「家はお客さんのためのものですから。求められる希望以上のものを提案し続けるようにしたいです。また、どうしたら1日でも1秒でも長く保つようにつくることができるか。常に考えるようにしています」

家づくりについてそう話すのは、東京から北海道に移住し、設計から大工まで一人でこなし、さらに猟と畑にも力を注いでいる《ヒトトキ》の代表 小塚祐介さん。

ご自身の工房兼事務所の工事の合間を縫ってインタビューに答えてくれた。

小塚祐介さん(こつかゆうすけ・42歳)プロフィール
1980年東京都生まれ。ヒトトキ代表。日本大学芸術学部デザイン学科建築コースを卒業後、山口修嗣棟梁に師事。3年間の大工修行を経て独立。2017年には二級建築士事務所を設立し、2020年に北海道網走郡津別町に移住。猟と畑と家づくりを主軸に、自分たちで賄えるものは、なるべく自分たちで賄うことをライフワークとしている。

自分で考えたものを、
自分の手で作りたい。

⎯⎯⎯ 建築の道に進んだきっかけを教えてください。

小塚さん(以下敬称略)「幼稚園の時の夢が大工さんでした。高校三年の時に、建築コースのある日本大学芸術学部の説明会を聞きに行き『俺の進む道はここだ』と直感で決めました。大学の授業では自分でデザインした椅子などを作ったりしていく中で、自分でデザイン・設計したものを、自分の手で作りたいと思うようになり、まず大工の道に進みました」


⎯⎯⎯ 修行時代はどんなことをされていたのですか?

小塚「山口修嗣棟梁のもとで修行をしていました。渡り腮(わたりあご)構法の第一人者である丹呉明恭建築設計事務所とタッグを組んで進める仕事がメインで、木組みの奥深さを実感する毎日でした。
山口棟梁の工房は群馬の山中にあるのですが、そこに住み込みで大工の見習いをしながら、ヤギ・羊・鶏などを飼い、畑仕事もやったりしながら、3年間寝食を共にして多くのことを学びました。その体験が今の生活のベースになっています」

「頭にずっと手拭いを巻いているから、日焼け痕がついちゃった」と恥ずかしがる小塚さん。

「頭にずっと手拭いを巻いているから、日焼け痕がついちゃった」と恥ずかしがる小塚さん。

⎯⎯⎯ その後、独立まではどんな道のりでしたか?

2005年からフリーランスとして下請けで伝統構法の住宅を手掛けたり、家具や建具の製作をはじめました。途中引っ越しなどを経て、2007年に東京へ戻り、2013年に《ヒトトキ》をスタートしました。

⎯⎯⎯ 《ヒトトキ》という屋号に込めた想いを教えてください。

小塚「人と木が、人と“喜”になる。そんな日と時を共有し、つくっていきたい。という想いを込めて名付けました。いい屋号が閃いたら完全に独立しようと思っていたので、結構年月がかかってしまいました(笑)。さらに4年後の2017年には《ヒトトキ二級建築士事務所》として設計業務も本格的に始めました」

⎯⎯⎯ ご自身で設計・デザインし、ご自身で作り上げるという学生時代の夢が実現したわけですね。実際に仕事をしていて強みに感じることはありますか?

小塚「設計者の視点と大工の視点で現場判断をするので、より良い解決策を考えられるという点ですかね」

⎯⎯⎯ 北海道に移住をされたのはどうしてですか?

小塚「関東でも住む場所を探したのですが、なかなかいい縁がありませんでした。

ちょうどその頃、狩猟免許を取りたいと思っていたのですが、北海道の標津町(しべつちょう)で、伝説の熊撃ちと言われている久保俊治さん ※1 が狩猟講座《アーブスクールジャパン》を開校すると聞き参加しました。何日も野営をして、食べ物は自分で捕まえるというスタイルで、野山を駆け回っていた時に『自分はこれだ。ここが自分の居場所だ』と理屈抜きで感じました。

母方のルーツが北海道にあるので、こちらに住んでみたいという夢はありました。東京で築き上げた生活のベースを捨てる勇気がなかなか持てなかったのですが、もう直感で移住を決めました」

※1 久保俊治さん
北海道標津町で牧場経営の傍ら羆猟師として猟を行う。著書に「羆撃ち」(小学館)がある。

建設中の工房のすぐ向かいの牧場では牛が草を食んでいた。

建設中の工房のすぐ向かいの牧場では牛が草を食んでいた。

近くには、旧国鉄 相生線(大正14年開業 昭和60年廃線)の駅跡を再生した相生鉄道公園がある。駅舎はカフェとして、車両はライダーハウス(簡易宿泊施設)として活用されている。

近くには、旧国鉄 相生線(大正14年開業 昭和60年廃線)の駅跡を再生した相生鉄道公園がある。駅舎はカフェとして、車両はライダーハウス(簡易宿泊施設)として活用されている。

⎯⎯⎯ 広大な北海道の中で、ここ津別町を選んだ理由は?

小塚「以前、ネットで見てずっと欲しいなと思っていたアイヌのマキリ(アイヌが愛用した片刃の小刀。木製の柄と鞘には緻密な文様が刻まれている)を、新橋のギャラリーで見かけてました。展示されていたアイヌの作家さんに『どうしても欲しいです』とお願いしたんです。後日譲ってもらえることになったのですが、丁度僕が狩猟の野営でこっちに来ていたので、ご自宅に寄らせてもらうことに。それが津別町だったんです。

行ってみると、すごくいいところで住みたいくなってしまいました。それから季節ごとに通っていましたが、いざ住むとなると準備が大変そうなので二の足を踏んでいました。

そんなある時、津別町の《地域おこし協力隊》の募集が1名だけあり、妻が応募してくれたんです。そして無事採用されて移住が現実のものになりました。ここの家と車もついていたので、準備に専念することができ、とてもありがたかったです」

北海道に導いてくれたマキリ。このマキリで鹿をさばくそうだ。奥にあるのはタシロと呼ばれる山刀。

北海道に導いてくれたマキリ。このマキリで鹿をさばくそうだ。奥にあるのはタシロと呼ばれる山刀。

左:初めて野山に駆けた時に落ちていたシマフクロウの羽とオジロワシの羽 / 右:アイヌのサケ漁用の銛(もり)、マレク

左:初めて野山に駆けた時に落ちていたシマフクロウの羽とオジロワシの羽 / 右:アイヌのサケ漁用の銛(もり)、マレク

⎯⎯⎯ 鹿猟はどれくらいの頻度で行かれているんですか?

小塚「我が家で食べる肉は100%猟で賄いたいと思っているんですが、今年は冬に2回しか行けていないので、そろそろ猟に出かけないといけないなと考えているところです」

⎯⎯⎯ 猟にまつわるエピソードを1つ教えていただけますか?

小塚「ある冬、作業場の近くの山でとても大きい雄鹿(100kg超!)が獲れました。そのまま引きずって、沢伝いに降りればすぐに帰って来れるだろうと考えていたんですが、かんじきを履いた状態で沢を3回も越えないといけなくて、すぐそこなのに四時間半もかかりました。狩猟の大変さを実感しました」

⎯⎯⎯ すごい体験ですね。猟の他にも畑もされていると伺いましたが、どんなものを作られているんですか?

小塚「畑は東京時代からずっと自然栽培でやっていて、こっちではまだ少しずつ開墾している状態です。向こうでよくできていた里芋があったので、親芋を持ってきていて、栽培の北限を超えているこの地で育つかどうか、ハウス栽培でチャレンジしています」

木がどうしたいのかを
もっと知りたい。

⎯⎯⎯ 家づくりの話に戻ります。北海道に来られて仕事のスタンスや考え方など、何かご自身の中での変化や気づきなどはありましたか?

小塚「まずは設計に関してですが、網走のカフェを設計した時に『コンセプトっていらないや』と感じました。今まではコンセプトを考えて、それに基づいて空間や形を決めていっていましたが、コンセプトという枠で固めることよりも、お客さんの希望や動線などを満たした上で、それ以上に奇を衒うわけではなく、純粋に美しいものを考えればいいかなと思うようになりました。
コンセプトで縛らないという面では楽になったんですが、どうやったら美しく見えるかを考え、感覚を磨いていかなければならないので、より難しくなったとも言えますね」

⎯⎯⎯ その網走のカフェの事例をネットで拝見しました。こだわりのディテールがたくさんあるにも関わらず、それぞれが喧嘩することなく高次元でまとまっていて、一つの空間をつくり出しているなと感じました。設計・大工・家具づくりまでお一人でされているからこそできる仕事なんだろうなと感銘を受けました。

小塚「ありがとうございます。設計士の『どうだ俺のデザインは!』とか、大工の『どうだ俺の技術は!』みたいなのは好きじゃないんです。繊細に見せるところとガッチリ見せるところをその都度考えて適材適所決めていっています。

建築中の工房横の土地に皆伐放置されていたタモ材を救出して使用しています。大正13年 (1924年)の新聞が壁の中から出てきたのでおそらくそれより前に建てられ、増改築を繰り返して今の木造三階建てになったのだと思います」


北海道 網走市 | カフェ

左:桂、山桜、栗、朴を使用した「森の引戸」/  右:オオワシの杢目のカウンターキッチン

左:桂、山桜、栗、朴を使用した「森の引戸」/ 右:オオワシの杢目のカウンターキッチン

左・中:「腰板は杉を割って雇い実で作りました。「和」に寄ってしまいがちな杉を柔らかく見せたくてこのような仕上げにしました」(小塚さん)/ 中・右:「木摺に土壁をつけてあえて割れさせる仕上げにしました。 左官は浦河町の野田左官店さんです」(小塚さん) 写真7点:日比野寛太

左・中:「腰板は杉を割って雇い実で作りました。「和」に寄ってしまいがちな杉を柔らかく見せたくてこのような仕上げにしました」(小塚さん)/ 中・右:「木摺に土壁をつけてあえて割れさせる仕上げにしました。 左官は浦河町の野田左官店さんです」(小塚さん) 写真7点:日比野寛太

⎯⎯⎯ 大工としての変化はありますか?

小塚「木のこと、木を組むことをもっともっと理解したいと思うようになりました。北海道ではカラマツ(唐松)※2 がどんどん伐採されていて、いいカラマツもほとんどが合板になってしまっています。また広葉樹に至ってはほとんどがチップになってしまっています。北海道の林業はかなり遅れているように感じます。こっちでは人工乾燥ばかりなので、天然乾燥を頼めるところがあると嬉しいのですが。人工乾燥材を一度使ってみましたが、『これは木じゃない。もともと木だったものだ。これでは木があまりにもかわいそうだ』と思いました。また、大規模伐採によって熊がどんどん森から出てきてしまうなどの弊害も生じてきています。

そこで、今建てている工房は、実験として全てカラマツを生木のまま使っています。まずはカラマツの特性や癖をきちんと知ろうと思ったんです。今までのいろんな木を見てきた経験を元に、ねじれが強いカラマツの癖を予測して組み方を変えています。内装に関しては、チップになる運命の広葉樹を少しでも救出するために、床や柱、家具などに使う予定です。木がどうしたいのかをもっともっと知りたいんです」

⎯⎯⎯ 今日は工房の建方を見せていただきありがとうございました。貴重な体験でワクワクしました。工房の奥に半地下の部分がありましたが、どういう部屋になるのでしょうか?

小塚「ここも実験のひとつで、寝室になります。イヌイットやエスキモーなどの北方先住民族の竪穴式住居やイグルー ※3 をヒントにしました。《地下》というと寒いイメージがありますが、外気と違って一定温度以下には下がらないので、寒ければ布団をかぶればいいですし、床下に土を敷いて薪ボイラーの熱線で土を温めれば、竪穴住居やチセの土間の蓄熱効果で底冷えしないのではと考えました。雪国に暮らしてきた先人達の知恵を活かす試みです」

半地下の寝室は実験の場

半地下の寝室は実験の場

小塚「それから太陽の暖かさも大切ですね。北海道でもやはり高気密高断熱の家が主流なのですが、暖かさでは太陽の光に勝るものはないですよね。寒く高緯度の場所なので、その大切さは他の地域より切実です。なので、太陽光を効率的に取り入れるようにして、断熱材は最低限のウッドファイバーを使い、過剰な断熱はしない方法で試してみようと考えています。さらに補足的に薪ボイラーの床下暖房を敷けば、かなり快適になるのではないかと考えています。
寝室は「寝るために特化した部屋」として、就寝時が快適なら良いので、朝日が入る程度の小さな窓にしています。目覚めたら太陽の光がたくさん差し込むリビングに行って温まるという流れを想定して設計しています」

⎯⎯⎯ 楽しみな試みですね。高気密高断熱の話題が出ましたが、北海道だと比較的適しているようにも感じるのですが、実際のところどうなんでしょうか?

小塚「机上の計算では確かに優れているかもしれませんが、実際解体してみると気密性が高いほど、どこかにシワ寄せが出てくるなと実感します。高気密にしておいて24時間強制換気するという考え方がそもそもすごい矛盾ですよね。しかも、その空間はケミカルなもので満たされている訳です。それよりも、中気密くらいで高断熱、そして蓄熱と調湿のできる家の方が北海道の気候風土には合っているんじゃかいかと思います。それを実現できる木組みの家を考えていきたです」

※2 カラマツ(唐松)
北海道ではスギ・ヒノキに代わって、唐松(カラマツ)が積極的に植林されてきた。育苗が容易で、根付きが良く、成長も早い。繊維が螺旋状に育つため、割れや狂いが生じやすい。その反面、硬くて丈夫なので、将来は炭鉱や工事で使う杭木や電信柱としての活用が期待された。しかし、時代が変わり当初の需要はほとんどなくなり、現在では構造用合板や集成材などが主な活用路となっている。

※3 イグルー
北米の狩猟民族「イヌイット」や「エスキモー」の伝統的な雪の家。見た目は日本のかまくらに似ているが構造は異なる。かまくらは、雪を積み上げ内部をくり抜いて作るのが一般的だが、イグルーはブロック状に圧縮した雪を積み重ねていく。また、かまくらは寝泊まりには使用しないが、イグルーは冬の間の住居として使用される。

自ら設計して、
自ら建てる。

ここでいくつか事例をご紹介する。設計・大工・家具づくりまで一人でこなす小塚さんだからこそできる仕事の一端をご覧ください。


工房兼事務所

まず紹介するのは、自宅近くに建設中のご自身の工房兼事務所だ。取材に先立ち、建方の模様を拝見した。

今年新たに木の家ネットの会員に加わった小坂さんの姿も。

今年新たに木の家ネットの会員に加わった小坂さんの姿も。

きれいな仕口を近くで見ることができた

きれいな仕口を近くで見ることができた

後日送っていただいた屋根仕舞いまで完了した状態の写真。美しい。 写真:小塚さん

後日送っていただいた屋根仕舞いまで完了した状態の写真。美しい。 写真:小塚さん

生木のカラマツを、ねじれを考えながらトラス構造で組み上げていく様子はまさに職人技。抜群のチームワークでこなしていく。自ら設計して、自ら建てる。しかも自らの実験の場として。小塚さんの生き様を感じた。


東京都 江東区 | ハンバーガー店「LOUIS HAMBURGER RESTAURANT」

ここは小塚さんのお兄さんがはじめるお店。「Back to the Future IIIのようなウェスタンにして欲しい」との要望に応えるべく鋭意工事中。主要な木材は北海道で刻んで持って来たそうだ。

小塚「建方は仲間と兄の都合がつかず、なかなか大変でしたが一人で組み上げました。ヒヤヒヤする場面もありましたが… 中央のシンボルツリーには胡桃を使いました」


麻布十番 | 和食「お川」

小塚「大将がお一人で営業されてるカウンター席8席、テーブル席4席の小さな日本料理店です。大将の丁寧で丹精込めた料理を調理中の姿を眺めたりお話したりできるよう、オープンな空間を心がけました。お一人様でも退屈しないように全ての壁を違う仕上げにしました。市松模様の「途切れることなく続く」という意味を込めてモチーフにしました」


香川県木田郡三木町 | ラーメン店「ねいろ屋香川三木店」

カウンターのデザインと施工と担当。都内の荻窪店と神保町店にも携わっている。

大きく稼がず、
小さく暮らす。

⎯⎯⎯ これからの展望や目標などを教えてください。

小塚「先ほどの話にもありましたが、北海道では木材の乾燥は人工乾燥に頼りきっているのが現状です。仲間と水中乾燥や氷中乾燥を試していこうと話をしています。また山と直接つながった生活をしながら、チップ材にされてしまう前に、いい木を救っていきたいですね」

⎯⎯⎯ 氷中乾燥というのは初めて耳にしました。どんなメリットがあるのですか?

