職人が受けて、職人が完成させる。それもいち職人でなく、会社として。工務店とも設計事務所とも違う独自のスタイルで木の家づくりをしている鯰組(なまずぐみ)は、代表で大工の岸本耕さんが立ち上げて12年になる。設計から施工までトータルで請け負える強みは、さまざまな職業が生まれては消える東京で、唯一無二の光を放っている。プロフェッショナル集団を率いる岸本さんは、ひとりひとりの職人に「それぞれのよさを生かしてほしい」とあたたかいまなざしを向ける。その姿勢は建物や材料にも向けられ、居心地のいい空間を生み出し続けている。

「鯰組」のウェブページ。かわいらしい黒い鯰のイラストが泳ぐページの右上に、「大工とは?」という問いがある。
クリックすると出てきた答え。
・大工とは、目利きの職人。
・大工とは、考える職人。
・大工とは、描く職人。
・大工とは、組む職人。
・大工とは、仕上げる職人。
・大工とは、設計士、庭師、職人をまとめる棟梁です。
そして、「私たちは、日本の大工です。」と締めくくる。

個性際立つ会社のロゴマーク

「職人の会社」にこだわり

岸本さんは、自身の肩書を「大工または棟梁」とこだわり、「建築家」とは言わない。「鯰組」も6人が所属する会社組織だが、社員とは呼ばず「職人」「大工」にこだわる。「大工は、設計から工程管理、材料など家づくりのすべてがわかっていて、施主さんとコミュニケーションを深めながら決めていく存在」という、昔から続く感覚を大切にし、誇りを持っているからだ。

そして、その職人が個人でなく、集団として働くことで「施主さんの期待以上の仕事、職人もやりがいのある仕事ができる」と考えている。

「鯰組」は、職人でつくるプロフェッショナル集団だ

職人集団「鯰組」はどんな体制なのか。現在の社員は6人で、ほとんどが20~30代で、1人たたき上げの60代の大工職人がいる。

社員は2人ずつ①設計兼、現場監督②大工兼、現場監督③大工と大工、の組み合わせで3チームに分かれ、チームごとにプロジェクトを進めていく。物件によって期間や難易度がさまざまなので、1件をじっくり進める時もあれば、何件か同時進行することもあるというという。それぞれの業務に集中できるよう、施主さんとの打ち合わせをはじめこまごましたことは岸本さんが一手に担う、という役割分担だ。

各チームは先輩と若手という組み合わせで、若手は先輩から仕事の進め方を習う。「若手は、まずはひとつのやり方をきちっと身に着けることが大事。いろいろ手を出したり、他のやり方を見ると時間ばかりかかってしまうのでやらせない」というのが、鯰組流のスタイルだ。ひとつのやり方が身につくと、その応用で別の仕事もこなせるし、つまづいた時の解決方法も見つけやすいのだという。そのやり方については、鯰組として確立したものがあるわけでなく、それぞれの先輩に任せている。

東京に構える作業場には、材木等のストックがびっしり

飛び込んだ大工の道、独立から無我夢中

このような体制になったのは5、6年前のこと。
鯰組の設立時は岸本さんひとりで、プロジェクㇳの数が増えたり規模が大きくなるごとに、少しずつ仲間を増やしていった。

会社設立前の岸本さんは、千葉の工務店「眞木工作所」で修行した。そこの棟梁・田中文男さんに師事したいという思いで門をたたいたのだった。

岸本さんは「建築を勉強したい」と大学の建築学部に入学したものの、設計だけを学ぶことに物足りなさを感じていた。そんな時、偶然知ったフランスの建築家ジャン・プルーヴェに魅了された。鉄工所育ちの職人で、金属でなんでも作ってしまうアイデアとバイタリティ。「建築家のオフィスの所在地が部材製造工場以外の場所にあることは考えられない」という哲学。この出会いが、岸本さんを「設計だけでなく実際にものを作り出す施工までやりたい、大工になりたい」と突き動かした。

雑誌『住宅建築』で「民家型工法」を紹介していた田中文男棟梁を「日本のジャン・プルーヴェだ」とほれ込み、眞木工作所でアルバイトを始めた。卒業後に弟子入りし、10人ほどの職人にもまれながらの日々。

「最初は何もできず怒られてばかりで、同じような若い職人同士で酒飲むのが心の支えだった。経験積んでできるようになると、少しずつ怒られる回数が減っていった」と振り返る。同時に、木造建築にどっぷりと触れ、その力強さや、シンプルで合理的なつくりなどの魅力を存分に味わった。

3年経った頃、大学時代の友人が古民家の改修・移築を依頼してきた。当時築80年の古民家で、ケヤキ材が多く使われていた。「この仕事、自分がやりたい」と強く惹かれ、独立へとつながった。

とはいえ工場もなしに独立した岸本さんは、移築先の現場に仮設テントを張って作業するという綱渡りのような工期を過ごした。設計から工事、施工監理まで幅広い業務を一人でこなしたが、慣れない作業もあり時間もかかった。工事中は無我夢中で、愛着と達成感はひとしお。けれど、終わってみたら次の仕事の段取りは全くできていない、という恐ろしい状態だった。「結局、眞木工作所に出戻りし、5年程お世話になりました」と振り返る。

独立のきっかけにもなった古民家は、「今も大切に使われていて嬉しい」と岸本さん(撮影:黄瀬麻衣)

集団だとできることが広がった

「設計から施工までやりたい」と大工の道に進み、独立して走り続けてきた岸本さん。仕事の進め方を模索する中で、ひとりでは1、2年かかってしまう仕事も、チームなら半年で終わらせられることや、得意分野を得意な職人に任せることで効率よく仕事を勧められることがわかってきた。

また、細かい造作が得意な職人もいれば、おおらかな屋根をつくれる職人もいる。「こういう職人がいい、という理想に自分を近づけるのではなく、自分なりの職人になればいい」と考えるようになり、若手にもそれを望んでいる。

「僕は、若手の得意分野を伸ばせるような仕事を取ってこようって本気で思ってますよ」と笑う。

自身の性格についても「手を動かしてものをつくるのは大好きなんだけど、集中しすぎて他に手が回らなくなる」と冷静に分析。現場作業の第一線からは退いている。ただ、昔から好きだというスケッチは、施主さんの要望を表現したり、細かいおさまりを説明する時に描いている。

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スケッチを描く時間は、頭が整理され、気分転換にもなるという

岸本さんは、いち職人として設計から施工までできなくとも、「鯰組」として請け負えればいい仕事はできる、と思えるようになった。

いい仕事とは、施主さんが思い描いた以上の空間をつくること、そして、職人もやりがいを得られること。

職人集団だからと言って職人のひとりよがりにはならず、施主さんの喜びを意識すること。そこには、建物の完成度だけでなく、工期や予算、打ち合わせから工事中の職人の態度も関わってくる。加えて、ただ施主さんの希望通りのものをつくるだけではなく、使う材料の個性を活かしたり、古い建具を再利用したりといったアイデアも不可欠だという。

職人のやりがいには「ほかの人にはできない」という満足感が必要だという。精巧な細工、美しいおさまり・・・これらの技術を高めていくのは一朝一夕では難しい。鯰組はプレカットなど現代の技術をうまく取り入れることも必要だと考えている。その分の時間を手仕事にあてることは、技術の継承にもつながっている。

いずれの場合も重要なのは、施主さん、材料や物件、そして職人をよく見て、よさを見出し、引き出す姿勢だ。現場の数や種類が多いほうがよく、集団であることで多数の仕事を受けられる今の体制が生きてくる。

最近の施工事例は、鳴滝の数寄屋風住宅((撮影:市川靖史)

そもそも、木造建築は「昔は一般的だったかもしれないが、今の東京ではマニアックになりつつある分野」と岸本さん。「できあがっているものを組み立てる工業製品と違って、木で形を削り出す自由度はすごい。どんな空間にもなじむし、温かみがあるのもいい」と魅力を語る。

住宅の玄関口。上がりかまちと竹柱が美しい(撮影:市川靖史)

今までは東京と言う場所柄か、数寄屋建築や茶室や料亭などの仕事が多かったという。
鯰組には職人ではないが広報担当の社員がいた時期もあり、イベント企画やカフェ運営(現在は閉店)もしていた。雑誌などにも取り上げられると問い合わせは増えるが、実際に契約まで至るのは大半が施主さんによる紹介という状況だ。

最近は古民家にも縁ができ、勉強を始めたところだという。「まずは健全な状態に戻すこと。それから、せっかく残すならよさを生かさないと意味ない」と、丁寧に見やる姿勢をさらに正す。

思い起こせば、独立のきっかけも古民家の改修だった。その時に打ち合わせを重ねた場所・埼玉県吉川市の特産が鯰だったことから、社名に鯰を取り入れたという。ちなみに、独立時の会社名は「吉川の鯰」とストレートだ。

「初心を忘れるべからず」を胸に刻みながらも、時代に合わせて、会社の体制に合わせてしなやかに変化してきた岸本さん。会社をつくるのは職人。職人の経験や技術・アイデアを信じ、職人を真ん中にした家づくりをしていきたいと前を見据える。

鯰組 岸本耕さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真提供:鯰組

● 取 材 後 記 ●

ひとつ、質問を投げかけるたびに「こういう場合もあるし、こういう視点もある」と複数の答えをくださるのが印象的だった岸本さん。常日頃から、いろいろな角度からものごとをとらえていることが伝わってきた。「わかってくれる」あるいは「わかろうとしてくれる」という安心感は、施主さんや職人への信頼につながっていることが伺える。

コンクリートジャングル・東京で、鯰組の手がけた木のぬくもりはきっと美しく映えている。今回はオンライン取材で実際に見ることが叶わず悔しいが、岸本さんのように別の角度から「次回訪れるまで楽しみをとっておこう」と考えることにしよう。

詳しくは文化庁の報道発表資料をご覧ください。

https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/92709001.html

 

