一般社団法人環境共生住宅推進協議会ウェブサイトにて、サステナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)採択住宅の事例集等が公開されましたのでお知らせいたします。
事例集デジタルブック2024版には、気候風土適応住宅や先導事業の説明、建設された23事例がデータとともに掲載され、平成28年度〜令和2年度採択の事例デジタルブックには、これまで公開されていた事例ごとの情報が一つにまとめられています。

サステナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)

今回ご紹介するのは、京都で瓦葺きをされている光本大助さんです。みなさんご存知の通り、京都には歴史ある文化が沢山残っており、今も脈々と受け継がれています。文化財や町家などの建物ももちろん大切にされています。そしてどんな建物にも欠かせないものといえば、そう、屋根です。しかしながら、工法や木材、壁、床は気にするけど、屋根や瓦に関しては無頓着だという方も少なくないのでは?
さて、瓦葺き一筋の光本さんから、どんなお話が聞けるのでしょうか。

光本大助さん(みつもとだいすけ・66歳)プロフィール
1957年(昭和32年)京都府京都市生まれ。光本瓦店有限会社代表取締役。京都工芸繊維大学 工業化学科を卒業後、父親から継承した瓦店を営みながら、さまざまな訓練校などに通い活動のフィールドを拡大。2020年度(令和2年)には、かわらふき工にて「現代の名工」に認定。


大学へはトラック通学

⎯⎯⎯ お父さんも瓦屋さんだったとのことですが、どんな幼少期を過ごされたのですか?

光本さん(以下敬称略)「母親も瓦屋の手伝いをしていましたし、私も物心ついた頃から遊びがてら現場について行って手伝っていました。父親からは『大変やから継ぐのはやめとけ』と言われていましたが」

⎯⎯⎯ それがなぜ継ぐことになったのか気になります。

光本「ずっと手伝っていたので、もう体に馴染んでいて、高校生の時には先生の家の雨漏りを直しに行ったりしていました。その後、京都工芸繊維大学の夜間部の工業化学科に通いながら、昼間は瓦屋の手伝いを続けていました。そのうちに瓦屋の手伝いに、大学の後輩を誘い、同級生を誘い、だんだん形になってきてしまったんです。それで『もう辞められへんなぁ』という流れです。最初は理科の先生になりたかったんですが、だんだんと瓦屋が面白くなってきました。大学にトラックで通っていたくらいです(笑)。卒業後は他の現場も知りたくて、いろんな親方について、あっちこっち引っ張ってもらっていました。結局、この道を選んでよかったと思っています」

光本瓦店の入り口にはこんな看板が掲げられている

⎯⎯⎯ 今は何人でお仕事をされているんですか?

光本「社員が8人で、いつも来てくれる外注が3人くらい。大体10人前後でやっています。自分一人でできる事って限られてるし、いろんなことをやろうとするとこれくらいの人数にはなりますね。幸い年齢も分散されています。私と同い年の66歳が1人と、30〜50代が4〜5人、20代が4人です。うちが変わっているのは、みんな、何気なく好きな時に来て、好きな時に帰る気ままなバイト君だったのが、いつの間にか社員になっているんですよ」

⎯⎯⎯ 20代の方が多いのはいいですね。皆さんバイトからというのはどんな経緯で?

光本「何でなんですかね(笑)本人たちにも聞いたんですよ。『なんでうちに居着いたの?』って」

⎯⎯⎯ 居着いた! それでどんな回答が。

光本「『やっているうちに馴染んできた』とか『身を固めたい』とか、そんな話ですね。うちで社員になるということは、訓練校に入るということなんです。京都府立瓦技術高等職業訓練校(現 京都瓦技術専門学院)というのがあって、週に1回2年間行くんです。その段階を経てやっと社員です」

⎯⎯⎯ きっちり線引きされているんですね。

光本「そうなんです。福利厚生面では、以前は日当制だったのですが、残業手当・休日出勤手当・有給休暇なども整備しています。大企業では当たり前かもしれませんが、この業界ではかなり早い段階で導入しました」

⎯⎯⎯ 話が前後しますが、瓦専門の訓練校があるんですね。

光本「もちろん他の地域にもありますが、京都らしいですよね。僕ね、訓練校大好きなんです。大学を卒業してから、まず瓦の訓練校に行って、大工の訓練校に行って、板金の訓練校にも行きました。50代になってからも、同志社大学の大学院の総合政策科学研究科というところに行っていました。大体夜間の学校ばかりなので、夜は家にいない人間です(笑)」

⎯⎯⎯ すごいバイタリティですね。大学院ではどんなことを研究されたんですか?

光本「引退した高齢の職人さんを指導者にして、伝統建築の現場でワークショップを開催して、成長の記録などを論文にまとめました。とても面白かったです。トータルすると人生の半分以上、学生をやってきました。行くところ行くところで人の輪がバーッと拡がる。そしてそれがまた繋がって行くんですよ」


こんなんやるのは、うちぐらい

⎯⎯⎯ 光本瓦店のWEBサイトを拝見して「瓦は新しいからいいわけではない」という言葉にグッときました。古い瓦は解体現場などからもらってくるんですか?

光本「それもありますが、発掘現場からもらってくることもあります。幕末の大火事で燃え落ちた建物が今も埋まっているんですよ。焦土層といって地下2mくらいの深さに赤い地層になっています」

⎯⎯⎯ さすが京都。しかし江戸時代でそれくらい深いんですね。不思議です。

光本「でしょ。考古学的には、あくまで通過点の層であまり興味を持たれないので、ありがたく頂いています。それを見て自分なりに分析して『この時代はこのサイズが多い』『もっと前の時代だとまたちょっと違うな』という風に研究しています。『こんなん他に誰も調べてへん』みたいなことを言いながらね」

⎯⎯⎯ 新旧織り交ぜて瓦を葺く場合もあるとか。

光本「そうなんです。武庫川女子大学(兵庫)の甲子園会館では、まさに新旧織り交ぜて葺いています。これが得意なんです。いつ葺いてもランダムに混じって見えるように、新しい瓦も古びた時の色を想定して16色作っています。何列目の何番目に何色を葺くかプランが決まっているんです。最近携わった景観建築学科東棟は新築で新しい瓦ですが、同じように葺いています」

武庫川女子大学景観建築学科東棟|兵庫県西宮市|2020年
写真:建築・都市デザインスタジオ一級技能士事務所

⎯⎯⎯ それはすごい!

光本「なるべく古い瓦を使う提案をしています。寸法調整したり穴を開けたり爪をつけてたりして、手間暇がかかるので『そんなことしたら、よけい高こうつくやん』と言われますけど、かまへんと思うんですよね。絶対再現できない味があるんで。メーカーには嫌がられそうですけど」

⎯⎯⎯ 瓦にも耐用年数があると思いますが、その辺りはどうなんでしょうか?

光本「もちろんそれはあるんですが、大事なのは実際に瓦を見ることですね。例えば北側にあった瓦を南側に持っていくのはいいけど、南側にあった瓦を北側に持って行くと傷みやすいとか。よそから貰ってくるにしても、暑いところから寒いところに持っていったら傷みやすいとか。あとから替えられるように予備をストックしておくことも大事です。新品の製品なら規格もありますが、実際瓦なんて不均一なものなので、割れるものもあれば割れないものもあります。特に古瓦は保証できるものではないので、交換で対応できるようにうちが10年間保証すればいいだけの話です」

新しい瓦は事務所にもストックしてある。

⎯⎯⎯ なるほど。その分ストックされているんですね。

光本「それなりにストックはしています。でもストックがなくても粘土で作ればいいだけです。その時にプラスで予備も作れるし。保証できない瓦をいかに安心して使ってもらえるかを考えて、実際に使う古瓦で引っ張り実験をしたこともあります。1平米分並べて輪っかをつけてギューッと持ち上げたり、小刻みに150回引っ張ったりして、何ニュートン耐えられるかを計測して、高さ何メートルの屋根まで耐えられるかを判定する試験です。この試験は、”瓦屋根標準設計・施工ガイドライン”として自主規制でやってきたんですが、令和元年(2019年)に房総半島を襲った台風15号の大きな被害を踏まえ、令和4年(2022年)1月改正の建築基準法に採用されています。元々試験方法を確立しているとはいえ、古瓦でそんな試験やるのはうちぐらいです」

瓦葺ガイドライン工法の仕組みを説明するための展示物。実際に触れて体験できるので安心感がある。


捨てる神、拾う神、あげる神!?

