人間の経済活動や暮らしには、エネルギーを使います。現代社会では、その多くを石油・ガスなどの化石燃料に依存しています。しかし、これらの資源も無尽蔵ではなく、かつ化石燃料の多用が地球環境に負荷をもかけている現状もあります。そこで今、「省エネ」が、人間の経済活動や暮らしと地球環境との折り合いをつけながら持続可能な未来をつくっていくために国際的に共通課題として世界各国に求められています。日本でも、産業や暮らしの各分野での「省エネ」への取り組みをしており、「建築物の省エネ」もその重要な一翼をになっています。2020年の新春特集として「建築物の省エネ」にむけたアプローチとして木の家ネットで推奨する「気候風土適応住宅」について、お届けします。省エネを実現しつつ、それ以上の豊かな価値を多様にもたらす気候風土適応住宅の魅力を、たっぷりと感じていただければ幸いです。
「建築物の省エネ」について「室内と外部環境との関係」に着目すると、大きく二つの方向性があります。ひとつは「内|外」タイプ。これは、内と外にしっかりと境界をつくって、外界の影響を最小限にした室内を、高性能な冷暖房機械で空調する建築手法です。決め手となるのは、家と外とを遮断する「外皮」。高性能な断熱材や窓ガラスを用いて外皮性能をアップすることで、省エネを実現します。一般的に「省エネ住宅」といわれているのは、このタイプです。
もうひとつは、これからお話する「内⇆外」タイプ 気候風土適応住宅です。室内と外の環境とは遮断せず、ゆるやかにつながる建築手法です。その土地の気候風土の陽射しや風などを取り入れ、外部の自然環境を積極的に活用し、使用エネルギーを低くおさえた暮らしを実現します。空調機器も高性能な断熱材や建材がなかった頃からある、昔ながらの伝統木造住宅は、このような知恵や工夫の結晶です。木の家ネットの多くのつくり手は、このような地域の気候風土にあった自然な暮らしができるような家づくりを志向し、実践しています。
1. 陽射しや風など、自然の恵みを生かす
2. 「和の住まい」を今の暮らしに
合った形で継承
3. 長寿命。製造エネルギーも小さく、自然に還る素材でゴミにならない。
地域内循環。広義の省エネ要素がたくさん!
「内|外」タイプ(外皮性能型)も、現代的な住宅を施工する上で水道光熱費を抑えるのに有効な方法ですが、自然との共生、日本の住文化や職人技術の継承、製造〜廃棄までのサイクルの長さなどを考えると、「内⇆外」タイプ(気候風土適応住宅)こそが、より広い意味での省エネになっているのではないかと私たちは考えています。
昨今、開発は持続可能性と両立すべきものであるという「SDGs」が取り沙汰されていますが、「気候風土適応住宅」の実践は「SDGs」のいくつかの要素にもあたるとも考えられます。家づくりを通して、持続可能な社会をつくっていると確信できることは、私たちにとっても住まい手にとっても、嬉しいことです。
関係ありそうなピースを抜き出してみました。
7:エネルギーをみんなに そしてクリーンに
11:住み続けられる まちづくりを
12:つくる責任 つかう責任
13:気候変動に具体的な対案を
15:陸の豊かさも守ろう
持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)とは、2001年に策定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)の後継として、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っている。(外務省のWebサイトより)
以下に、一般的な省エネ住宅と気候風土適応住宅とについて、項目ごとに対比させてみました。理解の助けになれば幸いです。
「内|外」タイプ(外皮性能型) | 「内⇆外」タイプ(気候風土適応住宅) | |
壁 | 大壁づくりが主 | 土塗り真壁づくりなど |
建具 | 工業製品の高性能なサッシ | 地場産の木製建具 |
開口部 | 窓は小さくなりがち | 南面等に大きな開口 |
建材 | 木質系、工業系建材を多用 | 無垢の地場産材、土や紙など |
断熱材 | 性能の高い化学系 | 木質繊維由来など、自然素材 |
冷暖房 | 高性能機器で空調 | 陽射しや風を活用+薪ストーブなども |
国際的な省エネ目標を建築物においても達成するために、新築において外皮性能基準の達成を義務化する方向での議論が2015年ごろから進んでいた。しかし、これでは土壁など日本の伝統的な「和の住まい」がなくなる!という声があがり、国交省では、地域の職人・技術・文化を大事にし、外皮性能によらない形で省エネに寄与する伝統木造住宅を「気候風土適応住宅」として、外皮性能基準の適用除外にすることを決めた。
「気候風土適応住宅」は、季節の暑さ寒さに応じて省エネを実現するたくさんの知恵と工夫でできています。さまざまな要素がありますが、いくつか項目に分けてご紹介しましょう。写真は、サスティナブル建築物先導事業(気候風土適応型)」採択事例の竣工物件のうち、木の家ネットのつくり手が関わったもの寄せていただきました。(写真の出典は記号で示し、凡例を文末にまとめました)
2020年に外皮性能基準の適合義務化に追加されるのは、300平米以上の非住宅建物のみ。小規模住宅については、設計者が施主に対して、その家がどのように省エネにつながるものかを説明することが、義務付けられます。その根拠は「外皮性能」でも、別の方法でもかまいません。この特集が「気候風土適応住宅」による省エネ手法の説明に役立つことを願っています。
軒を深く出すことで、高い夏のギラギラした日射しは室内に入れずにカットし、低い冬のぽかぽかした日射しは室内に取り込むことができます。「気候風土適応住宅」では、太陽高度を意識した軒の出し方の設計ひとつで太陽エネルギーを電気や温水に変換することなく、活用するのです。(このように直接ありがたく使うことを「ダイレクトゲイン」といいます)
「気候風土適応住宅」では、家の中に心地よい風が通るよう、建築的な工夫をします。南面に掃き出し窓を大きく開放するのが基本ですが、酷暑の夏は開けるとかえって熱風が入ることもあるので、庭に打ち水をして気化熱で涼を得る、よしずや簾(すだれ)を使うなど、暮らしの知恵で応じることもします。
掃き出し窓ほど大きく開放するのでなくても、天窓と地窓など高さの違う窓をもうけて空気の流れをつくる、欄間や無双窓などで外から部屋、部屋から部屋へと風が抜け道をつくるなども、有効な方法です。石場建てにすることも、床下の通風の確保につながります。風がうまく抜けるよう計画すれば、機械空調に頼ること少なくして日本の夏を気持ちよく過ごせるのです。
とはいえ、日本には四季があります。暑い夏は外とつながる風通しのいい住まい方が望ましくても、寒い冬は室内にこもって、ぬくぬくとあたたかく過ごしたいものです。季節に応じて暮らせる「気候風土適応住宅」のポイントとなるのが「建具づかい」です。
外回りに雨戸、ガラス戸、障子と建具を多層的に使います。敷居を何本もしこめばフルオープンにもできますし、一番外の雨戸にあたる建具を、百葉箱の壁のようなルーバー状の格子のものにすることで、防犯上安心な形で夜間通風を得ることもできます。季節によって、あるいは昼と夜とで、建具で外皮の状態を変化させて、室内環境をうまく調整するのです。
建具を開け閉てすることで、空間を広げたり、せばめたり。家そのものが呼吸するような使い方ができるように設計するのですが、中でも活躍するのが「障子」。窓の内側に一本、障子をたてるだけで寒さがやわらぎますし、閉めていてもやわらかい明かりをもたらしてくれるので、閉塞感なく使うことができる、優秀なアイテムです。昼間はおひさまが燦々とあたたかい縁側も、夕方からは居室との境にもうけた障子を閉めれば縁側空間そのものが「熱的緩衝空間」となり、居室を夜間の寒さから守ってくれます。たった「紙一枚だけ」のことですが、素晴らしい知恵ですね(破れていないことが前提ですが!)。
内土間や続き間などもこの「熱的緩衝空間」という考え方に通じます。必要や場合に応じて仕切って区切って、夏は広々と、冬はこじんまりと。可変性のある空間で季節や時間に応じた暮らしの工夫で、冷暖房機器に頼らない省エネをするのが「気候風土適応住宅」なのです。
気候とは、暑さ寒さだけではありません。雨風や湿気に応じることも「気候風土適応住宅」の大事な要素です。湿度の高い日本では、腐朽から家の劣化がはじまります。家の耐用年数が長いことは、確実に省エネにつながりますので、吸放湿性のある無垢材や自然素材を使用します。家が長持ちする上に、室内の空気もさらっと、気持ちよいものとなります。また、建築的にもその地域の風雨の強さや方向性などを考え、雨がかりや湿気のこもりやすい床下の対策などを考えます。
「外の自然環境を取り入れる」といっても、その外がアスファルトやコンクリートでは、逆効果になりかねません。大自然の中にある家でなくても、建物の周辺にほんの少し木があるだけで、建物周辺の地表面の温度上昇を抑制することができます。落葉樹を植えれば、夏は緑陰を楽しみつつ、冬は陽射しを取り込めます。庭とまでいかなくても、敷地の内外の境をブロック塀でなく植栽にするだけでも、家の周囲に微気候を形成しつつ、道ゆく人が季節感のある景観をもつくることができます。
「気候風土適応住宅」は、どこに持っていっても、誰が住んでも同じ性能を発揮する「箱」ではありません。そこが一般的な「外皮性能型」の省エネ住宅とのいちばんの違いです。
「気候風土適応住宅」のひとつひとつが地域に固有の気候風土に応じて計画する「一点もの」であり、また季節に応じて暮らす「住まい手」がいてこそ、成り立ちます。住まい手の主体性は「画竜点睛」の最後に描く龍の目のようなもの。建具を開け閉てし、すだれをかけ、打ち水をし、風鈴を吊るすことを四季おりおりに楽しむ。そんなライフスタイルを志向する人とつくり手との出会いが「気候風土適応住宅」を実現させるのです。
