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職人がつくる木の家ネット 事務局
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建て主と大工のこんな関係、理想かもしれない

建て主である清水治さん(左)の家を訪ねた鈴木直彦棟梁

「お城みたいな家だから見せたいんだね、みんなにね!」

そう、嬉しそうに話すのは、山梨県北杜市に住む清水治さん。同じく北杜市在住で、鈴木工務店を経営する鈴木直彦さん(以下、鈴木棟梁)に、大工工事を依頼し続けて10年以上になる。

二人が知り合ったきっかけは、お互いの子どもだった。清水さんと鈴木棟梁は、北杜市の高根町と武川町(以前は武川村)に住んでおり、子どもたちはそれぞれの地域の剣道スポーツ少年団に入っていた。普段は別々に活動しているが、時折、試合や共同練習をすることがあり、その付き添いがきっかけで言葉を交わし合うようになったという。

雄大な八ヶ岳を背景に、右奥から左手前に「母家」「離れ」「ガレージ」の3棟が並ぶ

「離れの床を張り替えて欲しい」という、小さな依頼から始まった建て主と大工としての付き合いが、夢をあざやかに形にしていく鈴木棟梁の発想と技術に清水さんが魅せられて、次々と工事を依頼することに。離れのリフォーム、母家のリフォーム、そしてガレージの新築と、工事は10年以上におよんだ。

「棟梁のところは丁寧に仕事してくれてるから、ホントありがたかったです。ただ、時間はかかったけどね。」

時間がかかったのは、決して作業の分量が多かっただけではない。清水さん家族が家に住みながらリフォームを進めることが出来たので、仮住まいの費用が発生せず、納期に縛られない仕事が可能だったことも大きい。鈴木棟梁は言う。

「最初に完成図面を描いたりせず、清水さんと話しながら工事ができたので楽しかったね。まるで趣味みたいな仕事になってしまって、自分でもいつ仕上がるんだろう?って思ってた。」


鈴木棟梁って、どんな人?

建て主との関係がしっかりできている仕事の場合、人を喜ばすのが好きな鈴木棟梁は、事前に詳しく説明をせずに仕上げてしまうこともある。母家のリビングの椅子やテーブル、玄関の磨りガラスなどは、清水さんを驚かせ、笑顔を引き出した。

オリジナルの椅子、曲面鉋(カンナ)仕上げのダイニングテーブル、「北杜ベース」が描かれた玄関ガラス

「細かく要望を出したりしなくても、棟梁はちゃんとこの場所にあったものを作ってくれるんです。玄関のガラスだって、僕が所ジョージが好きなことを知って、“世田谷ベース”をアレンジした“北杜ベース”のデザインにしてくれたんですよ。うれしかったなぁ!」

「北杜ベース」の名前にふさわしく、ガレージや離れの中にはバイクや整備道具など、趣味の品がぎっしり

清水さんが惚れ込んでいるのは、鈴木棟梁の柔軟な姿勢と豊富なアイデア、それと人柄。鈴木棟梁は言う。

「建て主の話を聞いてラフに描いた図を元に、それを住みやすく、建築的にしっかりしたものに変えてやれば、それでいい。一方的に俺の“我”を押し付けるんじゃなくてね。」

母家のリフォームでは、元の建物の構造上どうしても取り外すことのできない柱がストーブの前にきてしまう。そこで、その柱を鏡でくるみ、存在を消すということもした。

「それまでのやり方にとらわれず、アイデアいっぱいなんですよね、本当に棟梁は!」

鏡に覆われた柱


鈴木工務店への工事依頼は、これで終わり?

住みながらのリフォーム工事の特徴は、建て主と職人の距離が近いこと。連日、顔を見て、言葉を交わし、昼食や休憩の時間を共に過ごすこともある。

「しょっちゅう顔を合わせているから、工事が終わると寂しくてね。棟梁に会うために、“他になんか頼むことないか?”って探しちゃう。この先も絶対、何か作りたい!」

最近になって、清水さんの長男が大工工事を始めたのだそう。薪置き場づくりから手掛け、離れの車庫の上に隠し部屋みたいなロフトを作った。趣味のものを持ち込み、まるで秘密基地のようだ。大工道具を握る姿を見て、鈴木棟梁は時折アドバイスをすることもあるとのこと。

「棟梁からわざわざ声をかけてくれて、助かりますよ。それで親子の会話も生まれるんですよね。建ててしまったらそれで終わりで、遠くから眺めているんじゃなく、その後も付き合いがずっとあると言うのが嬉しいじゃないですか! おかげで子どもや、かみさんとも会話がはずんで家族関係も良くなりました。長男なんて、リフォームする前は “こんな家には住みたくない!” なんて言ってやな顔していたのに、最近はそんなことは全然! 本当、この家づくりのおかげで家族が一つの輪になったね。」

鈴木棟梁も、こう話す。

「自分も清水さんの前を通るたびに、クラクションをプップッって鳴らして、何かあれば寄るんだ。しょっちゅう一緒にご飯食べたり、家族で旅行したりしてうれしいよ」

清水さんの家の前には「鈴木工務店」の看板が

ガレージの前には「清水ジョージ 北杜ベース」と「鈴木工務店」と書かれた看板がある。清水さんに聞くと

「ここには鈴木工務店の仕事がいっぱいで、まるでモデルハウスみたいでしょ。だから、道を通る人には営業所のように思ってもらえるといいな、と…」

商売の世界には「お客さんが一番の営業マン」という言葉がある。しかし、自宅の前に看板まで立ててしまう人は珍しい。大工の父親に連れられて、子どものころから現場に出ていた鈴木棟梁にとって、この看板の存在は職人冥利に尽きるに違いない。



鈴木工務店: 山梨県北杜市武川町で先代から続く工務店。「国産材を使った手刻みの家づくり」といえば伝統的なスタイルを連想しがちだが、新しい工法の開発も手がけるなど、豊富なアイデアと柔軟な姿勢が特徴。

鈴木工務店  鈴木 直彦(つくり手リスト)
鈴木工務店 Webサイト

取材・撮影・執筆・ビデオ制作: 持留和也(モチドメデザイン事務所)

神奈川県海老名市。富士山が遠く見える田畑の先に、地元で「いちご島」と呼ばれている地域がある。その一角に目を引く焼き杉の家が建っていた。自然素材でつくられたその家は、庭先の植栽に彩られていることも相まって、むしろこの家こそが地域の自然環境に馴染んでいるように感じられた。ここが今回ご紹介するつくり手、袋田琢巳さんの自宅と作業場だ。

袋田 琢巳さん(ふくろだたくみ・45歳)プロフィール
昭和52年(1977年)大阪生まれ。平塚西工業技術高校を卒業後、父親の営む袋田工務店に入社。2007年、フラワーデザイナーの奥さん(佐千代さん)と共に神奈川県海老名市に「FUKURODA工舎」を開業。今年からお弟子さんの中澤さんが加った。自然素材にこだわり、日本の風土に合った住まいづくりを心がけている。高三の息子さん、中二の娘さんと4人で暮らしている。

木の家ネット会員の丹羽明人さん(丹羽明人アトリエ)の設計で、袋田さん自身が大工として建てたという、ご自宅にてお話を伺った。

海老名では珍しい焼き杉の外壁

柵にはひっそりと「FUKURODA工舎」の看板が


やっぱり大工になろう

⎯⎯⎯ まずプロフィールを拝見して気になったのですが、自動車科を出られているんですね。
「小学生の頃から家業の工務店の仕事を手伝っていました。丸太の足場を組んだり、ほぞ穴を掘ったり、断熱材を入れたりしてました。中学生の頃には建前の手伝いなどもしていました。その頃から大工の凄さを幼いながらも身をもって感じていたので、祖父や父親みたいな凄い棟梁にはなれないと思い、高校は当時興味のあった自動車科へ行きました」

⎯⎯⎯ そこから大工の道に進んだといいますか、戻ったといいますか、経緯を教えてください。
「当時、バックパッカーに憧れていて海外へ行くのが夢でした。カナダとアメリカを旅行して、最初は壮大な景色やスケールの大きさに感動していたのですが、旅を続ける中で、日本には人がつくった素晴らしい建物や文化が身近にあることに気づいたんです。それをつくる職人技の凄さにも気づき、日本に帰ったら祖父や父親のような大工になろうと決めました」

