一般社団法人
職人がつくる木の家ネット 事務局
〒711-0906
岡山県倉敷市児島下の町5-7-3 児島舎内
E-mail jimukyoku@kino-ie.net
TEL 086-486-5464

「木の家」や「木そのもの」に興味のある方なら「吉野杉」「吉野檜(ひのき)」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その良質な杉や檜を育み世に送り出す「吉野林業」は、吉野川流域で室町時代から約500年の歴史を誇る人工林の先駆けとして知られています。

自然豊かな吉野川

さて、今回ご紹介するつくり手は、坂本林業の坂本好孝さん。奈良県の吉野で檜の製材を専門に扱う製材所を経営されています。

坂本 好孝さん(さかもとよしたか・53歳)プロフィール
昭和43年(1968年)奈良県吉野町生まれ。三重大学工学部建築学科を卒業後、住友林業で住宅の設計等に携わり、30歳で結婚を機にUターンし、父親が起業した「坂本林業」を継承。

それでは、インタビューをどうぞ。


どんだけハッとくるか

⎯⎯⎯ プロフィールを拝見しました。設計をされていたんですね。経歴について教えてください。

「吉野の美しい森や木、奈良の伝統建築に触れながら育ったので、木造建築に関わる仕事がしたいと自然に思うようになりました。また就職してみて、子どもの頃から当たり前に触れてきた吉野檜の良さに改めて気付かされました。吉野に戻ってきた理由は色々ありますが、住宅メーカーでは効率やクレーム対応から化粧材として木材を使わなくなり、実際に木に触れる機会がなくなっていったことが大きな理由です」

⎯⎯⎯ 今は吉野檜に日々触れられていると思いますが、その良さについてお聞きしたいです。

「一般に木材のグレードは、強度、節の有無、欠点がないことなど、性能面で比較されることが多いですが、吉野材はそういった基本的な部分はクリアした上で、色・艶・香りといった、より感性的な部分での比較になります。『どんだけハッとくるか』が目利きのポイントですね」

坂本林業のすぐ近くにある原木市場。広大な土地に競りにかけられる丸太が並べられている。

目利きのポイントを説明してくれる坂本さん

左:「急に枝打ちできるわけじゃなく、100年前に枝打ちをしてくれていたからこそ、この立派な木が取れるんです」(坂本さん)/右:目の詰まった大径木が並ぶ

「吉野材の良さは鉋(かんな)で仕上げてこそわかる部分なんです。最近は電動のサンダーで仕上げるところが多くなっていますが、サンダー仕上げだと木の良いところも悪いところもならされてしまって、どんな木材も平均的な見た目になります。逆に鉋仕上げの場合は、木材自体の品質で仕上がりが左右されます。ですので、大工さんが手刻みで家づくりをしていく場合には、より早く、より美しく仕上げられます。そこが多少高くても、吉野材が重宝されてきた理由です」

鉋で美しく仕上げられた床材|山梨県 恵林寺(えりんじ)
写真提供:坂本さん


吉野材は世代を超えた『作品』

⎯⎯⎯ では吉野で高品質な木材が生まれる理由はどこにあるのでしょうか。

「まず、地形・土壌・気候など、自然環境自体が杉や檜の育成に適していたということが元々あります。その上で吉野林業の3つの特徴である【密植(みっしょく)】【多間伐(たかんばつ)】【長伐期(ちょうばっき)】によって高品質な吉野材がつくりだされています」

坂本さんに檜の森を案内してもらった

よく手入れされた吉野檜の山林 写真提供:坂本さん

⎯⎯⎯ 3つの特徴を詳しく教えてください。

「一般的に植林木は天然木に比べると品質は劣ってしまいます。拡大造林期の植林木の場合、山を皆伐(かいばつ)したあと、広めに間隔をあけて苗を植えることで、成長を促進させ収穫のサイクルを早めています。通常、1ヘクタールあたり2,000〜3,000本植え、40~50年のサイクル(伐期)での収穫を目指したと言われています」

「一方、吉野の【密植】では1ヘクタールあたり10,000本以上という超高密度で苗を植えています。これは一般的な植林の3〜4倍の密度で天然林に近い生育環境なんです。成長を抑制することで芯材部分の年輪の間隔を細かくすることができます(=目が細かくなる)」

「つぎに【多間伐】について。密植されたままだと、栄養や日光が足らず全ての木が育たないままですよね。吉野では、樹齢60年までの間に10回前後の間伐がおこなわれ、最終的には1ヘクタールあたり100本にまで間引かれます。成長に合わせて何度も間伐を繰り返すことで年輪の幅を揃える効果があります」

「最後に【長伐期】について。吉野林業の伐期は、一般的な植林の倍以上の100〜300年といわれています。永い年月をかけ何世代にもわたって受け継がれてきたものなんです。天然木にも劣らないような大径木が育つのが特徴です」


逆風を追い風に

⎯⎯⎯ 吉野の林業・製材所を取り巻く状況を教えてください。

「吉野には、杉には杉の、檜には檜の、専門の製材所があるのですが、扱う木材によってさらに細分化されています」

例えば、檜の元玉(根元に近い株が付いている太い部分。人の手が届く高さのため手入れ・枝打ちが行き届いており節が少ない)だけを扱う製材所、檜の二番玉(元玉のすぐ上の部分。太さは均一だが、人の手が届かないので手入れ・枝打ちがされていない)だけを扱う製材所などがあります」

⎯⎯⎯ 細分化されている製材所の中で、坂本林業ではどのようなものを製材されているのですか?