そんなことはありません!伝統的な意匠や、自然との共生を大事にしつつ、外皮性能をあげる努力も、できる範囲でしますので「昔ながらの、冬の我慢を強いるようなスカスカの家」とはちがいます。採択事例では、次のような工夫が評価されました。
・内壁が土塗り真壁でも、外壁に自然系の断熱材を
・断熱性能の高いガラスの採用
・建具にしゃくり等の隙間防止措置
それがどんな建築的な要素でできているか のみならず、その一軒の家を「誰がどのようにつくるか」も「気候風土適応住宅」の大事な要件となります。「地域の職人が地域の素材でつくり、地域の文化を継承する」ということが、「気候風土適応住宅」の生産体制の柱となります。これは、国交省だけでなく、文化庁や観光庁も関わる「和の住まい推進」とも連動する考え方です。
全国規模のメーカーで量産する部材を組み立てるのでなく、一軒一軒の家を、地域の職人が手刻みして組み上げるのが「気候風土適応住宅」です。若手を起用することで、技術継承をはかること、大工職人だけでなく、左官、建具、畳、瓦、板金など、大工とチームになってはたらくさまざまな職人たちの存在も重要です。
「気候風土適応住宅」では、近くの山の無垢材を使うほか、土、紙、瓦など地域の自然素材を積極的に使います。今回参考にした採択事例の申請書にも「八代産の畳表と藁床」「岡山の稲藁床と畳表」「八女和紙貼りの天井」「菊間瓦」など、地域の素材がたくさん挙げられていました。
家は私有財産ですが、家を建てることは、周囲の景観に影響をおよぼすことでもあります。「気候風土適応住宅」はいい景観を積極的につくっていくもの。外装に焼杉、縦格子、大和塀を使う、道路ぎわに生垣を設置する、既存の屋敷林を活かすなど、魅力にあふれた採択事例をご覧ください。
平成28年度の採択物件について、グラフにまとめたものです。基準一次エネルギー消費量に対して、実際に一年間住んでみての実測一次エネルギー消費量がかなり低く抑えられていることがおわかりいただけることでしょう。
基準一次エネルギー消費量:家の規模、住む人数、地域区分などに応じて、室温を夏場は27℃、冬場が20℃にするためのエネルギー使用量は、この基準以内に抑えなさいと定めた、基準値。行政庁認定の住宅用プログラムで求める
設計一次エネルギー消費量:設計者が計画した物件について、外皮性能や使用する冷暖房機器に応じて計算する、設計値
実測一次エネルギー消費量:実際に一年間住んでみての、水道光熱費の使用実態から積み上げた、実態値
「基準」「設計」については、サスティナブル先導事業(気候風土適応型)の公式Webサイトで公表されている数値を、「使用」については竣工後の住まい手の協力により収集した数値を使っています。「気候風土適応住宅」では実態値が基準値を大きく下回っているだけでなく、設計値と比べても低くなっています。設計値と実態のズレは、エアコン設置しない場合には効率の悪いエアコンを設置した数値に換算するなど、現在の算定プログラムの仕様が気候風土型と合っていないことや、プログラムにおける冷暖房の設定値などによるものと思われます。
■ 参考:平成28年度の採択物件 事例集
https://www.kkj.or.jp/kikouhuudo/dl/jirei/jirei28.pdf
(一社)環境共生住宅推進協議会 気候風土適応型 評価・審査室
※この事例集3例めの「大きな屋根の小さなすまい」では、かんな屑断熱材を天井断熱に使用しています。評価機関では、かんな屑を断熱材として認めないため、基準値を「断熱無し」と評価して122GJとしています。このグラフでは、かんな屑を断熱材と評価した場合の基準値として、62.5GJを採用しています。
ここまで「気候風土適応住宅」の建築面、生産体制面でのなりたちを見て来ました。「和の住まい」といわれる伝統的な木造住宅を、現代のニーズにあったかたちで新築することを「省エネ」という大きな文脈の中でどう位置づけると、どう評価したらよいのか。その捉え直しの作業の中で「気候風土適応住宅」という概念を整理できたのは、よいことであったのではないかと思います。
同時にこの「気候風土適応住宅」が、今後、自然と共生する持続可能な社会をつくっていくにあたって「省エネ」だけにとどまらない価値を生み出していることにも、気づかされます。省エネに至る道が「外皮性能」だけでないように、「省エネ」だけにかぎらない、多様な価値が「持続可能な社会」をつくっていくのではないでしょうか。「気候風土適応住宅」がもたらす豊かな価値について付記しておいきたいと思います。
地域内経済が活発になる。地域の技術を継承できる。型番の工業製品でなく、木があり、修繕ができる人が近くにいれば、直しながら住み継いでいける。輸送コストも小。地域資源の循環になる(木材、土、竹、藁など)
土に還る素材でつくり長寿命なので、LCAサイクル(生産から廃棄までにかかる二酸化炭素排出量)を低く抑えられる。建築廃材や倒木、間伐材などを薪ストーブや給湯使うことは、 化石燃料を使わず、ゴミを減らし、山の手入れにつながる。
あらわしの(小屋組、面戸板)真壁づくり、石場建てなど、点検が容易で補修や修繕がしやすいことは、耐久性向上につながる。長寿命であることは、なによりの省エネ。
土壁塗り、ヨイトマケなど、住まい手を中心とする「結」による家づくりや、土間や濡れ縁があることによる近隣とのつきあいの再構築は、支え合いのコミュニティーをつくる。床座でのミニマム、シンプルな暮らし(寝食居がひとつの空間で済む)。
以下の会員(50音順)に、採択事例の写真・資料を提供していただきました。
a.綾部 孝司(綾部工務店 )
b.高橋 昌巳(シティ環境建築設計 )
c.橋詰 飛香(野の草設計室 )
d.東原 達也(東原建築工房 )
e.古川 保(すまい塾古川設計室 )
f.水野 友洋(水野設計室 )
g.宮本 繁雄(建築工房悠山想 )
h.山田 貴宏(ビオフォルム環境デザイン室 )
i.和田 洋子(一級建築士事務所バジャン )
地域の気候風土に応じた木造住宅の建築技術を応用しつつも、省エネルギー化の工夫や現行基準での評価が難しい環境負荷低減対策等を図ることにより、長期優良住宅又は認定低炭素住宅と同程度に良質なモデル的木造住宅を実現する事業計画(プロジェクト)の提案を公募し、そのうち上記の目的に適う優れた事業提案に対し、予算の範囲内において、国が当該事業の実施に要する費用の一部を補助する制度(下記Webサイトより)。平成28年度からはじまり、年に2回の募集があります。
https://www.kkj.or.jp/kikouhuudo/
これまで、サスティナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)事業に4回応募し、採択されてきました。「大工経営塾 第3弾」午前の部で、その申請ポイントを具体的に教えます!「気候風土適応住宅」に取り組んでみたい方は、ぜひおこしください。
「大工経営塾 第3弾」
日時:令和2年2月15日(土)10:00〜16:30
プログラム:第一部=10:00〜12:00 「サスティナブル先導事業(気候風土適応型)の申請ポイントを伝授」 講師=高橋 昌巳氏(シティ環境建築設計 代表)
第二部=「4月から、民法改正って知っていますか?〜瑕疵から契約不適合に!」 講師=秋野 卓生氏(匠総合法律事務所 代表社員弁護士)
参加定員:40名
参加費:木の家ネット会員5000円 一般10000円
会場:ワンコイン会議室東京 東京駅八重洲南口 大会議室2F
申し込みはこちら
※木の家ネット会員優先とさせていただいてます。2020年1月14日(火)までは、会員のみの受付となります。
前回は、一般社団法人 職人がつくる木の家ネット第一回総会 唐津大会の報告をお送りしました。今回は、総会初日である2019年10月5日に、九州の関連団体との共催により、唐津市文化体育館 文化ホールで開催した公開フォーラム「災害に学ぶこれからの木の家」の記録をお届けします。
まず木の家ネット代表理事 大江忍より「地球温暖化が進行し、50年に一度と言われる自然災害が毎年のように起きている今、木の家づくりはどうあるべきかを、ともに考えましょう」との開会挨拶があり、続けて安藤邦廣さんの基調講演、ここ数年の災害被災地から4人の会員の事例報告、パネルディスカッションが行われました。以下、順を追って概略をお伝えします。
1948年宮城県生まれ。筑波大学名誉教授。里山建築研究所を主宰し、スギの森林資源を活用する板倉の家づくりを推進。東日本大震災以降、再利用を前提とした板倉応急仮設住宅に力を注いでいる。
「地震、雷、火事、おやじ」と言いますが、今も昔も人々の暮らしは気候変動による天災(地震・雷)や戦争などの人災(火事・おやじ)に翻弄され、それについて建築のあり方も変化してきました。
「日本建築は最初から木造だった」という思い込みもあるようですが、飛鳥時代まではむしろ、石舞台や明日香の宮など、石造りが目立ちます。朝鮮出兵をして大敗した「白村江の戦」の後、大陸から日本に攻め入られても防衛できるよう、多くの朝鮮風山城が西日本につくられました。これらも版築の石塁に囲まれた石造建築です。
棟持柱に巨木を立て、屋根に茅を葺いた、森の象徴のような木造建築である伊勢神宮が建てられるようになったのは、飛鳥時代も後半の690年のこと。稲作の豊穣を願い、米倉を模した建物を20年おきに建て替える「遷宮」が定められ、以来、今日にいたるまでそれが続いています。海の向こうでの戦いより、稲作の無事や国内の平和を希求する時代が、このような木造建築を出現させたのです。
その後、都が奈良に移ると、国家の安寧を願い、東大寺大仏殿をはじめ国分寺が各地につくられ、木造文化が花開きます。
