「木の家」や「木そのもの」に興味のある方なら「吉野杉」「吉野檜(ひのき)」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その良質な杉や檜を育み世に送り出す「吉野林業」は、吉野川流域で室町時代から約500年の歴史を誇る人工林の先駆けとして知られています。

自然豊かな吉野川

さて、今回ご紹介するつくり手は、坂本林業の坂本好孝さん。奈良県の吉野で檜の製材を専門に扱う製材所を経営されています。

坂本 好孝さん(さかもとよしたか・53歳)プロフィール

昭和43年(1968年)奈良県吉野町生まれ。三重大学工学部建築学科を卒業後、住友林業で住宅の設計等に携わり、30歳で結婚を機にUターンし、父親が起業した「坂本林業」を継承。

それでは、インタビューをどうぞ。


どんだけハッとくるか

⎯⎯⎯ プロフィールを拝見しました。設計をされていたんですね。経歴について教えてください。


「吉野の美しい森や木、奈良の伝統建築に触れながら育ったので、木造建築に関わる仕事がしたいと自然に思うようになりました。また就職してみて、子どもの頃から当たり前に触れてきた吉野檜の良さに改めて気付かされました。吉野に戻ってきた理由は色々ありますが、住宅メーカーでは効率やクレーム対応から化粧材として木材を使わなくなり、実際に木に触れる機会がなくなっていったことが大きな理由です」

⎯⎯⎯ 今は吉野檜に日々触れられていると思いますが、その良さについてお聞きしたいです。


「一般に木材のグレードは、強度、節の有無、欠点がないことなど、性能面で比較されることが多いですが、吉野材はそういった基本的な部分はクリアした上で、色・艶・香りといった、より感性的な部分での比較になります。『どんだけハッとくるか』が目利きのポイントですね」

坂本林業のすぐ近くにある原木市場。広大な土地に競りにかけられる丸太が並べられている。

目利きのポイントを説明してくれる坂本さん

左:「急に枝打ちできるわけじゃなく、100年前に枝打ちをしてくれていたからこそ、この立派な木が取れるんです」(坂本さん)/右:目の詰まった大径木が並ぶ

「吉野材の良さは鉋(かんな)で仕上げてこそわかる部分なんです。最近は電動のサンダーで仕上げるところが多くなっていますが、サンダー仕上げだと木の良いところも悪いところもならされてしまって、どんな木材も平均的な見た目になります。逆に鉋仕上げの場合は、木材自体の品質で仕上がりが左右されます。ですので、大工さんが手刻みで家づくりをしていく場合には、より早く、より美しく仕上げられます。そこが多少高くても、吉野材が重宝されてきた理由です」

鉋で美しく仕上げられた床材|山梨県 恵林寺(えりんじ)
写真提供:坂本さん


吉野材は世代を超えた『作品』

⎯⎯⎯ では吉野で高品質な木材が生まれる理由はどこにあるのでしょうか。


「まず、地形・土壌・気候など、自然環境自体が杉や檜の育成に適していたということが元々あります。その上で吉野林業の3つの特徴である【密植(みっしょく)】【多間伐(たかんばつ)】【長伐期(ちょうばっき)】によって高品質な吉野材がつくりだされています」

坂本さんに檜の森を案内してもらった

よく手入れされた吉野檜の山林 写真提供:坂本さん

⎯⎯⎯ 3つの特徴を詳しく教えてください。


「一般的に植林木は天然木に比べると品質は劣ってしまいます。拡大造林期の植林木の場合、山を皆伐(かいばつ)したあと、広めに間隔をあけて苗を植えることで、成長を促進させ収穫のサイクルを早めています。通常、1ヘクタールあたり2,000〜3,000本植え、40~50年のサイクル(伐期)での収穫を目指したと言われています」

「一方、吉野の【密植】では1ヘクタールあたり10,000本以上という超高密度で苗を植えています。これは一般的な植林の3〜4倍の密度で天然林に近い生育環境なんです。成長を抑制することで芯材部分の年輪の間隔を細かくすることができます(=目が細かくなる)」