⎯⎯⎯ 木の家ネットに入会された経緯を教えてください。

光本「東日本大震災の後、東北に木の家ネットの皆さんが行かれる際に誘われて入りました。皆さんの話が熱くて面白かったのをよく覚えています。語って語ってお風呂でも喋りまくって」

2008年に兵庫耐震工学研究センター(E-ディフェンス)で行われた、伝統木造住宅を揺らす実大実験の屋根も光本さんが葺いたものだ。木の家ネットメンバーも多く関わった。レポートはこちら 写真提供:光本さん

⎯⎯⎯ 震災というと今年は元日に能登半島で大きな地震が起こりました。木の家がダメみたいな報道のされ方が気になるのですが、そのあたりでお話しを伺えますか?

光本「あれね。わざわざ瓦がぺっちゃんこになってる家を映しに行ってますよね。阪神大震災の経験もあるし、もう慣れたというと語弊がありますが、他人の口は押さえられないし、すぐ結局忘れてくれはるやろうぐらいに思っています。ちょっとの間だと思いますよ。リフォームするから『とりあえず軽くしたいから瓦だけめくりにきてくれ』という仕事もあるんです」

⎯⎯⎯ なんと。めくるだけ。そのあとはガルバリウムですか?

光本「そうでしょうね。めくるだけなんでわかりませんけど(笑)。別に嫌でもないですし『どうぞどうぞやりますよ』というスタンスです。そこでいい古瓦があればまた使えるようにストックしておきます」

古瓦のストックヤードを案内していただいた

所狭しと積まれた瓦たち

左:塩焼瓦:塩を釉薬に用いることで化学反応によって茶色になる
右:「使わなくなった丸瓦も、ちょっとしたディスプレイにしたり使い道はいろいろあります」と光本さん

⎯⎯⎯ 捨てる神あれば拾う神あり。ですね。

光本「古瓦のストックが何箇所かあるんですけど、知り合いの職人さんや同業者の人には『勝手に持っていっていいよ』と言っていて、みんな勝手に持っていっています。一点ものとか大事な瓦はまた別のところに置いています」

⎯⎯⎯ もはや、あげる神じゃないですか。

光本「もちろん自分でも使います。京都市の要望として古瓦を使うこともあるんです。例えば、文化財の改修で全体の瓦は新しいものを使いながら、通りに面したよく目につく部分は古瓦を使い、『昔と何にも変わりませんね』という風に仕上げる場合などですね」


ここで、光本さんの施工事例をご紹介します。

八木仏具店 |京都市下京区|2007年

寛政2年(1790年)創業。江戸時代後期より東本願寺前の上珠数屋町通りで京念珠を繋いでいる。


入り組んだ屋根と赤い壁のコントラストが美しい

鍾馗さんがひっそりと鎮座する


aotake |京都市下京区|2015年

京都駅から徒歩6分。再開発の進む七条通り沿いに佇む築100年の京町家を全面改修。日本茶・紅茶・中国茶などを楽しめる人気店に生まれ変わった。

細かく入り組んだ塀の瓦。古瓦を随所に使用している。「何でもないようであるとないとではだいぶ風情が変わるでしょ」と光本さん


増田德兵衛商店 |京都市伏見区|2015年〜2018年


1675年(延宝3年)創業。酒造りのまち・伏見の最古の酒蔵のひとつ。銘酒「月の桂」の蔵元。1964年(昭和39年)には日本初の「スパークリングにごり酒」を発明。

店舗や蔵を何年もかけて順番に改修していった


京都伏見珈琲 権十郎cafe |京都市伏見区|2022年

築148年。藤田家住宅(登録有形文化財)を全面改修し、現在はカフェとして使われている。2018年には京都市の「重要京町家」にも指定されている。

左:左手に見える三列の丸瓦は「風切り丸」といい、台風などの大風の力を分散させたりピッチ調整の役割がある。また単にアクセントとして用いられることもある。
右:塀の瓦はスマートな印象

左:裏には蔵もある。こちらも登録有形文化財だ。
右:袖角瓦には粋な模様。


瓦だけを見る

⎯⎯⎯ 瓦屋として大事にされていることやモットーを教えてください。

光本「瓦だけを見ること。ですかね。お客さんによって、とっつきやすい人もいれば、とっつきにくい人もいます。自分との相性もあります。そこで『なんでこんなややこしいこと言う人のために…』と思うんじゃなくて、瓦に惚れ込んで、瓦だけを見て真面目に仕事をしたらいいと思っているんですよ。そうしていたら、こっちから仕事を取りに行かなくても、自分にあった仕事が向こうからやってきます。それがモットーです」

⎯⎯⎯ 若い職人さんが4人もいらっしゃいますが、社内での関係では何かありますか。

光本「別に私の役に立たなくてもいいけど『他の職人さんが連れて行きたがるような動きをせなあかんで』とはよく言っています。あんまり怖いことは言いません。大事にしていると言うよりは、そういう風にしかできないだけです」

⎯⎯⎯ いえいえ。とても勉強になります。ターニングポイントになったお仕事や出来事があれば教えてください。

光本「徐々にやしね。そんな急に変わらへんっていうか。企業理念とか、目標とかもないんです。別に何も目指しはしないんです。ひとつあるとしたら、町家に目をつけるのが早かったことですかね。今でこそ町家ブームが起こったり、保存していこうという風潮ですけど、バブルの時は、町家といったら潰して建て替えるのが当たり前という時代でした。そんな中、町家に関する団体にいくつか入って、小さな勉強会みたいなものに参加していたんですが、後年、京都市で【京町家再生プラン】という条例が策定されました。そこに名を連ねている5団体のうち4団体に、たまたま早い段階から関わっていたんです。何気なくやってたのが『これやったんや』と思った瞬間でしたね」

光本「もう一個ありました。設計4団体(建築士会、建築士事務所協会、設計管理協会、建築家協会)全部の賛助会員なんです。必ず年に一回はPRタイムを設けてもらっていて、納涼会に総会、新年恒例会にも全部参加しています。これをやっている瓦屋は私だけです」

⎯⎯⎯ それはお忙しいですね。そんな中、今日はお時間をつくっていただきありがとうございます。

光本「これが忙しいけど面白いんです。その集まりで、鍾馗(しょうき)さん作りのワークショップを頼まれてやったのが発端で【京都鍾馗屋】という店も構えました。

鍾馗(しょうき)
京都市内の民家(京町家)など近畿 - 中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10 - 20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
出典 Wikipedia

⎯⎯⎯ 最後にもう一つ質問させてください。光本さんにとって瓦屋の魅力とは何でしょうか?

光本「建築に関わる仕事がいろいろある中で、瓦というのは目立つ所にずっと存在していて、通りがかりに見える部分です。外観の大部分を瓦が占めると言っても過言ではありません。それを子供や孫に『うちでやったんや』と言えることが誇りですね。逆にいうと粗も目につきやすい。台風で飛んだり、雨漏りしたらすぐに呼び出されます。その緊張感が、自分を鼓舞するところだと思います」


インタビュー中、光本さんの口からは「何気なくやってるだけ」という言葉が何度も聞かれました。一日中ご一緒して、それは「適当にこなす」という意味ではなく、ご自身の根底にある信念や直感に忠実に行動されていることの証なんだと感じました。
何気ない行動・何気ない言葉・何気ない繋がりを積み重ねて歩まれている光本さん。その姿は一枚一枚が積み重なってやがて屋根となる、瓦そのもののようでした。


光本瓦店有限会社 光本大助さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

宮大工のお父様が守り続けた伝統の技術に誰よりも敬意と愛着を持ちながらも、「若い人に受け継いでもらえる形で残す必要がある。そのためにはバランスが必要」と言う濃沼さん。
新旧の時代の過渡期に立つためのバランス、設計士であり工務店の経営者であり大工の息子としての責任のバランスを保つために、技術と知識と誠意をフル稼働させています。
知的な話しぶりと時おり見せる木への偏愛ぶり、そのアンバランスさも何とも魅力的な濃沼さんのお話をどうぞお聞きください。