より大きな都を京に開いた平安時代には、植林もさかんに行われるようになります。平安以前の地層にはスギ花粉が見つからないのに、その後の短期間のうちに広い範囲でスギ花粉が現れることから、自然に植生が広がるスピードを越えて、スギが人の手で植えられていったことが分かります。
最初に植林をしたのは修験道の行者たち。九州の英彦山(ひこさん)や、戸隠神社には、樹齢800〜1000年のスギが今も残っています。天にまっすぐ伸び、成長の早いスギに、人々は木材資源の調達だけでなく、祈りをも託したのです。
応仁の乱から一世紀以上続いた戦国時代には、数多くの木造建築が灰となりました。大量の大径木を要する築城ラッシュで木材資源は枯渇。ついには松江城の天守の柱に見られるような、細い柱を板で覆ってカスガイで止めつけた「包み板」=集成材を使わざるをえない状況になってしまいました。
戦乱で焼かれた家を、成長の早いスギで再建したのが「数寄屋(スギヤ=杉家)」のはじまりです。数寄屋を原形とする「京町家」は、京都の木材供給地の北山でわずか20年で育つ細い部材で構成された、いわば「復興住宅」でした。
300年間太平が続いた江戸時代には、数寄屋に端を発した杉普請+土壁の家づくりが、庭に面してより開放的なつくりに発展し、これが今の伝統木造住宅の基本となっています。
歴史の流れに関係なく繰り返し起きる天災に応じてきた知恵が、日本各地でみられます。長崎県の対馬では、台風と火事から身を守るために浜に「コヤ」と呼ばれる倉庫を建ててきました。屋根は石葺き、足元は石場建て。移築が容易な板倉で、普段は食料庫や作業小屋として使い、母屋が火災や台風で被災したときにはここに逃れてしのぎます。戦時中には、女子供を空襲から守るために、この「コヤ」を森の中に移築して住み、戦後、再び、元の場所の戻したそうです。
富士山麓の根場地域でも、山津波に備えた「クラ」と呼ばれる小屋を山の中に建て、布団や漬物を保存していました。昭和40年の山津波で村が壊滅した時には、これが役に立ちました。主屋とは別の場所に建てた小屋を、普段は農作業や漁、山仕事、作業場、納屋などに使い、災害時には、そこに避難して過ごしたのです。平時から応急仮設住宅を備えていたというわけです。
西洋には、ロシアの「ダーチャ」やドイツの「ラウベ」のように、都市に住みながら田舎に自家菜園と小屋をもち、自給自足と都市生活を両立させる二地域居住の例があります。こうした小屋があることが、自然と乖離し、食料を依存しなければならない都市生活者の心の支えや自活力ともなっているそうです。天災の多い、そして自然と乖離した生活で人間が疲弊してきている今、こうした田舎の小屋の意義をあらためて見直してもよいのではないでしょうか。
戦災復興のために植林されたスギ林は国土の12%を占め、その森林蓄積はこれまでになく豊富な時代に入っています。樹齢50年ほどの人工林からとれる「中目材」は平角材や厚板を取るのに最適です。これらを活用し、災害に対処する「板倉応急仮設住宅」を提案し、実践してきました。
東日本大震災後に福島県いわき市に建てた「板倉応急仮設住宅」は、避難生活を少しでも心地よく過ごしていただく助けになったのでは、と思います。7年間の供与期間が終了となる頃に、西日本豪雨が発生。被災した岡山県総社市長からの要望に応えて、木の家ネットをはじめとする多くの大工さんの協力により、この板倉仮設を移築再生し、現在も活用していただいています。
スギ板を多用し、番付とそれを理解する大工の手があれば簡易に建築でき、解体移築して再利用が可能な「板倉」の小屋をつくることは、豊富な森林資源を活用し、多発する災害に対応するのに役立つのではないでしょうか。みなさんの理解と協力を得て、今後この技術を発展、普及させていきたいと思います。
1956年宮城県生まれ。地域の杉と、漆喰・和紙等の自然素材に依る住まいづくりを実践。森林見学会等により、住まい手が納得し愛着の持てる家づくりに取り組む。杜の家づくりネットワーク 代表。
ふるさとの石巻市北上町十三浜と仙台との二拠点で設計事務所を営んでいます。十三浜はホタテ、牡蠣、ほやなどが獲れる豊かな海辺で、私も漁師の子として生まれ育ちました。今でも漁業権をもち、季節には漁もしています。
私の住む十三浜相川地区では、東日本大震災の津波の第二波で、280世帯のうち160もの家屋が全壊しました。残材を片付けた後は、一面の基礎コンクリートしか残りませんでした。裏山をつたって高台に逃げる訓練を普段からしていたので、小学校児童や集落にいた人が全員避難できたことだけが、せめてもの救いでした。
地震発生時、私は内陸に居ました。家内から「子供を連れて高台のグランドに避難した」とのショートメールが入り帰宅を試みたのですが、その日は家から25kmほど内陸の河北で足止め。知り合いのところで不安な中、夜明かししました。
翌日、車で帰ろうにも、途中から橋は落ち、トンネルにがれきが流れ込んでいるような状況で、道は寸断。止むを得ず、途中のグラウンドに車を置き、2時間半歩いて、ようやく避難所までたどりつきました。後日、車を取りにいこうにも、道が復旧していないので、まずは車を置いたところまで徒歩2時間半。そこから内陸に走って、携帯を充電し、必要な連絡をとる・・そんな日々を送りました。
避難所となったのは、ちょうど震災の翌月の4月からオープン予定だった、高台の子育て支援センターです。そこで、日本全国からの支援をいただきながら、地域の人々が我慢と努力とを積み重ね、電気もガスもガソリンもない中で2ヶ月間、共同生活で暮らしました。
「田を拓いた時に沢水を引いたパイプが残っているはず」という年寄りの記憶を頼りに三日かかって水を引き、残材を薪に利用したかまどをつくり、バスタブで湯をわかすなど、知恵をしぼり、一人一人ができることをしました。人口減や高齢化で地域コミュニティーが崩壊しつつあるといわれてはいますが、人のつながりの底力がここに発揮されたと思います。
不幸にも津波の被害に遭い、家を失いましたが、人々が積極的に地域のために協力し合う、遠い祖先から続く地域コミュニティーを、自分たちが生まれ育った美しい故郷を失ってはいけないのだと実感しています。
そのためには、住んでいた地域に復興住宅を建設し、再び故郷に住める希望と、それまでの間、地域コミュニティが失われないような応急仮設住宅、仮設集落の建設が必要不可欠であると思います。
岡山県倉敷市児島で、木組み・土壁・石場建ての新築及び古民家改修の設計と構造計算を行っている。一般社団法人 職人がつくる木の家ネット 理事。
雨が少ないと言われてきた岡山で、高梁川に流れ込む小田川の堤防が決壊しました。これがその時の写真です。
洪水は、単に水かさが上がるだけではありません。土砂やガレキが流れ込み、水が引いた中でも基礎の中には水が残ります。その水をバケツでかきだしたり、水中ポンプで抜いたりするのですが、これは大変な作業です。
私はこれまで土壁の家を多くつくり続けてきたので、西日本豪雨災害発生後、岡山県から土壁住宅や古民家について修復方法の相談を受けました。他団体からの協力をいただき、倉敷市でも緊急マニュアルを作り被災地に配布し、倉敷市で行った被害相談や現地調査にもあたりました。
土壁が直せるのか?という相談には「まず、壁と床を撤去して構造体を水洗いし、消毒し、乾燥させてください。糊で貼り合わせた木質製品は、水につかってしまうとはがれてしまい、使えませんが、無垢の製材でできた構造体や建具・家具は、乾けば使えます」とお答えしました。
濡れてしまった壁土ですが、かかったのが雨水だけならよいのですが、現実には農薬や油なども入っているので、再利用はおすすめしません。竹小舞は再利用できますので、土をあらたに調達して塗り直すことができます。
処分に困るのは断熱材です。最も悩ましいのが、構造体と分離し難い吹込み断熱。次が、濡れてぼわぼわになり、乾いても使いようのないグラスウールです。ボード状の断熱材は、まだ使いまわせることもあります。
「地震に強い家」なら、耐力要素や復元性能などを設計時に計画することで、建築側であらかじめ対応することもある程度できますが、水害に関しては立地に左右される要素が大きく、建築的にどうしたらいい、というわけにはなかなかいかないのです。自分の住んでいるところを、ハザードマップでチェックしておくことをお勧めします。浸水のおそれがある場合には、いざという時、どうに行動するか、家族で話し合っておくことが大事です。ハザードマップは各市町村の役場でつくっています。今回、真備町の被災状況と照らし合わせてみても、ハザートマップの情報は、かなり的確です。ぜひ参考にしてください。
建築に関していえば、水害がないとはいえないので、乾かせばまた使える無垢の木で作ること、断熱材をはじめとする建材は廃棄することになっても土に還る自然素材系のものを選ぶことは、やはりおすすめしたいですね。
1947年佐賀県武雄市生まれ。ハウスメーカー勤務の後、地域の気候風土にあった伝統木造に転換し、石場建てによる新築に取り組む。熊本地震に続き、昨年は故郷の佐賀県武雄市も豪雨被害に遭い、修繕可能な家づくりへの志向をさらに深めている。
熊本地震の死者はわずか50人。余震で多くの人が避難したあとに本震があったから、人的被害が少なかったのです。ところが、住宅のうち全壊(被災率50%〜)が24,919棟、半壊(被災率20%〜)55,610棟なのに、35,675棟もの住宅が解体され、かわりに軒も庇もなく、窓の小さい、仮設住宅のような四角い家がたくさん建っています。
その原因は、建物が半壊(被災率20%)以上であれば、自己負担なく公費解体してもらえるからです。まだ修繕できる家であっても公費で壊し、補助金を得て急いで新築した結果が、現在の熊本の風景です。同じだけの資金を修繕費にまわしていたら、救える家も多くあったと思うのですが…。