⎯⎯⎯ あらためて大工になるためにどこかで修行をされたんですか?
「地元の材木屋さんの紹介で手刻みで住宅を建てる工務店で修行を積みました。そこで刃物の研ぎの大切さを教えて頂きました。『道具が仕事を呼ぶ、いつでも道具は綺麗に切れるように』と教わったことを今でも家づくりに活かしています。先輩大工に毎日の仕事を通して、大工の心構えや大工道具の手入れなど、色々なことを教えてもらいました。また、先輩大工達と《削ろう会》へ参加し、鉋がけの技術を磨いていました」

⎯⎯⎯ そこから国産無垢材を使った木の家づくりに向かわれたと。
「そうですね。興味を持ったきっかけはいろいろありますが、中学の頃、山口県岩国市にある母の実家の上棟を手伝いに行きました。そのことが大きな影響を与えているかもしれません。大工をしていた祖父は山で木を育てていて、母も子供の頃に一緒に植樹をしたそうです。また、棟梁を務めたのは祖父の弟なのですが《柱や梁を山で自ら伐採して近所の製材所へ運んだ話》《母屋を一度仮組みしてから上棟した話》《土壁の話》などを教えてもらいました。神奈川では身近にない家づくり特に記憶に残っているのかもしれません」


自宅は絶対、木の家にしたい

⎯⎯⎯ この素敵なご自宅は、木の家ネット会員でもある丹羽さんとの協働で出来上がったと伺いました。
「前々から丹羽明人アトリエの家づくり(植樹体験・伐採・薪割り・土壁塗り・グリーンウッドワーク・住まい手との関係など)に感銘を受けていまいた。そして木の家ネットに入会して初めて参加した総会で、偶然相部屋だったのが丹羽さんだったんです。その時にいろんな話を聞かせてもらい『自分の家を建てるなら丹羽さんにお願いして、自分の手で建ててみたい』という夢ができました」

⎯⎯⎯ そしてその夢が実現し、この住まいがあるんですね。詳しく聞かせてください。
「《いちご島の家》といって、木組み・土壁のコンパクトな家です。築3年になりますが、とても居心地が良くとても満足しています。初めて手がける真壁・土壁の家でしたが、木の家ネットの先輩方など(TSウッドハウス共同組合の和田さん有限会社アマノ・愛知の大工さんなどなど)に色々と指導していただきながら建てました。自分にとってはチャレンジでしたが、先輩方に助けてもらったおかげで夢を実現することができました。また、建主の気持ちを知ることにも繋がり、とてもいい経験になりました」

⎯⎯⎯ 丹羽さんとはどんなやりとりされたのですか?
「家づくりが始まる前に、いろんな経験をさせてもらいました。山に連れて行ってもらったり、植樹や伐採をさせてもらったり、土壁の左官を体験させてもらったり。学びの機会が多くあり、とても楽しいひとときでした。単に『家をつくる』んじゃなく『住まいをつくる』感覚ですかね。そういうのってとてもいいなぁと思います」

左官体験の様子

「また、大工工務店としても勉強になることばかりでした。僕は営業が苦手なのですが、丹羽さんとの打ち合わせを通して、建主とのコミュニケーションや距離感の取り方、安心感の与え方、プレゼンの方法など、沢山のことを教えていただきました。神奈川でも同じような《思い出になる家づくり》ができる大工工務店を目指そうと思うようになりました」

⎯⎯⎯ 佐千代さんにもお話を伺いたいです。以前からこういった木の家に住みたいと思われていたんですか?
佐千代さん「丹羽さんの建てている家の見学会で、初めて新築の木組み・土壁の家を間近で見て、想像していた《昔ながらの木の家》と全く違って『伝統的な工法や素材を使いながら、こんなにモダンで暮らしやすい家づくりができるんだ』と一目惚れしました」

袋田さん「それでもう、ぜひお願いしようということになりました」

普段は花屋さんで働く佐千代さんは、FUKURODA工舎のもうひとつの顔。庭木の植栽なども手がける。

佐千代さん「自分達の家をつくり上げていく過程で、土壁の良さや素材のこと、使われる木がどこから来るのかなど、学びながら進められたのですごく楽しかったです。また、様々な職人さんや林業家の方などにお会いして、どんな想いを胸に家づくりに取り組んでいるか、直接聞けたのでとてもいい経験になりました」

⎯⎯⎯ そういえば、袋田さんも昨年伐採見学ツアーを開催されていましたね。
「丹羽明人アトリエと有限会社アマノの伐採見学に参加したのがきっかけで、ぜひ神奈川でも開催したいと思っていました。Twitterで知り合った自伐林業家の杉山さん、神奈川の木の家ネットメンバーに声を掛けて開催に至りました」

「当日、滋賀の宮内寿和さん(宮内建築)にもご協力いただいて、僕ら若手に山のこと、木のこと、大工のことなど、沢山教えていただきました。中でも『木が倒された瞬間、植物としての命を終え、職人の手によって第二の命が与えられる』という言葉を聞いて、木の命を頂いて仕事をすることの責任を感じました。建主にも同じ気持ちを持って欲しいので、この活動は続けていきたいです」

2021年に開催した伐採見学ツアーの様子 写真提供:袋田さん


袋田さんの自宅「いちご島の家」 2019年|神奈川県海老名市

暖かい照明と外壁のコントラストが美しい

薪ストーブのあるリビング

家具やキッチンも造作だ。タオルかけは丸いと滑り落ちるのでこの形がベスト。なるほど。

左:使い勝手を考えた細やかな手仕事
右:ペアガラスと障子を組み合わせた断熱性に優れる窓

丹羽さんの影響ではじめたというグリーンウッドワーク(身近な森で伐った生木を、手道具で削って小物や家具をつくる木工)


大工は地元に根付いてこそ

⎯⎯⎯ 大工としての想いや、こだわりなどを教えてください。
「同じ大工工務店でも、自分で設計から施工までしてしまうタイプの工務店もあれば、設計士さんと組んで施工を担当する工務店もあります。僕は後者で、特に施工だけに特化した工務店を目指しています」

「祖父も父も大工だったので、《あるべき大工の姿》のイメージが自分の中にあります。それは『大工は地元に根付いて頼られる存在であり続けないとならない』ということ。家を建てるだけではなく、メンテナンスやちょっとした困りごとにもすぐに対応できる《地域の何でも屋》のような大工が理想なんです」

⎯⎯⎯ 家づくり以外で地元で活動されていることはありますか?
「東京日建工科専門学校の非常勤講師をしてます。大工の世界で育てていただき今があるので、大工の世界への恩返しがしたいと思っています」

「それから、息子が中学時代に通っていたサッカークラブのスポンサーになりました」

⎯⎯⎯ サッカークラブのスポンサー!?
「地元の子供達を応援したいという気持ちからスポンサーになりました。息子がお世話になったチームでもあります。監督から『中学で色々と進路に悩む子供達に、サッカーチームだけどサッカー以外のことを経験させてあげたい。その一つとして木工を子供達に教えてもらえないか?』とオファーがあり快諾しました」

スポンサーになったサッカークラブのユニフォーム

「このチームのサッカーを通じた教育が素晴らしいんです。関東大会に出るくらいの強豪チームなんですが、『みんながプロになれるわけではないけど、それ以外にもステージは用意されている。社会に出るためのことも学んで欲しいんです』という話を聞いて共感しました」

「スタメンもキャプテンも、子供たちだけで決めるんです。技術が高くなくても交渉力や人柄によって活躍の場を得ることができます。一方、サッカーが上手いだけでは試合に出られないこともあります。それって社会そのものだなと思うんです。一番を目指すだけが答えじゃないんですよね。僕自身も、海老名でのステージや、木の家ネットでのステージなど、自分ができることは何だろうと考えて行動するように心掛けています」

⎯⎯⎯ 袋田さんご自身、また地元・海老名へのビジョンなどを教えてください。
「自分が先輩達から受け継いだ知識や技術を次の世代へ引き継ぐ責任があると感じています。この春から中澤君(18歳)が入社しました。まずは大工仕事の楽しさを教えられたらいいなと思っています」

見守る袋田さんと、ひとつずつ作業を覚えていく中澤さん。
「袋田さんとは以前から知り合いだったんです。ずっと大工をやりたかったので、楽しんで仕事を覚えていきたいです」(中澤さん)

