岐阜県の水野設計室が設計を手掛けた民家たちは、室内も床下も、スーッと風が吹き抜けていく。大地が呼吸する石場建ての心地よさ。これに魅せられた水野友洋さんは、職人さんのみならず、建主さん、そして素材をつくる生産者さんとともに、土壁や三和土や石積みや環境改善といった”令和の古民家づくり”を誰よりも楽しんでいる。

水野さんの家づくりは、言葉どおり建主さんが主役だ。

愛知県幸田町の築100年を超える古民家を改修した建主さん夫婦は、構造など専門的な工事は職人さんに任せる一方で、減築部分の解体から古竹や古土の回収、それを再利用した土壁塗りや三和土まで中心的に作業に参加した。

さらには、茅葺き屋根の茅刈りから葺き替えの作業にも参加し、その下に据えた囲炉裏は自ら作った。

囲炉裏は、茅葺き屋根はもちろん家本体から家周辺までを長持ちさせるための手段の一つだと考えているとは言う。特に雨の後に火を入れる事で、大地から茅葺き屋根まで全体の空気や水を動かすことができる。

建築当初は板間に囲炉裏は設置してあったが、改修を経て撤去されていたものの、今回の工事で新たに設置した。囲炉裏をつくる専門の職人さんが見つからなかったこともあるが、「石を積み土を塗る」という作業は、土壁塗りを経験した建主さんには「できるかも」と映り、挑戦したという。

生活が始まってからは、暖をとったり、肉や野菜を焼いたり、湯を温めたりと家族だんらんの中心になっている。

建て主さんの愛息の小学生が、手慣れた様子で囲炉裏に火をつける

建主さんは「家づくりの楽しさをめいっぱい味わえて、水野さんには感謝です」と笑う。

といっても、最初から家作りに参加しようと決めていたわけではない。そこには、水野さんの仕掛けがあった。

水野さんは今までの建主さんたちと一緒に「土壁会」というグループを作り、活動をしている。一言でいうと、伝統工法の建築や土木が好きな方々が集まる趣味の会だ。
例えば、竹小舞や土壁や三和土や環境改善など誰かの家作りの作業を手伝い合う共同作業の時もあれば、職人さんを招いて見学会やワークショップを企画し勉強する時もあるし、引き渡しを済まして数年経過した建主さんのご自宅におじゃまして雑談する時もある。

建主さん達は興味がある時に参加する。水野さんから設計中のお客様や、伝統工法に興味をもち問い合わせた方を誘う時もある。

建主さん達にとっては、他の建主さんの暮らしの工夫など情報交換をする場となり、これから家作りが始まる方にとっては、先輩建主さんの話を聞いたり質問したりする場となる。やはり同じ興味を持った方々が集まると、繋がりも広がり、毎回盛り上がるという。

土壁塗りワークショップの様子

水野さんはこう考える木材が割れたり土壁に隙間ができたりと、自然素材を使うがゆえに既製品のようにいかないことばかりである。建主さんが実際に見て自分で手を動かして作業に参加することでその理由を理解し、納得して頂いてから設計に進みたい。

そうすることで、職人さんはクレームを恐れず自信をもって仕事に向き合って頂けるし、建主さんは維持管理の方法を理解し家を住み継ぐ事に自信を持って頂けるなど、いいことづくめだという。

幸田町の建主さんは「茅葺は雨漏りするからだめ、ビニールを貼ろうというのではなく、雨漏りするけどすぐ渇く様にしようって考えてる水野さんの考え方には驚きましたが、納得しました」と話す。

また、「古民家改修といっても、最初は何から手をつけたらいいのか全くわからなかったんです。共同作業に参加したり、そこで水野さんや他の建主さんの話を聞いて『こんなこともできるんだ、やってみたい』って具体的に動き出せました」と、つながりから産まれた縁に感謝する。

改修工事は構想から約5年の長期進行となった。2020年2月に住み始めたがが、自分で家の前に石垣を積んだりビオトープを作ったりと家づくりは続いている。会社の昼休みに一時帰宅して作業するほど、「家づくりが楽しくてたまらない」と言い切る。仲間とふき替えた茅葺き屋根の小屋裏ではなんと蚕まで飼い始めた。糸をつむぎ、布を織るという夢も広がる。