私が設計した石場建ての住宅は、全壊判定でした。震度計を置いてある益城町役場からわずか200m西の地点ですので、計測震度で表現できるとしてよいでしょう。計測震度6.5(震度7)の前震と計測震度6.7(震度7)の本震で、建物が80cmも動きました。石場建て(足元にダボ入り)の9本の通し柱の足元が7寸を足固めでつないでいたので、矩形を保ったまま水平移動でき、建物の構造自体の被害は少なく、動いた分を曳家して戻し、修繕をしました。一本折れた柱も、添え柱をして補強。ほぼ元どおりの姿に戻りました。公費解体して新築をしても、ここまでの建物はつくれません。
地震がおきれば家は揺れますが、壊れるのが床や壁の仕上げ部で、構造体が大丈夫なら、保険金の範囲で修繕が可能です。そのためには構造体が見えるようにしなければなりません、内外のどちらかを真壁にしておきましょう。構造が大壁で覆われ、中の被害状況が見えない建物は、修繕方法、見積りのしようがありません。修繕方法やいくらかかるか分からないから業者は「解体して新築する」を勧めるのです。
地震で地盤が揺れ、基礎が揺れ、基礎から建物に地震力がはいります。基礎と建物とが離れていれば、修繕は建物だけで済み、費用は抑えられますので、建物は石場建てにして、基礎緊結しないことをお勧めします。
たとえば、液状化が発生して基礎と緊結された建物が沈下した場合、基礎からの嵩上げ工事からしなければならなくなり、500万円以上の費用がかかります。基礎は基礎、建物は建物と分離していれば、傾いた基礎はそのままに、建物だけをジャッキアップして水平にすることができ、より少ない費用で済みます。
瓦は重いから地震対策では良くないとの報道がよくなされますが、地域にあった、瓦施工ガイドライン工法に従って施工をすれば、台風や地震でもそう簡単に落ちるものではないことが熊本地震で実証されました。
建築素材のことも考えましょう。新建材だらけの家は、解体廃棄時に、土に還らない大量のプラスチックや石油製品を出すことになり、それが川を通じて海に流れ出れば、海洋プラ汚染につながりかねません。
真壁、石場建て、ガイドライン工法の瓦、自然素材。以上が、修繕が可能で、地球に負荷をかけない家づくりの要件です。「な〜んだ。昔ながらのあたりまえの日本の家かよ」ということです。
福岡県朝倉市生まれ。住宅・社寺・文化財等の木材を請け負う現代の木挽。西日本新聞にて『住まいのモノサシ』等を連載、木の魅力を発信した。九州大学大学院芸術工学府・博士後期課程。一般社団法人 日本板倉建築協会 理事、一般社団法人 職人がつくる木の家ネット 理事。
2017年の九州北部豪雨では、筑後川の中流域の英彦山南面で大きな被害がありましたが、うちの山も多くそこにあります。1日に約1000mm、しかもそのうち9時間で774mmという、短時間の猛烈に激しい降雨で、山々の支流から土砂がおよそ1100万立米、流木が21万立米も流されたと推定されています。
人工林、特にスギ林の管理が悪かったからこのような被害が起きたかのように、さんざん叩かれました。実際に地面の崩壊は、木が根を張るよりも深い層で起きていたのですが。とはいえ、スギやヒノキの大量の流木が支流から下流へと流れ出した結果として、人々の生活域の凶器となったのは事実です。
「もうスギはよか…」「人工林は伐採してしまえ!」さまざまな言葉にさらされ、本当に悩みました。木だって生き物。被害を受けている側なのですが、このようなことが起きるたびに悪者探しがはじまります。「スギが悪い」と、環境活動家からは特に批判にさらされがちです。
しかし、歴史を振り返ってみれば、何十年かに一度は、そんな豪雨が降っているのです。祖父の代の昭和28年にも大きな水害があり、製材所の本拠地が現在の場所に移転するきっかけとなりました。
「地元産材で災害復興を」なんてとてもいえない雰囲気もありましたが、とはいえ自分の役割を、大好きな山を放棄することはできません。私たち、山づくりや製材に携わり、人と木とをつなげる者は、どうしたらいいのでしょうか?
なぜスギが嫌われるのでしょう? そもそも、日本は樹種がものすごく豊富ですし、DNA的に多様性が高い日本人はそもそも、植生豊かな森を好むからではないでしょうか。その気づきから、スギだけを育てる「モノ・カルチャー」=単相林施業から脱却することを考えています。
具体的には、所有しているスギ林は間伐をくり返し、皆伐の時期になっても少ない本数でも良い樹を残し、遠い将来にはそれらが樹齢数百年の大木になることをめざします。スギは古木になれば、葉が樹冠だけになり地面に光が差し込むため、落葉広葉樹とも照葉樹とも共生できます。スギの古木を母樹とし、多様性のある、明るい美しい森が実現できることでしょう。
スギという木は、青森県から鹿児島県まで、樹齢千年を超えるものがあり、太平洋側でも日本海側でも、また標高の高いところにも生育しています。訪ね歩いてみると、スギの修験の森は、全国にありました。出羽の羽黒山。信州の戸隠神社。地元の英彦山も同様です。それらは、伐採することが目的ではないが、自然林ではなく、人が植えた人工林です。日本全国の人工林がこのような美しい森林になれば、世界でも稀有な価値ある森となるにちがいありません。
人々のスギに対する悪い感情をポジティブに転換させることにも取り組んでいます。スギが流されてしまった谷には山桜を植えました。昨年の春には花をつけてくれて、心をなごませてくれました。九州大学大学院の知足准教授と共同で流木でつくったこの「朝倉龍」は「朝倉を苦しめてしまった流木が、水の守り神に姿を変え、今度は朝倉を守ってくれるように」と願いを込めたもの。新設された杷木小学校に寄贈しました。
九州大学と協働する「災害流木再生プロジェクト」では「流木しおり」「流木グライダー」「松末の木と石の時計」などをつくり、スギの肌触りや香りを地域の子どもたちに感じてもらいました。そして、私自身のスギに対するネガティブな感情をポジティブに転換すべく、被災木を使った板倉の倉庫も構想中です。
「もうスギはよか」と言われるたびに「杉岡」と音が似ているので、ギクっとしてしまうのですが、天災により、人が植えた山が崩れ、被害が起きるということ自体は、自然の営み。人智の及ばない、防ぎようがないことだと思います。森林には大きな防災機能があるのは確かですが、それにも限界があることを知った上でで「これから」を考えていくことが大切だと思います。
木の家づくりに携わるみなさんとの連携は、とても大事です。山の木を、デザイン面でも洗練された形で活用していける方法を、一緒に考えていければと思います。
安藤邦廣さんの司会で、さまざまな話が弾みました。そのうち、印象に残った発言をいくつかご紹介しましょう。
佐々木:古川さんが「地震で壊れたのではない。壊したのだ」とおっしゃっていましたが、まったくその通りです。多くのまだ直せる民家を解体におしやったのも「公費解体」制度です。美しい民家がたくさん壊されましたが、一軒でも救おうと努力し、震災後11軒を再生しました。古い民家に価値を見出さない持ち主と、活用してくださる方を結ぶのも我々の仕事ではないかと思います。
和田:「全壊認定→公費解体」があたりまえになってしまっている状況は、たしかにありますね。それでも「自分の家を土壁で再建したい」という被災者をサポートする若い大工さんが倉敷にいます。土を落とし、骨組みにして洗って乾かしています。2020年の春にワークショップ形式で土を塗り直す予定です。実際に自分達で土を塗ったりして直す過程を見てもらうことで「直せる」ということを多くの方に知っていただきたいです。
古川:災害から逃げることはできないのだから、修繕可能な家づくりをするべき。公費解体して新築する方が得に思えても、災害直後は工事費が3割増しなので、1500万円で建てた家の実質は仮設住宅とさほど変わらない。屋根の被害が少なく3年待てるなら、修繕する方が良い家になります。そのためにわれわれは、プロとして「いくらで直せるか」金額を出せるようでないといけない。いずれ、修繕のテクニックバイブルをつくって、みなさんに伝授したいと思います。
和田:災害時に全壊認定がでること自体は、罹災証明が取りやすかったり、保険がおりやすいというメリットはあるのです。それで、倉敷市では床上1.8m浸水で全壊と認定していました。けれど、それと修繕とは別の話。「全壊認定だから直せない」ということではなくて、直せるものを直したい人は、直していいのです。そのあたりの認識が浸透しておらず「全壊だからもうダメだ・・」となってしまいがちで、そのためにたくさんの土壁の家が公費解体されました。直せるものについて「こう直せる」と、プロとしてアドバイスしていく必要性を感じています。
杉岡:一般の人が木に対して関心をもっていないことが、スギ離れ、放置林の増加の要因になっていると思います。いくら木造住宅が主流だといっても、柱や梁の周りを壁で覆う「インナーづかい」ばかりで、木が見えていないから、木や森に心が向かないのではないでしょうか。
安藤:スギはもともと、国難をのりこえるために植えられました。江戸で大火があっても、山武から、西川から、天竜から、紀州から迅速に木材が調達され、大工が一気に街を再建したのです。産地に、災害に対応するシステムがあったのですね。
杉岡:祖父から引き継いだ山を、スギを母樹とした美しい山に育てていきたいと思います。そこから60年生のスギを間引いて、家づくりに使う。美しい山を持続していける住まいづくりってなんだ?というベクトルで考えてもいいのではないかと思います。
安藤:災害が続いていることで、みんなが大きな困難を感じています。しかし、日本人が本当の知恵を出し合う機会は災害だろうとも思います。専門分化され、対話がなくなっている中、分断や壁をこえていける機会ではないでしょうか。災害が続く中で、林業、製材、設計や施工を横つなぎすることで、日本の地域社会をつくりなおしていきましょう!
