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職人がつくる木の家ネット 事務局
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結局、大工仕事が好き

訪れたのは熊本県八代市。土壁の家工房 有限会社田口技建の二代目 田口太(たぐち ふとし)さんにお話を伺った。

田口技建は父親の敏雄さんが昭和30年代に創業し、現在では職人5名を自社で抱える工務店であり、一級建築士の田口さんが設計をされる建築事務所でもある。特色は「土壁の家工房」と謳われている通り、土壁・泥壁にこだわって家づくりをされていることだ。使用する材木についても地元の製材所に頼んで自然乾燥で桟積みしておいてもらったものを職人の手で一点一点手刻みで加工造作している。またそれらの木や土については地元のものを使いエネルギーコストを抑えるように努めている。

「日本の建築文化で培われて来た先人の知恵や、技術を生かした伝統的構法を受け継ぐ家づくり、そして川上から川下まで顔が見える家づくり」がコンセプトだ。

田口さんはここ八代生まれで、父親の大工仕事を見ながら育ち、小学生の頃から大工になりたいと思っていたそうで、高校生の時にはすでに泥壁塗りの手伝いをしていたという。その後、父親の元に正式に弟子入りし、神社・寺院の修繕や新築の茶室の仕事などに精を出す傍ら、独学で勉強し二級建築士、さらに一級建築士の資格を取得する。

「けど、結局大工仕事が好きで、“設計のできる大工”みたいな感じです」と笑う。

手刻みで作業中の職人たち


秘伝の土

社名と共に“土壁の家工房”と書かれている通り、土壁の家を多く手掛けられてきた田口さん。そのこだわりはどこにあるのか尋ねた。

「元々こだわっていた訳ではないんです。八代は泥壁や土壁が昔から多い地域で、最近まで当たり前に目にしていたんです。それが時代と共にみんな辞めていってしまって、逆に目立つようになったんだと思います。本来は大工仕事オンリーでやっていたんですが、知れば知るほど面白い部分と悩む部分があり、大工でありながら土壁の魅力にのめり込んでしまったんです。大工と左官がいればほぼ一棟を自分たちで建てられる。職人の技術を活かしていけるというのが一番の理由ですね。」

「それからもう一つ、産業廃棄物の処理の問題がクローズアップされ始めた時期に見た光景が忘れられません。たまたまプラスターボードの切れ端などを最終処分場に捨てに行った際に、大型トラックがガンガン来て「グワーー!!」と大量の新建材をバンバン捨てていくのを目にしたんです。そうしたら目がものすごくチカチカしてきてその場に居られなくなり『このまま時代が進んで新建材を使った家が立て替えや改修の時期を迎え、もっと大量の新建材を破棄せざるを得なくなった日には、もう取り返しのつかないことになるぞ…』と見た瞬間に感じました。木と土壁なら全て土に還すことができる。それが二つ目の理由です。」

そんな想いから土壁を大切にする田口さんは、土壁のために赤土を“練り置き”する水槽を作業場に構えている。大工もみんな荒壁塗りをするそうだ。

左:見下ろすために立って操作する田口さん/右:赤土だが発酵して真っ黒になるが、日が当たるとまた赤に戻る。

左:水を加えながらショベルカーで練る/右:混ぜ終わるとフタをする。冬は温度が上がり発酵が早まる効果もある。

「水槽の容量は2トンダンプ8台分で、60坪の家一軒を賄えるほどの量とのこと。ここに藁スサと水を加えて混ぜながら1〜3ヶ月くらい練り置きする。赤土に藁スサを加えて練り置きすることで、藁に含まれるリグニン(分解するとノリのようになる)と納豆菌(発酵が進む)の影響で、十分に練り置きした土は、塗りやすさと固まった時の硬さが向上し耐候性が増すという。
次回のためにタネ土として少し土を残しておき、継ぎ足して使うことで発酵が早く進むので、田口さんはこの土を「秘伝のタレならぬ秘伝の土」と呼んでいる。