左:まずは自分の道具入れをつくることから
右:袋田さんが先輩大工から教わったことが引き継がれてゆく

「次に地元のことですが、育ててもらったこの場所に恩返しがしたいですね。薪ストーブの会・焚き火の会などを主催し、主に商工会議所のメンバーたちと、ざっくばらんに海老名のまちづくりについて語り合っています。その中で大工として海老名に貢献できることを探しています。自分の家づくりの経験や暮らしてみた体験を活かして、地元でも木組・土壁の家を広めていきたいです」

海老名の今とこれからを考える「焚き火会」 写真提供:袋田さん


自分の置かれた環境や立場、関係性を受け止め、そのステージの上でどうすれば最大限の力を発揮できるのかを問い続ける袋田さん。

家づくりにおいても《ステージ》という考え方が重要だと感じた。今日の私たちが置かれた地球環境や、地域ごとの気候風土・風習・そこにある材料、また住まい手の想いや生活様式など、ステージ上には様々なピースが並んでいる。一度として同じ組み合わせは生まれない。その一つひとつをよく見て、よく聞いて、よく考え、そしてつくり上げていくことが《本当に過ごしやすい住まいづくり》への第一歩なのではないだろうか。


FUKURODA工舎 袋田 琢巳(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

設計も施工も家も家具も、自分の手を動かして大切に作りたい。埼玉県久喜市の「はすみ工務店」6代目棟梁、蓮実和典さんの心意気だ。

はすみ工務店は明治創業で、令和の現在も木組み・土壁といった日本の伝統工法や自然素材を使った家づくりに取り組む。つくる家々が醸し出すムードは、日本人が古くから持つ和の精神を大切にし、人と人、人と自然が調和している。施主さんは「背中で語る、まさに職人」と言わしめる。

蓮実さんは、大学卒業後8年の大工修行を経て家業を継ぎ、8年となる。現在、蓮実さんと60代の大工さん、20代の弟子1人の3人で仕事に取り組む。

祖父の代から使う作業場

作業場祖父の始さんは、蓮実さんに代替わりして6年後に亡くなった。始さんの代からはすみ工務店で働く秋元文男大工(69)は、蓮実さんについて「真面目で、実直よ。大工や職人がどんどん少なくなる中で、これと決めて続けてる根性はたいしたもんだ」と太鼓判を押す。

手仕事がやりたい

蓮実さんは、「やりたい大工仕事ができている。施主さんやじいちゃん、修行をつけてくれた親方のおかげです」とはにかむ。

やりたい仕事とは、「手刻みだったり、自然素材を使った家づくりや、古民家の改修とか。いわゆる手仕事ですかね」と蓮実さん。

なぜ手仕事にこだわるのか。蓮実さんは、家とは「単なる箱ではなくて、家族が和気あいあいと過ごし、その空間を通して心豊かな生活を送るためのもの」と考えている。

「そのためには施主さんの要望を設計段階から聞きつつ、人の手で心を込めてつくることが大切だと思うんです」と話す。国産材や地域材の活用にもこだわり、木1本いっぽんを見極める力も磨いている。

時代は機械化、合理化が進み、手間や時間がかかることは避けられる傾向もある。それでも、「複雑で粘り強い加工など、機械ではできないことがある。それに何十年、年百年経った時、『やっぱり手仕事はいい』ってなるに決まっている。丈夫で長持ちする上、使うほど味が出ますから」と語気を強める。

仕事の内容は、年に1棟ほど新築依頼があるほか、改修工事やウッドデッキの新設、バリアフリー工事、カウンターといった家具の新設など多岐にわたる。祖父の代からのお施主さんもいれば、木の家ネットのホームページを見て問い合わせが来る場合もある。

「新規の方の場合、ハウスメーカーの家づくりがしっくりこない人が、いろいろと探してうちに来る印象があります。だからこそ、メーカーのように施主さんにある中から選んでもらうのではなく、欲しいものをゼロから作りたい。施主さんの持っているイメージを、木でかたちにしたいし、木なら自由になんでもできる」と力を込める。

設計に「大工目線」

一級建築士の資格を持つ蓮実さんは、自ら設計もこなす。

「施主さんの要望を元に、設計の提案や図面を描きますが、大工の視点での考えが多分に入っています。構造の木組みや造作の詳細な納まりは、施工に無理が無いよう、メンテナンスがし易いように配慮しています。もちろん、見栄えも大切ですが」と話す。

家業を継いで初めて設計施工で請負した小屋は、趣味のものを展示するためのものだ。

2021年末に建設中の一軒家の施主さんは、子どもや孫の代まで長く残せる家づくりをイメージしていた。化学的な素材の匂いも苦手だったという。

蓮実さんと出会い、どんな家に住みたいか話をしていく中、「蓮実さんが図面を何度も直してくれて、自分の迷いが整理されていった」という。

蓮実さんの提案により、室内の壁は自らの手でローラーを使いドロプラクリームという塗料を塗った。「素人だからムラだらけだけど、自分の家を自分で作れるなんて楽しい」と笑顔がはじける。

「施主さんにも手仕事のおもしろさをわかってもらえて嬉しいです」と蓮実さん。また、木造だからといって和風にこだわらず、建具や窓の位置を変え洋風にした家づくりも行ってきた。

この物件は外壁に土佐漆喰を使用。石灰と藁スサを水練りし熟成させたもので、卵焼きのようなふんわりとした色合いに仕上がった。時間がたつにつれ色合いの変化も楽しめる。

構造は木造で、柱や梁など構造材と壁の仕上げ材の間に、通気胴縁を付けた。壁の中が通気できるようになり、より長持ちするという。

 蓮実さんは「いろいろなやり方があるから、施主さんのコストやニーズに合わせて対応していきたい。『できないです』は言いたくないんです」と語気を強める。

 施主さんのオーダーを聞き、今までの仕事や経験の中で近いものがあるか思い出し、ある程度完成形をイメージする。特に家具については具体的なオーダーでなく、「こんなものが欲しいのだけどつくれる?」と言われる場合も多いという。

「イメージしたことを手で形にしていく、試行錯誤していく過程が、わくわくするので好きですね。なんとかなる、なんとかしようって気持ちで、完成すると達成感がたまらないです」と蓮実さん。

材料も国産材、地域材を使いたいという。コストに見合い、カウンターや収納棚のようなものなら強度も問題ないと考えている。

イメージを作り上げるために本やインターネットで情報を探すこともあるが、「自分の経験や、木の家ネット仲間の仕事ぶりのほうが参考になりますね。木をうまく使っているから」と笑う。

親方から受け継ぎ、弟子に伝える

蓮実さんは、木の家ネットメンバーが設計した物件の大工工事をしたり、一緒に古民家の改修や耐震工事をしたりとつながって仕事をしている。そもそも、大工修行をしたのは木の家ネットメンバーの綾部工務店だ。

綾部工務店との縁は、大学時代に生まれた。大工の家で育ち、幼いころから漠然と「建築の仕事がしたい」と考えていた蓮実さん。

タイムスリップしたような雰囲気の事務所には、祖父への感謝状が並ぶ

大学で建築を学んだものの、卒業後は建築のうちどの道に進むか決めかねていたという。インターン中に綾部工務店の伝統工法の仕事を経験し、昔ながらの家づくりの魅力に目覚めた。

「自然素材の木や土は安心して使える。どんな形にもできるから、自由で、完成した時の達成感がある」と語る。

修行中は、大工技術に加えて設計、経営や見積もりも学んだ。常時5人ほどの弟子とともに生活する中で「自分はあまり言葉が多くないほうだったから、世話焼いてもらいました。感謝しています」と振り返る。

目の前の作業への集中力。創意工夫。全体を見渡すこと。親方の仕事ぶりから伝わることは数多くあり、「親方みたいになりたいって思ってます」と力を込める。

一級建築士の資格を取得したのも修業中のこと。建築について学びを深められた上、最近はインターネットから新規の問い合わせも増えてきて、信頼獲得にもつながっていると実感する。

修業を付けた綾部孝司さんは「昔の大工ってこんな感じだったんだろうなってやつです。指示を出すと、質問もせずすぐに手を動かしてぴったりのものをつくる。本当に手を動かすのがすきなんだよな」と認める。