取材執筆=持留ヨハナ(モチドメデザイン事務所)
2019年10月5日(土)〜10月6日(日)の一泊二日、佐賀県唐津市にて職人がつくる木の家ネットの総会が行われました。今回はその報告記事です。
まず10月5日(土)の午後に「災害に学ぶこれからの木の家」と題した公開フォーラムを唐津市文化体育館で開催。その後、ホテル&リゾーツ佐賀唐津に移動し、宴会と分科会で交流を深め、翌朝10月6日(日)には一般社団法人として初めての総会を執り行いました。解散後は、国指定重要文化財 旧高取邸へのオプショナルツアーを楽しみました。
総会の開催地となったのは、玄界灘に面した佐賀県唐津市。「唐への渡海拠点」という名の通り、白村江の戦い、元寇、秀吉の朝鮮出兵といった戦をはじめ、人の交流や大陸文化の流入の痕跡も多くあり、朝鮮半島や中国大陸との関係が深い土地です。曳山まつり「唐津くんち」や、江戸時代の新田開発のために植林された防風防砂林「虹の松原」でも有名です。
1591年(天正19年)に秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点として、現在の唐津市北部に名護屋城を築城しました。壱岐の島かげの向こうに朝鮮半島を見据える城跡が、今も残っています。秀吉が全国の大名たちを呼び寄せて陣を敷かせた当時は、10万を越える人が集結したとか。さまざまなお国言葉が飛び交ったであろう出陣前の様子を想像するにつけ、北は秋田から南は鹿児島まで全国各地から木の家ネットの総会に集まってきたことが、どことなくオーバーラップするような不思議な気持ちがしました。
初日の午後には「災害に学ぶこれからの木の家」と題し、地震、台風などの災害から逃れられない日本にふさわしい家づくりとはなにか?を考える公開フォーラムを行いました。
筑波大学名誉教授 安藤邦廣さんの基調講演「災害に学ぶこれからの木の家」に引き続き、各地からの事例報告として、東日本大震災について佐々木文彦さん(宮城県石巻市)、熊本地震について古川保さん(熊本県熊本市)、西日本豪雨について和田洋子さん(岡山県倉敷市)、九州北部豪雨について杉岡世邦さん(福岡県朝倉市)から、被災状況やその後について生の声を聞くことができました。休憩後のパネルディスカッションでは、会場からの質疑応答もまじえて活発な議論が行われました。
詳しい内容は、次回11/1公開予定の特集記事で、あらためてご報告します。
フォーラム終了後は、ホテル&リゾーツ佐賀唐津に移動。ホテル上層の展望風呂で旅の汗を流してから、懇親会場へ。
木の家ネットが任意団体の時の初代会長で、現在は一般社団法人の監事の加藤長光さんの音頭で乾杯。お刺身や唐津名物のいかの和え物など、旬の海の幸に舌鼓をうちました。地元九州のメンバーからご当地自慢の芋焼酎や日本酒の差入れがふるまわれると、場は一層もりあがり、全員が年に一度の懇親会を楽しみました。
懇親会のフォーラムの共催団体でもある認定NPO法人 日本民家再生協会九州沖縄地区、NPO法人伝統木構造の会 九州地域会、九州杢人の会、新建築家技術者集団 福岡支部、九州大工志の会、、LLP木の環のメンバーも懇親会にも出席して場を盛り立ててくださいました。
今回の幹事の実行委員長である杉岡世邦さん(福岡県朝倉市、杉岡製材所)はじめ、宮本繁雄さん(福岡県朝倉市、建築工房 悠山想)、土公純一さん(福岡県福岡市、土公建築・環境設計室)、松尾壮一郎さん(佐賀県鹿島市、夢木香)、池上算規さん(長崎県長崎市、 大工池上)、梅田彰さん(熊本県熊本市、FU設計)、田口太さん(熊本県八代市、土壁の家工房 田口技建)、古川保さん(熊本県熊本市、すまい塾古川設計室)は、木の家ネットに加えて上記いずれかの会に所属しているメンバーも多く、九州地域内での横つながりがさかんなことを感じさせられました。
最後は、全員で気を合わせ、一本締めで楽しい会を締めたのですが、ここで終わらないのが木の家ネットの総会。いったん散会後「災害対応」「マーケティング」「人材育成」「見積もり」と4つのテーマで、各部屋ごとに分かれ、車座スタイルでの「分科会」を行いました。部屋によっては日付が替わっても議論が続いたようです。
九州メンバーは、別の部屋で、九州地域での各団体をつなぐ連絡会をつくるための話し合いをしたそうです。今後のますますの連携が楽しみです。
翌朝は虹の松原や玄界灘を一望するスカイレストランでの朝食を楽しんだあと、唐津市文化体育館の会議室に再集合し、一般社団法人としての第一回の総会を行いました。
まずは大江忍代表理事から、職人がつくる木の家ネットの活動を次世代につなげていくために一般社団法人化し、安定的に運営していくために倉敷の事務局を中心とする新組織をつくったことについて説明がありました。
伝統的な知恵に学び、無垢材を手刻みして一棟一棟つくる木の家づくりでもっとも大事なテーマは「次世代への継承」。この災害の多い日本各地の気候風土に合った形で先人たちが編み出してきた技術の真髄を、現代の生活に柔軟に対応しながら伝えていくことが、今世代の私たちの役割だとすれば、この会も、20年前に発足したままの体制から、より若い世代に引き継ぎ、持続できる形にしていく必要があります。
これまで、コンテンツ執筆と事務局との両方を担ってきていたところを、新たに加わった二人のライターさんと、専任の事務局スタッフとで分け持つ運営体制に変わったのが、今年の5月。それからまもなく半年というに節目にあたり、総会に集まった会員に顔の見える形での「バトンタッチ」の報告がされました。それぞれのスタッフのメッセージをご紹介しましょう。
事務局の福田典子さん「一般社団法人の事務局所在地の児島舎に通い、会員対応、名簿管理、入出金管理などをしています。まだ慣れないこともたくさんありますが、みなさんのお役に立てるよう、がんばらせていただきます」
次に新しくライターとして加わった、丹羽智佳子さん、岡野康史さんの紹介がありました。二人がコンスタントに会員紹介記事を取材執筆しているおかげで、月に2回のコンテンツ発信が実現できています。
丹羽智佳子さんは産後2ヶ月ということで、夫で木の家ネット会員の丹羽怜之さんが代理で:「もともと新聞記者だった妻は、木の家ネットのメンバーを取材するのをとても楽しんでいます。建築が専門でないのですが、つくり手の方の人となりを浮き彫りにする記事を心がけているようです」
岡野康史さん:「グラフィックデザインが専門ですが、写真も撮りますし、文章を書くのも好きです。魅力あるつくり手の方とお会いして感じたことから、何を取捨選択して読者の皆さんに伝えるか、毎回新鮮な気持ちで取り組んでいます」
持留ヨハナ:「これまで20年間、大変お世話になりました。今後は若い二人のライターさんに執筆をゆずりつつ、テーマをもうけて複数の方の考えを横断的に紹介する特集記事など、ニーズがあれば引き続き、関わらせていただければと思います」
もうひとつの新旧交代として、これまで運営委員だった田口太さんが辞任し、かわりに同じ九州の杉岡世邦さんが就任しました。今後ともどうぞよろしくお願いします。
スタッフの引継ぎに続いて、恒例の「新会員さんいらっしゃい」の時間。おひとりずつのコメントを紹介します。
愛知県名古屋市で設計事務所 nonaを主宰する柴田亜希子さん「自宅を石場建てで建築し、伝統的な家づくりのよさをさらに実感しています。自宅を啓蒙の場として使いながら、このよさをより広く伝え、木組みの家づくりが選択肢の一つとしてあがるようにしていきたいです」
愛知県一宮市でm28e有限会社を主宰する庭師の古川乾提さん「伝統的な家づくりをする大工さんたちと出会い、同じようなことを庭でやっているので、入会しました。家と庭とがもっと密接になるような話ができたらいいなと思います」
岐阜県八百津市の岡崎製材所の岡崎元さん「これまでおやじの岡崎定勝が総会でお世話になってきたかと思いますが、今年は僕が初めて参加させていだたいています。今後も、みなさんと協力して地域で山と木の家づくりをつなげていきます」
愛媛県今治市の、野の花設計室のスタッフの島崎希世さん。「これまでまったく違う分野の仕事をしていましたが、伝統的な家づくりに惹かれ、転職して2年目です。多くを学んで吸収し、発信できるようになりたいと思います」
その後、分科会各部屋からの報告にうつりました。分科会で話し合った内容を模造紙にまとめたものを発表をした部屋、前夜に主だって話した何人かが代表して発言をした部屋、それぞれのスタイルのまま、お届けします。
それぞれの地域に起きやすい災害に対応した建築や住まいのあり方が昔からある。三陸では、津波がくる浜辺には作業小屋だけがあり、住居は高台に別にもうけていた。水害の多い福知山では、家が浸水する前に家財道具をあげておくための三階がある。
そうした地域ならではの工夫に加え「補修ができるようにつくる」ということが基本ではないか。構造材があらわしになる真壁づくり、補修すべきところが見えて、メンテナンスがしやすい。
現代のプラスターボードの家は、水害で浸水すれば粗大ゴミにしかならない。ベタ基礎の立ち上がりの中に入り込んだ水は、ポンプで排水するしかなく、水害の後が大変。化学物質や農薬による水汚染も心配。復旧しづらい家は、災害の多い日本では、つくってはいけないのではないか。
真壁づくりのもうひとつのメリットが、日々木を見えていることで、普段から森を意識できるという点。木には、単なる建材というだけでない、人の暮らしを守ってくれる大いなる安心感がある。神を数える単位が「柱」であるのも、木を心のよりどころにしてきた日本人の精神性のあらわれかもしれない。
北山一幸さん(大工):今の時代にあった人材育成は、昔とは違うと。昔は大工修業といえば、生活や立ち居振る舞いすべてにわたって親方が全人格を育ててきたが、今はそこまでなかなか踏み込めず、仕事ができるよう技術的なことを教えるにとどまっている。生活スタイルや精神的なことまで伝えようとすれば、つぶれてしまうような感じがある。それでも、若い人を教え、育てないとこの業界は続いていかないので、しょっちゅうは怒らず、ここぞという時だけに控えるようにしている。
古川乾提さん(庭師):若い人が集まらないのは、手間が安すぎるからではないか。単にブロックを積むだけの仕事でも、山から石を選んで運んで据える仕事でも、同じ日当というのは、割があわない気がする。経営者であれば、企画料など、のせられる項目もあるが、一職人となると、そこを上乗せするのはなかなかむずかしい。けれど、ちゃんとしたものをつくる人は、ちゃんとお金を取れるのが本来のあり方ではないかと思う。
川端眞さん(設計):うちは所員のできがいいので、人材育成には困ってない。大概の人は「自分のコピー」をつくろうとするから、うまくいかないのではないか。自分と同じことを相手に求めない。弟子が二人いたら、同じことをさせない、比べない。それぞれに合ったことをさせていけば、うまくまわる。
大江忍さん(設計):SNSの中ではInstagramが若い人には人気があり、入口になる。伝統木造に興味がある人はまだまだfacebook世代。Google my business に登録し、口コミをしてもらうことで、検索数があがる。
橋詰飛香さん(設計):特定多数に対して発信をしても、このような家づくりのことが心に響くのは、特定少数。そう考えると、検索に上手にひっかかることだけでなく、その少数にしっかり届く内容を発信することが大事。そのためには、個々の会員紹介との両輪で、伝統構法への想い、山とのつながりなど、木の家ネットとして『共同のピュアな思い』を表明するような発信形態があってもいいのでは?