秘伝の土の改良のため、土の種類や混ぜ物の配合など日々研究中だ。


ピーンと響いたふたりの言葉

今から20年前、田口さんに“代替わり”という転機が訪れる。堅気で職人気質な父親に対して、自分がどういう方針で受け継いでいくのか、はっきりさせないとならない時期になっていた。
それまで普通にやってきた伝統構法の木造建築の他に、時代の流れ中でいわゆる“文化住宅”の仕事も手がけるようになっていた田口さん。今時の仕事ばかりが増え「培ってきた技術を活かせない仕事ばかりではダメになるよな」という意識もあったが、フランチャイズや高気密高断熱などの新しいものを取り入れた方がいいのではないかと、若かったので翻弄され悩んでいたそうだ。

そしてあるふたりの言葉が、そんな田口さんを伝統構法の木造建築家に立ち戻らせることになる。

「化学肥料・農薬が当たり前の時代なっているけど、我々農家は立ち返って昔ながらの考え方・やり方(堆肥を使うなど)でやって行かないとこれから先だめなんだよね。」

同じ八代で、い草農家を営むOさんの言葉だ。この一言に田口さんは「そうか、俺らも確かに高気密とか新建材とかじゃなくて、親父たちがしてきたような昔ながらやり方に立ち返った方が良いのではないか。」と考えさせられたのだという。

「窓を閉めたら高気密、開けたら高気密じゃないとか危ないよ。自分がやれること、得意とすることをやればいいんじゃない?今までやってきた自信の持てることをやった方がいいよ。」

この言葉は工務店の先輩のMさんに「高気密高断熱の家を扱ったりフランチャイズにした方が、この先良いんですかね?」と相談したところ返ってきた言葉だ。

「ふたりの言葉がピーンと私に響いたんです!」と声を大きくする。

ちょうど今、田口さんに影響を与えた、い草農家のOさんの自宅を建築中とのことで現場を案内してもらった。


昔からの建築と昔からの畳

八代市内で絶賛建築中のい草農家「ファミリーファームOKA」を営む岡さんの自宅は、約60坪の平屋。大工仕事はだいたい終わっていて、これから左官仕事が本格化する段階だ。

モルタルを塗っているのは左官職人の高植さん。最終的には漆喰仕上げになる。

内装の荒土は自慢の練り置きしておいた赤土で、この後塗る予定の仕上げの漆喰にはい草の粉末が混ぜ込んであり消臭効果が期待できる。最初は緑色っぽく5年程経つと茶色に変化していくという。畳と共に部屋全体が経年変化していく。もちろん岡さんのい草を使用している。

施主の岡さんと共に

まっすぐと東に伸びる廊下の先には緑の田んぼが広がり、室内をほんのり緑色に染めていた。実はこの窓、お正月には初日の出が真正面から差し込んでくるという粋な設計になっている。また、まだ見ることはできなかったが、部屋ごとに違う畳を配する予定で、子供部屋には一部に色を混ぜるなど、い草の老舗ならでは内装になりそうだ。

「昔からの建築と昔からの畳で、どの部屋も全部こだわっている。」と田口さんも岡さんも口を揃える。

大工仕事は田口さんの長男・柾哉さん(26)が墨付けから手掛けている。他社で経験後5年前に田口さんの元に戻ってきた。

伝統構法の家をつくることについて尋ねると、「ずっとやっているやり方なので、これが当たり前です。まずは仕事を覚えていきたいです。」と心強い返事が返ってきた。

左:作業中の息子・柾哉さん / 右:い草について語る岡さん

「親が弱ってくると息子がしっかりしてくるものだよ。」
そう笑う岡さんもまた、息子の直輝さんとともに、い草と向き合っている。

実は岡さんの経営する「ファミリーファームOKA」は、木の家ネット記事(2019年3月1日公開・加藤畳店 加藤明さん)にも登場しており、鎌倉の設計士・日高保さんがイチ押ししている「すっぴん畳表」を製造している。敷地内にある工場を案内してもらった。


唯一無比のすっぴん畳

畳を知る人なら「すっぴん畳」と言えば「岡さんの畳」を指すという。業界では有名な岡さんの畳は唯一無比の存在だ。
なぜ“すっぴん”かというと、通常、い草を収穫して乾燥させる間に「泥染め」という工程を経ることで、早く均一に乾燥させることができるのだが、「すっぴん畳」はその工程を経ることなく乾燥させているため、い草本来の緑色をしている。また、細胞の構造を崩すことなく残しているため、植物としての水分を吸ったり吐いたりする機能を有しており、吸湿性も優れている。無洗で乾燥させることは特に難しく、業界初の技術を確立しているからこそ実現できるのだそうだ。7〜8年経つと光沢が増し黄金色に変わり、部屋自体が明るく感じられるようになる。