愛媛県今治市、森と川の恵みに囲まれた玉川町で自然と共に暮らし、ゆっくりと年月をかけながら建て主さんと歩み、「暮らしを大切にした本物の家」をつくっている建築家がいる。今回ご紹介する橋詰飛香(はしづめ あすか)さんがその人だ。


橋詰 飛香(はしづめあすか)さん プロフィール

1971年高知県生まれ。短期大学を卒業後、松山市内の設計事務所で8年間勤務。2000年に独立し同市内でAA STUDIOという屋号で活動された後、2013年に今治市玉川町に自宅兼事務所を構え「野の草設計室」と屋号を改める。元々同僚であった徳永 英治(とくながえいじ)さんとご夫婦で、施主・設計者・職人が三位一体になって家づくりに取り組んでいる。


「野の草」に込めた想い

 

⎯⎯⎯⎯「野の草設計室」に事務所の名前を変えられたのはどうしてですか?
橋詰さん(以下 橋詰) 若い頃は、お洒落でカッコ良くてシャキシャキしたデザインの高いものに憧れていたので、名前も横文字で「AA STUDIO」としていました。それが13年前くらいから徐々に伝統構法の家づくりをするようになってきて、土とか木とか草とかを使って家を建てているし、私たち自身も田舎に住み始めたということもあって、自然の草のように華美でもなく、その土地の気候風土の中にそっとあるようなものづくりをしたいなと思って「野の草設計室」という名前にしました。

自然に囲まれた《野の草設計室》

⎯⎯⎯⎯AA STUDIO時代は今のように木の家を建てられていたわけではないということですか?
橋詰 最初の何年かは違っていましたね。普通に建材を使ったりしていました。木の梁をあらわしにしたり、無垢のフローリングを使ったりして、自然素材を使った家づくりをしているつもりだったんですが、やればやるほど建材を使った現代の家づくりの抱える問題点が見えてきました。シックハウス症候群の問題だったり、シロアリが湧きやすかったり、エアコンに頼らないと暮らせなかったり、産廃の問題だったり…

 

徳永さん(以下 徳永) そういった問題を解決して建て主さんに良い住まいを提供するにはどうしたらいいか悩んでいた時期があるんですが、ある時ふと古い家を見たときに「あっ、すでに解決してるじゃないか。問題そのものが起こらないじゃないか。昔の人はすごく考えて家づくりをしていたんだな」と感銘を受けました。それまではデザイン派のおしゃれなものに憧れがあり、古い物は過ぎ去った過去の遺物として興味を抱けなかったんですが、その時を境に私たちの家づくりは決定的に変わりましたね。

橋詰 私は使い捨て世代なので、ものを大事に使うことや、直して使うこと、直し易いように作ることを当たり前にやっていた昔の人たちの暮らし方や生き方にカルチャーショックを受けました。
今思うと若い頃に憧れたり設計していたような家は、デザイン性が高くて完成されていても、できた時が一番きれいなんです。でも、そこには生活がないんですよね。住み始めると生活の道具や生活感が出てきて途端に美しくなくなる。今はそれを包容できる住まいとしての懐の深さや経年変化を味わいにできる家の方がしっくりきます。

 

徳永 当時、自分が設計した家に「暮らしてみたいか」「落ち着くのか」と考えた時に全然イメージできなかったんです。

⎯⎯⎯⎯この瞬間から意識が変わったというエピソードはありますか?
橋詰 はい。衝撃的な気づきがあった一件があります。蔵を解体しないといけない機会があったのですが、その蔵の鏝絵(こてえ:蔵の妻側の母屋鼻や壁面などに漆喰を用いて作られたレリーフのこと。左官職人がコテで仕上げることからその名がついた。)がとても立派なものだったので「こんな素晴らしい鏝絵は残しておかないといけない。救出しよう。」という話になり、鏝絵を外す作業に携わりました。

鏝絵について説明していただいた

徳永 左官さんがお施主さんに対して、気持ちいい仕事をさせてくれたお礼として鏝絵を描いたのが謂れとされています。昔はお施主さんから職人さんに「ご飯食べていって」「お風呂入っていって」と、気持ちよく仕事をしてもらうための心遣いがされていました。現代と違ってお金じゃないところでのお付き合いがたくさんあったんですよね。そういうのがいいなぁと思い、自分たちが目指したいところになりました。

橋詰 そして蔵を間近で見てみると、庇が金物にかかっているだけで外せるようになっていました。私が当時やっていた建築では庇というのは当然固定させておくものだと思っていましたから、なんでこんな風になっているんだろうととても不思議に思いました。実はそれは、構造材と庇との縁が切られていることで、火事の時に火が廻っていかないように、また簡単に修理できるように、昔の人が何代にも渡っていろんなことを考えて家づくりをしていたんだなと学びました。
それまで自分が建てていた家は到底そんなことまで考えられてはいなかったので、ある意味使い捨てだったんですよね。自分の浅はかさを思い知らされる出来事でした。


家ではなく暮らしをつくり上げる

 

⎯⎯⎯⎯お二人でどういう仕事の役割をされているのですか?
橋詰 いつも喧嘩しながらやっています(笑)。具体的な設計やプランニングは私がするのですが、考え方やつくり方などを一緒に相談しながら進めています。結局、伝統構法なんて学校では一切学んできていないので、古いものを見て歩いて二人で紐解いて来たという感じです。

徳永 昔の建物が全て正解ではないので、その中からいい技術や手法、知恵や素材などを拾い出す作業をずっとやりながら、自分たちの家づくりに活かしてきたという感じです。

橋詰 その拾い出す作業の時も、一人だと考え方が偏ってしまいがちですが、夫婦で二人いれば「ああじゃない」「こうじゃない」と議論しながら答えを導きだせますよね。

 

徳永 一人の所長だったら違う方向に行っても社員が口出しできなかったりすると思うんですよね。けど僕らは夫婦なので、おかしいと思ったらお互いにぶつかって議論するので、そこがいいところかなと思います。それから、建主さんはご夫婦で相談に来られる事が多いので、その時に男性の視点と女性の視点で意見を出し合えることで、話し合いが活発になるので、とても建設的な場になります。

橋詰 私たちが言い合いを始めると、それを皮切りに建主さん側も会話が弾んできて意見が出やすくなっている気がしますね。

⎯⎯⎯⎯仕事とプライベートの境目はあるんでしょうか?
橋詰 あんまり仕事とか家庭とかという意識がなくて、この仕事は私たちのライフワークだと思っています。お施主さんにも、ここでの暮らし自体を味わって帰ってもらっています。単に家を建てるということではなくてライフワークにみんなで関わってもらって一緒に暮らしをつくり上げていくようなイメージですね。お施主さんには、お米作りや味噌作りに参加してもらったり、夜中にひじきを一緒に取りに行ったり、自然と関わってそこにある恵みを感じてもらうようにしています。「暮らしがあってこその家」なので、体験の中で暮らすことをしっかりと考えてもらいたいですね。

徳永 体験の中で共感してもらえる部分があれば、目指す家のつくりも変わってきます。どんな暮らしに喜びを感じるのかを見極めてもらいたいんです。

⎯⎯⎯⎯なるほど。それでHPに「野の草と意気投合しそうな建て主さん像」というのが書かれているんですね。
橋詰 そうです。建てた家だけを見て相談に来られても、本質的な暮らしの部分が共有できていないと話が進まないですし、お互いが不幸になってしまいます。もちろん最初から意気投合できるような人の方がお互い楽ですが、逆に違う価値観だった人が、いろんな体験を通して私たちのような暮らし方を好きになってもらうのも嬉しいですね。

HPに掲載されている建て主さん像


建て主さんの引き出しを増やす

 

橋詰 他にも、竹小舞を編んだり土壁をつくる体験などを通して、家のつくりや昔の人の知恵などを感じてもらっています。

徳永 体験の中で建て主さんの想いがどんどん入っていくので「買ったもの」ではなくて「自分がつくったもの」として家を大切に想ってくれるようになります。

橋詰 今の時代、家を建てるとなると、職人さんと建主さんとの距離があまりにも遠いので、職人さんの生の声や知っていることを聞いてほしいというのが一番。その機会を作るのが私たちの役目だと思っています。

橋詰 みんなで関わりながら家づくりをしていきたいので、建て主さんともよくご飯を一緒に食べます。やっぱり同じ釜の飯をつつけばつつくほど関係が深くなっていけますよね。設計士と建主と言うよりはもう友達とか親戚というくらいの何でも言いやすい関係を築くようにしています。職人さんとも同じです。職人さんにも建て主さんの喜んでいる顔を見てもらいたいし、声だって聞いてもらいたい。そういうきっかけをいっぱいつくりたいです。

橋詰さんお手製のスパイスカレーをご馳走になった。スタッフの島崎さんも交え和やかな昼食。

薪ストーブ:自分たちが暮らしに取り入れていると「いいですね」と建て主さんの意識も変わっていく

徳永 職人さんが積み上げてきたことを建て主さんが理解してくれたら、家づくりだけではなく暮らしの中で何を選択するべきかということを意識できるようになってきます。その選択の積み重ねで未来をより良い方向に舵を切ることができるようになってくるんじゃないですかね。

橋詰 だから設計期間もいきなり設計に取り組むんじゃなくて、話し合ったり、ものを知ってもらう期間を長めに取っています。間取りがどうこうではなく、木のことだったり、どういうものを目指したいかということだったり、判断基準をしっかり持ってもらうため、価値観を確立してもらうために、まずは建て主さん自身の引き出しを増やすというステップを大切にしています。
最初は「あれがしたい。これがしたい。」と夢を膨らませて来られる方が多いですが、じっくり話をしてクールダウンしていくと「僕はこれだけは実現したい」というシンプルでブレがない価値観に進んでいきます。


実際に建て主さんとの打ち合わせで行われている和紙についての学びを再現してもらった。

手前:大量生産型の和紙(一般的に和紙と言われている。パルプを原料とし各工程で薬品を使っている) / 中:手漉き和紙(最後に手で漉いてはいるが原料やプロセスは大量生産型と近い) / 奥:本当の手漉き和紙(昔ながらの完全な手漉き。楮(こうぞ)を原料とする)