「以前は大径木を突板用材のために製材していました。突板は一枚一枚は薄く安いのですが、薄いが故にそのどこをとっても欠点がないような高いクオリティを要求されます。それを実現できるのが吉野の檜なんです」

「突板は建売住宅などの和室の材料として使われることが多かったのですが、それも時代とともに売れなくなってきています。現在は商業施設・宿泊施設向けの特殊な用途が多くなっています」

⎯⎯⎯ そもそもの質問なんですが、なぜ細分化されているのでしょうか。

「理由は各々の得意な同一寸法の製品を大量生産することで、効率化を図っているからなんですが、昨今は残念ながら廃業が相次いでいます。吉野貯木と呼ばれる地域において、最盛期には100軒以上の製材所がありましたが、今では檜に限れば10軒未満になってしまいました。杉の製材所の場合はさらに深刻です」

⎯⎯⎯ とても残念ですね。その理由を聞かせてください。

「木を自分で刻んで建てる大工さんが減り、プレカット工場で加工された材木を使って大手ビルダー主導で家を建てることが増えてきました。体力のある製材所はそれにあわせて大規模化していきましたが、逆に規模を維持したままの製材所では効率を重視しても採算にあわなくなってしまいました。単に量だけでいうと、ここで一年間に製材できる量を、大規模工場では一日で製材できてしまうでしょう」

「デフレがどんどん進み、僕がこの仕事を始めた頃と比べて、木材の市売価格は1/2~1/4くらいまで下がってしまっています。高度経済成長期に最盛期だった吉野の製材所も時代の流れについていけなくなってしまったんです。あとを継ぐ人材が少なく創業者の一代限りで暖簾を下ろすケースがあとを絶ちません」

⎯⎯⎯ そんな状況の中、坂本林業は生き残り続けています。強みはどこにあると思われますか。

「吉野川流域産の檜を専門に扱っていることが最大の強みです。密植によって育てられ、“伐り旬”(きりしゅん)に伐採された『これぞ吉野材』という品質の安定した檜だけを仕入れています。一本一本の材質を見極め、その良さを活かした製材を心がけています。また、長い時間をかけてゆっくり乾かすことでじっくり熟成された檜をお届けしています。削った時の艶感が全然違うんです」

⎯⎯⎯ 吉野材の良さを知ってもらうために、何か施策をされていますか?

「ひとつは工場見学です。木に対する理解を深めてもらうために、資料を手に製材の過程を見てもらっています。ご希望があれば随時受け付けています」

見学者向けに分かりやすい資料を用意してある

「もうひとつは吉野川沿いに建つ【吉野杉の家】という吉野材を体感できる施設。建築家の長谷川豪さん・Airbnb・吉野町が協力し作りあげた施設で、地元で木の仕事に携わる仲間たちと【吉野と暮らす会】を設立し運営しています。一棟貸しの宿として宿泊も可能で、Airbnbを通じて予約することができます」

上記4点 写真:鈴木久雄


切られた瞬間、芳醇な香りが立ち込める

すべては吉野檜を活かしきるために…

実際に製材の様子を案内してもらった。一本一本個性の違う木と向き合いながら丁寧に製材する様子は、木と対話しているようでもあり、職人魂を感じるものだ。

皮剥きを専門に担う業者の方が皮を剥く

左:使い込まれた道具から歴史が滲みでる/右:剥かれた皮は伝統建築などの檜皮葺(ひわだぶき)に使われる

カットのたびに最適な切り方を見極める。その眼差しは真剣そのものだ。

9mm厚の本実加工(ほんざねかこう)された製品 写真提供:坂本さん

製材された檜は桟積み(さんづみ)に。ここから通常で一年以上、急ぎの場合でも半年はじっくりと天然乾燥させ、熟成したものを出荷する。

天然乾燥は、時間がかかるため効率を重視するとデメリットと捉えられる。しかし品質を重視する坂本林業ではこの天然乾燥をあえておこなう。なぜならば、内部まで均一に乾燥させることで狂いにくくなること、油分(樹脂)を損なわないため仕上げた時の色艶が良いこと、エイジングによって木材が熟成されること、このようなメリットの方が勝るからである。すべては吉野材の持ち味を最大限に活かすためだ。

長い時間をかけて天然乾燥され出荷の時を待つ檜たち
写真提供:右上・下段 坂本さん


品質で選ばれる坂本林業の檜材。その納入事例をいくつかご紹介。

J of JINS Roppongi Hills | 東京都港区 六本木ヒルズ内

写真提供:坂本さん

木村工務店自邸|大阪府大阪市

左 写真:多田ユウコ写真事務所 / 右 写真提供:坂本さん

横内敏人氏設計の自邸|奈良県吉野郡

写真提供:坂本さん

ササハウス|兵庫県川西市

写真:笹の倉舎 / 笹倉洋平

MoonRounds|奈良県 吉野郡川上村

左 写真提供:MoonRounds / 右 写真提供:坂本さん

亘 章吾|曲木造形作家

写真提供:坂本大貴


⎯⎯⎯ これからの展望や夢を教えてください。

「吉野発の、吉野と共に生きるラグジュアリーブランドを目指して【SAKAMOTO】というブランドを立ち上げました。吉野の檜はかなりポテンシャルのある素材だと思っています。今までは素材のまま出荷するのが製材所のビジネスモデルでしたが、SAKAMOTOの取り組みでは、素材の持ち味を最大限に引き出せる完成品を自ら生み出し、世に送り出したいと考えています」

「最初の一歩として、福井県のあわら温泉にある【光風湯圃べにや】の特別室・呉竹の間に、ヒノキのベッドを納入しました。吉野檜の良さを活かすようにデザインし、吉野の家具屋さんにつくってもらったものです。かなり細かい部分までこだわったので、評判も上々です」

写真提供:坂本さん

⎯⎯⎯ 最後に、坂本さんにとって檜とはどんな存在でしょうか。
「木材は時間を表現することができる稀有な素材です。歴史の重みや何世代にもわたって伝えらてきたノウハウなどを現すことが出来ます。吉野の檜を使ってもらうことで、単に建築物という空間ではなく、豊かな時間が過ごせる心地よい場が増えていけばいいなと考えてます。吉野の檜の素晴らしさを広く知ってもらいたいので、『ここぞ』というところには、ぜひ吉野の檜を使ってください」


坂本林業 坂本 好孝(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

埼玉県飯能市は、江戸城下町に材をおさめたことで有名な「西川材」の産地。昭和4年から続く大河原木材は、木造住宅や神社仏閣の材を提供するなど歴史を守ってきた。加えて社長の大河原章吉さんは、別組織としてプレカットや家具を扱う工場やペレット製造経営にも手腕を発揮し、「西川材」のブランド化をけん引してきた存在だ。50代で大学院生となり、木材を「生物資材」ととらえて研究してきた経緯から、「木の良さを生かし、あまねく使い切るための実験を、70過ぎた今も続けている感じだね」と笑う。