「『畳表の色が変わる』ことをマイナスなイメージとして捉えられてしまう場合もあるので、黄金色に変わるということをきちんと説明する必要があります。(岡さん)」

「木の家そのものも同じで色も変わるし経年変化もする。それがその建物の“趣”となるんです。(田口さん)」

この機械で織っていく。大切にメンテナンスをしながら使っている。

田口さんはこのい草の残材を土壁の貫伏せに使う。藁よりもピンとしてハリがあり塗り込みやすい上に、割れ止めにももってこいなのだという。

左:防カビ剤には乳酸を活用した、体に優しいものを使用している。/ 中央・右:市松やカラーなど様々な製品が生み出されている

未来を担う息子たちへ伝統技術を受け継ぐ。

「何百年という歴史をこの21世紀で終わらせてはならない。つくり手も住まい手も、目先の欲だけで生きないようにしなければ。(岡さん)」

かつて田口さんを動かした恩師の言葉に、筆者も心を動かされた。


地震の傷痕をあえて残す

次に事務所近くの田口さんの自宅を案内してもらった。2015年に建てたもので、モデルハウスとしても活用している。外壁は経年変化見てもらうため、塗装は施していない。

玄関の戸は友人宅の蔵で使われていたもの

左:開放感のある内装 / 右:スキップフロアの階段から

左:居間を囲う洗い出しの土間 / 中央:居間スペースは荒壁仕上げ / レンガのタイルは油汚れも気にならない

土間が好きだという田口さんの自宅は、洗い出しの土間でぐるりと囲まれた居間スペース中心に、吹き抜けがあり、廻りにスキップフロアが設けられ寝室、子供部屋へと上がっていく形になっており、遊び心が感じられる。
エアコンは1台で、夜の数時間だけ湿度を下げるために使っているくらいで、後は来客時に点ける程度。ほとんど扇風機だけで快適に過ごしているそうだ。

左:まだ未完成だという風呂場は、洗い出しの浴槽と杉の赤身の落ち着いた空間だ。 / 右:風呂場の他にも数カ所設けられている無双窓

地震の影響がどの程度あったのか伺った。

「熊本地震ではすごく揺れました。伝統構法の家は揺れていいんですよ。本震の時、込み栓(仕口を固定するために、2材を貫いて横から打ち込む堅木材 )が『ギュッギュッ』と音がして、だんだん戻っていきました。震度5強くらいで泥壁が落ちると言われているんですが、震度6弱でも落ちなかったので、相当保つもんなんだと感心しました。」

経年変化を見てもらいたいので、地震の傷痕はあえて残している。耐久性の実験でもある。

「窓際はズレて割れていましたが、徐々に戻っていって、力を逃しているというのが身を以てわかりました。この家は固定していたんですよねぇ。“動くなら動く。動かさないなら動かさない。”とするのがいいんだと思います。いい経験をしました。今ちょうど建てているのは、土台は使うけど、ただ乗せるだけの家です。」

「この辺りは干拓地が多いのですが、その境目の辺りでは地盤が揺れ、液状化した地域もありました。瓦の被害が多く修繕に多く周りました。今も建て替えや修繕の依頼が入っています。1年以上待ってもらわないとならず、お断りせざるを得ない場合もあり心苦しいです。」

人手が足りていない状況が続いており、特に左官さんが足りていないという。左官さんの方から「泥壁の修繕をしたことがないからお宅でどうにかなりませんか?」と連絡をもらったこともあるそうだ。