「つぎに【多間伐】について。密植されたままだと、栄養や日光が足らず全ての木が育たないままですよね。吉野では、樹齢60年までの間に10回前後の間伐がおこなわれ、最終的には1ヘクタールあたり100本にまで間引かれます。成長に合わせて何度も間伐を繰り返すことで年輪の幅を揃える効果があります」

「最後に【長伐期】について。吉野林業の伐期は、一般的な植林の倍以上の100〜300年といわれています。永い年月をかけ何世代にもわたって受け継がれてきたものなんです。天然木にも劣らないような大径木が育つのが特徴です」


逆風を追い風に

⎯⎯⎯ 吉野の林業・製材所を取り巻く状況を教えてください。


「吉野には、杉には杉の、檜には檜の、専門の製材所があるのですが、扱う木材によってさらに細分化されています」

例えば、檜の元玉(根元に近い株が付いている太い部分。人の手が届く高さのため手入れ・枝打ちが行き届いており節が少ない)だけを扱う製材所、檜の二番玉(元玉のすぐ上の部分。太さは均一だが、人の手が届かないので手入れ・枝打ちがされていない)だけを扱う製材所などがあります」

⎯⎯⎯ 細分化されている製材所の中で、坂本林業ではどのようなものを製材されているのですか?


「以前は大径木を突板用材のために製材していました。突板は一枚一枚は薄く安いのですが、薄いが故にそのどこをとっても欠点がないような高いクオリティを要求されます。それを実現できるのが吉野の檜なんです」

「突板は建売住宅などの和室の材料として使われることが多かったのですが、それも時代とともに売れなくなってきています。現在は商業施設・宿泊施設向けの特殊な用途が多くなっています」

⎯⎯⎯ そもそもの質問なんですが、なぜ細分化されているのでしょうか。


「理由は各々の得意な同一寸法の製品を大量生産することで、効率化を図っているからなんですが、昨今は残念ながら廃業が相次いでいます。吉野貯木と呼ばれる地域において、最盛期には100軒以上の製材所がありましたが、今では檜に限れば10軒未満になってしまいました。杉の製材所の場合はさらに深刻です」

⎯⎯⎯ とても残念ですね。その理由を聞かせてください。


「木を自分で刻んで建てる大工さんが減り、プレカット工場で加工された材木を使って大手ビルダー主導で家を建てることが増えてきました。体力のある製材所はそれにあわせて大規模化していきましたが、逆に規模を維持したままの製材所では効率を重視しても採算にあわなくなってしまいました。単に量だけでいうと、ここで一年間に製材できる量を、大規模工場では一日で製材できてしまうでしょう」

「デフレがどんどん進み、僕がこの仕事を始めた頃と比べて、木材の市売価格は1/2~1/4くらいまで下がってしまっています。高度経済成長期に最盛期だった吉野の製材所も時代の流れについていけなくなってしまったんです。あとを継ぐ人材が少なく創業者の一代限りで暖簾を下ろすケースがあとを絶ちません」

⎯⎯⎯ そんな状況の中、坂本林業は生き残り続けています。強みはどこにあると思われますか。


「吉野川流域産の檜を専門に扱っていることが最大の強みです。密植によって育てられ、“伐り旬”(きりしゅん)に伐採された『これぞ吉野材』という品質の安定した檜だけを仕入れています。一本一本の材質を見極め、その良さを活かした製材を心がけています。また、長い時間をかけてゆっくり乾かすことでじっくり熟成された檜をお届けしています。削った時の艶感が全然違うんです」

⎯⎯⎯ 吉野材の良さを知ってもらうために、何か施策をされていますか?


「ひとつは工場見学です。木に対する理解を深めてもらうために、資料を手に製材の過程を見てもらっています。ご希望があれば随時受け付けています」

見学者向けに分かりやすい資料を用意してある

「もうひとつは吉野川沿いに建つ【吉野杉の家】という吉野材を体感できる施設。建築家の長谷川豪さん・Airbnb・吉野町が協力し作りあげた施設で、地元で木の仕事に携わる仲間たちと【吉野と暮らす会】を設立し運営しています。一棟貸しの宿として宿泊も可能で、Airbnbを通じて予約することができます」

