淡路島の中央に位置する兵庫県洲本市。小川沿いに車を走らせると小高い場所にポツリと住宅と工場のような建物が見えてくる。ここが今回紹介する藤田さんの営む《淡路工舎》の事務所・作業場、そして自宅だ。
まずはプロフィールのご紹介。
藤田 大(ふじただい・48)さんは1972年 神戸市生まれ。高校在学中に法隆寺宮大工の故・西岡常一棟梁の著書「木に学べ」を読み宮大工の面白さに触れる。高校卒業後、西岡棟梁の紹介で「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に弟子入りし、11年間宮大工として修行する。
2001年 淡路島・洲本市の小川寺を建てるために移住。翌2002年 小川寺の完成と共に30歳で独立。神戸へのUターンも考えたが淡路島での暮らしが肌に合い、島内に残ることにした。
その後、敷地内の古民家を改修し自宅とし、作業場内には事務所と住み込みの弟子のための住居を建て、今の淡路工舎の形となる。現在は5名体制で社寺から住宅まで様々な仕事をこなしている。
「住宅をずっとやりたかったんですが、元々社寺ばかりやってきたので、知らないことばかり。家づくりを覚えたい一心で、地元の親方のもとで、昔ながらの淡路島の住宅や、プレカット工法の現代的な建築など幅広く学びました。」と藤田さん。
自宅に案内していただき詳しくお話をうかがった。
⎯⎯⎯⎯ 住宅と社寺とではどれくらいの比率で仕事をされているのですか?
「7:3くらいで住宅が多いかなとは思いますが、その時々で変わってくるので一概には言えないですね。今年はたまたま新築の住宅が多いですけど、来年に向けてお寺の仕事が控えています」
⎯⎯⎯⎯ 藤田さんの周りには他に手刻みで木の家を建てられている大工さんはいらっしゃいますか?
「木の家ネット会員の総合建築植田さん(植田さんの紹介記事はこちら)、僕のところ、あとやっていそうなのは、社寺を専門にしているところが、たまに民家を手掛ける際に手で刻んでいるのかなというくらいの感覚ですね。10年くらい前は、まだちらほら淡路島特有の伝統的な民家も建っていたんですが、めっきり見なくなりましたね。確かに残念といえば残念ですが、決めるのはお客さんなので難しい問題ですね」
⎯⎯⎯⎯ とはいえ島内には立派な淡路島らしい住宅も残っているように見受けられます。そういった住宅の改築・リフォームはどういった方からのご依頼が多いですか?
「元々住まわれていた家を直したいというご年配の方から、比較的若いと30代後半くらいのご夫婦だったり様々です。淡路島で特徴的なのは、移住のために古民家を購入して改装したいというお客さんが多いことですね」
⎯⎯⎯⎯ このご自宅も改築されたそうですね。
「はい。この家も自分で改築しました。斯く言う自分も移住組です(笑)。近所の人からは『潰した方がええ』と言われていました。雨漏りは酷いし棟は落ちているしシロアリはいるし、本当に荒廃していたんです。もちろん新築した方が簡単なんですが、古い家でも改築したらこんな風にできるんだという事例を作りたかったんです。なのでモデルハウスとして公開しています。お客さんには生活感も含めて見てもらえるようにしています」
そんな藤田さんの想いが詰まった自宅をご紹介する。
玄関はまだ仕上げ途中。ゆっくり時間を掛けて少しずつ作り上げている。
「風通しの良い家にしたかった」という藤田さん。取材日は7月上旬、大雨の合間の蒸し暑い日だったが、玄関をくぐった瞬間からひんやりと心地よい。建てて7年になるが、より良い住まいを目指し現在も改築作業は進行中だ。
玄関を入って目の前に広がるリビングと和室の広々とした空間。実に風通しが良い。
リフォームと呼ぶには大規模すぎるほど解体し骨組みだけに。梁や柱は島内のいろいろな解体現場からもらってきた物を組み合わせて使っている。
敷地内にはさらに作業場が2つある。3年前には作業場の中に事務所を作った。外からはわからないが実は二階建てになっており、一階は事務作業や設計、製図、打ち合わせなどに使われ、二階はお弟子さんたちの宿舎になっている。
この中に二階建ての事務所兼宿舎がある。
左:広々とした作業場 右:島内には林業がないので、島外の市場で原木を買ってストックしている
左:事務所 中:図面は手でもCADでも描く 右:淡路工舎の看板
現在のお弟子さん2人以外にも、手伝いできてくれた人も泊まれるように4人分のスペースを確保している。合宿さながらの和気藹々とした生活が目に浮かぶ。
もう一つの作業場
板に描かれたお寺の設計図。細かい情報が全て詰め込まれている。
淡路工舎のお弟子さん達は基本的に皆、この宿舎に住み込みで働いている。現代ではこういった環境はかなり少ないのではないだろうか。
⎯⎯⎯⎯ 住み込みにこだわるのはなぜですか?
「今、住み込みでは2人来てくれています。福本杜充さん(ふくもと もりみつ・23歳・大阪出身)と板良敷朝和さん(いたらしき ともかず・21歳・沖縄出身)。僕が鵤工舎で弟子だった時も住み込みで生活していました。いつも合宿のようで楽しかったし、何よりとてもいい経験になりました。だから自分が弟子を取る立場になったら、絶対住み込みでしか取らないと決めていました」
左から藤田さん、福本さん、板良敷さん
⎯⎯⎯⎯ 弟子と言えば、ご長男の樹さんが藤田さんと同じく鵤工舎に弟子入りしていると聞いたのですが、どういう経緯だったのですか?
「僕が紹介した訳ではなく、自分から連絡して採用してもらいました。高校卒業後5年間の約束で弟子入りしています。今年で5年目なので来春には淡路島に戻ってくる予定です」
来春からは、他のお弟子さんと全く同じ条件で採用し、この宿舎で衣食住を共にすることになる。
淡路工舎の門を叩いてくる若い子は「木を触りたい」「刻みたい」という志を持ってやって来る。しかし実際の仕事は昔ながらの社寺や伝統建築ばかりという訳ではない。
「ここ数年で一般的に民家の新築はプレカットばかりになってきました。その手法に対する良し悪しや好き嫌いは別として、若い大工が短期間で一軒建てることができます。現場の数をこなせて、仕事を覚えられ、自信がつくという意味においては、特段悪くないと考えています」
そう考える藤田さんはある試みに挑戦中だ。
「志を持った若い職人が、ちゃんとした材料を使いながらコンスタントに家を建て、経験を積めるようにするためにはどうしたら良いか。それをずっと考えた結果『そうだ!もう建売りしよう!』と思い立ちました」
「自分たちでプランニングから始めて、模型を作ったりCADで図面を引いたりして、自分たちが良いと思える素材を使い、良いと思える家を作る。そして良いと思える暮らしを提案し、商品として家を買ってもらうんです」
「すると大体の人は、目の前に出来上がった家だけを見て暮らしを想像します。その時に『あ、良い!』と単純に思ってもらえたら、それが一番いいんじゃないかなと考えています。お客さん自らは興味がない場合でも『安全で体に良い素材を使って暮らしやすい家を建てたんです』とこちら側からカタチにして見せることもありなんじゃないでしょうか」
「注文住宅を一緒に作って行くことも素晴らしいし楽しいですが、一つのモデルを作って提案するというのも大切なような気がします。後からアレンジしたり手を加えて行くことももちろん可能ですし、自分たちの家づくりのパターンとして、《建売りというカード》を持っておくのは悪くないと思うんです」
確かな技と良い素材を使い、その良さが滲み出てくる家。《寡黙だけど慕われる人》が頭に浮かんだ。
その建売り住宅の第一弾が洲本市宇山に出来上がろうとしていた。
不動産屋さんが持つ土地に淡路工舎が家を建て、セットで販売してもらう。一般的な建売り住宅に比べるとかなり強気な価格設定になっているが、すでに売約済み。ほとんど既製品は使わず、建具は全部手づくりだという。
「使っている材料や、やっている仕事から考えれば、かなりお得な金額にはなっています。やっていることは間違いないという手応えがあります。万人受けはしないかも知れないけど、ハウスメーカーでは実現できないような家になっているので『こんなのが欲しかったんだよ!』と思ってくれる人もきっといるんじゃないかなと思って作りました」
完成見学会(取材後に完成済み)では「島内でこんな家を作るところがあるとは思わなかった」「今まで見てきたモデルハウスの中で1番や」と嬉しい声が聞かれたそうだ。
「もちろんこのやり方に対しては賛否両論あると思います。それを分かった上でやっている試みなので、これからどういう評価を受けるのか楽しみです。お客さんの声に耳を傾けて、また次の手を考えていきたいですね。従業員の間で『次、こういうのやろうよ』『こんなのどう?』と声が上がってきたら、ますます面白いことになると思っています」
熱く語る藤田さんの目は少年のように輝いている。
⎯⎯⎯⎯⎯ 今後のプランを教えてください。
「社寺の仕事をやりながら、建売りの住宅も平行して作って行ける仕組みを作って行きたいです。そうすれば人を雇うということも怖くなくなりますし、若い子にも来てもらいやすくなります。それを見越して製材機も導入しました。原木を買って来て、まとまった量の材木をストックしておくつもりです。短期間で答えは出ないですが、5年後くらいに軌道に乗れば良いかなと考えています。」
それでは家の中を詳しく見ていこう。
「自分で住みたいと思う家を設計した」と言う藤田さん。特徴は2階にキッチンとリビングに置き、スキップフロアと勾配のある天井にしたところ。気持ちいい空間が広がる住まいになった。
上:2階の大空間は明るく風通しも良い 左下:正面の外壁は瓦タイル 右下:スキップフロアの階段は半透明。玄関に優しい明かりが差し込む
上:柱には必要はないが遊びで社寺の要素を取り入れている 左下:大黒柱 中下:スキップフロア分の空間は全て収納スペースに充てられている 右下:屋根裏部屋さながらの広大な収納スペース
上:消臭性や調湿性に優れた《ほたて漆喰》 左下:家具ももちろん手づくりだ 右下:お弟子さんたち自身で作った模型
7月末に完成し、見学会も開かれた。(写真:上記3点藤田さん提供)
この家を買ってくれたのは30代の会社経営者。「僕らの建てるものなら絶対良いと言ってくれてすぐに購入してくれた」と藤田さん。
「住宅というものは、いち家族のために作るものだとばかり思っていました。しかし会社で購入し福利厚生のために使うようなケースもあるということを知り勉強になりました。今までの経験の中でだけ顧客層を考えるのではなく、もっと視野を拡げ、いろんな人が『買いたい』と思えるものを創り出していけばいいんです」
「自分は一体どこに向かっているんだろうと思うこともありますが、次の世代の子たちが《手仕事さえ覚えたら絶対的に食べていけるような環境》を整備してあげたいんです。自分だけが楽しみたいのであれば、ずっと社寺をチクチクつくるのもいいですが、そこにこだわり過ぎると、これからの時代に生き残れる人材は育たないんじゃないかなと僕は思います」
「実際、弟子の2人もこの現場を通してだいぶ成長が見えました。今までは『もっと考えろ』『どう思う?』と、こちらから声をかけることが多かったのですが、最近は自分から『面白い』『きれいやな』と自然と言葉が出てくるようになりました。自分がやり遂げたことに対して、自信を持てたり、達成感を得られたりと、単純に楽しめている証拠です」
「本当、何でもしますよ。今回は基礎も自分らでやったし。これからもどんどん新しいことにチャレンジして行って欲しいですね」
最後に、藤田さん自身がチャレンジして来た社寺の仕事をいくつか紹介しておこう。
福田寺(ふくでんじ) | 淡路市志筑
このお寺の新築工事は5年前(42歳の時)に手がけた。
ちなみに取材後に知ったのが、ここには源義経と静御前のお墓があるという(見てみたかった、残念)。
住職が書かれた文字を、藤田さんが彫刻のみで掘り込み、金箔を貼った。
「階段を降りきったところに柱を建てる余裕がなかった」という藤田さん。限られた条件だったからこそ独特の手摺りが生まれた。
正面の屋根を降りきったところが、左右よりもなだらかに高く膨らんでいる。なかなかやっているところは少ないそうだが、藤田さんが修行していた時はこれが当たり前だった。なので予算があるないにかかわらず『ええことは知ってるから、しとかなあかんこと』だと言う。
「そんな技術とかこだわりも随所に詰まってはいますが、見に来てくれた人が『キレイやなぁ』と思ってくれたらいいだけ。あんまり細かいことは自分からは言わないようにしています」
ここを建てたご縁で、来年からは別のお寺の現場も始まるそうだ。
「どこのお寺も檀家さんが少なくなって、予算面や設計・施工面でも制限がある場合が多いんです。でも声を掛けて来てくれることが嬉しいので、そのお客さんのために、どうやったら条件をクリアしながらええもんを作れるかをいつも考えています」
藤田さんの人柄と滲み出る想いが、仕事や人をつないでいる。
厳島神社(いつくしまじんじゃ) | 洲本市本町
左上:舞楽殿 右上:回廊 左下:渡り廊下 右下:社務所
13年前、35歳で舞楽殿・社務所・回廊・渡り廊下を手がけた。
厳しい設計士の先生で「ほんまにお前にできるんか」みたいに思われていたが、やっていくうちに認めてもらえたそうだ。
「屋根などの意匠にとてもこだわりを持たれている先生との仕事は、今見てもやっぱりいい仕上がりになっていますね。鉄筋コンクリートや銅板の仕事が初めてだったので、個人的にものすごく意義のある仕事でした」
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) 制札 | 淡路市多賀
文字は宮司さんによる手書きのものだ
厳かな参道の鳥居のすぐ横にある制札。天皇陛下(現在の上皇陛下)御在位参拾年奉祝記念、いざなぎ會設立七拾周年記念として2019年に手がけた。
意匠に決まりがあるわけではないので、設計には経験とセンスが必要だ。楔もちょっとやそっとでは抜けないよう噛み合わせの細工や入れ方にも工夫が込められているそうだ。
「出来上がってしまえば小さいけど、こういうのも大事な仕事です」
伝統的な職人の技を受け継ぎ、社寺建築での確かな腕を持つ藤田さん。しかしそこに甘んじることなく、新しいこと・知らない世界へと果敢にチャレンジしていく姿は、お弟子さんの意識も変え始めていた。
「新しいカタチの工務店を作って行きたいんです。若い職人が与えられた仕事をこなすだけではなく、自分たちで提案してそれを全員でカタチにしていくようなスタイルを確立できたら、やる気も全然違うでしょうし、面白いんじゃないかなと思います。」
「仕事は時間をかけて量をこなせば絶対的に身に付きます。幸いにもその時間や機会を用意できる環境はある程度整っています。それよりも大事なのは『大工って面白い』と思える《仕事づくり》じゃないでしょうか」
藤田さんは《家をつくること》を通して《次世代への道筋》をつくろうとしている。
淡路工舎 藤田 大 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)
「コロナで売上が落ちた」とお困りのみなさま、持続化給付金の申請はもうお済みでしょうか?(まだの方はこちら)
給付資格がある事業者が、申請をすると国から支払われる給付金。ありがたいとはいえ、個人で100万円、法人でも200万円が限度なので「事業を回すまでには、おぼつかない…」という方も多いかと思います。そんな悩みに応える「実質無利子・無担保」という有利な条件の融資が、国の政策として実施されています。前回の「コロナ時代を生き抜く」特集でご紹介した、「コロナウィルス感染症特別貸付」がそうです。困っている事業者にとっては有利な融資は、4月末までは、日本政策金融公庫しかこの融資を提供していなかったのですが、5月1日以降、「セーフティネット保証」として民間金融機関(主に地銀・信金)にまで提供元が広がっています。
対象者 | 前年、または前々年との売上比較 |
個人事業主 | 5%以上悪化 |
中小企業 | 5%以上悪化(保証料半額補填) 15%以上悪化(保証料全額補填) |
名称 | 「コロナウィルス感染症特別貸付」 | 「セーフティーネット保証」 |
融資元 | 日本政策金融公庫 | 民間金融機関(主に地銀・信金など) |
担保、保証 | 無担保・無保証 | 無担保、保証協会による保証 (保証料は売上5%減少の場合、半額が 売上15%以上減少の場合、全額が補填) |
限度額 | 6,000万円 | 4,000万円 |
返済期間 | 運転資金なら 15年以内、設備資金なら20年以内 | 10年以内 |
元本返済の据置期間 | 5年以内 | 5年以内 |
利子 | 3年間 実質無利子(共通) |
