密集市街地に「市中の山居」を建てる

建設地は、神奈川県の中央を南北に流れる相模川東側の相模台地に位置し、西側には丹沢山系を間近に眺めることができる。奈良時代には相模地方の中心地として国分寺・国分尼寺が建てられ、明治以降は絹産業運搬の交通の要所として鉄道が引かれ、現在は首都圏の近郊住宅街として宅地化が進んでいる。

一般的に自然素材を活かした開放的な家は、敷地に余裕がある郊外宅地や田園風景が広がる地域に似合っていると考えられがちである。確かに、四方を建物で囲まれている今回敷地の様に、準防火地域に指定されている密集市街地での計画には、法令上も工事の施工面でも制約が多い。しかし、だからこそ街中の雑踏を忘れ、四季の変化を身近に感じながらの暮らしに人は魅かれるのであろう。

目指したのは、茶室の露地空間のようなひっそりとした小庭を備えた「市中の山居」である。旗状露地を歩きながら季節を感じ、建物内に入れば喧噪とは別世界の静寂な室内に身を置くことができる家。和瓦葺き屋根・化粧野地現し・漆喰塗り真壁・焼杉羽目板張りの建物を、黒塀の庭が囲む計画となった。近年の土壁や無垢板の防火性能は研究成果により、このような密集地でも実現可能となっている。

上空から見た建物の屋根形と敷地(右上…鉄平石舗装の露地 右下…黒塀で囲まれた坪庭)

建物南西側外観

建物無南西側の外観 外壁は27mm厚焼杉板張と土佐漆喰塗り。竣工後1年経過し、黒塀に囲まれた植栽が成長してきた。

気候風土に応じた計画は綿密な調査から始まる

気候風土に適応した住宅とは、計画地に特有の気象条件や周囲の環境に合わせて計画された建物を指す。一年を通じての風向き、太陽高度、気温と湿度の変化を蓄積された情報から読み取り、敷地の状況に応じ、無理のない生活を続けられるように条件を探り出すことから設計を始めた。

年間を通じ南からの風が吹く比較的温暖な地域であるが、周囲に建物が立ち並んでいる為、南北隣地の空地からの夏の通風と冬の直射光導入を考えた。幸い狙い通りの効果があり、密集地内にも関わらず風通しも良く、冬の日中は日当たりで気持ちよく開放的な生活が続けられている。

【左】建物位置と周囲の関係配置図 通風と採光の効率を上げるために建物形態と窓の位置を慎重に決める
【右】太陽高度や風の流れを示した断面図 敷地が狭い場合、深い軒の出が難しい場合、簾や葦簀を活用して日射遮蔽を行う

室内環境を示す温度変化グラフ

外気温と室内温度と差、各部屋ごとの温度差などを見ることは、ほどほどに快適でエネルギーを無駄に使い過ぎない生活に繋がる

【左】年間を通じて1階2階の計4ケ所に設置した記録計は、比較的小規模なこの家ではどこの部屋も同じ室温で維持されていることを示している。
【右】冬の晴れた日は日中室温があがるので、エアコンは朝と夜の稼働で済んでいることがわかる。

聞けば九州男児で大工の棟梁。きっと頑固一徹、強面で言葉は厳しいにちがいない……
そんな想像をしつつお会いした小山武志棟梁は穏やかで丁寧で柔らかい印象でした。
「いえいえ頑固ですよ。頑固だなぁって人からも言われます」と穏和な笑顔の小山さん。
かつて金の卵と呼ばれ、上京し日本の発展の歴史を肌に感じながら、
木と土の日本の伝統家屋づくりに頑固に向き合ってきた小山さんのお話を伺いました。

小山武志さん(こやまたけし 78歳)プロフィール
昭和19年、長崎県平戸市生まれ。高校卒業後に上京し、ビル建設の仕事に就く。つくる喜びを味わいたいと考え、大工の世界に飛び込む。4人の棟梁の元で職人の心構えと技術を学んだ後、25歳で独立。横浜で工務店を開業。主に隣接する鎌倉市で仕事をする。数寄屋建築を得意とし、木と土による日本の伝統的な建築法を受け継いだ家づくりを手掛ける。時代とともに伝統工法の仕事は激減するが、70代を迎え、もう一度原点の木と土の本物にこだわった家づくりに専心しようと亀屋工務店と社名を改める。令和元年、東京都調布市に移転。古民家再生を中心に職人仕事が光る家をつくり続ける。

亀屋工務店の応接室。もちろん小山さんの仕事。完成した部屋に自作の机とアンティーク家具を合わせて、落ち着いた和モダンの雰囲気が素敵です。

亀屋工務店の応接室。もちろん小山さんの仕事。完成した部屋に自作の机とアンティーク家具を合わせて、落ち着いた和モダンの雰囲気が素敵です。

上部がアールになっていた出入口にベニヤの突板のフラッシュ戸だったものを、引き戸に改修。「引き戸は空間が十分に使えて狭い日本家屋には最適」。市松模様の硝子が使われている時代物の蔵戸を入れました。

上部がアールになっていた出入口にベニヤの突板のフラッシュ戸だったものを、引き戸に改修。「引き戸は空間が十分に使えて狭い日本家屋には最適」。市松模様の硝子が使われている時代物の蔵戸を入れました。

左:聚楽壁に取り付けてあるコンセントのカバーは、聚楽色と呼ばれる物。「大正時代に日本家屋のための電球ソケットから商売を始めたパナソニック(旧松下電器器具製作所)の商品です」 右:作業はできるだけ一人で行う。「自分のペースで自分の納得のいく仕事をしたい。そろそろそれが許される年齢になったと思っています」

左:聚楽壁に取り付けてあるコンセントのカバーは、聚楽色と呼ばれる物。「大正時代に日本家屋のための電球ソケットから商売を始めたパナソニック(旧松下電器器具製作所)の商品です」 右:作業はできるだけ一人で行う。「自分のペースで自分の納得のいく仕事をしたい。そろそろそれが許される年齢になったと思っています」


大工泣かせの松を雌松と呼ぶ
その粋なこと!

⎯⎯⎯ 素敵な応接室ですね。床板の木目が一つひとつ個性的で、土壁はうっすら緑がかっていて素朴で優しくて。

小山「いい風合いでしょう? これはね、聚楽壁(じゅらくかべ)といいましてね。京都の聚楽という地域の土を使っています。豊臣秀吉がたいそう好んだもので、自身の邸宅である聚楽第の壁にも使わせていましてね、独特な優しい色合いから、聚楽色という色の名称のもとになっているんです。
今は土を使用せず、風合いを再現する化学的な素材が色々入っているだけの聚楽壁という商品名が付けられているものもあります。本物はね、昔ながらものですから手間がかかりますし、材料費だけで30倍もかかる。それでも、見た目の味わいがいいだけでなく、本物の土の壁は、室内の湿度を調整し臭いを吸着して、防音性や耐火性といった機能があるといわれています」

⎯⎯⎯ 木の目の強い印象と絶妙なバランスですね!

小山「床はね、赤松と黒松のいい板が手に入ったので、半々で使っています。目が強いイメージの部分が赤松で、柔らかいイメージなのが黒松です。ちなみに、別名で赤松が雌松(メマツ)、黒松が雄松(オマツ)といいます」

赤松と黒松を使用した床。「いい板ですが、かなりの反りと捩じれがあり削るのに苦労ました」

赤松と黒松を使用した床。「いい板ですが、かなりの反りと捩じれがあり削るのに苦労ました」

⎯⎯⎯ 強い方が雌で、柔らかいイメージが雄なんですね。逆だと思いました。

小山「赤松の木肌は赤みがあり、立ち姿は曲がりくねって柔らかいので雌松。でも取り扱ってみると、まあ本当に大変。そのあたりも女の人と一緒かな?(笑)
そしてね、この黒くて木の目が目立つ部分が、やに松と呼ばれているんですが、かなり油っこい部分なんです。それほど多くないので、重宝されています。
松はね、緑色っぽい部分もあるんですが、それは乾燥させてる間にできるカビの色で、悪さはせずにただの紋様になってくれるので、また味わいがありますね」


応接室の天井。檜葉(ひば)を手仕事で加工して格縁(ごうぶち)をつくりました。 板は秋田杉。「この木目の次はこれかな?と楽しみながらはめ込んでいきました」

応接室の天井。檜葉(ひば)を手仕事で加工して格縁(ごうぶち)をつくりました。 板は秋田杉。「この木目の次はこれかな?と楽しみながらはめ込んでいきました」

左:「日本家屋は、3尺、6尺、9尺、12尺という寸法でつくるのが基本でね、木材の切れ端も3尺なければ処分していたのですが、最近はそれより短くても惜しくて」 奥様の幸子さんと。 右:背割りの説明のために見せてくださったお手製のペン立て。

左:「日本家屋は、3尺、6尺、9尺、12尺という寸法でつくるのが基本でね、木材の切れ端も3尺なければ処分していたのですが、最近はそれより短くても惜しくて」 奥様の幸子さんと。 右:背割りの説明のために見せてくださったお手製のペン立て。


われわれ大工の仕事は
100点以外は失格

⎯⎯⎯ 木や土の性質や歴史のことなど知識の幅が広いですね。大工さんはどれだけ学ばなくてはなれないのかと気が遠くなりそうです。

小山「建築は難しい仕事です。その中でも大工は一番大変じゃないかと自負しています。まず差金を使って勾配などを計算しないといけない。ノコギリとノミを使いこなして、穴やほぞを寸分のちがいもなく作らないと、100年持つ家にはならないんです。ある名のある宮大工が言っています。『学校の成績は70点80点で褒められる。だけど大工の仕事は100点以外は失格。100点の家でないと長持ちしない』と。

そしてその方は、『日光東照宮は建築物ではなく工芸品だ』ともおっしゃっています。煌びやかに見えてもつくりがよくないので、たかだか江戸時代のものなのにすでに4回も解体修復をしているではないかと。木造建築なのだから仕方ないと思われるかもしれませんが、奈良の法隆寺の五重塔の解体修復は一回だけです。部分的な修理はしていますが解体修復は1300年間していませんでした。つくり方によってこれだけの差があるんです」

⎯⎯⎯ そのちがいは、どこから生じるのでしょうか?

小山「木も育った場所によってクセがちがいますから、木のクセを見抜いて適した使い方をしないといけません。そうは言っても私にもできません。なぜなら、昔の大工は山に行って生えている環境も見て、木材として買い付けしたんですが、私の時代にはそれをやっていないのです。
山の中の南斜面で日がよくさす場所なら、くせが強く扱いにくいですが強度があり、北側の木はまっすぐ美しく伸びていて目も綺麗ですが、強度はない。強度がないものは飾る部分などに使われます。他にも風や湿気のある地面かなどを見る必要があると言われています。そして大事なのはつくり手が100点を取れる大工であることです。
そして、いつ伐採したのか。大木は別ですが、最低でも3年は乾燥させる必要があるので年数もですが季節も重要。木を切っていいのは一年間のうち30日間くらい。ちなみに竹は3日間くらいです。それ以外の時期に切ると虫が湧いてしまいます。こういうことは知らない人は多いと思います。

木は、乾燥するほど硬くなって道具受けしませんから、大工は苦労します。でも、乾燥が甘い木材を使えば、2〜3年で木が細り割れが生じて建物にガタがき始めるんです。乾燥年数が経っていても割れることはある、木とは本来割れるものですから。
その前提で『背割り』を入れます、隠れる部分に。細い長方形のような切れ込みを入れますが、時間が経つと扇型に開いていきます。つまり引っ張る力が働いて、思わぬ部分に割れが生じるのを防ぐ技術の1つが背割りということです」


左:残った土壁の材料を瓶に入れて、お客様に工程の説明や素材選びに使用する小山さん。自作の秋田杉一枚板の漆塗り机で。 右:小山さんが若い頃、実際に使っていた鶴と亀の彫り物がある墨壺。

左:残った土壁の材料を瓶に入れて、お客様に工程の説明や素材選びに使用する小山さん。自作の秋田杉一枚板の漆塗り机で。 右:小山さんが若い頃、実際に使っていた鶴と亀の彫り物がある墨壺。

初めての家づくりは
「できない」と言えず死に物狂い

⎯⎯⎯ 自分は大工になる、と思われたきっかけは?