小塚「まだまだ実験段階ですが、湖や沼が結氷することで材が完全に水中に沈むことによって、より均一な浸透圧で水分ヤニが抜けることが期待できます。鹿肉や鮭の寒干しやルイベのように、北方ならではの知恵でデータでは得られない何かがありそうな気もしています。広葉樹の場合、木に入り込んだ虫をそのまま死滅させることも期待できます。デメリットは、結氷前に入れないと氷を割るところからしなければならないことと、氷が溶けるまで引き上げられないことです」

⎯⎯⎯ 木のことの他に、設計などに関してはいかがですか?

新築の設計実績がまだないので、自分の手で設計施工をやっていきたいです。それと、家具づくりも突き詰めていきたいです。オーダーがあって急いで作るんじゃなくて、自分がいいなと思える家具をしっかりと作っていきたいです。

⎯⎯⎯ 大事にしていることやモットーなどがあれば教えてください。

小塚「大きく稼がず、小さく暮らすこと。ですかね。お金が全てみたいな世界がすごく嫌なんです。
もちろん、現代で生活していく上で、経済活動から完全に抜けることはできませんが、猟をして畑をして仕事をしてというお金だけに頼らない暮らしをしていきたいです」


屋号である《ヒトトキ》の意味は『ひととき』であるのはもちろんのこと、『人と木』であり『人と喜』や『日と時』であるという小塚さん。インタビューでの優しくも芯のある言葉には、思いやりや感謝の念が感じられた。その気持ちは、家づくりに関わる人にだけではなく、木や動物、植物など、自らを生かしてくれている自然そのものにも向けられたものだ。

そんな想いを持った小塚さんが生み出すさまざまなものが魅力的でないはずがない。

自然のあらゆるものや現象に、カムイ(神様)が宿っているとされるアイヌの価値観と通ずるものがあるのは決して偶然ではない。

ここが彼の居場所であり、生きる道だ。


ヒトトキ 小塚祐介さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)

「木や土、石を使った日本の伝統的な技術で建てた家は美しいですし、とても心地のいいものですが、“特別な人が住むもの”と思っていらっしゃる方が多いと思うんです。そういう方にこそ、木や土のぬくもりや味わい、快適さを知っていただきたいし、日本の家づくりのスタンダードになってほしい」

そう話すのは、木の家設計室アトリエ椿の代表で建築士の笠原由希さん(かさはらゆき・48歳)。

住む人の暮らし方にふさわしく、無理のない形での伝統技術や自然素材を取り入れた家づくりやリノベーション、リフォームを行っています。

もちろん暮らしにふさわしい形、心地よさは人それぞれ。本人さえも気がついていないこともあると笠原さんは言います。この重要なポイントを汲み取ろうと、依頼主やその家族、周囲の人にまで真摯に向き合う笠原さんの、千葉県柏市にあるご自身の作品であり生活の場でもあるアトリエに伺いました。

実際に生活する感覚をリアルに描けるようにと、クライアントとの打ち合わせは自宅アトリエで行っている笠原さん。3世代で木の家に暮らし、木の家が持つ“世代を超えた包容力”を感じているとのこと。そのことを証明するように、力強い梁は、元気いっぱいの娘さんの遊び相手にもなっていました。


11年が過ぎても清々しい香りのする家

⎯⎯⎯ 笠原さんのアトリエでもあるご自宅にお邪魔して、まず感じたのは、すごく清々しい木のいい香りがすることです。なんとも気持ちがいいですね!

笠原さん(以下、敬称略)「住んでいると気がつかなくなっているのですが、そう言ってくださるお客様は多いですね。このアトリエは建ててから11年が過ぎているのですが、まだ木が香りを放ってくれているんです。
香りも人の体や心に与える影響って大きいと言われていますよね。自然素材は見た目や匂いの癒し効果だけでなく、室内の湿度を調整したり有害な化学物質を吸着したりといった実質的な効果がある住む人に優しい素材です。心身の健康を考えるうえでメリットは大きいと経験的にも思います」

⎯⎯⎯ ホームページを拝見しても、家と健康の関連をとても大切に考えていらっしゃるのがわかります。そもそも住環境に興味を持ち、家をつくる仕事をしようと決められたことと何か関係していますか?

笠原「住環境に興味を持ったのは、夫の仕事の都合でスイスで暮らしていた時です。それまでは会社勤めで忙しくしていたのですが、退職しました。現地は日本人はほとんどいないようなところで、知り合いもいなくて。日中ひとりでクヨクヨと家にいる日々が始まりました。
二重の意味でライフスタイルが変わったなかで、私の心の支えになったのが住環境でした。家に居て窓の景色を見たり、散歩して町並みの美しさに触れるうちに、自分の中の焦りや孤独感が消えて、だんだんと気持ちが癒されていきました。移住がきっかけで住まいや周囲の環境が心に与える影響の大きさを知ったんです。
恩恵は十分に感じているのですが、何に癒されたのか言葉で説明できなくて。住んでいた家に関しては日本の家屋に比べて広かったですけど、ごく普通の築40年くらいの家でした。私自身がその“心地よさの正体”を知りたくて、これが建築の道に進むきっかけになったと思います」


笠原さんが設計した、千葉県柏市の緑豊かな高台に建てた木と漆喰の新築家屋。四季を通じて、どこからでも緑が見える家です。天気のいい日は、リビングのガラス戸を全開にすれば、室内と庭をひと続きにしてくれるえんがわと土間がなんとも魅力的。

1から物をつくる仕事がしたかった

⎯⎯⎯ 帰国されてから建築のお仕事を始められたのですね。

笠原「はい。その前から勉強はしていたのですが、店舗や工場、たまに住宅も扱うような建築事務所に入れていただき、今のキャリアをスタートさせました。
図面を描くことは好きでしたが、実際に仕事を始めたら、カタログやショウルームで既製品の建材を選んで組み立てていくだけという印象があって思っていたことと違っていました。

もっと住む方の暮らしにあわせた設計がしたい、気持ちに寄りそった家づくりがしたいと強く思いました。
そしてご縁をいただいたこともあり、木の家ネットの会員でもあるけやき建築設計さんや、古民家再生を得意とする工務店との仕事を通して、木の家づくりについて勉強させていただきました。
そこで改めて日本の木造建築の素晴らしい技術を学び、1からつくり上げる家づくりの楽しさや、木の家の心地よさについても知ることができました」

⎯⎯⎯ 笠原さんが感じた日本の木の家の魅力は、どのようなところでしょうか?

笠原「木の家の魅力は、すでにこのインタビューにご登場されている先輩方が語りつくされていると思いますが(笑)、自然素材の表面の穏やかで深みのあるテクスチャーやさらっとした空気感は、人工的なマテリアルや空調では再現できないものだと感じています。
実際に私自身が木の家に暮らしていてありがたいと思うのは、古くなっても、あまり神経質に掃除をしなくても、許容してくれるようなおおらかなところです。多少の傷は味、といいますか。

ただし、設計者がそれを言ってはいけない部分もありますので、自然素材を扱うから仕上がりがラフでいいということではなく、許容範囲内のばらつきなのか、それ以外なのかを判断するのも監理していくうえで必要ですし、設計段階でもなるべくシンプルになるように心がけています」

⎯⎯⎯ おおらかな空間、それだけでリラックスできそうですね。

笠原「それから、やはり心身の健康にいい影響があることも木の家の大きな魅力です。
それは自然素材という安全な素材を使っているからということはもちろんですが、色々な働きというかメリットを生みだしていると感じます。
私はスイスで出会ったバウビオロギーというドイツ発祥の建築生物学・生態学をずっと学んでいます。“家は大きな洋服である”という考えのもと、素材の安全性、匂い、音の反射、電磁波、色、カビ、化学物質、循環つまり廃棄するまで建材がエネルギーとして収支が取れているか、という視点で人が人らしく暮らせる家について研究する学問です。

日本の伝統技術や自然素材でつくる木の家は、これらの指針のほとんどをクリアしています。
私はプラスして、電磁波というか電気の影響を受けないように、人が長時間過ごす所の床には電気配線を通さないように工夫をするといったこともして、学びを活かしています」

埼玉県久喜市のプロテスタント教会。「キリスト教の方にとって教会とはどのような存在なのか、安易に想像しようとせずに、聖書を読みミサにも参加して学ぶことからはじめました。おかげさまで、お客様の暮らし方や心地よさに寄り添うということを改めて学び直しました」と笠原さん。牧師さんからは健康状態が整うような素材によるリノベーションをというリクエストでした。体に優しい建材にこだわったうえで、木の温もりと光の優しさをとり入れて、幼いころの学舎のような安心感のある祈りの場となりました。

家が持つ“心地よさ”の正体を探して

⎯⎯⎯ これまでのお仕事のご経験で、先ほどおっしゃっていた“心地よさの正体”は見つけられたのでしょうか?

笠原
「いえいえ。それはまだ勉強の途中ですし、一生探し続けると思います。
人が心地よさを感じるには、五感が働くだけでなく他の要素もあるような気がしています。
例えば木造建築の中でも、わびさびに代表される和の美意識や遊び心にあふれた茶室。広い部屋はのびのびと過ごせるよさがありますが、茶室の隣の人と肩がぶつかりそうなあの狭さだからこそ、一つの宇宙を感じるというか、何かに包まれている感覚があって心地いいですよね。ではどのように形にしているのかというと、やっぱり説明できませんね。

そこに身を置く時が私にとって至福の瞬間で、少しでもその世界観に近づけるように、お茶の稽古にも通っています。じつは茶花といえば椿なので、アトリエ名も椿を入れさせていただきました」

⎯⎯⎯ なるほど、広ければ心地いいとは限りませんね。

笠原
「そうですね。他にも、新築の家のフレッシュで清々しい空気感も魅力ですが、古民家には古い木材や漆喰の壁に囲まれた、温かく懐かしい空間があり、今の一般的な家づくりで使われる新建材ではとうてい出せない豊かな表情を持っています。

価値は多様で、さらに人それぞれ。もちろん心地よさも。ですから家づくりはこうでなければ、という制約はなるべく設けないようにしています。特に、古い家のリノベーションなどでは、大切にしている持ち物や変えたくない暮らし方など、ご家族にしかわからないストーリーがあります。なるべくお気持ちに寄り添いながら、生活が楽になるご提案をしたいです。

木の家で80代後半の義母と同居したり子育てをしたりしている生活者としての私の経験を、設計にも活かしていけたらと思っています。女性ならではの視点も活かしたいところですが、最近は家事や家電に詳しい男性も多く、お客様に教えていただくことも多いですね」

車椅子で使用するバリアフリーのキッチンを設計、ダイニングのプランニングやテーブル、収納のデザインも笠原さんが担当。バリアフリー用の設備機器はデザインや寸法の面で選択肢の少ない中、木造にし専用に設計することで、お客様と車椅子の高さと体の状態に細やかにあわせた設計になっています。 動きやすさを大切にしながらもキッチンが丸見えにならないよう、セミクローズのスタイルに。


埼玉県川越市の古民家を再生。「一部取り壊した既存部の梁を移築して古い家の生活の記憶を繋いでいます。80年前の職人さんの削り跡も生で見られるのですから、高い技術を継承できる大いなる遺産ですよね」と笠原さん。劣化の激しかった北側水周りなどを取り除き“離れ”として再生しました。

木材の一本一本もすべて出会い

⎯⎯⎯ 建築士である前に生活者としての眼差しを大切にされているのですね。

笠原「家という場所は、食事をして睡眠を取って、仕事や勉強をして、家族とのコミュニケーションを取って、と、私たちの身体や心の基礎をつくる場所です。感染症の蔓延や緊迫した海外情勢などで先行きの不安や閉塞感が広がるなか、家の中に目を向ける人が増えてきているのは必然のこと。私もそのひとりとしてお力になりたいと思っています。

一方で作り手として大切にしていることもあります。なるべく真壁で作ること。柱や梁などが見える真壁は木の姿の美しさを味わえます。
もう一つは、どうしても日本は地震の問題がありますから、木の家の強度を高める意味もあって、“手刻み”にはこだわっています。
予め木材を切って搬入せず、現場で木材どうしの組み合わせを見て調整し、梁(はり)や桁(けた)、柱それぞれの木材の接合部分をつくってはめ込みことで、嵌合(かんごう)がしっかりした安全な骨組みをつくることができます。

これは、昔ながらの伝統技術を身につけている大工さんでなくてはできないことです。木の癖を読んで配置を決めてくださるので、人の感覚の方が信頼できるなと、いつも感じます。
そんな大工さんから『あの木はいい目だったから、和室のここに使ったよ』と誇らしげに言われると、幸せな出会いだなと思ってうれしくなります」

⎯⎯⎯ お客様と笠原さんの出会い、笠原さんが依頼した腕利きの大工さんと出会って、木材との出会いもあり、さらに大工さんが木材のどの木目を見せるか選んで……。たくさんの選択肢のバリエーションがある中で、茶道ではないですが一期一会的ですね。

笠原「そうですね。木も一本一本が出会いですから、隠さない形で表情豊かに使いたいという思いはあります。使命感に近いかもしれません。だから真壁が好きなんですね」

笠原さんは3年前から、千葉県柏市にある「下田の杜」という里山公園の古民家再生プロジェクトにボランティアとして参加しています。「建築士として同業と仲間と構造を調査して修復のための図面を引いただけでなく、実際の修復作業もしています。経験豊富な大工さんの指導を受け、下手! と怒られながら(笑)」。取り除いた瓦を廃棄せずに活かしてつくられた水落ち。月1回の手作業のため完成まで半年かかったとのことですが、波打つ小道のようでその美しさが目を引きます。

家の一部でも伝統技術と自然素材を

⎯⎯⎯ 今後の目標、ミッションとして取り組んでいることを教えてください。

笠原「私の目標は、日々の活力を養ったり、弱っている心身を癒したりするのに、無垢の国産材と熟練の職人がつくる心地よい“ゆらぎ”のある空間や、化学物質に汚染されていない安全な空気、安心して呼吸できる家を確実にお届けすることです。
そのような家づくりがいつの間にか標準的なものから外れ、こだわりのある人にしか届かないようになっているのは残念なことです。

家のすべて、構造から伝統技術と自然素材でつくるとなると、どうしてもハードルが高くなります。費用もかかるだろうからと最初から諦めている方も多いのではないでしょうか。
部分的にでもと言いますか大切な場所に、できる範囲を一緒に考えさせていただいて、たくさんの方の住環境に木や漆喰の壁などを取り入れていただき、楽しんでいただきたいと思っています。
そうやって木の家が増えていき、木の家に住むことがスタンダードに戻ることを願っています」

⎯⎯⎯ そのためには木の家の居心地をたくさんの人に知ってほしいですね。

笠原「希望を感じるのは、地元の古民家再生の活動などを通して、子ども達や学生向けの講座やワークショップを開く機会が増えていることです。日本の風土にあった昔の暮らしや地場産の家づくりについてや、それが地球環境にもつながっていることを次世代に楽しく伝えていけたらと思っています。

かつて海外で暮らしていた経験から、日本固有の文化を知りたいと思ったのが古民家に目を向けたきっかけでしたが、昔の瓦や土壁で出来た建物やダイナミックな空間が、シンプルに格好いいと感じました。
歴史的なものや構造よりも、まずはデザインが気になったんですが、古民家に目を向けると、周囲の町並みや土地との関係も自然と目に入るようになりました。昔の人は、暮らしの中に電化製品も無かったし、重機で土地を開発することも無かった。そのぶん、自然環境を利用する知恵が蓄えられてきたのだと感じます。