まず触って比べてみると、一番薄く弱そうだと感じたのが「本当の手漉き和紙(奥)」だった。しかし破ってみるとガラリと印象が変わった。他の2枚に比べて断然引き裂きにくく、かなり強度があることが体感できる。繊維が幾重にも重なっていているのがよくわかる。驚くことに、この本物の和紙を幾重にも貼り重ねてつくられた古式製法の襖の上は、子供が歩いても破れなかったとか。他にも、紫外線にあたるとすぐに黄ばむのではなく、まず白くなってゆきその後徐々に黄色くなってゆくと聞いたり、破れたり不要になった和紙は漉き直すことが可能で、リサイクルという言葉が生まれる遥か昔から循環の輪が成立していたと聞いてさらに驚いた。

 

徳永 やっぱりちゃんとしたプロセスで作られている先人たちが残してくれたものは、今の大量生産型のものとは大きな違いがあると言うことですよね。これは紙の話だけではなく、職人さんの仕事には全部当てはまることです。こういった本物を使っていくことで、職人さんも生き残っていけるし、技術も引き継がれていく。お施主さんだって風合いのいい丈夫なものを使うことができる。みんながいい循環になっていくんです。


本物をみんなの手に届くものに

 

⎯⎯⎯⎯これから挑戦したいことや取り組んでいることはありますか?
橋詰 「小さな本物の家」という石場建ての家をつくろうとしています。間取りの部分は画一してしまって、その分で設計や職人さんの手間や費用を抑えて実現。小さな家ですけど、素材や工法にはこだわり、多くの人に健康的で地震にも強くて安心して暮らせる家を建てれるようにしたいと思っています。多くを求めず心地よく暮らせる本物の小さな家というものを広めていきたくて、ずっと温めてきたんです。やっぱり伝統構法の家となると、高嶺の花になってしまい、ごく一部の限られた人にしか建てられないものになってしまうことが多いですから。ここの集落の家なんかもそうですが、昔の大工さんが建てた家は大体間取りが同じでしたよね。そんなイメージです。

「小さな本物の家」の模型

「小さな本物の家」の屋根(今では防水紙に取って変わられている)に使う杉皮。今ではなかなか販売していない。防水紙と違い100年経っても劣化しない。

橋詰 それから「野の草ブランド」の家具や道具の企画・制作もしています。これだけモノが溢れている時代で、家を建てない人も多くいますよね。家を建てるまでしなくても、生活の身近にあるものを通して、伝統技術や良いものを永く使うことの素晴らしさに気づいてもらえたら嬉しいです。
いろんな職種の職人さんの素晴らしい技術を絶やすことなく活かしていきたいという想いもあります。この二つから何かが変わっていったらいいなと思います。

上:ペンダントライト 傘は砥部焼 / 左:ペンダントライト 細かい竹細工が美しい / 右:テーブル 山桜を豆鉋(まめかんな)で仕上げている

上:無垢材の仏壇 「市販品はいい値段の割りにほとんどがベニヤで残念。伝統的な技術をつかって今の時代に合わせた物を」と橋詰さん。 / 左・右:山桜のスツール 座面とサイズのバリエーションがある。

家具に使う山桜は自らストックしている。「ちゃんとした家具を作れる職人さんは居るんだけど、仕事がなかなかないので材木を在庫している家具屋さんがいないんです」と嘆く。


今時珍しい二間続きの畳のリビング「こんなにいいものない」と建て主の田中さん

土間と風の家

 

野の草設計室から車を走らせること40分。松山市内に2019年2月に完成した《土間と風の家》を案内してもらった。《土間と風の家》は国土交通省のサステナブル気候風土型モデルとして採択された家でもある。建て主の田中さんご夫婦は30代で3歳と5歳のお子さんとの4人住まいだ。

 

床下も部屋の中もとにかく空気が通り抜ける

二階の大きな窓がシンボルだ。気候に合わせて4通りの使い方が可能。完全に開放した状態では心地よい風が吹き抜け目の前の河原と繋がっているような感覚になる

左から網戸・ガラス窓・障子

左:キッチンの大きな窓からも川を眺められる / 中:暮らしが見える収納にも好感が持てる / 右:冬は畳リビングにコタツが登場する

左:三和土(たたき)の土間 / 右:梁も美しい

職人の手仕事の道具や、田中さんが集めた古道具が生活を彩る

田中さんにもお話をうかがった。

田中さん(以下、田中) 橋詰さんと徳永さんがじっくり付き合ってくれたので、自分の価値観を確かめながら、いろんな知識を深めながら、進められました。時間がかかってよかったです。慌てて作るものじゃないですから。

 

橋詰 建主さんの考えにブレがなくなった時が建てる時な気がしますね。

田中 我々も最初はブレてましたね。床暖房しようとか。結局エアコンは最低限しか使いませんし、冬場も薪ストーブで心地よく暮らしています。今でも妻が「こんな素敵な家、他にないよね」と喜んでいます。子供達も畳を走り回って楽しそうですし、橋詰さんにお願いしてよかったです。

 

《本物》の詰まった家に暮らす田中さんと、それを設計した橋詰さん・徳永さんの話を聞いていると、暮らし方・生き方の価値観を共有されているんだなと感じた。


本当に良い暮らしとは何か。衣食住、くうねるあそぶ、家族、仕事、近所付き合い、地球環境、過去、未来…
一見バラバラに見えて難解な問題も、まずは一歩引いてクールダウン。自分に一番大切なことは何かをじっくりゆっくり考えて、価値観をひとつ持つことができれば、どんな問題にも自分なりの答えを導き出すことができる。その《暮らしの学び》のきっかけづくりを、橋詰さんは家づくりの中に取り入れている。

 

ちょうどこの12月には《伝統建築工匠の技》がユネスコ無形文化遺産に登録される予定です。先人たちの技術・知識・想いに触れながら、自分自身の暮らし方についても見つめ直し、考えを深める良い機会ではないでしょうか。


野の草設計室 橋詰 飛香(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

(有)かとう建築事務所の加藤由里子さんは、木の家づくりの魅力を「作り手にとっては仕事の喜びがあり、住まい手にとっては大切に使い続ける喜びがある」と独特の表現で読み解く。これまで愛知県で宅地開発や申請業務、公共建築など幅広い建築を手掛けてきたが、15年前から木の家づくり一本にシフトチェンジ。土壌改善や自然農にまで探求の幅を広げ、自然に寄り添った暮らしを提案している。

(有)かとう建築事務所は、愛知県岡崎市にある。事務所では薪ストーブで暖を取り、歩いて5分ほどの畑で季節の野菜を育てる。「岡崎は、半分山で半分が平野という地域。木を身近に感じられるし、四季の移り変わりを自然から教えてもらっている」と由里子さん。この時期は紅葉のグラデーションが山を覆っていた。別の季節にはまた違った美しさが見られるのだろう。

自然を全身で感じながら設計に精を出す由里子さんは、「職人力を活かした家づくりがしたい」と語気を強める。由里子さんにとっての「職人力の活かされた家」とは、日本の山の木を適材適所に活かし、日本の山の特徴ある素材の個性を生かしながら刻み、仕上げ、組まれた家だ。マニュアル重視の考えでなく、職人さんの自然を敬う叡智とそれを楽しむ心の使い方が要ではないかと思っている。「今の私はこのような職人さんと一緒に、想いのこもった心地よい木造建築に携わることが楽しい」という。

事務所兼住宅に掲げられた看板(左)と、事務所内で活躍する薪ストーブ

2017年に設計監理した市内のある家は、由里子さんの理想に近い家ができた。職人さんは木の家ネットメンバーの力を借りた。木材は手刻みで1本1本の曲がりを生かして配置。職人さんの腕が光る。

室内は構造材が見えて力強さも感じる一方で「施主さんの奥様がちょっとかわいい感じが好きだから、主張しすぎないように工夫した」という。

壁をアーチ状にすることでやわらかい雰囲気を出した。木組みともうまく調和している

在来工法と違い、手刻みは時間と手間がかかる。「手間をかけてもらったということは、職人さんの思いがこもっているということ。いい感覚で暮らせるし、とっても贅沢なことでしょう」と由里子さんはほほ笑む。

想いがあるかないかで、居心地は変わってくる

想いがこもった家の心地よさを実感する由里子さん。そのきっかけは、現在も暮らす岡崎の生家にあった。由里子さんが小学生の時に、山から木を伐り出して建てたことを覚えているという。田の字のオーソドックスなつくりで、畳敷きの南面2部屋は当時のままだが、北面の部屋は高校生の時に改装し、板張りになっている。

「古い造り方のほうが居心地がいいっていうのは、私が一番感じていること。木こりさんが木を伐り出して、棟梁をはじめとする職人さんが思いを込めて建ててくれたのが伝わってくる」と言い切る。

日当たりのいい南面の部屋(左)と、玄関構え

自宅に事務所を併設し、夫で同じく設計士である正彦さんと建築事務所を切り盛りしている。仕事内容は、由里子さんが木造建築部門、正彦さんがそれ以外、と分担している。木造建築部門は「ののはな企画」という屋号で活動している。

事務所にて。正彦さんと机を並べて仕事に励む

由里子さんは大学で建築を学び、卒業後は宅地開発のプロジェクトに参加した。そして名古屋の設計事務所に所属し、民間から公共事業まであらゆる建築を仕事としてきた。出産後、実家である岡崎に移って事務所を立ち上げ、仕事のフィールドは住宅の設計管理と申請業務に変わった。そして、木造住宅や大工職人と関わるようになった。

この間、「ずっともやもやしながら建築をやってきた。法規や仕様書と職人仕事の間に不一致があるようで。どうも手ごたえがなくて・・・」と振り返る。業務と3人の子どもの子育ての傍ら、さまざまな勉強会に顔を出したが、ますます混迷するばかり。「しっくりきた」のが「木の家スクール」そして「職人がつくる木の家ネット」だったという。