手は、動かせば動かすほどに木や道具が理解できる。「棟梁になったら、大工や施主さんにわかったことを伝えられるようになれよ、とよく話してました」と振り返る。

そんな修業時代を過ごした蓮実さんは現在、21歳の弟子に仕事を手ほどきしている。「ただ作業するのでなく、その意味とか、その先の作業とのつながりとか、全体を見られるように伝えています。それがわかると、大工が面白くなる」という気持ちで向き合っているという。弟子の作業のために図面をおこすなど工夫も凝らすが、一番は「自分が恥ずかしくない仕事をしているところを見せたいです」と話す。

弟子に伝えるための書き込みがある図面

蓮実さんには、実直さがある。「こんな仕事をやっていきたい」と、堂々と口に出せる。施主さんの要望を素直に受け止め、実現のため腕を磨く。祖父や親方を「すごい」と認め、良いところを真似、まっすぐに背中を追いかけている。

その実直さは、ごまかしがきかない自然素材に向き合うべき伝統工法に活かされている。蓮実さんが作り上げた空間には、大いなる自然と丁寧な手仕事が編み出す安心感があった。

はすみ工務店 蓮実和典さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:はすみ工務店

木を使って、かっこよく作ってやる。大阪・四條畷(しじょうなわて)市の木又工務店の二代目大工棟梁・誠次さんの信条だ。その仕事は木と手道具を使うことにこだわった「手づくりの家づくり」から、地元神社の被災した鳥居の復興まで多岐にわたる。木にこだわり、木を通して人を喜ばせる大工としての夢を語り、技を磨く姿に、施主さんや地元の仲間、弟子たちは信頼を寄せている。

木又工務店の2021年の大仕事は、四條畷神社の木造鳥居の建築だ。鳥居は吉野ヒノキを使い、高さ6.91メートルもの大きさ。材木も普段の民家のサイズより大きく、住宅街の幅6.3メートルの道路に建てるという初めての試みでもあった。

すっきりと美しい木造鳥居。9月19日に竣工式を迎えた

材料は吉野檜。一般的なものより長いものを使い、大迫力だ!

木又さんは少なからず不安もあったというが「建った時かっこええやろな、絶対建てたるってわくわくが勝った」と振り返る。新型コロナウイルスの流行の影響で後期は延びたものの、2021年、建前を迎えた。

この鳥居、もともとは石製だったものが2018年6月の大阪北部地震で損壊してしまい、木又さんが旗振り役となって再建にこぎつけた。神社から依頼されたわけはない。損壊後、木又さん自ら見積りをとり、1000万円借金をして吉野ヒノキを購入。本音は「丸ごと寄付できる金額やない」としつつも、神社には費用を集める氏子組織がなく、再建の声が上がらなかったことで、動き出したという。木ならば地震や風にも強く長持ちし、さらに美しいという考えもあった。

建前を終えた現在は、木又さんの心意気に感謝した神社が、再建事業の寄付金を受けることになっている。

地元を大切に思い、実際にアクションを起こす木又さん。20代で青年団を立ち上げ、この神社で「畷祭」を始め、毎年続けてきた。神輿や流しそうめんをして仲間と盛り上がることを、心底楽しんでいた。

まつりで神輿をかつぐ木又さん。笑顔がまぶしい

大切な場所が、地震により鳥居というシンボルを失った痛みは、青年団や地元全体を覆っていた。自分の力が使えるならば何とかしたいという思いが行動に移させた。実際に見積りをとったり、材木を見に行ったりするたびに、「木又が何か始めたって、なんやみんな楽しそうで、それがうれしかった」という。

「それに、地図や歴史に残る仕事なんて大工の醍醐味。自分の子どもや地元のみんなに、『この鳥居、木又が建てたんやで』って言えるやんか」と人懐っこく笑った。

木製鳥居の再建までのストーリーは木の家ネットYoutubeチャンネルでも紹介している

大工の夢を語る

四條畷市は、木又さんの父・健次さんが徳島から出てきて工務店を始めた場所。住み込みの弟子たちと寝食をともにし、作業場が遊び場だった木又さんは「大工以外の職業は考えたたことない」という。

地元の高校の建築学科を経て専門学校で設計を学んでいる時に、社寺や凝った木造建築との出会いがあった。木を手道具で美しく加工し、組み上げる。こんな仕事がしたいとほれ込んだ。設計の道へ行くか、大工の道に行くかという迷いは晴れ、木造の伝統建築に強い奈良県の梅田工務店に弟子入りを志願。当時は弟子が多く断られたものの、「無給でいいから」と頼み込み、採用された。

修業時代は、作業場の二階に住み込みで木と向き合った。少年時代から大工の働きぶりを見て、高校や専門学校で学美積み上げてきた自信は「打ちのめされた。できることが本当に少なくて。悔しいからめっちゃ努力した」と、木又さんは原点を語る。5年の修業と1年のお礼奉公ののち、地元へ帰り、木又工務店を継いだ。

現在の木又工務店の職人たち

大工としての仕事をこなしながら、「畷祭」をきっかけとした地元との絆も強まっていく日々。仲間の中には写真が得意な人やウェブページのデザインができる人もいて、木又工務店のウェブページがあっという間に立ち上がった。木又さんは、「仲間と酒飲みながら、木の仕事がしたいって語っていたことを、どんぴしゃでかっこ良く作り上げてくれた。かなり有能な営業をしてくれている」と感謝する。

ウェブページの発注には初期で60万、リニューアルで100万かけた。確実に受注にもつながっており、木又工務店はウェブからの受注が6割と半数を超えている。

ウェブページに掲載した大工道具の写真

年間の施工件数は新築が4~5件で、リフォームが20~30件となっている。施主さんの思いやこだわりを丁寧に形にすることで、愛着が持てる家を作りたいという姿勢は一貫している。

木又工務店が手掛けた家。木の美しさが際立つ

そのために、工務店に木又さんを含め6人いる大工は、技術を磨き続けることに余念がない。うち3人は木又さんが直接修行をつけた20~40代の男性。木又さんは手道具の手入れをはじめ仕事内容について「基本的にきつく言う方だと思う」と話す一方で、「いい腕になるには、いい仕事を作らな。それも親方業や」と言い切る。

愛用の手道具たち

今年の鳥居のように、大きな仕事、誰もやったことのない仕事など「俺が夢を語ると、弟子らが目輝かす時があるんや」と、大工棟梁自ら仕事に夢を持ち、ポジティブでいることの重要性を実感する。

弟子の島岡寛裕さんは、木又さんのもとで修業して9年。「親方みたいに器がでかくなりたい」と尊敬のまなざしだ。厳しさは認めつつも「わかるまで教えてくれるし、ぼくら弟子の考えも聞いてくれる」と信頼は厚い。

材木にもこだわりを見せる。構造材には国産材を使用し、仕上げには無垢の天然素材を使用するよう心がけている。

作業場に材木を保管している

材木屋に加工を依頼するのではなく、実際に原木市場に出向いて見てから取り寄せ、作業場で加工する。材木ひとつひとつにストーリーが生まれ、施主さんのこだわりを持った家づくりに応えられると考えている。値段を安く抑えることにもつながる。

材木は作業場に置き、天然乾燥させる。作業場は260坪の広さで、ただ作業をこなすのではなく、いつでも木材や機械に触れられる研鑽の場だ。弟子たちが自由に使える、学び舎としての役割を果たしている。

自由に使える作業場で腕を磨く

天然乾燥の場合、材木に乾燥ムラが出ることもあるが、そんな時は自作の乾燥機を使う。幅2.2メートル、奥行6.2メートルの箱に電気のスポットヒーターがついており、ムラの部分に点灯することで全体を整える。

「最初は、滋賀の宮内棟梁の水中乾燥がいいなって思ったんだけど、池の環境がなかったので機械をつくっちゃった」と笑う木又さん。ユニークなアイデアと、実践力が光る。

自作の乾燥機も必見

夢をかたちにしていく

現在は、「弟子にも仲間にも施主さんにも恵まれ、やりたい仕事ができている」と木又さん。7年ほど前から設計も依頼されるようになり、専門学校で学んだ知識も生きてきた。

木又工務店が設計施工した物件

しかし、最初から順風満帆なわけではなかった。修業が終わり地元に戻った時は、父の大工仕事も減少傾向で、弟子も1人しかいなかった。回ってくる仕事も、賃貸マンションのリフォームやクロス作業など、理想とする木とはほど遠い仕事だった。自分ってちっぽけ。そう思う日々だった。