※ 実質無利子とは、3年間分の利子については国が「特別利子補給制度」で肩代わりしてくれることを指します。
※セーフティーネット保証とは、国が都道府県を補助し、各都道府県で地銀や信用金庫等をサポートする制度融資なので、細かな条件は地域によってちがいます。
*保証料は国からの財源で、県と市とが補填します。個人事業主の場合は全額補填、中小企業の場合、売上5%以上減だと半額、15%以上減だと全額が補填されます。
経済産業省が制作した、民間金融機関による実質無利子・無担保融資の解説ビデオ。(別ウインドウが開きます)
建設業において、注文主(施主)から請負(工務店)へのお金の流れは、それぞれに違いはあるとしてもおおむね「契約時、着工時、上棟時、完成時」など、何回かに分けて支払われるのが一般的です。一方、元請である工務店からは、各職方への支払いや材料費など、出費は毎月発生します。元請けである工務店は、「もらうより前に支払いがある」のが、つらいところ。支払いをきちんきちんとしていくためには、月々の資金繰りができるだけの現金が手元になければなりません。
月々の支払いをしていけるだけの現金がない場合に頼りになるのが、金融機関からの融資です。「500万借金をしてでも、500万の貯金をもっている方が、借金もないが貯金もないよりは健全な経営ができる」と言われるのは、そのためです。とはいえ、借金をすれば、元本のほかに利子をつけて返済をしなければならない恐れから、借入することに躊躇する人もいるでしょう。
今回、国がコロナ対策の政策として実施する「実質無利子・無担保」融資は、借入のリスクを実質ゼロにし、経営の安定化の助けとなるものです。これまで金融機関から借入をしたことがなく、現在、資金繰りが不安定になっている人にとっては、金融機関とつきあいながら経営を立て直すことを考える、良いチャンスとなるかもしれません。
今回は、ふだんから地元の銀行・信金とつきあいがあり、今回の「実質無利子・無担保」の貸付制度を上手に利用している木の家ネットの3人の会員にインタビューしてみました。
Aさん:今年は大きな仕事があり、運転資金をまわしていくための資金繰りが心配だったので、2000万を10年返済で信用金庫から借入れました。
Bさん:うちも大きな現場を抱え、資金繰りが心配だったので、バッファーとして3000万を、実質無利子となる期間に1ヶ月を足した3年1ヶ月返済で地銀から借り入れた。
Cさん:コロナの影響で、無くなったり止まったりした現場があり、今後の資金繰りに不安を感じたので、これまで借り入れていた3000万を、この制度を活用した融資につけかえ、さらに追加で1500万を10年返済で借り足した。
Aさん:10年の返済期間の間、ずっと無利子(おどろき! 都道府県による制度融資のおかげ)
Bさん:年利1.2%だが、3年間は全額、国から支払われる。その期間にほぼ終わらせるために返済期間を3年と1ヶ月とした。1ヶ月長いのは、実際に利子を払う期間が少しでもいいので欲しいと、金融機関から言われたため
Cさん:追加融資分は、10年間ずっと年利1.0%だが、最初の3年間分の利息は、払った分が後払いで還付される。
※このリンク集は2020年7月15日現在のものです。アクセス時期によっては、URLの変更によるリンク切れ等が生じる場合があることをご了承ください。
Aさん:約166,000円 x 120回
Bさん:800,000円 x 36回 + 1,200,000円x1回
Cさん:約137,500円 x 120回
普段だと、銀行からお金を借りるには、事業計画や返済計画など、さまざまな書類を求められ、そのハードルは低くはありません。ところが、今回に関しては、かなり楽だったようです。日本政策金融公庫から借りる場合、必要書類は、前回の特集でとりあげた通りです。
個人 | 法人 | |
1 | 借入申込書 | |
2 | 事業税の納税証明書 | |
3 | 事業主の住民税の納税証明書 | 代表者の住民税の納税証明書 |
4 | 事業主の住民票 | 法人の履歴事項全部証明書 |
5 | 直近2期分の確定申告書の控え | 直近2期分の申告決算書の控え |
6 | 月次試算表、売上減少を説明する資料 | |
7 | 事業主の実印、印鑑証明書 | 法人の実印、印鑑証明書 |
8 | 指定業種に関する許認可証、登録証など | |
9 | 事業の概要を説明する資料 | |
10 | 融資額の使途の説明資料 |
上記のうち、作文が必要となるのは、10 融資額の使途の説明資料ぐらい。あとは担当の役所から出してもらったり、会計担当の人に揃えてもらうぐらいで、そう難しいものではありません。9 事業の概要を説明する資料は、これまでに借入をしたり、補助金を申請していれば、既につくったものがあるでしょう。もし、初めてでしたら、金融機関の担当者と相談して作成しましょう。
申請書類の作成については「信金のサポートもあり、簡単でした」「自分で取りに行ったのは印鑑証明と納税証明書くらい」「記名捺印する書類は10種類くらいあって、住所や電話番号などを繰り返し書くのがつらかったくらい」と、大変ではなかったようです。
この融資制度、3年間の実質無利子とはいえ、金融機関が「利子をとらない」わけではなく、「借り手の代わりに、国が利子を払う」のであり、保証についても国が肩代わりしているので、銀行としては「リスクなく融資できて、利益が上がる」おいしいチャンスなのです。そのため「『今だと無利子無担保で借入できるけど、どう?』と、信金から声をかけてくれた」「弊社担当の銀行の営業がいろいろとサポートしてくれた」「これまで借入をしてきた地銀の支店長と次長が素早く対応してくれた」と、手続きがスムーズに運んだそうです。
これまでも地銀・信金から借入をしたことのある3人。金利がうんと低く、3年間は利子を国が支払ってくれる今回の融資の恩恵は、ことのほか大きいようです。月々の運転資金が安定的にあること、これまでにしてきた借金を、より利率が低いものに借り換えできて、経営が楽になったことが、それぞれの発言からうかがえます。
Aさん:月々の固定費の支払いのための資金繰りを考えなくてよくなったので、楽。設備投資まではできなくても、職方への支払いが確実にできるので安心。実質無利子もだが、いつもかなりの金額をもっていかれる保証料がかからないのもとても助かる。
Bさん:早速、資金繰りに利用する予定が生じて、あってよかった。
Cさん:同じ金融機関からこれまで3000万を金利3.6%で借りていたのを、借り換えできて金利は1.5%。月々の返済の固定費が減った。
制度として、最大4,000万円(民間金融機関の場合)借りられることになっているからといって、誰でも限度額まで借りられるわけではありません。保証がついてはいても、金融機関としては基本的にきちんと返済してもらいたいので、返済の見込みがない額の借入は承認してくれません。およその目安として、平均月商の3ヶ月から6ヶ月分と考えておくと良いでしょう。すでに他からの借入がある場合は減額されますし、これまでに返済実績があったり、事業に将来性があると判断されれば、より多くの額が認められるでしょう。取引実績がなければ金融機関の側も慎重な判断になりがちなので、借入額を決める時は先方とよく相談をし、無理のない金額にすることが大切です。
借入をしたことのない人のなかには「借金は悪いこと。できればしない方がいい」と思っている人もいるかもしれません。しかし、金利が低い時に適切な借入をすることで、資金繰りの心配を減らし、払うべきものをきちんと支払っていけるようになるのであれば、経営の健全化につながります。
今回のようにリスクなしに運転資金の融資を受けることができる機会に金融機関とのつきあいをはじめ、金融機関との信頼関係を築いていくことを、3人とも勧めています。その生の言葉をご紹介して、今回の特集の締めくくりとさせていただきます。
Aさん:コロナ対策としてお金を借りやすい状態を国がせっかくつくってくれているので、経営に不安があるようなら、このよい条件の時に借りられるものは借りた方がいい。お金を借りながら、余裕をもって安定的に経営していくことも、学ぶべきことのひとつです。
Bさん:保証料と利息を国や県が負担してくれる今は、金融機関にとってもチャンスで「どうせ金利ゼロなんだから最高額までいきましょうよ」なんて言ってきます。こんなに簡単に貸してくれることはめったにありません。借りても使い込まず、運転資金としておいておけば、無利子なので健全に返していくことができます。運転資金に不安がある人は、ぜひ利用するのがいいと思います。
Cさん:これまで借入なしでがんばってきた人は、無利子とはいえお金を借りるのは怖いことかもしれない。けれど、貸したい銀行と借りて助かる工務店と、お互いにWinWinになるような助け合いの関係を築いておけば、次のイザという時に安心です。これまで借金をしてきた人は、さらに借金をするのは悪いこと、と思うかもしれない。けれど、以前の借入をより低金利のものに借り換えることで、返済がずいぶんとラクになるのです。大きなお金を動かす工務店経営を続けていくために、銀行とのパートナーシップを築いておくことは必要だし、大事なことです。
以上、地銀・信金との関係の中で、うまく借入をした3人の生の声をお届けしました。「運転資金が途切れそうで、怖い。けれど、借入をするのも、怖い」という方にとって、健全な経営のための借入について知っていただくために、この特集が役にたってくれたらと思います。日本政策金融公庫での借入をするなら近くの商工会議所や商工会へ。民間金融機関から借入するなら、お近くの地銀や信用金庫へ。これからの経営について長い目で相談するために、勇気を出して連絡をとって、出かけてみてはいかがでしょうか。
各務工務店は、面積の8割が森林という岐阜県八百津町で、地元の材料をふんだんに使った家づくりを営んでいる。木の家は「長く住めて環境に負荷が少なく、住む人をゆったりとさせてくれる」と話すのは、代表の各務博紀さん。「まずは自分で調べやってみる」というスタイルで仕事を続けてくる中で、結局「昔からのやり方が一番理にかなっている」と感じ、受け継いだ大工技術を磨き、木を大切に活かす仕事を続けている。大工歴は20年。設計から施工までこなす棟梁として、また3人の弟子を育てる親方としての心構えをインタビューした。
八百津町は、南が木曽川本流に、北が木曽川水系の飛騨川に挟まれた町。雄大な川の流れとは対照的に山々の傾斜が険しく、初夏の時期は木々の緑が深く、こんもりと茂っている。
この木曽~裏木曽地域(飛騨南部、東濃地域)で育った天然ヒノキは、「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」という名で知られ300年以上の歴史がある。江戸時代、山から切り出された木々は、八百津でいかだに組まれ川を下り、現在の愛知県の熱田、堀川へと運ばれていったという。良質な「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」が、名古屋の町づくりを支えたのだ。
山深く、自然がすぐそばにある八百津町
令和の現代、各務工務店は「木曽ヒノキ」「東濃ひのき」などの地元材を構造材に使った家づくりを展開している。主に使うのは構造材だ。八百津町にはそういう古い民家が、長年の台風や積雪に耐えて残っている。損傷が出ても、傷んだ部分を取り換えることで次の時代へ住み継げるということを、各務さんは実感している。
さらに、構造材に外国材や集成材を使うと「短寿命だし、解体した時の産業廃棄物が膨大になってしまう。その土地にあるものを使うのが一番のエコだ」と話す。
現在改修中の岐阜市の物件は、築80年の2階建ての古民家。まず家自体を20センチも上げ、傾きを直すところからのスタートだった。
耐震工事も含めての大改修は、「新築とは違って現場合わせの連続で時間がかかる。けど、こうやって古い家を大切に住んで、任せてくれる施主さんがいてくれるのはありがたい」という気持ちで仕事に向かっている。
(左)土壁に木枠の窓。建築当時の構造材に、新しくした天井材のコントラストが美しい。(右)床下の様子。「骨組みが一番大事」と各務さんは力をこめる
床を畳からフローリングに変え、床暖房を入れるなど、住み心地をよくする工夫も配する。この家の施主さんの息子さん夫婦が、敷地内に石場建ての家を建てる予定もあるのだという。設計は、木の家ネットメンバーの水野設計室が担う。各務さんの理想とする長く住み継げる家が、またひとつ増える。
もう1軒、八百津町にある、各務工務店が手がけた新築物件を紹介する。25畳のリビングダイニングの天井に、桧の構造材が大胆に見えるつし二階の家だ。
新築といってもすでに10年経ったが、施主の井戸謙悟さんは「この骨組み、かっこいいでしょう。大工さんは曲がってる木をどうしてこうも美しくできるのか?って今も眺めてます」と笑う。
玄関ホールは畳敷きで、季節の花を彩る玄関トコが客を出迎えてくれる
美しいだけでなく、住み心地も抜群だという。漆喰で仕上げられた壁により「夏でも部屋の湿度がさらっと気持ちいい」と実感。開口部の南側の窓を大きく取り、涼しい風が家中を吹き抜ける。「子どもが友人の家に泊まりに行って帰ってきた日、やっぱりうちはええなあ、って言ったんですよ」と喜ぶ顔が、各務さんの家づくりそのものを物語っている。
冬場はマイナスにもなるという場所なので、薪ストーブも活躍。薪になる材料は地元の山から調達でき、エネルギーの地産地消も実現できている。
このような家づくりを支えるのが、チーム・各務工務店。メンバーは43歳の各務さんを筆頭に、20代の弟子が2人と10代の弟子が1人、オーバー60のベテラン職人3人で構成する。
各務さんの家系は、代々農業と林業を生業としてきた。父親が愛知県で大工修業し、帰省して立ち上げた各務工務店の長男として生まれた。「田舎がいやだったし、大工になるつもりもなかった」ため、中学卒業と同時に家を出て、高校の寮に下宿、そのまま岐阜県内の中規模ゼネコンで現場監督として働いた。
監督時代、厳しく優しく建築のことを教えてくれたのが、会社の上司でなく、現場にくる職人さんだったという。職人さんの温かみと、手でものを作り出す仕事に惹かれ、「実家の大工を継ごう」と帰省したのが23歳の時。父親や職人さんに技術を教わり、5年で年季明け、10年で棟梁となり、15年目、父親が「65歳定年」したのを機に代表となった。
修行時代から、現場監督の経験を生かして材料の発注や管理も行ってきたため「代表になったからといってやることは大きく変わらない。施主さんの要望を聞き、それに合った木の家を、地元の材料でつくる」と各務さん。材料は、地元の製材所にストックにしてあり、また自社の作業場には製材機まで整っている。
作業場の片隅に材木や資材がストックしてある
父親の代から使っている製材機
自ら現場にも入る。特に、墨付けは各務さんが担当。「どの木をどう配置すれば活かせるか、考えるのが一番楽しい」と腕をふるう。
変わったことがあるとすれば、ふたつ。ひとつは、お客さんが自分で情報を調べて「これはできる?」と聞くことが増えたこと。ふたつめは、「昔からのやり方、つまり開口部が広く田の字型の家が、結局一番だと思うようになった」ことだ。
各務さんは「まずはなんでも自分でやってみたいタイプ」と自己分析し、これまでお客さんの質問に答えるために、ハウスメーカーの建て方や高気密高断熱の家、建築法規についても独学で勉強してきた。八百津町が確認申請が不要なエリアであることから石場建てもこなしてきたが「石場建てばっかりでいいのだろうか」と迷ったこともあるという。木の家ネットへも知識を深めたくて、会員の岡崎定勝さんに自ら「入会したいので紹介してほしい」と直談判したほどだ。
ほかの工法のメリット、デメリットも勉強した上での結論が、「今までやってきた木の家は、気持ちよさ、エコであることに勝るものはない」。県外で木組み、土壁の家を建てることのハードルの高さにも驚き、自身の恵まれた環境に感謝も生まれた。
さらに、構造が単純であればあるほどメンテナンスしやすいことも強みだという。「メンテナンスする大工は、もしかしたら自分の次の世代かもしれないから」と未来を見据える。
こういう考え方ができるのは「山に囲まれて育って、山で仕事しているからかな」とはにかむ。木の家をつくることと、木を大切にし山に心を寄せることはつながっているのだ。その自然をいつくしむ空気感が、各務さんが手がけた家には流れている。のびのびとした、居心地のよい空間だ。いくつかを写真で紹介する。
2015年完成のT邸。木をふんだんに使ったキッチン
2020年完成のY邸。薪ストーブを中心に、むきだしの梁やユニークな柱で木を楽しめる住まい
2006年完成の数寄屋門
