても、置いておけば自然に還ると考える。「今はゼロ・エミッションとかサステイナブルとか、気取った言葉が流行っているけど、左官はずっと昔からそれをやってきた」という。

常滑市の現場近くに崩れた土壁の家を見つけた松木さん。「土に還るってこういうことだ」と語る

2つ目は、自然素材ならその建物にぴったり合った壁を作れること。新築か、古材を移築した現場か、はたまたその折衷か、同じ現場は一つもないという松木さん。「例えば、年季の入った飴色の古材に、真っ白ぴかぴかの漆喰じゃ落ち着かないやろ。自分で調合すれば、土の種類や色、割合を変えて、その空間に一番合った壁を作れる」と自信を見せる。プレミックス材もバリエーションはあるものの「自分で混ぜた時の自由さには適わない」と考えている。

どんな素材をどのように混ぜ合わせるかによって、壁の表情は多彩になる

常滑の現場では、玄関の壁に施主さんの子どもが海岸で拾ってきた小石を埋め込んだ。憎い演出だ

そして3つ目は、「難しいことができてこそ、職人」という志からだ。ただ規定量の水を加えるプレミックス材と違い、自然素材の調合では、その日の気温や湿度、壁の陰ひなたによって、微妙な調整が必要になる。練っている時と壁に塗った時、乾いた時の色味が変化するため、それも換算しなければいけない。「考えること、自然を感じること、それから、場数が必要。簡単には身につかんよ。だから、日曜大工はいるけど、日曜左官はいないやろ」と松木さん。左官職人としてのプライドがにじみ出た。

そうして作り上げた空間は「無理がなく、気持ちいいし、時間が経てば経つほどよくなる」。施主さんに、家族団らんで穏やかな暮らしを提供している。

伝統をつなぐには仲間が必要

松木さんは、独立後「松木左官店」という屋号で活動していたが、2002年には「蒼築舎」に変更した。後継者を育成していこうという思いを込めた。門戸を叩いた人は断らない主義で、これまで10人の弟子を受け入れた。現在は左官歴9年の一真さんと、20代の落合綾香さん2人が腕を磨いている。

弟子といっても松木さんにとっては、「一緒に仕事をする仲間」という存在だ。

修行時代から「左官は共同作業」という思いがあった。壁塗りは材料の性質上、水が引く前に一気に仕上げる、時間との勝負だ。特に、大きな壁になるほどその傾向は強くなる。

「仲間の存在は、より精度の早いものをスピーディーに作れるという安心感がある。それに、自分の腕自慢をしたって、施主さんは喜ばない」と語る。

弟子は基本的にはどんな現場も同行させ、自分の仕事ぶりを見せるとともに、やり方を教えてどんどん場数を踏ませる。言葉で説明することもあれば実際に手を動かして教えることもあるし、最近はスマホで動画撮影もしている。

名古屋市の古民家移築現場でも、弟子とともに3人で漆喰を塗りながら、松木さんは「そこはこうやってしておいてくれる?」「ここは絶対汚すなよ」と的確な指示を出すとともに、「うん、いいね。うまいうまい」と、丁寧に言葉をかけていた。落合さんは修行歴1年。指導については「教え方はわかりやすい。見て覚えろ、というタイプではないです」と話す。

松木さんは「うまくできなければ壊してやり直させる。声を荒げて怒ることもある」と言いつつも、「最近の若い子
は丁寧に仕事してくれる。それに、前は教えるってことは失敗させることやと思っていたけど、だんだん、それなら説明せなとなったな」と自らの変化も実感する。

息子であり弟子でもある一真さんは「親方はやっぱり土のことよくわかってる。一緒に仕事して、毎日、何かしら達成感と学びがある。楽しいです」と、左官仕事に魅了されている。

異素材との出会いによる、新しい美しさ

ぶれない松木さんのスタイルは、今、新展開を迎えている。

これまでの現場は、伝統工法や古民家改修、社寺建築などいわゆる日本らしいものが主流だった。今年の夏、コンク
リートと土壁を融合した新築物件という初めてのジャンルに挑戦したのだ。