縁側から見えるビオトープもアップデート中

水野さんに依頼する建主さんのほとんどが、ウェブページからの問い合わせだ。水野さんが「伝統工法や自然素材にこだわる建主さんはいい意味でこだわりが強い。僕じゃ受け止めきれんなって思うこともあるほどで、『土壁会』の仲間たちがその火種に火を付けてくれて、いい循環になっていると思います」といえば、建主さんは「だって、水野さんが一番楽しんでいるもの。『こんなのもあるよ、あそこへみんなで行ってみよう』って、わくわくしてるじゃないですか。こっちものせられて、盛り上がっちゃいますよ」と笑う。

現場見学会の様子、土壁会の活動は丁寧に写真に残し、なるべくリアルタイムでウェブページで発信するようにしている。ブログでは、家づくりへの考え方や抱えている悩み、勉強中のことまで飾らずに語る。

環境保護とは?もがいた20~30代

伝統工法や自然素材を活かし、日本の気候風土で、永く生き続ける家をつくりたい。このような想いを胸に建築と向き合う水野さん。

父親が建築の設計事務所を運営していた水野さんが、高校生の頃に「沈黙の春」という本との出会いがきっかけで、興味が向かったものは環境保護だった。大学ではその解決策を探るために化学を専攻した。卒業後は世の中の仕組みをもっと勉強しようと金融業界で働いた。子育て中の20代後半に、自然との循環の中で成立していた伝統的な暮らしに興味が湧き、今暮らしている岐阜の実家に戻り、畑や田んぼ、山や民家に関わった。農薬を使わず自家採取で続けてきた天日干しの米作りは今年で12年目になる。

のどかな雰囲気の事務所兼住宅

30代前半で父親と同じ建築の道にゼロから進んだ時も、「自然を壊さない建築をしよう」という考えは大前提としてあった。「なので、建築は独学で勉強したということになるのかな」と水野さん。時代はプレカットや合板や集成材などに切り替わっていたが、地元には手刻みや土壁など伝統工法の家づくりが残っていた。外部も内部も「真壁」で、構造を意匠として現す。そんな自然と循環する家づくりについて、職人さんたちから学んでいった。

同じエリアで活躍する各務工務店の各務さんとの仕事がきっかけで木の家ネットを紹介して頂き、当時事務局だった持留さんから、多くの事を学びいろんな方と繋げて頂いたおかげで今があると振り返る。

学生時代から環境保護について考えた時、自分自身で納得できる答えはずっと見つからなかったという。

「道も電気も市場も無いと回っていかないけれども、今はまだ壊す自然が残っているから回っているだけ。今後人間と自然が共存できる世界に一歩でも前進する為に、私に出来る事は何か無いだろうか」。そんなことを考えていたという。

建築の中で何が出来るか考えた時に、建築サイクルを遅らせて建築のゴミを少なくする事、つまり長持ちする家作り、永く住み継いでもらえる家作りをしようと考えた。
行きついた先が日本の民家であり、家が呼吸し維持管理しやすい真壁構造で作る為に「木組み・土壁・石場建て」の家作りをやってきた。ただ、ゴミが減ったとしても、後ろに下がるのが減っただけで、一歩も前進していない事は、ずっと納得できていなかった。

糸口は「土中環境」

その解決の糸口になりうる可能性を感じたのが、2020年の夏に出会った「土中環境」という本だった。

この本をきっかけに、土木の講座やワークショップに参加するようになり、自然環境を改善する為には、土中の水と空気を循環させる事の大切さを学んだ。
その循環の起点の一つが、地面をコンクリートで塞いでいない石場建ての家であり、日本の民家は建っているだけで周辺の自然環境を改善する役目を果たしていたと考えるようになった。

「あと少しで初めて一歩前進できそうな気がする」と言う。

石場建ての様子と、水野さんが描くイメージスケッチ

そんな理想を掲げて設計する上で肝となるのは、「配置図と立面図」と水野さん。

敷地の環境はもちろん、周辺の建物や緑の様子、高低差などから、どう風が流れて、どう水が動いているかを読み取る。その動きに合わせて、「家も人も呼吸できるような」窓や扉のの高さ、軒下の距離などを導き出していく。