現在、保存活用に関わっている古民家も里山の中に残っているものですが、建物が無くなってしまうと、昔の人の生きる知恵もうやむやになってしまう。ただ懐かしいから残す、これはとても大切なことですが、それだけではなく、なぜこの建物がこの場所に建っていたのか、現在の住宅と何が違うのか、周りの環境はどう変わったのか、一軒の古民家でも沢山のことを教えてくれます。学びを深めながら、それをつないでいきたいですね」

設計の中でもとくに耐震強度の面を担当している笠原さん。「この古民家にはまだ使える脱穀機などの民具が残っていて、ここは、子どもたちが実際に昔の暮らしぶりを体験するワークショップも行える展示施設にする計画になっています。ですから、安全な建物にすることは重要なミッションです」。
青に染められた漆喰の壁が粋な隠居部屋は、この日、普段は寺社も手がける熟練の大工さんによって床下の建替えが行われました。「彼らもボランティアなんです。次世代に大切なものを残したいという強い気持ちが、全員の中にあります」


インタビュー中の笠原さんは、言葉を慎重に選びながらお話される方でした。その姿勢は、「知ったつもりになっていないか、決めつけていないか」ということを、つねに自分に問いかけているよう。
こうやってお客様や職人の方々、木や土、石や紙などの素材、家のまわりの景色と丁寧に対話をしながら木の家をつくっている、仕事中の笠原さんの様子もありありと想像されました。
そして、住む人、訪れる人、通りすがりにその家を目にする人たちの幸せをつねに願っている笠原さんの家づくりは、まるで祈りを形にする行為のよう、そう感じました。

木の家設計室アトリエ椿 笠原由希さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:小林佑実(Yuumi Kobayashi)
写真提供:笠原由希さん(アトリエ、栗橋キリスト教会リノベーション、バリアフリーキッチン)、小野寺崇貴さん(柏市 土間のある家)、畑拓さん(川越市 築80年の古民家再生)

岐阜県の水野設計室が設計を手掛けた民家たちは、室内も床下も、スーッと風が吹き抜けていく。大地が呼吸する石場建ての心地よさ。これに魅せられた水野友洋さんは、職人さんのみならず、建主さん、そして素材をつくる生産者さんとともに、土壁や三和土や石積みや環境改善といった”令和の古民家づくり”を誰よりも楽しんでいる。

水野さんの家づくりは、言葉どおり建主さんが主役だ。

愛知県幸田町の築100年を超える古民家を改修した建主さん夫婦は、構造など専門的な工事は職人さんに任せる一方で、減築部分の解体から古竹や古土の回収、それを再利用した土壁塗りや三和土まで中心的に作業に参加した。

さらには、茅葺き屋根の茅刈りから葺き替えの作業にも参加し、その下に据えた囲炉裏は自ら作った。

囲炉裏は、茅葺き屋根はもちろん家本体から家周辺までを長持ちさせるための手段の一つだと考えているとは言う。特に雨の後に火を入れる事で、大地から茅葺き屋根まで全体の空気や水を動かすことができる。

建築当初は板間に囲炉裏は設置してあったが、改修を経て撤去されていたものの、今回の工事で新たに設置した。囲炉裏をつくる専門の職人さんが見つからなかったこともあるが、「石を積み土を塗る」という作業は、土壁塗りを経験した建主さんには「できるかも」と映り、挑戦したという。

生活が始まってからは、暖をとったり、肉や野菜を焼いたり、湯を温めたりと家族だんらんの中心になっている。

建て主さんの愛息の小学生が、手慣れた様子で囲炉裏に火をつける

建主さんは「家づくりの楽しさをめいっぱい味わえて、水野さんには感謝です」と笑う。

といっても、最初から家作りに参加しようと決めていたわけではない。そこには、水野さんの仕掛けがあった。

水野さんは今までの建主さんたちと一緒に「土壁会」というグループを作り、活動をしている。一言でいうと、伝統工法の建築や土木が好きな方々が集まる趣味の会だ。
例えば、竹小舞や土壁や三和土や環境改善など誰かの家作りの作業を手伝い合う共同作業の時もあれば、職人さんを招いて見学会やワークショップを企画し勉強する時もあるし、引き渡しを済まして数年経過した建主さんのご自宅におじゃまして雑談する時もある。

建主さん達は興味がある時に参加する。水野さんから設計中のお客様や、伝統工法に興味をもち問い合わせた方を誘う時もある。

建主さん達にとっては、他の建主さんの暮らしの工夫など情報交換をする場となり、これから家作りが始まる方にとっては、先輩建主さんの話を聞いたり質問したりする場となる。やはり同じ興味を持った方々が集まると、繋がりも広がり、毎回盛り上がるという。

土壁塗りワークショップの様子

水野さんはこう考える木材が割れたり土壁に隙間ができたりと、自然素材を使うがゆえに既製品のようにいかないことばかりである。建主さんが実際に見て自分で手を動かして作業に参加することでその理由を理解し、納得して頂いてから設計に進みたい。

そうすることで、職人さんはクレームを恐れず自信をもって仕事に向き合って頂けるし、建主さんは維持管理の方法を理解し家を住み継ぐ事に自信を持って頂けるなど、いいことづくめだという。

幸田町の建主さんは「茅葺は雨漏りするからだめ、ビニールを貼ろうというのではなく、雨漏りするけどすぐ渇く様にしようって考えてる水野さんの考え方には驚きましたが、納得しました」と話す。

また、「古民家改修といっても、最初は何から手をつけたらいいのか全くわからなかったんです。共同作業に参加したり、そこで水野さんや他の建主さんの話を聞いて『こんなこともできるんだ、やってみたい』って具体的に動き出せました」と、つながりから産まれた縁に感謝する。

改修工事は構想から約5年の長期進行となった。2020年2月に住み始めたがが、自分で家の前に石垣を積んだりビオトープを作ったりと家づくりは続いている。会社の昼休みに一時帰宅して作業するほど、「家づくりが楽しくてたまらない」と言い切る。仲間とふき替えた茅葺き屋根の小屋裏ではなんと蚕まで飼い始めた。糸をつむぎ、布を織るという夢も広がる。

縁側から見えるビオトープもアップデート中

水野さんに依頼する建主さんのほとんどが、ウェブページからの問い合わせだ。水野さんが「伝統工法や自然素材にこだわる建主さんはいい意味でこだわりが強い。僕じゃ受け止めきれんなって思うこともあるほどで、『土壁会』の仲間たちがその火種に火を付けてくれて、いい循環になっていると思います」といえば、建主さんは「だって、水野さんが一番楽しんでいるもの。『こんなのもあるよ、あそこへみんなで行ってみよう』って、わくわくしてるじゃないですか。こっちものせられて、盛り上がっちゃいますよ」と笑う。

現場見学会の様子、土壁会の活動は丁寧に写真に残し、なるべくリアルタイムでウェブページで発信するようにしている。ブログでは、家づくりへの考え方や抱えている悩み、勉強中のことまで飾らずに語る。

環境保護とは?もがいた20~30代

伝統工法や自然素材を活かし、日本の気候風土で、永く生き続ける家をつくりたい。このような想いを胸に建築と向き合う水野さん。

父親が建築の設計事務所を運営していた水野さんが、高校生の頃に「沈黙の春」という本との出会いがきっかけで、興味が向かったものは環境保護だった。大学ではその解決策を探るために化学を専攻した。卒業後は世の中の仕組みをもっと勉強しようと金融業界で働いた。子育て中の20代後半に、自然との循環の中で成立していた伝統的な暮らしに興味が湧き、今暮らしている岐阜の実家に戻り、畑や田んぼ、山や民家に関わった。農薬を使わず自家採取で続けてきた天日干しの米作りは今年で12年目になる。

のどかな雰囲気の事務所兼住宅

30代前半で父親と同じ建築の道にゼロから進んだ時も、「自然を壊さない建築をしよう」という考えは大前提としてあった。「なので、建築は独学で勉強したということになるのかな」と水野さん。時代はプレカットや合板や集成材などに切り替わっていたが、地元には手刻みや土壁など伝統工法の家づくりが残っていた。外部も内部も「真壁」で、構造を意匠として現す。そんな自然と循環する家づくりについて、職人さんたちから学んでいった。

同じエリアで活躍する各務工務店の各務さんとの仕事がきっかけで木の家ネットを紹介して頂き、当時事務局だった持留さんから、多くの事を学びいろんな方と繋げて頂いたおかげで今があると振り返る。

学生時代から環境保護について考えた時、自分自身で納得できる答えはずっと見つからなかったという。

「道も電気も市場も無いと回っていかないけれども、今はまだ壊す自然が残っているから回っているだけ。今後人間と自然が共存できる世界に一歩でも前進する為に、私に出来る事は何か無いだろうか」。そんなことを考えていたという。

建築の中で何が出来るか考えた時に、建築サイクルを遅らせて建築のゴミを少なくする事、つまり長持ちする家作り、永く住み継いでもらえる家作りをしようと考えた。
行きついた先が日本の民家であり、家が呼吸し維持管理しやすい真壁構造で作る為に「木組み・土壁・石場建て」の家作りをやってきた。ただ、ゴミが減ったとしても、後ろに下がるのが減っただけで、一歩も前進していない事は、ずっと納得できていなかった。

糸口は「土中環境」

その解決の糸口になりうる可能性を感じたのが、2020年の夏に出会った「土中環境」という本だった。

この本をきっかけに、土木の講座やワークショップに参加するようになり、自然環境を改善する為には、土中の水と空気を循環させる事の大切さを学んだ。
その循環の起点の一つが、地面をコンクリートで塞いでいない石場建ての家であり、日本の民家は建っているだけで周辺の自然環境を改善する役目を果たしていたと考えるようになった。

「あと少しで初めて一歩前進できそうな気がする」と言う。

石場建ての様子と、水野さんが描くイメージスケッチ

そんな理想を掲げて設計する上で肝となるのは、「配置図と立面図」と水野さん。

敷地の環境はもちろん、周辺の建物や緑の様子、高低差などから、どう風が流れて、どう水が動いているかを読み取る。その動きに合わせて、「家も人も呼吸できるような」窓や扉のの高さ、軒下の距離などを導き出していく。

「配置図と立面図が納得できるものになるまで、一番時間をかけます」という。何度も現場に足を運ぶ。建主さんの要望と食い違った場合でも、納得してもらえるまで説明を重ねていく。

豊田で2022年3月に新築石場建てに住み始めた30代の建主さんは、水野さんの設計提案について「納得のいくものだったので、ほぼ提案通りにやっていただきました。今思えば、共同作業をしたりブログを拝見したりして、『材料を無駄にしない』とか『自然と調和した家づくり』とか、水野さんの目指すところがわかっていたので、安心してお任できたのかもしれません」と振り返る。

「水野さんが話してた通りに風が通って、気持ちのいい家なんです」と満足の施主さん

この家も、住み始めたものの建主さんによる家づくりはまだまだ続いている。南面の石積みと雨落ちを、栗石と竹炭とわらや落ち葉を敷いて造作中だ。

建主さんは、「水野さんと一緒に、石積み学校にも行ったんですよ。マニアックでしょう、でもすごい楽しいんです」と笑う。

さらに、気候風土適応住宅も採択されたこの家は、室内外の温湿度など住環境を定期観測している。

気候風土適応住宅の評価項目に『地域の職人が地域の素材でつくり、地域の文化を継承する』という職人を大切にする心構えもあるのがいい」と話す。

水野さんは岐阜を中心にした東海地域で仕事をすることが多いが、一緒に仕事をする工務店さんや職人さんは毎年増えており、10組以上の工務店さんの中から、エリアやスケジュールと相談しながら工事を請け負って頂いているのだという。職人さんは20~30代の若手が多いそうだ。

時々、現場を見学したいという若い職人さんからの問い合わせもあり、「伝統工法の仕事をやりたい若い職人さんは、確実に増えている。ぼくの仕事の一つは、彼ら彼女らの舞台を準備すること」と水野さんは語気を強める。

その職人さんの一人で、水野さんに自宅の設計を依頼した大工の柴田さんに話を聞いた。
柴田さんの自宅は名古屋市で、道路との高低差がある敷地にあり、通り道からの目線がちょうど石場建の足場になるというインパクトの強い家だ。

柴田さんは奈良県で修業し、地元の名古屋に戻って独立した。大工の手刻み技術を活かし、木組み、石場建といった伝統工法をやりたいと思いつつなかなか叶わずにいたという。「大工をやるなら、伝統工法がかっこいいじゃないですか。妥協せずにこの仕事をやるんだっていう気持ちも込めて、28歳の時に自宅の新築の設計を水野さんにお願いしました」と話す。

インターネットで水野さんの存在を知り、共同作業や見学会を通してつながりを作っていった。

理想の家づくりができる土地探しから始まり、最初に柴田さんが選んだ場所は川沿いで石場建てには不向きだったという。どうしても石場建てで建てる為に他の土地を探した結果、現在の場所にたどり着いたというこだわりぶりだ。

柴田さんは、水野さんとの仕事について「造作が始まるまではよく現場に来てくれるが、それ以降は任せてくれる。信頼してもらっているんだなと感じます」と話せば、水野さんは、「土木工事から刻み建前、そして土壁までの構造は大好きなので良く現場にいますね。造作はもう少し頑張らなきゃいけないです、大工さんに任せすぎて、たまに怒られます・・・。職人さんに気持ちよく仕事をしてもらえるよう、まだまだ勉強中です」と苦笑い。

自然を生かし職人さんや素材の生産者を敬い、みんなの手を借りながら進めていく家づくり。
そのようにしてできた家はきっと、将来古民家と呼ばれるような、住むほどに味わいが増す「令和に民家」になっていくだろう。水野さんを含め働く人も住まう人も満たされた表情が、とてもすがすがしい。

水野設計室 水野友洋(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:丹羽智佳子(一部写真、水野設計室提供)

設計も施工も家も家具も、自分の手を動かして大切に作りたい。埼玉県久喜市の「はすみ工務店」6代目棟梁、蓮実和典さんの心意気だ。

はすみ工務店は明治創業で、令和の現在も木組み・土壁といった日本の伝統工法や自然素材を使った家づくりに取り組む。つくる家々が醸し出すムードは、日本人が古くから持つ和の精神を大切にし、人と人、人と自然が調和している。施主さんは「背中で語る、まさに職人」と言わしめる。

蓮実さんは、大学卒業後8年の大工修行を経て家業を継ぎ、8年となる。現在、蓮実さんと60代の大工さん、20代の弟子1人の3人で仕事に取り組む。

祖父の代から使う作業場

作業場祖父の始さんは、蓮実さんに代替わりして6年後に亡くなった。始さんの代からはすみ工務店で働く秋元文男大工(69)は、蓮実さんについて「真面目で、実直よ。大工や職人がどんどん少なくなる中で、これと決めて続けてる根性はたいしたもんだ」と太鼓判を押す。

手仕事がやりたい

蓮実さんは、「やりたい大工仕事ができている。施主さんやじいちゃん、修行をつけてくれた親方のおかげです」とはにかむ。

やりたい仕事とは、「手刻みだったり、自然素材を使った家づくりや、古民家の改修とか。いわゆる手仕事ですかね」と蓮実さん。

なぜ手仕事にこだわるのか。蓮実さんは、家とは「単なる箱ではなくて、家族が和気あいあいと過ごし、その空間を通して心豊かな生活を送るためのもの」と考えている。

「そのためには施主さんの要望を設計段階から聞きつつ、人の手で心を込めてつくることが大切だと思うんです」と話す。国産材や地域材の活用にもこだわり、木1本いっぽんを見極める力も磨いている。

時代は機械化、合理化が進み、手間や時間がかかることは避けられる傾向もある。それでも、「複雑で粘り強い加工など、機械ではできないことがある。それに何十年、年百年経った時、『やっぱり手仕事はいい』ってなるに決まっている。丈夫で長持ちする上、使うほど味が出ますから」と語気を強める。