各務工務店スタイルの家にほれ込むのは施主さんだけではない。
年季明けした弟子の各務椋太さん(27)も、弟子歴3年目となったと中村哲也さん(22)も、学生時代に各務工務店の現場の木組みをひとめ見て「すげえ、やってみたい」と圧倒され、弟子入りを志願した。
「各務工務店」の名が入った帽子とシャツがユニフォームだ。椋太さん(右)は親戚ではないが偶然同じ「各務」姓で、運命を感じ弟子入りしたという
各務工務店の弟子育成方法は、一言でいうと柔軟。現在は、椋太さんが後輩弟子を指導する体制で20代弟子チームが現場に入り、ベテランチームは作業場で下支えする。以前は、20代の弟子とベテラン職人を組ませて、職人から弟子に技術を教えるようにしていた。
今春、仲間入りした10代の弟子が普通高校出身だったため、座学「大工講座」も行うようになった。「大工とは?」「道具とは?」といったテーマで、各務さん自らペーパーの資料を作り、講義する。これまで5回開催した。「自分たちの時代のように技術を見て盗めといっても時間がかかりすぎる。今の若い子は言えばすぐ理解できるから、言ったほうが早い。ペーパーならその時理解できなくても、あとでも見返せる」と、見極めながら指導をしている。「それに、同じこと何度も言うの嫌なんだ。言われるほうも嫌でしょう」と、正直な気持ちも打ち明けてくれた。
一方で、年季明けした椋太さんには現場を任せ「いつ独り立ちしてもいいようにしておけよ」と言葉をかける。椋太さんは現場を任されるようになり「考えることめちゃめちゃ増えて大変ですけど、やりがいがある。よそじゃできない仕事をさせてもらえてる」と笑顔を輝かせる。
若い世代が現場にいることで、施主さんや近所の方が別の仕事を頼まれることも多いという。家づくりは長い付き合いになるから、若手がいるってだけで安心して任せられるのかもしれない」と各務さんはみている。
チームはそれぞれの現場で仕事し、現場が違うメンバーとは何日も顔を合わせないこともざらだという。進捗は、SNSアプリ「ライン」で確認するほか、水道や電気など他の業者や、施主さんの話を聞いて「あれ、おかしいな、と思ったら様子を見に行くようにしているけど、そんなことは少ない。思い切って任せると、責任もって仕事してくれる」と各務さん。
大工に大切なことは何か?各務さんの答えは、「技術向上に精進するの当たり前の話で、一番大切なのは人間性」だった。他にも工務店がある中で仕事を任せてくれた施主さんへの感謝、大工仕事以外を任せられる他の職方さんへの敬意、現場周辺のご近所さんへの気配り・・・人間性を高めるには、任せ、任せられる関係づくりが不可欠なのだった。
自然や山があるからといって、林業や大工など木を使う生業が残るとは限らない。実際のところ、各務さんが子どものころ、八百津町久田見地区には30件近くの大工がいたというが、現在は「各務工務店」1軒だけ。
ほかの大工はどうしたのか。「ハウスメーカーの下請けになったり、高齢化で看板を畳んだりした」と各務さん。自身は、「どうしてもハウスメーカーはしっくりこなかった」ため、仕事がない時期はよそに応援に行くなどしてきた。好きでないことは、しない。自然なことだった。結果、昔からの木の家づくりが継続できる数少ない工務店となり、そのような家を求める施主さんと出会えるようになった。
昔ながらの大工技術を持つ各務工務店は、祭りの山車もつくる
家づくりは、施主さんにとって夢をかなえる機会でもある。前述の井戸さんは10年前の新築の時、「自分の山から切り出した木で家を建てたい」「それも、葉枯らし乾燥で」「漆喰は自分でつけてみたい、天草を煮るところから」などの夢を持っていた。しかし、応えてくれる工務店を見つけるのは難しく、各務工務店に任せられたことに感謝する。実現できた技術の高さに太鼓判も押す。
山から木を伐り出し、材木に加工する。(左下)施主さん家族が、漆喰用の天草を煮るところからの家づくり。(右下)上棟式のもちまきにはたくさんの人が集まった
各務さんは「昔は当たり前だった技術ややり方が、今は貴重なものになっている。これからはもっとそうなっていくだろう。施主さんに任された時にできるように、日頃から準備しておく・・・って、弟子に言ってることと同じだな」と笑った。
切り出した木をはつる各務さん
大工技術は自然にやさしく、自然を美しく魅せる。最近確立されたものと違い、歴代の職人によって磨かれてきた歴史がある。それを受け継ぐ各務さんは、「自分の手でものを作り出せるのは本当におもしろい」と前向きだ。大工など職人の後継者不足もあるが、各務工務店には3人の弟子がいるほか、各務さんの息子の巧真さん(18)も、この春から郡上市の大工で木の家ネットメンバーでもある「兼定番匠」兼定裕嗣さんのもとで大工修業を始めた。
「木を、自然を大切にできる人が増えることは幸せなこと。自分にとって家づくりもそれを伝える手段なのかもしれない」という各務さんは、優しいまなざしで山を見つめていた。
取材・執筆・撮影:丹羽智佳子(写真一部は各務さん提供)
この取材は3月を予定していたが、コロナの影響で6月取材、7月掲載となった。この3カ月で世の中はがらり変わったと感じている。今回、緊張感はあったものの、外出、取材できた状況にまず感謝したい。各務さんは、春先は資材がストップしたこともあったが、現在は平常運転だと話してくれた。
すっかり定着した印象のある「ステイホーム」。自宅にいながらオンラインで学びも飲み会もでき、テレワークで仕事までこなせるようになった。外出では感染の不安が拭えないため、安心できる場としての存在感も増した。その家が自然素材で風通しがよければ、大工さんが愛情と手間をかけてつくったものであれば、きっとすこやかに過ごせることだろう。ウィズコロナの暮らしのヒントが木の家にはある。そんな思いがした。
生まれ育った集落を愛し一途に木の家をつくる 株式会社 すずきハウスプラン 代表 鈴木隆美(すずきたかみ 51)さん。秋田杉の樹皮から生まれた断熱材「フォレストボード」を販売する 株式会社 白神フォレストコーポレーション(以下 白神フォレスト) の椎名正人(しいなまさと 58)さん。
今回は秋田県で躍進する木の家ネット会員のお二人をご紹介します。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令中の5月中旬。本来は秋田まで飛び、2日掛かりで取材する予定でしたが、急遽オンラインで秋田・愛知・岡山をつなぎZoomインタビューを敢行。お二人と関係の深い加藤長光さん(木の家ネット前代表)にも登場していただき和やかな時間となりました。
参加者は左上から時計回りに椎名さん・岡野(インタビュアー)・木の家ネット代表の大江さん・前代表の加藤長光さん・鈴木さん
鈴木さんの営む《すずきハウスプラン》は秋田県能代市二ツ井町小掛にある100軒ほどの集落にある。生まれ育ったこの町で18歳の時から大工仕事を続け、30代で稼業の鈴木工務店を引き継ぐ形ですずきハウスプランを立ち上げ、棟梁を務めてきた。同社には現在鈴木さんを含め4名が在籍している。
鈴木さんの手掛ける仕事のポリシーは 《「人に優しい家」づくり》。秋田杉など地元の木材や自然素材を使った温もりのある木の家を提案し続けている。
木の家ならではの温もりが感じられる
小掛地域は日本三大美林のひとつ天然秋田杉の原産地で、豊臣秀吉の伏見桃山城へ木材を拠出した歴史も持つが、意外にも伝統的な木の家づくりは衰退の一途を辿っているそうだ。他に墨付け・刻みからやっている大工さんは近くにはいないのだろうか。大工を取り巻く状況を伺った。
鈴木「今はほとんどいないと思います」
椎名「20軒くらいの工務店とお付き合いがありますが、小さい車庫くらいなら他でもやっているかも知れませんが、住宅丸ごと一棟となると鈴木さん以外知らないですね」
鈴木「田舎に限ってそういう状況が多いように感じますね。若い大工も居るには居るんです。しかししっかり育っていける環境に置かれている人となると、あまり居ないのかなと思います。せめて自分のところだけでも、墨付けや刻みという基本の基を次世代に残していきたいと考えています」
そう語る鈴木さんのもとでは息子の瑠圭(るか 24)さんも大工として精を出している。
鈴木「他の会社で修行するのもいいかと思ったんですが、この辺りの会社だと基本的なことを学べないなと感じました。うちだと墨付け・刻みを自分手でやっている。他で3〜4年過ごしても無駄な時間を過ごすんじゃないかなという想いで引き受けました」
加藤「地域性もあるとは思いますが、“弟子をとって技術を継承していく”という旧来の大工の形はすでに無くなっています。その中で父・忠(ただし 79)さん・隆美さん・瑠圭さんと親子三代で手刻みで大工を続けているというのは本当にすごいことだと思います」
親子三代、大工一筋の鈴木さん。左から忠さん・隆美さん・瑠圭さん。
鈴木「この辺りでも高気密高断熱の家を建てるケースが多く、昔ながらの木の家づくりはゼロに等しいです」
鈴木さんのところにも依頼はありますか?
鈴木「すずきハウスプランとしてはやはり手刻みで地元の秋田杉や自然素材を使った家づくりをしたいと思っています。自然と同じような考えのお客様から声をかけてもらうことが多くなっています。中には『そちらでは高気密高断熱はできないのか』と仰る方もいらっしゃいます。もちろんやってできないことはありませんが、自然素材の木の家の良さを伝えるようにしています。高気密高断熱の方が、自然素材の家より高度で難しいと思われがちなところがちょっと辛いですね」
加藤「見学会やオープンハウスを開催すると両者の違いが明確に解るので、お客さんも体感して納得されているようですね。鈴木さんは、すずきハウスプランとしての考え方やつくり方をブレることなく明確に謳っているので、お客さんが自然とついて来ているんです」
鈴木「先日も頑張りすぎちゃってたみたいで、加藤さんから『鬱っぽくなっててやばいよ』と言われました…」
加藤「本当に頑張りすぎるんだよ。鈴木さんは現場最優先で、対応の早さはピカイチ。それを地域の人たちはちゃんとみんな見ている。あくまで大工棟梁で居続けているんです。良い意味で社長になれない社長だな。現場を大事にしていると言うことは、人を大事にしていると言うこと。お客さん・職人さんなど関わる人みんなとの関係性を一番に考えているよね。そこが抜群の信頼度に繋がっていると思いますね。他はないね!(笑)」
鈴木「他はないですか!?(笑)」
冗談交じりの二人のやりとりからもしっかりと信頼関係が感じられた。
鈴木さんと加藤さんとは20年来の仲。実は加藤さんとの出会いが鈴木さんにとって大きなターニングポイントになったそうだ。鈴木さんに詳しく聞いた。
「30歳くらいで、丁度すずきハウスプランを始めた頃の話です。当時は高気密高断熱住宅を主とした流行りの住宅をやっていて、若手ながらけっこう仕事も回って調子に乗っている時期でした。ある日、飲みの席で偶然カウンターで加藤さんの隣に座る事になり仕事の話をしました。加藤さんは父の事を知っているようで、徐々にお酒も入りかなり喧嘩腰の討論になったんです」
「加藤さんから『大工と言うのは木を生かした建物を基本とし墨付け・ノミ・鉋などで仕事をするものだ』と言われ、当時やっていた仕事とは180°違っていたので、噛みついてしまったのを今でも覚えています」
「今考えると当たり前の事を言われていたのです。あの日加藤さんに出会わなければ、まさしく《社長》になってしまうところでした」
では、どうやって今のような信頼関係が築かれたのだろうか。
「ある日、加藤さんから『伝統構法の仕事をやってみないか』と声をかけられたんです。余裕でこなせると舐めていたのですが、蓋を開けてみるととても苦労しました。当時否定していた昔ながらの父の大工仕事が、本当は凄いことなんだと気付くことにもなります。実際その仕事でも父に助けられ、大工と言うものに対する考え方がかなり変わりました。加藤さんから声をかけてもらわなければ、今の私はなかったと断言できます」
素晴らしいドラマの延長線上に今の二人の関係がある。
集落には鈴木さんの手がけた家々が立ち並ぶ
特に心に残っている仕事や思い入れのある仕事があれば教えてください。
「具体的にこの家と言う訳ではないのですが、二回り目の依頼をしてくれたお施主さんが3名いらっしゃいます。大工を33年以上やってきて、こういったお客さんに恵まれたことは本当に嬉しいことです。先ほどの話にもありましたが、当時建てていたのは木の家ばかりではありませんでした。その頃のお客さんが、今自分が建てている家やこだわりにも共感して戻って来てくれているということは、『単純に新しい家が欲しい』ということではなく、一緒に成長しているようでもありますし『ずっと私の家づくりや姿勢を見てくれていていたんだなぁ』と感動しています」
真面目で地域での信頼感も抜群の鈴木さん。そのルーツを垣間見えるエピソードがあった。
「参考までに見てください」と渡された鈴木さんを紹介している10数年前の新聞記事(2007年2月27日付 読売新聞 秋田版)に目を通していると、父・忠さんについてこう書かれていた。
《小掛地区に建つ約100軒の家のうち30軒を手がけた。感謝の気持ちを込めてか、いまだに採れたてのの野菜を玄関先に置いていく。》
これは紛れもなく父・忠さんの信頼感と人間性、そして大工としての匠の技の賜物だろう。鈴木さんもまた同じ道を歩んでいる。鈴木さんの自宅・会社の周辺には、自身の手がけた木の家々が増えていっており《たかみ集落》の景観が整いつつあるのだ。
すずきハウスプラン周辺の町並み
「渓谷をつくろうと思っています」と笑いながら語る鈴木さんだが、その目は真剣だ。
「小掛地域を《木の家の町並み》にし、様々な店舗が出店したいと思うくらいの魅力あるものにしていきたいです。そして小掛の発展を全国に発信していくのが夢ですね」
鈴木さんは未来へと歩み続ける。
時代は移ろい、家づくりを取り巻く環境・素材・道具・法律などもどんどん変わってゆく。その変化に柔軟に対応しながら、信頼を得続けるためには、芯となる人間性と卓越した技術が益々必要不可欠になってくるのではないだろうか。
そして今、父・忠さんから受け継いだ志は、息子・瑠圭さんへと繋がっていこうとしている。
「瑠圭から直接聞いてはいないのですが、友達の両親には『仕事が面白い』と言っているみたいですし、朝早くても夜遅くて文句ひとつ言わず打ち込んでいます。大工が好きなんでしょうね。僕ももちろん好きでやってますし、親父もそうだったので自然とそうなったのかなと思います。その気持ちを忘れず生涯大工でいて欲しいですね。大工を愛し、自分を愛し、そして瑠圭を好きでいてくれる人に出会い、自分の城を築いていってもらいたいと願っています」
鈴木さん・瑠圭さんの今後の活躍に目が離せない。
さらに次の世代へ、木の家の良さをもっと知ってもらいたいと、鈴木さんはこんな活動も行なっている。
瑠圭さんも所属している小掛集落の野球チーム《KOGAKE》の選手の皆さんとその親御さんも助っ人に。
すずきハウスプランで昨年の8月に開催した木工教室。地域の子供たちに木に触れてもらおうと企画したイベントだ。内容は鈴木さんと瑠圭さんが、子供たちの夏休みの自由研究のお手伝いをするというもの。
「木と触れ合い、親子で一緒に作業し、木の家の町並みを見る。その時間の中で何か得られるものがあれば嬉しいです」と鈴木さん。
100軒ほどの小さなコミュニティだが、親子共々親戚のような気のおけない間柄だそうだ。ちなみにすずきハウスプランはこのチームのスポンサーにもなっていてる。
子供たちの感性が光る力作揃い
「関心するような工作の発想をしたり、無理難題を普通に言ってきたりして面白いですね。それをどうにか対応するのが腕の見せ所です。自分がまっすぐに接していると、暴れん坊も、照れ屋さんも、みんなまっすぐ接してくれます。そこが楽しいです。自分自身の人への接し方や関係性を再認識する機会にもなっています。イベントを通じて、自分の方が子供たちから勉強させてもらっていますね」
この鈴木さんの姿勢や、人との関係性の持ち方こそが、《抜群の信頼度》に繋がっているのだと強く感じた。
次に椎名さんのご紹介。その存在は鈴木さんの家づくりにも欠かせない。
冒頭でも触れたが、椎名さんの務める白神フォレストでは、秋田杉の樹皮から生まれた断熱材「フォレストボード」を販売している他、秋田県内の製材所とのネットワークで材木のストックヤードとして仕分け・検査・デリバリーを行っている。
このストックヤード業は元々、加藤さんが代表理事を務めていた《モクネット事業協同組合》によって規格化された秋田杉の材木などを扱っていたそうだ。
左:広大なストックヤード/ 中:出荷を待つフォレストボード/ 右:材木も所狭しと並ぶ
椎名さんと鈴木さんの仕事での関わりは?