小山「物づくりは子どもの頃から好きでした。ベーゴマなんて自分でつくっていましたよ。よ。父親が鍛冶屋だったので、金属部分をつくってもらってね。でも、大工になりたいと思ったことは一度もなかったです。大工になったのは親の勧めでね。平戸では就職先がなかったので、都会に出るしかありませんでした。当時の言葉ですが金の卵と国が煽ってね、東京に出てビルの建築現場の仕事をしました。
そこにはつくる喜びがなくて、すぐに辞めたくなりました。しばらく我慢して、次は家をつくる工務店に大工として入ったのですが、いきなり『この家をやってくれ』って言われてしまって。二階建ての家でね。大工として入った手前、できないとは言えなくて死に物狂いで初めての家づくりをしたんです。
道具使いはそれなりにできていましたが、墨付けなんてやったことがなくて。ビルの仕事をしていた時の先輩がやっていたのを見たことはあったので、真似して何とかしました。まあ、職人というのは、技を見て盗むのが基本ですから、特別なことではありません。
無事につくり終えた時に自信がついて、大工でやって行こうかなと思いました。22歳になった頃でしたね」

⎯⎯⎯ 昭和40年代の初めの頃ですね。使われていたのは自然の素材だけですか?

小山「押し入れにベニヤ板を使って節約してくれと言われたりはしていましたが、基本的には無垢でした。壁は土でしたよ。私が30歳になった頃にはもうラスボードという石膏ボードに樹脂を塗る壁の素材が出まわっていて、安価で扱いが楽ですからね、あっという間に土壁を追いやってしまいました。土壁の土台となる“木舞(こまい)”を掻くか木舞屋さんが少なくなって、昭和55年くらいだったかな、横浜で1軒しかなくなって、最後に一緒に仕事をしたのが、確かその年でした。
予算という問題は大きいですから、お施主さんからラスボードを使ってくれと頼まれたら断れません。流れには逆らえなかったですね。しかもその流れは凄まじく早くて、左官屋さんはどんどん廃業しましてね。やりにくい時代になりましたけど、生き残らなくてはいけないですし、可能な範囲で納得できる仕事をしていました」

⎯⎯⎯ 予算の問題は簡単ではないですよね。

小山「昔だって土壁は安く手軽ではなかったですから、木舞を掻いて粗壁を塗ったら、しばらくそのままという家は少なくなかった。土は暖かいですからね。それでお金ができたら仕上げの土壁を塗るんです。今のように銀行でお金を借りて家を建てるという時代ではないし、お施主さんは『仕上げは待ってね』という感じで大工と相談しながら少しづつ工事をしました。
昔は、毎朝大工が現場に行くと毎日お施主さんが空茶(からちゃ)を出してくれました。そこで雑談をしたり打ち合わせをしたりしていたので、今よりお施主さんとのコミュニケーションがとりやすかったですね。
空茶を頂いたあと、今日は気分が乗らない、何となく集中できない、という日があります。虫の知らせというか嫌な予感がする時は、空茶を飲んで帰ることがありました。それで大工は偏屈だと言われるんでしょうね。
でも実は偏屈でも何でもない。気分が乗らないのに無理して仕事をすると失敗する。集中できない時はいい仕事ができません。ここぞという時は気合も必要です。やりそこなうと、材料を無駄にし手間も数倍かかる。だから、潔く休むのです。非常に合理的なんだけど、今の時代ではなかなか許されないでしょうね」


「伝統工法では柱に貫(ぬき)を通します。貫は大きな変形性能を持っていて、揺れのエネルギーを吸収する柔構造の土壁と併用することで、大きな水平体力を持ち強度を保ちます。倒壊をまぬがれれば修復・継続使用が可能です。これに対して筋ちがいは剛構造。柱間に斜めに取付け、つっぱって動かないことで揺れに抵抗します。剛構造はエネルギーを逃したり吸収したりしないので、大きな揺れに抵抗できず、耐えられなくなると、木が割れたり折れたりしてして損壊します」

「伝統工法では柱に貫(ぬき)を通します。貫は大きな変形性能を持っていて、揺れのエネルギーを吸収する柔構造の土壁と併用することで、大きな水平体力を持ち強度を保ちます。倒壊をまぬがれれば修復・継続使用が可能です。これに対して筋ちがいは剛構造。柱間に斜めに取付け、つっぱって動かないことで揺れに抵抗します。剛構造はエネルギーを逃したり吸収したりしないので、大きな揺れに抵抗できず、耐えられなくなると、木が割れたり折れたりしてして損壊します」

「木は柔らかく金属は固いため、金属が木を傷めます。 伝統工法でも和釘という釘を使いますが、木を傷めないよう時間をかけて釘道(くぎみち)をつくり、そこに打ち込みます。これも強度を保つ伝統技術です」

「木は柔らかく金属は固いため、金属が木を傷めます。 伝統工法でも和釘という釘を使いますが、木を傷めないよう時間をかけて釘道(くぎみち)をつくり、そこに打ち込みます。これも強度を保つ伝統技術です」

柱にある貫の穴には隙間があります。ここに木の楔(くさび)を打ち込んで貫(ぬき)を固定。もちろん楔も一つひとつ加工しています。

柱にある貫の穴には隙間があります。ここに木の楔(くさび)を打ち込んで貫(ぬき)を固定。もちろん楔も一つひとつ加工しています。

“型“とは長い歴史の中で
生まれ完成されたもの

⎯⎯⎯ 強い信頼関係があったのですね。

小山「私は話すのが好きということもあって、顔合わせや打ち合わせはじっくり時間をかけます。どのようなお住まいにされたいかご希望は伺いますが、そのうえで、引けないところは引けない、『これはできない。ダメなものはダメ』ということをはっきりお伝えします。純和風、特に数寄屋建築は型が崩せないので、お施主さんの言いなりでつくってはダメ。型というものは、なんとなくできたものではなく、長い歴史の中で生まれた完成された形ですから、それをあちこち崩すと暮らすうちに使いにくさが出てきたり、傷む場所が出てきたり、お施主さんご自身が嫌気がさしてしまうんです。

昔、大阪に平田雅也という数寄屋建築で有名な大工がいました。その方の逸話をひとつお話しましょう。今住んでいる家が気に入らないから家を建て直したいので、見に来て欲しいという依頼があって、家を見に行った時のこと。家を見て、その場に居合わせた出入りの大工に向かって言った言葉が『わしゃ、施主の言いなりになる大工は大嫌いじゃ。お施主さんは建築のことは素人なんだ。その素人の言うことを聞き入れて家をつくってもいい家にはならない』そしてお施主さんに言った言葉が『私に頼みたいなら全て私に任せてくれ』。
この方が弟子の時代の5年間にやったことは鉋(かんな)かけだけ。でも、その鉋の技術は超一流です。そこから名のある大工のもとを転々と勤めてあらゆる技術を学んだ方でしてね。だから、えらい、いばっていいということではないですよ。自己流の家を建てさせるということは、職人の技術と知識と経験を崩されるわけですから、わざわざ完璧な家をつくらせないようにしている、こういうことになるんです」

⎯⎯⎯ お互いに損ですね。

小山「そもそも茶道のことを数寄といい、住まいであって茶会も出来る住宅を数寄屋造りといいます。茶道には数々の作法がありますから、それがスムーズにできる空間に仕上げないといけない。基本の茶室の型に生活の場を合わせているわけですから、廊下や手洗い戸の位置、デタラメにつくろうものなら非常に使いにくいのです。

近年は、体が不自由になった時のためにバリアフリーにしたいというご依頼も多いですね。家の中で車椅子を使うといった状況なら仕方がないのですが、日本建築では板の間と畳の間の段差が3㎝と決まっています。大工は昔から口伝でね『段差は一寸(3㎝)、中途半端に変えるなよ』と教えられているんです。それを2㎝とか1㎝にすると不思議とつまずくんです。理由までは教わりません。でもね、つい最近、科学的に3㎝以上の高さがあれば脳は段差を段差と意識して、足を上げるように指令を出すということがわかってきたそうなんです」

⎯⎯⎯ お年寄りが転んだ時「何もないのにつまずいた」とよく聞きます。大工さんの口伝には何か根拠があるのですね。

小山「段差ひとつとっても、頑固者と嫌がられても守らなくてはいけないものがあるんです。それは何より安全に暮らすために。本物の素材、本物の型、大工の真心でつくられた家はね、派手さはなくても安心して落ち着いて暮らせるものですし、見飽きません。障子の格子も決まった尺でつくるのですが、その尺に決まった理由があって、そこに見飽きない法則があるように感じます。
そして、そういう家では掃除や手入れも、大切なものを愛でる気持ちがわいて、合理的に時間を使うのとはちがう豊かさが感じられます。雨戸の開け閉めも乱暴にしていては、すぐに傷んでしまうので丁寧に扱う必要がありますが、暮らしの一つひとつを丁寧にすることで、生活をしている生きているんだという実感が生まれるのです」


家はつくって
終わりではない

⎯⎯⎯ 大切に手入れされてきた古民家が失われるのは惜しいです。

小山「古民家の再生となるとね、始めてみないとどこまで壊してつくり直すのか、そのまま使えるところがどこまであるのかわかりませんから、見積もりも出せないんです。できるだけお金がかからないようにと思っていますが、お施主さんも心配でしょうし、正直こちらも心配ないと言えば嘘になります。だから、とくに信頼関係が大切です。

最近、古民家の再生が1軒終わりましてね(Y氏邸)。お施主さんは若いご夫婦。奥さんが古民家が大好きな方で、最初にお会いした時に開口一番言われた言葉は『外は古民家、でも中は新建材を使った現代風の家では嫌なんです』でした。
雨漏りもしていたしかなり傷んでいる家でしたが、ご夫婦の熱い想いに後押しされ、工事をお引き受けしました。ご希望に沿って、新建材を使う現代風な直し方はしないで、自然素材にこだわり古い形にこだわり本物にこだわって施工しました。既存の古いものを極力残しながら、木材は全て無垢。壁は土壁。サッシは全て撤去して建具は全て木製に入れ替え、築当時の姿が蘇りました。
なにより嬉しかったのはお施主さんがとても喜ばれたことです。出来上がった時だけではなく、この家に引っ越されて2年になりますが、今もこの家を大切に思い、この家での暮らしを楽しまれているご様子です。
家は引き渡して終わりになるわけではなく、その後が肝心です。この工事はかなり大変だったんですが、自分がつくったものをお施主さんが暮らしの中で喜ばれている姿をみると、『つくってよかったなぁ』と苦労も吹き飛びます」

以下7点の写真は“Y氏邸“のもの。六畳と八畳の座敷がつながっていて、襖を開くとひと続きに。こちらは六畳の窓辺 肘掛け窓と縁側。

以下7点の写真は“Y氏邸“のもの。六畳と八畳の座敷がつながっていて、襖を開くとひと続きに。こちらは六畳の窓辺 肘掛け窓と縁側。

左:NPO法人 日本民家再生協会の「民家再生奨励賞」を受賞。外壁は洋間を除いて日本下見張り (にほんしたみばり)。雨仕舞がよく木材が腐りにくいので長持ちする日本に古くからある工法。 右:玄関を上がると次の間。お客様をお迎えする二畳の部屋で、ゆとりを感じさせてくれます。