「配置図と立面図が納得できるものになるまで、一番時間をかけます」という。何度も現場に足を運ぶ。建主さんの要望と食い違った場合でも、納得してもらえるまで説明を重ねていく。

豊田で2022年3月に新築石場建てに住み始めた30代の建主さんは、水野さんの設計提案について「納得のいくものだったので、ほぼ提案通りにやっていただきました。今思えば、共同作業をしたりブログを拝見したりして、『材料を無駄にしない』とか『自然と調和した家づくり』とか、水野さんの目指すところがわかっていたので、安心してお任できたのかもしれません」と振り返る。

「水野さんが話してた通りに風が通って、気持ちのいい家なんです」と満足の施主さん

この家も、住み始めたものの建主さんによる家づくりはまだまだ続いている。南面の石積みと雨落ちを、栗石と竹炭とわらや落ち葉を敷いて造作中だ。

建主さんは、「水野さんと一緒に、石積み学校にも行ったんですよ。マニアックでしょう、でもすごい楽しいんです」と笑う。

さらに、気候風土適応住宅も採択されたこの家は、室内外の温湿度など住環境を定期観測している。

気候風土適応住宅の評価項目に『地域の職人が地域の素材でつくり、地域の文化を継承する』という職人を大切にする心構えもあるのがいい」と話す。

水野さんは岐阜を中心にした東海地域で仕事をすることが多いが、一緒に仕事をする工務店さんや職人さんは毎年増えており、10組以上の工務店さんの中から、エリアやスケジュールと相談しながら工事を請け負って頂いているのだという。職人さんは20~30代の若手が多いそうだ。

時々、現場を見学したいという若い職人さんからの問い合わせもあり、「伝統工法の仕事をやりたい若い職人さんは、確実に増えている。ぼくの仕事の一つは、彼ら彼女らの舞台を準備すること」と水野さんは語気を強める。

その職人さんの一人で、水野さんに自宅の設計を依頼した大工の柴田さんに話を聞いた。
柴田さんの自宅は名古屋市で、道路との高低差がある敷地にあり、通り道からの目線がちょうど石場建の足場になるというインパクトの強い家だ。

柴田さんは奈良県で修業し、地元の名古屋に戻って独立した。大工の手刻み技術を活かし、木組み、石場建といった伝統工法をやりたいと思いつつなかなか叶わずにいたという。「大工をやるなら、伝統工法がかっこいいじゃないですか。妥協せずにこの仕事をやるんだっていう気持ちも込めて、28歳の時に自宅の新築の設計を水野さんにお願いしました」と話す。

インターネットで水野さんの存在を知り、共同作業や見学会を通してつながりを作っていった。

理想の家づくりができる土地探しから始まり、最初に柴田さんが選んだ場所は川沿いで石場建てには不向きだったという。どうしても石場建てで建てる為に他の土地を探した結果、現在の場所にたどり着いたというこだわりぶりだ。

柴田さんは、水野さんとの仕事について「造作が始まるまではよく現場に来てくれるが、それ以降は任せてくれる。信頼してもらっているんだなと感じます」と話せば、水野さんは、「土木工事から刻み建前、そして土壁までの構造は大好きなので良く現場にいますね。造作はもう少し頑張らなきゃいけないです、大工さんに任せすぎて、たまに怒られます・・・。職人さんに気持ちよく仕事をしてもらえるよう、まだまだ勉強中です」と苦笑い。

自然を生かし職人さんや素材の生産者を敬い、みんなの手を借りながら進めていく家づくり。
そのようにしてできた家はきっと、将来古民家と呼ばれるような、住むほどに味わいが増す「令和に民家」になっていくだろう。水野さんを含め働く人も住まう人も満たされた表情が、とてもすがすがしい。

水野設計室 水野友洋(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:丹羽智佳子(一部写真、水野設計室提供)

各務工務店は、面積の8割が森林という岐阜県八百津町で、地元の材料をふんだんに使った家づくりを営んでいる。木の家は「長く住めて環境に負荷が少なく、住む人をゆったりとさせてくれる」と話すのは、代表の各務博紀さん。「まずは自分で調べやってみる」というスタイルで仕事を続けてくる中で、結局「昔からのやり方が一番理にかなっている」と感じ、受け継いだ大工技術を磨き、木を大切に活かす仕事を続けている。大工歴は20年。設計から施工までこなす棟梁として、また3人の弟子を育てる親方としての心構えをインタビューした。