濃沼広晴さん(こいぬまひろはる・48歳)プロフィール
丸晴工務店代表。一級建築士。1975年、神奈川県生まれ。大学卒業後、3年間ゼネコン企業でビル建築の設計を行ったのち、父が営む丸晴工務店に入社、経営と設計に携わる。京都鴨川建築塾などに参加しながら木の家の建築について学び、その関東版である多摩川建築塾を立ち上げる。「大工の手仕事による木の家づくり」「安全性の数値データや工程の見える化」を行う工務店として確立させ、評価を高めている。


大工の力を生かし尊重する建築士を目指した

⎯⎯⎯ お父様の晴治さんは、市内最高峰の匠として川崎マイスターに選出されている大工さんですが、濃沼さんご自身は大工さんではなく、建築士となり経営者としても力を発揮されているのですね。

濃沼さん(以下、敬称略)「父は宮大工の修行を積んでいて、個人宅も手掛けていました。子どもの頃から現場の掃き掃除を手伝ったり、上棟式(棟上げを無事に終えられたことに感謝し、工事の安全を祈る儀式)といった職人が大切にしてきた行事に参加したりして、大工仕事の地道さと華やかな場面、人に喜ばれている様子を見て育ちました。
素晴らしい仕事だと思いますし、父をふくめた大工たちを尊敬してきました。でも、自分は目指しませんでした。
自社で設計施工ができる工務店を目指すために、また大工が気持ちよく思う存分能力を発揮して働けるよう、そういう仕事を出せる設計側の人間になろうと思ったんです。たぶん両親もそれを望んでいました」

上棟式のための破魔矢。建築現場の邪気を祓い安全を祈願するためのもの。今では見かけることが少なくなったが、宮大工である晴治さんから、引き継がれている。写真提供/丸晴工務店

⎯⎯⎯ ベテランから若い世代の大工さんまで8人もいらして、濃沼さんのマネージメント力の賜物ですね。

濃沼「今年、さらに2人が入社する予定です。ここ数年、弊社でお引き受けしている一戸建ての木造建築の数は年間で12軒。この規模で全棟手刻みをしている大工工務店は珍しいと思います。
これが限界なのですが、ありがたいことに若いご夫婦からご依頼いただくことも少なくないので、人手を増やし対応していく予定です」

濃沼さんが設計し、丸晴工務店の大工さんが組み上げた、伝統とモダンが融合した家。

木造建築で用いられる伝統的な工法「鼻栓打ち」。

濃沼さんが作成した設計図に、担当する棟梁が柱の番号をふった板図。上記4点 写真提供/丸晴工務店


伝統を残すための最善なやり方を模索

⎯⎯⎯ 1軒につき、何人の大工さんが担当するのですか?

濃沼「1軒につき1人が棟梁として担当します。もちろん、フォローしあうこともありますが、そのほうがお客様と密にお付き合いして理想の家をつくりあげることができます。『大工は一棟刻んで年季明け』とよく言われますが、丸晴工務店では年季明けは3年から4年が平均です。全員が手刻みをおこない仕上げ、また家具工事までおこなうことができます」

⎯⎯⎯ やはり伝統的な工法を大切にされているのですね。

濃沼「刻みはリフォームや修繕にも必要な技術ですからね。
神社をつくることも、左官の土壁の土蔵をつくることもあります。ただ、『石場建てじゃなくてはダメ』とか、そこまで伝統的な構法にこだわってはいません。
木の家ネットの会員の方々の石場建てのお仕事を拝見するたび、本当にお見事で素晴らしいと感じますし、次世代にも残っていくことを願う気持ちはあります。一方で縛りを強くしすぎると、残せるものも残せなくなるのではないかと危惧しています。若い人の経験を増やすために、ある程度の軒数を建てられるよう、“伝統と今”をどこで切るかというバランスをいつも意識しています」

⎯⎯⎯ 未来というか時間軸のことを頭に置いて仕事をされているのですね。

濃沼「僕は40代後半なんですが、この世代が重要なポイントで、ここから下の世代になると一気に伝統的なことを知らない人が増えると感じています。だから、僕ら世代が何かしなくてはという責任感のようなものを勝手にいだいています。
この時間軸を縦の線だとすれば、僕は横の線についても思うことがあるんです」

左/丸晴工務店は作業場を複数所有していて、大工さん1人で1カ所を使用することも多いそう。写真提供/丸晴工務店
右/大工さんのTシャツにもプリントされているロゴマーク。現代的なセンス!


大工工務店がつくった味のある家が並ぶ街

⎯⎯⎯ 横軸ですか? どういったことでしょうか?

濃沼「人と人とのつながり、協力関係とでもいうのでしょうか。
例えば、丸晴工務店のやり方を他の工務店に話したりするというのは、昔は敵に手の内を明かすみたいな感じがありました。けれども、今はみんなで協力しあうべきだと思っています。
今の時代、自分たちだけよければいいと言ってはいられません。お客様が満足しない仕事をする工務店が多くなって『工務店はだらしない』というイメージが根付き、家づくりはハウスメーカーに任せればいいとなってしまっては困るんです。
全国各地域に住宅について相談できる工務店がしっかりしていれば、そこに安心感が生まれますよね。ですから、地域にある昔からの大工工務店には残ってもらいたいのです」

⎯⎯⎯ なるほど、住む人の安心も考えてのことなのですね。

濃沼「もっと言ってしまえば、街のことも考えて、です。地元に大工工務店がなければ、その街に存在する地元の神社仏閣も、稲荷社殿などは誰が修繕するのでしょうか。しっかり維持されている街の景観は魅力的です。景観が魅力的なら、人も集まるでしょう?
家をつくり、地元の神社仏閣、稲荷社殿を修復し街の伝統を守るのは、大工工務店の仕事だと自負していて、地域の工務店同士が協力し合って、あらゆる地域を素敵にして、日本全体が素敵になればと思うんです。
そのためになればと、弊社では学びと情報共有の場をつくっています」

北山杉を使用した丸桁が跳ねだした外観が印象的住宅で、街のランドマーク的役割にもなる。

大きくつくられた窓からもれる光が夜道を照らしている。街並みに貢献したいという濃沼さんの思いが形になっている。

お客様から大変好評を得ているバードフィーダー。「鳥がやってくる庭って素敵でしょう?」と濃沼さん。

父・晴治さんがつくったお神輿の一部。これぞ宮大工の技術と惚れ惚れしてしまう。

⎯⎯⎯ 学びの場とは、どのような内容ですか?

濃沼「僕は設計も大好きで、自分ももっと学びたいという思いから『多摩川建築塾』という名前で勉強会を開いています。自社設計で施工できるのは、工務店にとって一番強いので、設計力は学び高めないといけませんから。
元々は京都にあった、植久哲男さんという建築雑誌の元編集長が塾長をしている京都鴨川建築塾の関東版でして。植久さんのご協力のもと6~7年前にスタートさせたんです。藤井章さんや山辺 豊彦さん、堀部安嗣さんといった著名な建築家の方々を講師にお迎えして学ばせていただいています。
ネットで受講者を募集するので、建築士だけでなく学生さんも来てくださって、一緒に学べるのはとてもうれしいことですね」

丸晴工務店で企画・運営している「多摩川建築塾」のコンテンツを一部ご紹介。


庭木はペットを迎える感覚で植えて

⎯⎯⎯ とくに濃沼さんにとって印象的だった講義の内容は何ですか?

濃沼「みなさん素晴らしい先生方で、たくさん学ばせていただきましたが、やはりそうだよなと思ったのは『庭と建物っていうのは絶対に一体だ』という言葉でした。
関東だと庭をつくるとなると、造園屋さんか外構屋さんか植木屋さんになると思います。外構屋さんっていうのはブロックを積んだりとか、コンクリートを打ったり、主にメーカーの既製品を使用します。植木屋さんは、今では公共事業を主に行っており個人邸はあまり仕事をやらない。造園屋さんに依頼すると一気に金額が上がるので、一般家庭ではなかなか依頼できません。
なので、うちでは毎回、設計と大工とお客さんみんなでつくるという感じになっています」

⎯⎯⎯ みんなで庭つくりなんて、楽しそうですね!