上記4点 写真:鈴木久雄


切られた瞬間、芳醇な香りが立ち込める

すべては吉野檜を活かしきるために…

実際に製材の様子を案内してもらった。一本一本個性の違う木と向き合いながら丁寧に製材する様子は、木と対話しているようでもあり、職人魂を感じるものだ。

皮剥きを専門に担う業者の方が皮を剥く

左:使い込まれた道具から歴史が滲みでる/右:剥かれた皮は伝統建築などの檜皮葺(ひわだぶき)に使われる

カットのたびに最適な切り方を見極める。その眼差しは真剣そのものだ。

9mm厚の本実加工(ほんざねかこう)された製品 写真提供:坂本さん

製材された檜は桟積み(さんづみ)に。ここから通常で一年以上、急ぎの場合でも半年はじっくりと天然乾燥させ、熟成したものを出荷する。

天然乾燥は、時間がかかるため効率を重視するとデメリットと捉えられる。しかし品質を重視する坂本林業ではこの天然乾燥をあえておこなう。なぜならば、内部まで均一に乾燥させることで狂いにくくなること、油分(樹脂)を損なわないため仕上げた時の色艶が良いこと、エイジングによって木材が熟成されること、このようなメリットの方が勝るからである。すべては吉野材の持ち味を最大限に活かすためだ。

長い時間をかけて天然乾燥され出荷の時を待つ檜たち
写真提供:右上・下段 坂本さん


品質で選ばれる坂本林業の檜材。その納入事例をいくつかご紹介。

J of JINS Roppongi Hills | 東京都港区 六本木ヒルズ内

写真提供:坂本さん

木村工務店自邸|大阪府大阪市

左 写真:多田ユウコ写真事務所 / 右 写真提供:坂本さん

横内敏人氏設計の自邸|奈良県吉野郡

写真提供:坂本さん

ササハウス|兵庫県川西市

写真:笹の倉舎 / 笹倉洋平

MoonRounds|奈良県 吉野郡川上村

左 写真提供:MoonRounds / 右 写真提供:坂本さん

亘 章吾|曲木造形作家

写真提供:坂本大貴


⎯⎯⎯ これからの展望や夢を教えてください。


「吉野発の、吉野と共に生きるラグジュアリーブランドを目指して【SAKAMOTO】というブランドを立ち上げました。吉野の檜はかなりポテンシャルのある素材だと思っています。今までは素材のまま出荷するのが製材所のビジネスモデルでしたが、SAKAMOTOの取り組みでは、素材の持ち味を最大限に引き出せる完成品を自ら生み出し、世に送り出したいと考えています」

「最初の一歩として、福井県のあわら温泉にある【光風湯圃べにや】の特別室・呉竹の間に、ヒノキのベッドを納入しました。吉野檜の良さを活かすようにデザインし、吉野の家具屋さんにつくってもらったものです。かなり細かい部分までこだわったので、評判も上々です」

写真提供:坂本さん

⎯⎯⎯ 最後に、坂本さんにとって檜とはどんな存在でしょうか。

「木材は時間を表現することができる稀有な素材です。歴史の重みや何世代にもわたって伝えらてきたノウハウなどを現すことが出来ます。吉野の檜を使ってもらうことで、単に建築物という空間ではなく、豊かな時間が過ごせる心地よい場が増えていけばいいなと考えてます。吉野の檜の素晴らしさを広く知ってもらいたいので、『ここぞ』というところには、ぜひ吉野の檜を使ってください」


坂本林業 坂本 好孝(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

行雲流水とは、自然の成り行きに身を任せること。また、とどまることなく移り変わっていくこと。奈良県大淀町の製材・材木商「ウッドベース」社長である中西豊さんは、行雲流水の人だ。

「ウッドベース」は吉野産材を中心に扱う。吉野は日本三大人口美林のひとつで、日本最古の造林地、室町時代に人口植林が始まったといわれている。歴史ある産地ではとても珍しい新参入組で、15年前に立ち上げた。

変わりゆく時代の流れの中で「付き合いのある工務店さんの期待に応えたかっただけ」と謙遜しつつも、目利きや製材などの技能をこつこつと身に着け、初代として道を切り開いてきた。木の育ちや表情などひとつひとつの違いを「見ているのが楽しいし、その場所にあった木を選ぶ自信がある」と語る中西さんに、これまでの歩みや木を仕事とする喜びを聞いた。