鈴木「僕が顧客ですね。材木の手配もいつもお願いしています」
椎名「鈴木さんは秋田県内では一番の大得意です。それから『他の所にない材を探して来い』と無理難題を一番言ってくるのも鈴木さんです(笑)」
鈴木「でも椎名さんは絶対探して来るんです。ありがたいです。床の断熱材にはフォレストボードを使っています」
上:鈴木さんの手がけた家。材木も床下のフォレストボードも椎名さんに手配してもらった。/ 左下:屋根への施工例(写真提供:大江さん)/ 右下:床下への施工例(写真提供:大江さん)
《フォレストボードとは》
それまで焼却処分されていた杉の樹皮を有効活用した断熱材で、断熱・蓄熱・調湿・吸臭・抗菌・吸音面で優れた効果を発揮。原料は杉樹皮の他にバージンパルプとコーンスターチ糊で、自然素材だけを使っており環境と人体に優しいのが特徴。これまでのグラスウールなどの化学系素材とは一線を画す断熱材として注目されている。また木の家ネットのメンバーからアイデアを出してもらい製品化に至ったという経緯もある。
詳細はこちら
加藤「フォレストボードは木の家ネットメンバー内で広まっていった思い入れのあるものなので、もっと発展していってもらいたいな」
大江「以前は炭化コルクの断熱材を使っていましたが、私も全部フォレストボードに切り替えました。これからの時代は環境に配慮したものでなくてはならない。間違いなくグラスウールではなくフォレストボードに勝機があると思いますよ。」
環境にも人体にも優しいフォレストボードだが、まだ施工性などで課題も残されている。実はフォレストボードという商品ができた時に、県内で最初に使ったのが当時まだ他の会社に在籍していた椎名さんだった。
椎名「その時の第一印象は『使いづらいなぁ』という感じでした。今は逆に売る立場になり同様に『施工時に粉塵が多く出て、使う人には優しくない』とお叱りの言葉をいただくこともあります。こういった施工時のマイナス面は克服し、プラス面はもっと認めてもらえる施作を考えているところです」
具体的にはどんなことを計画しているのか、話せる範囲で聞かせてください。
椎名「数年前から希望サイズにカットした状態で納品できるようになりました。しかしもっと使いやすいものにしていきたいので、本実加工(ほんざねかこう:板の側面に凸凹の溝を設けてぴったりとくっつけられるように加工したもの)を施したフローリング材に裏張りするなど、施工性が上がらないかテストをしたり、使い方を示す仕様書を提供できるように話を進めている最中です」
大江「本実にできれば扱いやすいですね。海外では似たような商品で本実加工をしたものがあります。しかし規格が違うので日本国内で使うとなると結局切ったりしなければならないのでこちらも扱いづらいですね。」
椎名「この記事をご覧のみなさんも、いいアイデアがあれば教えてください」
ポテンシャルが高く、まだまだ発展を見込めるフォレストボード。より良いの製品へのアイデアを募集している。
人のため。環境のため。みんなに優しいより良い住まいを実現したい。鈴木さんと椎名さんは分野こそ違うが、同じ未来を見つめ守っていくべきこと、変わっていくべきことを見極め、日々家づくりに向き合っている。
私たちもこれからの生活がどうあるべきかを見つめ直し、暮らしの中で何を選択するかを考えて行かなくてはならない時が来ている。
株式会社 すずきハウスプラン 鈴木 隆美(つくり手リスト)
株式会社 白神フォレストコーポレーション 椎名 正人(つくり手リスト)
取材・執筆:岡野康史 (OKAY DESIGNING)
※5月30日、第2次補正予算案で追加された政策のことを追記しました。
木の家ネット会員のみなさん、個人事業主として働いているみなさん、中小企業にお勤めのみなさん、緊急事態宣言が出された日本で、今、どのように暮らしておられるでしょうか。
今回の特集では、政府の様々な支援策の中から、手続きが比較的簡単で、実用性の高いものを厳選して、その利用方法をまとめました。個人事業主や中小企業が多い木の家づくりの世界では、たとえ今は大丈夫でも、半年後、1年後に受注が激減する可能性があります。そのような事態を一件でも少なくし、共に生き抜くことを目指して、今回の特集を企画しました。
支援策は日々改定されており、4月30日の補正予算成立をうけて、ようやく具体的な手続きが決まるものがたくさんあります。そこで、5月中は特集記事の改定を随時続け、正しい情報をお伝えできる体制で臨みます。支援策の利用をお考えの方は、時々、このページを見直されることをおすすめします。また、情報が古いことに気づかれた方は、ご一報いただけると助かります。
コロナ支援策は多くの省庁が行っています。既存の事業を改良したものから、新たに立ち上げたものまで、大小合わせると総数は100を越えました。経済産業省が支援策をまとめたパンフレットをつくっていますが、全体で60ページ以上あり、どこから読んだらよいか迷うほどです。支援の方法も、給付、融資、猶予、軽減、助成、補償...とたくさんあり、例えば金融機関では、融資のことはわかるが、給付や猶予のことは自分たちの事業ではないので情報が少ないということがあります。
そこで頼りになるのが、地域の商工会議所・商工会です。「事業の総合医」のような存在の彼らは、地域の商工業を健全に経営し、成長させるための施策を横断的にサポートしているため、たくさんあるメニューの中から、その事業者にあったものを勧めてくれます。例えば、商工会からは、Aという融資と、Bという助成を組み合わせることを提案され、融資Aの具体的な条件については地銀と相談するといった具合です。
後述する「新型コロナウイルス感染症特別貸付」を利用する場合、何千万円という額の融資をうけるには、沢山の書類を用意し、現実的な返済計画を組み立てないといけませんが、この窓口となっている日本政策金融公庫は全国に限られた数しかなく、今となっては予約を取ろうとすると何週間も先になってしまいます。そんな時、地元の商工会にいけば事前に必要な書類を揃えることができ、借入額と返済計画の草案を相談しながらつくることができます。結果、公庫とのやりとりがスムーズに進み、素早く融資を受けることができるのです。経産省のWebサイトでは、専門家が何度でも無料で、様々な経営相談に対応する「よろず支援拠点」として、全国の商工会議所を紹介しています。
上記のこのリンク先で、お近くの商工会議所・商工会を検索できます。
マスメディアでは、住民1人10万円給付や、いわゆる「アベノマスク」が話題にのぼることが多いですが、他にも支援策はたくさんあり、本記事では次の4つを取り上げます。
新型コロナウイルスの影響で経済的に困窮している世帯を対象とした融資制度です。典型的な状況としては例えば、現場で感染者が出て工事がストップし、フリーで働いていた職人が、他の仕事も見つからず収入が途絶えたという場合でしょうか。特徴は、無利子、無担保、無保証、据置1年以内(借り入れ日から最長1年間は返済なし)、返済2年以内という、破格の好条件。個人事業者の場合は最大20万円を「緊急小口資金」として借りることができます。地域の社会福祉協議会に面談の予約をとり(とても混雑しており、2週間から1ヶ月後になるところが多いようです)、窓口で書類作成をして申し込みます。審査が通れば7〜14日でお金が振り込まれるとのこと。それから一ヶ月後、まだ経済状況が好転していなければ、追加で「総合支援資金」の融資を相談するための予約をとることができます。融資額は2人以上の世帯の場合、月20万円、単身の場合は月15万円を最長3ヶ月連続で借りることが可能です。手続きのオンライン化も検討中だそうですが、開始時期は未定。
クレジットカードや消費者金融のキャッシングサービスの金利は実質年率3.0%~18.0%程度。面倒な手続きなしで、手軽にATMで現金を手に入れられることから利用したくなるかもしれませんが、生活福祉資金貸付制度を使えば、利子を払うことなく借りることができ、しかも借り入れ日から最長1年間は返済なし。コロナウイルスの影響は当分続くでしょうから、その間、返済の心配がないのはとても安心です。返済期間は最長2年なので、月々の返済負担を低く押さえることが可能。さらに返済開始時に住民税非課税程度の収入であれば、返済自体の免除の可能性もあります。緊急小口資金の20万、総合支援資金の20万x3ヶ月で60万、合計80万円の給付を受けられるかもしれません。申請から受け取りまで時間はかかりますが、それを待つことができれば、検討してみてはいかがでしょうか。
「社会福祉協議会」に加え、
「ろうきん」でも申し込みができるようになりました。
(ただし、緊急小口資金のみ。総合支援資金は社会福祉協議会へ)
このリンク先で、お近くの窓口を探して、連絡してみてください。
新型コロナウイルスの影響で売上が大きく減少した個人事業主と中小企業を対象にした給付金です。要件は2020年の1月から12月の間で、1ヶ月の売上が、前年同月の50%以下の月があること。その月の売上を12倍した金額と、昨年の総売上額との差額が給付されます。給付金額には上限があり、個人事業者は最大100万円、法人は最大200万円。下の計算式を参照してください。
給付なので返済の必要はありません。工務店や設計事務所の場合、お客様から支払いを受けるのが、契約、上棟、引渡し時と間隔が空いていて、月々の売上額の増減が比較的大きくなる傾向がありますから、要件を満足するところは多いのではないでしょうか。
申し込み時に必要なものは、次の4つ。
経済産業省が配布しているPDFファイルを元に制作
オンライン手続きが基本なので、印鑑はいりません! ネット受付は、5/1に専用のWebサイトで始まりました。最も早い場合で大型連休開けの8日に支給される見通しだそうです。
気をつけなければならないのは、確定申告書類の控えに、収受日付印が必要なこと。自分で申告をした人で、控えを残していなければ、「開示請求」をして、取り寄せないといけません。その手続をして、書類が届くまでには一ヶ月ほどかかる可能性があります。該当する人はすぐに手続きをはじめましょう。また、Webでの手続きにはメールアドレスでのやり取りも必要なので、携帯メールアドレスしか持っていない人は、パソコンからのメールも受け取れるよう、事前に設定の変更をお忘れなく。
5月10日追記: 受付当初は「10万未満の額は切り捨てて給付」と告知されていましたが、10万円未満の額も給付を希望する声が多く寄せられたため、「10万円未満の額についても支給する」と、8日に経済産業省が発表しました。計算では99万になるのに切り捨てで90万になっていたところも、ちゃんと99万円振り込まれることになったわけです。8日から振り込みは始まっており、差額が発生するところは、後日追加で振り込みされるそうです。追加給付を受けるための再度の申請は不要です。
5月7日の時点で約50万件の申請を受け付けたそうです。4月30日に成立した補正予算では、持続化給付金のために2兆3176億円を確保しており、法人200万円、個人事業主100万円を上限とする給付なので、およそ170万件前後の給付が可能な計算となります。日本には、中小企業と個人事業主はおよそ350万あり、事業登録をしていないフリーランスの人を含めると450万ほどになる可能性があります。給付申請は今年1年間受け付けることになっているので、予算が足りなくなれば2次補正、3次補正予算を成立させるでしょう。ただし、それには時間がかかる可能性があるので、支給額を計算して十分な額に達する人は早めの申請をおすすめします。
経済産業省が制作した、持続化給付金の解説ビデオ。給付条件や給付額など、とてもわかりやすく解説しているので、ぜひ御覧ください。
持続化給付金の申し込みはこちらから。いますぐ始められます!
新型コロナウイルスの影響で、最近1ヶ月の売上高が前年、又は前々年同期に比べ5%以上悪化した個人事業者、15%以上悪化した中小企業を対象とする融資制度です。
無担保、無保証で融資をうけることができ、限度額は6,000万円。運転資金の場合、返済期間15年以内で、そのうちの据置期間は5年以内。設備資金の場合は返済期間20年以内で、そのうちの据置期間は5年以内。
金利は基準利率(2020年4月1日現在:1.36~1.65%)ですが、融資後3年目までは3,000万円を限度として基準利率から0.9%マイナス。さらに、後述する特別利子補給制度と組み合わせると、利子分が国から補給されるので、実質無利子で借りることができます。しかも、公庫から既に借りているお金があれば、それと一本化することもでき、返済負担をうんと軽くすることができる、破格に好条件の制度です。
公庫は、既にこの特別貸付の受付を開始していますが、幅広く支援を行うため、同様の条件で地銀や信金などの民間金融機関が融資できるように準備を進めています。4/30に補正予算が成立したので、これから急速に融資環境が整ってくることでしょう。既存の地銀などからの借り入れは、同じ金融機関で特別貸付制度を利用する場合でしか一本化できないため、既に多額の借り入れがある場合は、その金融機関を利用することをおすすめします。
(2020/5/30 追記) 民間金融機関での融資は既に始まっていますが、日本政策金融公庫等と違い、それぞれの都道府県による制度融資を使って運用されるために、地域によって細かな違いがあります。各都道府県の制度融資案内等のページ一覧をつくりましたので、参考までに御覧ください。
※このリンク集は2020年5月30日現在のものです。アクセス時期によっては、URLの変更によるリンク切れ等が生じる場合があることをご了承ください。
ただし、利子が優遇されるのは最初の3年間だけです。むやみに据置期間と返済期間を長くすると、利子優遇の利点が薄れてしまうことにご注意ください。例えば新型コロナウイルスのワクチンや治療薬が実用化され、単なる風邪のようになるまでの1年から2年間は据置にし、その間に十分に事業回復の準備をして、短期間のうちに業績を回復、返済を終わらせる計画を建てる、といったことです。このあたりは融資を受ける金融機関とじっくり相談されることをおすすめします。
申し込みは、日本政策金融公庫、
もしくは、これまでお付き合いのある、地域の金融機関まで。
公庫は窓口が混雑しているので、事前に商工会議所・商工会に相談することをおすすめします。
コロナウイルス感染症特別貸付と組み合わせて利用する制度です。ようやく4/30に補正予算が成立したので、これから正式に運用が開始されます。公庫等の融資で発生する利子分を補給することで、実質無利子化を実現します。
個人事業主は適用要件なし、小規模事業者の適用要件は売上高15%減少、中小企業者は売上高の20%減少です。利子補給期間は借入後当初3年間限定。コロナウイルス感染症特別貸付などと同時に申し込むので、必要書類とアクション先は省略します。
5月30日 追記
第2次補正予算案が5月27日に閣議決定されました。政府与党は6月17日までの今国会中の成立を目指しています。まだ詳細が決まっていなかったり、変更になる可能性がありますが、現時点(5月30日)でわかっていることを追記します。
第2次補正予算案の追加歳出は31兆9114億円で、補正予算としては過去最大規模となります。財政投融資や金融機関の融資などを合わせた「事業規模」は117兆1000億円程。4月30日に成立した1次補正予算の事業規模と合わせると、総額でおよそ233兆9000億円となり、日本のGDP(国内総生産)のおよそ4割にもなる世界最大のコロナ対策だとのことです。
主な政策を並べてみます。
このうち、建築関係者にも関係する、1、2、3、4、5、6 について紹介します。
5月1日から受付を開始した「持続化給付金」。前年同月の売上と比べ、半分以下になっている月があれば、受給の資格があるという制度です。この判定基準の関係上、創業1年以内だとそもそも比較する前年同月の売上が存在しないので、検討対象にすらなりません。
そこで、今年1月から3月末までに創業し、創業後のいずれかの月の売上が1月から3月までの平均より50%以上減少していれば、申請できるように制度が変更されます。申請は原則オンラインで、受付は第2次補正予算案成立後、6月中に開始される予定です。
売上が無くなった飲食店が家賃負担に苦しんでいるというニュースがよく流れていますが、そういった状況への対策です。対象となるのは、今年の5月〜12月において以下のいずれかに該当する事業者です。
1. いずれか1カ月の売上高が前年同月比で50%以上減少
2. 連続する3ヶ月の売上高が前年同期比で30%以上減少
個人事業主は25万円、中小企業は月に50万円を上限に、賃料の3分の2が半年間給付されます。加えて、複数店舗を所有する場合など、家賃の総支払い額が高い事業者を考慮して、上限を超える場合の例外措置が設けられます。その場合、支払家賃(月額)のうち給付上限超過額の1/3が給付され、給付上限額(月額)は個人事業者50万円、法人100万円に引き上げられます。事業内容に飲食の制限はないので、営業所や事務所の家賃負担がある建設業でも、売上減少が認められれば対象となります。
第1次補正予算の時から実施している実質無利子・無担保融資ですが、日本政策金融公庫と民間金融機関共に、より多くの融資枠が確保されます。日本政策金融公庫の場合、融資限度額が6000万から8000万に、民間金融機関の場合、制度融資を通じた利子補給額の上限が3000万から4000万に拡充されます。
また、財務基盤の強化策として、金融機関の審査では資本金としてみなされる「資本性劣後ローン」が導入されます。見かけ上の財務基盤が強化され、金融機関から融資が受けやすくなります。貸付限度の上限は7.2億円で、貸付期間は最長で20年。
持続化補助金(持続化給付金とは別の制度です)と、ものづくり補助金について、感染防止対策の取組に関する定額補助・補助上限50万円の別枠(事業再開枠) が上乗せされます。
・ 事業再開枠(新設)の対象
消毒、マスク、清掃、飛沫防止対策、換気設備、その他衛生管理、掲示・アナウンス
・ 特別枠の申請要件
類型A:サプライチェーンの毀損への対応
類型B:非対面型ビジネスモデルへの転換
類型C:テレワーク環境の整備
4~9月は特例で日額上限が8330円から1万5千円に引き上げられます。休校に伴って仕事を休む保護者向け支援も拡充。本人が申請するフリーランス向け支援金も一律4100円から7500円に引き上げられます。4月1日以降の休業にさかのぼって支給され、対象期間は6月末までから9月末までに延長の予定。
また、手続きも大幅に簡素化され、休業等計画届の提出が不要となり、オンラインによる申請受付も始まります。
企業側で手続きが出来ない・されない場合に、「国が直接、労働者に給付する休業支援金の制度」が新設されます。中小企業で働く人が対象で、給付率は休業前の賃金の8割。雇用調整助成金と同じく、上限額は月額33万円で、給付期間は最長で今年4月から9月末までとなります。
順調に国会での審議が進めば、6月17日までの国会会期中に成立し、間をおかず随時実行されます。欧米諸国に比べると、日本はコロナの直接の被害を低く抑えることができましたが、経済の回復には時間がかかるかもしれません。政府からの支援を得るためには、自分から手を挙げないといけませんが、用意されている政策は比較的手厚いのではと思います。事業者によっては、影響が遅れて顕在化することもあります。できるだけの備えをしておきましょう。
木の家ネット代表の大江忍です。
まずは、コロナウイルス感染症にて、命をかけて医療に従事しておられる方、また、この状況下で、その補助に働いておられる方々に敬意を表し、感謝申し上げます。また、現在コロナウイルスに感染してしまい病魔と闘っておられる方々にお見舞いと、お亡くなりになりました方々、そのご家族にお悔やみを申し上げます。