濃沼「そうですね。お客様も楽しんでくださいますし、喜ばれます。
庭って、ある程度以上になったらプロに任せなくてはいけないですが、そもそも日々の手入れが必要で、その手入れをする人が、つくりながら木や花の特性を知っておくほうがいいです。枝の剪定や水あげのやり方とか。
木を選ぶ時もペットのようなイメージで、育てられるか可愛がってあげられるか考えて、厳しければ1本だけにしておくとか、そういうお話もしています。理想と現実のバランスは大事なので。
家と庭は一体で、ここを一緒に考えられるのも大工工務店のよさだと思うんです」

⎯⎯⎯ 家を建てる素材が木ですし、木にお詳しいですものね!

濃沼「庭木についての知識は造園屋さんや植物の専門家ほどではないです。建築に使用する材木に関しては木材マニアというかオタクでして。日本っていい木が育つ有数の国で、この国に生まれて幸せだと心から思い感謝しています。
杉もすごくいい木なんですけど、うちは檜(ヒノキ)をメインに使う工務店です。檜が年を重ねて飴色になる、その様子は本当に綺麗ですよね。油の多い木ならではです。造作家具も檜をメインに使用してます。
ヨーロッパも建材や家具に木を使いますが、基本的には広葉樹でそれを塗装して使う文化です。日本だけですよね、自然の木の飴色を美とする文化というのは。その美を住宅にも表したい、その思いで仕事をしています」

エントランスに1本の木を植えることを前提にされた設計。

庭木はすべて、設計の濃沼さんと大工さん、お施主さんで植えたもの。上記3点 写真提供/丸晴工務店


質が高く値段も手頃な国産の木材

⎯⎯⎯ 檜は香りも素晴らしいですよね。ただ、木の中でも高価なのでは?

濃沼「決してそうじゃないんです。みなさん、外国製の木の家具を好む方は多くて、日本の木で家具をつくると、なんとなく民家っぽくなると思われがちですよね。
実際はデザインをしっかり考えれば北欧家具にも負けない魅力がでると思います。色だけでなく木目もきれいで、軽く、使い心地は檜が断然上! 金額も檜のほうが全然安くて、 3分の1くらいなんです。
使い心地、試してみませんか?」

⎯⎯⎯ はい、ぜひ! (そう答えると、濃沼さんは同じデザインの椅子2脚を用意して)

濃沼「これはフィンランドのニカリという家具メーカーの椅子、もう1脚は京都にいらっしゃる二カリのライセンスを持っている方が檜でつくったものです。ちょっと面白いので体感していただきたいんですが、座ってみてください」

⎯⎯⎯ あれ⁈ 全然ちがいます。檜の椅子の座り心地は、すごくお尻に優しい!

濃沼「そうでしょう? うちは家具も大工仕事としてつくっていて、使い心地のよさはお客様からもお墨付きです。ましてや檜で家をつくれば、心地よさはお尻に限らず全身で感じられるんですよ。こんなに素晴らしいものがあるのに、外国から木材をガンガン輸入するなんて、もったいないというか悔しいというか…」

「家具も国産の木材でつくっていますが、デザイン次第でおしゃれになるんです」。写真提供/丸晴工務店


貴重な木材が売りに出されるタイミング

⎯⎯⎯ 輸入に頼らなければならないほど、生産量が減っているということは?

濃沼「確かに林業も後継者不足で厳しくなっていますし、木材は杉が中心的存在です。けれども、檜の山もちゃんとあるんです。例えば木曽福島は檜の有数の山で、樹齢250年とか300年の木もある。国有林じゃないところでも、樹齢80年から100年レベルでものが結構多くあります。
国有林は通常は切れないのですが、丸晴では天然の木曽檜を数多くストックしてます。
材木屋さんと密にお付き合いをしていますから、そういう木が出たと聞いたら、飛んで行って買っておくんです。
ストックというかうちの木材コレクション、ご覧になりますか?」

⎯⎯⎯ はい、ぜひ! (そう答えると、濃沼さんは作業場兼木材置き場を案内して)

濃沼「秋田杉、春日杉、霧島杉、屋久杉、欅、木曽檜、水楢、栃など様々な材木をストックしてます。
丸太と言ったら京都の北山が有名なんですが、これはその北山から買った丸太です。
これ、これね、黒柿なんですよ。床柱で使用した端材ですが、黒柿って最高級の材料ね。
今、杉板を焼いた焼杉という木材が外壁で流行っていますよね。
木曾檜って、わかりますか? これがそうで、目がすごい細かくて檜の王様って言われています。飴色になるとね、宝石みたいな光を出して始めるんです。見せたいなぁ」

丸晴工務店の木材コレクションを紹介してくださる濃沼さん。


工務店の強みと魅力を探して身につける!

⎯⎯⎯ こんなに大量の木材をストックしたり、作業場もいくつもお持ちになられて、維持するだけでも大変ですね。

濃沼「正直大変です。けれどこれらの材木を手放したら、再度持つことは難しいので必死に守っています。
先程、大工工務店を残したいと言った理由もここにあります。作業場の貸し借りなんかもしているのですが、とにかく広い土地が必要なので、大工工務店も減ることはあってもなかなか増えることはありません」

⎯⎯⎯ 失われつつあるのは伝統技術だけではないということですね。

濃沼「大工とは切っても切り離せない材木屋や山の製材所も、みなさんご存知のとおり減っています。木材を積極的に買い付けるのは、少しでも減少傾向を止めたいからでもあります。
ストックはよくないという方もいらっしゃいますが、本来、木材は何百年ももつものですし、お客様に安価で提供できます。一緒に一点物である木材を選ぶ楽しさもあり、弊社の1つの強みになっていると思います」

⎯⎯⎯ 確かに、「この木がどんなふうに料理されるんだろう」って思ったら、ワクワクするでしょうね。何とも魅力的な強みですね!

濃沼「素晴らしい素材を、持ち味を生かして、腕のいい職人が薄味で提供する。これが一番。大工の仕事は寿司職人とも共通していますね。
さらに強みを増やそうと、今、檜ショップを準備中なんです」

木材1つ1つの個性を生かして濃沼さんならではの設計。上記2点 写真提供/丸晴工務店

⎯⎯⎯ 御社の社屋のおむかいにある建物ですね? 素敵だなって思ったので、すぐにわかりました。

濃沼「そうです。NCルーターっていう木材の加工用の機械を購入しましてね、それで食器から色々な小物をつくっていく予定です。木の食器や小物類は、可愛いですし、赤ちゃんが触れても安心だし。
身近なところから木のよさっていうのを訴えていって、いつかは木の家に住みたいと思っていただく、その流れをつくっていこうと思っています」

⎯⎯⎯ 先ほどから、道行く人が檜ショップの中を覗き込んでいますね。まだオープンしていないのに。

濃沼「壁も床も檜でできていますが、現代的な設計なので、何だろうと思ってくれているのでしょう。壁をできるだけガラス張りにして、中もよく見えるように設計していますから。地元の人、特にここは小学校の登下校道なので、子どもたちのワクワクにつながったらうれしいですね。
もちろん商品を買ってもらって、少しでも大工の収入アップをしたいと思いますが、子どもたちにモノづくりの仕事って素敵だな、やってみたいなと思ってもらえるよう、僕も素敵な建物の設計、商品の企画デザインを頑張っていくつもりです」

左/オープン準備中の檜ショップから下校中の小学生が見える
右/檜のランプシェードも可愛らしい!