西川材は、飯能市を中心とした「西川地域」が褐色森林土の温暖でスギ、ヒノキの生育に適していることから「東の吉野材」とも言われ、良質の材木として名が通ってきた。製材所は平成元年には110工場あり、地場産業の一翼を担っていた。どこも家族経営で、大河原木材もその一つだった。西川材を、住宅用の注文材を中心に加工し、地元や東京の大工に提供してきた。天然乾燥する昔ながらの手法だ。

次男として生まれた章吉さんは、英語や海外など新しい世界に興味がある少年だった。大学で経済学を学びながら、カナダに留学もした。長男が早くに亡くなっていたため、卒業後は千葉の材木問屋で1年修業した後、家業に入った。時代はバブル真っ只中で、仕事の幅も広がり、県内外の仏閣用構造材も製材するようになった。

西川材がずらりと並ぶ大河原木材の作業場

ところがバブルがはじけ、輸入材が増加し、昭和の終わりには国産材の需要が一気に厳しくなったという。他産地が大規模化を進める中、西川材は産地規模から大量生産が難しい。「何か手を打たなければ」と、地域の4社と森林組合が数年議論を重ね、一体となって協同組合「フォレスト西川」を立ち上げたのは平成6年のことだった。

大河原木材の倉庫は、トラス式の木造建物。木の香りが漂う

名産地での挑戦

大河原木材は家族経営の製材所として天然乾燥の注文材をつくりつつ、組合では機械乾燥を取り入れ、合理化を進めるという「二刀流」に挑戦。組合には営業担当も配置し、消費者ニーズを意識した製品開発という従来の製材業とは全く異なる方針を掲げ、大河原さんは組合長として采配を振るってきた。その間、家業は親戚に任せたという。

西川材の危機を感じつつも、「ここは首都圏のマーケットに近いという強みがある。需要の変化に合わせられれば生き残っていける」と大河原さんは前向きにとらえ、需要を調査しながら様々な商品を展開してきた。補助事業でプレカット機械を導入した構造材を皮切りに階段材料、壁床板、木製の建具などだ。

プレカット材はそれまで付き合いがなかった工務店に供給できるようになり「ここ数年でようやく経営の安定が見えてきた」と大河原さん。手ごたえを感じ平成28年には株式会社化した。

近年の主力製品は、子供向けのいすや机だ。小さくてかわいらしく無垢のぬくもりがあり、首都圏の幼稚園などに出荷している。子どもを自然に触れさせたいという「木育」ニーズは高まり、「今注目されている持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)の考え方の『地域の森を守ろう』や『持続可能』という意識も、受け入れられやすい」と消費者動向の変化を実感している。

大河原さんにとって、フォレスト西川の目指すところが「求められる製品を木で作り喜んでもらう」である一方、家業の製材業は「木が持っている違いを見極めて生かす」と対照性を感じている。「プレカットをやったからこそ、手刻みが一番木を生かせるし、面白いって思えるんだ。感覚的で、奥が深い」と笑顔を見せる。

「木をもっと学びたい」50代で大学院進学

組合でさまざまな木造製品を企画、開発する中で、常に課題として立ちはだかったのは、木材の持つ個体差だ。1本1本ばらつきがあり、その1本の中でさえも、中心材と辺材、節回りなど部分によって、湿度、曲がり、強度など個体差がある。まったく同じ材を切り出し組み立てることができない。大河原さんは、木の素材としての特性をしっかり学びたいという気持ちから、50代での受験勉強を経て大学院に進学。研究生活は8年に及び、出した結論は「木は生物資材であり、工業製品と同じく扱ってはいけない。あまねく活用することでまだまだ需要喚起できる」ということだ。

「生物資材」とはどういうことか。大学院では木の個性や部分による性質の違いを科学的に分析し、その違いによってどんなものに使うといいのかを突き詰めていった。同じスギでも、産地によって違いが出ることも数字で証明した。その答えは、伝統工法の大工が当たり前にやってきた木1本1本の特性を見極め、適材適所で配置するということを裏打ちするものだったという。

木をいかす技術として、大河原さんは大工技術を高く評価している

大河原さんは近年、消費者から家を建てる時に「空間を広く取りたいので柱を細く」「建具を薄く軽くしてほしい」などデザインや使い勝手を優先する声を聞いてきた。対して大工は「反りが出るから」など不具合を見通しいい顔をしない。大工の感覚には“木を生物資材として生かす”視点があり、それは工業製品に慣れた現代の消費者とは離れているということを大河原さんは再認識。大工への尊敬が増したとともに、「消費者のニーズはもちろん聞くが、木を扱う以上、生物資材という感覚を持っていこう」という自分のビジネスの軸が出来上がったという。

その思いを体現したのが、大河原木材の敷地内にある木造の研修棟。伝統工法を採用した2階建ての建物だ。「木は呼吸している、木は経年変化すると口で言ってもなかなか実感してもらえない。その空間に入って、深呼吸してもらうのが一番」と話す。社員といっても現代の一消費者であり工業製品の感覚を持っているため、この研修棟で木の生物資材としての特性を理解し、感覚として身に着けることが目的だ。森づくりや地域づくりなど大河原さんが関わる団体も利用するが「気持ちよい空間だから、話が弾むって好評だよ」と誇らしげだ。

疲れたら檜の風呂で一休み

木をあまねく使い切る

加えて、木材の廃棄にも注目した。木1本を重量換算すると建築材料として使うのはたったの25%。7割以上は活用されていないということにショックを受けた。

「例えれば、高級マグロの一番おいしい刺身が木材でいう建築材。マグロは刺身以外にも炊いたりあら汁にしたりして綺麗に食べきるし、それでお金もとれる。材木も大切に使い切れないだろうか」と考えた。大量生産が難しい西川材にとって、関連産業で収益を確保できるのは理想的だ。さかのぼれば樹皮や枝葉は燃料や屋根材にしてすべて使い切っていたことも、「何とかしたい、できるはず」という気持ちに火をつけた。

 研究は樹皮の活用へと進み、近年のバーベキューやキャンプの盛り上がりからアウトドア燃料として使うアイデアを得た。すでに地元で樹皮のペレット化をしていた企業「もくねん」と話が盛り上がり、2年前に経営に大河原さんが入って燃料として炭の商品開発を進めてきた。「二刀流」から、「三刀流」へのさらなる挑戦だ。

