広島県福山市で社寺建築や伝統建築、古民家再生を手がけながら、そのスキルを若い職人たちに伝え、従来の木造建築の枠にとどまらない新たな可能性を切り開こうとしている野島英史さんをご紹介します。
野島英史(のじまひでふみ・45歳)さん プロフィール
昭和50年(1975年)広島県福山市生まれ。株式会社のじま家大工店 代表取締役。中学生から幼稚園児まで4人兄妹の父。15歳で大工の道を志し地元の工務店に弟子入り。20歳で岐阜県飛騨の古川町で「飛騨の匠」として10年間修行を積み社寺建築を身につけた。その後、地元福山に戻り32歳で独立し「のじま家大工店」を開業。14年目の今年、新たな試みとして「ログキャビン」を提案・発売する。
⎯⎯⎯ 大工の道を選んだ経緯を教えてください。
「曾祖父・祖父が大工でした。祖父母に育てられたこともあり、子供の頃から大工になりたいと思っていました。私が物心がついた頃には、祖父は現役を引退し毎日縁側で仏像を彫っていました。ですので「大工=彫り物もするものだ」という概念が幼い自分の体験にあったので、社寺建築を志すようになりました」
⎯⎯⎯ ターニングポイントをお聞きしたいのですが、飛騨での10年間で何か大きな節目はありましたか?
「飛騨に行こうと決めた時点で、社寺建築を中心とした伝統建築の方向を生業にしようと心に決めていました。古川町は大工職人の町として有名で、町内のいろんな工務店に同世代の大工が14人くらいいました。彼らとはみんなライバル同士なので、とにかく負けたくなくて切磋琢磨しながら一生懸命やっていましたね」
⎯⎯⎯ 今も社寺に携わることが多いですか?
「いえ、今はそんなことはありません。文化財の修復なども手掛けますが、古民家再生や住宅の新築もまんべんなく手掛けています」
⎯⎯⎯ それから「ログキャビン」を販売されるそうですが、とても面白そうですね。お話を聞かせてもらえますか?
「もちろんです!」
今年後半、野島さん考案のDIY型ログキャビン【やまとCHAYA】が製造・販売になる。
住宅とは異なる空間を手軽に楽しめる【やまとCHAYA】は、伝統的な木組みの技術「扠首(さす)」を取り入れることで、一般の方でも組み立てが可能。縄文時代の竪穴式住居を模したデザインで、日本古来の大和比(白銀比)で設計しているのが特徴だ。希望に応じて、オリジナルキャビンの製造や、テラスの追加などオプション対応もする。余分なものを取り除いたミニマムな住まいでありながら、使う人の感性を取り入れられる空間で自然を楽しむことができる。
⎯⎯⎯ 新たに考案された【やまとCHAYA】について詳しく教えてください。
「ひとりでも多くの方に木の香り・自然とのふれあい・家族の絆を楽しみ、深めていただくきっかけになればと思い考案しました。自ら組み上げ、自分だけの場所、また家族と共に楽しめる場所にしていってもらいたいですね。またこの辺りだと【瀬戸内しまなみ街道】があるので周辺の観光地や農園、キャンプ場などへの設置が向いているかな思っています」
⎯⎯⎯ DIY型ということですが、どのような工夫が施されているのですか?
「全て、込み栓(柱と土台、柱と桁などの仕口を固定するための、2材を貫いて横から打ち込む堅木材)を使って作ることも考えましたが、一般の方が作りやすいように組み木を味わえる部分を残しながら、ボルトで締める安心感を両立させました」
⎯⎯⎯ 木材は何を使われていますか?
「県内産ヒノキの天然乾燥材を使用しています。風雨に晒されるものなので半年以上乾燥させた強度のある材木を使用するため、年間20棟限定での販売を考えています。また、屋根は杉材を土居葺(通常だと瓦葺きの下地となるもの)にしたものです。この屋根が一番時間のかかる部分だと思います。プロで3日かかりました。やりがいは相当あると思います」
⎯⎯⎯ これは相当楽しめそうですね。職人さんたちの評判はどうですか?
「職人たちも楽しんでやってくれています。お客様向けに、木に触れること自体を味わったり、ここでの体験を提供したいと考えているのと同時に、職人自身が普段の仕事以外で楽しみながら取り組めるめるものを作りたかったんです」
⎯⎯⎯ これからの展望を一言お願いします。
「これからの時代は、ネットでもリアルでも販路を開拓していかないと、続いていかない考えています。地元だけではなくて、日本だけでもなくて、世界に目を向けていかなければなりません。【やまとCHAYA】が、日本の伝統建築の技術と世界のお客さんとを結ぶ架け橋になって欲しいですね」
「今後、人口減少と共に家を建てる人がどんどん減ってきます。その中で、大きな家だけではなく【やまとCHAYA】のような手軽に建てられるものに、木組みや伝統建築のエッセンスを加えることで、ニッチな層だけでなく幅広いお客さんに「木とともに生活すること=持続的な暮らしを実践し受け継ぐこと」に興味を持ってもらいたいです」
⎯⎯⎯ ということは販売は日本中、ひいては世界中を視野に入れているんですね?