話を聞く中で、歴史、政治、文化が時代の流れの中で発展とゆがみが生まれ、今に至っていることに深く納得。在来工法と伝統工法の区別すらできていなかったことにも気づき、特徴も理解できた。

由里子さんは「まだまだ勉強中なんだけど」と前置きしつつも、こう考えている。現在主流の家づくりは、効率・マニュアル重視。例えば木の癖をなくし集成材にする、高温乾燥により木の本来の粘りを飛ばすなど、自然を人間や経済の都合に合わせる、対処療法のような方法だ。結果、建物は短命になり、職人力も影を潜め、室内外の環境も悪化してしまった。建築以外に農業、土木、医療、食など他分野でも同じようなことが起きていて、経済的に豊かになったように見えるものの、本当の豊かさである仕事の喜びや生きる喜びは薄れてしまっている。「伝統建築や伝統文化にはその根本的な部分を取り戻す力がある。自然を生かし、大切に思う心がある」という。

自然を生かすには、自然や材料と時間をかけて向き合わないといけない。そうすると、おのずと想いが込められ、居心地のいい空間が生まれるのかー。加藤さんの抱えていたもやもやが晴れた瞬間だった。

自身の生まれた家の居心地の良さに、強い納得感が生まれた。

自然を生かすスタイルにはマニュアルがなく、直面した課題ごとに答えは変わってくる。由里子さんは木の家ネットの勉強会を中心に、県外まで出かけていくようになった。

最近は、建築(地面の上)だけでなく、地面の下の土壌環境まで学び始めた。持続可能な生活を体現したいと、自然栽培での農業にも取り組んでいる。伝統工法を知りたいだけなのに、探求の分野は際限なく広がってくる。

また、「伝統工法は木組み、土壁、石場建ての特殊技術からか、施主さんには価格が高いと言われてしまうのよね。良さを伝えてもなかなか契約まで結びつかない。大手メーカーとそんなに変わらないんだけど、経済との両立は難しい」と、理想と現実の壁を実感している。

木の家ネットのウェブページの「このような会です」という説明の中にも、

・国産材、近くの山の木を使います。

・大工さんが一棟一棟、つくります。

・木と木を組んでいくことで構造体をつくります。

・木以外にも、環境に配慮した素材を使うことを心がけています。

という4項目が挙げられている。

木組み、土壁、石場建ては絶対条件ではなく、自然を生かした家づくりのひとつの策として由里子さんはとらえ、落としどころを模索し続けている。木の家に興味がありつつ、予算の関係などで断念した悔しさも知っているからだ。

石場建については「コンクリートで地面を固めると土の中の自然を壊してしまうことになると思う。家の中は妙な湿気が出るし、家の外の自然も狂ってしまう」という考え方だが、予算との兼ね合いと地盤の状態から折り合いをつけるのも重要な仕事だ。

建具や目隠しに木材など自然素材を使うことは、一貫して提案してきている。端材の有効活用にも熱心だ。

岡崎市内の施工事例。玄関からの目隠しの木目が軽やか(上)。2階には端材でキャットウォークをこしらえた

それから、在来工法と比べると知名度が低いため、説明する必要が出てくるが「伝統工法ってシンプルなはずなんだけど、説明が長くなってしまう。私の思い入れが強いからなのか・・・」という悩みもある。

勉強すればするほど、わからないことが増えていく。課題も多い。「けど、環境に負荷を与え続けてきた在来工法にはてなが生まれちゃったら、もうそれはできないでしょう。それに、根本に自然という存在があると、落ち着いて考えられる」と、由里子さんは前向きだ。これまで抱えていたもやもやは晴れ、ゆったりと、そして面白がりながら建築と向き合えている。

木を美しく魅せる職人技にほれぼれ

由里子さんが手がけた事例を紹介しよう。

浜松市の社会福祉法人のデイサービス施設に併設するトレーニング室は、来所者が介護予防や脳トレを行う。敷地面積は240平米ながら、トラス式の構造材が、広がりのある空間を生み出している。同市天龍地区の材木を、その地域の大工職人が加工した。

由里子さんには「木を美しく魅せたい」というこだわりもある。照明が主張しすぎないようにする。壁など木以外の素材との組み合わせのバランスも考える。

「確かに、木は素材のまま、自然のままでも十分美しいんだけど、職人さんの手にかかるとさらに美しさが増す。想いを込めてくれてくれるということだと思うのね」とうなずく。

地元の寺では、檀家さんが集まるための座敷と玄関の新築を、設計監理した。寺院建築には伝統的な様式があり、それにのっとった設計をした。格式を守りつつ清々しい空間づくりには、神社仏閣を専門にしている職人さんが腕をふるった。

神社仏閣には神様仏様が鎮座する場であるので、重厚さも必要になってくる。正面の中央の階段の真上に張り出した屋根を取り付けたり、住宅にはない屋根のそりを取り付けることで重厚さを表現する。それらをつくるには複雑な工法が必要になる。複雑で時間がかかることは、職人の腕の見せ所であるとともに、想いを込められる環境でもある。

神社仏閣などの文化財に人が集まるのは、宗教的、観光的な意味合いもあるが、職人が長い時間をかけて想いが込めたからこそ生まれる居心地の良さも、その一助となっているとみている。

「職人さんって本当に素敵なの。一緒に仕事するうちに、すっかり職人さんのファンになっちゃった」と由里子さん。自然を生かす存在、建物に思いを込める存在として、「私がどんなに勉強しても追いつかない」とうらやましさもにじませる。

由里子さんは「こういう勉強ばっかりしてると、経済の循環には入らなくていいって思っちゃうんだけど、職人さんが活躍できる場は残していきたい。残していかなくっちゃ」とうなずく。伝統工法のPRにも熱が入り、「ののはな企画」のブログでも取り上げている。今後は同市の観光名所「奥殿陣屋」のマルシェで、木組みについて紹介する場をつくろうと企画している。

出店企画を温めている「奥殿陣屋」の茶店も、由里子さんの設計だ

長いこと建築畑を歩んできて、やっと手ごたえを感じることができた木の家づくり。探求はまだまだ続くだろうが、そこに迷いはない。

(有)かとう建築事務所 加藤由里子さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真一部提供:(有)建築事務所

● 取 材 後 記 ●

とにかく学ぼうとする姿勢がまぶしかった。「コロナでオンラインでのセミナーが増えたから、出かける必要がなくなったでしょ。その分畑に行ける」と前向きさ。
聞けば、独身時代そして出産前は、徹夜上等で働き詰めだったという。子育てで岡崎に戻った時には前のように働けず悔しい、と感じたとも。子どもと向き合う時間は素晴らしいことなはずなのに、世間から取り残されたような焦りを抱いてしまうというのは私もうなずける。由里子さんは、「家にいる時間が長かった分、家と向き合えた。窓から見える風景や畑にもずいぶんと癒された」と振り返る。「想いを込めて」「自然に寄り添って」と強調する理由が、わかった気がした。そして、そんな由里子さんが存分に探求できる時代になり、うれしく感じた取材となった。

2020年11月1日(日)に開催された職人がつくる木の家ネットの総会の様子をレポートします。

本来であれば、年に一度、全国各地より会員の皆さんにお集まりいただき、大ホールでの報告会・フォーラム・懇親会・オプショナルツアーでの貴重な建造物の視察など、2日間に渡って開催しています。しかし今年はご存知の通り新型コロナウイルス感染症の影響下にあり、開催方法の変更を余儀なくされ、一般社団法人として第二回目となる今回の総会は、Zoomを使っての「オンライン総会」となりました。40名以上の会員の皆さんが事務所や現場、自宅などから参加しました。

時間軸に沿って写真を交えながらご紹介していきます。


目次

●開会宣言・代表挨拶
●自己紹介(新入会員・新運営委員・新事務局)
●事業報告
 大工経営塾/見積部会
 その他講習・勉強会(民法改正講習/気候風土適応住宅講習/京大勉強会/限界力計算勉強会
●「伝統建築工匠の技」ユネスコ登録活動報告
●気候風土適応住宅/SDGs の取り組みについて
●熊本マニュアル活動報告
●分科会
 分科会①「気候風土適応住宅/SDGs」
 分科会②「既存伝統的建物の耐震診断の諸問題について」
 分科会③「熊本マニュアル」
 分科会④「職人と伝統の伝承」
●分科会まとめ・閉会挨拶・来期総会案内


まずは大江忍代表理事からの挨拶。

 

コロナ禍において会員紹介コンテンツの取材が一部オンラインで行わざるを得なくなった旨や、今後建築業界が受けるであろう影響を鑑みて、今ある仕事を大事にしながら共に乗り越えて行きましょうといった挨拶がありました。


自己紹介(新入会員・新運営委員・新事務局)

 

今年は新たに3名の方が入会されました。まずは新入会員の兼定 裕嗣さん(岐阜県)さんの自己紹介から。

 

兼定さん:「手加工での家づくり、伝統技術を引き継いでゆくことを大切に仕事をしています。会員の皆さんと情報交換をしながらレベルアップを図りたいと思っています」

 

福島 教仁さん(埼玉県)、清水 裕且さん(徳島県)のお二方も今期より入会されました。当日は都合により参加できなかったためパネルでの紹介となりました。ご両名についてはプロフィールページをチェックしてみてください。

新入会員プロフィールページ
>>兼定 裕嗣さん >福島 教仁さん >清水 裕且さん

次に、7月より事務局を引き継いだ中田京子さん(岡山県)のご紹介。

 

中田さん:「会員の皆さんの情熱を持って仕事をされていて、刺激を受けながら携われることにありがたく思っています。木の家ネットの事を多くの人に知ってもらいたいです。皆さんのお役に立てるように頑張って行きますので、よろしくお願いします。」

また、賛助会員として森田 康司さん(秋田県)も今期より入会されました。


事業報告

続きまして、一年間の各事業報告に移りました。

 