 樹皮のペレットを炭にしたオリジナル燃料は、バーベキューはもちろん、ダイニングテーブルの上で陶板を温めてチーズやソーセージを焼いたりと多彩に楽しめる。炭は遠赤外線を発生するので「焼き鳥も野菜もぐっとおいしくなる」と自信を見せる。木をあまねく使い切る取り組みの一歩として、この12月から本格販売を予定している。

大河原さん作成、木をあまねく使い切るイメージ

炭とセット販売する予定の特注コンロ

「わからないことをクリアーにしていくのが好き」という大河原さんは、商品開発に行き詰った時、経営に悩んだ時、どんどん「わかる人に聞く」という。「50年同じ業界にいるから、幸いなことにこういうときはこの人に聞くってのが見えている。一人じゃなにもできないこともよくわかっている」と話す。アイデアが人とのつながりで変化していったり、実際に形になったりと新しい世界が見えることに、喜びを感じている。

オリジナル燃料の製造は、県内の授産施設に委託することになった。効率化、機械化で大量生産するのではなく、ニーズに合わせた生産を適正な形で実現したいというイメージが、人の紹介によって実現した。「障害を持つ本人や親御さんの励みになっているようで、こちらとしてもとてもありがたい。自分も、知らなかった世界に触れて勉強になっている」と実感している。

世界を広げたその先に

次の新しい世界はなんと、大河原木材の移転と敷地拡大だ。在庫が多くなったことに加え、フォレスト西川の作業場と敷地が離れているため不便だったことから隣接している敷地を購入した。来年には稼働をスタートする予定になっている。

移転により、材木を運搬する手間の省略に期待が高まる

これまで、西川地域の山林から、製材業の過去と現在、木造建築、首都圏の消費者のニーズまで、世界をどんどん広げきた大河原さん。

未来についての展望を尋ねると「日本は少子高齢化で、家を建てるペースもこれから変化していくだろう。大量生産の必要性がなくなるから、手間暇かけていいものをつくる昔ながらの大工が求められるんじゃないかと思っている。全部手刻みじゃなくても、単純なところはプレカットに任せてもらえたらコストも抑えられる。海外からのニーズも出てくるんじゃないかな」と答えた。

近年のウッドショックによる影響を「日本の林業を見直すチャンスでもある。西川材の場合は1本の木を総合的に使い、関連産業の収益を山に還元できれば、まだまだ面白い展開があると思う」と話す。

西川材が保管されている奥に、美しい緑の木々が覗いている

手を伸ばして広げた世界がつながり、還っていく先は、緑豊かな山。そこでは、丁寧に育てられた木々が次世代での活躍を待っている。

大河原木材 大河原章吉さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:大河原木材

行雲流水とは、自然の成り行きに身を任せること。また、とどまることなく移り変わっていくこと。奈良県大淀町の製材・材木商「ウッドベース」社長である中西豊さんは、行雲流水の人だ。

「ウッドベース」は吉野産材を中心に扱う。吉野は日本三大人口美林のひとつで、日本最古の造林地、室町時代に人口植林が始まったといわれている。歴史ある産地ではとても珍しい新参入組で、15年前に立ち上げた。

変わりゆく時代の流れの中で「付き合いのある工務店さんの期待に応えたかっただけ」と謙遜しつつも、目利きや製材などの技能をこつこつと身に着け、初代として道を切り開いてきた。木の育ちや表情などひとつひとつの違いを「見ているのが楽しいし、その場所にあった木を選ぶ自信がある」と語る中西さんに、これまでの歩みや木を仕事とする喜びを聞いた。

奈良県にある「ウッドベース」事務所

初代として

奈良県生まれの中西さんだが、木との縁は最初からあったわけではなく、少しずつ、少しずつ導かれていった。

10代後半は家庭の事情で関東で過ごし、様々なアルバイトを経験した中のひとつが材木屋だった。19歳で奈良に戻った時、その経験を知った親戚の紹介で銘木市場で仕事を始めた。せりのたびに角材を担いで移動させる。肩は擦れ、手首も痛む力仕事だった。毎日木に触れ、木を見つめ、目利きを養っていった。

20代半ばで、市場から材木商として独立する仲間について行くことになり、市場を離れた。

その後33歳の時に自身も材木商として独立。所属していた材木商の在庫と設備を買い取り、「ウッドベース」が始まった。「お客さんが困らないように」「お客さんの期待に応えたい」。中西さんは繰り返す。

30代半ばで、材木商に加えて製材業もやるようになったのも、場所を借りていた製材所が閉めることになり、お客さんを思ってのことだった。

「地元の製材所の人には『こんな時に製材所始めるなんで、あほちゃうか』ってさんざん言われた」と振り返る。

しかし、吉野地域は製材の歴史がある分、製材所ごとに得意分野が細分化されており、「ひとつがやめてしまっても他に頼めばいいというわけではなく、困る人が出てくる」と考えた。製材の知識も経験もなかったが、中古の製材機を買い取った。地域で製材をしている仲間らが代わる代わる、技術を教えに来てくれて身に着けたという。

製材機は、今も現役で活躍している

独立当時からの付き合いがある大阪・羽根建築工房の羽根信一さんは、中西さんについて「昔から変わらないよ。裏表がなく、大げさに派手なこともしない。だから、信頼できるんだ」という。

ウッドベースが扱う木材はほとんどが吉野産。中西さんは「吉野材が色も形も一番美しいって思うし、地元の材を使うっていう考えは当然として自分の中にある。森に囲まれて育ったからかな」と話す。

ストックが積まれた製材所は、緑深い森に囲まれている

吉野産材は、吉野山の地形や雨の多い気候などといった自然の力に加え、「密植」「多間伐」という人間の作業が加わることによって完成する。吉野産材は、山に苗木を植える本数が1ヘクタール当たり8000-12000本。一般的には3000-5000本と言われているので、2倍以上の密度だ。その分間伐を多くする必要になり、手間がかかる。

間伐する林業家は「山守」と呼ばれ、丁寧に木を育てる伝統が現在に受け継がれている。

この方法で育てた材は、中西さんは地元産というひいき目をのぞいても「木目が均一ですえおちが少なく、本当に素晴らしいんだ」とほれ込む。 歴史が長いため80-100年産の間伐材も流通しているという。山の中には樹齢400年の木も現存している。