仕事の内容は、年に1棟ほど新築依頼があるほか、改修工事やウッドデッキの新設、バリアフリー工事、カウンターといった家具の新設など多岐にわたる。祖父の代からのお施主さんもいれば、木の家ネットのホームページを見て問い合わせが来る場合もある。

「新規の方の場合、ハウスメーカーの家づくりがしっくりこない人が、いろいろと探してうちに来る印象があります。だからこそ、メーカーのように施主さんにある中から選んでもらうのではなく、欲しいものをゼロから作りたい。施主さんの持っているイメージを、木でかたちにしたいし、木なら自由になんでもできる」と力を込める。

設計に「大工目線」

一級建築士の資格を持つ蓮実さんは、自ら設計もこなす。

「施主さんの要望を元に、設計の提案や図面を描きますが、大工の視点での考えが多分に入っています。構造の木組みや造作の詳細な納まりは、施工に無理が無いよう、メンテナンスがし易いように配慮しています。もちろん、見栄えも大切ですが」と話す。

家業を継いで初めて設計施工で請負した小屋は、趣味のものを展示するためのものだ。

2021年末に建設中の一軒家の施主さんは、子どもや孫の代まで長く残せる家づくりをイメージしていた。化学的な素材の匂いも苦手だったという。

蓮実さんと出会い、どんな家に住みたいか話をしていく中、「蓮実さんが図面を何度も直してくれて、自分の迷いが整理されていった」という。

蓮実さんの提案により、室内の壁は自らの手でローラーを使いドロプラクリームという塗料を塗った。「素人だからムラだらけだけど、自分の家を自分で作れるなんて楽しい」と笑顔がはじける。

「施主さんにも手仕事のおもしろさをわかってもらえて嬉しいです」と蓮実さん。また、木造だからといって和風にこだわらず、建具や窓の位置を変え洋風にした家づくりも行ってきた。

この物件は外壁に土佐漆喰を使用。石灰と藁スサを水練りし熟成させたもので、卵焼きのようなふんわりとした色合いに仕上がった。時間がたつにつれ色合いの変化も楽しめる。

構造は木造で、柱や梁など構造材と壁の仕上げ材の間に、通気胴縁を付けた。壁の中が通気できるようになり、より長持ちするという。

 蓮実さんは「いろいろなやり方があるから、施主さんのコストやニーズに合わせて対応していきたい。『できないです』は言いたくないんです」と語気を強める。

 施主さんのオーダーを聞き、今までの仕事や経験の中で近いものがあるか思い出し、ある程度完成形をイメージする。特に家具については具体的なオーダーでなく、「こんなものが欲しいのだけどつくれる?」と言われる場合も多いという。

「イメージしたことを手で形にしていく、試行錯誤していく過程が、わくわくするので好きですね。なんとかなる、なんとかしようって気持ちで、完成すると達成感がたまらないです」と蓮実さん。

材料も国産材、地域材を使いたいという。コストに見合い、カウンターや収納棚のようなものなら強度も問題ないと考えている。

イメージを作り上げるために本やインターネットで情報を探すこともあるが、「自分の経験や、木の家ネット仲間の仕事ぶりのほうが参考になりますね。木をうまく使っているから」と笑う。

親方から受け継ぎ、弟子に伝える

蓮実さんは、木の家ネットメンバーが設計した物件の大工工事をしたり、一緒に古民家の改修や耐震工事をしたりとつながって仕事をしている。そもそも、大工修行をしたのは木の家ネットメンバーの綾部工務店だ。

綾部工務店との縁は、大学時代に生まれた。大工の家で育ち、幼いころから漠然と「建築の仕事がしたい」と考えていた蓮実さん。

タイムスリップしたような雰囲気の事務所には、祖父への感謝状が並ぶ

大学で建築を学んだものの、卒業後は建築のうちどの道に進むか決めかねていたという。インターン中に綾部工務店の伝統工法の仕事を経験し、昔ながらの家づくりの魅力に目覚めた。

「自然素材の木や土は安心して使える。どんな形にもできるから、自由で、完成した時の達成感がある」と語る。

修行中は、大工技術に加えて設計、経営や見積もりも学んだ。常時5人ほどの弟子とともに生活する中で「自分はあまり言葉が多くないほうだったから、世話焼いてもらいました。感謝しています」と振り返る。

目の前の作業への集中力。創意工夫。全体を見渡すこと。親方の仕事ぶりから伝わることは数多くあり、「親方みたいになりたいって思ってます」と力を込める。

一級建築士の資格を取得したのも修業中のこと。建築について学びを深められた上、最近はインターネットから新規の問い合わせも増えてきて、信頼獲得にもつながっていると実感する。

修業を付けた綾部孝司さんは「昔の大工ってこんな感じだったんだろうなってやつです。指示を出すと、質問もせずすぐに手を動かしてぴったりのものをつくる。本当に手を動かすのがすきなんだよな」と認める。

手は、動かせば動かすほどに木や道具が理解できる。「棟梁になったら、大工や施主さんにわかったことを伝えられるようになれよ、とよく話してました」と振り返る。

そんな修業時代を過ごした蓮実さんは現在、21歳の弟子に仕事を手ほどきしている。「ただ作業するのでなく、その意味とか、その先の作業とのつながりとか、全体を見られるように伝えています。それがわかると、大工が面白くなる」という気持ちで向き合っているという。弟子の作業のために図面をおこすなど工夫も凝らすが、一番は「自分が恥ずかしくない仕事をしているところを見せたいです」と話す。

弟子に伝えるための書き込みがある図面

蓮実さんには、実直さがある。「こんな仕事をやっていきたい」と、堂々と口に出せる。施主さんの要望を素直に受け止め、実現のため腕を磨く。祖父や親方を「すごい」と認め、良いところを真似、まっすぐに背中を追いかけている。

その実直さは、ごまかしがきかない自然素材に向き合うべき伝統工法に活かされている。蓮実さんが作り上げた空間には、大いなる自然と丁寧な手仕事が編み出す安心感があった。

はすみ工務店 蓮実和典さん(つくり手リスト)

取材・執筆・撮影:丹羽智佳子、一部写真提供:はすみ工務店

「伝統を守りたいとか自然にやさしくとか色々ありますが、結局建築が大好きなんです。それが最大の糧でこの仕事に取り組んでいます。仕事というよりライフワークといった方がしっくりくるかもしれません」

そう話すのは、神奈川県鎌倉市北鎌倉に設計事務所を構える日影良孝さん。「家を住み継ぐ」「住み継げる家をつくる」というテーマを胸に今日も手描きで図面に向かっている。

左:事務所の壁一面に貼られた模型が目を引く/右:手描きの図面

日影良孝(ひかげよしたか・59歳)さん プロフィール
昭和37年(1962年)岩手県九戸郡軽米町生まれ。日影良孝建築アトリエ 一級建築士事務所 代表。高校卒業後、東京で建築の専門学校に入学。24歳まで設計事務所に勤務。25歳で友人3人と設計事務所を設立。いきなり民家の移築再生をすることになり、現在の仕事の礎となる。以後、木造住宅の新築・古民家の移築・再生や、公共施設など多岐にわたる作品を32年間で100棟以上手掛けている。


有能な大工は木に負けない力を持っている

 

⎯⎯⎯ 生い立ちと建築の道に進んだ経緯を聞かせてください

「生まれ育った岩手県の軽米町という町は、県内最北端で青森との県境にあります。本当に何もないところで、茅葺き屋根に囲炉裏がある家と、自然豊かな山々が原風景として心の中に残っています」

軽米町のとある風景。25年前くらいの写真

「建築を志したきっかけは父が宮大工だったからです。小学生の頃から大工か設計士かの2つの道しか考えていませんでした」

 

「何もない茅葺屋根が点在する田舎から、いきなり東京に来たので、まず東京という街自体がショッキングでした。そして自分自身にも予備知識も何もない、空っぽな状態で専門学校で学び始めたので、まっさらなスポンジのようにとにかく吸収できたのが良かったのだと思っています」

⎯⎯⎯ 設計か大工かで設計を選ばれた理由は?

「父の影響です。小さい頃から絵を描くのが好きでしたし、若い頃は父の仕事に興味がありませんでした。なので設計を選んだのですが、専門学校を卒業して設計事務所に入り、大工職人の仕事に触れると徐々に父の仕事の凄さに気づき始め、尊敬するようになりました」

「宮大工に限った話ではありませんが、巨大な木に墨付けして刻んでいく《木に負けない力》を持った大工という仕事は本当にすごいなと思います。もっと若い時に父の仕事を理解していたら、大工の道に進んでいたかも知れません」

父が造ったお寺 宮大工の父と大工の弟


鎌倉の大屋根 | 1989年 | 神奈川県 写真:西川公朗さん

“住み継ぐ”ということ

⎯⎯⎯ ターニングポイントや思い出に残っている仕事について聞かせてください

「ターニングポイントと言える仕事は2つあります。1つ目は独立して最初の仕事《鎌倉の大屋根》です。2つ目は東日本大震災の直後に宮城県での仕事《手のひらに太陽の家》です」

⎯⎯⎯ まずは鎌倉の大屋根について教えてください
「独立後すぐの1989年。石川県加賀市から鎌倉へ民家を移築して再生する仕事をすることになりました。幼い頃の原風景・当たり前の景色が活かされることになり、建築で学んできたことと、自分の生い立ちとが繋がった瞬間でした。木造の民家も、移築という仕事も、素人みたいなものだったので、自分なりに勉強し父親にも相談を仰ぎ完成に漕ぎ着けました。それが処女作《鎌倉の大屋根》です」

写真:西川公朗さん

「日本の民家は地域によってつくりが違うのが特徴で、それぞれの気候や風土によってその土地土地で育まれてきた住まいの知恵の集大成ですよね。その違いが顕著に表れているのが屋根だと思います。屋根と周囲の環境が調和して作り上げられる風景こそが、日本の風土の素晴らしさだと考えています」

「ですので、加賀にあった茅葺農家を風土の違う鎌倉にそのまま持って来ることは、自分にとってあり得ないことだったんです。鎌倉の風土に似合う屋根の形とはどういうものか、ものすごく考えて出した答えが、移築した部分と新築の部分を一枚の大屋根で包むというものでした。ここが僕の設計人生の出発点です」

2008年 | 所沢の明治期の土蔵を鎌倉の大屋根の書庫として移築。施工は木の家ネット会員でもある風基建設(渡邊 隆さん)が担当している。写真:西川公朗さん

翌1990年、有志で《住み継ぎネットワーク》を発足。今では当たり前に使われている“住み継ぐ”という言葉を産み出したという

「高度経済成長期からバブル期にかけて、日本の民家はどんどん壊されていきました。その一方で『住みたい』という人も居ました。その想いを持った人と民家とを繋げる仕組みがなかったので《住み継ぎネットワーク》をつくったんです。結局、思い描いた形の活動は実現しなかったんですが、“住み継ぐ”という概念ができました。僕は建築ですが、家だけに限らず衣食住に関わるそれぞれの立場の人が、この概念を胸にそれぞれ活動していくことになりました」


手のひらに太陽の家 | 2012年 | 宮城県

子どもたちに自信を持ってもらいたい

⎯⎯⎯ 2つめのターニングポイント《手のひらに太陽の家》について教えてください

「2011年3月11日。東北の出身なので、あの日TVで見た光景はとてつもなくショックでした。すぐに宮城県の林業家である大場隆博さんから電話があり、木造の仮設住宅を造りたいという相談がありました。公共の仮設住宅では、どうしてもプレハブばかりになってしまいます。仮設とは言え、木造の方が快適ですよね。そこでNPO法人《日本の森バイオマスネットワーク》の一員として、木造の仮設住宅をつくるための活動を始めました」

 

「バイオマスネットワークの人たちと、様々な方面に働きかけたのですがなかなか実現しませんでした。でも何とか力になれることをしなくてはと思い、被災した子どもたちが住まう恒久的に残る大きな家を造る提案に切り替えました。幸い、アウトドア総合メーカーのモンベルさんをはじめ、様々な方からご支援をいただき、みんなで力をあわせ2011年末に着工、2012年7月末に完成することができました。それが大きな転機となった《手のひらに太陽の家》です」

現在は一般向けの宿泊・レンタルスペースとして地域のコミュニティの交流の場として活用されている。「学校の廊下のように走り回ってもらいたい」(日影さん)

「福島からやって来た子どもたちが、初めて訪れるこの施設で、しばらく住まうことになります。取ってつけたような安っぽい家ではなく、ちゃんとした木の家に住んでもらうことで、子どもたちに自信を持ってもらいたかったんです。ここで暮らした数ヶ月の記憶を、より良い思い出として心に残してもらいたいという想いを込めて設計しました」

 

「本当に人生が変わる出来事でした。人の価値観って、何を見ても誰と出会っても、無闇やたらに変わるものではありませんよね。でも建物が紙切れのように流されて、何もなくなってしまった被災地に立った時、建築ってこんなにもか弱いものなのかと、突き落とされたような思いでした。建築をやめようとも考えましたが、歯を食いしばって《手のひらに太陽の家》をみんなで完成させました。子どもたちが楽しんで住んでもらえているのを見ると『やってよかったな』とこっちが報われたような気がします」

施工は木の家ネット会員 大場 江美さん(サスティナライフ)が担当している。また、手のひらに太陽の家の詳細は過去のインタビュー記事がありますので、あわせてご覧ください。


北鎌倉の家 | 2009年 | 神奈川県

何事もなかったかのようにつくる

日影さんの手にかかった住宅の移築では、家族の思い出が詰まった部屋や建具を中心に、新しい部分を配していく。以前からそこにあり、昔から住んでいたかのように、あくまで自然に何事もなかったかのようにつくり上げられていくのが特徴。

事務所近くの《北鎌倉の家》を案内していただいた。木の家ネット会員の田中龍一さん(大工)江原久紀さん(左官)新井正さん(建具)との協働でつくり上げた家だ。

移築された座敷は原型通りに復元されている

「八王子にあったお施主さん(以後Kさん)の家を北鎌倉に移築しました。原型復元された2つの座敷を核として今までの時間の記憶を住み継いぐ家になっています。新しい部分はこの座敷を中心として、大人しく静かで心地よい空間づくりを目指しました。外観はできるだけ町並みに対して小さく見せたかったので手前を平屋にしています。また、以前の家の建具や、Kさんが作られた建具や家具を積極的に利用しています」

「今日はいきなり押しかけたのに、快よく向かい入れてくれ、しかもいつも大切に美しく住んでくれてとても嬉しいです」

Kさんの雰囲気にぴったりな柔らかい日差しが差し込む

欄間やキッチンの扉など、Kさんのデザインした建具。空間と見事に調和している。

左:Kさんが古道具屋で見つけてきた趣ある網代の扉/右:丁寧な暮らしが伺えるキッチン

左:建築家 村野藤吾の自邸の障子をそのまま模した/右:お風呂の扉は以前の家のもの


 

取材に際して、これまでのご自身の活動を振り返る年表と資料を用意していただいた。年代を追って、過去の仕事とフィロソフィーをご紹介。


風景に調和し埋没させる

 

萩の家と島の家 | 1993年 | 新潟県高柳町荻ノ島集落

現代では貴重な茅葺きの民家の環状集落の中に、新築2棟の茅葺きの民家を設計した。昔からそこに建っていたかのように、いかに風景に調和させるか、風景に埋没させるかが大きなテーマだった。それから30年近くが経過した現在では、この時、新築でつくった2棟を中心として町並みが残っており、まるで江戸時代からずっとあったかのような、地域の象徴的な集落となっている。萩の家と島の家はそれぞれ貸別荘として利用可能だ。


空間的復元

 

昭和の洋館 | 1995年 | 埼玉県与野市

マンション建築のために取り壊しが決まっていた昭和6年建築の和洋折衷の住宅。「ドア一枚でも残せたら」との要望から発展し移築再生の設計を手がけた。移築先が狭いため、そのままの移築はできない。造作や建具などの古い部材にあわせて新たな間取りを考え、新しい空間に調和するように古い部材を散りばめていった。この手法を“空間的復元”と名づけた。