ここ数年、見積もり部会としてネットを活用した月一回のZoom会議を積み重ねてきた。独立したての若い人がどう見積りをしていいかわからない、設計者と施工者とで概算見積りにかなりギャップがでるのでせめて7%以内ぐらいには抑えたい、という問題意識で始めた。
このところ同一の図面について、別々の施工者が大工工事の手間だけを抽出して作った見積もりを比較検討する作業をしている。
全体を「墨付け・刻み」「外壁」「内部造作」と3パートにわけるというあたりまでは共通だが、「墨付・刻み」1パートをまるごと一式で書く人、部材をひとつひとつ拾っては材工を積み重ねていく人など、表現はさまざま。
概算見積もりを簡単に出す方法を探りたい!とは思うが、結局は木拾いをして伏せ図、展開図、矩計図とつくらなければ見積もりは出ない。そこまで手間をかけていては、「概算」見積もりではなくなってしまうのだが・・・そのあたりで堂々巡りしている。結局は、見積もり → 作業日報 → 作業手間の積算ということを繰り返す中で「これくらいだな」という経験知を身につけていくしかないのかもしれない。見積り以上に施主の要望由来でなく手間がかかった時に、施主に請求できるかどうかについては、意見が分かれた。
せめて見積りをつくる際に単価を掛ける元となる「単位」を決めようという話にもなった。坪単価は平米で出すのが普通だが、材積と手間とが連動するので、立米単価で考えてはどうか。材積は坪あたり1立米〜多い人では1.2から1.5立米くらいという幅もわかった。
最後に、気候風土適応住宅についてのお話が古川保さん(設計)からありました。「いまのところ、小規模住宅は、省エネ基準への適合義務はなく、努力義務でよいというところに落ち着いてはいますが、それがいつ報告義務や適合義務にシフトしていくか分からないので、だた『適合しなくてもいい』でなく『これは気候風土適応住宅だから、適合しないのだ』と確信をもって言えるよう、各地で指針づくりをしてください」とのことでした。
解散後、駐車場に様々なナンバーの車があるのが、興味深かったです。もっとも遠方なのは秋田ナンバーをつけていた、監事の加藤長光さん。珍しかったのは、兵庫の高橋憲人さんのキャンピングカー。京都の金田さん一家も同乗して、にぎやかな帰路につきました。
オプショナルツアーは国指定重要文化財の旧高取邸。炭鉱主・高取伊好の邸宅として建てられた近代和風建築です。ライターの岡野康史さんから「今ではなかなかお目にかからない立派な柱や手仕事の光る建具など、隅々まで当時の職人や高取さんの熱量をとても感じました。」との感想を聞きました。
次回の総会は、兵庫県の淡路島で11月に行われる予定です。またの再会を楽しみに、それぞれが充実した一年間を過ごしましょう。
取材執筆=持留ヨハナ(モチドメデザイン事務所)
木の家ネットは、大工工務店、建築士、左官、建具職人、材木屋など「国産無垢材を使った、職人の顔が見える木の家づくり」に関わる多くの職種の会員が、全国に分布しています。
「職人がつくる木の家」に住みたい人が、それを建ててくれる人を探すために、地域別の全国の木の家 つくり手リストがあるわけですが、一方でこのリストは、つくり手同士がつながるためにも役に立っています。建築士が地元以外で仕事をする時に施工者を探したり、施工者から建築士に設計を依頼をしたり、施工者同士が建前の応援を頼み合ったり…などといったケースがあります。
総会や研修などで顔を合わせ、家づくりについての理念や姿勢をある程度共有していることで、地域の境を越えて協働できる可能性がある。これも、木の家ネットの意義のひとつといえるでしょう。
今回のコンテンツでは、木の家ネットのメンバー同士の協働事例について、岡山県倉敷市で一級建築士事務所 (有) バジャンを主宰する和田洋子さんが設計者として関わった複数のチームの現場を通じてご紹介しましょう。
設計者、施工者それぞれが、どのような思いをもってその仕事に臨み、相手に対してどのような期待や信頼を抱いて進め、どのような相乗効果があったのか。
和田さんと協働してきた木の家ネットメンバーのうち、岡山の杣耕社 山本耕平さんとジョンストレンマイヤーさんとの仕事については、現地取材にもとづいてご紹介します。広島の株式会社のじま家大工店の野島英史さん、京都の大」(だいかね)建築の金田克彦さん、奈良の不動舎の宮村樹さんとの仕事については、和田さんご自身の言葉でご紹介いただきます。
チームでの協働事例に入る前に、和田洋子さん自身が設計をする時に大切にしていることについて、概観しておきましょう。
和田さんが何より大事にしているのは「地域の材料」「地域の職人」による「地域の気候風土に合った」家づくりです。
それが、地域の技術の伝承、地域内での経済循環、輸送エネルギーの削減、エネルギー消費量を低く抑えた気持ちのいい暮らしにつながるからです。
まずは、岡山県内で建てる場合には、県産材を使います。その理由について和田さんはこう語ります「岡山は林産県ですが、戦後大量に植林された檜や杉の多くは、集成材やCLTになっています。十分な大きさや美しさを持つ材木までエンジニアリングウッドにするのはもったいない。木は木のままで活かしたい。山の人には建物になる姿を想像しながら良い木を育ててもらいたい。そういう思いもあって、県内で建てる時には木材は県産材を使うようにしています」
経済性だけを考えれば、ほかで調達する方が、運送コストを含めても地元の材料より安い場合もありますが、地域の産業や技術を絶やさないためにも、和田さんは「地元で調達すること」をなるべく優先させています。
「壁や床にも、地域の土を使います。仕上げ塗りには時に京都や土佐、愛知の土を使う事もありますが、荒壁や中塗り土は地元の矢掛町の土を使っています。建具や家具も、地域の職人さんに作ってもらいます。私の自宅は戦前に建てられた賃借長屋ですが、当時の並仕事の建具でも、今も十分使えます」
温暖で、夏には湿度も高くなる中国地方で、機械空調に頼らずに気持ちよく暮らすために、和田さんが設計上大事にしているのは「風通し」です。
「柱は石場建てにして、床下の風通しが良いことを大前提にしています。家の中の風通しを確保するためには、南面はほぼ全開口、北面にも通風のための窓を多く設けますが、開口部が多くても構造的にもたせるよう、構造計算をしています」
以上の考え方を実践している2事例をご紹介しましょう。
息子さん達が独立された後、ご夫婦二人で農作業を愉しみながら暮らすための家です。農作業中でも土足で訪問客と応対できるよう、玄関土間にベンチを設けています。土間の三和土に使ったのは、地元矢掛町の土です。
風通しを確保する工夫として、留守中にも換気ができるよう、無双窓を設けました。また、玄関と居間の間には、通気と目隠しを兼ねた下地窓を作りました。いずれも、ゆるやかに外界とつながり、風の通り方を必要に応じて調整する「和の住まい」として伝承されてきた要素です。日本の優れた暮らし文化を新築住宅に取り入れた例として国交省の「気候風土適応住宅」事例に採択されました。
地元産の木をあらわしにしたのびやかな空間が広がります。梁が重なっていても、重苦しさやあらあらしさを感じさせないのは、女性らしい感性でしょうか。端正で、すっきりとした美しさが際立ちます。伝統の技術と時代の息吹やセンスとが融合した「現代の伝統構法」事例として、後世に残る建物といえるでしょう。
子どもたちに手仕事を教えるモンテッソーリ教育に取り組む保育園の園舎を、木組み・土壁・石場建てで手がけた事例です。
園児を連れてくる保護者の方々から「良い木の香りに驚きました。木の香りがこんなにするなんて」と言われるそうです。柱や梁、床にいたるまで、岡山県産の檜です。地元材のよさを、子どもたちが家に次に長い時間を過ごす保育園で知ってもらえるのは、すばらしいことです。
機械空調を極力せず、風通しで自然な涼しさを得るために、南の縁側も、向かい側の北面も、窓だらけです。建具は地域の職人さんに作ってもらいました。「きちんと園児たちの指を使わせてあげたい」という先生方のご希望で、鍵はあえて昔ながらの螺子(ねじ)締まりにしてあります。
ひなたぼっこをする縁側と保育室との間は、障子で仕切られています。やわらかな光が部屋を満たしています。走り回ったり、暴れたりして、障子紙が破けてしまうのでは?と尋ねると「乱暴に使うと破れるから大事に使ってね、と子どもたちに話をしました。先生方のやわらかい所作を日々目にし、まねることで、物を大切に扱う事は自然と身についていきます」という答えが返って来ました。
もし破れても、先生方は紙をきれいな形に切って穴のあいたところに貼ることを、子どもたちに教えるのだそうです。「大切に使うとは、こわごわ使うことでなく、こわれたら直せると知っていること」という和田さんの一言に、大きく頷かされました。障子がない家が大半だからこそ、この園での障子に触れることがが、忘れられかけている大切な感覚を育てる体験となるのです。
「子ども達には、うわべだけ、表面だけでないものを与えたいんです。汚すから、こわすからといって、プラスチック製品を、というのではなく、本物に愛着をもって触れ、その奥行きや深みをうんと味わってほしい」と和田さん。