【大工経営塾/見積部会】
まずは「大工経営塾/見積部会」について金田克彦さん(京都府)より報告がありました。

 

大工もこれからは経営のこともしっかり考えていかなければいけないので一緒に考えていこう」という趣旨で4年前から活動しているのが大工経営塾です。さらに一歩踏み込んで、伝統構法などの木組みで家づくりをする際の見積もりの考え方に統一性を持たせて活用できるデータを作っていこうというのが見積部会になります。

金田さん:「木工事と左官工事がなかなかデータもなく分かりにくいので、そこに重点を置いて勉強会を開いています」と近況を報告してくれました。

 

【その他講習・勉強会】
今年度は、大工経営塾として京都大学勉強会・気候風土適応住宅講習・民法改正講習・限界耐力計算勉強会が開かれ、会員の皆さんが熱心に参加されました。それぞれの集まりについて大江代表理事より報告がありました

京都大学勉強会では、講師に藤井義久先生、補助講師に安田哲也先生をお招きし、「山と木材など木の家を取り巻く環境が変化して行く中で、伝統的な技術を持った人たちがどうやって生きていくのか」などをテーマに講演が開催されました。

 

気候風土適応住宅講習では、木の家ネット会員の高橋昌巳さん(つくり手リストはこちら)に講師なっていただき、気候風土適応型住宅の申請ポイントを伝授していただきました。かなり具体的な話をしていただき、申請を検討中の方にとっては参考になったのではないでしょうか。

 

民法改正講習では、建築関係の法律に詳しく各所で引っ張りだこの弁護士、秋野卓生先生を講師にお招きし、契約書・契約約款の作り方や民法改正のポイントの説明をしていただき、かなり勉強になったかと思います。今後の展開として、会員の皆さんが使える木の家ネット独自の契約約款を作りたいなと考えています。秋野先生や会員の皆さんのお力を借りながら進めていきたいと考えています。

コロナウイルスの影響が出始める前の開催でしたので、居酒屋での様子が写っています。今見返すとこの1年で世の中がガラッと変わってしまったんだなと実感します。来年の総会の頃には日常が戻ってきている事を期待しています。

 

講師の岩波さん、参加された方々からのコメントもいただきました。

限界耐力計算勉強会では、木の家ネット会員の岩波正さん(つくり手リストはこちら)に講師になっていただきました。6月から9月にかけて全7回の連続講座となりました。難しいのではないかと敬遠されがちな限界耐力計算ですが、多い時には70名を超える方々に熱心に参加していただきました。次の展開としまして、木構造計算の初歩から始める「木構造の勉強会」を開催していきます。

 

【「伝統建築工匠の技」ユネスコ登録活動報告】

ユネスコ無形文化遺産への登録を目指し活動をしている【伝統建築工匠の技】の近況報告を行いました。
また国立科学博物館にて、2020年12月8日(火)~2021年1月11日(月・祝)に開催予定の【日本のたてもの -自然素材を活かす伝統の技と知恵】に、京都迎賓館の模型が展示される予定になっています。“新築に採用された伝統建築技術”が国に認められ展示されることになりますので、大きな前進と言えるものです。

 

【気候風土適応住宅/SDGs の取り組みについて】

来年2021年4月より施行される改正建築物省エネ法、及び気候風土適応住宅の場合の省エネ基準やガイドラインなどについて綾部孝司さんよりお話がありました。

行政庁に対して私たち自身が語りかけていかなければならないこと。曖昧な言葉の定義をはっきりしていく必要があること。また、SDGsの観点からは気候風土適応住宅には優れているポイントが備わっているので、それを武器にプレゼンテーションしていくのがいいのではないか。といった内容をお話していただきました。

 

【熊本マニュアル活動報告】

次に古川保さんより「熊本マニュアル活動報告」として今年2月に熊本県で策定された「くまもと型伝統構法を用いた木造建築物設計指針」の説明をしていただきました。

同マニュアルは、伝統構法の木造建築物の設計方法について、構造計算が比較的容易にできるようになり、木造伝統構法の技術を発揮できるフィールドをより広め、伝統技術の継承、地産地消による地域産業の活性化、安全で質の高い木造伝統構法建築物の供給促進を図ることを目的としています。


分科会

休憩を挟んで恒例の分科会を開催しました。今回は【①気候風土適応住宅/SDGs】【②既存伝統的建物の耐震診断の諸問題について】【③熊本マニュアル】【④職人と技術の伝承】の4つテーマのミーティングルームに別れ、熱い議論を交わしました。

 

【①気候風土適応住宅/SDGs】

事業報告で触れた内容について、引き続き綾部さんに詳しく解説していただき、参加者の皆さんからも質問や意見が飛び交いました。篠節子さんからは「自分で計算できるようになってください。そうしないと何も言えなくなってしまいます。」と鋭いコメントも。

 

【②既存伝統的建物の耐震診断の諸問題について】

限界耐力計算勉強会と同じく岩波さんに講師になっていただきました。「難しいと思われがちですが、構造計算も頑張ってみようという設計者は是非やって欲しい」「きっちり計算できる人があちこちで増えていかない行政に対して発言することは難しいので、みんなで動いていこう」など力強いメッセージは発せられていました。

 

【③熊本マニュアル】

前半の活動報告に引き続き、古川さんに熊本マニュアルについてさらに踏み込んで説明をしていただきました。参加者の皆さんからは質問が相次ぎ理解が深まったことと思われます。「大工さんが今までつくってきた建物を普通に大工さんでも建てられるようにするのが目的だと聞いて感動しました」という感想が聞かれました。

 

【④職人と伝統の伝承】

「職人と技術の伝承」では剣持大輔さんが音頭を取りながら、誰かが発表するという形ではなく、参加者の皆さんがディスカッションする形で熱い議論が繰り広げられました。「試しに毎週土曜日を休みにしてみたら、効率が落ちるようなことは全くなかった」「コロナ渦において人手が余るようなことがあれば、木の家ネット内で声を掛け合って忙しい現場に出張していくようなネットワーク体制があってもいい」など、今の時代を象徴するような働き方の変化についての声が聞かれました。


閉会。そして淡路島へ。

各分科会のまとめを発表した後、全員カメラをオンにして記念撮影。離れていても一体感を感じることのできた瞬間でした。

そして最後に杉岡世邦さんから閉会の挨拶がありました。
「今年はイレギュラーでこのような形での開催となりましたが、このような場を持つことができて非常によかったなと思っています。来年は淡路島でお会いできればなと思っています。本当に今日はお疲れ様でした。ありがとうございました。」

今年の経験を、様々な形で日々の仕事や、木の家ネットの活動に生かしていけば、来年はさらに素晴らしい報告や議論のできる総会が開催できることでしょう。次回こそ淡路島でお会いしましょう!

 


取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

木の家づくりとSDGsとはクロスする

木の家ネットのつくり手は、無垢の木を使って、地域の気候風土に適応した家づくりをしています。どのような素材を選び、どう使うのか、何を大切にして家づくりをするのか。そのひとつひとつの問いと向き合い「自分さえ、今さえよければ」とか「経済効率至上」ではなく、自然との共生、資源や経済の地域内循環、長寿命の家づくり、環境の持続可能性などにつながる選択を、する姿勢は、昨今注目されているSDGsの考え方と重なる部分がたくさんあります。今回の特集では、木の家づくりとSDGsについて埼玉県川越市で綾部工務店を営み、主に木組み・土壁・石場建ての家づくりを手がけている綾部孝司さんに語っていただきました。ビデオを収録したのは、綾部工務店で設計施工した「雑木の庭に建つ石場建ての家」。(一社)環境共生住宅推進協議会で毎年実施する「サスティナブル先導事業(気候風土適応型)」平成28年度の採択事例にもなっている「気候風土適応住宅」です。

職人がつくる木の家ネットの運営委員であると同時に、「木の家ネット・埼玉」の中心メンバーのひとりとして「くむんだー」による木育活動や、埼玉県建築士会との恊働による埼玉県における気候風土適応住宅の基準づくりのための特定行政庁や県へのはたらきかけなども積極的に行なっている綾部さんは、早くから国連が提唱するSDGsに注目してきました。「環境負荷を少なく、自然の恵みを活かし、次世代にもつながる家づくり。ふだんから考え、実践していることが、SDGsで掲げている目標の達成にも寄与している。あたりまえにやってきたことの意義を再認識し、その意義を意識的に発信していくことが、大事」というメッセージを肉声で伝えるために、映像で出演してくださいました。

SDGsとは?


SDGsで掲げる17の目標

SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)とは、持続可能な世界をつくっていくために考えられた17の目標です。2015年9月「国連持続可能な開発サミット」において「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」がで全会一致で採決されました。

「誰一人取り残さない no one will be left behind」という理念のもと、今の世界に蔓延している貧困や格差、環境問題などを、世界中の人がそれぞれの立場で解決していこう、という全世界共通の目標です。それは、環境にダメージを与える、社会的な格差をつくるような経済行為はしてはいけないというストッパーともなるものです。


世界共通で使われているSDGsのロゴデザイン。
1-韓国語 2-ロシア語 3-中国語 
6-フランス語 7-スペイン語 8-ドイツ語  9-アラビア語
12-英語 13-日本語 14-イタリア語 15-英語

SDGs 経済活動と環境や経済との関係

SDGsが登場する前までは、持続可能性は環境・社会・経済という並列な「3本柱」によって支えられると考えられてきました。しかし、SDGsでは「正常な環境や社会があってこそ、経済活動がなりたつ」としています。持続可能な環境というベースの上に健全な社会が成り立ち、その上ではじめて経済活動は展開され得るのです。

2002年 持続可能な開発に関する世界首脳会議
(ヨハネスブルク・サミット)
持続可能性を構成する「3本柱」としての社会・環境・経済
2015年、SDGsが採択された国連持続可能な開発サミット
3つの要素は並列ではなく、社会は経済の、環境は社会の前提条件であると定義された。

木の家づくりを通してどのようにSDGsの達成に関われるか?