昔から続く地元の材料で木の家づくり

八百津町は、南が木曽川本流に、北が木曽川水系の飛騨川に挟まれた町。雄大な川の流れとは対照的に山々の傾斜が険しく、初夏の時期は木々の緑が深く、こんもりと茂っている。

この木曽~裏木曽地域(飛騨南部、東濃地域)で育った天然ヒノキは、「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」という名で知られ300年以上の歴史がある。江戸時代、山から切り出された木々は、八百津でいかだに組まれ川を下り、現在の愛知県の熱田、堀川へと運ばれていったという。良質な「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」が、名古屋の町づくりを支えたのだ。

山深く、自然がすぐそばにある八百津町

令和の現代、各務工務店は「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」などの地元材を構造材に使った家づくりを展開している。主に使うのは構造材だ。八百津町にはそういう古い民家が、長年の台風や積雪に耐えて残っている。損傷が出ても、傷んだ部分を取り換えることで次の時代へ住み継げるということを、各務さんは実感している。

さらに、構造材に外国材や集成材を使うと「短寿命だし、解体した時の産業廃棄物が膨大になってしまう。その土地にあるものを使うのが一番のエコだ」と話す。

現在改修中の岐阜市の物件は、築80年の2階建ての古民家。まず家自体を20センチも上げ、傾きを直すところからのスタートだった。

耐震工事も含めての大改修は、「新築とは違って現場合わせの連続で時間がかかる。けど、こうやって古い家を大切に住んで、任せてくれる施主さんがいてくれるのはありがたい」という気持ちで仕事に向かっている。

(左)土壁に木枠の窓。建築当時の構造材に、新しくした天井材のコントラストが美しい。(右)床下の様子。「骨組みが一番大事」と各務さんは力をこめる

床を畳からフローリングに変え、床暖房を入れるなど、住み心地をよくする工夫も配する。この家の施主さんの息子さん夫婦が、敷地内に石場建ての家を建てる予定もあるのだという。設計は、木の家ネットメンバーの水野設計室が担う。各務さんの理想とする長く住み継げる家が、またひとつ増える。

もう1軒、八百津町にある、各務工務店が手がけた新築物件を紹介する。25畳のリビングダイニングの天井に、桧の構造材が大胆に見えるつし二階の家だ。

新築といってもすでに10年経ったが、施主の井戸謙悟さんは「この骨組み、かっこいいでしょう。大工さんは曲がってる木をどうしてこうも美しくできるのか?って今も眺めてます」と笑う。

玄関ホールは畳敷きで、季節の花を彩る玄関トコが客を出迎えてくれる

美しいだけでなく、住み心地も抜群だという。漆喰で仕上げられた壁により「夏でも部屋の湿度がさらっと気持ちいい」と実感。開口部の南側の窓を大きく取り、涼しい風が家中を吹き抜ける。「子どもが友人の家に泊まりに行って帰ってきた日、やっぱりうちはええなあ、って言ったんですよ」と喜ぶ顔が、各務さんの家づくりそのものを物語っている。

冬場はマイナスにもなるという場所なので、薪ストーブも活躍。薪になる材料は地元の山から調達でき、エネルギーの地産地消も実現できている。


仕事は任せ、任されるもの

このような家づくりを支えるのが、チーム・各務工務店。メンバーは43歳の各務さんを筆頭に、20代の弟子が2人と10代の弟子が1人、オーバー60のベテラン職人3人で構成する。

各務さんの家系は、代々農業と林業を生業としてきた。父親が愛知県で大工修業し、帰省して立ち上げた各務工務店の長男として生まれた。「田舎がいやだったし、大工になるつもりもなかった」ため、中学卒業と同時に家を出て、高校の寮に下宿、そのまま岐阜県内の中規模ゼネコンで現場監督として働いた。

監督時代、厳しく優しく建築のことを教えてくれたのが、会社の上司でなく、現場にくる職人さんだったという。職人さんの温かみと、手でものを作り出す仕事に惹かれ、「実家の大工を継ごう」と帰省したのが23歳の時。父親や職人さんに技術を教わり、5年で年季明け、10年で棟梁となり、15年目、父親が「65歳定年」したのを機に代表となった。