現在、第二次世界大戦以来といわれるほどの、社会的に困難な状況です。緊急事態宣言の最中であり、まだ、どうやって、いつ収束していくのか、特にこの日本においては、不明な状態であります。我々のような中小企業あるいは個人で建築業を営むものにとっても、少しずつ影響がでてきております。新建材や衛生器具などの納品時期が遅れてきており、工期が長くなりがちです。
今回、政府の補正予算も通り、本日5月1日より、いろいろな支援策が動き出したことにあわせて、木の家ネットでは、特集を組むことにいたしました。まだ、情報としては不十分な点や間違った点などあるかもしれませんが、現在わかることをまとめてみましたので、参考にしていただければと思います。
また、現場では、各業種の交わりを減らし、なるべく職人同士が少人数で離れて作業する環境へと改善し、入場の際の手や靴の裏の消毒や、休憩時の会話もソーシャルディスタンスをとるようにすべきと思います。
今後新しい情報があれば今回の特集に追記していく予定です。
ステイホームということで、今まで家族と過ごす時間がなかったお父さんやお母さんも、家族の在り方を見直すいい機会になっていると思います。
また、社会システムへの影響も大きく、何が当たり前かを問い直すいい機会になっております。恐怖におびえるのではなく、家にいて、内側を見直し、改善できることも多くあるのではないでしょうか。
とりあえず、家の大掃除や日曜大工、断捨離、読書など、家族の絆を深める機会として、この苦境を感染することなく、乗り越えていきましょう。
きっと、新しい世界がアフターコロナには待っていることを信じております。
2020年5月1日 公開
5月10日 追記
5月30日 追記
取材協力:関口哲人(北杜市商工会)、石田恵美(Terroir愛と胃袋)
日本は国土の3分の2を森林が覆っている。森と向き合い、木と向き合い、林業に関わる様々な問題にどう立ち向かっていくべきか。単純ではないその問いに挑戦し続ける一人の男性がいる。福岡県朝倉市にある杉岡製材所の三代目 杉岡世邦(すぎおかとしくに )さんだ。いつもの木の家の紹介から少し視野を広げ、その背景にある木材や森林について目を向けてみる。
春の気配を感じるこの季節、杉と聞いて誰もが真っ先に連想するのが〝花粉症〟だろう。杉に対するイメージは、花粉症という国民病ともいうべき症状が付き纏い、どうも芳しくない。
実際、杉は厄介者なのか。杉の山を持ち、杉を製材している杉岡さんが口を開いた。
「みなさん、杉の花粉が空気を汚しているという感覚じゃないですか。これは誤解です。杉花粉がきれいな状態ではアレルギー症状は起こりません。涙も鼻水も咳も、花粉の表面に吸着した化学物質の微粒子を体外に排出しようと反応しているのだと思います。それからもう一つ。杉花粉はとても固い殻で覆われていて本来壊れにくいものなんです。ところが、鼻水に浸かるとそれが壊れて、中にあるタンパク質が溶け出してしまう。花粉症はそれが引き金だと言われます。でも、同じ物質でも身体への入り方によって結果は違うんです。口で呼吸をすれば、花粉の大部分は鼻腔と気管支粘膜に入り、アレルギー症状が起こります。ところが鼻で呼吸をすると、花粉の多くは気道に入らず消化器官へと流れます。腸に入れば免疫の自己破壊活動が起こらない免疫寛容になるようです。これは私見ですが、ヒトは大気中に漂う花粉さえもタンパク源にできるよう進化してきた。花粉症は、それが裏目に出ているのではないかと感じます。現代人はストレスなどにより口呼吸が増えています。鼻呼吸するよう工夫して、花粉さえも栄養源として取りこむほどのたくましさを私は得たいですね。」
杉花粉の殻について詳しく説明を受ける
「『花粉症なので杉材の家はちょっと…』とよく言われるんですが、アレルゲンではないので全く問題ありません。ご安心を(笑)。そういう人にこそ杉材をおすすめします。とくに床材に使うと効果的です。杉は比重が低いので足元が冷えず温かいです。調湿作用が高く、床に落ちたホコリに適度な湿気を与えて、再び空気中に舞うことを抑えます。これは風邪などにも効果があります。空中浮遊菌やウイルスは、人や物が移動するときに舞い上がるホコリの中に存在しているからです。さらには、杉の香りに含まれる「セスキテルペン」という揮発成分が免疫活動に好ましい影響を与えます。それが唾液に含まれる「免疫グロブリンA」を増加させるのではないかとの研究報告もあります。ヒトは1日に13,000ℓの空気を肺に入れています。空気も物質で重さがあって、概算でそれは17㎏ほどにもなります。どんな水を飲むかも大切ですが、どんな空気を吸うかが健康に大切であることを、私たちはもっと意識しなくてはなりません。そう考えると杉はとても有益な木でしょう。イメージだけで敬遠されているのが残念です。」
杉の床ならホコリが再び舞うことを抑えられる。
「樹木としての杉は、むしろ空気と水を浄化する作用を持っています。“水と空気を清浄に保つ”にはどうすればいいか。それを考えて行けば自ずと花粉症対策の道筋も見えてくる気がします。」
筆者も花粉症なのだが、普段の街中では症状が出るが、多くの杉がある山に出かけた際は、不思議と症状が出なかったという経験がある。
「“水と空気を清浄に保つ”ためには、山に生えている木に対して愛情を持つこと。山の木を意識しながら生活することが望まれます。その本質は、五百万年前に人類が生まれてから今日まで、必要とされ大切にされ、脈々と続いてきたはずです。そしてそのことは、千年後でも一万年後でも人類として共通するビジョンであると思います。ここ数十年の間に壊してしまってはならないものだと思います。」
そう力説する杉岡さんが、是非連れて行きたい場所があるというので、案内してもらった。
訪れたのは福岡の中東部・小石原にある“行者杉”だ。樹齢200〜600年の杉の巨木が375本も林立している。ここはその昔、霊峰 英彦山(ひこさん・標高1199m・日本三大修験山にも数えられる)の修験者たちにとって神聖な修行場だったそうだ。峰入修行の際に、行者(山伏)の手によって奉納植栽された杉なので〝行者杉〟と呼ばれている。
杉だけではなく広葉樹も自生している。
鎌倉時代から受け継がれてきた貴重な杉の数々に神々しさを感じる。
なぜ行者は杉を選んだのだろうか。
「どんな宗教行為が行われ、なぜここに杉を植える習わしがあったのか…。私もとても気になり、小石原村史(小石原村は合併により2005年に消滅。現在は東峰村。)などを調べましたが、詳しいことは解っていません。というより、残されていませんでした。単に昔の出来事だからではなく〝不立文字(ふりゅうもんじ)〟だからでしょう。修行や悟りの内容などは文字や言説で伝えられるものではないという訓えがあり、地元の人ですら知らないんです。それでも、ここを聖地とするため、そして結界を張るために、杉を植えたということが解ってきました。」
「ではなぜ、杉を植えると聖地になるのか。結界を張ることになるのか。私の答えは『杉を植えることで水と空気が浄化されるから』だと思います。」
上:行者堂と行者杉とを結ぶ修験道 / 左:ひっそりと祠が祀られている / 右:護摩木を投じて火を焚いたとされる護摩壇
樹齢500年、高さ52mの大王杉。木は幹と皮の間で細胞分裂していくので、一番外側には500年前の樹皮の〝かけら〟が残っているかもしれない。そう思って触れるととても偉大なものに包まれているように感じる。
「雨が降っているとき、杉木立から湯気のようなモヤが立ち上っている光景をよく目にします。杉の葉によって雨が地面に落ちる前に空中へと噴霧され、蒸散しているのでしょう。針葉樹とは、針のような葉っぱの木の総称ですが、一本当たりの針の数では杉が最たるものです。この無数の針によって霧状のものが生まれ、空気を洗っているのです。カビや胞子なども含め、辺りに漂う様々な汚れや臭い物質を地面へ洗い流します。そして空気をきれいにした後、さらにテルペン系の芳香成分を辺りに放ちます。それでこんなに空気が良いと私たちは感じるのです。雨水は、霧状になって蒸発しそのまま天空へいくものもあれば、地面へ向かうものもあります。地面に向かった雨水は、土に浸み込む前に堆積した杉の枯葉に落ちます。杉の葉は針の集まりなので重なり合って少々の雨水では流れません。地面に堆積して保水力を持ったフィルターです。こうして水をも浄化しているのです。」
「古の人たちは、そういった機能があることを理解したうえで、神聖な場所に杉の木を植えたのではないかと考えています。もう一点、木の中でも杉は長寿です。天に向かって真っ直ぐに伸び、最も太くなる木でもあります。時には雷が落ちることもあります。落雷は神降りでもあった、そういったことからも、信仰の対象の木になったのでしょう。」
神社仏閣の参道など、結界が張られていると言われる場所で〝空気が違うな〟と感じるのは、気のせいではなく実際に空気が浄化されているからなのかもしれない。
上:杉が霧を生む仕組みを説明する杉岡さん / 左:針状の杉の葉が降っている雨を地面に落ちる前に噴霧し、蒸散させる / 右:杉の葉は針の集まりなので、雨でも流れず堆積する。土壌の保水力が高い。
一通り見て周ったあと、行者杉にまつわる杉岡家のエピソードを紹介してくれた。行者杉は台風などで倒れたときのみ売りに出される希少な銘木で、杉岡さんの生まれ育った家の座敷も行者杉で作られているそうだ。
「小さい頃、ある日親父が行者杉の原木を2本仕入れてきました。その直径は自分の身長よりも遥かに大きかったのを覚えています。それと同じ行者杉が使われた座敷の次の間で祖父母と布団を敷いて毎日寝ていたんです。」
「物心ついたころから『これが行者杉だぞ』と聞かされて育ったためか、子供のころから『将来この家を立て替えることがあるのかな』『この家は倒せないよな』『この座敷を綺麗に解体して復元できるのかな』と考えていたんです。大人になって木の家は解体して移築することができると知ったとき、『できるんだ!やっぱり木の家はすごいな。』と思いました。日本の木造技術の伝統は守るべきですね。」
「しかし今、樹齢数百年の銘木は突き板になることが多い。経済効率は確かにいいと思いますが、どんなに保っても使われるのは50年くらいでしょう。もともと水と空気をきれいにするために植えられた木なのに、ティッシュペーパーみたいな薄さにスライスされて、接着材で固められ、半世紀もしないうちに廃棄物になってしまう。しかもそれは、すでに木材ではなくて、廃棄の際に空気と水を汚す物と化してしまっている。それで何百年も生きた木が成仏できるのか?と思ってしまいます。」
「ま、理屈で説明するとそういうことになるんですが、実際に神々しい行者杉を見たら、『これをゴミにしちゃダメだろう』と、一瞬で直感的に共感してもらえるはずです。」
木の話をすると自然と微笑みが溢れる
「杉の栽培は“育成単層林”と呼ばれ、単一種の木を植えて、間引き(間伐)しながら育てていきます。日本の杉山は、戦後に植えられたまだ1サイクル目のものが多いんです。樹齢が50~60年になったら全部切って(皆伐)、また植えてを繰り返す畑作みたいな林業になろうとしています。それで良いのか疑問です。」
「最初に植えるのは杉のみであっても、長期間、適度に間引いていけばいいと考えています。杉は高齢になると太く高く生長するため、樹冠(木の先端)のほうにしか葉がありません。それで地表に日が差し込んで低層木などが生え、植生豊かな森となります。将来的には行者杉のように雑木と共生する美しい森林となるでしょう。その可能性、ポテンシャルを持つ山が日本中にあるんですよ。」
“水と空気を清浄に保つ”ために、木に対して尊敬と愛情を持って生きた、古の人々の息遣いが感じられる森林が各地に存在する。そのような森林をこれから作り上げていくことももちろん可能なのだ。
赤谷川沿いにある杉岡さんの山も被害を受けた。まだまだ復興中だ。
杉を取り巻く問題でもう一つ取り上げておかなくてはならないのが、九州北部豪雨の話だろう。2017年の豪雨の際には夥しい数の杉の木が土砂と共に流されるショッキングな映像が報道された。実際に被害にあった杉岡さんの山も案内してもらった。
「杉が悪者扱いされました。『もう杉はよか』との声も聞こえてきて、本当に落ち込みました。もちろん、あれだけの量の木が目の前を流れ、我が家に突き刺さるような経験をされた方々にとってみれば、杉に対して恐怖の気持ちを抱くのは自然なこと。『もう杉はよか』と言われるのも無理はありません。実際に私も、杉は加害者なのではないかと疑問を持ちました。」
「『杉は直根がなく根が浅い。保水力も低い。それが山を覆っているから表層崩壊が起きて流れされたのだ。』という論調がありました。それが正しいのか、間違っているのか、確信をもつことは当時できませんでした。」
本当に杉が悪者なのか確かめるため、杉岡さんはいろんな山や専門家を訪ね勉強されたそうだ。
「土砂災害に対して杉や檜が決して弱い訳ではないと言うことが解りました。針葉樹であっても広葉樹であっても、根を張るのは腐植層という栄養がある土壌なんですが、表層崩壊は表層といってもその下の層で起こります。昔から木を植える時には〝適地適木〟といって、水分の少ない尾根には日照りを好む松を、水分の多い谷には水分を好む杉を、そして中間に檜を植えるのが良いとされてきました。『尾根マツ、谷スギ、中ヒノキ』と言われ林業関係者の間ではよく知られていることです。豪雨が降れば、大量の水が谷に集まり、表層崩壊が起こります。不運にもそこに多く植えられている杉が、立ったまま土石流となって一緒に押し流されてしまう。これが真相です。」
今でも尚、豪雨の残る爪痕が残る
「いろんな論調や思惑がある中で足並みをそろえていくことは難しいことです。しかし自然は待ってくれません。森林は放っておけば荒廃していきますし、全部コンクリートで固めてしまう訳にもいきません。結局、森林をつくりながら国土を保全していくしか道はないんです。しかも、植える・育てる・伐採する・搬出する、それぞれの過程で費用がかかります。その費用を回収できなければ持続可能なサイクルにはなりません。」
「『ここは行者杉のような高樹齢の杉と広葉樹が同居する美しい複層林にしよう。』『こっちは平らで水害が少なく効率がよい場所なので、畑のように全部更新していく単層林にしよう。』という風に、気候風土や地形などにあわせた美しくて資源としても利用できる〝森林のグランドデザイン〟を細かく決めていくことができれば、杉や檜に対するイメージも変わってくるだろうと思います。『もう杉はよか』を『やっぱり杉はよか』に変えていきたいんです。」
左:杉岡さんが大切にしてきたおじいさんとの思い出の杉も流木となった。 / 右:「加害者みたいに言われるけど杉も私たちと同じ被害者なんですよね。本当に痛そう。」と杉岡さん。不動明王を彫って英彦山に奉納しようと考えている友人に譲るそうだ。
杉岡さんは、杉の持つネガティブなイメージを払拭して「やっぱり杉はよか」と言ってもらえるようにするため、杉の良さを最大限に活かす取り組みを実際の製材業で実践している。
取材に伺った際、ちょうど梁の製材をしているところを見学することができた。年に一度あるかないかの貴重な瞬間だ。この木は木の家ネットの会員でもある長崎の大工 池上算規さんからの注文の木。実際に山まで一緒に見に行って決めたそうだ。
現在ではこういった梁に使えるような曲がった木は市場に出回ることはほとんどない。短く切って合板材にしたり、発電用の木質バイオマスにされてしまったりするとのことで、実にもったいない。
左:阿蘇の樹齢200年超の社木。「今置いている木のなかで一番いい木です。」 / 右:日本最古の校倉造り、奈良・唐招提寺 経蔵を再現する建物に使われるという。
特に思い入れの強かった納入先にも案内してもらった。
朝倉市甘木 Y邸
築100年の住宅の再生と増築。2018年完成。設計は木の家ネット会員でもある建築工房 悠山想の宮本繁雄さん。
中段:中庭を一望できる窓が印象的だ。 / 左下:窓よりさらに長い一枚板のカウンターテーブル / 右下:真っ白で節がない足触りの良い浮づくりの杉の床材
「この家は薪ストーブや床暖房を使うので、厚さ3cmの床材はきっちり乾かす必要があります。木を高温乾燥させれば含水率は下がりますが、木材本来の香り、色つやが残りません。天然乾燥だとそれは残りますが、含水率をあまり下げられません。そこで、作ったのが40度以下で乾かす低温乾燥機です。香り、色つやは天然乾燥さながらに、含水率を薪ストーブや床暖房に対応できるほどまで下げることができます。このおかげで理想的な床材になり建主さんや設計士さんからの評判も上々です。」とのこと。
糟屋郡 一心寺
本堂を2010年に新築。庫裡も手がけた。大半を九州の杉の赤身材で用立てた。杉岡さんが一番思い入れのある柱が一心寺の柱だという。
左:「生き生きとして躍動感がある」と住職も太鼓判を押す杉の赤身の柱 / 右:終始笑顔で当時の様子を語る
「柱は人間関係における縦軸、つまり先祖や子孫という家族を象徴しているように思います。」(杉岡さん)
「お経も同じで縦に貫くものがないとブレてしまうものです。」(住職)
森と木に真剣に向き合い、学び、そして実践する杉岡さん。あらためて森林や林業を取り巻く状況について、語ってもらった。
「〝木を見て森を見ず〟と言う言葉がありますが、例え話でなく森林そのものに関しては〝木を見ず森も見ず〟の状態で、そもそも関心が持たれない時代だと思います。見ているとすれば、むしろ“森”のほうです。花粉症であったり、土砂崩れや水害であったりと、杉の人工林のほうが切実ですから。杉の単層林は生物多様性も乏しく、良いイメージは少ない。それで関心を持たれない。結果として〝木を見ず森も見ず〟になるのです。それをパラダイムシフトすること、〝杉が大好きな人〟を増やすことが私の目指すところです。」
「講演などをするとき、お客さんに『自分の家にこれは間違いなく杉の木だと言えるものがあると思う人は手を挙げてください。』と聞くのですが、皆さんほとんど手を挙げません。それが〝木を見ず森も見ず〟の状態です。つまりそれは〝森林と暮らしの分断〟が起きている証拠だと思います。〝住〟の分断は根が深いです。多くの住まい、オフィスや店舗も含め、その床・壁・天井を覆っているものは新建材が多く使われています。どんな材料で作られたのか、どこからやって来たのか考えたことすらない。あったところで、どこかの工場でしょ?くらいのものです。」
「それは、他分野でも起きていて、例えばコンビニで買う食品。その向こう側にある農業・漁業・畜産業の現場に行くことはほとんどありません。それでも、〝食〟はまだましです。どんな材料でできているかくらいは想像がつきます。食や健康という視点で見れば、農業・漁業・畜産業の現場に100%の人が関心を持たざるを得なくなります。」
「では、森林の現場に対し100%の人に関心を持ってもらうには、どんな視点があるのだろうか、と長年考えてきました。〝住〟では分断が深く、森林を意識できません。ところが、九州北部豪雨の後に気づきました。英彦山にある樹齢1200年の鬼杉を見に行った時のことです。「山伏は、〝水と空気をきれいに保つ〟ために杉を植えたんだなあ。そうか、それはこの先何万年経っても、人類すべてが望む願いではないか」と気づいたんです。それを山伏たちは体現させた、それが杉を植えることだったのです。このとき、杉を育てることと杉を使うこととは表裏一体であるということを忘れてはなりません。木の家ネットの皆さんがつくる家は、杉の使い方として最も望ましい、木々にとって最高の嫁ぎ先だと思っています。」