《丸晴工務店のお仕事例》鵠沼海岸の家 

上記6点 写真提供/丸晴工務店


有限会社 丸晴工務店 濃沼広晴さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:小林佑実

告示691号は床組に火打ち梁をもちいない仕様でしたが、この度「床組及び小屋はり組に木板その他これに類するものを打ち付ける基準を定める件の一部を改正する告示(229号)が発表されました。

詳細はこちらのPDFをご覧ください。

※文中に「同等以上」とある部分はQ&Aで回答を得た分を掲載しております。

 

敷地は熊本県葦北郡芦北町。中山間地の畑が多い地域であり、施主は林業と農業の両方を営む。木材は、施主が自分の山で伐採した木を、地元の製材所で加工して使用した。継手・仕口は手刻みで加工し、厚貫・差鴨居・足固めなどによる伝統的な軸組で構成している。

高温多湿な地域であるが、室内を構成する杉板、漆喰壁、藁畳、障子、木製建具、造作家具などはすべて吸湿材であり、風通しと吸湿で涼を得ることができる。夏季の卓越風に配慮して引込戸、室内欄間、床面換気口、高窓といった様々な窓を設け、風のとおりみちを確保している。

山の木は歩留まりが60%だが、残りの40%の廃材は暖房と給湯の燃料に使えばよい。

冬は建具を閉めて小さく住まい、薪ストーブに山の木をくべて暖を採る。給湯は薪ボイラーを使って湯を沸かす。山の木は針葉樹が主であるが、乾燥させてから使えば問題ない。 高気密高断熱の「省エネ住宅」ではないが、熊本の気候風土に適した「昔ながらのローテクでエネルギーを使わない住宅」である。

切妻の瓦屋根に板張りの外観は、中山間地の周囲の風景によく馴染む。
卓越風の向きを活かして、大小高低さまざまな窓や欄間を配置した。

瀬戸内海に突出したかたちの高縄半島に敷地は位置する。気候は温暖少雨で台風の影響も少なく温和であり冬も積雪する事は少ない。寒さに対して高断熱化された住まいより、夏をできるだけエアコンを使わず過ごせるように外界に対して開放的な住まいをご家族は希望された。

建物は田舎の風景に突出するようなボリュームではない平屋とし、地場の素材を活かしつつ美しい風景としての家を計画。木組みと土壁、大島石をつかった石場建てとし、屋根は地元菊間瓦にてシンプルな切妻構造とし後々のメンテナンスのし易さと耐久性を考慮。卓越風を招き入れるための開口部、そして強い日射を遮る為と近隣住人が寄り付きやすいように建物南全面に深い軒下空間を構えた建物形態とした。

敷地内で家庭菜園をしたり、収穫した野菜を軒下に吊し保存するなど農的な暮らしを実現しつつ、自然に寄り添いながら環境に優しい暮らしを目指しました。

暮らし・景観・つながり 始まりとしての建築

東京都内にあって、未だ都市農業が盛んな地域の景観に溶け込むように、1階は土壁下地焼杉羽目板張り、2階は土壁下地土佐漆喰塗りの真壁、屋根はいぶし銀和瓦葺きとし、シンプルで品のある外観でまとめた。建物の周囲を黒ベンガラ塗りの大和塀で囲い、道路側駐車場は芝緑化ブロックを敷き詰め、落葉高木植栽などの外構工事が、建物周辺の微気候調整向上に効果を上げている。生活の質の満足度と環境負荷低減の実現に向けて、使用する素材は安全で生産エネルギーの少ない地域の自然素材とし、長期的な維持管理を考えて、この国の普遍的な職人技術で建設した。環境と共生するこの住宅が100年という単位で地域に残っていくかどうかは、住み手家族の建物への愛情の深さによって決まる。建て主直営という施工体制と、焼杉製作や塗装工事となどの経験が、今後の住み継ぎの力になっていくことを祈りたい。

広間南側の木製全開建具(外側から雨戸+網戸+ガラス戸+障子の多層構成)
矩形図

2023年11月11日(土)・12日(日)、新潟で開催された「一般社団法人 職人がつくる木の家ネット 第五期総会」の様子をレポートします。



久々の再会で話に花が咲いているようです

久々の再会で話に花が咲いているようです

全国各地より74名(会員以外の方も含む)が参加されました。1日目(11日)は総会・懇親会・分科会、2日目(12日)は新潟ならではの見学ツアーを行いました。時間軸に沿って写真を交えながらご紹介していきます。

1日目

総会

開会挨拶(大江忍代表理事)

「しっかり情報交換をして親睦を深め、2日間楽しんでいきましょう。どうぞよろしくお願いします」


新事務局挨拶(小野山陽子さん)

「この度事務局を務めさせていただくことになりました小野山陽子と申します。前任の中田さんからは以前から「木の家ネットは、日本全国に拡がる、こだわりをもった職人さんの集まり」だと伺っており、素敵な集まりだなと感じておりました。普段は、社会保険労務士として企業の人事制度づくり・採用・研修を担当させていただいたり、キャリアコンサルタントとして学生の進路相談や就職支援を担当させていただいております。木の家ネットでも、皆さんが気持ちよく活動ができるよう、支えていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします」


新入会員自己紹介

四期では新たに6名の方が入会されました。昨年(三期)はオンライン総会だったため、三期と四期の新入会員の方に自己紹介をしていただきました。

小坂 哲平さん(四期入会)
「昨年は都合がつきませんでしたが、今年はぜひ来たいなと思い参加しました。北海道で道産材や土壁など自然素材を使って家づくりをしています。いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
→プロフィールページ


越智 新次さん (五期入会)|愛媛県西条市|左官
「愛媛県西条市で左官業を営んでおります越智新次といいます。木の家ネットに入会させていただいて、少しでも伝統構法や土壁の勉強をさせて、皆さんと繋がりを作っていけたらなと思っています。よろしくお願いします」
プロフィールページ


初参加の2名で記念写真

初参加の2名で記念写真

ぜひプロフィールページをチェックしてみてください。それぞれのWEBサイトやSNSへのリンクもあります。

新入会員の皆さん、どうぞよろしくお願いします。


五期 決算報告・事業報告

大江代表理事より五期の決算報告と事業報告、および六期の事業計画・予算案について説明がありました。


部会報告

部会報告①:見積部会

見積り部会の活動について、金田克彦さん(京都府)(つくり手リスト)から報告がありました。

金田さん「概算見積もりと詳細見積もりが連動した形で、誰がやっても同じにできるような「木の家ネットらしい」木工事の見積もりの作り方を、月一回、ZOOMで考えて続けています。現場での作業と感覚的な数字とを比べながら検証していく段階になってきていますので、本日の分科会ではその報告をさせていただきたいと思っています」

部会報告②:仕口部会

仕口部会の活動について宮内寿和さん(滋賀県)(つくり手リスト)から報告がありました。ゲストとしてドットコーポレーションの平野陽子さんにお越しいただきました。

平野さん「木材利用関係のコンサルタントをしています平野と申します。最近建築基準法の変化の速さを実感されてらっしゃる方も多いかと思います。これは国土交通省が建築基準整備促進事業というものを行なっているからで、実験等を能力のある民間に委託し、それを吸い上げて法整備をしていくという形のものです。そこで木造関係の事業に携わらせていただいています。
しかしながら実際に職人の皆さんがどういうことを考え、どういったものを建てられているのかというのは実はあまり知らないんです。これ以上この事業を進めても齟齬が出てきてしまう。そこで一旦事業自体は止めて、職人の皆さんが今どんなものを建てているのかを見せてもらおうという話が、今年度から始まりました。ぜひご協力いただければと思います。よろしくお願いいたします」

宮内さん「伝統構法をはじめとした木造建築を建てられるようにと、研究者の方々にご尽力いただいていますので、ぜひご協力のほどお願いいたします。
仕口部会自体の活動としてはそろそろ本格的に動いて行こうと考えています。皆さんが仕口や継手に関して疑問に思っていることを挙げてもらって、破壊実験をできるように話を進めています。実際に壊れるところを見て経験を積んでいってもらいたいです。ぜひご参加ください」

部会報告③:マーケティング部会

マーケティング部会の活動について大江代表から報告がありました。

「今年度はホームページの見直しをしようということで話し合いを始めています。木の家ネットという会の発足自体が、我々のような小さな工務店や職人がどうやってネット上で宣伝していこうかというところです。まだまだ存分に機能を活用されていない方もいらっしゃるので、ぜひ活用していってください」

部会報告④:環境部会

環境部会の活動について綾部孝司さん(埼玉県)(つくり手リスト)から五期の活動報告と六期の活動計画について説明がありました。

綾部さん「ご存知の通り、2025年4月には建築基準法が大幅に改正され、4号特例が廃止され新2号と新3号特例に分類されるようになります。建築物省エネ法や他の法律が連動しながら、環境を軸に変わっていく時代になってきているということを認識して、その中で私たちが伝統的なやり方でやっていくにはどういうスタイルが良いのか、議論できる場になればいいと思っています」

各部会に興味のある方は奮ってご参加ください。


セミナー「やさしい石場建ての設計法 〜仕様規定による手法〜」

会員の山中信悟さん(つくり手リスト)に登壇していただき、限界耐力計算や都市計画区域外に建てるといった方法ではなく、仕様規定の範囲内で石場建てを実現する方法について、セミナーが行なわれました。