修行時代から、現場監督の経験を生かして材料の発注や管理も行ってきたため「代表になったからといってやることは大きく変わらない。施主さんの要望を聞き、それに合った木の家を、地元の材料でつくる」と各務さん。材料は、地元の製材所にストックにしてあり、また自社の作業場には製材機まで整っている。

作業場の片隅に材木や資材がストックしてある

父親の代から使っている製材機

自ら現場にも入る。特に、墨付けは各務さんが担当。「どの木をどう配置すれば活かせるか、考えるのが一番楽しい」と腕をふるう。

変わったことがあるとすれば、ふたつ。ひとつは、お客さんが自分で情報を調べて「これはできる?」と聞くことが増えたこと。ふたつめは、「昔からのやり方、つまり開口部が広く田の字型の家が、結局一番だと思うようになった」ことだ。

各務さんは「まずはなんでも自分でやってみたいタイプ」と自己分析し、これまでお客さんの質問に答えるために、ハウスメーカーの建て方や高気密高断熱の家、建築法規についても独学で勉強してきた。八百津町が確認申請が不要なエリアであることから石場建てもこなしてきたが「石場建てばっかりでいいのだろうか」と迷ったこともあるという。木の家ネットへも知識を深めたくて、会員の岡崎定勝さんに自ら「入会したいので紹介してほしい」と直談判したほどだ。

ほかの工法のメリット、デメリットも勉強した上での結論が、「今までやってきた木の家は、気持ちよさ、エコであることに勝るものはない」。県外で木組み、土壁の家を建てることのハードルの高さにも驚き、自身の恵まれた環境に感謝も生まれた。

さらに、構造が単純であればあるほどメンテナンスしやすいことも強みだという。「メンテナンスする大工は、もしかしたら自分の次の世代かもしれないから」と未来を見据える。

こういう考え方ができるのは「山に囲まれて育って、山で仕事しているからかな」とはにかむ。木の家をつくることと、木を大切にし山に心を寄せることはつながっているのだ。その自然をいつくしむ空気感が、各務さんが手がけた家には流れている。のびのびとした、居心地のよい空間だ。いくつかを写真で紹介する。

2015年完成のT邸。木をふんだんに使ったキッチン

2020年完成のY邸。薪ストーブを中心に、むきだしの梁やユニークな柱で木を楽しめる住まい

2006年完成の数寄屋門

各務工務店スタイルの家にほれ込むのは施主さんだけではない。

年季明けした弟子の各務椋太さん(27)も、弟子歴3年目となったと中村哲也さん(22)も、学生時代に各務工務店の現場の木組みをひとめ見て「すげえ、やってみたい」と圧倒され、弟子入りを志願した。

「各務工務店」の名が入った帽子とシャツがユニフォームだ。椋太さん(右)は親戚ではないが偶然同じ「各務」姓で、運命を感じ弟子入りしたという

各務工務店の弟子育成方法は、一言でいうと柔軟。現在は、椋太さんが後輩弟子を指導する体制で20代弟子チームが現場に入り、ベテランチームは作業場で下支えする。以前は、20代の弟子とベテラン職人を組ませて、職人から弟子に技術を教えるようにしていた。

今春、仲間入りした10代の弟子が普通高校出身だったため、座学「大工講座」も行うようになった。「大工とは?」「道具とは?」といったテーマで、各務さん自らペーパーの資料を作り、講義する。これまで5回開催した。「自分たちの時代のように技術を見て盗めといっても時間がかかりすぎる。今の若い子は言えばすぐ理解できるから、言ったほうが早い。ペーパーならその時理解できなくても、あとでも見返せる」と、見極めながら指導をしている。「それに、同じこと何度も言うの嫌なんだ。言われるほうも嫌でしょう」と、正直な気持ちも打ち明けてくれた。

一方で、年季明けした椋太さんには現場を任せ「いつ独り立ちしてもいいようにしておけよ」と言葉をかける。椋太さんは現場を任されるようになり「考えることめちゃめちゃ増えて大変ですけど、やりがいがある。よそじゃできない仕事をさせてもらえてる」と笑顔を輝かせる。