左:NPO法人 日本民家再生協会の「民家再生奨励賞」を受賞。外壁は洋間を除いて日本下見張り (にほんしたみばり)。雨仕舞がよく木材が腐りにくいので長持ちする日本に古くからある工法。 右:玄関を上がると次の間。お客様をお迎えする二畳の部屋で、ゆとりを感じさせてくれます。

左:理雨戸が多い家なので、雨戸を収める戸袋にも昔からの工夫が。「家の内側に戸繰り窓という小窓が付いています」 右:戸繰り窓。「この窓に手を入れて、雨戸の桟(さん)をつかんで出し入れします」

左:理雨戸が多い家なので、雨戸を収める戸袋にも昔からの工夫が。「家の内側に戸繰り窓という小窓が付いています」 右:戸繰り窓。「この窓に手を入れて、雨戸の桟(さん)をつかんで出し入れします」

左:洋間は床と天井は杉材で壁は白の漆喰で修復。「白い壁と天井が高いのも手伝って、実際四畳半ですが、より広く感じます」 右:外壁は横板張り。「海が近いこともあり、風雨に耐えるように厚い板を張っています。窓には取り外し型の雨戸を付けました」

左:洋間は床と天井は杉材で壁は白の漆喰で修復。「白い壁と天井が高いのも手伝って、実際四畳半ですが、より広く感じます」 右:外壁は横板張り。「海が近いこともあり、風雨に耐えるように厚い板を張っています。窓には取り外し型の雨戸を付けました」

【Y氏邸施主さんメッセージ】
幼い頃から、昔の建物や道具に惹かれながら育ちました。長じて念願叶い、大正築の古民家とのご縁に恵まれましたが、幾度かのリフォームにより、築当時から姿を変えている箇所が散見されました。
この家を築当時の姿に戻す「修復」がしたい。あちこちの工務店さんに、そう言って回りました。みなさん親身になって話は聞いてくれましたが、理解されることはありませんでした。
そんな時、古道具屋で偶然、亀屋工務店さんのショップカードを見つけました。それが小山さんとの出会いです。
小山さんのお人柄は「真摯」の一言に尽きます。まだお仕事に繋がるかどうかもわからない初回打合せの段階から、いいものをつくるため、そしてそのよさを伝えるためには時間も手間も一切惜しまない、その姿勢に「小山さんならば」と思い、修復をお願いすることを決めました。
修復工事が進む中で特に印象的だったのは、現場がいつも整然としていること。数日同じ工程が続く場合でも、道具も材料も片付けて、きれいに掃除されて帰ります。また正月には、現場の床の間に、鏡餅と一緒に大工道具(差金、墨壺、手斧)を飾ってくださっていました。大工さんの命ともいえる道具を大切にする姿勢が深く心に残っています。
これは余談ですが、古民家に越してきてから、日本の古い小説の描写が「わかる」ようになりました。例えば障子越しの明かり。天井のしみ。床のきしむ音。ざらりとした手触り。一つひとつは小さなことですが、それらが自分のリアルな感覚に重なると、作品世界がグッと立体的に感じられるのです。
小説の中に流れている時間と、今、ここにいる自分の時間とが、まぎれもなく繋がっているのだと感じたとき、たとえようもない喜びに包まれるのでした。


次世代につなぐ
大切な使命

⎯⎯⎯ 古民家のお仕事は復元のレベルですね!

小山「今施工中の家は、O氏邸と呼んでいますが、築昭和7年の伝統工法でつくった家の修復工事です。こちらは、お施主さんが50代の男性でして、昔の組子でできている建具、障子が気に入って家を購入されたそうです。すでに他の業者さんが入ったあと、ご自分が思い描いていたのとは違う直し方だったため、工事途中に施工を断ったそうです。困ってたところで私にご依頼いただいたんです。
お会いした時に私がまずお施主さんに聞くのが「どういう家にしたいのか」で、このお施主さんのご希望は『再生工事ではなく、修復工事にしたい』でした。
工事途中の現場からその意味がよく分かりました。前の業者さんは伝統工法のやり方を全く知らずに施工していたようで、知っていればこんなことはしないというところが至るところに見受けられました。
お施主さんのご希望で、4年前の一期工事から始まって今は三期工事の施工中です。二期工事は縁側だったのですが、縁側のサッシを撤去した時は驚きました。家の表情ががらりと変わりました。落ち着きがあり、風情のある築当時の姿が蘇った瞬間だったと思います。
三期目は屋根と仏間と台所、洗面台です。洗面台は築当時の研ぎ出しの洗面器が見つかり、当時の洗面台に修復することになりました。少しずつ築当時の家の姿が蘇ってきています」

⎯⎯⎯ 家を丸ごとお買いになるほど素晴らしい障子なのですね。

小山「当時はよくつくられていた形の硝子障子だと思いますが、風情があります。職人の手仕事には何ともいえない趣きがあります。硝子は表面を摺ってつくった本物の摺り硝子です。今のつくり方とはちがうつくり方の曇り硝子です。型を置いたところは摺れていなくて透明です。透明な部分は少しだけですが、その透明な硝子を通して庭の様子が見えるんです。あれをつくれる職人はもういませんから、割ってしまったら同じ硝子は入れられません。

早く、安く、効率的に便利で、楽な家を求める人が多くなってしまいましたが、職人が手間を掛けてつくった家はいいものですよ。自然素材でつくった家は森林にいると安らぐのと同じように、そこに居るだけでとても安らぎます。失われつつある日本家屋のよさ、賢さを次の世代に繋いでいけたらどんなにいいかと切に思います。木と土の家のために、微力ではありますが、今私にできることを精一杯やっていきたいです」

以下の写真7点は、“O氏邸”のもの。木造家屋に雨は大敵、右写真の右のほうにある刻みは、雨戸の敷居に水が溜まらないようにと加えた小さな工夫です。

以下の写真7点は、“O氏邸”のもの。木造家屋に雨は大敵、右写真の右のほうにある刻みは、雨戸の敷居に水が溜まらないようにと加えた小さな工夫です。

左:正面の肘掛け窓は外側に回す雨戸、右の縁側は内側に回す雨戸。 中:近頃、めっきり見かけなくなった昔懐かしい戸回し金具。この修復も行いました。 右:雨戸を回して方向を90度変えて、その奥にある戸袋に収納。「じつはこの家には、内側に回す雨戸の戸回しもあって、建築家の先生に『どうやって取り付けたんですか? どうして回るのですか?』と不思議がられました(笑)」

左:正面の肘掛け窓は外側に回す雨戸、右の縁側は内側に回す雨戸。 中:近頃、めっきり見かけなくなった昔懐かしい戸回し金具。この修復も行いました。 右:雨戸を回して方向を90度変えて、その奥にある戸袋に収納。「じつはこの家には、内側に回す雨戸の戸回しもあって、建築家の先生に『どうやって取り付けたんですか? どうして回るのですか?』と不思議がられました(笑)」

左:お施主さんが惚れ込んだ昭和初期の建具。「繊細で美しいですね」 右:建築した86年前の形に再現した厠(かわや)の灯窓。「鴨居と方立は新しいものを取付けました。建具も残っていたので、一本引きと開き戸をそのまま使用しました」

左:お施主さんが惚れ込んだ昭和初期の建具。「繊細で美しいですね」 右:建築した86年前の形に再現した厠(かわや)の灯窓。「鴨居と方立は新しいものを取付けました。建具も残っていたので、一本引きと開き戸をそのまま使用しました」

【O氏邸施主さんメッセージ】
昭和初期に海軍の軍人さんの住宅として建てられた古民家を買い取り、その修復をしようと考えた際に、いくつかの工務店さんに相談しました。けれども、機能性を重視する方が多くて、建築当初の形にこの古民家を復原したいという希望を理解してもらえませんでした。
小山さんのお名前はネットで検索して知ることができました。電話で事情を話すと、小山さんは当時会社のあった横浜から横須賀までいらしてくださって、私の細かい要望を聞いては、その部分を一緒に見ながら方法をいくつも考えてくれました。
4年前に修復をスタートさせて、今も段階を区切って進めてもらっています。納得するまで付き合ってくださる小山さんにはとても感謝していますし、完成までのプロセスを細かく見届けることができるのは、とても楽しい経験です。


亀屋工務店 小山武志さん(つくり手リスト)
建築物写真:小山幸子さん
取材・執筆・インタビュー写真:小林佑実

新年あけましておめでとうございます。

年頭にあたり、木の家ネット会員の2022年ベストショットをお届けいたします。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!


古川 保

すまい塾古川設計室

88才の建て主は新築することを決めた。
息子が言う。「自分の財産は自分で稼ぐので、遺産が要らない。生きているうちに、自分が好きなことに全額使いなさい」と。
それで、自分が植えた山の木で、自分の思う通りの木の家をつくることを決めた。
棟札も自分で書いた。棟上げ儀式のため屋根にあがる。後ろから息子が支える姿は微笑ましい。


笠原 由希

木の家設計室アトリエ椿

しばらくお休みしていたお茶のお稽古を再開しました。すっかり着かたを忘れていた着物も、動画を見ながら再挑戦。時短で着付けができるように練習中です。
床の間にかかっている「無事」は、禅語で何事にもとらわれない、計らいのないという意味で、美しく見せたいとか目立ちたいという計らいの無い、野に咲く花のような自然な状態を指すそうです。そんな境地に憧れつつ・・、本年も皆様の無事をお祈りします。


丹羽 明人

丹羽明人アトリエ

満を持して「薪割り会」を開催!
かれこれ15年ほど続いているこの「薪割り会」。
当初はただただ “薪割りを体験してみよう!” と、牛山の家の住まい手と始めたイベントですが、今ではすっかり丹羽アトリエOB会に。
同じ木の家に暮らす仲間が集う、楽しい楽しい同窓会です。 
趣味趣向が合った “お仲間“ ですので、つい話も弾んで、御開きはいつも御前様! 笑


高橋 俊和

都幾川木建

築92年の古民家を富士河口湖町に移築(一部増築)した「Chair Laboratory 椅子の学び舎」。島崎信氏(武蔵野美術大学名誉教授)のコレクションを中心に約250脚の椅子を展示しています。2021年1月に解体着工し、2022年7月にプレオープンしました。隣接して、木工技術を学びたい世界各国の人も受け入れる「木工スタジオ」も新春完成オープンします。 山梨県南都留郡富士河口湖町大石2813-4 カフェも併設。ぜひ足をお運び下さい。


大江 忍

有限会社ナチュラルパートナーズ

日本初の木造復元から30年経った掛川城天守閣の大規模な修理に着工した日の写真です。まずは、高欄の解体工事から始め、木部を取り替え、カシュウ塗りします。餝金物も塗装し直して、高欄を全て交換します。外壁の漆喰も土佐漆喰で塗り替え、淡い黄色にしばらくなります。今年3月末には、化粧直しした姿をお見せできます。桜満開の季節がおすすめです。


岡崎 定勝

岡崎製材所

江戸時代末期に新潟県に建てられた築170年の古民家を愛知県に移築(新築)しています。
昨年、 慎重に解体・構造材の取外しを行い、今年は古材の洗い・手直し、新材の刻みを進め、7月中旬から建て始め、ただいま造作中。
その中の1カット。土壁の竹小舞が編まれていくと、何とも言えない気持ちよさと、すまいが形つくられていく喜びが湧いてきます。
春に竣工予定です。


小山 武志

株式会社亀屋工務店

自然素材のよさを体感していただこうと、弊社応接室の改装工事をしました。
床は幅広で厚みのある赤松と黒松の床板。壁は中塗り層からの土壁。仕上げは聚楽。天井は手刻みで造った格縁天井。格縁の桟は檜葉。天井板は杉。板目を縦横に張った市松模様の天井です。窓に障子、出入口には蔵戸を入れました。気の香る応接室です。心地よい部屋になりました。訪れるお客様も喜んでおられます。