SDGsは、全世界の人が向かうべき目標として掲げられています。開発途上国だけでなく先進国も含めで全ての国の、政府、自治体、企業、NGO、学校など、すべての立場の人が、それぞれの立場や地域から取り組むことが求められています。

では、私たち木の家ネットのつくり手は、無垢の木を使った気候風土に適応する住宅を造ることを通して、どのようにSDGsの17の目標の達成に関われるのでしょうか?

17の目標のうち、私たちが実践していることと内容が近いものを5つ取り上げてみました。

3-すべての人に健康と福祉を

7-エネルギーをみんなに そしてクリーンに

11-住み続けられるまちづくりを

12-つくる責任 つかう責任

15-陸の豊かさも守ろう

3:すべての人に健康と福祉を

気候風土に適応した家づくりでは、無垢の木や土、草、石など、できる限り自然素材を使います。自然素材は「呼吸をする」ともいわれ、多孔質であるため、吸放湿性にすぐれ、室内の湿度を適度に保ちます。また、目にやさしく、音の反射もやわらかく、手触りや足あたり、香りもよく、五感を癒す作用があります。自然素材がつくる室内空間で、人は心身ともに健やかに暮らすことができます。

7:エネルギーをみんなに そしてクリーンに

外界の自然を遮断するのでなく、ゆるやかにつながり、季節に応じて太陽光や風、庭の樹木など自然の恩恵を活用します。軒の出を深くすることで、高度の高い夏の強い陽射しはカットし、冬の低い陽射しは家の奥まで取り込む。落葉する庭木を植えることで、夏には木陰を、葉を落とす冬には縁側に陽だまりをつくる。エネルギーを消費する以前に、知恵を使って夏冬の暑さ寒さをやわらげることは、省エネにつながります。

11:住み続けられるまちづくりを

地震、台風、洪水など、自然災害の発生の頻度は増え、災害も甚大化しています。日本の建築には古来、自然の力に対抗するよりは、受け流し、やり過ごすしくみがあります。木組みの軸組は、木のめりこみで傾くことがあっても、おこせば復元できます。落ちた土壁は塗り直すことが可能です。雨に濡れた無垢材の柱は乾けば元通りになります。「壊れないこと」よりも「直せるように造ること」の方が、結果的には補修をしながら長く住み続けられることにつながるのです。

12 つくる責任 つかう責任

経済性を優先するなら、家の寿命は長すぎない方が、ふたたび新築する機会がめぐってくるからいい、というような発想は、SDGs的ではありません。長く使い続けてもらえるように、かつ使わなくなった時にゴミにならないようにつくるのが、つくる者としての責任です。メンテナンスをしながら長く住み継いでいけるような、長寿命な家づくりをするのが基本ですが、木組みであればこそ、解体することになっても材を再利用することも可能です。今主流の新建材の家は、解体後、燃えないゴミとして埋め立てるほかなく、環境負荷が高いですが、無垢の木の家は、最終的に燃料にすることができます。

15:陸のゆたかさも守ろう

気候風土に適応した家づくりでは、地域材を多く使います。地域材を使うことは、山の手入れをしたり植林したりする費用を還元することになり、それによって山を健全に維持することができます。山の手入れがなされなければ、自然災害の被害も大きくなってしまいます。家づくりに上流の山の地域材を使うことが、その流域の安全を守ることにもつながるのです。

以上のように、私たちが実践している無垢の木の家づくりは、結果的に、SDGsでめざしている目標の達成に寄与しています。SDGsという言葉が一般的になるずっと前から、私たちはあたりまえのこととして、このような意識をもって仕事をしてきました。

無垢の木の家づくりを志される方には、あなたのその選択が、SDGsの目標を達成するための大きな一歩ともなることをお伝えします。

社会全体がSDGsの目標達成に向けて動いていく中で、このような家づくりの意義をより広く知らしめ、こうした家をつくり続けることができるよう、位置付けていくことも大切です。そのためには、地域の行政へのはたらきかけも必要です。

この動きを全国に

2021年4月から、つくり手は住まい手に、造る家の省エネ性能について説明する義務を負うこととなります。その際に、今回ご紹介したような家づくりをしているつくり手のみなさんは、外皮性能をあげて「省エネ基準」を達成する方法ではなく、自然の恵みを活用しさまざまな工夫で省エネを実現する「気候風土適応住宅」であることを説明していくことになります。どんな家が「気候風土適応住宅」となるのかについては、それぞれの地域の気候風土に合った基準をつくるのが望ましく、地域の特定行政庁で要件を決めることになっています。そして、なにがその地域の「気候風土適応住宅」の要件としてふさわしいのかは、実務者と各特定行政庁とのやりとりの中で練り上げていくことが求められています。
たとえば、埼玉県では、2020年の8月27日、一社)埼玉建築士会のメンバーで木の家ネット会員でもある2名が代表して、無垢材と相性のよい真壁づくりを要件としていくことを提案した「埼玉県における気候風土適応住宅の提案書」を提出するとともに、実務者から見た持続可能な社会づくりについてプレゼンをしました。

埼玉県都市整備部建築安全課に気候風土適応住宅の提案書を提出

全国各地のつくり手のみなさん。SDGsにも貢献できる、地域の無垢の木を使い、そこの気候候風土にかなう家づくりを全国各地で継続していくために、地元の特定行政庁に足を運び、はたらきかけをしていきましょう。

SDGsなんて、きれいごと?

SDGs が呼びかけているのは理想であり「きれいごと」である。「実現できればいいけど、それはきれいごとだから。」と言われて理想を抑えて忖度してきたこれまでの社会を変えるために、「きれいごとを揶揄することから行動することへ」変えていき、「きれいごとで勝負できる社会」を実現しなければならない。

単なる世代交代のバトンではなく「質の高いバトン」を次世代に渡していく。学校でこのアイコンを知った子どもたちからは、「不平等をなくしたい」「困った人を助ける仕事をしたい」といった夢を描く子どもが出てくるだろう。この SDGs アイコン日本語版が、きっと人生の指針になっていくだろう。各ゴールのアイコンに添えられた日本語が、より良い世界に向かって力を合わせていくための羅針盤(コンパス)になってくれたらと願う。

SDGsアイコン 日本語版制作チームの一員
川廷 昌弘さん

出典:SDGs は国連初のコミュニケーション・デザイン〜SDGs アイコン日本語版の制作プロセスから考察する(KEIO SFC JOURNAL Vol.19 No.1 2019)

気候風土に適応した住宅をつくることが、SDGsの達成にもつながること、ご理解いただけましたでしょうか? 今回の特集では、SDGsとの関わりに焦点をあててご紹介しましたが、木の家ネットのコンテンツで「気候風土適応住宅」の要点についてわかりやすくまとめたコンテンツもありますので、そちらもあわせて、ぜひご覧ください!

気候風土適応住宅の魅力

内容
1.建築物の省エネとは??
2.「気候風土適応住宅」の構成要素
3.気候風土適応住宅の生産体制
4.気候風土適応住宅の価値

[ 気候風土適応住宅の魅力 ] コンテンツへ

大阪市内で「人の手と心で造りこむ、温かい美しい木の家」をモットーに【有限会社 羽根建築工房】を営む羽根信一さん(はねのぶかず・66)をご紹介します。
羽根さんは三重県熊野市出身。小学生の頃から将来の夢の作文には「大工さんになりたい」と書いていたそうだ。「何が理由かは自分でもわからないんですが(笑)」と羽根さん。18歳で奈良で大工として弟子入りし入母屋造(いりもやづくり)の住宅をメインに手がけられていたそうだ。その後、20代半ばからは大阪の工務店へ。大工・現場監督そして取締役を勤め44歳で独立。そして【羽根建築工房(以下はねけん)】を立ち上げ今年で22年になる。

イチから学ぶことの大切さ

 

まずは、羽根さん自身の経歴や、職人さん・お客さんとの関わりなど、人間関係について話していただいた。

⎯⎯⎯⎯羽根さんご自身の現在のお仕事について伺います。設計から大工仕事まで手がけられているのですか?
「私自身は設計はしないんですが、現場監督が自分も含めて4名(内、設計もできるスタッフが2名)いますので、いつも4人でコンペをしています。みんなで設計しているという感覚ですね。独立前から付き合いのある設計士さんからの仕事も多いです」

「大工に関しては今は自分で刻むことはほぼなくなりました。手を出したら怒られます(笑)。というのも若い子の成長を重視しているからなんです。今の自分の仕事は「若い職人達が自分で考えながら活躍できる場をつくる」ことです。今はそこに集中しています」

⎯⎯⎯⎯具体的には若い職人さん達を育てるためにどのような取り組みされているのですか?
「若い子たちに対して気をつけていることは各々のレベルに応じて《活躍できる場》《自分で考える場》《手刻みの場》をつくってあげるという取り組みをしています」

活躍する若き大工達

「木の家を作り上げるためには、やはりイチから学ばなければならないと思うんです。いきなりプレカットのように中途から造作仕事に入るとかでは、全体の流れがわからない。イチから現場で経験してこそ一人前の大工になれると思っています。そのためにも100%手加工を貫いています」

「それから、住宅ばかりだけでなくイベントや展覧会などの施工などに、若い子たちを参加させるようにしています。普段と違うことが多いのでメリハリが出て楽しんでやっていますね。ちょうど今、神戸県立美術館で開催中の特別展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」に展示されている中村好文氏設計の小屋 《shell house》の施工を担当しています (建築知識ビルダーズ42に詳細掲載 東京をはじめ他の巡回展も担当)。そういう現場でも図面通り行かないことは多々あるので、彼らの勉強にもなるし面白い部分だと思います」

《shell house》施工風景

 


お客さんにも建築家にもNOと言います

 