昔は普通にあった職人の仕事。それが今ではめっきり減ってしまい、復興に大きな影響を与えている。


大工としてやるべきこと

田口さんは“大工育成塾”や“やっちろ版職人塾”など、若手の育成や職人どおしの繋がりを深める活動に力を注いでいる。その原動力について語ってもらった。

「最初に大工育成塾の受け入れ先になって欲しいと依頼された時や、他にも新聞記事を書いて欲しいと依頼された時なんかは、『いや、いいですよ。ウチそんなレベル高くないし』と言って遠慮してたんです。そうしたら『そういうことじゃなくて、求めてる人がいるんです。その人たちのために情報発信をしていかなければならない。記事を書いたり何か発信していく活動をしていけば、そこから人が繋がっていく。だから自分が篭っていたんじゃダメよ!』と言われ『あぁそうか、そういうことですか。それならわかりました。』とハッとさせられましたね。」

「その延長線上に今の自分がいるんです。こういった活動はずっと追い求めていかないと萎えてしまうので、常にいろんなことを見て・聞いて・勉強し続けています。そして自己満足で終わらせるのではなく、自分が学んだことを、職人や息子たちに受け継いでいってもらえるように、きちんと伝えることが自分の責務だと思っています。そして、一緒に頑張ってくれる職人さんもいないと成り立たないので、自社だけではなく地域に居る職人さんに対しても伝統技術を伝えていくために“大工育成塾”や“やっちろ版職人塾”の活動を始めました。」

家づくりに、次世代の育成に、真っ直ぐ向き合う田口さん。ふたりの息子さんや自社の職人さんにはどういう職人になっていって欲しのだろうか。

「育って巣立っていってもらいたいですね。そこから自分でやって初めて一人前。『たまにウチを手伝ってくれ。ウチも手伝いにいくよ。』そんな関係がずっと繋がっていけばいいなと思っています。そうやって職人が活躍できる家づくりを残していくために、各々が自分の役目を果たさなければならないと考えています。」

最後に、田口さんが作ったというポスターに書かれた言葉を紹介してくれた。

『大工としてやるべきこと それは日本の建築技術と伝統文化を受け継ぐこと』

この言葉に田口さんの大工としての覚悟・使命感が表れている。

左から、雄士さん(次男・23)、柾哉さん(長男・26)、田口さん(52)、水本さん(57)、高植さん(42)。他に古島さん(54)、杉本さん(33)も在籍する。


 

土壁の家工房 (有) 田口技建(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

盛夏の熊本、一級建築士事務所 FU設計を共宰する梅田彰(うめだあきら)さんの元を訪れた。
梅田さんは熊本県八代市生まれで、九州東海大学の一期生。卒業後は数年間、別の会社に務めた後、大学の同級生で仕事仲間でもあった藤木一治(ふじきかずはる)さんと1991年にFU設計を設立。現在は梅田さん・藤木さんの他に、30代の秋月さん・松永さんの4人で設計にあたっている。
設立後すぐに県指定文化財の登り窯の覆屋を石場建てで建てる仕事を手掛けるなど、木造建築中心の仕事が自然と続いていった。
そんな中「古民家がどんどんなくなっていくのが寂しかった」と言う梅田さんは、せめて記録だけでも残したいとの想いで〝古民家探検団〟を作って、古民家の記録をしていく活動をしていたそうだ。

古小代の里公園 登り窯(1990)

ある日、梅田さんのもとに、古民家を4棟移築するというプロジェクトの依頼が舞い込む。まずはその仕事を紹介する。


二棟の中央にある谷樋(たにとい)が特徴的だ。今は鉄板を入れているが、当時は竹を重ねて造ったり、瓦を敷いたり様々だったらしい。

職人さんが活躍できる機会を増やしたい

訪れたのは玉名郡和水町にある肥後民家村。各地に残る代表的な古民家を移築復元している施設で、古民家宿泊・木工・ガラス細工などの体験ができ、古人の生活に思いを馳せながら、昔暮らしが楽しめる場所だ。
今回案内してもらったのは、梅田さんが移築した4棟のうちのひとつで1765年建築の旧緒方家住宅。現在は「kinon cafe & arts」が入居しており人気を博している。残りの3棟も県内から移築してきた築150年ほどの貴重な民家だという。
一歩足を踏み入れると、店内のひんやりとした空気に古民家のならでは心地よさを感じる。実はこの日の熊本の気温は38℃!外との気温差は歴然だ。