「今私たちはペットボトルの水を買ってきれいな水だと思って飲んでいます。そのペットボトルを持って山に入ったとき、目の前に湧水の流れる小川があったとしたら、どちらの水を飲みますか?私なら間違いなく小川の水を飲みます。空気も同様です。高気密高断熱の住宅で換気せずに過ごせば、即ちボトルドエアーの中に暮らすことになると思います。本当に美味しい水、美味しい空気とは、浄化機能を備えながら絶えず流れて循環しているものです。それにはおそらく大きな自然の力、植物の力が必要で、機械装置などでは成し得ないと考えています。本当に美味しい水、美味しい空気を知るためには、一度山まで遡って暮らしを見つめ直す必要があるのではないでしょうか。」
「住宅や住まいの話の範疇だけで杉を語るのは、これから先ちょっときついかなと感じています。杉という存在の素晴らしさを広く世の中に伝えていきたいですね。厄介者扱いされる杉の復権が今の自分の使命なんです。」
杉岡さんの挑戦は続く。
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)
長く使い続けるほど、価値が増していく。木の家は、建築士の奥隅俊男さんにとってそんな存在だ。埼玉県上尾市で千尋建築事務所を主宰する奥隅さんは、新築の設計ばかりでなく、長く使われてきた建物の修復などに多く関わってきた。修復の対象は神社仏閣や大きな邸宅、あるいは文化財といった価値の決まったものばかりでなく、普通なら見過ごしてしまうような民家や商店建築まで及ぶ。
修復の際、奥隅さんは丁寧に建物を調査することに重きを置いている。歴史や痛み具合の確認に加え、施主さんの思いや、これまで暮らした人、建てた人の思いをくみ取り、価値を見直していく作業だ。そうすることで建物は輝きを取り戻し、未来につながっていく。木材など経年変化する自然素材を使い、しっかりした伝統構法でつくられた建物は長く使い続けることができるという。
すべての木の家に、愛を込めたまなざしをそそぐ姿を追った。
千尋建築事務所を立ち上げて、20年余り。現在は既存の建物の調査や改修に関わる仕事が大半を占めるという。大きな建物や時間が限られる時は、同じように古き良き建物を生かしたいという仲間と協力するという体制で仕事を進めている。
「改修するときに大切なのが調査だ」と奥隅さん。外観や室内ばかりでなく、床下や小屋裏に入り詳細に調査し、“現在”の実測、図面おこしを行う。工法や技法、改修の痕跡なども調べ、記録をつける。建具の破損状況なども調査し、修復設計に役立てる。
さらには、建物の“過去”までさかのぼっていく。長く使われてきた建物は、建築当初から何度か改修や修理を経て現在の姿になっていることがほとんど。改修にあたり、建築当初の姿に復元するとは限らないが、「当初の状態とそのあとの改造の過程を調べて把握することで、どう修復するか検討でき、建物にふさわしい改修に役立つ」という。古い図面や改修時の図面もあれば、調べ尽くす。破損状態の調査も、修理内容や範囲を決めることにつながり、予算を把握することができる。こうして、時にはほこりで体中真っ黒になりながら、野帳を完成させていく。
調査は数日のこともあれば、大きな建物では1カ月かかることも。こつこつと、建物の歴史を紐解いていくのだ。
手書きの調査図面。床下にも潜ったためところどころほこりで黒ずんでいる
丁寧に向き合う姿は、建物だけでなく、施主さんにも然り。「聞き取り調査」も行っている。現在の施主さんから話を聞き、建てた当時の施主さんがどのように考えたか、どんな風に使ってきたか。また、職人さんがどのように考えて建てたのか、想像を膨らます。建物と住む人に、やさしく寄り添うのだ。
奥隅さんは、そのような幾重にも重なる調査を経て、建物の現状図面をなるべく正確にまとめていく。それをもとに、施主さんの要望や目的を盛り込んだ改修設計図面、そして計画を作成する。
こうして調査、改修設計をして修復した建物のひとつが、さいたま市岩槻区にある民家。大正時代に建てられた平屋の瓦ぶき屋根で、昭和46年の大改修(台所や風呂を増設したり、天井や壁の仕上げに合板を貼ったりする)を経てきた。それを、約1年半かけて改修、2018年に完成した。
施主さんは「奥隅さんの「聞き取り調査」の中で、方針が固まっていった」という。「この家は文化財ではないけれど、文化財的感覚がある。朽ち果てていずれ取り壊し以外に道がなくなるような事態は避けたい」という思いが強かった。他の住宅メーカーにも相談したが、建物をどう活用するかという方向になってしまい、「建物として残すという自分の考えからは物足りなく感じた」と振り返る。
奥隅さんと相談をしているうちに、方針の一貫性が一番大事であることに気づいた。その方針とは、できるだけ建築当初の姿に戻す復元を目指すということ。「古くからの家そのものが歴史を伝える価値がある遺産(財産)だ」というのは、ふたりの共通認識となった。そのため、文化財と同じような詳細な調査、修復設計を行った。
揚屋し、改修中の家と、土壁の修理工事の様子
古い図面の発掘や聞き取り調査により、居間の一部は以前は玄関土間であったことがわかった。実際に沓脱石が床下にあることも確認でき、それをそのまま活かして修復した。
北側には改造により台所があったが、建築当初は縁側が廻っていたことも分かった。ここも修復により、再び縁側を配置したことで、部屋が明るくなったとともに、北側の庭との一体感が生まれたという。
合板も剥がし、天井は無垢板に、壁は木舞下地の土壁に修復。窓もアルミサッシに取り換えられたものを再び木製建具へ。それぞれの建具には古色(古い色にあわせて色をつける)する事で、当初の部材と調和するようにした。
一方で、建築当初から形態を変えた部分もある。一つ目は、建物の構造の補強のために間仕切りの戸をやめて耐震の壁をつけたこと。二つ目は、建設当初はなかった網戸を付けたこと。窓に雨戸とガラス戸などが入っていたことがわかったたが、さらに新たに敷居と鴨居を足し、雨戸とガラス戸と網戸の3枚立てにした。 いずれも建築当初の姿がわかっていながらの変更で、利便性を高め、この先建物を長く使い続けることに一役買っている。
窓の建具を「違和感のないように納めた」と奥隅さん
ほとんどが工事前に作成した図面通りに工事したが、工事中に、壁の中から低いが立派な鴨居を発見し、そのまま床を低くして出入り口を設けた部分もある。「通常の修理計画では思い浮かばないものだった。建築当初の使い方がわかって面白い」と奥隅さんは柔軟だ。
建物、そして施主さんと真剣に向き合いながら、工期や予算も考慮し、適切な改修を目指している。
建築当初の姿に戻す復元の場合も、使い勝手に合わせた改修の場合も「建物をよく理解し、メンテナンスしながら長く使い続けられるようにすることが大切ではないか」と奥隅さん。そのために必要なのが、丁寧で詳細な調査だとして、日々励んでいる。
軸組みなど伝統構法によってできた建物は増改築にも適し、現在の生活にも柔軟に対応できる。さらに、「自然の素材でできた家は経年変化によって美しく、四季折々の風景になじむ。気候風土に適応した知恵も受け継がれている」と強みを語る。そこに、「建物の大きさや豪華さはあまり関係ない」というまなざしは優しい。
このような感覚を持つようになったのは、前職、そして海外での経験からだという。奥隅さんは大学卒業後、設計事務所に勤める一方、日本建築セミナーという木造建築の講座に参加。このセミナーには全国から会員が集まり、定期講座と文化財修理の見学などをして学びを深め、「大変勉強になった」という。
設計事務所は6年で退社し、向かったのは海外。大学時代の研究がイスラム圏のバザール(市場)で、当時は文献や資料での調査だったことから「20代のうちに現地を見てみたい」と飛び出したのだ。インドから西へ向かい、イランやトルコ、イエメンを経て、ヨーロッパ(ギリシャ、イタリア、スペイン)を巡るひとり旅。歴史ある遺跡も素晴らしいが、奥隅さんの心をつかんだのは、石や日干しレンガ、木など現地にある自然素材でできた「いわゆる普通の民家」だという。そこにあるものを使った、その土地の気候に合った家。それが連なり、自然となじみ、美しい風景をつくっている。遺跡とちがって、実際に今も暮らす人々のいきいきとした力強さも加わり、美しく見えたという。「長い年月が経ち風化し、素朴で、なんともいい感じ」と、夢中でスケッチしていった。そんな10カ月を過ごした。
当時のスケッチ。丁寧な描写により建物の様子がいきいきと伝わってくる
帰国後は再び日本建築セミナーで学び、「伝統工法は日本の風土に合い、歴史もある。海外の伝統的な建物に通じる良さがある」と再認識。伝統的な木造建築を手掛ける眞木建設に入社した。寺社や民家の文化財調査や修理、新築設計に加え、現場監督も務めた。東京の江戸東京博物館に江戸時代の歌舞伎小屋「中村座」を復元する仕事では、設計図作成の補助と現場監督を担当。設計と職人をつなぎ、予算や工期、品質に気を配りながら現場を進めていった。
「現場では、伝統的な木造建築と長い時間向き合うことができた。ここで学んだことが独立してからの仕事の基礎になっている」と奥隅さん。日本の伝統建築は、解体修理すれば再び組み立てられる優れた建築であること。それを長く使い続けるためには、破損や腐食しないように、メンテナンスしやすいように作ることの大切を学んだという。
独立して事務所をかまえた上尾市は、生まれてからずっと住み続けている場所だ。ここには江戸時代、江戸の日本橋と京都の三条大橋をつないでいた「中山道」が通る宿場町だった。建物は高度経済成長期にほとんど建て替えられたものの、わずかに土蔵の商家が残っていたが、奥隅さんが独立してすぐ、旧道拡張工事によって建物が解体されることになった。聞きつけた奥隅さんは、計画していた上尾市の担当者に直談判。「古い建物がなくなるということは、景観がなくなり、宿場町だった歴史が忘れ去られてしまう」という危機感が、背中を押した。それまで特に地元での実績はなかったというのに。
担当者は所有者と話してくれたり、移築を検討してくれたものの、結局、取り壊す結果となった。せめて記録を残すということになり、上尾市は、取り壊す前の調査を奥隅さんに依頼。これは、予定にはなかったものだという。調査した歴史や構造は、一冊の調査報告書として残された。
「建物がなくなってしまったことは今でも残念」と話す奥隅さんは、その後、市の文化財保護審議会の委員を務め、市内の建物の調査、報告書作成も依頼されるように。その中には指定文化財になったものもあるという。現在は荒川河川集落の歴史建造物保存活用に関わり、建物を残し、長く使い続けることの提案に精を出している。
奥隅さんは言う。「長く使い続けている家は、歴史の一部で、人々の思い出、地域の財産そのもの。大切に残していくべき存在だ」。
昭和を代表する日本画家・東山魁夷のことばがある。「古い家のない町は想い出のない人間と同じである」。これを、胸に刻んでいるという。
長く使うことを前提とした調査は、建物を生かすことにもつながるのではないか。例えば、全国的に問題になっている空き家は「危険だから、近隣に迷惑だからの一言で取り壊すのではなく、調査によって価値を発見できれば、残すことができるのではないか」と奥隅さん。増加する自然災害による建物の損傷・解体についても、適切な調査による活用の可能性を考えている。
奥隅さんの事務所名「千尋」は、現場の職人さんから聞いた言葉だ。茅葺を解体し束ねるとき、ひもを一尋(ひとひろ/両手を広げた長さ)に切って使う、と教えてもらった。千尋は一尋の千倍、転じて、非常に高い、深いという意味を持つ。
なぜ建てるのか、なぜ残すのか。ひとつひとつの仕事に、深い意味を見出しながら、向き合っている。
>2019年に起きたフランス・パリのノートルダム大聖堂の火事では、修復費用として1000億円の寄付金があっという間に集まったという。価値があるものとして認められた建物を守ろうという動きは、心強い。建物の価値とは、優れた建築技術であったり、歴史的に重要なできごとが起こった場所であったりすることで生まれる、と考えていた。しかし、奥隅さんと話すと、それだけではないと思わされた。
奥隅さんが修復した民家たちは、言ってしまえば名もなき建物。価値も、文化財と比べると低いと認識してしまう。しかし、写真でのビフォー・アフターを見ると、これは残すべきものだ、と素直に思った。古いからこその美しさ、趣には、目を見張るものがあった。
よく考えれば、どんな民家でもそこで暮らしてきた家族のドラマがある。商店だってそうだ。歴史をひっくり返すようなことは起こらなくても、日々の営みはそれだけで建物に、何かエネルギーのようなものを与えるのだろう。
その価値を、きちんと認めていきたいし、そういう世の中であってほしいと願う取材となった。
取材・執筆・撮影:丹羽智佳子(写真一部は奥隅さん提供)
地元の木材や自然素材を使い、職人の手によってつくる伝統的な家づくりを基本としながらも、住まい手の心地よい生活を一番に考えた住まいを提案し続けている二人の建築士が埼玉にいる。株式会社アトリエ・ヌック建築事務所の新井 聡(あらいさとし)さんと勝見 紀子(かつみのりこ)さんのご夫妻だ。お二人は東京都内の設計事務所の先輩後輩として勤務したのち、1999年に独立しアトリエ・ヌックを設立し現在に至る。
まず事務所兼自宅を構えるマンションの一室に案内していただいたのだが、よくあるマンションのドアを潜ると突然、木に囲まれた空間が出現した。
周りの住民や建主さんからも「そんなことやっていいの?」「こんなに木を使えるんだ!」と驚かれるこの空間は約10年前にリノベーションした。改装前、壁は石膏ボードにビニールクロス貼りだったが、躯体以外は全部スケルトンにして杉板を貼ったそうだ。
集合住宅でドアや窓は変えられないので、木枠の内窓を設け二重にしている。見た目にも温熱環境的にもグッとよくなる。
「最近“温熱環境”という言葉がもてはやされていますが、僕らは以前から“あったかくてエネルギーをあまり使わない家”っていいよねという考え方で家を作っていました。伝統的な木の家の作り方を基本にしていますが、それありきではなく、もっと積極的に暖かく居心地のいい家を作りたいんです。」(新井さん:以下「新」)
「伝統構法で家を建てる場合も、もちろんみなさん工夫されていると思うのですが、どこかで住み手が我慢しないとならない場面があるのではないでしょうか。僕らの建てる家は20〜30年で壊す家ではなく、もっと永くそして心地よく住み続けられる家・住み継ぐ家です。構造的に保つことは大前提です。30〜40代で建てた建て主さんもいずれ年を重ね体調が変わりますよね。その時に温熱環境に配慮していた方が我慢することなく心地よく住み続けられるんじゃないかなと考えています。」(新)
アトリエ・ヌックのWebサイトには「〝普通の暮らし〟〝うちはフツーです〟といった感覚は人それぞれ違うもので、我が家流の暮らし方を認識することが、自ずと家づくりの道標になってくるはずです。」という旨のことが書かれている。暮らしから家づくりへをどう昇華させているのだろうか。
「暮らしという面では建主さんからいろんな事を学んでいます。『こんなアイデアを持ってるんだ』とか『こんな暮らし方、アリなんだ』とか、次に活かせるアイデアをたくさん吸収させてもらっています。歳を重ねるほどに、膨らんだその引き出しの中からいろんな提案ができるようになってきました。」(新)
「普段の生活を大事にしている人。その生活を豊かにするためにはお家の存在が重要だと思っている人。そういう建主さんとの出会いがあると〝とても幸せな結果〟になるし面白いこと提案ができますね。そのために私たちは、できる限りの勉強や経験をしておき、疑問を投げかけられた時にしっかりと応えられる技術なり考え方を身につけておかないといけないなと思っています。」(勝見さん:以下「勝」)
「木や構造の話など技術的なことはホームページ等に載せていることもあって、建主さんにはある程度事前に理解してもらえています。なので実際の打ち合わせでは“間取りをどうするか”“どういう生活がしたいか”について話し合うことがほとんどですね。」(勝)
「間取りをつくるために本当にしつこく聞きますね。『どこに洗濯物を干しますか?』とか細かいことにまで突っ込んで話してもらいます。そうするとその人独自のスタイルが見えてきます。」(新)
「その希望を取り入れて形にしていくことで、オリジナルの家が形になっていきます。さらに建主さんが要望として言葉にはできなかった抽象的なことを具現化してあげたり、希望する事をさらにスムーズにストレスなく使えるようにしてあげたりしながら設計していくというのが楽しいですね。そこに対応できるスキルを磨いておきたいなと常に思っています。」(勝)
「建主さんが『私が考えました』と思ってくれることが究極だと思っています。そうなると家を大切にしてくれるに決まってますよね。だって自分で作ったんですから。」(新)
「ヌックの家づくりは〝作る〟というよりも〝必要なことをやる〟という意識で取り組んでいます。家を求めている人がいて、その人の理想の生活のイメージを受け止めて、最大限のできるお手伝いをやる。そうすると幸せな結果が訪れるというような感覚です。」(勝)
写真:渡辺慎一
アトリエ・ヌックでは新築の設計のほか、最近ではリフォームやリノベーションの依頼が増えてきたそうだ。
「この辺りでは、街並みを形成するような古民家群はありませんが、主に3つのニーズがあります。1つ目:無駄に壊したくないし捨てたくない〝もったいない家〟。2つ目:親が建てて子供の頃から住んでいた〝想い入れのある家〟。3つ目:なるべく少ない費用で快適な生活をしたい〝着実に確信的にリフォームを選びたい人〟。こういった人たちの声に応えてあげたいんです。」(勝)
「私たち自身も、バタバタと建ててスペースがあればいいというだけの建物を建てるために、古いしっかりした建物を壊してしまうのはナンセンスだと思っています。古い建物の良い部分やポテンシャルを活かせる仕事をしたいという想いがあって始めました。古い建具を活かせたり間取りの面影が残しながらも、耐震的にも強く温熱的にも暖かい家が作れる物件は新築以上の価値があると思います。」(勝)
ここでいくつかリノベーションの実例を紹介する。
Yさんの家(青梅)“もったいない家”
写真:渡辺慎一
「リフォームでは、高齢になっても快適な暮らしをするための温熱環境・バリアフリー・耐震性といった対策を十分にできないんじゃないかと一般的に思われています。ですが、きちんと調査して悪い部分を補う手法を提案して『思い描いている生活ができますよ』と伝えてあげると、『本当はリフォームしたかったんです。』といって皆さん安心してリフォームに踏み切られます。」(勝)
Yさんも築30年の自宅を建て替えるかリフォームするか迷っていた一人。
耐震補強と間取り変更、劣化部補修と断熱化が、新築の7割のコストで行えるとの試算からリフォームを選択。「家族に背を向けてひたすら料理をしなければならないキッチン」「リビングが寒い」など暮らしの不満を解決しつつ、将来的に体力的に階段を上がれなくなった時のために、1階のリビングを寝室として使えるようにと設計された〝リビングヌック〟部分を増築。
外から見るとアルミサッシのままだが木製建具を内側につけて二重にして断熱性能を上げている。
また、階段の段数を一段増やすことで、足腰への負担を軽くし、できるだけ長く二階を使うことができるように配慮した。
Oさんの家(石神井)〝想い入れのある家〟
写真:渡辺慎一
Oさんはリタイヤ後の住まいとして、幼い頃から住んだ築約70年のこの家で暮らしたいと考えていた。しかし本当にこの家を改修して、耐震性や温熱性を上げることで自分たちの暮らしを支えてくれるものになるのか不安もあったそうだ。詳細調査をし予算も考慮した上で、耐震対策は全体にしっかりして、リフォームは部分的にすることにした。