報告「被災地の山の木で100%ZEB仕様の木造移転社屋の事例」

会員の佐々木文彦さん(宮城県)(つくり手リスト)より、東日本大震災で被災した山の木をつかったZEB(Net Zero Energy Building/ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)仕様の木造建築社屋の事例についての報告がありました。


ギャラリーページの説明

木の家ネットHPのギャラリーページについて、岡野康史さん(コンテンツ・WEB担当)より説明がありました。【ギャラリーページへの作品投稿方法】【ユーザーアカウントの操作方法】など、質問を交えながら進みました。


操作手順はこちらのリンクに載せています。初めて操作される方や、操作に迷われた方はご一読ください。また、木の家ネットのサイト内「会員向けページ」の「会員向けページ操作方法」ボタンからもアクセスできます。


懇親会

総会の後は、皆さんお待ちかねの懇親会。

乾杯の音頭は前代表の加藤長光さん(秋田県)

乾杯の音頭は前代表の加藤長光さん(秋田県)

締めの挨拶は金田克彦さん(京都府)

締めの挨拶は金田克彦さん(京都府)

来年の総会は京都で開催されることが発表されました。


分科会

今年の分科会は【①見積もり】【②仕口】【③マーケティング】【④環境】【⑤やさしい石場建ての設計法セミナー】の5つのテーマに別れて議論を交わしました。


分科会①【見積もり】】


「乾杯からはじめて楽しい会になりました。見積り自体は細かい数字の調整をすればもうすぐ使えるんじゃないかなというところまで来ています。Notionというソフトで日報を入れてデータをまとめるという検証を進めている段階です。参加者のみなさんは積極的に質問したり議論したりといい部会になりました。これからも続けていきたいと思います」(金田さん)


分科会②【仕口】


「過去の実験の写真を見てもらいながら解説をしました。若い大工さんたちに実験にとても興味を持ってもらえました。ぜひ大きい規模の破壊実験を行いたいと思っていますのでよろしくお願いします」(宮内さん)


分科会③【マーケティング】


「Instagramの活用方法についてお話ししました。写真の撮り方、フォロワーの増やし方などについて資料元に説明をしました。その後、自分たちの広告をどうしているかなどの議論を交わしました」(大江さん)


分科会④【環境】


「これからの建築のあり方、環境変化にどう対応するのかいう世界規模の話、またそれを身近な話として自分たちの仕事の中に取り組むことの難しさなど、さまざまな議論が行われました。それぞれの地域に持ち帰り実践していくことが大事ではないかということで締めくくりました」(綾部さん)


分科会⑤【やさしい石場建ての設計法セミナー】

総会でのセミナーに引き続き、山中さんからさらに突っ込んだ話をしていただき、皆さん真剣に耳を傾けていました。


2日目

新潟ならではの見学ツアーに出かけました。

鑿鍛治 田斎(のみかじ たさい)

刃物といえば新潟の燕三条が有名ですよね。今回は伝統工芸士にも選出されている「鑿鍛治 田斎」さんを訪れました。鋼から鑿(のみ)の形にする火を使う工程を見学させていただき、熟練の技と感覚で作り上げていく様子に参加者のみなさんからは感嘆の声が漏れていました。723℃で磁石が付かなくなるという話にはびっくり!




椿寿荘(ちんじゅそう)

田上町指定文化財・豪農 原田巻家の離れ座敷「椿寿荘」を訪れました。幕末には約千三百町歩(約東京ドーム260個分)という広大な土地を持っていたという原田巻家。その離れ座敷は、全国から貴重な銘木を集め贅を凝らし、見事な職人技で作り上げられていました。みなさん職人ならではの視点で細かい部分まで存分に堪能していたようです。





2日間ありがとうございました。

久しぶりに顔を合わせ、意見や情報を交換し、それぞれが刺激に満ちた2日間となりました。

会員の丹羽怜之さん(三重県)(つくり手リスト)から以下の感想をいただきました。

「直接顔を会わせて交流ができ、非常に有意義で楽しい時間を過ごすことができました。
見積部会分科会では、ようやく形になってきた計算方法を実例を交えて説明できたことで理解がしやすくなり、若手・ベテランそれぞれに考え方、地域性など意見が交わされました。手刻み仕事はそれ自体が独自なものになってきているとも感じますが、何が基本的なことで、何が独自性や魅力なのか色々と考える機会となりました。

猛暑のなか訪れた京都。現代的な家々や集合住宅が連なる細い通り。そこにひっそりと佇む一軒の京町家。きっとここに違いないと思い、小走りで入口の前に立つと「中川幸嗣建築設計事務所」という控えめな看板が目に入った。挨拶をして迎え入れていただいた土間では、外とは打って変わって心地よい風がカーテンを揺らしている。
それだけのことですが、きっと今日は中川さんからいい話が聞けそうだと確信した瞬間でした。

中川幸嗣さん(なかがわこうじ・46歳)プロフィール
1977年(昭和52年)生まれ。京都府福知山出身。一級建築士事務所 中川幸嗣建築設計事務所代表。2002年 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、建築設計事務所勤務を経て2014年に独立。京町家を改修し自宅兼事務所としている。過剰さがなく豊かで美しい民家の佇まいに学び、軽やかでしなやかで実のある建築を探っている。京都市文化財マネージャー(建造物)としても活躍中。


海外の街路を見て実感した、日本の民家の魅力

⎯⎯⎯ 福知山(京都)のご出身とのことですが、どんな幼少期を過ごされたのですか?

中川さん(以下敬称略)「実家は大正初期に建てられた町家で、薬屋を営んでいます。福知山は城下町なので親戚や同級生の家も商売をやっている古い家が多かったですね。だから食住一体の生活が自然でした。町家独特の暗さや湿り気、静けさや匂いが今でも印象に残っています。

小さい頃は川の堤防周辺でよく遊んでいました。由良川(ゆらがわ)という川なんですが、昔から幾度となく氾濫していて、福知山はその度に水害に見舞われた街でもあります。そんな歴史の中で、街と川の境に築かれた高く長い堤防がモノリスのような圧倒的な存在として記憶に刻まれています」

⎯⎯⎯ 建築の道に進もうと決めたきっかけや理由を教えてください。

中川「高校2年生の時、自転車競技の練習中に事故に遭い、脳挫傷する大怪我をしてしまいました。幸い命拾いしましたが、自分の人生をきちんと考えるべきだという思いが芽生えました。

その頃、ふと手に取った雑誌「SD : スペースデザイン」の中で特集されていた「ランド・アート(「アース・ワーク」とも呼ばれる)」に惹かれました。それは建築とも彫刻とも造園とも捉えることができるので、美術大学の建築学科に進学しました。幼少期の堤防の記憶が影響しているのかもしれないです」

ランド・アート
ランド・アート (land art)とは、岩、土、木、鉄などの「自然の素材」を用いて砂漠や平原などに作品を構築する美術のジャンル、またはその作品のこと。規模の大きなものは、アース・アート (earth art)、アースワーク (earthworks)などとも呼ばれるが、その区別は厳密ではない。
出展:Wikipedia

学生時代の作品「芸祭ピラミッド」(2000) 大学の芸術祭後の廃材の山に現代社会の縮図を見いだし、大学構内の広場に廃材でできたピラミッドを設置した。躙口があり、中に入ることができる 写真提供:中川さん

学生時代の作品「芸祭ピラミッド」(2000) 大学の芸術祭後の廃材の山に現代社会の縮図を見いだし、大学構内の広場に廃材でできたピラミッドを設置した。躙口があり、中に入ることができる(写真提供:中川さん)

⎯⎯⎯ なるほど。スケールの大きさが確かにリンクする部分がありそうですね。学生時代はどんなことをされていたんですか?