若い世代が現場にいることで、施主さんや近所の方が別の仕事を頼まれることも多いという。家づくりは長い付き合いになるから、若手がいるってだけで安心して任せられるのかもしれない」と各務さんはみている。

チームはそれぞれの現場で仕事し、現場が違うメンバーとは何日も顔を合わせないこともざらだという。進捗は、SNSアプリ「ライン」で確認するほか、水道や電気など他の業者や、施主さんの話を聞いて「あれ、おかしいな、と思ったら様子を見に行くようにしているけど、そんなことは少ない。思い切って任せると、責任もって仕事してくれる」と各務さん。

大工に大切なことは何か?各務さんの答えは、「技術向上に精進するの当たり前の話で、一番大切なのは人間性」だった。他にも工務店がある中で仕事を任せてくれた施主さんへの感謝、大工仕事以外を任せられる他の職方さんへの敬意、現場周辺のご近所さんへの気配り・・・人間性を高めるには、任せ、任せられる関係づくりが不可欠なのだった。


時代に流されず、「木を大切に」貫く姿勢

自然や山があるからといって、林業や大工など木を使う生業が残るとは限らない。実際のところ、各務さんが子どものころ、八百津町久田見地区には30件近くの大工がいたというが、現在は「各務工務店」1軒だけ。

ほかの大工はどうしたのか。「ハウスメーカーの下請けになったり、高齢化で看板を畳んだりした」と各務さん。自身は、「どうしてもハウスメーカーはしっくりこなかった」ため、仕事がない時期はよそに応援に行くなどしてきた。好きでないことは、しない。自然なことだった。結果、昔からの木の家づくりが継続できる数少ない工務店となり、そのような家を求める施主さんと出会えるようになった。

昔ながらの大工技術を持つ各務工務店は、祭りの山車もつくる

家づくりは、施主さんにとって夢をかなえる機会でもある。前述の井戸さんは10年前の新築の時、「自分の山から切り出した木で家を建てたい」「それも、葉枯らし乾燥で」「漆喰は自分でつけてみたい、天草を煮るところから」などの夢を持っていた。しかし、応えてくれる工務店を見つけるのは難しく、各務工務店に任せられたことに感謝する。実現できた技術の高さに太鼓判も押す。

山から木を伐り出し、材木に加工する。(左下)施主さん家族が、漆喰用の天草を煮るところからの家づくり。(右下)上棟式のもちまきにはたくさんの人が集まった

各務さんは「昔は当たり前だった技術ややり方が、今は貴重なものになっている。これからはもっとそうなっていくだろう。施主さんに任された時にできるように、日頃から準備しておく・・・って、弟子に言ってることと同じだな」と笑った。

切り出した木をはつる各務さん

大工技術は自然にやさしく、自然を美しく魅せる。最近確立されたものと違い、歴代の職人によって磨かれてきた歴史がある。それを受け継ぐ各務さんは、「自分の手でものを作り出せるのは本当におもしろい」と前向きだ。大工など職人の後継者不足もあるが、各務工務店には3人の弟子がいるほか、各務さんの息子の巧真さん(18)も、この春から郡上市の大工で木の家ネットメンバーでもある「兼定番匠」兼定裕嗣さんのもとで大工修業を始めた。

「木を、自然を大切にできる人が増えることは幸せなこと。自分にとって家づくりもそれを伝える手段なのかもしれない」という各務さんは、優しいまなざしで山を見つめていた。

各務工務店 各務博紀さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子(写真一部は各務さん提供)

● 取 材 後 記 ●

この取材は3月を予定していたが、コロナの影響で6月取材、7月掲載となった。この3カ月で世の中はがらり変わったと感じている。今回、緊張感はあったものの、外出、取材できた状況にまず感謝したい。各務さんは、春先は資材がストップしたこともあったが、現在は平常運転だと話してくれた。

すっかり定着した印象のある「ステイホーム」。自宅にいながらオンラインで学びも飲み会もでき、テレワークで仕事までこなせるようになった。外出では感染の不安が拭えないため、安心できる場としての存在感も増した。その家が自然素材で風通しがよければ、大工さんが愛情と手間をかけてつくったものであれば、きっとすこやかに過ごせることだろう。ウィズコロナの暮らしのヒントが木の家にはある。そんな思いがした。

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