左:移築当時の写真/右:現在入居するkinonの看板

「古い建物は使うことで活きてくるので、ここのように人が集う場所として使われるのはとてもいい事だと思います。学生を連れてきて昔の建物を見せるのにはここがいちばんいいんです。」

この建物は〝二棟造り(別棟型・分棟型と呼ばれる場合もある)〟と言われる構造で、一棟は土間、もう一棟は座敷になっている。江戸幕府の規制によって二間以上の梁間を作れなかったため、当初は小割にして別々に建てていたが、不便だったので寄せて建て、真ん中に樋を入れるようになったそうだ。南九州に広く分布していた様式だという。

熊本地震の際には和水町では震度6弱を記録。今年の1月にも和水町内を震源とする地震が発生し、その時も震度6弱を記録したが、金物を一切使用していないというこの建物が被害を受けることはなかったとのこと。

 

移築に当たって苦労したことを伺った。

「職人さんを探すのがとても苦労しましたね。特に茅葺をできる職人さんは県内にも数人しかいなかったので、この時は県内の他に大分からも来てもらいました。以前は茅葺をはじめ伝統構法に携わる職人さん達というのは普通にいたんですけどね。職人さんに話を聞くと彼らも『自分たちも今までは出来ていただけど、今はそういう仕事が少なく、後を継ぐ人もいない。』と言われました。だから職人さんのためにもそういう機会を増やせれたらいいなと思っています。」

そんな中明るい話題もあった。昨年、隣に建つ旧境家住宅(国指定重要文化財)の茅葺屋根の補修工事の見学会に参加した梅田さんは、阿蘇から来ていた茅葺専門の職人さんたちと知り合ったそうだ。

「若い女性の職人さんが2人も活躍されていました。実に頼もしいです。これからお願いしていこうと思っています。」
と期待を寄せている。

ベンチやオブジェなどには、お店のオーナーで国内外で活躍する木彫家・上妻利弘(こうづまとしひろ)さんの作品が使われており、古民家の個性と見事に調和している。ちなみに店長を務めているのは娘の野乃花さんだ。
梅田さんと上妻さんとの出会いはかれこれ27〜8年前にまで遡る。当時、梅田さんが建てていた道の駅のためにドアノブと看板を頼み込んで制作してもらったのが始まりで、それ以来FU設計の事務所の看板・表札・オブジェをはじめ、個人宅など様々な案件で時折家具などを作ってもらっている。
上妻さんが肥後民家村に出店すると聞いた建物が、たまたま梅田さんが移築したものだったそうだ。なんとも縁を感じる話だ。


家は共につくるもの

次に紹介するのは熊本市東区にある寺院「無量山 真宗寺」の庫裏(くり:住職や家族の居住する建物の事を指す)の新築現場だ。江戸時代に建てられた庫裏に長年住まわれていたが、今回建て替えの道を選んだ。150坪で2階建てと広々とした空間が広がっている。一般的な住居に比べるとかなり大きい建物を手刻みで建てているので工務店は2社にお願いしているそうだ。
実はこのプロジェクト、木の家ネット会員でもある古川保さんとの協働案件でもある。

今から3年前の冬には、お施主さんと共に山に入り、実際に使う木を一緒に伐採する体験をしてもらったそうだ。もちろん設計もまだまだ固まる前の話だ。その理由についてこう語る。

「建て主さんには出来るだけ家づくりに参加してもらうようにしています。今はみんな『家は買うもの』と言う感覚じゃないですか。かつては『家はつくるもの』だった。うちで建てるからにはその感覚を持ってもらいたので、色々な形で参加してもらって『共につくる』ということをやれたらいいなと考えています。」

「一緒につくる事で職人さんの苦労もわかるし、どうやって自分の家が建てられていくのかも分かる。そうすればクレームではなく愛着や共感が生まれます。それから、建て主さん自身にメンテナンスの方法を理解してもらって、維持管理をしていってもらえるのも重要なポイントです。やっぱり木の家はメンテナンスが一番ですから。」