奈良県にある「ウッドベース」事務所

初代として

奈良県生まれの中西さんだが、木との縁は最初からあったわけではなく、少しずつ、少しずつ導かれていった。

10代後半は家庭の事情で関東で過ごし、様々なアルバイトを経験した中のひとつが材木屋だった。19歳で奈良に戻った時、その経験を知った親戚の紹介で銘木市場で仕事を始めた。せりのたびに角材を担いで移動させる。肩は擦れ、手首も痛む力仕事だった。毎日木に触れ、木を見つめ、目利きを養っていった。

20代半ばで、市場から材木商として独立する仲間について行くことになり、市場を離れた。

その後33歳の時に自身も材木商として独立。所属していた材木商の在庫と設備を買い取り、「ウッドベース」が始まった。「お客さんが困らないように」「お客さんの期待に応えたい」。中西さんは繰り返す。

30代半ばで、材木商に加えて製材業もやるようになったのも、場所を借りていた製材所が閉めることになり、お客さんを思ってのことだった。

「地元の製材所の人には『こんな時に製材所始めるなんで、あほちゃうか』ってさんざん言われた」と振り返る。

しかし、吉野地域は製材の歴史がある分、製材所ごとに得意分野が細分化されており、「ひとつがやめてしまっても他に頼めばいいというわけではなく、困る人が出てくる」と考えた。製材の知識も経験もなかったが、中古の製材機を買い取った。地域で製材をしている仲間らが代わる代わる、技術を教えに来てくれて身に着けたという。

製材機は、今も現役で活躍している

独立当時からの付き合いがある大阪・羽根建築工房の羽根信一さんは、中西さんについて「昔から変わらないよ。裏表がなく、大げさに派手なこともしない。だから、信頼できるんだ」という。

ウッドベースが扱う木材はほとんどが吉野産。中西さんは「吉野材が色も形も一番美しいって思うし、地元の材を使うっていう考えは当然として自分の中にある。森に囲まれて育ったからかな」と話す。

ストックが積まれた製材所は、緑深い森に囲まれている

吉野産材は、吉野山の地形や雨の多い気候などといった自然の力に加え、「密植」「多間伐」という人間の作業が加わることによって完成する。吉野産材は、山に苗木を植える本数が1ヘクタール当たり8000-12000本。一般的には3000-5000本と言われているので、2倍以上の密度だ。その分間伐を多くする必要になり、手間がかかる。

間伐する林業家は「山守」と呼ばれ、丁寧に木を育てる伝統が現在に受け継がれている。

この方法で育てた材は、中西さんは地元産というひいき目をのぞいても「木目が均一ですえおちが少なく、本当に素晴らしいんだ」とほれ込む。 歴史が長いため80-100年産の間伐材も流通しているという。山の中には樹齢400年の木も現存している。

材木の入荷は、地元の原木市場だ。原木で作業場に運びこんで、その木材に最も適した製品にするために木取りをする。製材するとき、丸太からどのような大きさの材をとっていくか、どのような木目をとるかが職人の腕の見せ所となる。

天然乾燥させたあと、出荷する。納期でよっぽど急ぎの場合をのぞいて、機械乾燥はしない。機械ではなく天然乾燥にこだわるのは、割れが起こりにくいことに加え、油脂分を残すことで木の香りを楽しめたり、木が腐るのを防いだりすることができるためだという。

ウッドベースは700坪の敷地を確保し、中には製材スペースや中温の乾燥機を設置してある。材木のストックもあるが、この敷地だけでは足りず、500坪分の敷地と、倉庫が2つに保管してある。その数、「住宅だったら10軒分くらい(中西さん)」にも上る。

市場で買い付けたものだけでなく、製材所を整理したり閉めたりする時に集まってくるものもあるという。「一番若造だから、気にかけてもらっている」と感謝する。

出荷先については、地元にこだわらず、吉野産をいいと思ってくれる人に届けたいと考えている。現に、ウッドベースは材木の大半を、工務店を通して兵庫、大阪、京都などの県外に出荷している。

