(有)かとう建築事務所の加藤由里子さんは、木の家づくりの魅力を「作り手にとっては仕事の喜びがあり、住まい手にとっては大切に使い続ける喜びがある」と独特の表現で読み解く。これまで愛知県で宅地開発や申請業務、公共建築など幅広い建築を手掛けてきたが、15年前から木の家づくり一本にシフトチェンジ。土壌改善や自然農にまで探求の幅を広げ、自然に寄り添った暮らしを提案している。
(有)かとう建築事務所は、愛知県岡崎市にある。事務所では薪ストーブで暖を取り、歩いて5分ほどの畑で季節の野菜を育てる。「岡崎は、半分山で半分が平野という地域。木を身近に感じられるし、四季の移り変わりを自然から教えてもらっている」と由里子さん。この時期は紅葉のグラデーションが山を覆っていた。別の季節にはまた違った美しさが見られるのだろう。
自然を全身で感じながら設計に精を出す由里子さんは、「職人力を活かした家づくりがしたい」と語気を強める。由里子さんにとっての「職人力の活かされた家」とは、日本の山の木を適材適所に活かし、日本の山の特徴ある素材の個性を生かしながら刻み、仕上げ、組まれた家だ。マニュアル重視の考えでなく、職人さんの自然を敬う叡智とそれを楽しむ心の使い方が要ではないかと思っている。「今の私はこのような職人さんと一緒に、想いのこもった心地よい木造建築に携わることが楽しい」という。
2017年に設計監理した市内のある家は、由里子さんの理想に近い家ができた。職人さんは木の家ネットメンバーの力を借りた。木材は手刻みで1本1本の曲がりを生かして配置。職人さんの腕が光る。
室内は構造材が見えて力強さも感じる一方で「施主さんの奥様がちょっとかわいい感じが好きだから、主張しすぎないように工夫した」という。
在来工法と違い、手刻みは時間と手間がかかる。「手間をかけてもらったということは、職人さんの思いがこもっているということ。いい感覚で暮らせるし、とっても贅沢なことでしょう」と由里子さんはほほ笑む。
想いがあるかないかで、居心地は変わってくる
想いがこもった家の心地よさを実感する由里子さん。そのきっかけは、現在も暮らす岡崎の生家にあった。由里子さんが小学生の時に、山から木を伐り出して建てたことを覚えているという。田の字のオーソドックスなつくりで、畳敷きの南面2部屋は当時のままだが、北面の部屋は高校生の時に改装し、板張りになっている。
「古い造り方のほうが居心地がいいっていうのは、私が一番感じていること。木こりさんが木を伐り出して、棟梁をはじめとする職人さんが思いを込めて建ててくれたのが伝わってくる」と言い切る。
自宅に事務所を併設し、夫で同じく設計士である正彦さんと建築事務所を切り盛りしている。仕事内容は、由里子さんが木造建築部門、正彦さんがそれ以外、と分担している。木造建築部門は「ののはな企画」という屋号で活動している。
由里子さんは大学で建築を学び、卒業後は宅地開発のプロジェクトに参加した。そして名古屋の設計事務所に所属し、民間から公共事業まであらゆる建築を仕事としてきた。出産後、実家である岡崎に移って事務所を立ち上げ、仕事のフィールドは住宅の設計管理と申請業務に変わった。そして、木造住宅や大工職人と関わるようになった。
この間、「ずっともやもやしながら建築をやってきた。法規や仕様書と職人仕事の間に不一致があるようで。どうも手ごたえがなくて・・・」と振り返る。業務と3人の子どもの子育ての傍ら、さまざまな勉強会に顔を出したが、ますます混迷するばかり。「しっくりきた」のが「木の家スクール」そして「職人がつくる木の家ネット」だったという。
話を聞く中で、歴史、政治、文化が時代の流れの中で発展とゆがみが生まれ、今に至っていることに深く納得。在来工法と伝統工法の区別すらできていなかったことにも気づき、特徴も理解できた。
由里子さんは「まだまだ勉強中なんだけど」と前置きしつつも、こう考えている。現在主流の家づくりは、効率・マニュアル重視。例えば木の癖をなくし集成材にする、高温乾燥により木の本来の粘りを飛ばすなど、自然を人間や経済の都合に合わせる、対処療法のような方法だ。結果、建物は短命になり、職人力も影を潜め、室内外の環境も悪化してしまった。建築以外に農業、土木、医療、食など他分野でも同じようなことが起きていて、経済的に豊かになったように見えるものの、本当の豊かさである仕事の喜びや生きる喜びは薄れてしまっている。「伝統建築や伝統文化にはその根本的な部分を取り戻す力がある。自然を生かし、大切に思う心がある」という。
自然を生かすには、自然や材料と時間をかけて向き合わないといけない。そうすると、おのずと想いが込められ、居心地のいい空間が生まれるのかー。加藤さんの抱えていたもやもやが晴れた瞬間だった。
自身の生まれた家の居心地の良さに、強い納得感が生まれた。
自然を生かすスタイルにはマニュアルがなく、直面した課題ごとに答えは変わってくる。由里子さんは木の家ネットの勉強会を中心に、県外まで出かけていくようになった。
最近は、建築(地面の上)だけでなく、地面の下の土壌環境まで学び始めた。持続可能な生活を体現したいと、自然栽培での農業にも取り組んでいる。伝統工法を知りたいだけなのに、探求の分野は際限なく広がってくる。