和田 洋子

一級建築士事務所(有)バジャン

「広江の家」で外構の撮影をした時に、カメラマンの岡野さんが撮ってくれた写真です。いつも元気な三兄妹がちょっとオスマシしているのがとても可愛らしくて、大好きな一枚です。
テーブルとベンチは栗を探して作りました。子ども達は大好きなお母さんがキッチンに立つ横でテーブルに座り、おしゃべりをしたり、オヤツを食べたり、宿題をしたり、お絵描きをしているそうです。時には叱られたり、兄弟喧嘩をする事もあるでしょう。子ども達と一緒に家や家具が育つのも楽しみです。


佐々木 文彦

有限会社ササキ設計

宮城県角田市の里山に建つ築100年程度の古民家を現地改修再生したものです。代々住み継がれてきた家の歴史と、木のぬくもりを感じられる家にしたいという建主の思いに応えるべく、主な居室は柱や梁などの古材を現わしとした開放的な空間とし、ご両親の住む隣接するS造離れと、若夫婦世帯の住む当該住宅との接点に通り土間のスペースを設けて2つの建物を繋ぎ、そこに薪ストーブを設置して2世帯の憩いの接点となるよう設計した写真です。


日高 保

きらくなたてものや

テレワークが定着して、住宅の設計の際には必ずと言っていいほどその場所の話題になります。今年春に完成した家にも1畳分の大きさの仕事部屋を設けました。守衛室のように家の入口脇に位置し、かつ机の向きが壁を背にするので、仕事しながら家全体の様子が視界に入りつつ、オンライン会議の時には画面に家の様子が映り込みません。また階段を一段上がった踊り場のレベルにあるので、「ヨシ」と気持ちを切り替えてもらうことを目論んでいます。


東原 達也

東原建築工房

三重県主催の第1回みえの木建築コンクールにて、初代住宅新築部門最優秀賞を頂きました。
思いを込めてつくった「いかだ丸太の家」、五代目のデビュー作が、創業120年の記念ともなりました。
/表彰会場にて 施主さん、設計士さんと共に


袋田 琢巳

FUKURODA工舎

丹羽明人アトリエ主催の年末恒例イベント、薪割り会でのワンシーン。はじける笑顔にお施主さんと丹羽さんの素敵な関係性が伝わってくるようです。


綾部 孝司

(有) 綾部工務店

時間の経過とともに表情に深みを増していく杉の無垢板。
数年前に玄関の腰板を張り替えたお宅を訪れると、その時とはまた違う表情になっていました。風雨にさらされて色は渋みを増し、天然の浮造りが現れていました。
自然に生えてきたというツクバネ朝顔は、渋めの腰板に彩りを添えています。
新しい年も引き続き、無垢材の美しさを大切にした家づくりを続けて参ります。


川村 克己

川村工務店

「くむんだー」を始める前に、子供たちへ森や大工のお話をしています。
単に、大きな玩具で遊ぶのではなく、そこに込められた大切なお話です。
イベントなどでも、周りを親御さんに囲んでいただき、同じようにお話をします。
10分程度ですが、子供たちはまじめに聞いてくれますよ。

敷地は豊田市内の住宅街。子育て中の若いご夫婦が、ご実家の敷地の一角に27坪の平屋を新築。 周囲は住宅に囲まれ、自然条件の手掛かりは少なく、敷地内の空間も限られている90坪の敷地。

ここ三河地方は、雨が多く比較的温暖な気候で、全国的にも土壁の家作りが最後まで盛んに行われてきた地域です。今でも、荒壁土・中塗り土・藁スサ・小舞竹など土壁の生産体制は、細々と残っています。

建て主の要望は、以下3つです。

① 将来土に還る自然の素材で作る家
② 極力エアコンや設備には頼らない暮らし
③ 将来住み継がれていかれるような長持ちする家

これらのご要望を実現する為に、この地域で昔から作られてきた「伝統的な民家」を参考に、持続可能な家作りと暮らしを目指しました。

店蔵の連なる川越市の市街地から程よく離れた静かな住宅地、周囲を低層の住宅に囲まれたところにご紹介する住まいは建っています。南と西には道路があり、富士向きといわれるやや南西向きの敷地です。季節を通じ程よい日射や風通しがあるため、それら自然エネルギーを活用しつつ、住宅周囲の外構を温熱的なバッファゾーンとして捉えた積極的な環境改善を施しています。

緑の少ない殺風景な住宅街が増えていますが、敢えてそこに森をつくり暮らすということを目指して計画し、気候風土に適応した多様な要素を備えています。持続可能な生態系を持ち、自然の恵みである日射・水・風の恩恵を受けることで、樹木と菌糸類、微生物などが有機的につながりながら最適化していき、その一員である住まい手は、四季を感じながら心地良く豊かに、少ないエネルギー消費量で暮らしていくことが可能になっています。 

木と土を主要な材料として用いています。本小松石、西川杉板、本漆喰、和瓦で仕上げられた外観は、雑木の庭との相性も良く、機能的にも調和しています。
庭と地続きになった床下は、土を露出させることで季節や天候に応じた吸放湿ができるようになっており、 各方位からの風が通り抜けることで、適当な湿度が維持されています。 


この計画では、かつて水田だった地盤に木杭を打ち、外構環境を改善することで自然の持つ快適性を取り戻すこととしています。造園家とも話し合い150坪弱の敷地条件を生かした土中環境の改善、水脈づくり、広葉樹を主体とした樹木の配置など、持続的に雨水の自然浸透や通気が可能な造作をしています。 

左は造園完了時芽吹きの頃。右は2年3ヶ月後の夏、すくすくと育った樹木により、各所に木陰が増えた様子。 

敷地は熊本市郊外。南には樹木が生い茂る小高い丘があり、その足下には小川が流れ、緑と水を介した涼しい風が敷地を抜ける。この風を南の大きな窓からよびこみ、風通しと吸湿材で涼を感じる。冬は多層構成の木製建具を閉めて小さく住まい、薪ストーブを焚き、土壁の蓄熱効果で暖かく過ごす。施主が造園業を営むため、仕事で廃棄する枝木が燃料となる。

建築の材料は主に木と土と竹と藁であり、瓦や設備機器以外のほとんどが熊本県産材である。床と天井の断熱材にも構造材の廃材である鉋屑を用いた。

石場建て+真壁構造は、被災時や白蟻被害時に、被害箇所の状況を把握し修繕方法を考えることが容易であり、建物の長期使用へとつながる。また、地域の自然素材と地域の職人による家づくりは、材料の生産・運搬などに関わる建設時のCO2排出量が小さい。さらに、役目を終えれば土か煙となるもので産業廃棄物は発生しない。ライフサイクルを通して環境負荷が極めて小さい住宅である。

高天井で構造材あらわしの内部空間。畳、土壁漆喰、杉板、木製戸、障子など建物を構成するほとんどの材料が吸湿材であり、熊本県産材でもある。

設計時のイメージスケッチ。敷地の南にある樹木と川を通った涼しい風が、建物全体を通り抜ける。

埼玉県の会員多数が関わり意見交換を進めていた、埼玉県版気候風土適応住宅の基準が2022年12月1日に制定、発表されましたのでお知らせいたします。

九州地方での発表に続き、関東方面では初の基準発表になります。

材料、工法、技術について、簡潔明快に設けられた要件により、これまで伝統的な技術を用いながらも、国土交通省告示第786号1項には規定されていない300㎡未満の住宅が気候風土適応住宅として位置付けられます。

今後、「地域の気候風土に対応した伝統的構法の建築物などの承継」を視野に、各地の所管行政庁の基準づくりに拍車がかかることを期待しています。

詳しくは、次から閲覧が可能です。

埼玉県版気候風土適応住宅の基準
埼玉県建築安全課

※「」内は付帯決議の文面です。

2022年10月15日(土)・16日(日)、淡路島で開催された「一般社団法人 職人がつくる木の家ネット 第四期総会」の様子をレポートします。




コロナ禍の影響により、2020年と2021年はオンラインでの総会でしたので、満を持して3年ぶりにリアルでの総会となりました。人数が集まるか不安でしたが、78名(会員以外の方も含む)が参加されました。久々の再会で話に花が咲いていたようです。

一日目(15日)は総会・懇親会・分科会、二日目(16日)は2コースに分かれて淡路島ならではの見学ツアーを行いました。

時間軸に沿って写真を交えながらご紹介していきます。

一日目

総会

開会挨拶(大江忍代表理事)

「リアル総会は3年ぶりで、やっと淡路で開催することができました。久しぶりにみなさんの顔が見れて嬉しいです。2日間とても楽しみにしています。懇親会や分科会で存分に情報交換して、しっかり勉強してもらえればと思います」


事務局挨拶(中田京子さん)

「初めまして。事務局の中田京子です。今まで2回のZoom総会には参加させていただいていましたが、リアルでは初めましてお目にかかります。みなさんが好きなことを仕事にされていていて、情熱を持って取り組んでいらっしゃるので、私もその姿に刺激を受けてこの仕事に向き合っています。よろしくお願いします」


新入会員自己紹介

四期では新たに6名の方が入会されました。昨年(三期)はオンライン総会だったため、三期と四期の新入会員の方に自己紹介をしていただきました。

新堂 豊さん(三期入会)
「神奈川県で大工をやっている新堂といいます。日頃からお世話になっている会員の方から紹介していただき入会しました。手刻みの家づくりをどんどんしていきたいと思っています。頑張ります!よろしくお願いします」
→プロフィールページ


田中 孝佳さん(四期入会)
「和歌山で大工をやってます。墨付けする大工が周りからいなくなりました。大工を楽しく続けていくためにモチベーションを上げて頑張っていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします」
→プロフィールページ


小島 優さん(四期入会)
「神奈川県相模原市で祖父の代から工務店を営んでいます。上棟以来の緊張をしています。手刻みの修行をして頑張っています。伝統構法についても木の家ネットで勉強させてもらって、挑戦していければなと思っています。どうぞよろしくお願いします」
→プロフィールページ


山中 信悟さん(四期入会)
「神奈川県鎌倉市で設計事務所をやっています。木造建築で1,000平米オーバーのものや、石場建てのものなどを、構造計算や温熱計算も含めワンストップでやっています。よろしくお願いします」
→プロフィールページ


初参加の4名で記念写真

初参加の4名で記念写真


都合により当日参加できなかった2名はパネルにて事務局から紹介させていただきました。


中村 英二さん(四期入会)
中村さんは福井県福井市で設計・工務店を営まれています。手刻みで木組をする伝統構法にこだわり、本物の天然素材の良さを広め、かつ現代のライフスタイルに合った形を提供できるように、がんばられていらっしゃいます。同じ志の人とのネットワークを拡げたいということで入会されました。
→プロフィールページ


小坂哲平さん(四期入会)

小坂 哲平さん(四期入会)
小坂さんは北海道斜里郡で大工をされています。「北海道で木の家を建てたい」という依頼を受けた時に、何かの分岐点だと感じ移住を決めたそうです。住む人を置いてきぼりにするような家や、立派な材料と工法でもみんながぎくしゃくしているような現場を見てきて、目標として「住む人が幸せになること」を心にお仕事をされています。今年9月に公開した小塚さんの記事にちらりと登場しています。
→プロフィールページ


ぜひみなさんのプロフィールページをチェックしてみてください。それぞれのWEBサイトやSNSへのリンクもあります。

新入会員の皆さん、どうぞよろしくお願いします。


四期事業報告・決算報告

次は、一年間の事業報告と決算報告です。

事業報告:HPコンテンツ

今年度は特集コンテンツ2本と、会員紹介コンテンツ13名分の発信を行いました。


五期事業計画・予算案

その後、決算報告と五期の事業計画・予算案について、大江代表理事より説明がありました。


部会報告

部会報告①:見積部会
見積り部会の概要と目的、2022/4/23(土)・24(日)にホテル琵琶湖プラザにて開催した「大工経営塾」について、金田克彦さん(京都府)から報告がありました。

