三重県四日市市に、設計事務所「スタヂオA.I.A」を構える伊藤淳さん。彼が設計した家に、一歩足を踏み入れる。すーっと通り抜ける風が心地よい。
「風通しのいい家が好きなんや。気持ちいい暮らしができるから」と目を細める伊藤さんは、木組みや土壁など自然素材を生かし、室内にいても自然を感じられる設計をする一方で、自ら工具を握り工事もこなす万能派。丁寧に施主さんに寄り添うコミュニケーションが、施主本人も気づかない要望をくみ取り、ゆるぎない信頼を集めている。まさしく風のようにさわやかな仕事ぶりに、迫った。
施主の要望を引き出すコミュニケーション
伊藤さんについて「設計士さんなんだけど、土壁塗りの先生で、暮らしのアドバイザーでもある。なんでも相談できる存在」と話すのは、施主の佐野さん。伊藤さんの設計で、2019年4月、同県菰野町に自宅兼絵画教室を完成させた。
木組みのしっかりした構造材に、全面土壁の2階建ての家。外壁は波状のトタンを張り、外から見た雰囲気と中に入った雰囲気の違いが個性を発揮する。大黒柱はないが、「構造材を一般の住宅より太めにとることで安全も確保した」(伊藤さん)。絵画教室のスペースは吹き抜けになっていて、天井から床まで土壁の表情を存分に楽しめるのが魅力だ。
この土壁、荒壁塗りは、施主さん家族や友人が半年かけてセルフビルドした。土の感触と仲間とのコミュニケーションを楽しみながら、時間をかけて完成させていった。やり方は伊藤さんが教えたという。佐野さんは「いやー、楽しかったですよ。完成後も友人と思い出話で盛り上がりますし、自分の家って愛着がわきました。自然素材で住み心地も最高です」と、目を輝かせる。伊藤さんは「時間が経つと、さらにいい味が出てくると思いますよ」とほほ笑む。
ふたりが出会ったのは7年前、当時、佐野さんが関わっていた子供たちがツリーハウスを作るプロジェクトで、設計を伊藤さんが担ったことだという。伊藤さんは設計のみにとどまらず、子供を山に連れ出し木を伐りだす手伝いや、自らのこぎりを握って手ほどきをしたりする様子を見て、佐野さんは「視野が広くて、信頼できる。家を建てるならこの人に任せたい」とほれ込んだ。
伊藤さんの仕事は、このように、「一緒に仕事したり、ワークショップ(土壁塗りなど)で出会った人が、別の機会に声をかけてくれることが多いな。本当にありがたい」と話す。
事務所を立ち上げて23年。自然素材を使った新築物件の設計は年間1、2件ほどで、他にも許可申請の手続きやリフォーム、店舗や倉庫、工場の設計など幅広い仕事をこなしている。
その中で心掛けていることは、「相手の話をよく聞くこと。それと、なるべくその人の言葉でしゃべってもらう」と話す。
肝となる事前打ち合わせで聞くのは、家に何を設置したいかでなく、どんな暮らしをしているか、に尽きるという。例えば、風呂に入ってからすぐに寝る生活なのか?それともゆっくりリビングで過ごすのか?どんな料理を作るのか?夫と妻が台所に立つ頻度は?トイレは広い場合と狭い場合とどちらが落ち着くか?
それも、施主さんがあまり構えすぎずに、世間話の延長線上でゆったりと聞き出すことを心掛けているという。
「資料とか他の家はほとんど参考にしないな。そこに暮らす人が納得できるように、考えて、考えて、考えるんや」と伊藤さん。うまくまとまらなかったり予算の関係で煮詰まることもあるが「この過程が一番楽しい」という。
前述の佐野さんのオーダーは「自然を生かした、住むほどによくなる家」だった。そこで土壁を提案し、予算を抑えるために、セルフビルドで、他の現場での経験を生かし伊藤さんが教えることにした。また、趣のある古建具を再利用したり、風呂をユニットでなく、モルタル仕上げの床にバスタブを置くスタイルにしたりした。作り付けの収納はほとんど作らず、引っ越しを機に処分するようアドバイスもした。伊藤さんは「話を聞いてると、好きなものだけ囲まれたいって人かなと思って。暮らしのアドバイザーって言われたけど」と笑う。
事前打ち合わせだけでなく、建設途中での要望にも柔軟に答える。「施主さんも、最初から自分が何がよくて何が嫌かわかっているわけではなくて、家づくりが進んでいくと見えてくるものがあるでしょう。せっかくお金かけて家を建てるんだから、満足してもらえるようにせんとな」と、どんな現場でもフットワーク軽く向かっていく。そして、時間をかけて話を聞き、方向性を整えていく。
伊藤さんは事務所を四日市の市街地の一角に構えるが、事務所スタッフ曰く「事務所で座ってるのは珍しく、いても施主さんや職人さんと電話してたり、打ち合わせをしていることが多い。様子を見ていると、絶対に人を邪険に扱わないから信頼されてることがわかります」と話す。