「耐震補強は日々の生活を快適にするものではないので、建主さんがはっきりと望まない場合もあります。しかし建築家には耐震補強を施す責務があります。その補強によって生活しにくくなるのは住み手が喜んでくれないし、プロジェクトを進めようという気にはなれません。耐震補強と快適性の向上を両立させる知恵や技が建築家には求められます。それこそが建築家がリフォームに携わる使命だと考えています。」(新)
その考え方が現れているのが格子壁(写真左)。耐震性を持たせると同時に、空間を緩やかに仕切る役割も担っている。
Hさんの家(吉祥寺)〝着実に確信的にリフォームを選びたい人〟
左:改修後
右:改修前 和室の続き間の面影を残している。
(写真上左:渡辺慎一/写真右:提供 アトリエ・ヌック)
Hさんはリフォームする前提で築30数年のこの家を購入。その後、調査・改修をして住まわれている。自分が住んでいたわけではないが、元の家の佇まいを残したいとのHさんの想いが設計に滲み出ている。
写真:渡辺慎一
ダイニングにある大きなパネルが目に入った。これは輻射式冷暖房「エコウィン」というパネルヒーターの一種で、エアコンの室内機と室外機のホースの間に接続してエアコンの冷媒をラジエーターに通すだけの簡便な仕組みでパネル自体は電気は使わないという。冬場は輻射暖房で部屋を温め、夏場は輻射冷却で大きな氷の前に立っているようなひんやりとした使用感。エアコンを微風で運転しながら部屋を快適に保つことができるのでかなり省エネ効果があるとのこと。
日々蓄積されてきた“引き出し”から最適なアイデアや技術を採用するのだ。
次に、勝見さんの案内で、所沢に新築で2016年に建てられた、Tさんの二世帯住宅兼事務所を訪れた。実はTさんは10年以上アトリエ・ヌックと一緒に仕事をしている信頼ある大工さん。もちろんこの家もTさんの手刻みで建てられている。
1階は普段はお母さんが暮らし、親戚が集まった時に開け放して大人数で食事がしたいというのが一番の要望。Tさんの事務所スペースも設けられている。2階はTさんご夫婦と3人のお子さんの住まいだ。
「木を使って構造的に整理しながらも、回遊できる生活のしやすさを追求して行くのがアトリエ・ヌックの家づくりです。」(勝)
「アトリエ・ヌックさんの図面が大好きなんです。勝見さんの図面って本当にミリ単位で合うんですよ。やってて面白いとすごく感じます。」(Tさん)
「木じゃないと作れないものが多いので、作り物が多くて大変だとは思うけど、図面を描く人間がいて、実際に作る人間がいるからこそ唯一無二のものが出来上がるんですよね。」(勝)
唯一無二の仕事ぶりをいくつか紹介する。
左:和室の扉は、必要に応じて右手の戸袋に収納できる。
右:せっかくの梁を壁で塞ぎたくなかったとのことで、竹の吊り束だけで支えている
左:漆喰仕上げ。通常の漆喰よりも藁スサが3倍くらい入っていて割れにくい。ザクっとした仕上がりが特徴的だ。
右:シラス壁。九州南部で採掘された火山噴出物“シラス”が原材料。漆喰以上の吸放湿性能を持つ。マグマが生み出した天然のセラミック素材だ。
斜め張り天井に設けられたトップライトから優しく明かりが差し込む。キッチンはオリジナルで作製。
左:2階のリビング:ソファもオリジナルで作製。座面下は全て引き出し収納になっている。
右:六畳間のスペースに四畳半分の畳を引いて周囲を板張りにしてある。
子ども部屋はそれぞれ四畳半に作り付けベッドがあり、さらにその上に三畳のロフトが設けられている。ちょうどトップライトの部分にあるので明るさも十分だ。キッチン・ダイニングを見下ろせ、子ども心をくすぐる。
この家に限らずアトリエ・ヌックでは、いつも採用している技術や素材がある。その一つが“GA(グリーンエア)斜め張り工法”という工法だ。構造用合板を用いず、無垢の杉板を床や屋根下地の構造材として斜め張りにすることで、よりも高い耐震性能と自由な間取りを両立させる工法で、アトリエ・ヌックも開発に加わり水平構面の認定を受け、積極的に採用している。使用する材木は近くの山で育った低温乾燥させた杉材を使う。
「世の中的には、耐震強度を上げるために、厚い合板を張る流れになってきてしまっています。せっかく木軸で作っているのに耐力を全部合板に頼るのはどうかと思いますし、使われている接着材の耐用年数も不明な上、シックハウスの事を考えると多用するのも怖いです。」
「それから、近くの山の木を柱や梁だけではなく、なるべく多く使っていきたいという想いもあります。せっかく手間暇かけて育てた木がチップやパルプとして消費されていくのは寂しいですよね。伝統構法の建物が柔らかくて揺れを吸収してくれることは、もちろん理解していますし素晴らしい構法ですが、職人の技術なくしては成立しないので、今後それだけでは特殊技術になりすぎて、この国の〝木の家づくり〟は続けていけないのではないかと危惧しています。」
「日本にはこんなに豊かな森があるのだから、たくさんの木を使える一般化できる方法を追求したい。もちろん伝統構法での職人技が絶えてしまっては困りますが、私たちの主戦場はそこではなく、いかにたくさんある木という資源を使い尽くすかという方法を考えたいというスタンスです。」
左:ガラス張りの天井から、2階床下の“GA斜め張り工法”が見えるようになっている。
右:モデルハウス的な意味もあり、事務所の床にはケヤキ・クリ・サクラ・ナラ・モミ・マツ・ヒノキ・スギ・カツラ・ナシなどの木が使われている。
他にいつも採用しているものが、“セルロースファイバー”と“Baubio”という断熱材だ。
セルロースファイバーは壁と床の断熱に使われている。リサイクルされた新聞紙を主原料としている。断熱材として一般的なグラスウールは、筋交いやコンセントボックスなどを避けながら切って埋めていくのでどうしても隙間ができやすく、製品の断熱性能が良くても施工次第で性能が落ちてしまう。また端材も多く環境にも経済的にもあまり良くない。
一方、セルロースファイバーは、綿状のものを吹き込んでいくので筋交いの隙間でもコンセントの裏でも入り込んで完璧に断熱性能を発揮する。素材にはケミカルなものを一切使用しておらず、原料の新聞のインクも植物性なので安全だ。
「絡み合った繊維のおかげで吸放湿性能が非常に高く、土や漆喰の吸湿性・透湿性を妨げないので、漆喰など左官壁+セルロースファイバーという組み合わせも相性がいい。防音性能が高いのもポイントで道路が近いお宅にもおすすめですね。」
Baubio(バウビオ)は天然素材(ゾノライト系けい酸カルシウム)の断熱材ボード。GA斜め張り工法を露し仕上げとする場合に屋根断熱に使用する。本来耐火性の為に作られた建材だが断熱性能と透湿性能が非常に優れており、5cmの厚みで十分な効果が得られるという。
左:床板が部分的に外せるようになっており、セルロースファイバーに触れることができる。/右:階段下のシューズクロークは壁面に湿気や臭気を透過するBaubioを使用。
勝見さんと大工で建て主のTさん。二人とも笑顔が素敵だった。
アトリエ・ヌックの新井さんと勝見さんの作る家は、地元の木を存分に使いながら、現代の住まいに必要な性能を、人にも環境にも優しい素材で実現している。その上で、建主の暮らしの不便さを解決し、より〝豊かな普段の生活〟をいかに長く送ることができるかに焦点が当てられている。豊富な経験とバランス感覚があるからこそ成せる技だろう。
勝見さんとTさんの笑顔を見ていると、勝見さんの言う〝幸せな結果〟がそこにあるように感じた。
株式会社アトリエ・ヌック建築事務所 新井 聡・勝見 紀子(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)
埼玉県寄居町。古くからの森林をかかえる秩父にほど近いこの地で、木を生かした空間づくりを設計しているのが、小林一元(こばやし・かずもと)さんだ。
家や建物、さらには照明や小物まで木でデザインし、木の持つ可能性を最大限に引き出している。
「言われたことだけやるのはプロじゃない」と、施主のニーズのさらに上をいく提案で満足度を高めている。この細やかな仕事ぶりは、木を、そしてそれを扱う職人への信頼に支えられている。
小林さんの信念のひとつが、「家づくりは職人同士のチームプレー。
自分はその一員、設計係である」ということだ。その思いから、依頼された物件は設計だけでなく必ず施工監理まで請け負う。
「かたちになるまで責任を持ちたいんだ。それに、いいものを作ろうと一生懸命な職人さんたちと仕事できている。彼らと同じベクトルで進むのは単純に楽しく、ありがたいこと」という。
小林さんの事務所。かわいらしい猫の看板は小林さんをモチーフにしているという
小林さんは地元だけでなく、全国からの依頼に応えている。このため、物件によって、一緒に仕事をする職人や業者はさまざまになる。それぞれの現場に、小林さんは頻繁に顔を出して微調整を重ね、建物を完成に導く。
「図面通りに作ればいいものができるわけではない。木は一本一本違うから、現場で調整すべきことは絶対に出てくるし、意図とちょっと違う、という時のリカバリーにも早く対応できる」
現場で出たアイデアは、職人の長年の経験から生まれる貴重なもの。それを活かしつつ、工期内にも納めるという、施工監理の重要性を認識している。
建物に使う木材は、天然乾燥であることにもこだわる。多数派である高温機械乾燥の構造材や継手、仕口では、粘りがないことを実感しているからだ。
「家はほかのどんなものよりも長く使うものだから、丈夫で長持ち、というのは最低条件でしょう。特に構造材は一番重要だ」と話す。
やむなくプレカットを使うときは、図面を引く前に必ずプレカット工場を訪れ、一日かけて打ち合わせをする気合いの入れよう。何が出来て、何ができないか確認するのだ。
「今は機械でも、手刻みと同じように仕上げられる。けれど、機械の設定や木が読める人がいるかによって、精度に差が出てくる」と小林さん。機械が優秀でも、人間がそれを扱いきれていない場合もある。加えて、木は1本1本曲がり具合や乾燥具合が少しずつ異なる。機械的に同じ扱い方では、うまくいかないことも。
この工場は、どんな人が、どんなやり方で木と向き合っているのか、どんな機械で何ができるのか。チェックは欠かせない。気になる点は伝えて、対応してもらうという。
「口うるさい設計士って思われてるかもね。でも、手抜きは大っ嫌いなんだ」と小林さん
このスタイルで仕事をしてきた結果、現在、一緒に仕事ができているのは、木が読め、木の扱いに長けた職人たちだという。
信頼できる職人たちの職能を尊重すること。
チームプレーの中で、小林さんを支えるものだ。
職人への厚い信頼があるのは、「親父の影響だろうな」と話す。
父親は地元・寄居町で何代も続く大工で、木造建築のプロフェッショナル。木の扱い方、見極め方、傷がついた時のアドリブのきかせ方など、目を見張るものがあったという。「木ならなんでもできる、職人ならここまでできる、と思わせてもらった」存在だった。
その長男である小林さん。大学で建築を学び、東京の設計事務所で約10年働いた。地元に帰って貢献したいと考えるのは自然な流れだっだという。
それから、約30年。事務所は、地元のみならず全国からの依頼を受けてきた。多い時には5人ほどが所属していたこともあっだが、現在は小林さんひとりで切り盛りしている。
地元での仕事のひとつが、昭和初期続くの料亭「喜楽」の改修だ。
二階建てで1階に個室が3つ、2階が広間という間取り。
それぞれの部屋に使ってある木材の種類が違うので、雰囲気も異なる。それを残しながら、弱い部分や古くなった部分を補強したり、構造的に柱を足したりと、少しずつリフォームを重ねている。
2階に続く階段。立派な構造材も見ものだ
去年は、カウンター前のテーブルをリデザインした。これは、鎌倉時代の寺のはりだった木材を転用したもので、木材そのものに彫刻の跡がある。「重厚な雰囲気がこの店に合ってると思った」と小林さん。スペースに合わせて、大きさや高さをデザインした。テーブル裏には前の吸付桟と脚の痕跡が残り、見付は新しい店に合わせて削いだ。
天板の裏に彫刻の跡が残る。粋な演出が光る
木を使って小林さんがデザインしたものは、この店にいくつもある。「木ならどんなかたちにもできるし、古い建物に自然と馴染む」と実感する。
左:ある個室の照明。すべての座席に灯りが届きつつ、和風の部屋になじむスタイル。右:部屋の入口で、庭との隙間に設けた配膳台。変わった形のスペースにぴったりとおさまる
たいていのオーダーは、施主の「ここが使いづらい」など悩みから始まり、はっきりとした仕上がりイメージは描けていない場合が多いという。
小林さんはその悩みを丁寧に聞き取り、どうしたら解決できるかアイデアを膨らませ、かたちにしていく。
どんなに使いやすくても、家やその雰囲気となじまなかったり、形が洗練されていないのでは、「もったいないこと。デザインと規格(便利さ)は両立できる。それについて頭をひねるのが自分の仕事。わくわくするよ」と小林さんは笑う。
その根底には、父親から受け継いだ「木ならどんなことでも表現できる」という可能性への信頼がある。同時に、アイデアを形に落とし込める職人への絶大な信頼も。
「自分でも忘れちゃうくらいのつぶやきを、ちゃんと汲み取ってくれるのが、小林さん」と笑顔を見せる施主さんもいる。ときがわ町の幼稚園の園長さんだ。
ここは、新築の木造園舎が2019年の8月に完成したばかり。まだ、木の香りが残っている。
小林さんと園は、相談や視察を繰り返し「今までやってきて、いいと思えたアイデアを全部詰め込んだ。園児が本物の木の素晴らしさを存分に味わえる場所になった」と振り返る。
まず、園舎は床から壁から扉から窓の柵まで、ありとあらゆる部分が木でできている。
階段はもちろん、脇に設置した滑り台までも。部屋によっては、木製の登り棒が設置されているのだから驚きだ。
園児たちは全身で、木のぬくもりに触れられる。
木は調湿性に優れ、室内環境を快適に保つ。「どんな世代にもぴったりだが、特に、体を動かし、よく汗をかく子どもには最適だ」と小林さん。
さらに、平屋の園舎には越屋根をつけて、夏場は熱気が抜けていくようにした。
この越屋根があるおかげで、風がなくても一階の窓を開けると吹き抜けを通して室内の空気が動くのだ。
引越しは真夏の8月だったが、エアコンをつけることはほぼなかったというほど効果は抜群。
さらに、室内に光を取り込むこともできる。自然光はやわらかく部屋を照らしてくれる。
大きな窓に設置した柵ですら、木でつくった。園児が落ちないようにという目的だ。取り外しができるようにしてあるため、掃除や維持管理には不便がないように工夫をこらした。
それから、各教室の窓際には一段上げて、畳のスペースを設けた。壁の仕切りは障子でできている。
子どもは障子を破いたり、穴を開けたりすることが多いと考えられるため、新築では敬遠されがちだが、「今は自宅にすら畳の部屋がない家があり、畳を見たことも、触ったこともない子どももいる。日本らしい、自然を感じる気持ち良さを知ってほしい」という狙いがある。
障子も破れたら張り替えればよし、また、破れないように大切に扱うことを学ぶ機会になると、前向きにとらえている。実際にここでは皆おとなしくふるまうという。
木をふんだんに使いつつ、コストを抑える工夫も施している。
例えば、床板の厚さを場所によって変えた。子どもが走り回るホールは3センチ、各教室は2.4センチ。職員室は、使用するのは大人だけなので、1.5センチの厚みにした。
厚い床板を採用したホール。足の裏が気持ちいい
板が厚いと保温効果もあるが、その分価格も高くなってしまう。かといって部屋によって厚みを替えるのは、材料の発注や加工に手間がかかるため、一般的ではないという。きれいな板とそうでない板を、使い分けることも難しい。
小林さんは「施主さんの要望になんとか応えたい。そのためには、手間を惜しみたくはない」と力強い。
それから、建具は全て新しく作らず、一部、移転前のものや廃校になった学校のものを移設して使っている。
新しい木材と古い建具。歴史は全く違ってもしっくりと馴染むのは、木材が張り物などでなく本物の木であるからこそ。
これは、経費削減が目的だったが、意外な効果があった。
施主の園長先生は、「引っ越してぴかぴかの新しい園舎に、園児も職員も、嬉しいけれど少し緊張していた。前の園舎で見慣れたドアがあったことで、スムーズに馴染めたような気がする」。
再利用することは、モノを活かすだけでなく、そこにいる人の心の安定にも繋がるのだ。
裸足で走り回る園児たちを眺めながら、小林さんは「本物に触れることで、その良さは身をもって分かると信じている。そして、そういうものが残っていく世の中であってほしい」と目を細める。
料亭「喜楽」で、小林さんがデザインしたという配膳台を見た時、「木って本当になんでもできるんだな」と改めて感じた。かたちが中途半端な隙間にぴたりとはまり、主張しすぎない存在感。一見すると、見過ごしてしまいそうになる。
また、改修の時に気を付けることとして「どこを改修したのかわからないって言わせたい」と話していた小林さん。
主張しすぎない、変わらないということは、安心感を生み出し、穏やかに時を過ごせるということだ。なるほど、小林さんが作り出した空間は、単なる建物、ではなく、あたたかな空気感をまとっていた。
取材・執筆・撮影:丹羽智佳子
人間の経済活動や暮らしには、エネルギーを使います。現代社会では、その多くを石油・ガスなどの化石燃料に依存しています。しかし、これらの資源も無尽蔵ではなく、かつ化石燃料の多用が地球環境に負荷をもかけている現状もあります。そこで今、「省エネ」が、人間の経済活動や暮らしと地球環境との折り合いをつけながら持続可能な未来をつくっていくために国際的に共通課題として世界各国に求められています。日本でも、産業や暮らしの各分野での「省エネ」への取り組みをしており、「建築物の省エネ」もその重要な一翼をになっています。2020年の新春特集として「建築物の省エネ」にむけたアプローチとして木の家ネットで推奨する「気候風土適応住宅」について、お届けします。省エネを実現しつつ、それ以上の豊かな価値を多様にもたらす気候風土適応住宅の魅力を、たっぷりと感じていただければ幸いです。
「建築物の省エネ」について「室内と外部環境との関係」に着目すると、大きく二つの方向性があります。ひとつは「内|外」タイプ。これは、内と外にしっかりと境界をつくって、外界の影響を最小限にした室内を、高性能な冷暖房機械で空調する建築手法です。決め手となるのは、家と外とを遮断する「外皮」。高性能な断熱材や窓ガラスを用いて外皮性能をアップすることで、省エネを実現します。一般的に「省エネ住宅」といわれているのは、このタイプです。
左:「内|外」タイプ(外皮性能型)と右:「内⇆外」タイプ(気候風土適応住宅)
もうひとつは、これからお話する「内⇆外」タイプ 気候風土適応住宅です。室内と外の環境とは遮断せず、ゆるやかにつながる建築手法です。その土地の気候風土の陽射しや風などを取り入れ、外部の自然環境を積極的に活用し、使用エネルギーを低くおさえた暮らしを実現します。空調機器も高性能な断熱材や建材がなかった頃からある、昔ながらの伝統木造住宅は、このような知恵や工夫の結晶です。木の家ネットの多くのつくり手は、このような地域の気候風土にあった自然な暮らしができるような家づくりを志向し、実践しています。
1. 陽射しや風など、自然の恵みを生かす
2. 「和の住まい」を今の暮らしに
合った形で継承
3. 長寿命。製造エネルギーも小さく、自然に還る素材でゴミにならない。
地域内循環。広義の省エネ要素がたくさん!