「家に持っている思い出って人それぞれで、窓であったり床であったり色々ありますが、その思い出を自分なりに読み取って、家の中にある“空間の粒子”をアレンジして組み直すことで、古い意匠と新しい意匠を自然に調和させました」
「つくり手・表現者としての意図や作為をいかに消し去ることができるかが、僕の建築全体を通してのテーマです」
「以前の建主に『前の家と全然変わってないね』と言われて『やった!』と心のなかでガッツポーズをとりました」


ミリ単位の格闘

実際の図面

再生前/再生後

上大崎の家(Ⅱ期工事)| 2003年 | 東京都品川区

大正13年建築の岡田信一郎設計の洋館を住み継ぐ。新築の鉄筋コンクリートの中に洋館の造作をそっくりそのまま入れ込んだ。鉄筋に木摺りを貼りその上に土壁を塗っているので、鉄筋コンクリートとは思えない快適性を備えている。既存の木造を細かく実測し、それにあわせて鉄筋コンクリートの躯体をミリ単位で決めるという気の遠くなる作業をやり遂げた。

◎施工: 風基建設(渡邊 隆さん)


空間を圧縮する

 

宋春庵 | 2002年 | 神奈川県鎌倉市

片瀬江ノ島に残っていた島津藩ゆかりの90坪の書院造りの家を、転居先の小さな庭先に4坪の茶室として移築。これが日影さんの得意とする《空間の圧縮》だ。
「何事もなかったかのように再編・再構築することをいつも考えています」

◎左官: 江原久紀さん(江原官塑) ◎建具: 新井正さん(杢正)


ミニマムな木造を目指して

 

板倉の家 | 1998年 | 東京都

「金物を一切使わず、全てを木だけで伝統構法で建てて欲しい」との要望を受け、板倉と貫を併用した構造で設計した。法隆寺 網封蔵(こうふうぞう)のつくりに着想を得て、左右対称とした。

「要望には応えられたんですが、完成して反省している部分があります。中に入った時に木の洞窟の中にいるような気がしたんです。すごく閉鎖的で木の力が充満しすぎていて疲れを感じ、これは自分の目指す家じゃないなと思いました。つくり手側の伝統や木に対する思い入れが滲み出すぎたことが原因で、木を沢山使いながらも、いかにその存在感を消していくかが、この時からのテーマになりました」

写真:平井広行さん

ひののあん | 1998年 | 東京都

板倉の家と同じ年、板倉の家での経験を踏まえ、木をふんだんに使いながらも軽やかに仕上がった。縁側の天井から流れる深い庇が気持ちいい。

「木と漆喰と紙だけでできたような何気ない家にしたかった」


スケルトンを美しく

 

中佐久間の家 | 2003年 | 千葉県

房総の海を遠くに望む山の上に佇むこの家は、かつて棚田だった地形の特徴を活かし、一階には作業場と小さな和室、二階には風景を一望できる大広間・寝室・水廻りを配した。抑制された規則正しい架構の連続が木の表情を和らげ、視線を風景へと向かわせる。伸びやかで清らかな空間を目指した。

◎施工: 村上幸成さん(村上建築工房)


裸が美しければ、包んでも美しい

 

チャイハウス | 2001年 | 東京都

親しい友人から「可愛くて気持ちいい、愛犬チャイのような家にして欲しい」と依頼を受け、初めてモダンで白い家を設計した。可愛らしさと日本の伝統的なものを同居できないかと考え、大壁に覆われ木組みが見えない住宅であっても、きっちりとスケルトン自体を美しく設計している。

「骨格が美しければ、壁に包まれたとしても、美しいプロポーションになるんですよね。構造は隠しても美しく、見せても美しくあるべきだと思っています」

 

細山町の家 | 2008年 | 神奈川県

チャイハウスの考え継続した住宅で、日影さん一番のお気に入り。

◎施工: 直井徹男さん(エコロジーライフ花 直井建築工房)


自然素材と職人技

 

山泰荘 | 2016年| 神奈川県

外壁は下半分が杉板張り。上半分は相模湾からの風雨から家を守るため、土佐漆喰の鎧仕上げとした。自然素材と職人の手仕事があってこそ生まれた力強い家だ。

◎施工: 直井徹男さん(エコロジーライフ花 直井建築工房) ◎左官: 江原久紀さん(江原官塑) ◎建具: 新井正さん(杢正)


鎌倉みんなのけんちく学校

子ども達に作ってもらった1/50の模型

左:子どもたちが茶室を実測している/右:子どもたちに手描きの図面を学んでもらう

 

日影さんが参加する一般社団法人 木和堂 の主催で、2020年からスタートした子どもたちに身体で建築を学んでもらう取り組みだ。鎌倉ならではの自然・歴史・文化に触れ、それを支えるプロの仕事を知り、最後には《小さな木のおうち》を実際に建てるというもの。小学生から高校生までたくさんの子どもたちが参加している。建具づくりでは木の家ネット会員の新井正さんが携わっている。

北鎌倉にある「宝庵」の茶室「夢窓庵」を訪れ、子どもたちが実測。1/50の模型作りを経て、本当に茶室をつくっていっています。詳しくは日影さんのブログをご覧ください。

「人に教えるということは自分の学びにもなるし、やっててとても楽しいですね」


 

家族の佇まい = 家の佇まい

⎯⎯⎯ 様々な事例を見せていただきありがとうございます。日影さんにとって理想の家とはどんな家ですか?

「木の家を一言で言っても、若い夫婦の住まう木の家と、僕ぐらいの年代が住まう木の家は違いますし、若くてやんちゃな家族もいれば、若くてもひっそりと暮らしたい家族もいます。また穏やかに暮らしたい家族もいれば、活発に畑仕事をしている家族もいます。設計者はそれぞれの家族を見つめて、木を選ぶだけでなく、その組み方や見せ方も決める必要があります。完成して訪ねた時に、向かい入れてくれた家族の佇まいと、家自体の佇まいがシンクロしているのが、理想の家の条件のように思います」

「そんな時に頼りになるのが、信頼の置ける職人さん達です。惚れ込んだ職人さんには何度もお願いしているので細かなニュアンスまで伝わるようになります。木の家ネットにはそんな仲間が沢山いて、あらためて整理すると僕の仕事の3割くらいは会員の方が関係してくれています」

 

⎯⎯⎯ 最後に、これからどんな仕事をしていきたいかお聞かせください。

「時間に耐えられる建築をつくっていきたいと思っています。伝統建築を頑張っている人には怒られるかもしれませんが、いくら伝統建築でつくっても残らないものは残らないし、残るものは残るんですよね。その違いは《その家の愛され方》にあると思っています。深く愛されていないと残るものも残りません。法隆寺がおよそ1300年残っているのは、材木や構法がしっかりしているのはもちろんですが、みんなが大事に想い愛しているからだと思うんですよね。そういう建築には、美しさ・気持ち良さ・風景との調和など、いろんな要素が合わさっているんだと考えています。僕もそういう存在になれる建築ができたらいいなと思っています」

「人々に愛され残ってきた、過去の建築のカタチから多くを学び、現代の環境や生活スタイルなどから導き出される、今必要とされるカタチと一緒に“和える”ことで、これからの時代にも人々から愛され“住み継がれる”建築をつくっていきたいです」


日影良孝建築アトリエ 日影良孝(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

※北鎌倉の家以外の事例写真は日影さんよりお借りしました。

コロナでデジタル化が加速する昨今、伝統建築の改修でBIMをはじめとしたITを導入し、可能性を見出している設計士がいる。福井県の「一級建築士事務所山田屋」を営む山田健太郎さんだ。「複雑で手間がかかる伝統工法こそ、ITを利用した見える化がとても効果的」と手ごたえを感じている。山田さんの緻密かつわくわくが感じられる仕事ぶりと、BIMを学び始めた三重県の若手大工の対談から、「IT×伝統建築」という新しい風を読む。

山田さんが座るパソコンの画面上に、現場の立体モデルが浮かび上がる。山田さんは、野帳はタブレットのノートアプリに書き込み、ドローンや360度カメラでの撮影、3Dスキャナを活用した点群データなどを資料に、スケッチアップやVectorworksというBIMの設計アプリケーションを駆使して設計立案をするスタイルで、木造住宅や古民家・文化財などの改修設計を行っている。

Vectorworksで作成したモデル(左)と野帳のアプリ(右)

ドローンを活用しての撮影

BIMとは、Building Information Modeling(ビルディング インフォメーション モデリング)の略で、コンピューター上に建物の3次元モデルを再現し、設計する。「目の前に現場があるような感じ。こんな建物ができるのかって、圧倒的にわかりやすい」と山田さん。設計された部材パーツには幅や奥行き、高さなどのデータが盛り込め、またそのデータはクリックひとつで伸ばしたり縮めたりできる。設計図の中の柱を太くする(または細くする)、間口を広くする(または狭くする)動作も短時間ででき、それによって室内のイメージがどう変わるかも明瞭に伝えられる。

この手法が確立した背景について山田さんは、これまでの設計の表現の手法は「建築の二次元的な表現を紙の上に手で書いてコピーして配る」ことから、それを「コンピューターの中で二次元で書いてプリントして配る」よう進化してきたが、「21世紀に入りコンピューターゲームの爆発的発達によって立体データを高速に処理・表示できるようになり、その応用として建築を三次元的に表現し、そこから半自動的に二次元表現を作成するBIMとよばれる技術が立ち上がった」と話す。

BIMの「最初から立体で設計する」手法は、これまでの建築製図とは全く異なり、「図面間の整合性の高さ」「直感的なわかりやすさ」「新しい図面表現」といった利点があると山田さんは考える。

まだ伝統建築の分野では利用は一般的ではないが、国土交通省が建設現場でICTや3次元データを活用した作業時間短縮、生産力向上を目指す「i-Construction」というビジョンにも適応した“これからの”設計手法といえるだろう。

山田さんはBIMを導入して約6年、愛用のVectorworksは10年目だ。昨年から勉強を始めた三重県の大工・東原大地さんと、BIMのおもしろさについて語り合った動画を紹介する。

大地さんは木の家ネットメンバーの東原達也さんの息子で、まさに“これからの”大工だ。

建設現場での情報共有ツールとしての有効性が光るBIM。単純に「おもしろい」というわくわくも詰まっている。活用方法は幅広いが、その中から山田さんが使っている①3次元モデルからの図面起こし②部分改修の色分けの2点を動画で紹介する。

①3次元モデルからの図面作成

福井県の発心寺本堂の6年にわたる大改修工事では、山田さんを含むプロジェクトチームがBIMで作った3次元モデルから改修案を提示。モデルから図面を起こし、職人に渡したという。

動画にはないが、断熱材などの資材を入れる場合のシュミレーションもでき、そのシュミレーションから資材のサイズや規模のデータを取り出すこともできる。

②部分改修の色分け

鐘楼の改修設計の際、折れてしまった屋根の構造材をどのように分解し、どのように改修するか、色分けして職人に示した。黄色く塗られた部分を解体し、赤は新しい木材に付け替え、緑は補修、といった具合で、設計者の意図を正確に施工者に伝えたいという目的があるという。

山田さんは3次元モデリングに欠かせないのが、「現況調査をきちんと行うこと」と強調する。3次元モデルを作成し、その上に、丁寧な調査から得た現状の情報を重ねていくことで、その建物が抱えている問題が見えてくるという。解決方法も提示できるのだ。「ちゃんと検査しないで、いきなり開腹手術をする先生はいませんよね」と説いている。

現場だけでなく、施主さんにとってのメリットももちろんある。線だけで書かれた図面は、毎日設計図に触れることのない人には完成予想をイメージすることは難しい。山田さんは「3次元モデルなら施主さんと設計の段階から完成イメージを共有できる。納得感が得られ、信頼関係も築けるでしょう」とみている。

得意分野と建築が重なった瞬間

ITを使いこなす山田さん。幼いころの愛読書は「百科事典」だったという好奇心旺盛な性格だ。高校時代はコンピュータープログラミングにのめりこみ、「家に機械がなかったから、毎日学校帰りに電気屋によっていじらせてもらっていた」と振り返る。

地元の福井大学建築学科に進学したものの、エネルギーは引き続きプログラミングの勉強と、アマチュア演劇に注ぎ込む日々。建築とは距離を置いた青春だったという。

しかしある時、膨大な時間をかけてプログラミングした結果がフロッピー1枚に収まってしまうことにむなしさを感じ、並行して学んできた「大きくて広がってなくならない空間=建築」の道に進むことを決心した。劇団では照明担当だったこともあり「演出された空間へのこだわりはあった」という。

卒業後は岐阜の設計事務所に就職。デザイン性の高い設計を手書きで学んだ。その後福井に戻り、公共工事などを手掛ける事務所で働いた後、2002年に独立した。

福井では大学時代の恩師の手伝いをする機会もあり、プログラミングが得意だったことから2003年の地元イベント「わかさ路博」にデジタル展示する三重塔のモデリングを頼まれた。そこから、建築とITの道が重なり、BIM設計など現在の仕事につながってきた。

三重塔のモデリング

ただ、仕事として職人さん達と関わる中で「伝統木造建築の奥深さに触れ、学びの必要性と重要性を感じた」と実感。20代の頃に参加した市民団体「ふくい・木と建築の会」で得た横のつながりを通して、大学の恩師の手伝いや社寺を手掛ける職人さんから学ぶとともに、木組のデザインゼミナール、ヘリテージマネージャー講習会、JIA文化財修復塾などにも積極的に参加した。月に1回は勉強会のため県外に出向いた。さらには大阪のMOKスクール、住宅医協会で学び「住宅医」の資格も取得した。

積み重ねた知識に、自身のコンピュータスキルをプラスし3次元モデルを作る。そうすることで「あ、この建物はこうなってるんだって理解が深まり、自信が生まれた」と山田さん。職人さんへの提案や施主さんの要望整理など、仕事の質が高まったという。

古民家改修のモデリングと、解体してあらわになった軸組。

ITは建築をみんなにわかりやすくするツール

「伝統建築にこそ相性がいいのが3次元モデルだ」と山田さんは言い切る。

社寺や古民家など改修のスパンが長く、たくさんの設計士や職人がかかわる現場では、それぞれが描く完成予想図が完全に一致していないことも多い。わずかな違いであっても仕上がりに影響は出てくるし、すりあわせの労苦は現場の士気や全体のスムースな進捗に響く。3次元モデルで共通解を提示することは建物が実際に立つ前に、問題を見つけ、解消することにも結び付く。

山田さんは、物件ごとに同じBIMアプリを使う設計士とチームを組み、作業分担をすることが多い。先述した発心寺の大改修は規模が大きく設計も複雑だったため、5人のチーム編成で取り組んだ。福井県外のメンバーもいたため情報共有はzoomやDropboxを活用。3次元モデルによるわかりやすさも手伝い、トラブルなく作業を終えられたという。

そして、職人のすごさを改めて実感している。山田さんは現場にノートブックとモニターを持ち込んで説明すると、大工棟梁はモニターに映る3Dの軸組を見て、「ここはもう少し下がっていると思う」「ここの組み方はちょっと違うと思う」など指摘し、判断を即座にしてくれた。「経験値の高い職人の目にはすばらしいものがある。それは、2Dでは伝えきれない情報を表現できるBIMのすごさでもある」と強調する。

ITの活用により、限られた条件の中で良い設計をして良い現場ができる、と山田さんは考えている。職人はそのぶん正確な刻みと納まりに心を配り、設計士も勉強して正確に意図を伝え、協働してよりよい建築を目指すビジョンを思い描く。

また、伝統建築をはじめ長く伝えられてきた建物には、建てた人、住んだ人、訪れた人、維持補修に関わってきた人など、たくさんの人の愛着が詰まっている。改修の際は「お預かりした建物をよく観察してきちんと改修して次の世代にお渡しするということの大切さが、身にしみている」と山田さん。