4月に開催した「大工経営塾」の様子

4月に開催した「大工経営塾」の様子

「木の家づくり・伝統構法など皆さんがやってらっしゃる仕事の指標となる見積り例がないので、みんなで作っていこうという部会で、徐々にデータが揃ってきてまとめ作業を進めている段階です。興味のある方は声をかけてください」(金田さん)


部会報告②:環境部会
昨年発足した環境部会について、綾部孝司さん(埼玉県)から報告がありました。


「建築物省エネ法基準義務化・2050年のカーボンニュートラルの実現に向け、国内でさまざまな動きがありますが、果たして実現できるのか。また建築に関していうと高気密高断熱の住宅づくり一辺倒で進んでいる。そこに私たちの作っている木の家にもできることがあるんじゃないだろうか、その多様性を考えていこうという方針で進めています。

四期は【①パブリックコメントを寄せたり】【②会員内外に意見を募り国土交通委員会に実務者からの意見として発表】【③環境にまつわる特集コンテンツ】といった活動をしてきました。

五期では【①気候風土適応住宅の認定基準づくりのための情報・意見交換】【②普及啓発活動として気候風土適応住宅の特集コンテンツ制作】【③多様な省エネ評価基準づくりへの対応として、気候風土適応型住宅のLCAデータづくり】の3つの活動を進めていきます。

Facebookに環境部会のグループがありますので、よろしければご参加ください」(綾部さん)


部会報告③:マーケティング部会
マーケティング部会の活動について宮内寿和さん(滋賀県)から報告がありました。

「マーケティング部会発足の理由は、会費を払っていただいている会員の皆さんへ何か還元できることはないかと考えてのことでした。仕事を拡げていくための仕掛けを考え勉強していく場にしていきたいです。また木の家ネット自体を『すごい団体だ』と思ってもらえるように知名度を上げるていき、みなさんへの信頼感や仕事に繋がるような活動をしていかなければならないなと考えています。

皮切りに会の窓口であるホームページのリニューアルを実施しました。インスタグラムとも連携しており、ハッシュタグ 「#木の家ネット」をつけて投稿していただくと、サイト上にも表示される仕組みになっています。家づくりだけに留まらず広く発信していってみてください。また木の家ネットのインスタグラムアカウント @kinoienet も開設し情報発信していますので、ぜひフォローしてください」(宮内さん)

各部会に興味のある方は奮ってご参加ください。


新ホームページの説明

今年1月にリニューアルした木の家ネットのホームページについて岡野康史さん(コンテンツ・WEB担当)より説明がありました。
全体の概要説明に続き、最近実装された【ユーザーアカウントの操作方法】【ギャラリーページへの作品投稿方法】について、実際に操作をしながら解説があり、みなさんから質問も上がっていました。


総会に参加されていない方もおられますので、後日会員限定で動画配信します。
また、操作手順はこちらのリンクに載せています。初めて操作される方や、操作に迷われた方はご一読ください。また、木の家ネットのサイト内「会員向けページ」の「会員向けページ操作方法」ボタンからもアクセスできます。


熊本地震復興のお礼

古川保さん(熊本県)より、ぜひこの場を借りてお礼がしたいとのことで、ご登壇いただきました。

「熊本地震から6年が過ぎました。やっと自分の周りでも整理がついたところです。地震のあと延べ260名の方が応援に駆けつけてくれました。木の家ネットの会員の方も多数来ていただきました。また、多額の寄付もいただきました。本当にありがとうございました。

その皆さんに何かお返しをしたいと考え、修復した実績をもとに「熊本地震による伝統的構法建築の「全壊」と「半壊」を直す」という本を作り皆様にお送りしています。もし、協力いただいた方の中で『受け取っていないよ』とという方がいらっしゃいましたら、お声がけください」(古川さん)


閉会挨拶

最後に大江代表理事より閉会の挨拶がありました。

「伝統構法の技を伝承していくため、民間の住宅だけではなく、まずは公共建築に伝統構法の技術を取り入れて使用してもらえるようにできないかと考えています。その法制化のために関係者とロビー活動をしています。

また、各地で空き家問題になっている古民家を、災害時の仮設住宅に活用できないかという話も進めています。

今後ご協力していただくことも出てくるかと思いますので、その際はどうぞよろしくお願いします。

本日はありがとうございました」


懇親会

総会が終わり夕刻より皆さんお待ちかねの懇親会が始まりました。

乾杯の音頭は、今回の淡路総会でご尽力いただいた植田俊彦さん(兵庫県)

乾杯の音頭は、今回の淡路総会でご尽力いただいた植田俊彦さん(兵庫県)

皆さん、楽しんでいますね

皆さん、楽しんでいますね

締めの挨拶は、同じく淡路総会でご尽力いただいた藤田大さん(兵庫県)

締めの挨拶は、同じく淡路総会でご尽力いただいた藤田大さん(兵庫県)

3年ぶりの開催とあって、例年にも増して話に花が咲いているようでした。それぞれ貴重な時間となりました。この後は、真面目に(?)分科会に移ります。


分科会

今年の分科会は【① 製材は誰がやる?】【② 仕口】【③ 環境】【④ マーケティング】の4つのテーマに別れて議論を交わしました。


分科会①【製材は誰がやる】

「国産の無垢材で家を建てたいと踏ん張っている仲間たちがいます。しかし製材所の廃業が相次ぎ、賃曳きも遠くまで行かないとできないという現状が増えていく中、簡易製材機“ウッドマイザー”の話を聞くことが増えてきました。
そこでウッドマイザーを導入している木の家メンバーへのアンケートをもとに、山・製材・大工・設計のメンバーが揃う絶好の機会の中で、林材ライターの赤堀さんのリードのもと、情報の整理を試みました。
結論としては、道具としては当たり前に長所も短所もあり、安易に手を出すと大変かもしれないが、うまく使えば木と楽しく遊べるアイテムになる。みんな、木が好きなんですね。」(金田さん)


分科会②【仕口】

「まず、現在、木造建築・石場建てが社会的に不利な状況に置かれている中、【伝統構法の設計法作成及び性能検証実験検討委員会】で続いている試験体による研究に、実務者の意見が取り入れられていないこと、研究結果が実務に活かされていないこと、研究の仕方を見直すべきではないかとの声が上がっていることについて議論しました。
皆さんの普段やられている仕口・接手についてや『この場合はどうなの?』といった踏み込んだ議論を長時間にわたり熱く語り合いました。
12月には仕口・接手実験検証部会を立ち上げる予定です。そこで出た意見をまとめ、国交省の伝統構法、仕口・接手検証委員会に上げたいと思いますので、皆さん奮ってご参加ください。
最終目標はEディフェンスでの実大実験!それぞれの大工の意見を試験体にして検証できるチャンスです!」(宮内さん)


分科会③【マーケティング】

「親方の愚痴大会になりましたが、経営のために自らが実践していることの情報を語る場となりました。例えば、新規雇用のための助成金を得るための労働時間の工夫と月給か日給月給かの選択。建築業界の慣習を変えて、週休二日制にしなければ、弟子も来なくなる。最近は、休憩時間に刃物を研ぐのではなく、休憩時間は休憩時間だと割り切っている。土曜日まで働かなくても所得が得られるような仕組みにしないと生き残れない。また、経営改善のための無担保、無保証人のマル経融資を受けて資金繰りをしていること。建築だけでなく、不動産投資をして、通常業務以外の収入を得て多角経営をすることなど。今後は、その具体的な方法について会員と共有していきたいということになりました」(大江さん)


分科会④【環境】

「総会でも触れた【① 気候風土適応住宅の認定基準づくり】【②気候風土適応住宅の事例紹介を通しての普及啓発活動】【③気候風土適応型住宅のLCAでの評価を目標とした活動】に3つについての情報共有や意見交換を実施しました。活動の方向性や一歩踏み込んだ内容について意見交換できたことは大きな収穫でした。各参加者からのざっくばらんな意見も聞け、終始笑いの絶えない楽しい分科会でした」(綾部さん)


二日目

二日目は2つのコースに分かれて見学ツアーに出かけました。
淡路島ならでは建築様式や左官仕事、淡路島在住の会員の仕事ぶりなどに触れ、生でしか感じられない経験に皆さん大いに刺激を受けていたようです。それぞれのコースの様子をご紹介します。

見学ツアー Aコース

植田俊彦さん・俊司さん(総合建築植田)のアテンドで淡路島ならでは建築様式や左官仕事などに触れるコースです。


野水瓦産業株式会社
淡路といえば玉ねぎも有名ですが、やはり外せないのが淡路瓦です。一般的な屋根瓦だけではなく、敷き瓦や壁面用のタイルなどさまざまな意匠の瓦を見学しました。事務所内には会員の植田俊彦さんが手がけた“水ごね”の左官仕事も。今だと平米10万円はくだらないとのこと。




設計士の和田洋子さんからは「壁面の瓦と水ごねの土壁が印象的でした。もっとお話を伺いたいです」との感想をいただきました。皆さんもそれぞれ質問したりサンプルを購入したり有意義な時間を過ごしました。


立派ななまこ壁の蔵



ノミズさんからほど近い蔵も案内していただきました。「こんな立派ななまこの漆喰は見たことない」と皆さん感嘆の言葉を発しながら、写真を撮るなどしていました。


伊弉諾神宮


伊弉諾(いざなぎ)神宮には、会員の藤田大さんが手がけられた“放生庵”と“制札”がある。仕口がどうなっているのか議論しながら見学。その仕事ぶりに唸っていました。


久住章氏の漆喰彫刻


久住章氏の左官技にため息が出るばかり。邸宅自体も見どころが満載で濃密な時間を過ごしました。


総合建築植田(植田俊彦さん俊司さん) 土壁の話


最後は植田さんに土壁にまつわる話を聞かせていただきました。予定の合うBコースの方々も加わり、見て触れて熱心に聞き入っていました。

植田さん、ありがとうございました。


見学ツアー Bコース

藤田大さん(淡路工舎)のアテンドで、藤田さんの作業場やウッドマイザーの実演、手がけられたお寺などをめぐるコースです。 ※Bコースの写真は大江さん提供。

淡路工舎(藤田大さん)作業所見学
会員の藤田大さんの作業場に訪れた皆さん。


普段はなかなか見れない会員の技や道具を間近で見て、刺激を受けていました。


分科会でも話題に挙がったウッドマイザーを藤田さんに実演していただきました。

小川寺
2001年に藤田さんが鵤工舎で修行していた時に建てたお寺。


藤田さんはこのお寺を建てるために淡路に移住をしてきたそうです。

安乎岩戸信龍神社
近年手がけられた美しい仕事。知る人ぞ知るパワースポットで「龍の伝説」が残っています。



洞窟の中から鳥居に向かって外を見ると淡路島の形に見えるそう。確かに見えます。

福田寺
2014年の竣工。阪神淡路大震災で全壊した本堂を20年の歳月を経て再建されたそうです。

この写真のみ2020年取材時のものです

この写真のみ2020年取材時のものです



皆さん、細かいところまで見入っていました。

藤田さん、ありがとうございました。


2日間ありがとうございました

3年ぶりに顔を合わせ、大いに情報交換やインプットできた2日間となりました。

ジョンさんからは今回の総会を通して

「皆さんと淡路島でお会い出来て非常に勉強になりました。我々の建設業界の特殊なところが益々理解を深めて、大工や設計士だけではなく、林業・製材所・木材店・WEBやマーケティング関係者・政治家など、さまざま専門家の協力とチームワークがないと大手メーカーに太刀打ちできない現代の事情と危機感を感じました。
今まで私は木の家ネットを通して弟子のことや経営のことでとても勉強にさせてもらいました。これからは、木の家ネット自体が団体としての力を発揮していくべきだと思います。木の家の可能性を一般の方に広く知ってもらい、伝統文化として守るためだけではなく、伝統建築の利点を社会にもっともっと伝えていくべきだと思います。
地球温暖化対策としても、人の健康のためにも、本当にいい家づくりであり、我々が人生をかけてやっていることなので、日本だけでなく海外にまで発信していけるようマーケティングなどにも力を入れていきたいです」

と熱いメッセージをいただきました。

やはりリアルで集まるのは有意義ですね。そして社会情勢を見ながら来年の開催場所の検討もしています。現地開催できることを願っています。また来年お会いしましょう!