木の奥深さを伝える

ウッドベースは現在、製材など材木作業は取締役の2人とパートで行い、中西さんは受注や配達、見積りなどの社長業をこなしている。あとは事務担当のパートと、計6人体制だ。

事務所の2階が事務作業スペース

独立から15年を経て、「最初は原木の良しあしも、製材のうまいやり方もわからなかったけど、数こなしてようやく覚えられたかな」と駆け抜けた日々を振り返る。

ここ3年ほどで感じる変化は、使う側の変化だ。今までは工務店に出荷して終わりだったが、県外から設計士さんや施主さんが少人数のグループで、山や製材の様子をみにくるようになったという。

住む側、使う側とのコミュニケーションは「少人数でじっくり話せるととても楽しい。どんどん提案したくなる」と中西さん。

説明用に手作りした木取り図

「その時間が本当に楽しい。自分の目利きには自信がある」という。ほれ込んだ木は抱いて寝られるほどだと冗談めかして笑う。

ひっそりと保管された「銘木」の数々

中西さんは、日々材木を見つめ、木に触れる中で、ひとつとして同じ表情の木はないことをしみじみと感じている。その木が一番落ち着く、しっくりくる場所で役目を果たせるように、という気持ちを持って、業務に向かっている。

長い目で山と向き合う

2020年からの新型コロナウイルス発生により、材木業界にも影響が出てきた。ウッドショックだ。でも話題になっていたが、米松やレッドウッドなどのアメリカから輸入している集成材の価格が高騰している。アメリカの住宅需要の高まりやコンテナ不足をはじめさまざまな要因があると考えられる。

日本の住宅も輸入材が占める割合は高いため、輸入材の高騰により代替品として国産材の人気が高まり、数が少なくなったり価格も同調して上がってしまったりという状況がある。日刊木材新聞によると、「杉KD(人工乾燥)柱角」の材料価格は半年で1・5倍にまで膨れ上がってきた。

ウッドベースではほとんどの材料を自分で製材し、足りない分は他の製材所から購入している。その購
入分の価格が「信じられないくらい高くなった。独立しての時のように自分で製材をやらずに材木商だけだったら、とても立ち行かなかったと思う」という。

丁寧に製材した材料たち

今後、国産材のニーズが高まっていくことが懸念されるが「山仕事は人手不足や高齢化で、すぐに対応は難しい」とも考えている。「ころころと対応を変えずに、もっと長い目で山と向き合っていかないと」と前を見据える。

木は自分が生まれる前から何十年も生きてきて、木材に加工され、家となることでさらに何十年も生き、残っていく。そのような大きな流れの中で「自分はその一瞬を支えているだけ」というのが、中西さんの持論だ。

思えば、中西さんが銘木市場で働いたのちに独立した時、ふしがなく整った銘木ばかり見てきたので、建築材にもなるようなふしの入った材に魅力を感じなかったという。しかし、今では「不思議とふしのある木も好きになった。個性的でおもしろいんだ。ふしがなければいいってわけでもない」と実感する。

その理由を、毎日見て、触れていくにつれ、愛着がわいていった。木という同じ素材を見続けたからこそ、個性やそれぞれの良さに気づけたのだという。「この木はひくとどんなかな、どうひいたらきれいかなって考えるときりがない」と魅力を語る。

製材を始めたきっかけも、産地で吉野産材を守ってきたという歴史を止めてしまうことへの残念な気持ちがあった。先代、先々代が植えた木が、山で、活躍の時を待っている。今の状況、今の気持ちだけで判断することはできなかったのだ。

製材で出たおがくずは、豚舎で再利用されるなど、循環体制も模索中だ

木の良さの理解や、目利きや製材の技術は、一朝一夕には身につかない。
そこからつながる山の良さや木のすばらしさも、時間をかけることで、その身に染みわたっていく。

流れゆく時代の中で、長い目で見るという視点は、木に向き合い続けている中西さんだから身についた。木で仕事をする人間としての心構えでもある。「自分はそんな大それたことはできない」と中西さんは謙遜しつつも、「そういう気持ちで家を建てたり住んだりすると、人も木も幸せでいられると思う」とうなずいた。

ウッドベース 中西豊さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子

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