⎯⎯⎯⎯次にお客さんとの関わりではどんなことを大事にされていますか?
「つくり方に対する熱い心を訴え、お互いに共有できる関係を目指しています。それと関西なので必ず負けてって言われますね(笑)『関西人やし一応言っとくわ〜』と言う感じで。それはコミュニケーションがうまく取れている証だと思っています。お互いが言いたいことを言えて、聞き入れる姿勢を持ち、できないこと・ダメなことにはきちんとNOと言える関係を築くことが大事だと思います」

「僕は建築家の言うことにもNOと言います(笑)。そうやって関わる人みんなが本当に打ち解けられる雰囲気作りを現場が始まる前にしておけば、工事中も建てた後も気持ちよくスムーズな動きができますよね」

⎯⎯⎯⎯⎯他に人の繋がりを考えて実践していることはありますか?
「はねけんでは毎年夏休みに合わせ「羽根建祭り」というイベントを二日間に渡って開催しています。『土と木に触れてもらいたい』という想いで始めたもので、家づくりや暮らしにまつわる様々な体験ができる催しです。地域の子供たち・はねけんのお客さん、さらにその友人やHPで知った人などいろんな人が、毎年約200名くらい来てくれます。毎年賑わっていて私自身も楽しみにしていたんですが、今年は残念ながらコロナで中止になりました。次に開催する際には、大人も子供もみんな一緒に『観る・触る・動かす・考える・聞く』古くて新しい感動や発見ができる場になれば良いなと考えています」

毎度盛況な羽根建祭りの様子

羽根さんは、コミュニケーションの重要性を考え、職人・設計士・お客さんに至るまで、家づくりに関わる人達と一貫して気持ちの良いやりとりをできるように心がけているのだ。

 


Photo:ViBRA photo 浅田美浩

理想の設計思想を目指して

 

次に、はねけんの家づくりの思想や特徴について詳しく聞いた。

⎯⎯⎯⎯いわゆる「伝統的な木の家」というだけではない新旧・和洋が調和した素敵な木の家を多く建てられていますね。
「いろんなお客さんがいらっしゃいますから、伝統的な方向にグッと入り込んだ家づくりはなかなか手掛けられないんですが、大工仕事自体は木の家ネット会員のみなさんと同じ、伝統的な技術・方法でつくっています」

それから木に関して言えば、吉野杉を使う機会が多いです。木の家ネット会員の中西豊さん(株式会社 ウッドベース)にいつもお願いしていますし、徳島の和田善行さん(TSウッドハウス)にもとてもお世話になっています。実は和田さんの息子さんがうちで現場監督として働いてくれているんですよ」

ここでもご縁やコミュニケーションを大事にされていることがうかがえる。

⎯⎯⎯⎯はねけんのホームページには、家を建てていく上でのこだわりや思想、重要視するポイントなどのコンテンツがとても充実していますね。見ているだけでも楽しいですし、これから家づくりをしたい方にとっても重要な資料になっていると思います。特に特徴的な強みはどこでしょうか?

「構造を重視して100%手加工。さらに温熱的な考え方をもって建てるのがはねけんの基本です。中でも《羽根建壁(はねけんかべ)》が特徴的ですね。従来の竹小舞のように竹を編み込んでゆく代わりに、竹を貼って土を塗って仕上げます。竹小舞の土壁のように構造材にはなりませんが、現代の家づくりにも順応する土壁となり、施工性を上げながら土が元来から持つ調湿性・保湿性・防火性能を得ることができます。主に人が一番無防備になる寝室に多く採用しています」

《羽根建壁》柱間には断熱材を施せるので「省エネ等級4」に相当する断熱性能も確保する

「土壁に憧れるお客さんがやっぱり今でもいらっしゃいます。みなさん、土の持つ健康面のメリットに魅力を感じられているようです。コロナ禍において自宅で過ごす時間が増えているので、室内はより安全で快適な空間にしたいですよね」

「他には、使う材木にも特徴があります。伝統的な木の家を建てる場合の梁とか柱には結構太い木を使うと思うのですが、はねけんでは小径木の《磨き丸太》を積極的に使っています。えくぼがあったり節があったりして規格品にならないものを活用しています。アントニン・レーモンドの建築が大好きで、丸太を使うのもレーモンドの影響を受けている部分です」

 

《絵画を楽しむ家》天井に見える丸太が特徴的だ。 Photo:及川雅文

⎯⎯⎯⎯温熱環境についての話も教えてください。

「生活の場として家を考えた時に【ストレスを感じない家づくり】というのが一番だと考えています。それを実現する上で一番大事なのは構造(『地震で倒れないか心配』というストレスを感じないことなど)。その次に大事なのが温熱環境(極端な暑い・寒いというストレスを感じないことなど)なんじゃないかなと思っています。いわゆるパッシブデザインの考え方ですね。自然の光・熱・風を効率的に取り入れて、夏に涼しく冬に暖かい快適な家を作ろうと思想です」

柔らかな日差しが降り注ぐ。快適な暮らしが目に浮かぶ。

⎯⎯⎯⎯空気集熱式ソーラーシステム※なども使われるんですか?

(※:暖房・涼風・換気・循環・給湯・発電の機能を備えたソーラーシステムのこと)

「一時は使っていたのですが、そういった装置に頼ってしまうと、どうしても装置が利くかどうかと言う話で終わってしまいます。今は、構造・素材・プランなどをいろいろと試行錯誤していくことで、装置がなくても、自然のことだけを考え、昔の日本の生活様式を発展させていく形で、快適な温熱環境を整えることができるようになってきました」

「温熱の勉強は奥が深く、独学でやっていても限界があります。【Forward to 1985 energy life】という、家庭でのエネルギー消費量を賢く減らして、現在の約半分、ちょうど1985年当時のレベルにしようという取組をしている団体に所属し、みんなで学んでいるところです。木の家ネットが木の家に熱い情熱を捧げているのと同じように、彼らも温熱に対して熱い情熱を持っています」

ここまで話していただいた【職人さんの話】【壁や丸太など素材の話】【温熱環境の話】などを組み合わせながら、理想的な住まいをつくる方法を、羽根さんは考案している。
それが【HANE-ken standard】と言う住宅設計の思想だ。【HANE-ken standard】の家はどれも「本当に大切なものだけを備えれば、それは豊かな住まいになる」というコンセプトのもと、こだわりをもって建てられている。

「一般の人のための住宅を、より住みやすくよりストレスのないものにしていきたいなと考えています」と話す羽根さん。完成した家々にはその思いがギュッと詰め込まれている。

屋根付きデッキのある家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)

みささぎ台の家 Photo:ViBRA photo 浅田美浩(上下共)


想いを広げる

 

羽根さんの家作りに対する情熱は、全国の仲間と共に波及しはじめている。

「名前はまだ無いんですが【手刻み同好会】というものを、全国の仲間10何社かで立ち上げています。手刻みをしたことのない工務店も多いので、そういう人たちに向けた勉強の場を作りたかったのが始まりです。そこから発展し、最近では『小屋を作ろう』という企画を実施しています。小さな小屋にパッシブデザインの設計思想・大工の優れた手加工の技術、自然の素材などの粋を集めることで、日本の伝統建築の良いところを、広く発信していけたら良いなと思っています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

⎯⎯⎯⎯画面越しですが、すごい熱量を感じます(笑)。最後に一つ質問です。羽根さんにとって家づくりとは何でしょうか?

「家づくりは結局【ものづくり】だと思います。ものづくりは『一を聞いて十を知る』というような単純なことで成し得るものではなく、一から順番に全ての過程を熟知しておかなければなりません。自分の仕事に集中する一方で周りも見渡し、いろんな角度や立場から状況を見る姿勢が大事ですね。お互いに把握し理解しあってこそ【良いもの】をつくり上げることができると考えています」

「日本の家づくりの中で忘れられようとしている、【ものづくりの精神】をここから日本中に、そして世界に発信していこうという試みです」

広く浅くでもなく、狭く深くでもなく、広く深く探究し、常に学び体現し続けている羽根さんの【家づくり/ものづくり】に対する情熱は、日本中に広がってゆくことだろう。


羽根建築工房 羽根 信一 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

埼玉県ときがわ町・久道(ひさみち)工務店の久道利光さんは、「かっこいい木の家をつくりたい」という一心を胸に、厳しい姿勢で大工業に向き合ってきた。修行時代は新建材を使っていたものの独立後に独学で伝統構法を身に着け、現在64歳ながら大工歴は50年にせまる。久道工務店のテーマ「時の流れで、良くなっていく」のごとく、作り出した家も大工技術も、時を重ねて深みを増していく。

「久道さんへの取材は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により電話となった。zoomなどオンラインの手段は「悪いけどよくわからないんよ、しゃべるのも苦手」と言いつつも、こちらの質問に時間をかけて応えてくれた。物腰は丁寧で、声ははきはきと明るかった。

久道工務店のカレンダー。木製でかわいらしい

大工だから感じられる、つくり上げる喜び

久道さんは中学卒業後、15歳で大工の道へ。生まれは宮城県仙台市で、13歳の時に親が他界し、叔母を頼って埼玉県に引っ越した。「卒業後、住み込みで働けるところということで、大工を勧められた。本当はなりたくなかったけど、これが自分の運命だったんだろうな」と振り返る。修行先は、川越市の小山工務店。川越は東京のベッドタウンとして開発が進んでいたエリアで、修行を始めた。

最初の3、4年は、仕事の3分の1は基礎工事や丸太の足場掛け、ブロック積みなど大工仕事以前の仕事をこなした。「休みはないし給料は安いし、いやでいやでしょうがなかった」というが、少しずつ大工仕事を覚え、ものがかたちになっていく快感を味わうと、のめり込んでいった。

修行時代は新建材が普及し始めたころと重なり、洋室の床や壁は合板を使うことが多かった。しかし、建築関係の雑誌を読むと、不思議と木造建築に惹かれた。特に好きだったのはログハウス。「太い丸太を組むだけっていうシンプルな感じがかっこよかった」と話し、雑誌『WoodyLife』(山と渓谷社発刊の季刊誌)に夢中になった。一方で、外国の建物だからと、どこか遠い存在でもあった。さらに20代後半になると『住宅建築』(建築資料研究社)を読み始め、高橋修一さんや安藤邦廣さんに憧れた。