ありがとうございました。


取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

Bコースの写真:大江忍

「家はお客さんのためのものですから。求められる希望以上のものを提案し続けるようにしたいです。また、どうしたら1日でも1秒でも長く保つようにつくることができるか。常に考えるようにしています」

家づくりについてそう話すのは、東京から北海道に移住し、設計から大工まで一人でこなし、さらに猟と畑にも力を注いでいる《ヒトトキ》の代表 小塚祐介さん。

ご自身の工房兼事務所の工事の合間を縫ってインタビューに答えてくれた。

小塚祐介さん(こつかゆうすけ・42歳)プロフィール
1980年東京都生まれ。ヒトトキ代表。日本大学芸術学部デザイン学科建築コースを卒業後、山口修嗣棟梁に師事。3年間の大工修行を経て独立。2017年には二級建築士事務所を設立し、2020年に北海道網走郡津別町に移住。猟と畑と家づくりを主軸に、自分たちで賄えるものは、なるべく自分たちで賄うことをライフワークとしている。

自分で考えたものを、
自分の手で作りたい。

⎯⎯⎯ 建築の道に進んだきっかけを教えてください。

小塚さん(以下敬称略)「幼稚園の時の夢が大工さんでした。高校三年の時に、建築コースのある日本大学芸術学部の説明会を聞きに行き『俺の進む道はここだ』と直感で決めました。大学の授業では自分でデザインした椅子などを作ったりしていく中で、自分でデザイン・設計したものを、自分の手で作りたいと思うようになり、まず大工の道に進みました」


⎯⎯⎯ 修行時代はどんなことをされていたのですか?

小塚「山口修嗣棟梁のもとで修行をしていました。渡り腮(わたりあご)構法の第一人者である丹呉明恭建築設計事務所とタッグを組んで進める仕事がメインで、木組みの奥深さを実感する毎日でした。
山口棟梁の工房は群馬の山中にあるのですが、そこに住み込みで大工の見習いをしながら、ヤギ・羊・鶏などを飼い、畑仕事もやったりしながら、3年間寝食を共にして多くのことを学びました。その体験が今の生活のベースになっています」

「頭にずっと手拭いを巻いているから、日焼け痕がついちゃった」と恥ずかしがる小塚さん。

「頭にずっと手拭いを巻いているから、日焼け痕がついちゃった」と恥ずかしがる小塚さん。

⎯⎯⎯ その後、独立まではどんな道のりでしたか?

2005年からフリーランスとして下請けで伝統構法の住宅を手掛けたり、家具や建具の製作をはじめました。途中引っ越しなどを経て、2007年に東京へ戻り、2013年に《ヒトトキ》をスタートしました。

⎯⎯⎯ 《ヒトトキ》という屋号に込めた想いを教えてください。

小塚「人と木が、人と“喜”になる。そんな日と時を共有し、つくっていきたい。という想いを込めて名付けました。いい屋号が閃いたら完全に独立しようと思っていたので、結構年月がかかってしまいました(笑)。さらに4年後の2017年には《ヒトトキ二級建築士事務所》として設計業務も本格的に始めました」

⎯⎯⎯ ご自身で設計・デザインし、ご自身で作り上げるという学生時代の夢が実現したわけですね。実際に仕事をしていて強みに感じることはありますか?

小塚「設計者の視点と大工の視点で現場判断をするので、より良い解決策を考えられるという点ですかね」

⎯⎯⎯ 北海道に移住をされたのはどうしてですか?

小塚「関東でも住む場所を探したのですが、なかなかいい縁がありませんでした。

ちょうどその頃、狩猟免許を取りたいと思っていたのですが、北海道の標津町(しべつちょう)で、伝説の熊撃ちと言われている久保俊治さん ※1 が狩猟講座《アーブスクールジャパン》を開校すると聞き参加しました。何日も野営をして、食べ物は自分で捕まえるというスタイルで、野山を駆け回っていた時に『自分はこれだ。ここが自分の居場所だ』と理屈抜きで感じました。

母方のルーツが北海道にあるので、こちらに住んでみたいという夢はありました。東京で築き上げた生活のベースを捨てる勇気がなかなか持てなかったのですが、もう直感で移住を決めました」

※1 久保俊治さん
北海道標津町で牧場経営の傍ら羆猟師として猟を行う。著書に「羆撃ち」(小学館)がある。

建設中の工房のすぐ向かいの牧場では牛が草を食んでいた。

建設中の工房のすぐ向かいの牧場では牛が草を食んでいた。

近くには、旧国鉄 相生線(大正14年開業 昭和60年廃線)の駅跡を再生した相生鉄道公園がある。駅舎はカフェとして、車両はライダーハウス(簡易宿泊施設)として活用されている。

近くには、旧国鉄 相生線(大正14年開業 昭和60年廃線)の駅跡を再生した相生鉄道公園がある。駅舎はカフェとして、車両はライダーハウス(簡易宿泊施設)として活用されている。

⎯⎯⎯ 広大な北海道の中で、ここ津別町を選んだ理由は?

小塚「以前、ネットで見てずっと欲しいなと思っていたアイヌのマキリ(アイヌが愛用した片刃の小刀。木製の柄と鞘には緻密な文様が刻まれている)を、新橋のギャラリーで見かけてました。展示されていたアイヌの作家さんに『どうしても欲しいです』とお願いしたんです。後日譲ってもらえることになったのですが、丁度僕が狩猟の野営でこっちに来ていたので、ご自宅に寄らせてもらうことに。それが津別町だったんです。

行ってみると、すごくいいところで住みたいくなってしまいました。それから季節ごとに通っていましたが、いざ住むとなると準備が大変そうなので二の足を踏んでいました。

そんなある時、津別町の《地域おこし協力隊》の募集が1名だけあり、妻が応募してくれたんです。そして無事採用されて移住が現実のものになりました。ここの家と車もついていたので、準備に専念することができ、とてもありがたかったです」

北海道に導いてくれたマキリ。このマキリで鹿をさばくそうだ。奥にあるのはタシロと呼ばれる山刀。

北海道に導いてくれたマキリ。このマキリで鹿をさばくそうだ。奥にあるのはタシロと呼ばれる山刀。

左:初めて野山に駆けた時に落ちていたシマフクロウの羽とオジロワシの羽 / 右:アイヌのサケ漁用の銛(もり)、マレク

左:初めて野山に駆けた時に落ちていたシマフクロウの羽とオジロワシの羽 / 右:アイヌのサケ漁用の銛(もり)、マレク

⎯⎯⎯ 鹿猟はどれくらいの頻度で行かれているんですか?

小塚「我が家で食べる肉は100%猟で賄いたいと思っているんですが、今年は冬に2回しか行けていないので、そろそろ猟に出かけないといけないなと考えているところです」

⎯⎯⎯ 猟にまつわるエピソードを1つ教えていただけますか?

小塚「ある冬、作業場の近くの山でとても大きい雄鹿(100kg超!)が獲れました。そのまま引きずって、沢伝いに降りればすぐに帰って来れるだろうと考えていたんですが、かんじきを履いた状態で沢を3回も越えないといけなくて、すぐそこなのに四時間半もかかりました。狩猟の大変さを実感しました」

⎯⎯⎯ すごい体験ですね。猟の他にも畑もされていると伺いましたが、どんなものを作られているんですか?

小塚「畑は東京時代からずっと自然栽培でやっていて、こっちではまだ少しずつ開墾している状態です。向こうでよくできていた里芋があったので、親芋を持ってきていて、栽培の北限を超えているこの地で育つかどうか、ハウス栽培でチャレンジしています」

木がどうしたいのかを
もっと知りたい。

⎯⎯⎯ 家づくりの話に戻ります。北海道に来られて仕事のスタンスや考え方など、何かご自身の中での変化や気づきなどはありましたか?

小塚「まずは設計に関してですが、網走のカフェを設計した時に『コンセプトっていらないや』と感じました。今まではコンセプトを考えて、それに基づいて空間や形を決めていっていましたが、コンセプトという枠で固めることよりも、お客さんの希望や動線などを満たした上で、それ以上に奇を衒うわけではなく、純粋に美しいものを考えればいいかなと思うようになりました。
コンセプトで縛らないという面では楽になったんですが、どうやったら美しく見えるかを考え、感覚を磨いていかなければならないので、より難しくなったとも言えますね」

⎯⎯⎯ その網走のカフェの事例をネットで拝見しました。こだわりのディテールがたくさんあるにも関わらず、それぞれが喧嘩することなく高次元でまとまっていて、一つの空間をつくり出しているなと感じました。設計・大工・家具づくりまでお一人でされているからこそできる仕事なんだろうなと感銘を受けました。

小塚「ありがとうございます。設計士の『どうだ俺のデザインは!』とか、大工の『どうだ俺の技術は!』みたいなのは好きじゃないんです。繊細に見せるところとガッチリ見せるところをその都度考えて適材適所決めていっています。

建築中の工房横の土地に皆伐放置されていたタモ材を救出して使用しています。大正13年 (1924年)の新聞が壁の中から出てきたのでおそらくそれより前に建てられ、増改築を繰り返して今の木造三階建てになったのだと思います」


北海道 網走市 | カフェ

左:桂、山桜、栗、朴を使用した「森の引戸」/  右:オオワシの杢目のカウンターキッチン

左:桂、山桜、栗、朴を使用した「森の引戸」/ 右:オオワシの杢目のカウンターキッチン

左・中:「腰板は杉を割って雇い実で作りました。「和」に寄ってしまいがちな杉を柔らかく見せたくてこのような仕上げにしました」(小塚さん)/ 中・右:「木摺に土壁をつけてあえて割れさせる仕上げにしました。 左官は浦河町の野田左官店さんです」(小塚さん) 写真7点:日比野寛太

左・中:「腰板は杉を割って雇い実で作りました。「和」に寄ってしまいがちな杉を柔らかく見せたくてこのような仕上げにしました」(小塚さん)/ 中・右:「木摺に土壁をつけてあえて割れさせる仕上げにしました。 左官は浦河町の野田左官店さんです」(小塚さん) 写真7点:日比野寛太

⎯⎯⎯ 大工としての変化はありますか?

小塚「木のこと、木を組むことをもっともっと理解したいと思うようになりました。北海道ではカラマツ(唐松)※2 がどんどん伐採されていて、いいカラマツもほとんどが合板になってしまっています。また広葉樹に至ってはほとんどがチップになってしまっています。北海道の林業はかなり遅れているように感じます。こっちでは人工乾燥ばかりなので、天然乾燥を頼めるところがあると嬉しいのですが。人工乾燥材を一度使ってみましたが、『これは木じゃない。もともと木だったものだ。これでは木があまりにもかわいそうだ』と思いました。また、大規模伐採によって熊がどんどん森から出てきてしまうなどの弊害も生じてきています。

そこで、今建てている工房は、実験として全てカラマツを生木のまま使っています。まずはカラマツの特性や癖をきちんと知ろうと思ったんです。今までのいろんな木を見てきた経験を元に、ねじれが強いカラマツの癖を予測して組み方を変えています。内装に関しては、チップになる運命の広葉樹を少しでも救出するために、床や柱、家具などに使う予定です。木がどうしたいのかをもっともっと知りたいんです」

⎯⎯⎯ 今日は工房の建方を見せていただきありがとうございました。貴重な体験でワクワクしました。工房の奥に半地下の部分がありましたが、どういう部屋になるのでしょうか?