かやぶき屋根の古民家改修にもBIMを活用した

これまで改修した物件について、次の大改修への取り組みは数十年後。きっと、その間にもITは革新していく。「どんどんアップデートされる中で1人で勉強するのは大変だから、みんなで勉強しあったらいいんじゃないかな」と山田さん。自身もBIMは友人と一緒に学んだことでモチベーションを保ち、伝統建築は勉強会に参加することで多くの刺激をもらったという。

その先には、次の時代の改修に直面した人たちに建物の価値を理解してもらい、改修してさらに未来へとつないでいこうと再び決意してもらえるように、という希望がある。そして、ITにそれをかなえる光を、見出している。

一級建築士事務所 山田屋 山田健太郎(つくり手リスト)
取材・執筆:丹羽智佳子、動画編集・写真提供:山田健太郎

● 取 材 後 記 ●

木の家ネットではこれまでもいくつかの動画を紹介してきましたが、今回は初の“対談”形式。楽しんでいただけましたか?発案は山田さんご自身で「若い人の意見を聞いてみたい」というご指名。まず、そのアイデアに驚かされました。対談中、言い方を変え動画を交えながらお話しする知識の深さと、わかりやすく伝える努力を惜しまない姿勢に頭が下がりました。新しい世界は、面白い。改めて気づけた時間でした。

職人が受けて、職人が完成させる。それもいち職人でなく、会社として。工務店とも設計事務所とも違う独自のスタイルで木の家づくりをしている鯰組(なまずぐみ)は、代表で大工の岸本耕さんが立ち上げて12年になる。設計から施工までトータルで請け負える強みは、さまざまな職業が生まれては消える東京で、唯一無二の光を放っている。プロフェッショナル集団を率いる岸本さんは、ひとりひとりの職人に「それぞれのよさを生かしてほしい」とあたたかいまなざしを向ける。その姿勢は建物や材料にも向けられ、居心地のいい空間を生み出し続けている。

「鯰組」のウェブページ。かわいらしい黒い鯰のイラストが泳ぐページの右上に、「大工とは?」という問いがある。
クリックすると出てきた答え。
・大工とは、目利きの職人。
・大工とは、考える職人。
・大工とは、描く職人。
・大工とは、組む職人。
・大工とは、仕上げる職人。
・大工とは、設計士、庭師、職人をまとめる棟梁です。
そして、「私たちは、日本の大工です。」と締めくくる。

個性際立つ会社のロゴマーク

「職人の会社」にこだわり

岸本さんは、自身の肩書を「大工または棟梁」とこだわり、「建築家」とは言わない。「鯰組」も6人が所属する会社組織だが、社員とは呼ばず「職人」「大工」にこだわる。「大工は、設計から工程管理、材料など家づくりのすべてがわかっていて、施主さんとコミュニケーションを深めながら決めていく存在」という、昔から続く感覚を大切にし、誇りを持っているからだ。

そして、その職人が個人でなく、集団として働くことで「施主さんの期待以上の仕事、職人もやりがいのある仕事ができる」と考えている。

「鯰組」は、職人でつくるプロフェッショナル集団だ

職人集団「鯰組」はどんな体制なのか。現在の社員は6人で、ほとんどが20~30代で、1人たたき上げの60代の大工職人がいる。

社員は2人ずつ①設計兼、現場監督②大工兼、現場監督③大工と大工、の組み合わせで3チームに分かれ、チームごとにプロジェクトを進めていく。物件によって期間や難易度がさまざまなので、1件をじっくり進める時もあれば、何件か同時進行することもあるというという。それぞれの業務に集中できるよう、施主さんとの打ち合わせをはじめこまごましたことは岸本さんが一手に担う、という役割分担だ。

各チームは先輩と若手という組み合わせで、若手は先輩から仕事の進め方を習う。「若手は、まずはひとつのやり方をきちっと身に着けることが大事。いろいろ手を出したり、他のやり方を見ると時間ばかりかかってしまうのでやらせない」というのが、鯰組流のスタイルだ。ひとつのやり方が身につくと、その応用で別の仕事もこなせるし、つまづいた時の解決方法も見つけやすいのだという。そのやり方については、鯰組として確立したものがあるわけでなく、それぞれの先輩に任せている。

東京に構える作業場には、材木等のストックがびっしり

飛び込んだ大工の道、独立から無我夢中

このような体制になったのは5、6年前のこと。
鯰組の設立時は岸本さんひとりで、プロジェクㇳの数が増えたり規模が大きくなるごとに、少しずつ仲間を増やしていった。

会社設立前の岸本さんは、千葉の工務店「眞木工作所」で修行した。そこの棟梁・田中文男さんに師事したいという思いで門をたたいたのだった。

岸本さんは「建築を勉強したい」と大学の建築学部に入学したものの、設計だけを学ぶことに物足りなさを感じていた。そんな時、偶然知ったフランスの建築家ジャン・プルーヴェに魅了された。鉄工所育ちの職人で、金属でなんでも作ってしまうアイデアとバイタリティ。「建築家のオフィスの所在地が部材製造工場以外の場所にあることは考えられない」という哲学。この出会いが、岸本さんを「設計だけでなく実際にものを作り出す施工までやりたい、大工になりたい」と突き動かした。

雑誌『住宅建築』で「民家型工法」を紹介していた田中文男棟梁を「日本のジャン・プルーヴェだ」とほれ込み、眞木工作所でアルバイトを始めた。卒業後に弟子入りし、10人ほどの職人にもまれながらの日々。

「最初は何もできず怒られてばかりで、同じような若い職人同士で酒飲むのが心の支えだった。経験積んでできるようになると、少しずつ怒られる回数が減っていった」と振り返る。同時に、木造建築にどっぷりと触れ、その力強さや、シンプルで合理的なつくりなどの魅力を存分に味わった。

3年経った頃、大学時代の友人が古民家の改修・移築を依頼してきた。当時築80年の古民家で、ケヤキ材が多く使われていた。「この仕事、自分がやりたい」と強く惹かれ、独立へとつながった。

とはいえ工場もなしに独立した岸本さんは、移築先の現場に仮設テントを張って作業するという綱渡りのような工期を過ごした。設計から工事、施工監理まで幅広い業務を一人でこなしたが、慣れない作業もあり時間もかかった。工事中は無我夢中で、愛着と達成感はひとしお。けれど、終わってみたら次の仕事の段取りは全くできていない、という恐ろしい状態だった。「結局、眞木工作所に出戻りし、5年程お世話になりました」と振り返る。

独立のきっかけにもなった古民家は、「今も大切に使われていて嬉しい」と岸本さん(撮影:黄瀬麻衣)

集団だとできることが広がった

「設計から施工までやりたい」と大工の道に進み、独立して走り続けてきた岸本さん。仕事の進め方を模索する中で、ひとりでは1、2年かかってしまう仕事も、チームなら半年で終わらせられることや、得意分野を得意な職人に任せることで効率よく仕事を勧められることがわかってきた。

また、細かい造作が得意な職人もいれば、おおらかな屋根をつくれる職人もいる。「こういう職人がいい、という理想に自分を近づけるのではなく、自分なりの職人になればいい」と考えるようになり、若手にもそれを望んでいる。

「僕は、若手の得意分野を伸ばせるような仕事を取ってこようって本気で思ってますよ」と笑う。

自身の性格についても「手を動かしてものをつくるのは大好きなんだけど、集中しすぎて他に手が回らなくなる」と冷静に分析。現場作業の第一線からは退いている。ただ、昔から好きだというスケッチは、施主さんの要望を表現したり、細かいおさまりを説明する時に描いている。

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スケッチを描く時間は、頭が整理され、気分転換にもなるという

岸本さんは、いち職人として設計から施工までできなくとも、「鯰組」として請け負えればいい仕事はできる、と思えるようになった。

いい仕事とは、施主さんが思い描いた以上の空間をつくること、そして、職人もやりがいを得られること。

職人集団だからと言って職人のひとりよがりにはならず、施主さんの喜びを意識すること。そこには、建物の完成度だけでなく、工期や予算、打ち合わせから工事中の職人の態度も関わってくる。加えて、ただ施主さんの希望通りのものをつくるだけではなく、使う材料の個性を活かしたり、古い建具を再利用したりといったアイデアも不可欠だという。

職人のやりがいには「ほかの人にはできない」という満足感が必要だという。精巧な細工、美しいおさまり・・・これらの技術を高めていくのは一朝一夕では難しい。鯰組はプレカットなど現代の技術をうまく取り入れることも必要だと考えている。その分の時間を手仕事にあてることは、技術の継承にもつながっている。

いずれの場合も重要なのは、施主さん、材料や物件、そして職人をよく見て、よさを見出し、引き出す姿勢だ。現場の数や種類が多いほうがよく、集団であることで多数の仕事を受けられる今の体制が生きてくる。

最近の施工事例は、鳴滝の数寄屋風住宅((撮影:市川靖史)

そもそも、木造建築は「昔は一般的だったかもしれないが、今の東京ではマニアックになりつつある分野」と岸本さん。「できあがっているものを組み立てる工業製品と違って、木で形を削り出す自由度はすごい。どんな空間にもなじむし、温かみがあるのもいい」と魅力を語る。

住宅の玄関口。上がりかまちと竹柱が美しい(撮影:市川靖史)

今までは東京と言う場所柄か、数寄屋建築や茶室や料亭などの仕事が多かったという。
鯰組には職人ではないが広報担当の社員がいた時期もあり、イベント企画やカフェ運営(現在は閉店)もしていた。雑誌などにも取り上げられると問い合わせは増えるが、実際に契約まで至るのは大半が施主さんによる紹介という状況だ。

最近は古民家にも縁ができ、勉強を始めたところだという。「まずは健全な状態に戻すこと。それから、せっかく残すならよさを生かさないと意味ない」と、丁寧に見やる姿勢をさらに正す。

思い起こせば、独立のきっかけも古民家の改修だった。その時に打ち合わせを重ねた場所・埼玉県吉川市の特産が鯰だったことから、社名に鯰を取り入れたという。ちなみに、独立時の会社名は「吉川の鯰」とストレートだ。

「初心を忘れるべからず」を胸に刻みながらも、時代に合わせて、会社の体制に合わせてしなやかに変化してきた岸本さん。会社をつくるのは職人。職人の経験や技術・アイデアを信じ、職人を真ん中にした家づくりをしていきたいと前を見据える。

鯰組 岸本耕さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真提供:鯰組

● 取 材 後 記 ●

ひとつ、質問を投げかけるたびに「こういう場合もあるし、こういう視点もある」と複数の答えをくださるのが印象的だった岸本さん。常日頃から、いろいろな角度からものごとをとらえていることが伝わってきた。「わかってくれる」あるいは「わかろうとしてくれる」という安心感は、施主さんや職人への信頼につながっていることが伺える。

コンクリートジャングル・東京で、鯰組の手がけた木のぬくもりはきっと美しく映えている。今回はオンライン取材で実際に見ることが叶わず悔しいが、岸本さんのように別の角度から「次回訪れるまで楽しみをとっておこう」と考えることにしよう。

愛媛県今治市、森と川の恵みに囲まれた玉川町で自然と共に暮らし、ゆっくりと年月をかけながら建て主さんと歩み、「暮らしを大切にした本物の家」をつくっている建築家がいる。今回ご紹介する橋詰飛香(はしづめ あすか)さんがその人だ。


橋詰 飛香(はしづめあすか)さん プロフィール

1971年高知県生まれ。短期大学を卒業後、松山市内の設計事務所で8年間勤務。2000年に独立し同市内でAA STUDIOという屋号で活動された後、2013年に今治市玉川町に自宅兼事務所を構え「野の草設計室」と屋号を改める。元々同僚であった徳永 英治(とくながえいじ)さんとご夫婦で、施主・設計者・職人が三位一体になって家づくりに取り組んでいる。


「野の草」に込めた想い

 

⎯⎯⎯⎯「野の草設計室」に事務所の名前を変えられたのはどうしてですか?
橋詰さん(以下 橋詰) 若い頃は、お洒落でカッコ良くてシャキシャキしたデザインの高いものに憧れていたので、名前も横文字で「AA STUDIO」としていました。それが13年前くらいから徐々に伝統構法の家づくりをするようになってきて、土とか木とか草とかを使って家を建てているし、私たち自身も田舎に住み始めたということもあって、自然の草のように華美でもなく、その土地の気候風土の中にそっとあるようなものづくりをしたいなと思って「野の草設計室」という名前にしました。

自然に囲まれた《野の草設計室》

⎯⎯⎯⎯AA STUDIO時代は今のように木の家を建てられていたわけではないということですか?
橋詰 最初の何年かは違っていましたね。普通に建材を使ったりしていました。木の梁をあらわしにしたり、無垢のフローリングを使ったりして、自然素材を使った家づくりをしているつもりだったんですが、やればやるほど建材を使った現代の家づくりの抱える問題点が見えてきました。シックハウス症候群の問題だったり、シロアリが湧きやすかったり、エアコンに頼らないと暮らせなかったり、産廃の問題だったり…

 

徳永さん(以下 徳永) そういった問題を解決して建て主さんに良い住まいを提供するにはどうしたらいいか悩んでいた時期があるんですが、ある時ふと古い家を見たときに「あっ、すでに解決してるじゃないか。問題そのものが起こらないじゃないか。昔の人はすごく考えて家づくりをしていたんだな」と感銘を受けました。それまではデザイン派のおしゃれなものに憧れがあり、古い物は過ぎ去った過去の遺物として興味を抱けなかったんですが、その時を境に私たちの家づくりは決定的に変わりましたね。

橋詰 私は使い捨て世代なので、ものを大事に使うことや、直して使うこと、直し易いように作ることを当たり前にやっていた昔の人たちの暮らし方や生き方にカルチャーショックを受けました。
今思うと若い頃に憧れたり設計していたような家は、デザイン性が高くて完成されていても、できた時が一番きれいなんです。でも、そこには生活がないんですよね。住み始めると生活の道具や生活感が出てきて途端に美しくなくなる。今はそれを包容できる住まいとしての懐の深さや経年変化を味わいにできる家の方がしっくりきます。

 

徳永 当時、自分が設計した家に「暮らしてみたいか」「落ち着くのか」と考えた時に全然イメージできなかったんです。

⎯⎯⎯⎯この瞬間から意識が変わったというエピソードはありますか?
橋詰 はい。衝撃的な気づきがあった一件があります。蔵を解体しないといけない機会があったのですが、その蔵の鏝絵(こてえ:蔵の妻側の母屋鼻や壁面などに漆喰を用いて作られたレリーフのこと。左官職人がコテで仕上げることからその名がついた。)がとても立派なものだったので「こんな素晴らしい鏝絵は残しておかないといけない。救出しよう。」という話になり、鏝絵を外す作業に携わりました。

鏝絵について説明していただいた

徳永 左官さんがお施主さんに対して、気持ちいい仕事をさせてくれたお礼として鏝絵を描いたのが謂れとされています。昔はお施主さんから職人さんに「ご飯食べていって」「お風呂入っていって」と、気持ちよく仕事をしてもらうための心遣いがされていました。現代と違ってお金じゃないところでのお付き合いがたくさんあったんですよね。そういうのがいいなぁと思い、自分たちが目指したいところになりました。

橋詰 そして蔵を間近で見てみると、庇が金物にかかっているだけで外せるようになっていました。私が当時やっていた建築では庇というのは当然固定させておくものだと思っていましたから、なんでこんな風になっているんだろうととても不思議に思いました。実はそれは、構造材と庇との縁が切られていることで、火事の時に火が廻っていかないように、また簡単に修理できるように、昔の人が何代にも渡っていろんなことを考えて家づくりをしていたんだなと学びました。
それまで自分が建てていた家は到底そんなことまで考えられてはいなかったので、ある意味使い捨てだったんですよね。自分の浅はかさを思い知らされる出来事でした。


家ではなく暮らしをつくり上げる

 

⎯⎯⎯⎯お二人でどういう仕事の役割をされているのですか?
橋詰 いつも喧嘩しながらやっています(笑)。具体的な設計やプランニングは私がするのですが、考え方やつくり方などを一緒に相談しながら進めています。結局、伝統構法なんて学校では一切学んできていないので、古いものを見て歩いて二人で紐解いて来たという感じです。