本物の素材でできた園舎で、先生方の穏やかな見守りと導きの中で育ち、巣立つ子どもたちは、幸せです。このような保育園や幼稚園、学校、学童施設が、全国にたくさんできてほしいものです。
ご紹介した2例をはじめ、和田さんは新築であっても「木組み・土壁・石場建て」で設計をしています。無垢の木を組んだ軸組構造に、土壁を塗り、家の柱は石の上に「載っている」だけの石場建て。昔ながらの家に多いこのつくり方に和田さんは魅力を感じ、取り組んできました。
その理由を尋ねると「家を長もちさせたいからです。床下に風が通りやすく家の足元が腐りにくいですし、腐ったとしても、直しやすいのです」とのこと。長年住まわれておらず、家が傾きかけていた石場建ての古民家を改修した体験が、その確信を強めました。「壁土を落とすと、柱の何本かの根元が腐っていました。家全体を30センチジャッキアップし、柱を根継ぎして下ろしたら、健全な状態に戻りました。それぞれの柱が個別に立つ石場建ては、こうやって直せるのだなと実感しました」
このような作り方に、魅力を感じている大工も少なくありません。同じ岡山県内の木の家ネットのつくり手で、和田さんとチームを組んで石場建ての新築住宅を手がけた杣耕社の山本耕平さんもその一人です。
「『木は生育のままに使え』という西岡棟梁の言葉があります。山で木が立っているように石に直接柱を立てる石場建ては、理に適っていると、社寺の仕事をしていた頃から感じていました。独立したら、住宅を石場建てでやりたいと思っていたのですが、ほとんど事例がないのに驚きました。同じ県内に和田さんがいる!と、インターネットで探し当てた時には、嬉しかったです」と山本さん。
山本さん率いる杣耕社の大工のジョン・ストレンマイヤーさんも、石場建てに魅了されて来日しました。「石場建て民家や社寺の、石の上から柱がスッとのびる無駄のない美しさに憧れて、日本に来ました。京都の数奇屋工務店での修業して石場建ては学びましたが、一般の新築住宅は京都にも奈良にも、ほとんどない。和田さんとの出会いでようやく造ることができて、嬉しいです」と、ジョン。
しかし現在、建築基準法の仕様規定にはない伝統構法で新築を実現するには、構造計算やさまざまな手続きが必要です。和田さんは、石場建てを設計するだけでなく、その構造的な安全性を検証する限界耐力計算まで手がけ、適判(構造適合性判定とよばれる審査機関によるチェック)をも、人任せにすることなく自分で通しています。
「限界耐力計算や適判まで…って、大変すぎないですか?」と訊くと「たしかに簡単ではありませんが、自分が設計する事例が構造的にどうなっているかを自分で検証し、設計にフィードバックすることで、意匠と構造とのバランスをとりながら設計を深めていくことができます。面倒だけれども、それ以上におもしろいし、楽しいです!」という答が返ってきました。
設計時に「こうかな」とはたらく直感を、自分で「やっぱり、これでいい」と検証し、適判を通して実現する。そのような実践を重ねていくごとに、和田さんの経験値もあがり、直感もますます磨かれていっているのでしょう。
普段から木を触り、軸組を組んでいる大工も、石場建てについて「これはもつ」とはたらく直感はあるといいます。それを構造的に検証し、法律的にもクリアしていく和田さんは大工たち「力強い味方」であり、貴重な存在です。
協働してきた木の家ネットのメンバーのうち、岡山の杣耕社の山本耕一さん、ジョン・ストレンマイヤーさんの取材をさせていただきました。
社寺建築ではあたりまえにやっていた石場建てを一般の住宅でも手がけたい!そんな思いで、和田さんに会いに行った山本さんは、当時和田さんが構想中だった石場建て住宅の基本設計図を見た時点で、それまで勤めていた工務店を辞め、その建物の施工に取り組もうと心に決めました。
協働のはじめの一歩として「一緒に軸組模型をつくってみん?」と、和田さんはもちかけました。縮尺通りに、一本一本の部材を加工して、設計者と大工とで対等にわたりあって組み方を検討して、まるまる5日。
「具体的な作業を通して互いの考え方を知るいい時間でした」と和田さんは振り返ります。お互いに「賭け」でもあったこの出会いが実ったのは、ふたりの石場建てへの思いの強さゆえでしょう。
玄関を一歩入ると、和田さんの繊細な設計と、山本さんとの木遣いのセンスがあいまった、すばらしい木の空間が。どこに、どの樹種の、どんな表情の木を使うか。図面には描ききれない取合せを、二人がとことん追求した結果が、ここに凝縮しています。
土間からのあがりはなにある杉の一枚板。はつったやわらかな凹凸のある表面は足あたりよく、滑りにくく、靴を脱いだ足の裏にやさしい感触です。土間との段差を昇り降りするのにつけた手すりは、握りやすく六角形にはつられています。研ぎ澄まされた空間でありながら、手触り、足あたりまで行き届いていた配慮が感じられます。
「山本さんの作業場には、彼が集めた木がたくさんあって、行くと『これ、使ってみません?』という提案がどんどんでてくるのです。樹種、色、風合い、肌触り、木目などを知り尽くしていて、最高の取合せを工夫してくれるので、部材を揃えているというより、役者の配役を楽しんでいるような感じです」と、和田さん。
「和田さんって、とにかくセンスがよくて、それが徹底している。このオフィスの空間だって、そうでしょう? 余計なものがなく、あるものは色も形もサイズも、選びぬかれている。それがわざとらしくなくて、さりげない」取材先の児島舎のオフィスで、山本さんはこう力説していました。
石場建てにあこがれて日本にやってきたジョンは昨年、和田さんの古民家改修現場で、初棟梁を任されました。おばあちゃんが嫁に来た頃から半世紀以上住み続けた家です。「山本に『やってみるか?』と言われ『やる』と答えたのですが、やってみると分かっていないこと、見えてなかったことがたくさんでてくる毎日でした。責任をもってすべてを判断するのが棟梁だから、大変だったけれど『毎日笑顔で』と心がけ、なんとかやり通しました!みなさんには、ご迷惑をおかけしたもしれないけれど・・・」とジョン。
「建て主さんに心から喜んで住んでいただける家に仕上がって、嬉しいです。失敗しても誠意をもって取り戻そうとする、そんなジョンがみんな大好き!人に愛されることも、棟梁として大事な資質だと思います」と和田さん。
木組みを覆っていた天井を取り払うと、美しい木組みがでてきました。黒光りした木々の重なりをきれいに見せるために、梁を磨き、あらわしました。
玄関や台所の位置なども思い切って変えて、明るく住みやすくなりました。住み慣れた間取りが変わっていくことを、当初は最初は受け入れ難かったおばあちゃん。住みながらの改修ゆえ毎朝顔をあわせるジョンは、おばあちゃんのご機嫌によっては、いろいろ言われることもあったそうです。
それでもジョンは「笑顔で」を心に、現場へ通いました。完成した今は、おばあちゃんも大満足。「思い切って直して、よかったよ!きれいになったろ?」と、自慢してくれました。
「いいと思ったものを、意思を持ってつくり続けることが何より大事だと思います。これからも、もっともっとやっていきたいし、これから続く若い大工たちも、そうあってほしいと思います」と、ジョンも満足そうです。
岡山県外での和田さんと大工たちとの協働事例として、広島の株式会社のじま家大工店の野島英史さん、京都の大」(だいかね)建築の金田克彦さん、奈良の不動舎の宮村樹さんとの現場をご紹介しましょう。
和田さんからの説明と、大工側から和田さんへのメッセージを織りなして、お届けします。
野島さんは、飛騨古川で修業した大工です。今は広島県福山市で「株式会社のじま家大工店」の社長として経営や設計、打合せに専念しています。林直樹さん、工裕次郎さん、市川歩さんといった、野島さんに鍛えられた優秀な大工たちが、現場にあたります。
建主さんの要望に応えるべく、のじま家大工店のおかみ、尚美さんが、木の家ネットのメーリングリストに石場建てについて質問の投稿をしたことがありました。それに私が回答したことがきっかけで、のじま家大工店初の石場建ての家を設計させていただくことになりました。
この家の設計意図をずばりと捉えて「風がうたう家」という名前を付けてくれたのは野島さん。そのすばらしいセンスに脱帽です。
初めての石場建ての苦労に加えて、どちらも引かず、意見を戦わせるタイプの野島さんと私の間で、現場の大工さんたちは、さぞ気苦労も多かったことと思います。大工さんたちが静かに見守って下さったおかげで、決め事が終わった後は何もなかったように笑いあえる仲間になれました。ありがとうございました。
和田:こちらは、廃校になった小学校をつるばら専門店に改修する仕事のアドバイスをさせていただいた事例です。
野島さんは地元のアーティストやデザイナーと一緒にまちづくりイベントなども手がけ、工務店の親方として地域人としての役割をしっかり担われていることを感じさせられます。
野島:初めてお会いした時、和田さんが「今は石場建だけです」と言ったのに衝撃を受けました。一緒に仕事をしてみて、石場建てにかける信念というよりは執念に近い気持ちで、妥協せず意思を貫いていく姿勢は、まさに「石場建ての鬼!」。言い過ぎだったら「石場建てのアネゴ!」くらいにしておきましょうか。アネゴ、これからもよろしくお願いいたします!