中川「春休みになるとバックパックを背負っていろんな国を旅していました。最初はタイに行って、翌年にインド・ネパールへ。また別の機会にトルコ・シリア・ヨルダン・エジプト。あとはヨーロッパにも行きました。有名建築や観光地を巡るのではなくて、一日中街を歩いたり、鉄道やバスに乗ったり、おじさん達がタバコを燻らす街角のカフェで喫茶したり、庶民的なご飯を食べたり、その土地に暮らす人々の普通の営みを垣間見るのが目的でした」

⎯⎯⎯ 刺激的でしょうね。その行動力はどんな思いから出てきたのでしょうか。

中川「建築を志す人なら一度は読むような本に【人間のための街路】(バーナード・ルドフスキー 著 )という名著があります。自動車のための“道路”ではなく、人間が歩くための“街路”の重要性を説いた本で、とても感銘を受けました。旅先に選んだ異国の古い街を歩いていると、喧騒の傍に、居心地の良い落ち着ける場所があったりと、新・旧や動・静が同居する中に、懐かしさや既視感を感じるんです。

そこで『待てよ。福知山も半世紀程前までは、江戸時代の城下町としての歴史が積み重ねられた、いきいきとした街路空間があって、道に多くの人がいる街だったんじゃないか』と、外の世界を見ることで逆輸入的に自分のルーツにある街や生活文化・民家や伝統建築などの魅力に気付かされたんです。

けれども都市計画は、今考えると重要伝統的建造物群保存地区にもなり得たであろう福知山独自の、水害共存型町家の建ち並ぶ旧街道の約半分を町内ごと潰し、片側二車線の車のための道路にかえてしまいました。街から堤防にあがる魅力的な人間のための階段も、今では刑務所を囲む塀の様になっています。30年以上前、私の少年時代の出来事ですが、なじみのある景観を失ってしまうというのは、取り返しのつかない残念なことで、恨みは根深いものです。


継手・仕口が縮めてくれた、大工さんとの距離

⎯⎯⎯ 建築だけというより、それも含めた街路や街などに興味を持たれていたんですね。

中川「そうです。大学時代にお世話になった先生が二人いらっしゃって、一人は今年亡くなられた相沢韶男(あいざわつぐお)先生。相沢先生は民俗学者の宮本常一先生のお弟子さんで自称「壊さない建築家」。民俗学と文化人類学の講座を受講していました。もう一人は源愛日児(みなもとあいひこ)先生。身体と建築について考察すると同時に、継手・仕口や差鴨居など伝統的な構法の研究もされている方です。

そういった先生方の影響もあり、建築家が建てた建築でもなく、お寺や神社のような伝統建築というわけでもなく、立派なものというより素朴な、市井の人々が建てたような、土から生えてきたような、民家建築に興味を覚えるようになりました」

⎯⎯⎯ 設計の仕事を始められてターニングポイントとなるような出来事はありましたか?

中川「大学卒業後の東京にいた頃、実家の薬局を改装することになり、僕が設計することになったんです。大学を出て間もないので経験も浅く、右も左もわからなかったんですが、地元にある一般建築から社寺建築も手がける工務店に施工をお願いしました。

大工さんと面と向かって対話すること自体もほぼ初めてで、世話役の大工さんは口調も荒く怖かったんです(笑)。でも話してみるとその大工さんは笑顔も素敵で魅力的な方でした。壁のどこに開口部を設けるかという話のときに、高さや大きさ、下地による制約などを考慮しながらも、どうすれば美しいかということをも考えておられて、立場もバックグラウンドも違うけど、デザインするという意識の部分に共通点があったので、大工さんという存在が一気に身近に感じられるようになりました。本当に無知ですよね(笑)。

学生時代に僕が継手・仕口に詳しい源先生から学んでいたこともあって、現場で生の竿車知継ぎに感動していると、他の応援の年配大工さんなんかもいろんな継手や仕口を『こんなの知っとるか?これはどうや?』とたくさん技を披露してくれたんです」

継手・仕口を大工さんに披露してもらった際の写真。「勉強はしていたが、なかなか身近なところで目にすることはなかったので興奮しました」と中川さん

継手・仕口を大工さんに披露してもらった際の写真。「勉強はしていたが、なかなか身近なところで目にすることはなかったので興奮しました」と中川さん

中川薬局改修|福知山市|2005年

左:Before/右:After

左:Before/右:After
玄関右側の出格子パターンは街にある意匠をサンプリングしてきたもの。ベンガラはご自身で塗ったとのこと
上記3点写真提供:中川さん

室内、縁側、庭が絡み合い、豊かな空間が生まれる。軒内の三和土は敷地内の土を振るって自ら叩き直した。

室内、縁側、庭が絡み合い、豊かな空間が生まれる。軒内の三和土は敷地内の土を振るって自ら叩き直した

歴史に学び、建物に寄り添う

⎯⎯⎯ 中川さんが設計される際に大切にしていることを教えてください。

中川「特に民家のような建築の場合、自分の閃きや思いつきなんかで一朝一夕に建てられるものではありません。先人たちによって幾度もの実証実験を経るなかで育まれてきた建築のかたちです。地域ごとに方言があるように、建築のかたちも多様なはずです。設計を始める前に、まずはその土地において建てられてきた伝統的な民家について知ることから始めます」

⎯⎯⎯ 新築する場合も伝統的な民家について知ることから始めるんですか?

中川「その通りです。その土地ごとの生活の営みから導き出された建物のかたちや、その土地で昔から好まれてきた材料、さらには文化的な特色や風習などと現代生活との関連性を探ります。懐古的に昔を再現するつもりはありませんが、地域によっては今も鬼門などに敏感な場合もあります。

少し大袈裟かもしれませんが、歴史に学ぶ工程は、それぞれの土地に対する礼儀であると同時に、型を知ることで型を破ることにもつながり、新たにデザインする上での拠り所にもなると思います。

そのような下地づくりともいえる工程を経て、現在の目線で、建物を建てる敷地の周辺環境との関係や施主の要望、安全かつ快適に暮らせる家に必要な性能などを盛り込み計画していきます。そこからが本題なんですがね。

美味しいお味噌汁を作るために、きちんと出汁をひいた上で具を入れていくような感じです(笑)」

⎯⎯⎯ なるほど。では古い建物を改修する際はいかがでしょうか?

中川「改修する建物が町家や農家の建物のような伝統的な民家の場合、今まで残されてきたことを尊重し、無理な間取りの変更は極力避け、その建物の特徴を損なわないような計画を心がけています。

もちろん昔と今とでは生活様式も大きく変わっています。例えば屎尿を汲み取りするために必要だった町家の通り土間(トオリニワ)は今となっては必要ありません。しかしながら、内と外を繋ぐ家の中の道のような土間空間は、下水が普及した今もなお、建物内外の行き来が盛んになる便利で魅力的な町家の要素でもあります。

暑さ寒さとの付き合い方も、生活様式や生活環境の変化、気候変動により昔と今とでは変わらざるを得ませんが、伝統的な土壁に、断熱や遮熱などの現代的な工法を適切に施すことによって、高性能な建物にもなり得ます。

目隠しの簾戸越しに心地よい風が吹き抜ける。窓の寒さ対策として二重窓にしている

目隠しの簾戸越しに心地よい風が吹き抜ける。窓の寒さ対策として二重窓にしている

古い建物を無くしてしまったり大きく変えてしまう前に、その建物を如何に住みこなすか、建物に寄り添うようなつもりでその建物の持ち味を活かし、将来につなげることを考えます。その上で変えることが必要な場合は、相応しい変え方を探ります」

⎯⎯⎯ 納得です。今ご自宅兼事務所にされているこの京町家についても教えていただけますか?

中川「織屋建という西陣地域ならではの架構形式を持つ、工場と住まいが一体となった町家です。敷地は間口に対して奥行きが深く、主屋と離れの間に庭があります。かつては一般的だった織屋建の町家も、今では町内にここ一軒を残すのみとなってしまいました。通りに面してそれぞれの町家が建ち並ぶことでお互いの強度を連担していたので、短辺方向の壁が元々ほとんどないんです。明治初期あるいは幕末くらいに建てられたであろう庶民的な町家ということもあり、梁も華奢で仕口も怪しく脆弱そのもの。できる限り荒壁や柱を増やして強度を上げています」

高さを抑えた表構えは建築年代の古さを表わす要素の一つ。腰に使われる花崗岩は北木石、昭和初期頃の流行。

高さを抑えた表構えは建築年代の古さを表わす要素の一つ。腰に使われる花崗岩は北木石、昭和初期頃の流行

⎯⎯⎯ 他に大切にしていることはありますか?