「これではあかん!」と一念発起した木又さんが仕掛けたのは、なんと営業。自分で施工事例の写真を並べたパンフレットを作成し、インターネットで大阪で木造建築をやっている設計事務所を調べて「大工仕事をやらせてください」とお願いして回ったのだ。その中の一つの事務所が興味を持ってくれた。

現在も付き合いが続く、間工作舎設計事務所の小笠原絵里さんは言う。「木又さんって、言ったことを夢で終わらせずにしっかり叶えていくんですよ。信頼できるし、『次はどんなことするんだろう?』ってワクワクしながら見ています」。現在60歳の小笠原さん、「80歳まで一緒に仕事したい」と笑う。

間工作舎設計事務所が設計し、木又工務店が施工した物件

 理想とする木の仕事にしっかりと狙いを定め、現状から足りない点を洗い出し、行動を起こし、結果につなげる。「壁を壁って思わない。前どころか上向いて歩いてるんや」と大声で笑った後、「修業時代を思えばどうってことない。世の中って厳しいもんやから」と話すまなざしは、鋭かった。

木又さんが考える伝統建築とは、長い時間をかけて洗練されてきたもの。その当時流行したものに、使いやすかったり見栄えが良かったりと少しずつ変化が加えられてきた。今も進化を続けている。ただ同じ形を踏襲するだけのではないのだ。

そうなると、「現在の伝統建築も、固苦しいイメージがあるかもしれやんけど、もっとオシャレで馴染みがあるものに変えていきたい。流行りも取り入れていい」と木又さんは考え、建築雑誌を読み込み、試行錯誤しながら設計に取り組む。自然素材ももっと勉強したいと意欲は増す。

伝統と流行それぞれの良さを生かしながら両立させることを目指す

 木を使って、かっこいい大工仕事がしたい。繰り返し語ってきた夢を現実のものとした木又さんは、令和の時代の新たな夢を、描き始めている。

木又工務店 木又誠次さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、写真提供:木又工務店

● 取 材 後 記 ●

電話で話を伺った設計師の小笠原さんは、木又さんについて「ぱっと見は演歌って感じだけど、話すとジャズ」とユニークに語った。「アレンジ」「即興」など自由なイメージが、聞いてきた仕事ぶりに、重なった。
木又さんが語ってきた「木の家をつくる」という夢はこれから、もっともっと自由に、新しい音を奏でていくのだろう。

広島県福山市で社寺建築や伝統建築、古民家再生を手がけながら、そのスキルを若い職人たちに伝え、従来の木造建築の枠にとどまらない新たな可能性を切り開こうとしている野島英史さんをご紹介します。

野島英史(のじまひでふみ・45歳)さん プロフィール
昭和50年(1975年)広島県福山市生まれ。株式会社のじま家大工店 代表取締役。中学生から幼稚園児まで4人兄妹の父。15歳で大工の道を志し地元の工務店に弟子入り。20歳で岐阜県飛騨の古川町で「飛騨の匠」として10年間修行を積み社寺建築を身につけた。その後、地元福山に戻り32歳で独立し「のじま家大工店」を開業。14年目の今年、新たな試みとして「ログキャビン」を提案・発売する。


飛騨での10年を経て

 

⎯⎯⎯ 大工の道を選んだ経緯を教えてください。

「曾祖父・祖父が大工でした。祖父母に育てられたこともあり、子供の頃から大工になりたいと思っていました。私が物心がついた頃には、祖父は現役を引退し毎日縁側で仏像を彫っていました。ですので「大工=彫り物もするものだ」という概念が幼い自分の体験にあったので、社寺建築を志すようになりました」

⎯⎯⎯ ターニングポイントをお聞きしたいのですが、飛騨での10年間で何か大きな節目はありましたか?

「飛騨に行こうと決めた時点で、社寺建築を中心とした伝統建築の方向を生業にしようと心に決めていました。古川町は大工職人の町として有名で、町内のいろんな工務店に同世代の大工が14人くらいいました。彼らとはみんなライバル同士なので、とにかく負けたくなくて切磋琢磨しながら一生懸命やっていましたね」

⎯⎯⎯ 今も社寺に携わることが多いですか?

「いえ、今はそんなことはありません。文化財の修復なども手掛けますが、古民家再生や住宅の新築もまんべんなく手掛けています」

⎯⎯⎯ それから「ログキャビン」を販売されるそうですが、とても面白そうですね。お話を聞かせてもらえますか?

「もちろんです!」


 

新提案 DIY型ログキャビン【やまとCHAYA】

今年後半、野島さん考案のDIY型ログキャビン【やまとCHAYA】が製造・販売になる。
住宅とは異なる空間を手軽に楽しめる【やまとCHAYA】は、伝統的な木組みの技術「扠首(さす)」を取り入れることで、一般の方でも組み立てが可能。縄文時代の竪穴式住居を模したデザインで、日本古来の大和比(白銀比)で設計しているのが特徴だ。希望に応じて、オリジナルキャビンの製造や、テラスの追加などオプション対応もする。余分なものを取り除いたミニマムな住まいでありながら、使う人の感性を取り入れられる空間で自然を楽しむことができる。

 

⎯⎯⎯ 新たに考案された【やまとCHAYA】について詳しく教えてください。

「ひとりでも多くの方に木の香り・自然とのふれあい・家族の絆を楽しみ、深めていただくきっかけになればと思い考案しました。自ら組み上げ、自分だけの場所、また家族と共に楽しめる場所にしていってもらいたいですね。またこの辺りだと【瀬戸内しまなみ街道】があるので周辺の観光地や農園、キャンプ場などへの設置が向いているかな思っています」

 

⎯⎯⎯ DIY型ということですが、どのような工夫が施されているのですか?

「全て、込み栓(柱と土台、柱と桁などの仕口を固定するための、2材を貫いて横から打ち込む堅木材)を使って作ることも考えましたが、一般の方が作りやすいように組み木を味わえる部分を残しながら、ボルトで締める安心感を両立させました」

組み木とボルト締めで作り上げていく

屋根が低い位置まであり軒も出ているので、ほぼ日差しを遮ることができる。壁なしにすれば風もよく通るので、あずまやとしても打って付けだ。

⎯⎯⎯ 木材は何を使われていますか?

「県内産ヒノキの天然乾燥材を使用しています。風雨に晒されるものなので半年以上乾燥させた強度のある材木を使用するため、年間20棟限定での販売を考えています。また、屋根は杉材を土居葺(通常だと瓦葺きの下地となるもの)にしたものです。この屋根が一番時間のかかる部分だと思います。プロで3日かかりました。やりがいは相当あると思います」

使い方に想いを馳せる野島さん

⎯⎯⎯ これは相当楽しめそうですね。職人さんたちの評判はどうですか?

「職人たちも楽しんでやってくれています。お客様向けに、木に触れること自体を味わったり、ここでの体験を提供したいと考えているのと同時に、職人自身が普段の仕事以外で楽しみながら取り組めるめるものを作りたかったんです」

⎯⎯⎯ これからの展望を一言お願いします。

「これからの時代は、ネットでもリアルでも販路を開拓していかないと、続いていかない考えています。地元だけではなくて、日本だけでもなくて、世界に目を向けていかなければなりません。【やまとCHAYA】が、日本の伝統建築の技術と世界のお客さんとを結ぶ架け橋になって欲しいですね」

「今後、人口減少と共に家を建てる人がどんどん減ってきます。その中で、大きな家だけではなく【やまとCHAYA】のような手軽に建てられるものに、木組みや伝統建築のエッセンスを加えることで、ニッチな層だけでなく幅広いお客さんに「木とともに生活すること=持続的な暮らしを実践し受け継ぐこと」に興味を持ってもらいたいです」

⎯⎯⎯ ということは販売は日本中、ひいては世界中を視野に入れているんですね?