和田:大」(だいかね)建築の金田さんからは、古民家の構造計算の依頼を受けました。金田さんの考え方や数多くの古民家改修の実践には以前から興味があったので、二つ返事でお引き受けさせてもらいました。
和田:当初は「建物の耐震性評価のための限界耐力計算」の依頼だったのですが、金田さんが後押しして下さった事もあり、設計までトータルにさせていただくことになりました。
現場は「決めて行く事」の連続です。お施主さんご夫妻も一緒になって4人で楽しみながら、迷いながら、検証しながら、行きつ戻りつした現場でしたが、先日(2019年7月)ようやくお引渡しを終えることができました。。
金田:江戸末〜明治初期に茅葺で建てられていたのを、昭和の改修で屋根を瓦にしたのと同時に、部分的に二階を増築したという履歴のある家です。阪神大震災のダメージもあり、耐震性に不安がある中、施主さんからは「通風採光のために2階直下の壁を取り除きたい」との要望がありました。耐震性と暮らしやすさとの折り合いの中で、何がベストかを探るために、和田さんに構造計算をお願いしました。
大工の経験と勘からの「大まかな読み」に頼ると、判断は構造的に過分なくらい安全側に傾いてしまいがちです。きっちり計算をしてもらったおかげで、既存の土壁と新しくつくる土壁とのバランス、地盤との兼ね合い、一本一本の柱にかかる重さ・・など総合的に追い込んだ判断ができ、改修のアウトラインがビシッと決まりました。設計にも入ってもらったことで、構造と意匠とのバランスがいい家になり、施主さんにもよろこんでいただけました。
和田:斑鳩での古民家の調査依頼があったので、何度か総会やハツリイベントでお会いして社寺や和釘の話を伺っていた、当時奈良在住だった宮村さんに協力をお願いしました。調査に引き続き、改修工事を引き受ける事になったので、施工も迷う事なく宮村さんに依頼しました。
着工前の事前造成工事を行うのに、高知から「曳家岡本」に来てもらい、現在(2019年8月)曳家の真最中です。
宮村さんは、来年はじまる改修工事の棟梁に、弟子の三好賢一さんを指名しました。若い弟子に棟梁を張らせ、ご自身はバックアップにまわることで「技術の伝承」をしようとの判断とのことです。
既存改修と増築が混在する難しい現場で色々迷う局面も出てくると思い、信頼する滋賀の建築士の川端眞さんにもサポートをお願いしています。迷ったり困った時に相談できる相手が居る事は、とても心強く、助けられています。
宮村:伝統構法は、技術だけでなく、人のつながりがあってこそできることを次の世代に伝えたいと、かねがね思っていました。そんな思いで、今回の現場の棟梁を弟子の三好に任せました。
曳家の岡本さん、設計の和田さんと棟梁としてわたりあって、曳家、造成、改修、増築という長期にわたる施工を経験することは、三好にとってものすごくいい勉強になるはずです。彼も弟子をとったので、孫弟子にも教えることができて、嬉しい限りです。
和田さんにこのような機会をいただけたことに心から感謝しつつ、今後彼らが関西圏で伝統構法での家づくりの実績を積んでいけるよう、引き続きバックアップしていきたいと思っています。
和田さんは、木の家ネットの大工たちと協働する現場について、いつも生き生きと語られます。「どの現場も楽しくて、仕事というより部活のような感じです。それも、木の家ネットの仲間の仕事に対する姿勢やお人柄への信頼があり、安心できるからこそだと思います。大工さんそれぞれに特徴があり、その人ならではの良さに出会えるのも、楽しみですね」
施工を大工に、設計や構造計算を建築士に依頼するだけでなく、調査、建て方の応援、互いのイベントへの参加など、関係性が深まるほど、交流の輪は広がってもいるようです。力になったり、助けてもらったり。お互いの存在をリスペクトし、頼れるということは、なんと心強いことでしょうか。
一般には、建築士は施工者の上に立ち、指示監督をするというイメージがありますが、今回みてきた協働事例の両者は「上下関係」ではなく「ともにつくる関係」です。
伝統構法の建物は、構造をあらわして見せる部分も多く、石場建てであれば足元まわりの施工にまで技術とセンスが求められます。それを求める設計者と応える大工とのどちらもが「よりよいものを造ろう」としのぎを削る心地よい緊張感や刺激が、協働現場にはあります。
「基本的な考え方が共通していて、素敵な仕事をしてくれると信じることができる方ばかりなので、思いっきり図面を描けます」と和田さんは言います。その図面は、大工自身が自分自身の想定する範囲の中で設計施工をする場合とくらべると「挑戦状」のようなものでしょう。
それに「よし、やってやろう」と燃え、張り切る大工たち。期待以上の仕上がりを見ることが、和田さんにとって、最高に楽しいことに違いありません。
小学生だった頃、大工さんが家の改修に入り、その仕事ぶりを見た和田さんは「大工になりたい!」と強い憧れを感じたのだそうです。その時に心に蒔かれた種が「大工とともにつくる」という形で実を結んだのです。
しかも、こうしたよいチームでの仕事は、よい家を生み、建て主さんの幸せにもつながっています。「お互いにしのぎを削り、高めあった結果が、建て主さんにも喜んでもらえる。それが、なにより嬉しいです」と和田さんは言います。
木の家ネットのつながりの中から、このような協働がさらに育っていくことを願っています。
取材・執筆: 持留ヨハナ (モチドメデザイン事務所)
職人がつくる木の家ネットは令和元年から「一般社団法人 職人がつくる木の家ネット」として新しいスタートを切りました。
職人がつくる木の家ネットは、国産無垢材をはじめ、環境負荷の少ない自然素材で住宅をつくる様々な職種のつくり手が集まり、2001年10月に任意団体として歩みをはじめました。全国の木の家のつくり手が、情報発信や情報共有をする。それによって「職人がつくる木の家」が広がっていくことが、私たちの目的でした。
職人がつくる木の家ネットには、大工、建築士のほか、林業・製材業、左官・建具・畳・水道・タイルなどの職人、木造建築の教育者など、多種多様な会員がいます。その一人ひとりについて「つくり手ページ」で基礎情報を紹介するほか、会員紹介コンテンツでも順々に取り上げています。
全国各地でがんばっている会員同士がつながり、情報交換できることは、一人ひとりの大きな励みとなっています。また、入会にあたっては、実績や仕事への姿勢、環境意識、入会動機などを理事会が丁寧に審査しています。実績ももちろんですが、審査で大事にしているのが「人となり」。それが「職人がつくる木の家」を求める人が、安心して地域のつくり手に連絡をとっていただける「よりどころ」となっています。
ネットでの情報発信だけでなく、木の家づくりがしにくくなっている状況を打開するための活動を実際に進めてきたことが「職人がつくる木の家ネット」の存在感を増す力になりました。
[法律関連] | 2005〜2009 | 改正建築基準法アンケート |
2005〜継続中 | 伝統的構法(石場建て)の構造問題 | |
2013〜継続中 | 建築物省エネ法対応 | |
2007 | 住宅瑕疵担保責任履行法 | |
[災害への対応] | 2003 | 中越地震 現地調査 |
2011 | 東日本大震災 支援 取材 | |
2015 | 熊本地震 現地調査 家戻しに協力 | |
2018 | 西日本豪雨 板倉仮設移転に協力 | |
[職人の認知度アップ] | 2018 | 職人宣言キャンペーン |
[道具関連] | 2013-2015 | 廃番になった「込栓角ノミ」復活 |
・それぞれの活動の項目名が、詳細な説明にリンクしています。
・下記ページにて、全詳細を一覧をできます。
木の家ネットとは? 歴史ページ
これまでさまざまなことを手がけてきましたが、法人格がなかったため、国や社会に対しての存在感に弱い面がありました。
たとえば「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験」検討委員会には、木の家ネットの会員の多くが実務者委員や実大震動台実験後の損傷観察などに積極的に関わっていましたが、これは、あくまでも個人としての参加にすぎません。
今後、一般社団法人という法人格をもつことで、職人がつくる木の家ネット自体が実験や調査研究、行政への提言など、木造をつくりやすくするための事業を推進する主体となることができます。
これまでの延長線上にある活動も、法人格をもって主体的に取り組むことで、より強い影響力をもち、社会に貢献できることが増えていくでしょう。行政との折衝、研究者との協働、他関連諸団体やメディアなど、多方面での連携も深めていく所存です。
これまで、任意団体、有志の集まりとして活動してまいりましたが、目指すことを確実に実現していくために、役割分担やしくみをより明確にした運営体制をつくりました。また、一社化にともない、岡山県倉敷市の事務局所在地に専任の事務担当を置きます。
実家が左官業を営んでいることもあり「職人」は私にとって身近な存在で、その職人さんが手がける家づくりの認知度を広め、高めていく「職人がつくる木の家ネット」の活動に魅力を感じています。少しでも皆さまのお役に立てるよう精一杯努めてまいりたいと思います。
運営体制がしっかりと整うことで、次の世代にまで、安定的に持続、発展していくことを願っています。
これまで1人だった執筆者を3人に増員することで、より安定して定期的な発信をしていくようにします。
これまでグラフィックデザインと写真の世界で活動してきました。会員紹介の記事制作には、一般読者や住まい手に寄り添ったフレッシュな視点で臨みたいと思います。会員さんの魅力やものづくりに対する姿勢を、わかりやすい文章と写真で伝えていきたいです。
農業関係の新聞記者として東京、名古屋で勤めたあと、三重の大工さんと結婚したご縁で、木の家ネットのライターになりました。職人さんや伝統技術など〝受け継がれてきたもの″の尊さを伝えていきたいです。そこから、日本中、世界中に、職人さんのファンが増えていったら嬉しいです。
木の家ネット創立以来取材執筆してきた蓄積を活かし、ひとつのテーマについて、複数の会員の実践や考えを横断的に紹介する記事を企画・執筆します。木の家づくりを取巻く法律や、災害対応・防災など、時宜にかなった発信もしていきたいです。
大工さんが、木の個性を見ながら一本一本手刻みをしていくように、木の家ネットのさまざまなページを内容に合わせて作ってきました。デジタルだけれど、アナログな人の手触りが伝わるWebサイトの仕組みづくり、これからも目指します。
建築業を営み継続していくには、経営や人材確保・育成など、さまざまな課題があります。持続的に経営できる経験やノウハウを、会員間で先輩から後輩にアドバイスしたり、共通の悩みを相談したりできる場をつくっていきます。
小規模な工務店では、親方と弟子以外との接触が少ないケースがほとんどです。木の家ネットのつながりの中で、会員間で互いの建前を応援し合うことで、よその親方に学ぶ、弟子同士が語りあう機会が増え、刺激になっている例もあります。設計者が施工者に木のこと、おさまりのことなどを学ぶのも、互いのよりよい連携を生むでしょう。単独の事業所を超えた交流や学びの機会やしくみを、木の家ネット内に実現していきます。
2017年に滋賀で行った「大工経営塾」を発端に、「見積もり部会」がたちあがり、ネット会議システムZoomを使った活動をはじめています。これまでコアメンバーで議論してきたことを、会員間で共有していきたいと考えています。
このように、一般社団法人になった「職人がつくる木の家ネット」は、社会に対しての存在感と発信力を高めつつ、会員が持続的に事業を継続するサポートと「職人がつくる家」を求める人への的確な情報提供をしていく所存です。
つくり手と住まい手とのよき出会いがたくさんあること、木の家づくりがしやすい世の中になっていくことを心から願っています。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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