「内|外」タイプ(外皮性能型)も、現代的な住宅を施工する上で水道光熱費を抑えるのに有効な方法ですが、自然との共生、日本の住文化や職人技術の継承、製造〜廃棄までのサイクルの長さなどを考えると、「内⇆外」タイプ(気候風土適応住宅)こそが、より広い意味での省エネになっているのではないかと私たちは考えています。
以前に木の家ネットの特集記事で使ったマーク。
日射や通風を活用した家。
職人がつくる木の家ネットがつくった「地域独自の気候風土適応住宅を!」のチラシ。クリックすると、PDFファイルがダウンロードできます。
昨今、開発は持続可能性と両立すべきものであるという「SDGs」が取り沙汰されていますが、「気候風土適応住宅」の実践は「SDGs」のいくつかの要素にもあたるとも考えられます。家づくりを通して、持続可能な社会をつくっていると確信できることは、私たちにとっても住まい手にとっても、嬉しいことです。
関係ありそうなピースを抜き出してみました。
7:エネルギーをみんなに そしてクリーンに
11:住み続けられる まちづくりを
12:つくる責任 つかう責任
13:気候変動に具体的な対案を
15:陸の豊かさも守ろう
持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)とは、2001年に策定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)の後継として、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っている。(外務省のWebサイトより)
以下に、一般的な省エネ住宅と気候風土適応住宅とについて、項目ごとに対比させてみました。理解の助けになれば幸いです。
「内|外」タイプ(外皮性能型) | 「内⇆外」タイプ(気候風土適応住宅) | |
壁 | 大壁づくりが主 | 土塗り真壁づくりなど |
建具 | 工業製品の高性能なサッシ | 地場産の木製建具 |
開口部 | 窓は小さくなりがち | 南面等に大きな開口 |
建材 | 木質系、工業系建材を多用 | 無垢の地場産材、土や紙など |
断熱材 | 性能の高い化学系 | 木質繊維由来など、自然素材 |
冷暖房 | 高性能機器で空調 | 陽射しや風を活用+薪ストーブなども |
「気候風土適応住宅」は、季節の暑さ寒さに応じて省エネを実現するたくさんの知恵と工夫でできています。さまざまな要素がありますが、いくつか項目に分けてご紹介しましょう。写真は、サスティナブル建築物先導事業(気候風土適応型)」採択事例の竣工物件のうち、木の家ネットのつくり手が関わったもの寄せていただきました。(写真の出典は記号で示し、凡例を文末にまとめました)
2020年に外皮性能基準の適合義務化に追加されるのは、300平米以上の非住宅建物のみ。小規模住宅については、設計者が施主に対して、その家がどのように省エネにつながるものかを説明することが、義務付けられます。その根拠は「外皮性能」でも、別の方法でもかまいません。この特集が「気候風土適応住宅」による省エネ手法の説明に役立つことを願っています。
軒を深く出すことで、高い夏のギラギラした日射しは室内に入れずにカットし、低い冬のぽかぽかした日射しは室内に取り込むことができます。「気候風土適応住宅」では、太陽高度を意識した軒の出し方の設計ひとつで太陽エネルギーを電気や温水に変換することなく、活用するのです。(このように直接ありがたく使うことを「ダイレクトゲイン」といいます)
「気候風土適応住宅」では、家の中に心地よい風が通るよう、建築的な工夫をします。南面に掃き出し窓を大きく開放するのが基本ですが、酷暑の夏は開けるとかえって熱風が入ることもあるので、庭に打ち水をして気化熱で涼を得る、よしずや簾(すだれ)を使うなど、暮らしの知恵で応じることもします。
掃き出し窓ほど大きく開放するのでなくても、天窓と地窓など高さの違う窓をもうけて空気の流れをつくる、欄間や無双窓などで外から部屋、部屋から部屋へと風が抜け道をつくるなども、有効な方法です。石場建てにすることも、床下の通風の確保につながります。風がうまく抜けるよう計画すれば、機械空調に頼ること少なくして日本の夏を気持ちよく過ごせるのです。
とはいえ、日本には四季があります。暑い夏は外とつながる風通しのいい住まい方が望ましくても、寒い冬は室内にこもって、ぬくぬくとあたたかく過ごしたいものです。季節に応じて暮らせる「気候風土適応住宅」のポイントとなるのが「建具づかい」です。
外回りに雨戸、ガラス戸、障子と建具を多層的に使います。敷居を何本もしこめばフルオープンにもできますし、一番外の雨戸にあたる建具を、百葉箱の壁のようなルーバー状の格子のものにすることで、防犯上安心な形で夜間通風を得ることもできます。季節によって、あるいは昼と夜とで、建具で外皮の状態を変化させて、室内環境をうまく調整するのです。
建具を開け閉てすることで、空間を広げたり、せばめたり。家そのものが呼吸するような使い方ができるように設計するのですが、中でも活躍するのが「障子」。窓の内側に一本、障子をたてるだけで寒さがやわらぎますし、閉めていてもやわらかい明かりをもたらしてくれるので、閉塞感なく使うことができる、優秀なアイテムです。昼間はおひさまが燦々とあたたかい縁側も、夕方からは居室との境にもうけた障子を閉めれば縁側空間そのものが「熱的緩衝空間」となり、居室を夜間の寒さから守ってくれます。たった「紙一枚だけ」のことですが、素晴らしい知恵ですね(破れていないことが前提ですが!)。
内土間や続き間などもこの「熱的緩衝空間」という考え方に通じます。必要や場合に応じて仕切って区切って、夏は広々と、冬はこじんまりと。可変性のある空間で季節や時間に応じた暮らしの工夫で、冷暖房機器に頼らない省エネをするのが「気候風土適応住宅」なのです。
気候とは、暑さ寒さだけではありません。雨風や湿気に応じることも「気候風土適応住宅」の大事な要素です。湿度の高い日本では、腐朽から家の劣化がはじまります。家の耐用年数が長いことは、確実に省エネにつながりますので、吸放湿性のある無垢材や自然素材を使用します。家が長持ちする上に、室内の空気もさらっと、気持ちよいものとなります。また、建築的にもその地域の風雨の強さや方向性などを考え、雨がかりや湿気のこもりやすい床下の対策などを考えます。
「外の自然環境を取り入れる」といっても、その外がアスファルトやコンクリートでは、逆効果になりかねません。大自然の中にある家でなくても、建物の周辺にほんの少し木があるだけで、建物周辺の地表面の温度上昇を抑制することができます。落葉樹を植えれば、夏は緑陰を楽しみつつ、冬は陽射しを取り込めます。庭とまでいかなくても、敷地の内外の境をブロック塀でなく植栽にするだけでも、家の周囲に微気候を形成しつつ、道ゆく人が季節感のある景観をもつくることができます。
夏は座卓、冬は掘りコタツとして使う。
「気候風土適応住宅」は、どこに持っていっても、誰が住んでも同じ性能を発揮する「箱」ではありません。そこが一般的な「外皮性能型」の省エネ住宅とのいちばんの違いです。
「気候風土適応住宅」のひとつひとつが地域に固有の気候風土に応じて計画する「一点もの」であり、また季節に応じて暮らす「住まい手」がいてこそ、成り立ちます。住まい手の主体性は「画竜点睛」の最後に描く龍の目のようなもの。建具を開け閉てし、すだれをかけ、打ち水をし、風鈴を吊るすことを四季おりおりに楽しむ。そんなライフスタイルを志向する人とつくり手との出会いが「気候風土適応住宅」を実現させるのです。
そんなことはありません!伝統的な意匠や、自然との共生を大事にしつつ、外皮性能をあげる努力も、できる範囲でしますので「昔ながらの、冬の我慢を強いるようなスカスカの家」とはちがいます。採択事例では、次のような工夫が評価されました。
・内壁が土塗り真壁でも、外壁に自然系の断熱材を
・断熱性能の高いガラスの採用
・建具にしゃくり等の隙間防止措置
それがどんな建築的な要素でできているか のみならず、その一軒の家を「誰がどのようにつくるか」も「気候風土適応住宅」の大事な要件となります。「地域の職人が地域の素材でつくり、地域の文化を継承する」ということが、「気候風土適応住宅」の生産体制の柱となります。これは、国交省だけでなく、文化庁や観光庁も関わる「和の住まい推進」とも連動する考え方です。
全国規模のメーカーで量産する部材を組み立てるのでなく、一軒一軒の家を、地域の職人が手刻みして組み上げるのが「気候風土適応住宅」です。若手を起用することで、技術継承をはかること、大工職人だけでなく、左官、建具、畳、瓦、板金など、大工とチームになってはたらくさまざまな職人たちの存在も重要です。
「気候風土適応住宅」では、近くの山の無垢材を使うほか、土、紙、瓦など地域の自然素材を積極的に使います。今回参考にした採択事例の申請書にも「八代産の畳表と藁床」「岡山の稲藁床と畳表」「八女和紙貼りの天井」「菊間瓦」など、地域の素材がたくさん挙げられていました。
家は私有財産ですが、家を建てることは、周囲の景観に影響をおよぼすことでもあります。「気候風土適応住宅」はいい景観を積極的につくっていくもの。外装に焼杉、縦格子、大和塀を使う、道路ぎわに生垣を設置する、既存の屋敷林を活かすなど、魅力にあふれた採択事例をご覧ください。
平成28年度の採択物件について、グラフにまとめたものです。基準一次エネルギー消費量に対して、実際に一年間住んでみての実測一次エネルギー消費量がかなり低く抑えられていることがおわかりいただけることでしょう。
基準一次エネルギー消費量:家の規模、住む人数、地域区分などに応じて、室温を夏場は27℃、冬場が20℃にするためのエネルギー使用量は、この基準以内に抑えなさいと定めた、基準値。行政庁認定の住宅用プログラムで求める
設計一次エネルギー消費量:設計者が計画した物件について、外皮性能や使用する冷暖房機器に応じて計算する、設計値
実測一次エネルギー消費量:実際に一年間住んでみての、水道光熱費の使用実態から積み上げた、実態値
「基準」「設計」については、サスティナブル先導事業(気候風土適応型)の公式Webサイトで公表されている数値を、「使用」については竣工後の住まい手の協力により収集した数値を使っています。「気候風土適応住宅」では実態値が基準値を大きく下回っているだけでなく、設計値と比べても低くなっています。設計値と実態のズレは、エアコン設置しない場合には効率の悪いエアコンを設置した数値に換算するなど、現在の算定プログラムの仕様が気候風土型と合っていないことや、プログラムにおける冷暖房の設定値などによるものと思われます。
■ 参考:平成28年度の採択物件 事例集
https://www.kkj.or.jp/kikouhuudo/dl/jirei/jirei28.pdf
(一社)環境共生住宅推進協議会 気候風土適応型 評価・審査室
※この事例集3例めの「大きな屋根の小さなすまい」では、かんな屑断熱材を天井断熱に使用しています。評価機関では、かんな屑を断熱材として認めないため、基準値を「断熱無し」と評価して122GJとしています。このグラフでは、かんな屑を断熱材と評価した場合の基準値として、62.5GJを採用しています。
ここまで「気候風土適応住宅」の建築面、生産体制面でのなりたちを見て来ました。「和の住まい」といわれる伝統的な木造住宅を、現代のニーズにあったかたちで新築することを「省エネ」という大きな文脈の中でどう位置づけると、どう評価したらよいのか。その捉え直しの作業の中で「気候風土適応住宅」という概念を整理できたのは、よいことであったのではないかと思います。
同時にこの「気候風土適応住宅」が、今後、自然と共生する持続可能な社会をつくっていくにあたって「省エネ」だけにとどまらない価値を生み出していることにも、気づかされます。省エネに至る道が「外皮性能」だけでないように、「省エネ」だけにかぎらない、多様な価値が「持続可能な社会」をつくっていくのではないでしょうか。「気候風土適応住宅」がもたらす豊かな価値について付記しておいきたいと思います。
地域内経済が活発になる。地域の技術を継承できる。型番の工業製品でなく、木があり、修繕ができる人が近くにいれば、直しながら住み継いでいける。輸送コストも小。地域資源の循環になる(木材、土、竹、藁など)
土に還る素材でつくり長寿命なので、LCAサイクル(生産から廃棄までにかかる二酸化炭素排出量)を低く抑えられる。建築廃材や倒木、間伐材などを薪ストーブや給湯使うことは、 化石燃料を使わず、ゴミを減らし、山の手入れにつながる。
あらわしの(小屋組、面戸板)真壁づくり、石場建てなど、点検が容易で補修や修繕がしやすいことは、耐久性向上につながる。長寿命であることは、なによりの省エネ。
土壁塗り、ヨイトマケなど、住まい手を中心とする「結」による家づくりや、土間や濡れ縁があることによる近隣とのつきあいの再構築は、支え合いのコミュニティーをつくる。床座でのミニマム、シンプルな暮らし(寝食居がひとつの空間で済む)。
以下の会員(50音順)に、採択事例の写真・資料を提供していただきました。
a.綾部 孝司(綾部工務店 )
b.高橋 昌巳(シティ環境建築設計 )
c.橋詰 飛香(野の草設計室 )
d.東原 達也(東原建築工房 )
e.古川 保(すまい塾古川設計室 )
f.水野 友洋(水野設計室 )
g.宮本 繁雄(建築工房悠山想 )
h.山田 貴宏(ビオフォルム環境デザイン室 )
i.和田 洋子(一級建築士事務所バジャン )
地域の気候風土に応じた木造住宅の建築技術を応用しつつも、省エネルギー化の工夫や現行基準での評価が難しい環境負荷低減対策等を図ることにより、長期優良住宅又は認定低炭素住宅と同程度に良質なモデル的木造住宅を実現する事業計画(プロジェクト)の提案を公募し、そのうち上記の目的に適う優れた事業提案に対し、予算の範囲内において、国が当該事業の実施に要する費用の一部を補助する制度(下記Webサイトより)。平成28年度からはじまり、年に2回の募集があります。
https://www.kkj.or.jp/kikouhuudo/
高橋 昌巳氏(シティ環境建築設計)
これまで、サスティナブル建築物等先導事業(気候風土適応型)事業に4回応募し、採択されてきました。「大工経営塾 第3弾」午前の部で、その申請ポイントを具体的に教えます!「気候風土適応住宅」に取り組んでみたい方は、ぜひおこしください。
「大工経営塾 第3弾」
日時:令和2年2月15日(土)10:00〜16:30
プログラム:第一部=10:00〜12:00 「サスティナブル先導事業(気候風土適応型)の申請ポイントを伝授」 講師=高橋 昌巳氏(シティ環境建築設計 代表)
第二部=「4月から、民法改正って知っていますか?〜瑕疵から契約不適合に!」 講師=秋野 卓生氏(匠総合法律事務所 代表社員弁護士)
参加定員:40名
参加費:木の家ネット会員5000円 一般10000円
会場:ワンコイン会議室東京 東京駅八重洲南口 大会議室2F
申し込みはこちら
※木の家ネット会員優先とさせていただいてます。2020年1月14日(火)までは、会員のみの受付となります。