中川「庭屋一如(ていおくいちにょ)と言われるように、特に都市部の生活環境において、庭は大切だと強く感じています。身近な材料で丁寧に作られた家と、心地の良い庭とは切っても切り離せません。庭は見るだけでなく、草むしりをしたり落ち葉を拾ったりと、毎日少しだけでも実際に触れることができると、随分生活の質が上がります。

家は雨風や暑さ寒さ、社会や人間関係から身を守ったり、大切なものをしまっておくシェルターとしての役割があるのと同時に、庭を持つことで季節の移りかわりを感じ、内にいながらも意識は外に広がります」

ここで、中川さんの設計事例をご紹介します。


中筋の家 (自宅兼事務所)改修|京都市|2023年

建築当初は工場だった吹抜け空間には低い天井が張られ、床の間のある座敷となっていた。今回の改修工事の際に天井の吹抜けを再現し、開放感のある板張りのリビングルームとしている。庭を囲む縁側や渡廊下、外腰掛など内と外の間の空間が実はとても重要。

「庭も作庭から数年を経て、樹々が根を張り幹も少しづつ太くなっています。苔も成長して庭石と絡みだしたり、ミミズも増えて土中環境も良くなったりと、庭の魅力は日々増しつつあります。無駄に思えるかもしれない渡廊下なども、気持ちを繋いでくれることに気づかされました」(中川さん)

写真左奥に床の間があった。書院窓のついていた壁は塞いで耐力壁としているが、床の間の名残が感じられる

写真左奥に床の間があった。書院窓のついていた壁は塞いで耐力壁としているが、床の間の名残が感じられる

左:壁の向こうはハシリニワと呼ばれる土間の台所空間/右:主屋の旧床間部材を転用した離座敷。雛祭りのしつらえ

左:壁の向こうはハシリニワと呼ばれる土間の台所空間
右:主屋の旧床間部材を転用した離座敷。雛祭りのしつらえ

左:皮を剥いただけの野趣ある華奢な古い梁/右:入口を入ってすぐのオモテノマでは奥様が作業中

左:皮を剥いただけの野趣ある華奢な古い梁
右:入口を入ってすぐのオモテノマでは奥様が作業中

庭の石は元々この場所で使われていたものや、土中に埋まっていたものを活用している

庭の石は元々この場所で使われていたものや、土中に埋まっていたものを活用している

中塗仕舞いの土壁に、和紙貼りの控えめな看板

中塗仕舞いの土壁に、和紙貼りの控えめな看板


西院の家|京都市|2016年

床面積20坪(ロフト別)の小規模な新築物件だが、大工・左官・建具職人達のこだわりが詰まっている。施工は木の家ネット会員でもある大髙建築の高橋憲人さん(つくり手リスト)が担当している。

「初めて設計した竹小舞と荒壁下地による新築住宅です。今日一般的に使われている石膏ボード屑などの産業廃棄物がほとんど出ない現場で、その健全さと気持ちのよさを身をもって体験しました。荒壁は粘り強い壁になるだけでなく防火的にも優れているし、調湿性、蓄熱性や遮音性にも優れています。再利用しやすくゴミになりません。理想的ではないですか?荒壁は文化財のためだけのものではありません。外観は今も町家がちらほらと残っている通りの景観を整えることを意識して設計しました」(中川さん)

左:張り出した格子の中は寝室のベランダになっている/右:旧来の街並みを無視せず呼応する様にしている

左:張り出した格子の中は寝室のベランダになっている
右:旧来の街並みを無視せず呼応する様にしている

左:ベランダを支える通し腕木と呼ばれる桔木(はねぎ)/右:竹小舞の下地、荒壁は各工程において美しい

左:ベランダを支える通し腕木と呼ばれる桔木(はねぎ)
右:竹小舞の下地、荒壁は各工程において美しい
上記4点写真提供:中川さん


追分山荘|軽井沢|2014年

広い敷地に高さを抑えた軒の深い屋根を掛け、眺望の良い東側に設けた縁側と観月の露台で内と外の境目の空間を満喫できるようになっている。ほとんどの窓は軽やかな明かり障子と高性能木製サッシの二重構造となっており、マイナス15度にもなる厳しい冬に備えている。

「冬の朝、布団の中が寒いとなかなか起きることができませんが、暖かい布団からはパッと起きることができまよね。冬の半屋外も楽しむことができるよう、家の中がきちんと暖かくなるようにしています」(中川さん)



上記6点写真提供:中川さん


⎯⎯⎯ 最後に、家づくりに対する想いとこれからの展望を教えてください。

中川「この質問、悩みますね(笑)。家づくりにはいろんな人が関わります。使う材料や工法の選び方ひとつで、それを生業にしている職人さんたちにも大きな影響を与えます。ちょうど『投票』に近い感覚かもしれません。

例えば荒壁。荒壁下地の土壁は素晴らしいポテンシャルを持っています。だけど目の前の予算の都合だけで選択肢から外されてしまうと、いざ使いたい場面が訪れた時に、材料や職人さんが見つけづらくなっていたり、コストがさらに掛かってしまったりと、どんどん採用しづらい状況に追い込まれてしまいます。そうならないためには、本当に価値あるもの・価値ある技術に日頃から『確かな投票』をしていくことが大切だと考えています。

『器』に例えるなら、いい器は仕舞い込んでおくんじゃなくて、丁寧に大切に普段使いしてあげる。欠けたら金継ぎして永く使う。そうすると日々の生活がとても豊かになりますよね。そんな考え方です。

手間暇のかかる伝統的な木造建築は30年で建て替えるようなものではありません。イニシャルコストが多く掛かったとしても、手入れをしながら何世代にも渡って暮らすことが前提です。そして、後世の人が見た時にその良さが評価されれば、さらに後世へと受け継がれていきます。逆に、後世の人に『寒いし、不便だし、かっこ悪い、ダメだこりゃ』と思われたら、いくら材料や技術が素晴らしくても叩き潰されてしまいます。そうならないために、長く愛されるだけの意匠や性能が求められます。建築士の責任は重大です」


「建物」という観点からさらに視野を拡げ、街並み、街路空間、過去・現在・未来をつなぐ家づくりを等身大で実践している中川さん。現代社会が抱えるさまざまな問題を解決する糸口が、そこにあるように感じた。


一級建築士事務所 中川幸嗣建築設計事務所 中川幸嗣さん(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

尋常ではない猛暑に誰もが音を上げた今年の夏。その終わりかけのタイミングで、環境問題に向き合い続け、省資源の家づくりに取り組む金田正夫さんのお話に触れるのは、私たちにとって意味深いことだと感じます。環境問題のお話は深刻だけれど、金田さんが提案する対策法、その一つである自然と正面から向き合う家は、質素でストイックではなく、柔軟で人懐っこい! その印象は金田さんのお人柄そのものです。

金田正夫(かねだまさお・74歳)さんプロフィール
1973年、工学院大学建築学科卒業、同年図師建築建築研究所入社 。74年に都市建築計画センター入社 。83年に独立し、一級建築士事務所 金田建築設計事務所開設 。2011年、法政大学大学院工学研究科建設工学専攻博士課程修了博士号取得。建築士として活躍するほか法政大学非常勤講師を務め、現在も大妻女子大学で環境問題と建築に関する講座を担当。著書に『春夏秋冬のある暮らし─機械や工業材料に頼らない住まいの環境づくり─』(風土社)がある。

今回の取材は、東京は代官山にあるオフィスで。打ち合わせ用のテーブルは木戸と背の低い箪笥を合わせたもの。「椅子も捨てられそうになっていたものを、いただいて利用しています」。撮影/小林佑実

今回の取材は、東京は代官山にあるオフィスで。打ち合わせ用のテーブルは木戸と背の低い箪笥を合わせたもの。「椅子も捨てられそうになっていたものを、いただいて利用しています」。撮影/小林佑実

土間+ガラス戸で、住宅街の通りに対してオープンな印象。「ギャラリーとしても使っているスペースなんです。行き交う人が覗き込んで、ふと目が合うのも楽しいですよね」。撮影/金田正夫

土間+ガラス戸で、住宅街の通りに対してオープンな印象。「ギャラリーとしても使っているスペースなんです。行き交う人が覗き込んで、ふと目が合うのも楽しいですよね」。撮影/金田正夫

地球環境を守ることは
最大のミッションです

⎯⎯⎯ 自然素材の家づくりに取り組むようになったきっかけから伺えますか?

金田さん(以下、敬称略)「地球環境のことが私の根幹というか土台になっています。そこからお話ししてもいいですか?」

⎯⎯⎯ もちろんです!

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