「暑さ寒さで自然を感じないといかん」という住職の想いからペアガラスは入れていない

他に建て主さん・職人さんとのやりとりで大事にしていることは何かと尋ねた。

「多くの建て主さんにとっては一生のものなので出来るだけ時間をかけるようにしています。急いでいる場合でもある程度は時間をもらうようにしています。また、職人さん・建て主さん双方と顔を合わせながらつくって行きたいので、大工さんを自社で抱えている工務店にいつも依頼しています。その上で建て主さんと相性の合いそうな工務店・職人さんを決めて、最初にその工務店・職人さんが作った家を見学してもらっています。そこで実際に住まわれている人の生の声を聞いてもらうのが一番ですね。」

梅田さんの仕事は、単に設計するという事にとどまらず、建て主・職人・家それぞれを繋ぐための糸を紡ぎ出すことなんだと感じた。

左:家具は大工さんにお願いする事が多い。「ずっと頼んでいるのでちょっとした家具屋さんに負けないぐらいになっているかな。」梅田さん 右:以前の庫裏に使われていた梁の存在が映える


何拍子も揃わなければ実現できない

3番目に紹介するのは熊本市西区上代にあるH邸。通称“上代の家”だ。
2001年に蔵を改修した後、2007年に倉庫を改修、2012年には母屋の改修を手掛けた。いずれも150年ほどの歴史を有している建物で、熊本地震の際も一部の壁が痛んだだけで、歪みなどは一切生じていないそうだ。

まずは案内してもらったは母屋。玄関をくぐると広々とした廊下と太く立派な梁が迎えてくれる。この梁がとにかく存在感を放っており、筆者は取材中何度も「梁が太い。」「梁がでかい。」と呟いてしまった。その梁についてHさんからこんな話をしてもらった。

「先代から聞いた話ですが、江戸時代には熊本城の改修のためにお城近くに貯木場があったそうです。それが明治維新でお城が必要でなくなったので、貯めておいた材木も不要になり、いろんな人の手に渡った。その中のものをうちの先代が入手して川に流して、自宅前の川で拾い上げて建てたという謂れがあるんです。」

「本当かどうか定かではないですが、家の大きさに対してこれだけ立派な木を揃える事ができたと言うのは、あながち嘘でもないのかなと思っています。守られている・包まれている感覚がありますね。」

話半分に聞いていたが見れば見るほど信憑性が増していくように思えてくる。
梅田さんも「あれと戦おうという気にはならない」と笑う。

キッチン・リビングは元々土間だったので天井が低い

梅田さんと建て主のHさんとは20年近い付き合いになるが、きっかけになったのは先に触れた上妻さん。Hさんが上妻さんのナイフカービング(木彫)教室の生徒だった縁で、上妻さんから梅田さんを紹介してもらったそうだ。家の中にも上妻さん作の家具が並んでいる。

テーブルとイスは上妻さんに作ってもらったもの。テーブルは改修前の家で上がり框だった桜の木を使用している。

熊本地震で一部剥がれた壁の修復を左官さんにお願いしたところ「どうせやるならとことんやらせて欲しい」と申し出があり、部屋ごとに全て違う素材で仕上げられている。左官さん1人での作業だったので1年の手間暇を費やしたという。壁一つで部屋の雰囲気がガラッと変わってとても面白い。

左上:玄関左手の“下の間”は黒い砂鉄壁。塗る時に垂れてきて大変だそうだ。/右上:この赤い土は今では採れないものとのこと。
左下:こちらは砂を混ぜている。/右下:だんだん白くなるという土佐漆喰と真っ黒な梁のコントラストが美しい。

梅田さん・左官さん・上妻さんをはじめ、家づくりに携わったつくり手側の意気込みもさることながら、これだけこだわったディテールにできるのは建て主であるHさんのものづくりに対する深い理解があるからこそだろう。Hさんはこう言う。

「この辺りでも戦前からの建物が何軒かあったんですが、今では一軒もなくなってしまいました。これは逆に残しておかないといけないなと気合いが入りました。古い家にはそれぞれの歴史があるので、みなさん残したいという気持ちはあると思うんです。でも、いざ改修しようという話になった時に、梅田さんのような設計してくれる人・施工してくれる人・環境・タイミングなど、何拍子も揃わなければ実現できないと思います。」

「見た目は和風でも新建材を使った“なんちゃって”が多いですよね。そういったものは出来た時が100%であとは朽ちていくだけですが、昔ながらの自然素材の家はだんだん味が出て育っていくのが魅力ですね。」