材木の入荷は、地元の原木市場だ。原木で作業場に運びこんで、その木材に最も適した製品にするために木取りをする。製材するとき、丸太からどのような大きさの材をとっていくか、どのような木目をとるかが職人の腕の見せ所となる。

天然乾燥させたあと、出荷する。納期でよっぽど急ぎの場合をのぞいて、機械乾燥はしない。機械ではなく天然乾燥にこだわるのは、割れが起こりにくいことに加え、油脂分を残すことで木の香りを楽しめたり、木が腐るのを防いだりすることができるためだという。

ウッドベースは700坪の敷地を確保し、中には製材スペースや中温の乾燥機を設置してある。材木のストックもあるが、この敷地だけでは足りず、500坪分の敷地と、倉庫が2つに保管してある。その数、「住宅だったら10軒分くらい(中西さん)」にも上る。

市場で買い付けたものだけでなく、製材所を整理したり閉めたりする時に集まってくるものもあるという。「一番若造だから、気にかけてもらっている」と感謝する。

出荷先については、地元にこだわらず、吉野産をいいと思ってくれる人に届けたいと考えている。現に、ウッドベースは材木の大半を、工務店を通して兵庫、大阪、京都などの県外に出荷している。

木の奥深さを伝える

ウッドベースは現在、製材など材木作業は取締役の2人とパートで行い、中西さんは受注や配達、見積りなどの社長業をこなしている。あとは事務担当のパートと、計6人体制だ。

事務所の2階が事務作業スペース

独立から15年を経て、「最初は原木の良しあしも、製材のうまいやり方もわからなかったけど、数こなしてようやく覚えられたかな」と駆け抜けた日々を振り返る。

ここ3年ほどで感じる変化は、使う側の変化だ。今までは工務店に出荷して終わりだったが、県外から設計士さんや施主さんが少人数のグループで、山や製材の様子をみにくるようになったという。

住む側、使う側とのコミュニケーションは「少人数でじっくり話せるととても楽しい。どんどん提案したくなる」と中西さん。

説明用に手作りした木取り図

「その時間が本当に楽しい。自分の目利きには自信がある」という。ほれ込んだ木は抱いて寝られるほどだと冗談めかして笑う。

ひっそりと保管された「銘木」の数々

中西さんは、日々材木を見つめ、木に触れる中で、ひとつとして同じ表情の木はないことをしみじみと感じている。その木が一番落ち着く、しっくりくる場所で役目を果たせるように、という気持ちを持って、業務に向かっている。

長い目で山と向き合う

2020年からの新型コロナウイルス発生により、材木業界にも影響が出てきた。ウッドショックだ。木の家ネットYoutubeチャンネルでも話題になっていたが、米松やレッドウッドなどのアメリカから輸入している集成材の価格が高騰している。アメリカの住宅需要の高まりやコンテナ不足をはじめさまざまな要因があると考えられる。

日本の住宅も輸入材が占める割合は高いため、輸入材の高騰により代替品として国産材の人気が高まり、数が少なくなったり価格も同調して上がってしまったりという状況がある。日刊木材新聞によると、「杉KD(人工乾燥)柱角」の材料価格は半年で1・5倍にまで膨れ上がってきた。

ウッドベースではほとんどの材料を自分で製材し、足りない分は他の製材所から購入している。その購
入分の価格が「信じられないくらい高くなった。独立しての時のように自分で製材をやらずに材木商だけだったら、とても立ち行かなかったと思う」という。

丁寧に製材した材料たち

今後、国産材のニーズが高まっていくことが懸念されるが「山仕事は人手不足や高齢化で、すぐに対応は難しい」とも考えている。「ころころと対応を変えずに、もっと長い目で山と向き合っていかないと」と前を見据える。

木は自分が生まれる前から何十年も生きてきて、木材に加工され、家となることでさらに何十年も生き、残っていく。そのような大きな流れの中で「自分はその一瞬を支えているだけ」というのが、中西さんの持論だ。

思えば、中西さんが銘木市場で働いたのちに独立した時、ふしがなく整った銘木ばかり見てきたので、建築材にもなるようなふしの入った材に魅力を感じなかったという。しかし、今では「不思議とふしのある木も好きになった。個性的でおもしろいんだ。ふしがなければいいってわけでもない」と実感する。

その理由を、毎日見て、触れていくにつれ、愛着がわいていった。木という同じ素材を見続けたからこそ、個性やそれぞれの良さに気づけたのだという。「この木はひくとどんなかな、どうひいたらきれいかなって考えるときりがない」と魅力を語る。

製材を始めたきっかけも、産地で吉野産材を守ってきたという歴史を止めてしまうことへの残念な気持ちがあった。先代、先々代が植えた木が、山で、活躍の時を待っている。今の状況、今の気持ちだけで判断することはできなかったのだ。

製材で出たおがくずは、豚舎で再利用されるなど、循環体制も模索中だ

木の良さの理解や、目利きや製材の技術は、一朝一夕には身につかない。
そこからつながる山の良さや木のすばらしさも、時間をかけることで、その身に染みわたっていく。

流れゆく時代の中で、長い目で見るという視点は、木に向き合い続けている中西さんだから身についた。木で仕事をする人間としての心構えでもある。「自分はそんな大それたことはできない」と中西さんは謙遜しつつも、「そういう気持ちで家を建てたり住んだりすると、人も木も幸せでいられると思う」とうなずいた。

ウッドベース 中西豊さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子

日本は国土の3分の2を森林が覆っている。森と向き合い、木と向き合い、林業に関わる様々な問題にどう立ち向かっていくべきか。単純ではないその問いに挑戦し続ける一人の男性がいる。福岡県朝倉市にある杉岡製材所の三代目 杉岡世邦(すぎおかとしくに )さんだ。いつもの木の家の紹介から少し視野を広げ、その背景にある木材や森林について目を向けてみる。

花粉症…杉は厄介者なのか。

春の気配を感じるこの季節、杉と聞いて誰もが真っ先に連想するのが〝花粉症〟だろう。杉に対するイメージは、花粉症という国民病ともいうべき症状が付き纏い、どうも芳しくない。
実際、杉は厄介者なのか。杉の山を持ち、杉を製材している杉岡さんが口を開いた。