きっかけは、講師を務めている愛知産業大学での出会いだ。左官仕事や自然素材の魅力を語る松木さんの話を「もっと聞きたい」という教授や建築士が、有志で親睦を深めていった。ついには、土の建築物をもっと研究しようと「土左研(どさけん)」という集まりが立ち上がった。

メンバーの一人の浅井さんは、これまでは店舗設計などコンクリートを多用した近代建築を手掛けることが多かったというが、「松木さんに出会って、土壁という自然に還るものの美しさに気づかされた。今の時代に求められているものだと思う」と話す。

現場で盛り上がる松木さんと浅井代表

時を同じくして常滑市の海に近い新築物件を手掛けることになり、津波対策を考えつつ自然素材も取り入れたいという施主さんに、土壁を提案した。設計した物件は、家の中心となるキッチンとリビングの壁はコンクリート製で、その周囲に子供部屋、寝室、浴室などを配置する。周囲の部屋の壁を、土壁の大直しで仕上げるという、独特のスタイルだ。

(写真提供:トロロハウス)

無機質なコンクリートとぬくもりのある土壁の調和に「今まで見たことない、スタイリッシュな空間」と松木さん

浅井代表いわく、津波がきた場合、土壁部分は流されるがコンクリート部分は残るような仕掛けになっている。外壁は焼杉仕上げで、流された土壁や構造材は土に還る。

それから、海風が強い地域のため外側の壁が傷み、変化が出てくるが、土壁ならその変化すら楽しめると考える。痛みがひどければ直すこともできる。もし子供が独立して部屋が不要になったら、壊してしまっても土に還る。安全を確保しつつ、暮らしながら変化を楽しむ家、というコンセプトだという。

2人を含む「土左研」メンバーの願いは、「左官の技術を次の世代に残したい。そのためには、伝統建築だけにこだわらず左官の活躍の場を広げたい」ということだ。

「真行草」という言葉がある。発端は書道の言葉で、いわば本来の楷書の形(真)から、少しくずした「行」書、そして、さらにくずした「草」書がある。それぞれにそれぞれの美しさが存在するという意味で、松木さんは新しい挑戦をする時に思い出すという。

異素材との組み合わせで、土壁がまた違った輝きを魅せる

松木さんは語る。「メンバーで、酒飲みながら生まれるアイデアは、俺1人じゃ考えつかない。仲間がいることで世界が広がるし、そのアイデアに左官としてどう応えようか、って考えるとわくわくする」。

挑戦の原動力は、左官仕事の魅力を誰よりも知り、信じる熱い情熱だった。

● 取 材 後 記 ●

取材で訪れた漆喰塗りの現場。松木さんと弟子2人が、するりするりと土を壁に重ね、なめらかに整えていく。

松木さんには「塗りながらでも話せるから、何でも聞いて」と言われたものの、私は目を奪われ、ろくに質問もできなかった。あまりに美しく、何か上質な映画を観ているようだった。

「土左研」メンバーの浅井さんも「松木さんの仕事って、すごく始末がいいよね。見ていて気持ちがいい」と話していた。

鏝(こて)を動かす腕から、壁を見つめるまなざしから、職人の気迫や伝統の重み、自然素材の力強さなど、言い尽くせないたくさんのものが伝わってくるのだ。

もっとたくさんの人が現場を見て、職人技に触れてほしい。「木の家を選ぶ人は少ない」「職人は減少するばかり」という課題も、この仕事ぶりを見れば解決してしまう、と思わせるかっこよさだった。

蒼築舎 松木憲司さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子/写真の一部は蒼築舎、トロロハウスに提供いただきました

ここは大阪の阪南市、眺めのいい高台の住宅地に、おうちカフェとして建築しました。
木と土で作った小屋は、わずか3坪ですが、厨房とカウンター席を備えています。

© 2022 kino-ie.net. All Rights Reserved.
linkedin facebook pinterest youtube rss twitter instagram facebook-blank rss-blank linkedin-blank pinterest youtube twitter instagram