次に2001年に改修した蔵と2007年に改修した倉庫を案内してもらった。蔵はただの物置になっていたので、そのまま直すのではお金や手間暇をかける意味があまりないと考え、来客時や一人の時間を楽しむための空間として生まれ変わらせている。まさに“男の住処”と呼ぶにふさわしい風情があり、非日常を楽しんでいるそうだ。外壁のなまこ壁は今年から左官さんに改修をお願いしている。

桁から下は健全だったので屋根は新調したが、その他はお金をあまりかけずに、目に見えるところはしっかり作られている。

稲穂を埋め込んだ壁が目を引く

左:ここにも上妻さんのテーブルとイスが並ぶ/右:モダンなトイレに遊び心が感じられる

左:改修前の蔵の外壁につけられていた飾り/中・右:改修中のなまこ壁。


倉庫は元々他のところから移築されたもので、建物自体は母屋や蔵よりももっと古いものだ。傾いてしまっていたので、2007年の改修では基礎を入れている。外壁・内壁共に職人技が光る。

倉庫壁面の腰から下には蔵に乗っていた“目板瓦”を貼ってある。今ではもう作られていない。

左:壁面に強い風雨がかかるのを避け、漆喰の壁を白く保つ“水切り瓦”/右:削り漆喰の壁:今年の地震で剥がれたのはこの2面だけ

内壁は「削り漆喰」で、下地の小舞を竹ではなく板の桟で組んでおり、隙間に漆喰が入り込むので粘り強く、力を吸収してくれるという。土に関しては蔵の屋根などから集めたものを使用している。その時の左官さんがこんな事を語っていたそうだ。

「左官の仕事というのは普段は仕上げしか見られない。何十年か経って壊したり修復したりする時に初めてその左官の仕事がどうだったかを判断される。その時に『きちんとした仕事だな』と思ってもらえるような仕事をしないといけない。」

その姿勢にHさんもたいそう関心したそうだ。地震で一部剥がれてしまったので“その時”が来た訳だが、今、蔵と倉庫の改修にあたっている左官さんは、実は最初の改修時の左官さんの元お弟子さんとのことで、ここでも縁や繋がりを感じる。
梅田さんが「そこで実際に住まわれている人の生の声を聞いてもらうのが一番」と言う通り、Hさんから聞く話はとても興味深く、梅田さんとの信頼関係もよく伝わってくる。

20年近い関係を築いている二人からは親密な空気が感じられた。


今も手描きで図面を引いている。「決め切らない曖昧なところがいい。」

家づくり=コミュニティづくり

梅田さんの会社 FU設計が入居している「EL SOCIO BILD.」は、1990年にFU設計の他に司法書士・社会保険労務士・税理士それぞれの知り合いを集めて、みんなでで土地を借りて建て、共同で管理しているそうだ。もちろん設計はFU設計(藤木さん)だ。このビルには共有の会議室があったり、廊下がギャラリーとして使えたり、ライブラリー(今は間貸ししている)があったりと、開かれた場所になっており、昔はPTAの会議などにも使われていたそうだ。

「地域の子供たちが集まってきてくれるような場所になればいいなと思ってスタートしたんです。」

「一番家づくりで大切なのはコミュニティだと考えています。環境を作ってあげるということで、家族の住環境ということだけではなく、地域の人との関係をどう育んでいけるか。家を建てて終わりではなく、どうやって地域の人と仲良くできるかという“仕掛け”を作れたらいいなと思っています。隣近所の人が集まって来て楽しく酒を飲めるような環境を、生活してゆくなかで作れるのが一番いいんじゃないでしょうか。会社や学校と家との往復だけで、隣近所の人と挨拶も交わさなかったり、仕事をリタイヤしたあと一人で家に閉じこもっていたりするのは寂しいじゃないですか。」

事務所の廊下にて:左から梅田さん・秋月さん・松永さん・藤木さん。実は梅田さんと藤木さんは誕生日が一緒だそうだ。ここでも縁を感じる。

梅田さんの日々の仕事には、家づくり・コミュニティづくりに対するこうした考えが根底にある。人との縁・人間関係を大切に育みながら今日も図面を引いている。


有限会社 FU設計 梅田 彰(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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