徳永 昔の建物が全て正解ではないので、その中からいい技術や手法、知恵や素材などを拾い出す作業をずっとやりながら、自分たちの家づくりに活かしてきたという感じです。

橋詰 その拾い出す作業の時も、一人だと考え方が偏ってしまいがちですが、夫婦で二人いれば「ああじゃない」「こうじゃない」と議論しながら答えを導きだせますよね。

 

徳永 一人の所長だったら違う方向に行っても社員が口出しできなかったりすると思うんですよね。けど僕らは夫婦なので、おかしいと思ったらお互いにぶつかって議論するので、そこがいいところかなと思います。それから、建主さんはご夫婦で相談に来られる事が多いので、その時に男性の視点と女性の視点で意見を出し合えることで、話し合いが活発になるので、とても建設的な場になります。

橋詰 私たちが言い合いを始めると、それを皮切りに建主さん側も会話が弾んできて意見が出やすくなっている気がしますね。

⎯⎯⎯⎯仕事とプライベートの境目はあるんでしょうか?
橋詰 あんまり仕事とか家庭とかという意識がなくて、この仕事は私たちのライフワークだと思っています。お施主さんにも、ここでの暮らし自体を味わって帰ってもらっています。単に家を建てるということではなくてライフワークにみんなで関わってもらって一緒に暮らしをつくり上げていくようなイメージですね。お施主さんには、お米作りや味噌作りに参加してもらったり、夜中にひじきを一緒に取りに行ったり、自然と関わってそこにある恵みを感じてもらうようにしています。「暮らしがあってこその家」なので、体験の中で暮らすことをしっかりと考えてもらいたいですね。

徳永 体験の中で共感してもらえる部分があれば、目指す家のつくりも変わってきます。どんな暮らしに喜びを感じるのかを見極めてもらいたいんです。

⎯⎯⎯⎯なるほど。それでHPに「野の草と意気投合しそうな建て主さん像」というのが書かれているんですね。
橋詰 そうです。建てた家だけを見て相談に来られても、本質的な暮らしの部分が共有できていないと話が進まないですし、お互いが不幸になってしまいます。もちろん最初から意気投合できるような人の方がお互い楽ですが、逆に違う価値観だった人が、いろんな体験を通して私たちのような暮らし方を好きになってもらうのも嬉しいですね。

HPに掲載されている建て主さん像


建て主さんの引き出しを増やす

 

橋詰 他にも、竹小舞を編んだり土壁をつくる体験などを通して、家のつくりや昔の人の知恵などを感じてもらっています。

徳永 体験の中で建て主さんの想いがどんどん入っていくので「買ったもの」ではなくて「自分がつくったもの」として家を大切に想ってくれるようになります。

橋詰 今の時代、家を建てるとなると、職人さんと建主さんとの距離があまりにも遠いので、職人さんの生の声や知っていることを聞いてほしいというのが一番。その機会を作るのが私たちの役目だと思っています。

橋詰 みんなで関わりながら家づくりをしていきたいので、建て主さんともよくご飯を一緒に食べます。やっぱり同じ釜の飯をつつけばつつくほど関係が深くなっていけますよね。設計士と建主と言うよりはもう友達とか親戚というくらいの何でも言いやすい関係を築くようにしています。職人さんとも同じです。職人さんにも建て主さんの喜んでいる顔を見てもらいたいし、声だって聞いてもらいたい。そういうきっかけをいっぱいつくりたいです。

橋詰さんお手製のスパイスカレーをご馳走になった。スタッフの島崎さんも交え和やかな昼食。

薪ストーブ:自分たちが暮らしに取り入れていると「いいですね」と建て主さんの意識も変わっていく

徳永 職人さんが積み上げてきたことを建て主さんが理解してくれたら、家づくりだけではなく暮らしの中で何を選択するべきかということを意識できるようになってきます。その選択の積み重ねで未来をより良い方向に舵を切ることができるようになってくるんじゃないですかね。

橋詰 だから設計期間もいきなり設計に取り組むんじゃなくて、話し合ったり、ものを知ってもらう期間を長めに取っています。間取りがどうこうではなく、木のことだったり、どういうものを目指したいかということだったり、判断基準をしっかり持ってもらうため、価値観を確立してもらうために、まずは建て主さん自身の引き出しを増やすというステップを大切にしています。
最初は「あれがしたい。これがしたい。」と夢を膨らませて来られる方が多いですが、じっくり話をしてクールダウンしていくと「僕はこれだけは実現したい」というシンプルでブレがない価値観に進んでいきます。


実際に建て主さんとの打ち合わせで行われている和紙についての学びを再現してもらった。

手前:大量生産型の和紙(一般的に和紙と言われている。パルプを原料とし各工程で薬品を使っている) / 中:手漉き和紙(最後に手で漉いてはいるが原料やプロセスは大量生産型と近い) / 奥:本当の手漉き和紙(昔ながらの完全な手漉き。楮(こうぞ)を原料とする)

まず触って比べてみると、一番薄く弱そうだと感じたのが「本当の手漉き和紙(奥)」だった。しかし破ってみるとガラリと印象が変わった。他の2枚に比べて断然引き裂きにくく、かなり強度があることが体感できる。繊維が幾重にも重なっていているのがよくわかる。驚くことに、この本物の和紙を幾重にも貼り重ねてつくられた古式製法の襖の上は、子供が歩いても破れなかったとか。他にも、紫外線にあたるとすぐに黄ばむのではなく、まず白くなってゆきその後徐々に黄色くなってゆくと聞いたり、破れたり不要になった和紙は漉き直すことが可能で、リサイクルという言葉が生まれる遥か昔から循環の輪が成立していたと聞いてさらに驚いた。

 

徳永 やっぱりちゃんとしたプロセスで作られている先人たちが残してくれたものは、今の大量生産型のものとは大きな違いがあると言うことですよね。これは紙の話だけではなく、職人さんの仕事には全部当てはまることです。こういった本物を使っていくことで、職人さんも生き残っていけるし、技術も引き継がれていく。お施主さんだって風合いのいい丈夫なものを使うことができる。みんながいい循環になっていくんです。


本物をみんなの手に届くものに

 

⎯⎯⎯⎯これから挑戦したいことや取り組んでいることはありますか?
橋詰 「小さな本物の家」という石場建ての家をつくろうとしています。間取りの部分は画一してしまって、その分で設計や職人さんの手間や費用を抑えて実現。小さな家ですけど、素材や工法にはこだわり、多くの人に健康的で地震にも強くて安心して暮らせる家を建てれるようにしたいと思っています。多くを求めず心地よく暮らせる本物の小さな家というものを広めていきたくて、ずっと温めてきたんです。やっぱり伝統構法の家となると、高嶺の花になってしまい、ごく一部の限られた人にしか建てられないものになってしまうことが多いですから。ここの集落の家なんかもそうですが、昔の大工さんが建てた家は大体間取りが同じでしたよね。そんなイメージです。

「小さな本物の家」の模型

「小さな本物の家」の屋根(今では防水紙に取って変わられている)に使う杉皮。今ではなかなか販売していない。防水紙と違い100年経っても劣化しない。

橋詰 それから「野の草ブランド」の家具や道具の企画・制作もしています。これだけモノが溢れている時代で、家を建てない人も多くいますよね。家を建てるまでしなくても、生活の身近にあるものを通して、伝統技術や良いものを永く使うことの素晴らしさに気づいてもらえたら嬉しいです。
いろんな職種の職人さんの素晴らしい技術を絶やすことなく活かしていきたいという想いもあります。この二つから何かが変わっていったらいいなと思います。

上:ペンダントライト 傘は砥部焼 / 左:ペンダントライト 細かい竹細工が美しい / 右:テーブル 山桜を豆鉋(まめかんな)で仕上げている

上:無垢材の仏壇 「市販品はいい値段の割りにほとんどがベニヤで残念。伝統的な技術をつかって今の時代に合わせた物を」と橋詰さん。 / 左・右:山桜のスツール 座面とサイズのバリエーションがある。

家具に使う山桜は自らストックしている。「ちゃんとした家具を作れる職人さんは居るんだけど、仕事がなかなかないので材木を在庫している家具屋さんがいないんです」と嘆く。


今時珍しい二間続きの畳のリビング「こんなにいいものない」と建て主の田中さん

土間と風の家

 

野の草設計室から車を走らせること40分。松山市内に2019年2月に完成した《土間と風の家》を案内してもらった。《土間と風の家》は国土交通省のサステナブル気候風土型モデルとして採択された家でもある。建て主の田中さんご夫婦は30代で3歳と5歳のお子さんとの4人住まいだ。

 

床下も部屋の中もとにかく空気が通り抜ける

二階の大きな窓がシンボルだ。気候に合わせて4通りの使い方が可能。完全に開放した状態では心地よい風が吹き抜け目の前の河原と繋がっているような感覚になる

左から網戸・ガラス窓・障子

左:キッチンの大きな窓からも川を眺められる / 中:暮らしが見える収納にも好感が持てる / 右:冬は畳リビングにコタツが登場する

左:三和土(たたき)の土間 / 右:梁も美しい

職人の手仕事の道具や、田中さんが集めた古道具が生活を彩る

田中さんにもお話をうかがった。

田中さん(以下、田中) 橋詰さんと徳永さんがじっくり付き合ってくれたので、自分の価値観を確かめながら、いろんな知識を深めながら、進められました。時間がかかってよかったです。慌てて作るものじゃないですから。

 

橋詰 建主さんの考えにブレがなくなった時が建てる時な気がしますね。

田中 我々も最初はブレてましたね。床暖房しようとか。結局エアコンは最低限しか使いませんし、冬場も薪ストーブで心地よく暮らしています。今でも妻が「こんな素敵な家、他にないよね」と喜んでいます。子供達も畳を走り回って楽しそうですし、橋詰さんにお願いしてよかったです。

 

《本物》の詰まった家に暮らす田中さんと、それを設計した橋詰さん・徳永さんの話を聞いていると、暮らし方・生き方の価値観を共有されているんだなと感じた。


本当に良い暮らしとは何か。衣食住、くうねるあそぶ、家族、仕事、近所付き合い、地球環境、過去、未来…
一見バラバラに見えて難解な問題も、まずは一歩引いてクールダウン。自分に一番大切なことは何かをじっくりゆっくり考えて、価値観をひとつ持つことができれば、どんな問題にも自分なりの答えを導き出すことができる。その《暮らしの学び》のきっかけづくりを、橋詰さんは家づくりの中に取り入れている。

 

ちょうどこの12月には《伝統建築工匠の技》がユネスコ無形文化遺産に登録される予定です。先人たちの技術・知識・想いに触れながら、自分自身の暮らし方についても見つめ直し、考えを深める良い機会ではないでしょうか。


野の草設計室 橋詰 飛香(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

(有)かとう建築事務所の加藤由里子さんは、木の家づくりの魅力を「作り手にとっては仕事の喜びがあり、住まい手にとっては大切に使い続ける喜びがある」と独特の表現で読み解く。これまで愛知県で宅地開発や申請業務、公共建築など幅広い建築を手掛けてきたが、15年前から木の家づくり一本にシフトチェンジ。土壌改善や自然農にまで探求の幅を広げ、自然に寄り添った暮らしを提案している。

(有)かとう建築事務所は、愛知県岡崎市にある。事務所では薪ストーブで暖を取り、歩いて5分ほどの畑で季節の野菜を育てる。「岡崎は、半分山で半分が平野という地域。木を身近に感じられるし、四季の移り変わりを自然から教えてもらっている」と由里子さん。この時期は紅葉のグラデーションが山を覆っていた。別の季節にはまた違った美しさが見られるのだろう。

自然を全身で感じながら設計に精を出す由里子さんは、「職人力を活かした家づくりがしたい」と語気を強める。由里子さんにとっての「職人力の活かされた家」とは、日本の山の木を適材適所に活かし、日本の山の特徴ある素材の個性を生かしながら刻み、仕上げ、組まれた家だ。マニュアル重視の考えでなく、職人さんの自然を敬う叡智とそれを楽しむ心の使い方が要ではないかと思っている。「今の私はこのような職人さんと一緒に、想いのこもった心地よい木造建築に携わることが楽しい」という。

事務所兼住宅に掲げられた看板(左)と、事務所内で活躍する薪ストーブ

2017年に設計監理した市内のある家は、由里子さんの理想に近い家ができた。職人さんは木の家ネットメンバーの力を借りた。木材は手刻みで1本1本の曲がりを生かして配置。職人さんの腕が光る。

室内は構造材が見えて力強さも感じる一方で「施主さんの奥様がちょっとかわいい感じが好きだから、主張しすぎないように工夫した」という。

壁をアーチ状にすることでやわらかい雰囲気を出した。木組みともうまく調和している

在来工法と違い、手刻みは時間と手間がかかる。「手間をかけてもらったということは、職人さんの思いがこもっているということ。いい感覚で暮らせるし、とっても贅沢なことでしょう」と由里子さんはほほ笑む。

想いがあるかないかで、居心地は変わってくる

想いがこもった家の心地よさを実感する由里子さん。そのきっかけは、現在も暮らす岡崎の生家にあった。由里子さんが小学生の時に、山から木を伐り出して建てたことを覚えているという。田の字のオーソドックスなつくりで、畳敷きの南面2部屋は当時のままだが、北面の部屋は高校生の時に改装し、板張りになっている。

「古い造り方のほうが居心地がいいっていうのは、私が一番感じていること。木こりさんが木を伐り出して、棟梁をはじめとする職人さんが思いを込めて建ててくれたのが伝わってくる」と言い切る。

日当たりのいい南面の部屋(左)と、玄関構え

自宅に事務所を併設し、夫で同じく設計士である正彦さんと建築事務所を切り盛りしている。仕事内容は、由里子さんが木造建築部門、正彦さんがそれ以外、と分担している。木造建築部門は「ののはな企画」という屋号で活動している。

事務所にて。正彦さんと机を並べて仕事に励む

由里子さんは大学で建築を学び、卒業後は宅地開発のプロジェクトに参加した。そして名古屋の設計事務所に所属し、民間から公共事業まであらゆる建築を仕事としてきた。出産後、実家である岡崎に移って事務所を立ち上げ、仕事のフィールドは住宅の設計管理と申請業務に変わった。そして、木造住宅や大工職人と関わるようになった。

この間、「ずっともやもやしながら建築をやってきた。法規や仕様書と職人仕事の間に不一致があるようで。どうも手ごたえがなくて・・・」と振り返る。業務と3人の子どもの子育ての傍ら、さまざまな勉強会に顔を出したが、ますます混迷するばかり。「しっくりきた」のが「木の家スクール」そして「職人がつくる木の家ネット」だったという。

話を聞く中で、歴史、政治、文化が時代の流れの中で発展とゆがみが生まれ、今に至っていることに深く納得。在来工法と伝統工法の区別すらできていなかったことにも気づき、特徴も理解できた。

由里子さんは「まだまだ勉強中なんだけど」と前置きしつつも、こう考えている。現在主流の家づくりは、効率・マニュアル重視。例えば木の癖をなくし集成材にする、高温乾燥により木の本来の粘りを飛ばすなど、自然を人間や経済の都合に合わせる、対処療法のような方法だ。結果、建物は短命になり、職人力も影を潜め、室内外の環境も悪化してしまった。建築以外に農業、土木、医療、食など他分野でも同じようなことが起きていて、経済的に豊かになったように見えるものの、本当の豊かさである仕事の喜びや生きる喜びは薄れてしまっている。「伝統建築や伝統文化にはその根本的な部分を取り戻す力がある。自然を生かし、大切に思う心がある」という。

自然を生かすには、自然や材料と時間をかけて向き合わないといけない。そうすると、おのずと想いが込められ、居心地のいい空間が生まれるのかー。加藤さんの抱えていたもやもやが晴れた瞬間だった。

自身の生まれた家の居心地の良さに、強い納得感が生まれた。

自然を生かすスタイルにはマニュアルがなく、直面した課題ごとに答えは変わってくる。由里子さんは木の家ネットの勉強会を中心に、県外まで出かけていくようになった。

最近は、建築(地面の上)だけでなく、地面の下の土壌環境まで学び始めた。持続可能な生活を体現したいと、自然栽培での農業にも取り組んでいる。伝統工法を知りたいだけなのに、探求の分野は際限なく広がってくる。