「そうですね。めっちゃ世界中に持って行きたい。『お前どうやって持っていくんだ!?』という話にはなるんですけど、そこは夢ですから。具体的な障壁は一つひとつクリアしていって楽しめるんじゃないかなと考えています。何に対してでも楽しんで、もっともっと視野を拡げていったらいいんじゃないかなと思います」

やまとCHAYA 施工風景

水平レベルを出すのが難しいので取っ掛かりは出張作業が必要。

木組み、屋根とシンボリックな形が姿を現してきた。テラス部分はオプションで予価50万円。床もテラスも含めると200万円程度を想定している。

左:床を張る職人さん / 中:「壁なしのこの状態が一番かっこいい!アクリルを貼ってスケルトンにしても面白そう(野島さん)」 / 杉材の土居葺


現場への指示を遠隔でささっと行う野島さん

宣言「わしは現場には出ん!」

 

⎯⎯⎯ 野島さんは今は現場からは離れてらっしゃると伺っています。どのように仕事を進めているのか教えてください。

「今、のじま家大工店では、20代が1人、30代が2人、40代が2人の合計5人の大工職人で現場を回しています。あとは要所要所で外部の職人さんに応援を頼んでいます」

「現場自体は棟梁に任せていて、重要な決定は私がするというスタイルになっています。あとは社長業であったり、これからのことを考え、舵を切っていくような役割をしています」

 

「私が現場へ出て行かない方がいいんです(笑)。私は昔のタイプの人間なので、職人の仕事ぶりについ口を挟んで余計なことを言ってしまうので。。今後のことを考えるとそれじゃあマズいなと思い、数年前の法人登録を機に『ワシは現場には出ん!』と宣言しました。任せて良かったと思います。職人たちも自分で考えるようになってどんどん伸びていっています」

⎯⎯⎯ 経営者ならではの醍醐味や逆に苦労している点はありますか?

「自分が経営者になるとは思ってなかったんです。立場上、人の前でいろいろと話をする機会が出てきますよね。でも元々そういうのが苦手で、黙々と大工をしていたくてこの道に進んだんです。だから正直辛いんです(笑)。あと、職人や棟梁として現場に入っていると完成した時に「できたー!」という達成感が大きいですが、今の関わり方だとそれが味わえません。そこは職人がうらやましいですね。しかし、みんなが自分のところに集まってくれて、同じ方向を向いて取り組んでくれていることが嬉しいですし、やりがいを感じます」

⎯⎯⎯ 「ベテランの大工さんと若い子は居るけど、働き盛りの30~40代の大工さんがいない。世代間の色々な溝を埋めるのが大変」という話をよく聞きます。野島さんのところでは関係なさそうですね。

「そうですね。もちろん、うちにも以前はベテラン大工が来てくれていました。今は主力となっている40代の大工が技術は概ね身につけているので、問題なく仕事はこなせています」

 

⎯⎯⎯ 皆さん、正社員なんですか?

「昔は終身雇用にしていましたが今はやめました。育ってきたら独立しやすい環境にしてあげた方が、各地にネットワークを作ることができてお互いにメリットがあると考えています。これからますます仕事も暮らしも多様化していきますからね」

⎯⎯⎯ 今話されたような考え方やビジョンなどは職人さんたちにも伝えているんですか?

「はい、伝えています。本人の希望でずっとうちに居たい人には、うちのやり方をしっかり教えます。逆に、例えば独立して経営者になりたい人に対しては、経営者の集う団体の会などにも一緒に参加して、必要なノウハウを教えています」

⎯⎯⎯ 基本となる大工技術がしっかりあってこそ、立ち振る舞いや考え方が重要になってくるんですね。のじま家大工店ならではの技術や強みとはどういったものでしょうか。

「古民家再生や普通の伝統構法も得意としていますが、ちょっと変わった建て方もしています。例えば、これは120mm角の材木で構成する建物で、ハシゴ状に組み上げていって材料が少なくても粘りと強度を持たせることができます。また大きな材料を使わなくて済むので斜面にも建てることができますし、材料の無駄も少ないです。大きな梁の建物も好きですが、この方法だと立体的で強度もあり、見た目も美しいので気に入っています」

120mm角の材木で構成された独特な木組み 写真提供:野島さん

のじま家大工店の礎となる古民家再生と伝統構法の事例を一件ずつご紹介します。


 

広島県福山市 M様邸 「囲炉裏のある家」

2019年完成。飛騨での経験を買われ「飛騨っぽい家をつくって欲しい」と施主のMさんからのご依頼。「理想の家を建てる大工を見つけるのに40年かかった」と言わしめたそうだ。当時30代後半だった大工が手刻みを志して1年で棟梁を務めた。

左:木部の塗装は古色仕上げ(ベンガラ・硝煙・柿渋)/ 中:赤漆に八角形の窓が特徴的だ / 右:左官さんこだわりの粋な意匠

囲炉裏を中心に設計された空間。使用している材木は広島県内産の桧と松。部位によっては杉も使っている。

M様邸の写真すべて:©︎Atelier Hue 田原康丞


 

広島県福山市 臨済宗建仁寺派 神勝禅寺

含空院(茶房)
2014年竣工。この現場を最後に野島さんは現場を離れた。滋賀県 臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物。元々は永和3年(1377年)考槃庵の名で建立され、当時の建物は永禄6年(1563年)に焼失。正保4年(1647年)に再興されて以来、歴代住持の住居及び修行僧の研鑽の場だったそうだ。移築に際しては天井裏の炭に到るまで持って帰り、解体は実に3ヶ月を要したとのこと。

破風:昭和の時代の増築のため、なくなっていた部分。建築当時の元来の姿を再現した。

上:心地よい風が吹き抜ける縁側 / 左:中からの眺めも素晴らしい / 右:今は茶房として湯豆腐やかき氷などを提供している

当時を振り返りながら、丁寧に説明してくれる野島さん

「古民家再生においては、古いままの状態を可能な限り忠実に再現・表現することが、のじま家大工店の得意とするところなんです。ボロボロだったところも修復して使えるようにしています(野島さん)」

戸袋:左がオリジナルで、右が野島さんが再現したもの。「柿渋を塗って色合わせには気を使いました。なるべく忠実に再現しています(野島さん)」

天井は浮造り仕上げ(うづくりしあげ:木の板・柱などの柔らかい部分を磨きながら削ぎ落として木目を浮き上がらせる仕上げ)になっていたので、全て番付して持って帰って浮造りし直した

左:柿渋の6回塗りの床 / 右:柿渋の10回塗りの床はさらに深い色合いだ

左:聚楽壁(じゅらくへき:京都西陣にある聚楽第跡地付近で産出された「聚楽土」に、藁・麻・スサ・砂・水などを混ぜ合わせた土壁):霧吹きで浮かせ、仕上げ・中塗り・荒壁と分けて持って帰り再現している / 右:この壁も同じく、霧吹きで浮かせて剥がして巻いて持って帰ったもの。「移築前のそのままのものです(野島さん)」

左:古い木材と馴染ませるために、新しい木材にはカンナを掛けた後に浮造りをして凹凸を出している。 / 右:敷居も丁寧に直して再び使えるようにしている

 

「傷んでしまって『こんなの使えるのか?』というようなものでも、新しいものと組み合わせて馴染ませてやったら息を吹き返しますよね。そこが古民家再生のいいところだと思います」


鐘楼

 

神勝寺で最初のしごとがこの鐘楼。山の頂上にあったものを4トン車で降ろして移築した。

懸魚(げぎょ:屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾り)は反対側のものを忠実に再現する形で野島さんが彫ったそうだ。


慈正庵

 

こちらも2014年に移築を担当。

「小さいお堂だけど、当時の職人の技術が詰まっています。手鋸しかない時代によくここまで細かい細工ができたものだと感心しました」


⎯⎯⎯ 最後に大切にしていること、これから大工を志す人へのメッセージをお願いします。

「楽しめる職場・楽しめる仕事 をモットーにしています。どれだけ仕事を楽しめるか。どれだけ木を愛せるか。もうそれだけだと思います。気合や根性でどうこうなる時代ではないです。これからの時代を生き抜いていくためには、大工技術だけではなく人間性や交渉力など様々なことを身につけていかなければならないと考えています。技術だけでは舐められてしまいます。身につけた技術を十二分に活かして生きていって欲しいですね」

 

今回の取材では、ログキャビン【やまとCHAYA】についての話をメインにしようと予定していましたが、そこまでに至るまでの経緯を聞いていくうちに、確固たる技術と経営手腕に裏打ちされたビジョンこそが、野島さんのつくり出すものを成形しているのだと感じました。「これから先、どれだけ楽しみ、どれだけ木を愛せるか」と未来を語る時の野島さんは一際かっこいい。