小塚「ここも実験のひとつで、寝室になります。イヌイットやエスキモーなどの北方先住民族の竪穴式住居やイグルー ※3 をヒントにしました。《地下》というと寒いイメージがありますが、外気と違って一定温度以下には下がらないので、寒ければ布団をかぶればいいですし、床下に土を敷いて薪ボイラーの熱線で土を温めれば、竪穴住居やチセの土間の蓄熱効果で底冷えしないのではと考えました。雪国に暮らしてきた先人達の知恵を活かす試みです」

半地下の寝室は実験の場

半地下の寝室は実験の場

小塚「それから太陽の暖かさも大切ですね。北海道でもやはり高気密高断熱の家が主流なのですが、暖かさでは太陽の光に勝るものはないですよね。寒く高緯度の場所なので、その大切さは他の地域より切実です。なので、太陽光を効率的に取り入れるようにして、断熱材は最低限のウッドファイバーを使い、過剰な断熱はしない方法で試してみようと考えています。さらに補足的に薪ボイラーの床下暖房を敷けば、かなり快適になるのではないかと考えています。
寝室は「寝るために特化した部屋」として、就寝時が快適なら良いので、朝日が入る程度の小さな窓にしています。目覚めたら太陽の光がたくさん差し込むリビングに行って温まるという流れを想定して設計しています」

⎯⎯⎯ 楽しみな試みですね。高気密高断熱の話題が出ましたが、北海道だと比較的適しているようにも感じるのですが、実際のところどうなんでしょうか?

小塚「机上の計算では確かに優れているかもしれませんが、実際解体してみると気密性が高いほど、どこかにシワ寄せが出てくるなと実感します。高気密にしておいて24時間強制換気するという考え方がそもそもすごい矛盾ですよね。しかも、その空間はケミカルなもので満たされている訳です。それよりも、中気密くらいで高断熱、そして蓄熱と調湿のできる家の方が北海道の気候風土には合っているんじゃかいかと思います。それを実現できる木組みの家を考えていきたです」

※2 カラマツ(唐松)
北海道ではスギ・ヒノキに代わって、唐松(カラマツ)が積極的に植林されてきた。育苗が容易で、根付きが良く、成長も早い。繊維が螺旋状に育つため、割れや狂いが生じやすい。その反面、硬くて丈夫なので、将来は炭鉱や工事で使う杭木や電信柱としての活用が期待された。しかし、時代が変わり当初の需要はほとんどなくなり、現在では構造用合板や集成材などが主な活用路となっている。

※3 イグルー
北米の狩猟民族「イヌイット」や「エスキモー」の伝統的な雪の家。見た目は日本のかまくらに似ているが構造は異なる。かまくらは、雪を積み上げ内部をくり抜いて作るのが一般的だが、イグルーはブロック状に圧縮した雪を積み重ねていく。また、かまくらは寝泊まりには使用しないが、イグルーは冬の間の住居として使用される。

自ら設計して、
自ら建てる。

ここでいくつか事例をご紹介する。設計・大工・家具づくりまで一人でこなす小塚さんだからこそできる仕事の一端をご覧ください。


工房兼事務所

まず紹介するのは、自宅近くに建設中のご自身の工房兼事務所だ。取材に先立ち、建方の模様を拝見した。

今年新たに木の家ネットの会員に加わった小坂さんの姿も。

今年新たに木の家ネットの会員に加わった小坂さんの姿も。

きれいな仕口を近くで見ることができた

きれいな仕口を近くで見ることができた

後日送っていただいた屋根仕舞いまで完了した状態の写真。美しい。 写真:小塚さん

後日送っていただいた屋根仕舞いまで完了した状態の写真。美しい。 写真:小塚さん

生木のカラマツを、ねじれを考えながらトラス構造で組み上げていく様子はまさに職人技。抜群のチームワークでこなしていく。自ら設計して、自ら建てる。しかも自らの実験の場として。小塚さんの生き様を感じた。


東京都 江東区 | ハンバーガー店「LOUIS HAMBURGER RESTAURANT」

ここは小塚さんのお兄さんがはじめるお店。「Back to the Future IIIのようなウェスタンにして欲しい」との要望に応えるべく鋭意工事中。主要な木材は北海道で刻んで持って来たそうだ。

小塚「建方は仲間と兄の都合がつかず、なかなか大変でしたが一人で組み上げました。ヒヤヒヤする場面もありましたが… 中央のシンボルツリーには胡桃を使いました」


麻布十番 | 和食「お川」

小塚「大将がお一人で営業されてるカウンター席8席、テーブル席4席の小さな日本料理店です。大将の丁寧で丹精込めた料理を調理中の姿を眺めたりお話したりできるよう、オープンな空間を心がけました。お一人様でも退屈しないように全ての壁を違う仕上げにしました。市松模様の「途切れることなく続く」という意味を込めてモチーフにしました」


香川県木田郡三木町 | ラーメン店「ねいろ屋香川三木店」

カウンターのデザインと施工と担当。都内の荻窪店と神保町店にも携わっている。

大きく稼がず、
小さく暮らす。

⎯⎯⎯ これからの展望や目標などを教えてください。

小塚「先ほどの話にもありましたが、北海道では木材の乾燥は人工乾燥に頼りきっているのが現状です。仲間と水中乾燥や氷中乾燥を試していこうと話をしています。また山と直接つながった生活をしながら、チップ材にされてしまう前に、いい木を救っていきたいですね」

⎯⎯⎯ 氷中乾燥というのは初めて耳にしました。どんなメリットがあるのですか?

小塚「まだまだ実験段階ですが、湖や沼が結氷することで材が完全に水中に沈むことによって、より均一な浸透圧で水分ヤニが抜けることが期待できます。鹿肉や鮭の寒干しやルイベのように、北方ならではの知恵でデータでは得られない何かがありそうな気もしています。広葉樹の場合、木に入り込んだ虫をそのまま死滅させることも期待できます。デメリットは、結氷前に入れないと氷を割るところからしなければならないことと、氷が溶けるまで引き上げられないことです」

⎯⎯⎯ 木のことの他に、設計などに関してはいかがですか?

新築の設計実績がまだないので、自分の手で設計施工をやっていきたいです。それと、家具づくりも突き詰めていきたいです。オーダーがあって急いで作るんじゃなくて、自分がいいなと思える家具をしっかりと作っていきたいです。

⎯⎯⎯ 大事にしていることやモットーなどがあれば教えてください。

小塚「大きく稼がず、小さく暮らすこと。ですかね。お金が全てみたいな世界がすごく嫌なんです。
もちろん、現代で生活していく上で、経済活動から完全に抜けることはできませんが、猟をして畑をして仕事をしてというお金だけに頼らない暮らしをしていきたいです」


屋号である《ヒトトキ》の意味は『ひととき』であるのはもちろんのこと、『人と木』であり『人と喜』や『日と時』であるという小塚さん。インタビューでの優しくも芯のある言葉には、思いやりや感謝の念が感じられた。その気持ちは、家づくりに関わる人にだけではなく、木や動物、植物など、自らを生かしてくれている自然そのものにも向けられたものだ。

そんな想いを持った小塚さんが生み出すさまざまなものが魅力的でないはずがない。

自然のあらゆるものや現象に、カムイ(神様)が宿っているとされるアイヌの価値観と通ずるものがあるのは決して偶然ではない。

ここが彼の居場所であり、生きる道だ。


ヒトトキ 小塚祐介さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

「木や土、石を使った日本の伝統的な技術で建てた家は美しいですし、とても心地のいいものですが、“特別な人が住むもの”と思っていらっしゃる方が多いと思うんです。そういう方にこそ、木や土のぬくもりや味わい、快適さを知っていただきたいし、日本の家づくりのスタンダードになってほしい」

そう話すのは、木の家設計室アトリエ椿の代表で建築士の笠原由希さん(かさはらゆき・48歳)。

住む人の暮らし方にふさわしく、無理のない形での伝統技術や自然素材を取り入れた家づくりやリノベーション、リフォームを行っています。

もちろん暮らしにふさわしい形、心地よさは人それぞれ。本人さえも気がついていないこともあると笠原さんは言います。この重要なポイントを汲み取ろうと、依頼主やその家族、周囲の人にまで真摯に向き合う笠原さんの、千葉県柏市にあるご自身の作品であり生活の場でもあるアトリエに伺いました。

実際に生活する感覚をリアルに描けるようにと、クライアントとの打ち合わせは自宅アトリエで行っている笠原さん。3世代で木の家に暮らし、木の家が持つ“世代を超えた包容力”を感じているとのこと。そのことを証明するように、力強い梁は、元気いっぱいの娘さんの遊び相手にもなっていました。


11年が過ぎても清々しい香りのする家

⎯⎯⎯ 笠原さんのアトリエでもあるご自宅にお邪魔して、まず感じたのは、すごく清々しい木のいい香りがすることです。なんとも気持ちがいいですね!

笠原さん(以下、敬称略)「住んでいると気がつかなくなっているのですが、そう言ってくださるお客様は多いですね。このアトリエは建ててから11年が過ぎているのですが、まだ木が香りを放ってくれているんです。
香りも人の体や心に与える影響って大きいと言われていますよね。自然素材は見た目や匂いの癒し効果だけでなく、室内の湿度を調整したり有害な化学物質を吸着したりといった実質的な効果がある住む人に優しい素材です。心身の健康を考えるうえでメリットは大きいと経験的にも思います」

⎯⎯⎯ ホームページを拝見しても、家と健康の関連をとても大切に考えていらっしゃるのがわかります。そもそも住環境に興味を持ち、家をつくる仕事をしようと決められたことと何か関係していますか?

笠原「住環境に興味を持ったのは、夫の仕事の都合でスイスで暮らしていた時です。それまでは会社勤めで忙しくしていたのですが、退職しました。現地は日本人はほとんどいないようなところで、知り合いもいなくて。日中ひとりでクヨクヨと家にいる日々が始まりました。
二重の意味でライフスタイルが変わったなかで、私の心の支えになったのが住環境でした。家に居て窓の景色を見たり、散歩して町並みの美しさに触れるうちに、自分の中の焦りや孤独感が消えて、だんだんと気持ちが癒されていきました。移住がきっかけで住まいや周囲の環境が心に与える影響の大きさを知ったんです。
恩恵は十分に感じているのですが、何に癒されたのか言葉で説明できなくて。住んでいた家に関しては日本の家屋に比べて広かったですけど、ごく普通の築40年くらいの家でした。私自身がその“心地よさの正体”を知りたくて、これが建築の道に進むきっかけになったと思います」


笠原さんが設計した、千葉県柏市の緑豊かな高台に建てた木と漆喰の新築家屋。四季を通じて、どこからでも緑が見える家です。天気のいい日は、リビングのガラス戸を全開にすれば、室内と庭をひと続きにしてくれるえんがわと土間がなんとも魅力的。

1から物をつくる仕事がしたかった

⎯⎯⎯ 帰国されてから建築のお仕事を始められたのですね。

笠原「はい。その前から勉強はしていたのですが、店舗や工場、たまに住宅も扱うような建築事務所に入れていただき、今のキャリアをスタートさせました。
図面を描くことは好きでしたが、実際に仕事を始めたら、カタログやショウルームで既製品の建材を選んで組み立てていくだけという印象があって思っていたことと違っていました。

もっと住む方の暮らしにあわせた設計がしたい、気持ちに寄りそった家づくりがしたいと強く思いました。
そしてご縁をいただいたこともあり、木の家ネットの会員でもあるけやき建築設計さんや、古民家再生を得意とする工務店との仕事を通して、木の家づくりについて勉強させていただきました。
そこで改めて日本の木造建築の素晴らしい技術を学び、1からつくり上げる家づくりの楽しさや、木の家の心地よさについても知ることができました」

⎯⎯⎯ 笠原さんが感じた日本の木の家の魅力は、どのようなところでしょうか?