次世代に課題を残したくない
暮らす人に寄り添った家づくりを大前提とする伊藤さんだが、一つだけこだわっていることがある。風通しだ。
室内を風が通ることで、自然を感じながら生活できる。それは「とっても健康的。人間って本能的にあー、気持ちいいとなる」と確信している。さらには「今は気密性が高くて冷暖房効率いい家が主流なんやろうけど、施主さんと話してると、実は季節のいい時は風を通したいって人は多いよ」と潜在的なニーズも実感している。
そんな伊藤さんが設計する家は、自然と窓が大きく、枚数も多くなる傾向があるという。他にも、古建具の障子を外して空気が通るようにしたり、天井にファンを取り付けたりするなど、室内の風を動かす工夫も凝らす。
加えて、木の家、自然素材の家は「処分に困らないのがいいところ」と伊藤さん。基本的には、自然素材にこだわり過ぎず、施主さんの予算に見合った素材で柔軟に対応したいというスタンスで、さまざまな分野の展示会などにも顔を出している。
以前、とある断熱材メーカーに話を聞き処分について尋ねたところ「それは次の世代の課題ですね」と言われたという。「そんなんおかしな話や。次の世代に課題を残さないようにするのが俺たちの役割やろ」と憤ったことは忘れないという。同時に、本能的に惹かれていた自然素材の良さを再認識もした。
自ら手を動かすからこそ感じる職人への尊敬
そんな自然素材を扱う大工や左官など職人への尊敬も、伊藤さんは大切にしている。
というのも、伊藤さんは子どものころからの工作好き。現在も、ちょっとした木の棚作りやモルタル塗りは自らやってしまう。土壁塗りの先生もこなす。
「職人さんに頼むより経費を抑えられるし、自分で手を動かすのが好きなんや」とはにかむ一方で、「その分、職人さんの技術のすごさは身に染みてわかる」と力を込める。
そんな信頼関係から、「今一緒に仕事している職人さんたちには、細かいこと言わんと、任せられる。気持ちよく仕事してもらえるで、いい家ができる」と話す。
取材中の事務所にも、ある大工職人が訪ねてきて、進行中の現場について相談していた。任せる部分は任せつつ、気になる部分はコミュニケーションをとって丁寧に解消していく。
風通しのいい家づくりは、風通しのいい関係づくりにもつながっているのだ。
伊藤さんの原点とは、「建築は、暮らしをちょっと便利にするもの」だという。
工作に夢中で、ラジオを分解修理したり木で小物を作ったりしていた小学生時代。学校の黒板のチョークが、備え付けの木製置き場にうまく収まらなかったことがあった。「なんで?」教師に尋ねると、「伊藤が将来建築家になって、解決してくれや」と言われたことを覚えている。「何かをつくるって、自分が楽しいだけじゃなく、困ったことを助けられるんや」という発見が、建築の道へと進ませた。
進学した名古屋の大学では建築を学び、卒業後、学生時代アルバイトしていた鉄骨工場にそのまま就職した。鉄以外も学びたいと木造住宅の工務店に勤めた後、独立。「大きなビルより、暮らしに近い木の家のほうが考えていてわくわくした。自分に合っていたんやと思う」と振り返る。
暮らしと向き合い、ちょっと便利にするにはどんなことができるか?施主さんとのコミュニケーションで得たアイデアやインスピレーションを形にするのが、四日市の事務所だ。
さながら秘密基地のようなこの空間は、伊藤さんが「リラックスできて仕事もはかどる」という床座りスタイル。手作りの木の作業台や本棚は「ちょっと不便だっていうと、伊藤さんがさっと直してくれる」(スタッフ)という。スタッフは伊藤さん含め3人体制だ。
畳敷きの打ち合わせスペースにゆったりと腰かけて、施主さんや職人さんとのコミュニケーションが深まる。もちろん窓は開けはなたれ、心地よい風が吹き抜けていた。
● 取 材 後 記 ●
伊藤さんの愛車は、三菱のジープ。サイドの窓はビニールのジップ。そして足元は雪駄。いつでも満面の笑顔。
なんとまあ、風通しのいいことか。
それに加え、「ほー、そうなんか」と、どんな話でも面白がって聞いてくれる。
行く先々でも、「あつしさん」「あっちゃん」と笑顔で迎えられる。
この人信頼できるな、という雰囲気づくりは、簡単にできるものではない。私もいつの間にか心解きほぐされ、事務所とふたつの現場を回りながら、自分の身の上相談をしてしまっていた。
しかし、よくよく話を聞いていくと、以前、依頼主とうまくいかずに空中分解してしまった現場があった、と打ち明けてくれた。「ああいうのはもう、勘弁やな」。一瞬、笑顔が曇った。
家の新築や改修は、人生一の大きな買い物と言っていいだろう。どんなにスタイリッシュで便利な提案も、信頼できる人との出会いには適わない。そんな当たり前のことを再確認した。