「そうですね。めっちゃ世界中に持って行きたい。『お前どうやって持っていくんだ!?』という話にはなるんですけど、そこは夢ですから。具体的な障壁は一つひとつクリアしていって楽しめるんじゃないかなと考えています。何に対してでも楽しんで、もっともっと視野を拡げていったらいいんじゃないかなと思います」
やまとCHAYA 施工風景
⎯⎯⎯ 野島さんは今は現場からは離れてらっしゃると伺っています。どのように仕事を進めているのか教えてください。
「今、のじま家大工店では、20代が1人、30代が2人、40代が2人の合計5人の大工職人で現場を回しています。あとは要所要所で外部の職人さんに応援を頼んでいます」
「現場自体は棟梁に任せていて、重要な決定は私がするというスタイルになっています。あとは社長業であったり、これからのことを考え、舵を切っていくような役割をしています」
「私が現場へ出て行かない方がいいんです(笑)。私は昔のタイプの人間なので、職人の仕事ぶりについ口を挟んで余計なことを言ってしまうので。。今後のことを考えるとそれじゃあマズいなと思い、数年前の法人登録を機に『ワシは現場には出ん!』と宣言しました。任せて良かったと思います。職人たちも自分で考えるようになってどんどん伸びていっています」
⎯⎯⎯ 経営者ならではの醍醐味や逆に苦労している点はありますか?
「自分が経営者になるとは思ってなかったんです。立場上、人の前でいろいろと話をする機会が出てきますよね。でも元々そういうのが苦手で、黙々と大工をしていたくてこの道に進んだんです。だから正直辛いんです(笑)。あと、職人や棟梁として現場に入っていると完成した時に「できたー!」という達成感が大きいですが、今の関わり方だとそれが味わえません。そこは職人がうらやましいですね。しかし、みんなが自分のところに集まってくれて、同じ方向を向いて取り組んでくれていることが嬉しいですし、やりがいを感じます」
⎯⎯⎯ 「ベテランの大工さんと若い子は居るけど、働き盛りの30~40代の大工さんがいない。世代間の色々な溝を埋めるのが大変」という話をよく聞きます。野島さんのところでは関係なさそうですね。
「そうですね。もちろん、うちにも以前はベテラン大工が来てくれていました。今は主力となっている40代の大工が技術は概ね身につけているので、問題なく仕事はこなせています」
⎯⎯⎯ 皆さん、正社員なんですか?
「昔は終身雇用にしていましたが今はやめました。育ってきたら独立しやすい環境にしてあげた方が、各地にネットワークを作ることができてお互いにメリットがあると考えています。これからますます仕事も暮らしも多様化していきますからね」
⎯⎯⎯ 今話されたような考え方やビジョンなどは職人さんたちにも伝えているんですか?
「はい、伝えています。本人の希望でずっとうちに居たい人には、うちのやり方をしっかり教えます。逆に、例えば独立して経営者になりたい人に対しては、経営者の集う団体の会などにも一緒に参加して、必要なノウハウを教えています」
⎯⎯⎯ 基本となる大工技術がしっかりあってこそ、立ち振る舞いや考え方が重要になってくるんですね。のじま家大工店ならではの技術や強みとはどういったものでしょうか。
「古民家再生や普通の伝統構法も得意としていますが、ちょっと変わった建て方もしています。例えば、これは120mm角の材木で構成する建物で、ハシゴ状に組み上げていって材料が少なくても粘りと強度を持たせることができます。また大きな材料を使わなくて済むので斜面にも建てることができますし、材料の無駄も少ないです。大きな梁の建物も好きですが、この方法だと立体的で強度もあり、見た目も美しいので気に入っています」
のじま家大工店の礎となる古民家再生と伝統構法の事例を一件ずつご紹介します。
2019年完成。飛騨での経験を買われ「飛騨っぽい家をつくって欲しい」と施主のMさんからのご依頼。「理想の家を建てる大工を見つけるのに40年かかった」と言わしめたそうだ。当時30代後半だった大工が手刻みを志して1年で棟梁を務めた。
含空院(茶房)
2014年竣工。この現場を最後に野島さんは現場を離れた。滋賀県 臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物。元々は永和3年(1377年)考槃庵の名で建立され、当時の建物は永禄6年(1563年)に焼失。正保4年(1647年)に再興されて以来、歴代住持の住居及び修行僧の研鑽の場だったそうだ。移築に際しては天井裏の炭に到るまで持って帰り、解体は実に3ヶ月を要したとのこと。
「古民家再生においては、古いままの状態を可能な限り忠実に再現・表現することが、のじま家大工店の得意とするところなんです。ボロボロだったところも修復して使えるようにしています(野島さん)」
「傷んでしまって『こんなの使えるのか?』というようなものでも、新しいものと組み合わせて馴染ませてやったら息を吹き返しますよね。そこが古民家再生のいいところだと思います」
鐘楼
神勝寺で最初のしごとがこの鐘楼。山の頂上にあったものを4トン車で降ろして移築した。
慈正庵
こちらも2014年に移築を担当。
「小さいお堂だけど、当時の職人の技術が詰まっています。手鋸しかない時代によくここまで細かい細工ができたものだと感心しました」
⎯⎯⎯ 最後に大切にしていること、これから大工を志す人へのメッセージをお願いします。
「楽しめる職場・楽しめる仕事 をモットーにしています。どれだけ仕事を楽しめるか。どれだけ木を愛せるか。もうそれだけだと思います。気合や根性でどうこうなる時代ではないです。これからの時代を生き抜いていくためには、大工技術だけではなく人間性や交渉力など様々なことを身につけていかなければならないと考えています。技術だけでは舐められてしまいます。身につけた技術を十二分に活かして生きていって欲しいですね」
今回の取材では、ログキャビン【やまとCHAYA】についての話をメインにしようと予定していましたが、そこまでに至るまでの経緯を聞いていくうちに、確固たる技術と経営手腕に裏打ちされたビジョンこそが、野島さんのつくり出すものを成形しているのだと感じました。「これから先、どれだけ楽しみ、どれだけ木を愛せるか」と未来を語る時の野島さんは一際かっこいい。