株式会社のじま家大工店 野島英史(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

多くの神社仏閣や京町家が残る歴史深い街、京都。この地で熟練の技術と豊富な知識をもって、国産無垢材と自然素材にこだわり、住宅から社寺・数寄屋まで一手に手がける大西伸之さんをご紹介します。

大西伸之(おおにしのぶゆき・65歳)さんプロフィール
1956年(昭和31年)岡山県新見市生まれ。伝統建築施工 有限会社 大西伸工務店 代表取締役。中学校の時に工務店を営む両親の仕事の関係で京都へ。学校時代から大工の父親についてたびたび現場へ。一般企業に就職し数年勤め、結婚を機に22歳で本格的に大工の道へ。以来40年以上に渡り、民家・町屋・社寺・数寄屋など、様々な木造建築の新築・改修を担ってきた。


教わらない。目で盗む。切磋琢磨。

訪れたのは京都市北区。路地に面した2階建ての住宅が完成を迎えようとしていた。ちょうど翌日引き渡しという絶好のタイミングで見学させてもらいながらお話を伺った。

⎯⎯⎯ 木の家・大工という職業との出会いについて教えてください。

「若い頃に大工の親父について現場に行っていたので、建築について全く知らないという訳ではありませんでした。大工になってからは親父の下で修行というよりは、親父と二人三脚で仕事を進めていくという感覚でしたね。最終的には親父を使うようになっていました(笑)」

北区 冠木門のある家にて

⎯⎯⎯ 修行や弟子入りしていたわけではないとのことですが、社寺や数寄屋など様々なものを手掛けられてきたと思いますが、どこで技術を磨かれたのですか?

「具体的に誰かに教えてもらうのではなく、行く先々の現場で目で盗んで覚えていきました。恵まれたことに、周りに同じような仕事をしている仲間が結構いたので切磋琢磨して良い刺激になりました。知恵を絞り合いながら技術を磨いてきました」

 

優れた技術と豊富な知識、そして質のいい材木があって初めて実現する木の家。その要となる継ぎ手のサンプルを見せてもらった。「継ぎ手という継ぎ手のサンプルは作っていて山ほどあります。全て丸太から自分で作ります」と大西さん。

サンプルに使われている北山杉。とても目が細かい。

まるでパズルか知恵の輪のようにがっちりと組まれている。

⎯⎯⎯ 建てられる時に気を配っていることなどはありますか?

「基本的に外材は使いません。桧と杉ばかりですね。化学物質は極力使いたくないので、本物の無垢の木を使用してます。建具もできる限り木製にしています。ここは準防火地域なのでサッシを入れています」

⎯⎯⎯ 大西さんの元に依頼が来るときには、お施主さん自身も自然素材や木造住宅に対する知識を既に持っていらっしゃるんですか?

「そうですね。その場合がほとんどです。この家のお施主さんは、私が昔建てたアトピー専門の病院の患者さんなんです。いろんな工務店の門を叩いたそうなんですが、建材のサンプルがすべてアウトだったようで、『大西さんしかいないんちゃう?』ということで紹介していただきました。他にもそういう事例が多いです」

細かいところにまで粋なあしらいが施されている。

左:一階には杉と桧を使う。 / 右:二階は杉のみ。

左:家具も大西さんの手によるもの。 / 右:洗濯物を室内に干すため、通気を考え収納の扉は普段は使わないパンチングの合板を使用している。


100%完璧はない。一生勉強。

 

⎯⎯⎯ 様々なお仕事をされていると思いますがメインはどういったものでしょうか?

「住宅もお寺もその時々でいろいろです。営業を一切しないので、いろんな方から回り回って声をかけて頂いて、仕事をいただいています。例えば今日ご案内する《華開院》では知り合いの工務店が檀家で居はるんですよね。その工務店の専門外で私ができる部分をお手伝いさせてもらいました」

⎯⎯⎯ なるほど。営業しないからこそミスマッチが起こらないんですね。40年の間にいろいろなことがあったと思いますが、どんなターニングポイントや転機がありましたか?

「それはもう毎回ありますね。仕事をやる上で100%完璧はないんで、まだまだ勉強しながらやっています。ゴールはないんです。一生勉強ですね」

⎯⎯⎯ 今後の展望などを教えてください。

「実はそろそろ引退したいんですけど、お声が掛かるんで、お声が掛かる限りは続けていきたいですね」

「最近までずっと若い子を採っていたんですけど今は一人で動いています。棟上げの時なんかは兄貴や仲間に手伝いに来てもらっていますが、お施主さんとの打ち合わせはもちろん、業者の段取り、現場の監督から、最後に蜜蝋ワックスを塗るところまで、全部一人でやっています。何でも屋です(笑)。時間はかかりますが丁寧にきちんと仕事をしたいんです」

次に会話に出てきた《華開院》など、近年手掛けられてきた建物を案内してもらった。

 


◎上京区 華開院(けかいいん)

浄土宗の寺院で、通称 五辻御所(いつつごしょ)とも言われている。室町時代には皇室との関係が深く、公家たちの墓が今も移し葬られている。

檀家に知人の工務店の人がいたことから紹介してもらい、2009年に書院の修復を、2011年に門の修復を手掛けた。

 

上:白く見えている部分は、膠(にかわ)と胡粉(ごふん・貝殻を原料とする白色顔料)を混ぜて塗ってある。 / 下:一回バラして組み直したという門。傷んだ柱は根継ぎしてある。


◎北区 冠木門のある家

2013年に完成した住宅で、すべて京都府内産の木材を使用している。細やかな職人技の積み重ねによって全体の品格に結びついている。

 

左:杉皮の外塀 / 右:細やかな遊びを取り入れている。「あんまりやるといやらしいので塩梅が難しい」と大西さん

「ケラバ(外壁から出っ張っている瓦の下の部分)は通常漆喰にしますが、この家は木でやりました。職人さん泣かせですが」と大西さん。他にも細かい意匠が光る。

門をよく見ると、隙間は同幅にしつつ木の太さを少しずつ変えて配してある。この絶妙なグラデーションがすっきりとした印象を与えている。


◎向日市 H邸

築120年の住宅を2017年に改修。母屋の他に納屋なども手がけている。

 

 

天井一面に敷き詰められた葦と、「とても立派だったので天井を外してあらわしにしました」という梁が印象的だ。

下駄箱と縁側の天井は竹の網代。

「ここまで上がって来られたお客さんはみなさん気に入ってくださいます」とお施主さん。


 

40年以上にわたり培ってきた職人技と、100%の満足はないという直向きで真摯な姿勢を併せ持つ大西さん。

まったく営業をしないという彼の元には、彼にしかできない仕事・彼にしか建てられない家を求めて、いつも人が集まってくる。


大西伸工務店 大西 伸之(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

梅雨の合間のよく晴れた日、「あゆみ大工」の坪内一雅(つぼうちかずまさ)さんの元を訪れた。場所は長野県南信州・上伊那郡中川村。新緑と田植えの水面が輝き、日本の原風景が広がる自然豊かな土地だ。

山脈に囲まれた一面の田園風景。坪内さんの田んぼでも田植えをしていた。

坪内さんは愛知県出身で県内の大学を卒業し、設計事務所に3年間務めた後、品川の技専で木工を学ぶ。「デスクワークよりも現場の方に魅力を感じた」という坪内さんは、やるからには日本の伝統的な建て方をしているところで働きたいと思い、名棟梁・田中文男さんのもとで5年間修行を積む。その後いくつかの会社で経験を重ねた後、長女が小6の時に一念発起。母親が暮らす長野へ移り住んだそうだ。

「このタイミングを逃すとずっと親の面倒を見れなくなるので。もちろん不安もあったんですが、伊那には大工塾の同期の知人がいたり、応援してくれる人もいたので後押しになりました。」

そう振り返る坪内さんだが、今では地元で「あゆみさん」と慕われ、とても忙しく仕事をしている。「あゆみ大工」という屋号になった所以が気になったので尋ねてみた。

「大工になる前から“歩くこと”に縁があり、仕事をする上でも走るのではなく、一歩一歩歩んでいきたいと思ったんです。また漢字で“歩み”と書くよりも、ひらがなの“あゆみ”と書く方が優しい感じがします。この読みにはこの漢字と言う風に、枠に嵌めて決め込んだり、何かに執着するのは自分の感覚とは違うなと思っています。「いいかげん」ではなく「良い加減」と言うのが私のモットーなんです。あまり執着すると生き方に壁を作っちゃうなぁと思い、伝統的なものだけにこだわり過ぎず、いろんなことをやっています。その方が〝とんち〟が効くんです。」