「みなさん、杉の花粉が空気を汚しているという感覚じゃないですか。これは誤解です。杉花粉がきれいな状態ではアレルギー症状は起こりません。涙も鼻水も咳も、花粉の表面に吸着した化学物質の微粒子を体外に排出しようと反応しているのだと思います。それからもう一つ。杉花粉はとても固い殻で覆われていて本来壊れにくいものなんです。ところが、鼻水に浸かるとそれが壊れて、中にあるタンパク質が溶け出してしまう。花粉症はそれが引き金だと言われます。でも、同じ物質でも身体への入り方によって結果は違うんです。口で呼吸をすれば、花粉の大部分は鼻腔と気管支粘膜に入り、アレルギー症状が起こります。ところが鼻で呼吸をすると、花粉の多くは気道に入らず消化器官へと流れます。腸に入れば免疫の自己破壊活動が起こらない免疫寛容になるようです。これは私見ですが、ヒトは大気中に漂う花粉さえもタンパク源にできるよう進化してきた。花粉症は、それが裏目に出ているのではないかと感じます。現代人はストレスなどにより口呼吸が増えています。鼻呼吸するよう工夫して、花粉さえも栄養源として取りこむほどのたくましさを私は得たいですね。」

杉花粉の殻について詳しく説明を受ける

「『花粉症なので杉材の家はちょっと…』とよく言われるんですが、アレルゲンではないので全く問題ありません。ご安心を(笑)。そういう人にこそ杉材をおすすめします。とくに床材に使うと効果的です。杉は比重が低いので足元が冷えず温かいです。調湿作用が高く、床に落ちたホコリに適度な湿気を与えて、再び空気中に舞うことを抑えます。これは風邪などにも効果があります。空中浮遊菌やウイルスは、人や物が移動するときに舞い上がるホコリの中に存在しているからです。さらには、杉の香りに含まれる「セスキテルペン」という揮発成分が免疫活動に好ましい影響を与えます。それが唾液に含まれる「免疫グロブリンA」を増加させるのではないかとの研究報告もあります。ヒトは1日に13,000ℓの空気を肺に入れています。空気も物質で重さがあって、概算でそれは17㎏ほどにもなります。どんな水を飲むかも大切ですが、どんな空気を吸うかが健康に大切であることを、私たちはもっと意識しなくてはなりません。そう考えると杉はとても有益な木でしょう。イメージだけで敬遠されているのが残念です。」

杉の床ならホコリが再び舞うことを抑えられる。

「樹木としての杉は、むしろ空気と水を浄化する作用を持っています。“水と空気を清浄に保つ”にはどうすればいいか。それを考えて行けば自ずと花粉症対策の道筋も見えてくる気がします。」

筆者も花粉症なのだが、普段の街中では症状が出るが、多くの杉がある山に出かけた際は、不思議と症状が出なかったという経験がある。

「“水と空気を清浄に保つ”ためには、山に生えている木に対して愛情を持つこと。山の木を意識しながら生活することが望まれます。その本質は、五百万年前に人類が生まれてから今日まで、必要とされ大切にされ、脈々と続いてきたはずです。そしてそのことは、千年後でも一万年後でも人類として共通するビジョンであると思います。ここ数十年の間に壊してしまってはならないものだと思います。」

そう力説する杉岡さんが、是非連れて行きたい場所があるというので、案内してもらった。


行者はなぜ杉を選んだのか。

訪れたのは福岡の中東部・小石原にある“行者杉”だ。樹齢200〜600年の杉の巨木が375本も林立している。ここはその昔、霊峰 英彦山(ひこさん・標高1199m・日本三大修験山にも数えられる)の修験者たちにとって神聖な修行場だったそうだ。峰入修行の際に、行者(山伏)の手によって奉納植栽された杉なので〝行者杉〟と呼ばれている。

杉だけではなく広葉樹も自生している。

鎌倉時代から受け継がれてきた貴重な杉の数々に神々しさを感じる。

なぜ行者は杉を選んだのだろうか。

「どんな宗教行為が行われ、なぜここに杉を植える習わしがあったのか…。私もとても気になり、小石原村史(小石原村は合併により2005年に消滅。現在は東峰村。)などを調べましたが、詳しいことは解っていません。というより、残されていませんでした。単に昔の出来事だからではなく〝不立文字(ふりゅうもんじ)〟だからでしょう。修行や悟りの内容などは文字や言説で伝えられるものではないという訓えがあり、地元の人ですら知らないんです。それでも、ここを聖地とするため、そして結界を張るために、杉を植えたということが解ってきました。」

「ではなぜ、杉を植えると聖地になるのか。結界を張ることになるのか。私の答えは『杉を植えることで水と空気が浄化されるから』だと思います。」

上:行者堂と行者杉とを結ぶ修験道 / 左:ひっそりと祠が祀られている / 右:護摩木を投じて火を焚いたとされる護摩壇

樹齢500年、高さ52mの大王杉。木は幹と皮の間で細胞分裂していくので、一番外側には500年前の樹皮の〝かけら〟が残っているかもしれない。そう思って触れるととても偉大なものに包まれているように感じる。

「雨が降っているとき、杉木立から湯気のようなモヤが立ち上っている光景をよく目にします。杉の葉によって雨が地面に落ちる前に空中へと噴霧され、蒸散しているのでしょう。針葉樹とは、針のような葉っぱの木の総称ですが、一本当たりの針の数では杉が最たるものです。この無数の針によって霧状のものが生まれ、空気を洗っているのです。カビや胞子なども含め、辺りに漂う様々な汚れや臭い物質を地面へ洗い流します。そして空気をきれいにした後、さらにテルペン系の芳香成分を辺りに放ちます。それでこんなに空気が良いと私たちは感じるのです。雨水は、霧状になって蒸発しそのまま天空へいくものもあれば、地面へ向かうものもあります。地面に向かった雨水は、土に浸み込む前に堆積した杉の枯葉に落ちます。杉の葉は針の集まりなので重なり合って少々の雨水では流れません。地面に堆積して保水力を持ったフィルターです。こうして水をも浄化しているのです。」

「古の人たちは、そういった機能があることを理解したうえで、神聖な場所に杉の木を植えたのではないかと考えています。もう一点、木の中でも杉は長寿です。天に向かって真っ直ぐに伸び、最も太くなる木でもあります。時には雷が落ちることもあります。落雷は神降りでもあった、そういったことからも、信仰の対象の木になったのでしょう。」