また、「伝統工法は木組み、土壁、石場建ての特殊技術からか、施主さんには価格が高いと言われてしまうのよね。良さを伝えてもなかなか契約まで結びつかない。大手メーカーとそんなに変わらないんだけど、経済との両立は難しい」と、理想と現実の壁を実感している。

木の家ネットのウェブページの「このような会です」という説明の中にも、

・国産材、近くの山の木を使います。

・大工さんが一棟一棟、つくります。

・木と木を組んでいくことで構造体をつくります。

・木以外にも、環境に配慮した素材を使うことを心がけています。

という4項目が挙げられている。

木組み、土壁、石場建ては絶対条件ではなく、自然を生かした家づくりのひとつの策として由里子さんはとらえ、落としどころを模索し続けている。木の家に興味がありつつ、予算の関係などで断念した悔しさも知っているからだ。

石場建については「コンクリートで地面を固めると土の中の自然を壊してしまうことになると思う。家の中は妙な湿気が出るし、家の外の自然も狂ってしまう」という考え方だが、予算との兼ね合いと地盤の状態から折り合いをつけるのも重要な仕事だ。

建具や目隠しに木材など自然素材を使うことは、一貫して提案してきている。端材の有効活用にも熱心だ。

岡崎市内の施工事例。玄関からの目隠しの木目が軽やか(上)。2階には端材でキャットウォークをこしらえた

それから、在来工法と比べると知名度が低いため、説明する必要が出てくるが「伝統工法ってシンプルなはずなんだけど、説明が長くなってしまう。私の思い入れが強いからなのか・・・」という悩みもある。

勉強すればするほど、わからないことが増えていく。課題も多い。「けど、環境に負荷を与え続けてきた在来工法にはてなが生まれちゃったら、もうそれはできないでしょう。それに、根本に自然という存在があると、落ち着いて考えられる」と、由里子さんは前向きだ。これまで抱えていたもやもやは晴れ、ゆったりと、そして面白がりながら建築と向き合えている。

木を美しく魅せる職人技にほれぼれ

由里子さんが手がけた事例を紹介しよう。

浜松市の社会福祉法人のデイサービス施設に併設するトレーニング室は、来所者が介護予防や脳トレを行う。敷地面積は240平米ながら、トラス式の構造材が、広がりのある空間を生み出している。同市天龍地区の材木を、その地域の大工職人が加工した。

由里子さんには「木を美しく魅せたい」というこだわりもある。照明が主張しすぎないようにする。壁など木以外の素材との組み合わせのバランスも考える。

「確かに、木は素材のまま、自然のままでも十分美しいんだけど、職人さんの手にかかるとさらに美しさが増す。想いを込めてくれてくれるということだと思うのね」とうなずく。

地元の寺では、檀家さんが集まるための座敷と玄関の新築を、設計監理した。寺院建築には伝統的な様式があり、それにのっとった設計をした。格式を守りつつ清々しい空間づくりには、神社仏閣を専門にしている職人さんが腕をふるった。

神社仏閣には神様仏様が鎮座する場であるので、重厚さも必要になってくる。正面の中央の階段の真上に張り出した屋根を取り付けたり、住宅にはない屋根のそりを取り付けることで重厚さを表現する。それらをつくるには複雑な工法が必要になる。複雑で時間がかかることは、職人の腕の見せ所であるとともに、想いを込められる環境でもある。

神社仏閣などの文化財に人が集まるのは、宗教的、観光的な意味合いもあるが、職人が長い時間をかけて想いが込めたからこそ生まれる居心地の良さも、その一助となっているとみている。

「職人さんって本当に素敵なの。一緒に仕事するうちに、すっかり職人さんのファンになっちゃった」と由里子さん。自然を生かす存在、建物に思いを込める存在として、「私がどんなに勉強しても追いつかない」とうらやましさもにじませる。

由里子さんは「こういう勉強ばっかりしてると、経済の循環には入らなくていいって思っちゃうんだけど、職人さんが活躍できる場は残していきたい。残していかなくっちゃ」とうなずく。伝統工法のPRにも熱が入り、「ののはな企画」のブログでも取り上げている。今後は同市の観光名所「奥殿陣屋」のマルシェで、木組みについて紹介する場をつくろうと企画している。

出店企画を温めている「奥殿陣屋」の茶店も、由里子さんの設計だ

長いこと建築畑を歩んできて、やっと手ごたえを感じることができた木の家づくり。探求はまだまだ続くだろうが、そこに迷いはない。

(有)かとう建築事務所 加藤由里子さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真一部提供:(有)建築事務所

● 取 材 後 記 ●

とにかく学ぼうとする姿勢がまぶしかった。「コロナでオンラインでのセミナーが増えたから、出かける必要がなくなったでしょ。その分畑に行ける」と前向きさ。
聞けば、独身時代そして出産前は、徹夜上等で働き詰めだったという。子育てで岡崎に戻った時には前のように働けず悔しい、と感じたとも。子どもと向き合う時間は素晴らしいことなはずなのに、世間から取り残されたような焦りを抱いてしまうというのは私もうなずける。由里子さんは、「家にいる時間が長かった分、家と向き合えた。窓から見える風景や畑にもずいぶんと癒された」と振り返る。「想いを込めて」「自然に寄り添って」と強調する理由が、わかった気がした。そして、そんな由里子さんが存分に探求できる時代になり、うれしく感じた取材となった。

大阪市内で「人の手と心で造りこむ、温かい美しい木の家」をモットーに【有限会社 羽根建築工房】を営む羽根信一さん(はねのぶかず・66)をご紹介します。
羽根さんは三重県熊野市出身。小学生の頃から将来の夢の作文には「大工さんになりたい」と書いていたそうだ。「何が理由かは自分でもわからないんですが(笑)」と羽根さん。18歳で奈良で大工として弟子入りし入母屋造(いりもやづくり)の住宅をメインに手がけられていたそうだ。その後、20代半ばからは大阪の工務店へ。大工・現場監督そして取締役を勤め44歳で独立。そして【羽根建築工房(以下はねけん)】を立ち上げ今年で22年になる。

イチから学ぶことの大切さ

 

まずは、羽根さん自身の経歴や、職人さん・お客さんとの関わりなど、人間関係について話していただいた。

⎯⎯⎯⎯羽根さんご自身の現在のお仕事について伺います。設計から大工仕事まで手がけられているのですか?
「私自身は設計はしないんですが、現場監督が自分も含めて4名(内、設計もできるスタッフが2名)いますので、いつも4人でコンペをしています。みんなで設計しているという感覚ですね。独立前から付き合いのある設計士さんからの仕事も多いです」

「大工に関しては今は自分で刻むことはほぼなくなりました。手を出したら怒られます(笑)。というのも若い子の成長を重視しているからなんです。今の自分の仕事は「若い職人達が自分で考えながら活躍できる場をつくる」ことです。今はそこに集中しています」

⎯⎯⎯⎯具体的には若い職人さん達を育てるためにどのような取り組みされているのですか?
「若い子たちに対して気をつけていることは各々のレベルに応じて《活躍できる場》《自分で考える場》《手刻みの場》をつくってあげるという取り組みをしています」

活躍する若き大工達

「木の家を作り上げるためには、やはりイチから学ばなければならないと思うんです。いきなりプレカットのように中途から造作仕事に入るとかでは、全体の流れがわからない。イチから現場で経験してこそ一人前の大工になれると思っています。そのためにも100%手加工を貫いています」

「それから、住宅ばかりだけでなくイベントや展覧会などの施工などに、若い子たちを参加させるようにしています。普段と違うことが多いのでメリハリが出て楽しんでやっていますね。ちょうど今、神戸県立美術館で開催中の特別展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」に展示されている中村好文氏設計の小屋 《shell house》の施工を担当しています (建築知識ビルダーズ42に詳細掲載 東京をはじめ他の巡回展も担当)。そういう現場でも図面通り行かないことは多々あるので、彼らの勉強にもなるし面白い部分だと思います」

《shell house》施工風景

 


お客さんにも建築家にもNOと言います

 

⎯⎯⎯⎯次にお客さんとの関わりではどんなことを大事にされていますか?
「つくり方に対する熱い心を訴え、お互いに共有できる関係を目指しています。それと関西なので必ず負けてって言われますね(笑)『関西人やし一応言っとくわ〜』と言う感じで。それはコミュニケーションがうまく取れている証だと思っています。お互いが言いたいことを言えて、聞き入れる姿勢を持ち、できないこと・ダメなことにはきちんとNOと言える関係を築くことが大事だと思います」

「僕は建築家の言うことにもNOと言います(笑)。そうやって関わる人みんなが本当に打ち解けられる雰囲気作りを現場が始まる前にしておけば、工事中も建てた後も気持ちよくスムーズな動きができますよね」

⎯⎯⎯⎯⎯他に人の繋がりを考えて実践していることはありますか?
「はねけんでは毎年夏休みに合わせ「羽根建祭り」というイベントを二日間に渡って開催しています。『土と木に触れてもらいたい』という想いで始めたもので、家づくりや暮らしにまつわる様々な体験ができる催しです。地域の子供たち・はねけんのお客さん、さらにその友人やHPで知った人などいろんな人が、毎年約200名くらい来てくれます。毎年賑わっていて私自身も楽しみにしていたんですが、今年は残念ながらコロナで中止になりました。次に開催する際には、大人も子供もみんな一緒に『観る・触る・動かす・考える・聞く』古くて新しい感動や発見ができる場になれば良いなと考えています」

毎度盛況な羽根建祭りの様子

羽根さんは、コミュニケーションの重要性を考え、職人・設計士・お客さんに至るまで、家づくりに関わる人達と一貫して気持ちの良いやりとりをできるように心がけているのだ。

 


Photo:ViBRA photo 浅田美浩

理想の設計思想を目指して

 

次に、はねけんの家づくりの思想や特徴について詳しく聞いた。

⎯⎯⎯⎯いわゆる「伝統的な木の家」というだけではない新旧・和洋が調和した素敵な木の家を多く建てられていますね。
「いろんなお客さんがいらっしゃいますから、伝統的な方向にグッと入り込んだ家づくりはなかなか手掛けられないんですが、大工仕事自体は木の家ネット会員のみなさんと同じ、伝統的な技術・方法でつくっています」

それから木に関して言えば、吉野杉を使う機会が多いです。木の家ネット会員の中西豊さん(株式会社 ウッドベース)にいつもお願いしていますし、徳島の和田善行さん(TSウッドハウス)にもとてもお世話になっています。実は和田さんの息子さんがうちで現場監督として働いてくれているんですよ」

ここでもご縁やコミュニケーションを大事にされていることがうかがえる。

⎯⎯⎯⎯はねけんのホームページには、家を建てていく上でのこだわりや思想、重要視するポイントなどのコンテンツがとても充実していますね。見ているだけでも楽しいですし、これから家づくりをしたい方にとっても重要な資料になっていると思います。特に特徴的な強みはどこでしょうか?

「構造を重視して100%手加工。さらに温熱的な考え方をもって建てるのがはねけんの基本です。中でも《羽根建壁(はねけんかべ)》が特徴的ですね。従来の竹小舞のように竹を編み込んでゆく代わりに、竹を貼って土を塗って仕上げます。竹小舞の土壁のように構造材にはなりませんが、現代の家づくりにも順応する土壁となり、施工性を上げながら土が元来から持つ調湿性・保湿性・防火性能を得ることができます。主に人が一番無防備になる寝室に多く採用しています」

《羽根建壁》柱間には断熱材を施せるので「省エネ等級4」に相当する断熱性能も確保する

「土壁に憧れるお客さんがやっぱり今でもいらっしゃいます。みなさん、土の持つ健康面のメリットに魅力を感じられているようです。コロナ禍において自宅で過ごす時間が増えているので、室内はより安全で快適な空間にしたいですよね」

「他には、使う材木にも特徴があります。伝統的な木の家を建てる場合の梁とか柱には結構太い木を使うと思うのですが、はねけんでは小径木の《磨き丸太》を積極的に使っています。えくぼがあったり節があったりして規格品にならないものを活用しています。アントニン・レーモンドの建築が大好きで、丸太を使うのもレーモンドの影響を受けている部分です」

 

《絵画を楽しむ家》天井に見える丸太が特徴的だ。 Photo:及川雅文

⎯⎯⎯⎯温熱環境についての話も教えてください。

「生活の場として家を考えた時に【ストレスを感じない家づくり】というのが一番だと考えています。それを実現する上で一番大事なのは構造(『地震で倒れないか心配』というストレスを感じないことなど)。その次に大事なのが温熱環境(極端な暑い・寒いというストレスを感じないことなど)なんじゃないかなと思っています。いわゆるパッシブデザインの考え方ですね。自然の光・熱・風を効率的に取り入れて、夏に涼しく冬に暖かい快適な家を作ろうと思想です」

柔らかな日差しが降り注ぐ。快適な暮らしが目に浮かぶ。

⎯⎯⎯⎯空気集熱式ソーラーシステム※なども使われるんですか?

(※:暖房・涼風・換気・循環・給湯・発電の機能を備えたソーラーシステムのこと)

「一時は使っていたのですが、そういった装置に頼ってしまうと、どうしても装置が利くかどうかと言う話で終わってしまいます。今は、構造・素材・プランなどをいろいろと試行錯誤していくことで、装置がなくても、自然のことだけを考え、昔の日本の生活様式を発展させていく形で、快適な温熱環境を整えることができるようになってきました」

「温熱の勉強は奥が深く、独学でやっていても限界があります。【Forward to 1985 energy life】という、家庭でのエネルギー消費量を賢く減らして、現在の約半分、ちょうど1985年当時のレベルにしようという取組をしている団体に所属し、みんなで学んでいるところです。木の家ネットが木の家に熱い情熱を捧げているのと同じように、彼らも温熱に対して熱い情熱を持っています」

ここまで話していただいた【職人さんの話】【壁や丸太など素材の話】【温熱環境の話】などを組み合わせながら、理想的な住まいをつくる方法を、羽根さんは考案している。
それが【HANE-ken standard】と言う住宅設計の思想だ。【HANE-ken standard】の家はどれも「本当に大切なものだけを備えれば、それは豊かな住まいになる」というコンセプトのもと、こだわりをもって建てられている。

「一般の人のための住宅を、より住みやすくよりストレスのないものにしていきたいなと考えています」と話す羽根さん。完成した家々にはその思いがギュッと詰め込まれている。

屋根付きデッキのある家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)

みささぎ台の家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)


想いを広げる

 

羽根さんの家作りに対する情熱は、全国の仲間と共に波及しはじめている。

「名前はまだ無いんですが【手刻み同好会】というものを、全国の仲間10何社かで立ち上げています。手刻みをしたことのない工務店も多いので、そういう人たちに向けた勉強の場を作りたかったのが始まりです。そこから発展し、最近では『小屋を作ろう』という企画を実施しています。小さな小屋にパッシブデザインの設計思想・大工の優れた手加工の技術、自然の素材などの粋を集めることで、日本の伝統建築の良いところを、広く発信していけたら良いなと思っています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

⎯⎯⎯⎯画面越しですが、すごい熱量を感じます(笑)。最後に一つ質問です。羽根さんにとって家づくりとは何でしょうか?

「家づくりは結局【ものづくり】だと思います。ものづくりは『一を聞いて十を知る』というような単純なことで成し得るものではなく、一から順番に全ての過程を熟知しておかなければなりません。自分の仕事に集中する一方で周りも見渡し、いろんな角度や立場から状況を見る姿勢が大事ですね。お互いに把握し理解しあってこそ【良いもの】をつくり上げることができると考えています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

広く浅くでもなく、狭く深くでもなく、広く深く探究し、常に学び体現し続けている羽根さんの【家づくり/ものづくり】に対する情熱は、日本中に広がってゆくことだろう。


羽根建築工房 羽根 信一 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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