笠原「木の家の魅力は、すでにこのインタビューにご登場されている先輩方が語りつくされていると思いますが(笑)、自然素材の表面の穏やかで深みのあるテクスチャーやさらっとした空気感は、人工的なマテリアルや空調では再現できないものだと感じています。
実際に私自身が木の家に暮らしていてありがたいと思うのは、古くなっても、あまり神経質に掃除をしなくても、許容してくれるようなおおらかなところです。多少の傷は味、といいますか。

ただし、設計者がそれを言ってはいけない部分もありますので、自然素材を扱うから仕上がりがラフでいいということではなく、許容範囲内のばらつきなのか、それ以外なのかを判断するのも監理していくうえで必要ですし、設計段階でもなるべくシンプルになるように心がけています」

⎯⎯⎯ おおらかな空間、それだけでリラックスできそうですね。

笠原「それから、やはり心身の健康にいい影響があることも木の家の大きな魅力です。
それは自然素材という安全な素材を使っているからということはもちろんですが、色々な働きというかメリットを生みだしていると感じます。
私はスイスで出会ったバウビオロギーというドイツ発祥の建築生物学・生態学をずっと学んでいます。“家は大きな洋服である”という考えのもと、素材の安全性、匂い、音の反射、電磁波、色、カビ、化学物質、循環つまり廃棄するまで建材がエネルギーとして収支が取れているか、という視点で人が人らしく暮らせる家について研究する学問です。

日本の伝統技術や自然素材でつくる木の家は、これらの指針のほとんどをクリアしています。
私はプラスして、電磁波というか電気の影響を受けないように、人が長時間過ごす所の床には電気配線を通さないように工夫をするといったこともして、学びを活かしています」

埼玉県久喜市のプロテスタント教会。「キリスト教の方にとって教会とはどのような存在なのか、安易に想像しようとせずに、聖書を読みミサにも参加して学ぶことからはじめました。おかげさまで、お客様の暮らし方や心地よさに寄り添うということを改めて学び直しました」と笠原さん。牧師さんからは健康状態が整うような素材によるリノベーションをというリクエストでした。体に優しい建材にこだわったうえで、木の温もりと光の優しさをとり入れて、幼いころの学舎のような安心感のある祈りの場となりました。

家が持つ“心地よさ”の正体を探して

⎯⎯⎯ これまでのお仕事のご経験で、先ほどおっしゃっていた“心地よさの正体”は見つけられたのでしょうか?

笠原
「いえいえ。それはまだ勉強の途中ですし、一生探し続けると思います。
人が心地よさを感じるには、五感が働くだけでなく他の要素もあるような気がしています。
例えば木造建築の中でも、わびさびに代表される和の美意識や遊び心にあふれた茶室。広い部屋はのびのびと過ごせるよさがありますが、茶室の隣の人と肩がぶつかりそうなあの狭さだからこそ、一つの宇宙を感じるというか、何かに包まれている感覚があって心地いいですよね。ではどのように形にしているのかというと、やっぱり説明できませんね。

そこに身を置く時が私にとって至福の瞬間で、少しでもその世界観に近づけるように、お茶の稽古にも通っています。じつは茶花といえば椿なので、アトリエ名も椿を入れさせていただきました」

⎯⎯⎯ なるほど、広ければ心地いいとは限りませんね。

笠原
「そうですね。他にも、新築の家のフレッシュで清々しい空気感も魅力ですが、古民家には古い木材や漆喰の壁に囲まれた、温かく懐かしい空間があり、今の一般的な家づくりで使われる新建材ではとうてい出せない豊かな表情を持っています。

価値は多様で、さらに人それぞれ。もちろん心地よさも。ですから家づくりはこうでなければ、という制約はなるべく設けないようにしています。特に、古い家のリノベーションなどでは、大切にしている持ち物や変えたくない暮らし方など、ご家族にしかわからないストーリーがあります。なるべくお気持ちに寄り添いながら、生活が楽になるご提案をしたいです。

木の家で80代後半の義母と同居したり子育てをしたりしている生活者としての私の経験を、設計にも活かしていけたらと思っています。女性ならではの視点も活かしたいところですが、最近は家事や家電に詳しい男性も多く、お客様に教えていただくことも多いですね」

車椅子で使用するバリアフリーのキッチンを設計、ダイニングのプランニングやテーブル、収納のデザインも笠原さんが担当。バリアフリー用の設備機器はデザインや寸法の面で選択肢の少ない中、木造にし専用に設計することで、お客様と車椅子の高さと体の状態に細やかにあわせた設計になっています。 動きやすさを大切にしながらもキッチンが丸見えにならないよう、セミクローズのスタイルに。


埼玉県川越市の古民家を再生。「一部取り壊した既存部の梁を移築して古い家の生活の記憶を繋いでいます。80年前の職人さんの削り跡も生で見られるのですから、高い技術を継承できる大いなる遺産ですよね」と笠原さん。劣化の激しかった北側水周りなどを取り除き“離れ”として再生しました。

木材の一本一本もすべて出会い

⎯⎯⎯ 建築士である前に生活者としての眼差しを大切にされているのですね。

笠原「家という場所は、食事をして睡眠を取って、仕事や勉強をして、家族とのコミュニケーションを取って、と、私たちの身体や心の基礎をつくる場所です。感染症の蔓延や緊迫した海外情勢などで先行きの不安や閉塞感が広がるなか、家の中に目を向ける人が増えてきているのは必然のこと。私もそのひとりとしてお力になりたいと思っています。

一方で作り手として大切にしていることもあります。なるべく真壁で作ること。柱や梁などが見える真壁は木の姿の美しさを味わえます。
もう一つは、どうしても日本は地震の問題がありますから、木の家の強度を高める意味もあって、“手刻み”にはこだわっています。
予め木材を切って搬入せず、現場で木材どうしの組み合わせを見て調整し、梁(はり)や桁(けた)、柱それぞれの木材の接合部分をつくってはめ込みことで、嵌合(かんごう)がしっかりした安全な骨組みをつくることができます。

これは、昔ながらの伝統技術を身につけている大工さんでなくてはできないことです。木の癖を読んで配置を決めてくださるので、人の感覚の方が信頼できるなと、いつも感じます。
そんな大工さんから『あの木はいい目だったから、和室のここに使ったよ』と誇らしげに言われると、幸せな出会いだなと思ってうれしくなります」

⎯⎯⎯ お客様と笠原さんの出会い、笠原さんが依頼した腕利きの大工さんと出会って、木材との出会いもあり、さらに大工さんが木材のどの木目を見せるか選んで……。たくさんの選択肢のバリエーションがある中で、茶道ではないですが一期一会的ですね。

笠原「そうですね。木も一本一本が出会いですから、隠さない形で表情豊かに使いたいという思いはあります。使命感に近いかもしれません。だから真壁が好きなんですね」

笠原さんは3年前から、千葉県柏市にある「下田の杜」という里山公園の古民家再生プロジェクトにボランティアとして参加しています。「建築士として同業と仲間と構造を調査して修復のための図面を引いただけでなく、実際の修復作業もしています。経験豊富な大工さんの指導を受け、下手! と怒られながら(笑)」。取り除いた瓦を廃棄せずに活かしてつくられた水落ち。月1回の手作業のため完成まで半年かかったとのことですが、波打つ小道のようでその美しさが目を引きます。

家の一部でも伝統技術と自然素材を

⎯⎯⎯ 今後の目標、ミッションとして取り組んでいることを教えてください。

笠原「私の目標は、日々の活力を養ったり、弱っている心身を癒したりするのに、無垢の国産材と熟練の職人がつくる心地よい“ゆらぎ”のある空間や、化学物質に汚染されていない安全な空気、安心して呼吸できる家を確実にお届けすることです。
そのような家づくりがいつの間にか標準的なものから外れ、こだわりのある人にしか届かないようになっているのは残念なことです。

家のすべて、構造から伝統技術と自然素材でつくるとなると、どうしてもハードルが高くなります。費用もかかるだろうからと最初から諦めている方も多いのではないでしょうか。
部分的にでもと言いますか大切な場所に、できる範囲を一緒に考えさせていただいて、たくさんの方の住環境に木や漆喰の壁などを取り入れていただき、楽しんでいただきたいと思っています。
そうやって木の家が増えていき、木の家に住むことがスタンダードに戻ることを願っています」

⎯⎯⎯ そのためには木の家の居心地をたくさんの人に知ってほしいですね。

笠原「希望を感じるのは、地元の古民家再生の活動などを通して、子ども達や学生向けの講座やワークショップを開く機会が増えていることです。日本の風土にあった昔の暮らしや地場産の家づくりについてや、それが地球環境にもつながっていることを次世代に楽しく伝えていけたらと思っています。

かつて海外で暮らしていた経験から、日本固有の文化を知りたいと思ったのが古民家に目を向けたきっかけでしたが、昔の瓦や土壁で出来た建物やダイナミックな空間が、シンプルに格好いいと感じました。
歴史的なものや構造よりも、まずはデザインが気になったんですが、古民家に目を向けると、周囲の町並みや土地との関係も自然と目に入るようになりました。昔の人は、暮らしの中に電化製品も無かったし、重機で土地を開発することも無かった。そのぶん、自然環境を利用する知恵が蓄えられてきたのだと感じます。

現在、保存活用に関わっている古民家も里山の中に残っているものですが、建物が無くなってしまうと、昔の人の生きる知恵もうやむやになってしまう。ただ懐かしいから残す、これはとても大切なことですが、それだけではなく、なぜこの建物がこの場所に建っていたのか、現在の住宅と何が違うのか、周りの環境はどう変わったのか、一軒の古民家でも沢山のことを教えてくれます。学びを深めながら、それをつないでいきたいですね」

設計の中でもとくに耐震強度の面を担当している笠原さん。「この古民家にはまだ使える脱穀機などの民具が残っていて、ここは、子どもたちが実際に昔の暮らしぶりを体験するワークショップも行える展示施設にする計画になっています。ですから、安全な建物にすることは重要なミッションです」。
青に染められた漆喰の壁が粋な隠居部屋は、この日、普段は寺社も手がける熟練の大工さんによって床下の建替えが行われました。「彼らもボランティアなんです。次世代に大切なものを残したいという強い気持ちが、全員の中にあります」


インタビュー中の笠原さんは、言葉を慎重に選びながらお話される方でした。その姿勢は、「知ったつもりになっていないか、決めつけていないか」ということを、つねに自分に問いかけているよう。
こうやってお客様や職人の方々、木や土、石や紙などの素材、家のまわりの景色と丁寧に対話をしながら木の家をつくっている、仕事中の笠原さんの様子もありありと想像されました。
そして、住む人、訪れる人、通りすがりにその家を目にする人たちの幸せをつねに願っている笠原さんの家づくりは、まるで祈りを形にする行為のよう、そう感じました。

木の家設計室アトリエ椿 笠原由希さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:小林佑実(Yuumi Kobayashi)
写真提供:笠原由希さん(アトリエ、栗橋キリスト教会リノベーション、バリアフリーキッチン)、小野寺崇貴さん(柏市 土間のある家)、畑拓さん(川越市 築80年の古民家再生)

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