神社仏閣の参道など、結界が張られていると言われる場所で〝空気が違うな〟と感じるのは、気のせいではなく実際に空気が浄化されているからなのかもしれない。

上:杉が霧を生む仕組みを説明する杉岡さん / 左:針状の杉の葉が降っている雨を地面に落ちる前に噴霧し、蒸散させる / 右:杉の葉は針の集まりなので、雨でも流れず堆積する。土壌の保水力が高い。


一通り見て周ったあと、行者杉にまつわる杉岡家のエピソードを紹介してくれた。行者杉は台風などで倒れたときのみ売りに出される希少な銘木で、杉岡さんの生まれ育った家の座敷も行者杉で作られているそうだ。

「小さい頃、ある日親父が行者杉の原木を2本仕入れてきました。その直径は自分の身長よりも遥かに大きかったのを覚えています。それと同じ行者杉が使われた座敷の次の間で祖父母と布団を敷いて毎日寝ていたんです。」

「物心ついたころから『これが行者杉だぞ』と聞かされて育ったためか、子供のころから『将来この家を立て替えることがあるのかな』『この家は倒せないよな』『この座敷を綺麗に解体して復元できるのかな』と考えていたんです。大人になって木の家は解体して移築することができると知ったとき、『できるんだ!やっぱり木の家はすごいな。』と思いました。日本の木造技術の伝統は守るべきですね。」

「しかし今、樹齢数百年の銘木は突き板になることが多い。経済効率は確かにいいと思いますが、どんなに保っても使われるのは50年くらいでしょう。もともと水と空気をきれいにするために植えられた木なのに、ティッシュペーパーみたいな薄さにスライスされて、接着材で固められ、半世紀もしないうちに廃棄物になってしまう。しかもそれは、すでに木材ではなくて、廃棄の際に空気と水を汚す物と化してしまっている。それで何百年も生きた木が成仏できるのか?と思ってしまいます。」

「ま、理屈で説明するとそういうことになるんですが、実際に神々しい行者杉を見たら、『これをゴミにしちゃダメだろう』と、一瞬で直感的に共感してもらえるはずです。」

木の話をすると自然と微笑みが溢れる

「杉の栽培は“育成単層林”と呼ばれ、単一種の木を植えて、間引き(間伐)しながら育てていきます。日本の杉山は、戦後に植えられたまだ1サイクル目のものが多いんです。樹齢が50~60年になったら全部切って(皆伐)、また植えてを繰り返す畑作みたいな林業になろうとしています。それで良いのか疑問です。」

「最初に植えるのは杉のみであっても、長期間、適度に間引いていけばいいと考えています。杉は高齢になると太く高く生長するため、樹冠(木の先端)のほうにしか葉がありません。それで地表に日が差し込んで低層木などが生え、植生豊かな森となります。将来的には行者杉のように雑木と共生する美しい森林となるでしょう。その可能性、ポテンシャルを持つ山が日本中にあるんですよ。」

“水と空気を清浄に保つ”ために、木に対して尊敬と愛情を持って生きた、古の人々の息遣いが感じられる森林が各地に存在する。そのような森林をこれから作り上げていくことももちろん可能なのだ。


赤谷川沿いにある杉岡さんの山も被害を受けた。まだまだ復興中だ。

「もう杉はよか」を「やっぱり杉はよか」に

杉を取り巻く問題でもう一つ取り上げておかなくてはならないのが、九州北部豪雨の話だろう。2017年の豪雨の際には夥しい数の杉の木が土砂と共に流されるショッキングな映像が報道された。実際に被害にあった杉岡さんの山も案内してもらった。

「杉が悪者扱いされました。『もう杉はよか』との声も聞こえてきて、本当に落ち込みました。もちろん、あれだけの量の木が目の前を流れ、我が家に突き刺さるような経験をされた方々にとってみれば、杉に対して恐怖の気持ちを抱くのは自然なこと。『もう杉はよか』と言われるのも無理はありません。実際に私も、杉は加害者なのではないかと疑問を持ちました。」

「『杉は直根がなく根が浅い。保水力も低い。それが山を覆っているから表層崩壊が起きて流れされたのだ。』という論調がありました。それが正しいのか、間違っているのか、確信をもつことは当時できませんでした。」

本当に杉が悪者なのか確かめるため、杉岡さんはいろんな山や専門家を訪ね勉強されたそうだ。

「土砂災害に対して杉や檜が決して弱い訳ではないと言うことが解りました。針葉樹であっても広葉樹であっても、根を張るのは腐植層という栄養がある土壌なんですが、表層崩壊は表層といってもその下の層で起こります。昔から木を植える時には〝適地適木〟といって、水分の少ない尾根には日照りを好む松を、水分の多い谷には水分を好む杉を、そして中間に檜を植えるのが良いとされてきました。『尾根マツ、谷スギ、中ヒノキ』と言われ林業関係者の間ではよく知られていることです。豪雨が降れば、大量の水が谷に集まり、表層崩壊が起こります。不運にもそこに多く植えられている杉が、立ったまま土石流となって一緒に押し流されてしまう。これが真相です。」

今でも尚、豪雨の残る爪痕が残る

「いろんな論調や思惑がある中で足並みをそろえていくことは難しいことです。しかし自然は待ってくれません。森林は放っておけば荒廃していきますし、全部コンクリートで固めてしまう訳にもいきません。結局、森林をつくりながら国土を保全していくしか道はないんです。しかも、植える・育てる・伐採する・搬出する、それぞれの過程で費用がかかります。その費用を回収できなければ持続可能なサイクルにはなりません。」

「『ここは行者杉のような高樹齢の杉と広葉樹が同居する美しい複層林にしよう。』『こっちは平らで水害が少なく効率がよい場所なので、畑のように全部更新していく単層林にしよう。』という風に、気候風土や地形などにあわせた美しくて資源としても利用できる〝森林のグランドデザイン〟を細かく決めていくことができれば、杉や檜に対するイメージも変わってくるだろうと思います。『もう杉はよか』を『やっぱり杉はよか』に変えていきたいんです。」

左:杉岡さんが大切にしてきたおじいさんとの思い出の杉も流木となった。 / 右:「加害者みたいに言われるけど杉も私たちと同じ被害者なんですよね。本当に痛そう。」と杉岡さん。不動明王を彫って英彦山に奉納しようと考えている友人に譲るそうだ。