左:奥さんが田植えをしている最中だった 右:除草のために借りている「レンタルやぎ」

「良い加減」で、とんちを効かせながら仕事をされる坪内さん。その仕事ぶりがわかるセルフリノベーションの事例を紹介する。


自分が関わることで救える家がある

訪れたのは、伊那市東春近にあるSさんのお宅。小さく見えていたむくり屋根が、車で近づくに連れて徐々に大きく見えてきて、期待も膨らむ。ここは元々茅葺き屋根だった築150年の由緒ある古民家をSさんが2012年に取得した物件で、坪内さんはよろび起こし(傾きを直すこと)や根継ぎ(柱や土台の腐った部分を取り除き、新しい木で継ぎ足すこと)、屋根の補修など、建物として維持させるための改修を担当し、内装の造作などは施主のSさん自身が少しずつセルフリノベーションで改修しながら暮らしている。ちなみに土壁はSさんがワークショップを開催して一般の方と一緒に仕上げたそうで、そういった家の改修や伊那谷での生活の様子をブログ「伊那谷の古民家再生」で公開しており人気を博しているそうだ。

左:改修前の茅葺き屋根の様子(写真はSさん提供) 中:元々の茅葺き屋根を新しい屋根が覆っている 右:改修した屋根の間を覗くと当時の状態がそのまま分かる

改修前はいたるところが朽ち、屋根にいたっては茅が腐って落ちてしまっている場所もあったので、雨漏りがしていたり、柱が腐っていたりと、とてもそのままでは住めるような状態ではなかったという。改修にあたり、何件か他の大工さんにも声をかけたが、目に入った瞬間に「やめておいた方がいい」と言われたとのこと。そんな中、坪内さんは土間の立派な梁を見て「いや、絶対直るし綺麗になるよ。やりましょう!」と改修を勧めたそうだ。

「雨漏りや歪みの問題、住んでいた人の考え、環境の変化など、様々な要因によって倒されてしまう家があります。中にはここのような素晴らしい立派な建物がいっぱある。その家を自分が関わることによって救うことができれば、『よかったなぁ』と純粋にうれしいです。お金に換えられえない達成感があります。」

そんな想いで取り組んだS邸の仕事で一番心に残っているのはどこなのか尋ねたところ、一番大変で、且つ一番やりがいがあったという屋根の改修について語ってくれた。

新しい屋根の下から茅葺き屋根が顔を覗かせる

「この屋根を合理的に直すなら茅葺き屋根を取っ払って普通の屋根にすれば良いのですが、せっかくの貴重な建物ですので、元の面影を残す形で「むくらせたいな」と思いました。なるべくお金をかけずにできる方法はないかといろんな人に聞いて回って、「むくり屋根」の再現を試みました。特に大変だったのは、雨漏りで材の仕口(柱や梁の接合部)が腐って失くなっている箇所の修復ですね。エポシキ樹脂の接着剤と5㎜角の材木を集成し、接着材が乾いたら整形するという工程を2~3回繰り返して形にしました。また軒先が垂れている部分は桔木(はねぎ:屋根裏に取り付ける材で、テコの原理を利用して軒先をはね上げるようにして支える)を入れて直しました。イメージ通りふんわりした印象に仕上がり、手間をかけた甲斐がありました。」

坪内さんは「家を救いたい」そして「家を救おうとしているお施主さんの手助けをしたい」という想いを胸に、心を込めてセルフリノベーション・セルフビルドの仕事をしている。

腐っていた柱は根継ぎし、さらに添え木をするなどして修復している

左:石場建ての間にモルタル・ワラ・土を混ぜたものを入れている 中:Sさん自身で塗ったいう「拭き漆」 右:室内の造作に名家の面影が残る


参加型の家づくりは、その家への愛着を育む

次に紹介するのは駒ヶ根市赤穂にあるM夫妻所有の住宅。こちらのもセルフリノベーションにて絶賛改修中だ。M夫妻の自宅横で奥さんのおじいさんが住まわれていた明治時代のもので、改修後は民泊として貸し出す予定になっている。坪内さんとM夫妻が3人揃って作業に当たるのは週に2日。その日に技術的なことをレクチャーしたり、疑問点を解決したり、相談したり、コミュニケーションを取りながら作業を進め、残りの日はM夫妻のペースでじっくりと作り上げていっている。

笑顔の絶えない現場でのやりとり

「中には『大工の作品に素人の手が入るなんて邪道だ』とお叱りになる方もいるかもしれないですが、家というものは自分の作品である前に、お施主さんのものなので、ご本人に家に対して愛着を持ってもらいたい。その方法として楽しんで創り上げてゆく参加型の家づくりはベストだと思っています。」

そう断言する坪内さん。M夫妻との笑顔の絶えないやりとりを見ていると、「確かにそうだ」と納得した。

建てられた当時から残る土壁の下地には「竹小舞」ではなく、葦を束ねた「葦小舞」が使われていた

左:Mさんのアイデアでコーヒーガラを入れた漆喰
中:床にはサクラ・ケヤキ・アカマツ・カラマツ・クリ・ツガ(トガ)の6種の木を使用/写真はMさん提供
右:通常のストーブではなくペチカを設置している

「人との関係を大切にしたい」という坪内さん。着実に素晴らしい関係を築いている。


伝統から学び、伝統に溺れず

最後に紹介するのは、電子部品などを製造しているK社さんにて、異業種の人たちと共に進めている実験的なプロジェクトだ。間伐材を使ったビニールハウスで、鉄の柱よりも木の柱の方が作物の育成に良いのだとか。あまり詳しくは語れないが「今後の展開に乞うご期待」とのことだ。

伝統的な日本家屋の仕事だけに執われることなく、どんどん新しいことにチャレンジしている坪内さん。伝統をしっかりと学び経験を積んできたからこそ、新しいことに対しても「とんち」を効かせた柔軟な発想で向き合うことができるのではないだろうか。


そろそろ定年? いや、まだまだこれからだよ。

いつも朗らかな坪内さんだが、会話が弾み建築業界の話題に話が及んだ時、笑顔の合間に真剣な眼差しを垣間見る瞬間があった。

「引っ越して来たばかりの時は当然仕事もなかったので、ハウスメーカーの仕事も手掛けていたんですが、やってみてやっぱり面白くないんですよね。『こんなことをやるために大工になったんじゃない』と思い8ヶ月ほどで辞めました。でもいろんな想いを胸にやっている人がいます。組立工と化していて数をこなさなければならず、暇もなく骨身を削り頑張っているんです。それを喜びに変えるには相当なモチベーションが必要だと察します。日本の建築はおかしいぞと感じますね。」

「もっとおかしいなと思っているのはプレカット。在来工法でプレカットと手刻みで相見積もりを取られたら、普通のお客さんはやっぱりプレカットを選択しますよね。そりゃ安い方がいいに決まってますから。見積もりを並べられて『この金額で削れるか』みたいな話になっちゃう。そこはどうにかならないものかと思います。例えば行政から助成金が出るとか、何かしら職人を残していく方法が必要だと考えています。やっぱり大工というものは、実際に刻まないといろんなことがわからない。手で刻んだか刻んでいないかで建前の意気込みも全く違うはずです。」

さらに続ける表情に、またいつもの柔らかい笑顔が現れた。

「一方で、もちろん価値をわかってくれる人も必ずいるので、そういう『ぜひ刻みで建ててください』というお施主さんを捕まえなきゃいけないなとも思ってます。まだ自分がそういうステージに上がれていないのかもしれないので、世の中を悪く言うんじゃなくて、自分のことをよく見なきゃいけないですね。『いい年でそろそろ定年なのによく言うね』みたいな声も聞こえてきそうだけど『いや、まだまだこれからだよ』という意識もあります。」

坪内さんの言う「良い加減」とは物事を真剣に見つめ、そこにある理想と現実を把握してどちらかに寄り過ぎることなく、地に足をつけて一つずつきちんと解決して行くことだと感じた。そこが坪内さんの魅力であり、あゆみ大工の魅力なのだろう。

坪内さんは今日も一歩一歩、長野の地を踏みしめながら大工という仕事に向き合っている。


あゆみ大工 坪内 一雅 (つくり手リスト)

取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

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