また、「伝統工法は木組み、土壁、石場建ての特殊技術からか、施主さんには価格が高いと言われてしまうのよね。良さを伝えてもなかなか契約まで結びつかない。大手メーカーとそんなに変わらないんだけど、経済との両立は難しい」と、理想と現実の壁を実感している。
木の家ネットのウェブページの「このような会です」という説明の中にも、
・国産材、近くの山の木を使います。
・大工さんが一棟一棟、つくります。
・木と木を組んでいくことで構造体をつくります。
・木以外にも、環境に配慮した素材を使うことを心がけています。
という4項目が挙げられている。
木組み、土壁、石場建ては絶対条件ではなく、自然を生かした家づくりのひとつの策として由里子さんはとらえ、落としどころを模索し続けている。木の家に興味がありつつ、予算の関係などで断念した悔しさも知っているからだ。
石場建については「コンクリートで地面を固めると土の中の自然を壊してしまうことになると思う。家の中は妙な湿気が出るし、家の外の自然も狂ってしまう」という考え方だが、予算との兼ね合いと地盤の状態から折り合いをつけるのも重要な仕事だ。
建具や目隠しに木材など自然素材を使うことは、一貫して提案してきている。端材の有効活用にも熱心だ。
それから、在来工法と比べると知名度が低いため、説明する必要が出てくるが「伝統工法ってシンプルなはずなんだけど、説明が長くなってしまう。私の思い入れが強いからなのか・・・」という悩みもある。
勉強すればするほど、わからないことが増えていく。課題も多い。「けど、環境に負荷を与え続けてきた在来工法にはてなが生まれちゃったら、もうそれはできないでしょう。それに、根本に自然という存在があると、落ち着いて考えられる」と、由里子さんは前向きだ。これまで抱えていたもやもやは晴れ、ゆったりと、そして面白がりながら建築と向き合えている。
木を美しく魅せる職人技にほれぼれ
由里子さんが手がけた事例を紹介しよう。
浜松市の社会福祉法人のデイサービス施設に併設するトレーニング室は、来所者が介護予防や脳トレを行う。敷地面積は240平米ながら、トラス式の構造材が、広がりのある空間を生み出している。同市天龍地区の材木を、その地域の大工職人が加工した。
由里子さんには「木を美しく魅せたい」というこだわりもある。照明が主張しすぎないようにする。壁など木以外の素材との組み合わせのバランスも考える。
「確かに、木は素材のまま、自然のままでも十分美しいんだけど、職人さんの手にかかるとさらに美しさが増す。想いを込めてくれてくれるということだと思うのね」とうなずく。
地元の寺では、檀家さんが集まるための座敷と玄関の新築を、設計監理した。寺院建築には伝統的な様式があり、それにのっとった設計をした。格式を守りつつ清々しい空間づくりには、神社仏閣を専門にしている職人さんが腕をふるった。
神社仏閣には神様仏様が鎮座する場であるので、重厚さも必要になってくる。正面の中央の階段の真上に張り出した屋根を取り付けたり、住宅にはない屋根のそりを取り付けることで重厚さを表現する。それらをつくるには複雑な工法が必要になる。複雑で時間がかかることは、職人の腕の見せ所であるとともに、想いを込められる環境でもある。
神社仏閣などの文化財に人が集まるのは、宗教的、観光的な意味合いもあるが、職人が長い時間をかけて想いが込めたからこそ生まれる居心地の良さも、その一助となっているとみている。
「職人さんって本当に素敵なの。一緒に仕事するうちに、すっかり職人さんのファンになっちゃった」と由里子さん。自然を生かす存在、建物に思いを込める存在として、「私がどんなに勉強しても追いつかない」とうらやましさもにじませる。
由里子さんは「こういう勉強ばっかりしてると、経済の循環には入らなくていいって思っちゃうんだけど、職人さんが活躍できる場は残していきたい。残していかなくっちゃ」とうなずく。伝統工法のPRにも熱が入り、「ののはな企画」のブログでも取り上げている。今後は同市の観光名所「奥殿陣屋」のマルシェで、木組みについて紹介する場をつくろうと企画している。
長いこと建築畑を歩んできて、やっと手ごたえを感じることができた木の家づくり。探求はまだまだ続くだろうが、そこに迷いはない。
取材・執筆:丹羽智佳子、写真一部提供:(有)建築事務所
● 取 材 後 記 ●
とにかく学ぼうとする姿勢がまぶしかった。「コロナでオンラインでのセミナーが増えたから、出かける必要がなくなったでしょ。その分畑に行ける」と前向きさ。
聞けば、独身時代そして出産前は、徹夜上等で働き詰めだったという。子育てで岡崎に戻った時には前のように働けず悔しい、と感じたとも。子どもと向き合う時間は素晴らしいことなはずなのに、世間から取り残されたような焦りを抱いてしまうというのは私もうなずける。由里子さんは、「家にいる時間が長かった分、家と向き合えた。窓から見える風景や畑にもずいぶんと癒された」と振り返る。「想いを込めて」「自然に寄り添って」と強調する理由が、わかった気がした。そして、そんな由里子さんが存分に探求できる時代になり、うれしく感じた取材となった。