杉の持ち味を最大限に活かす仕事

杉岡さんは、杉の持つネガティブなイメージを払拭して「やっぱり杉はよか」と言ってもらえるようにするため、杉の良さを最大限に活かす取り組みを実際の製材業で実践している。

取材に伺った際、ちょうど梁の製材をしているところを見学することができた。年に一度あるかないかの貴重な瞬間だ。この木は木の家ネットの会員でもある長崎の大工 池上算規さんからの注文の木。実際に山まで一緒に見に行って決めたそうだ。

現在ではこういった梁に使えるような曲がった木は市場に出回ることはほとんどない。短く切って合板材にしたり、発電用の木質バイオマスにされてしまったりするとのことで、実にもったいない。

左:阿蘇の樹齢200年超の社木。「今置いている木のなかで一番いい木です。」 / 右:日本最古の校倉造り、奈良・唐招提寺 経蔵を再現する建物に使われるという。

特に思い入れの強かった納入先にも案内してもらった。


朝倉市甘木 Y邸
築100年の住宅の再生と増築。2018年完成。設計は木の家ネット会員でもある建築工房 悠山想の宮本繁雄さん。

中段:中庭を一望できる窓が印象的だ。 / 左下:窓よりさらに長い一枚板のカウンターテーブル / 右下:真っ白で節がない足触りの良い浮づくりの杉の床材

「この家は薪ストーブや床暖房を使うので、厚さ3cmの床材はきっちり乾かす必要があります。木を高温乾燥させれば含水率は下がりますが、木材本来の香り、色つやが残りません。天然乾燥だとそれは残りますが、含水率をあまり下げられません。そこで、作ったのが40度以下で乾かす低温乾燥機です。香り、色つやは天然乾燥さながらに、含水率を薪ストーブや床暖房に対応できるほどまで下げることができます。このおかげで理想的な床材になり建主さんや設計士さんからの評判も上々です。」とのこと。


糟屋郡 一心寺
本堂を2010年に新築。庫裡も手がけた。大半を九州の杉の赤身材で用立てた。杉岡さんが一番思い入れのある柱が一心寺の柱だという。

左:「生き生きとして躍動感がある」と住職も太鼓判を押す杉の赤身の柱 / 右:終始笑顔で当時の様子を語る

「柱は人間関係における縦軸、つまり先祖や子孫という家族を象徴しているように思います。」(杉岡さん)

「お経も同じで縦に貫くものがないとブレてしまうものです。」(住職)


〝杉が大好きな人〟を増やしたい。

森と木に真剣に向き合い、学び、そして実践する杉岡さん。あらためて森林や林業を取り巻く状況について、語ってもらった。

「〝木を見て森を見ず〟と言う言葉がありますが、例え話でなく森林そのものに関しては〝木を見ず森も見ず〟の状態で、そもそも関心が持たれない時代だと思います。見ているとすれば、むしろ“森”のほうです。花粉症であったり、土砂崩れや水害であったりと、杉の人工林のほうが切実ですから。杉の単層林は生物多様性も乏しく、良いイメージは少ない。それで関心を持たれない。結果として〝木を見ず森も見ず〟になるのです。それをパラダイムシフトすること、〝杉が大好きな人〟を増やすことが私の目指すところです。」

「講演などをするとき、お客さんに『自分の家にこれは間違いなく杉の木だと言えるものがあると思う人は手を挙げてください。』と聞くのですが、皆さんほとんど手を挙げません。それが〝木を見ず森も見ず〟の状態です。つまりそれは〝森林と暮らしの分断〟が起きている証拠だと思います。〝住〟の分断は根が深いです。多くの住まい、オフィスや店舗も含め、その床・壁・天井を覆っているものは新建材が多く使われています。どんな材料で作られたのか、どこからやって来たのか考えたことすらない。あったところで、どこかの工場でしょ?くらいのものです。」

「それは、他分野でも起きていて、例えばコンビニで買う食品。その向こう側にある農業・漁業・畜産業の現場に行くことはほとんどありません。それでも、〝食〟はまだましです。どんな材料でできているかくらいは想像がつきます。食や健康という視点で見れば、農業・漁業・畜産業の現場に100%の人が関心を持たざるを得なくなります。」

「では、森林の現場に対し100%の人に関心を持ってもらうには、どんな視点があるのだろうか、と長年考えてきました。〝住〟では分断が深く、森林を意識できません。ところが、九州北部豪雨の後に気づきました。英彦山にある樹齢1200年の鬼杉を見に行った時のことです。「山伏は、〝水と空気をきれいに保つ〟ために杉を植えたんだなあ。そうか、それはこの先何万年経っても、人類すべてが望む願いではないか」と気づいたんです。それを山伏たちは体現させた、それが杉を植えることだったのです。このとき、杉を育てることと杉を使うこととは表裏一体であるということを忘れてはなりません。木の家ネットの皆さんがつくる家は、杉の使い方として最も望ましい、木々にとって最高の嫁ぎ先だと思っています。」

「今私たちはペットボトルの水を買ってきれいな水だと思って飲んでいます。そのペットボトルを持って山に入ったとき、目の前に湧水の流れる小川があったとしたら、どちらの水を飲みますか?私なら間違いなく小川の水を飲みます。空気も同様です。高気密高断熱の住宅で換気せずに過ごせば、即ちボトルドエアーの中に暮らすことになると思います。本当に美味しい水、美味しい空気とは、浄化機能を備えながら絶えず流れて循環しているものです。それにはおそらく大きな自然の力、植物の力が必要で、機械装置などでは成し得ないと考えています。本当に美味しい水、美味しい空気を知るためには、一度山まで遡って暮らしを見つめ直す必要があるのではないでしょうか。」

「住宅や住まいの話の範疇だけで杉を語るのは、これから先ちょっときついかなと感じています。杉という存在の素晴らしさを広く世の中に伝えていきたいですね。厄介者扱いされる杉の復権が今の自分の使命なんです。」

杉岡さんの挑戦は続く。


 

有限会社 杉岡製材所 杉岡 世邦(つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

© 2022 kino-ie.net. All Rights Reserved.
linkedin facebook pinterest youtube rss twitter instagram facebook-blank rss-blank linkedin-blank pinterest youtube twitter instagram