憧れの木の家が、身近になったのは30歳ごろ。修行を続ける中で、木の家ネットメンバーの高橋俊和さんの設計した伝統構法の家を見学に行った。木をシンプルに組んだ美しいたたずまいに「こういうふうに作れるんだ!やってみたい!と感動したよ」と久道さん。

その後、高橋さんの物件など伝統構法の建て方を応援に行くことで、そのノウハウを身に着けていった。特定の親方について教えてもらったわけでもなく、独学ということになるが「大工だから、目で見てりゃーだいたいのやりかたはわかる」と笑い飛ばす。軽く話すが、勘の鋭さと並々ならぬ努力が垣間見える。

久道さんの頭の中には、大壁、大屋根のシンプルな木の家というかっこいい姿が描かれている。修行で磨いた腕と、その時に得た経験の応用で、その姿を現実に落とし込むことができるのだ。

そして、34歳で独立。その時、3つの目標を立てた。

・かっこいい木の家を建てる

・紹介だけで仕事ができるようになる

・施主さんに、できるだけ安く建てる

独立して約30年。これらの目標は叶ったかと尋ねると、「ありがたいことに、だいたいかなえられてきた」と声が弾んだ。「ずっと忙しく仕事があったから、看板も作っていないんだよね」と打ち明ける。

久道さんは住宅物件を中心に新築7割、リフォーム3割の割合で仕事をしている。3年先まで仕事が決まっていることもあったほどの人気ぶりだ。特徴的なのは、親子2代で注文が入るということ。棟数は15,6軒、請け負った新築物件の半数以上を占める。

施主さんの一人・藤田哲雄さんも、久道さんの仕事ぶりにほれ込み、弟の家も、さらに息子の家も、久道工務店に任せた。久道さんを「とにかくもう、誠実」と断言する。

藤田さんの家は18年前に建てた木造2階建てで、ヒノキの木組みが「しっかりとしたつくりの家で、安心感がある」と実感する。

1階南面の窓は、1間半がひとつ、1間が3つととても広くとってあり「夏は風が入るので涼しく、冬も日差しが差し込み寒くなりすぎないので、暮らしていて自然の中にいるみたいで気持ちいい。空間に余裕があるから、心にも余裕ができて、大満足」とほれ込む。

独立してから、久道さんはときがわ町に土地を購入。木の家を好きになったきっかけであるログハウスから、次第に里山の風景や登山を好むようになり、場所を探した。そして、それまで縁がなかったときがわ町に飛び込んだ。

そこに、木組み・土壁の伝統工法で自宅を建てた。片流れのシンプルな外観で、吉村順三さんの小さな森のイメージで設計。たっぷりとった床下には材料が置けるようになっている。

とにかく開口部が大きく、自然の風が吹き抜けて季節を感じさせてくれる、気持ちの良い空間だ。
施主さんにとって、モデルルームのような役割も果たしている。伝統工法の仕組みや、自然素材の触感は、口で説明するよりも五感で感じるほうが何十倍も伝わるという。生活感もあり、実際に暮らした時の雰囲気もイメージしやすい。

作業場は、木にちょうどいい湿気具合の場所を探し、隣接する毛呂山町の200坪の土地を借りて建てた。こつこつと道具や機械をそろえてきた。

年月を経て、施主さんの要望も変化してきた。以前は「大工さんにおまかせ」が多かったということで、久道さんが信念とするかっこいい家=伝統構法が生み出すシンプルな空間を提案できた。近年は、施主さんが予算や納期をはっきりと提示するようになってきたという。合わせて、プレカットを取り入れたり、化粧張り梁など見せ場だけ伝統工法にしたりするやり方を模索してきた。

一方で、食器棚やげた箱など作り付けの家具には、広葉樹の無垢の一枚板を使うというこだわりは外せない。スギやヒノキのほうが安く抑えられ、何度か使ったことはあるものの、「なんかかっこよくはならないんだよな」と一刀両断。かっこいい家をつくるためなら妥協はしない。

作り付けの家具は広葉樹にこだわる

材料は地元の材木屋でまとめて購入することで価格を抑えている。倉庫で天然乾燥させておいているが、家で言えば5、6軒分はあるというから驚きだ。

倉庫に積まれた材木。活躍の日を待っている

目標の3つめ「施主さんにとって安い家をつくる」と、1つめ「かっこいい木の家をつくる」との両立は、決して簡単ではない。自分で考えてアイデアをひねる、頼りになる同業者に聞く、施主さんとよく相談する、書物を読みあさる・・・あらゆる手段でもがきながらも、追求し続けている。

仕事は厳しくが当たり前

そんな久道さん。「最近はほめて育てるっていうけど、俺にはできない。本当は褒めたいときもあるさ。けど、俺は仕事は厳しいもの、厳しくないといけない、って思っている」と打ち明けてくれた。

修行時代は、親方も兄弟子も「見て盗め」というスタンス。何もわからず飛び込んだ職人の世界は、やりがいはあれど、厳しかった。

それでも、「腕が上がれば家の仕上がりは確実に良くなる。これまで建てたことない家、作ったことない家具も、経験から『こうすればできる』って思えるし、実際にできる」と、厳しさが自分を強くしてくれたことを実感している。「だから、ついつい弟子にも厳しくしてしまう。申し訳ないと反省することもある」と、親方としてももがく日々だ。

これまで 20人以上の弟子に修行をつけたが、年季明けせずに去ってしまった場合が大半だという。その中の3人は自分で工務店を立ち上げ、忙しく仕事している。

久道さんが弟子に求めるのは「気づき」だ。大工作業はもちろん、掃除や、道具ひとつ置くにしても、「どうしたら作業しやすいか気づくことが大事」と強調する。作業のしやすさは仕上がりの美しさに直結するためだ。気づきの正解は、現場や気候によって変わってくるので、マニュアル化できない。場数も必要になる。「気づこうとする心掛け、やる気みたいなものだな、結局は」と見ている。

現在は、20代と30代の2人の弟子を指導している。

加藤靖さん(32)は、県外の別の親方の元で修行した後、久道さんの弟子となった。

「仕事には厳しいです。気に入らないと雷が落ちることも。けど、完成したら言うだけのことはある。きれいにおさまってさすがと思います」と実感する。仕上がりの美しさは、説得力となっている。

さらに、「施主さんに預かったお金を無駄にしたくない、金額以上のことをやりたい」という思いは、常に胸にあるという。

久道さんは「俺は学がなく、できることは大工だけ」と謙遜し、「そんな俺を信頼して家を建ててくれっていう施主さんだもの。予算以上、希望以上のことをやってやりたい」と気合が入るのだ。おのずと、仕事に向き合う姿勢は厳しくなる。

これだけどっぷりと、人生のほとんどを家づくりに費やしてきた久道さんだが、まだまだ、もっとかっこいいものをつくってみたいと前を見据える。さまざまな木の家を見に行ったり、住宅雑誌を読み、見聞を広めてきた。憧れは、建築家の高橋修一さん。30年以上憧れ続け、縁があり紹介してもらったという。「五感で感じ、心豊かに住める家・・・そんな家だ」と久道さんは語る。

久道さんが考える伝統工法は、日本の四季に寄り添い、自然の力と共存する建築。木の個性をみながら加工し、柱や梁、床など、ちょうど良いところに配置する。縁側は、夏は強い日差しを遮り、寒い時期は寒気を遮断してくれる。土壁や畳の調湿効果は、家にも、住まう人にも気持ち良い呼吸を届けてくれる。

日本文化研究家のエバレット・ブラウンさんも「日本人は人間も自然の一部として認識しており、暮らしも住まい方も、 自然と一体化することを目指してきた」と、日本人にとっては当たり前の感覚を魅力としてとらえている。この発言は、木の家ネットなどが2018年秋に開いたイベント「明治大学アカデミックフェス・日本の伝統建築の魅力とその理由」での基調講演での発言だ。

そして、これらの住まい方を実現するための技術は、何世代もの職人たちによって磨かれてきた。時を重ねながら無駄なものはそぎ落とされ、便利で使いやすい上に、美しさと両立もしている。「本当に、日本の家ってのはよくできている」と久道さんは、家を建てるたびにほれぼれするのだ。

そこにさらに磨きをかけようという思惑もある。
久道さん自身、これまで自身が快適に暮らしてきた家が、近年は寒さ、冷えを感じるようになったという。住まい手の年齢や暮らしぶりによって、同じ家でも感じることが変わってくるということを実感している。工務店のコンセプト「時を経て、良くなっていく」を実現しようと、現在、改装のアイデアを練っているところだ。「完成されているんだけど、いくらでも工夫できるのが木の家。施主さんの家づくりにもつながるから」と笑う。

体が動くうちは現役大工でいたい、と考えてはいるものの、「気持ちはまだまだ満足してない」と久道さん。先を見据えるまなざしは、凛と光っていることだろう。

久道工務店 久道利光 さん(つくり手リスト)

取材・執筆:丹羽智佳子、写真提供:久道工務店

● 取 材 後 記 ●

久道さんを取材して驚いたことのひとつが、独立のきっかけが「親方の施主さんに家を建ててと頼まれた」という話だ。これまでインタビューした方は、年季明けしたタイミングだったり、「〇歳までに独立する」など自分で決めて独立するパターンが多く、その分、独立後の仕事を心配していた。人からの依頼で独立とは!それだけ腕に、そして人柄に信頼が集まったのだろう。

久道さんは「当時は、親方の仕事をとっちゃったって悩んだんだよ」と振り返って笑うが、話し合って円満に独立できたという。今でも、親方の誕生日には一緒に飲みに行っているそう。

新型コロナウイルスの影響はいつまで続くのか、先の見通せない時代は続いている。自分で時代の流れを作り出すことも素晴らしいが、久道さんのように、時代の流れに身を任せることもありなのかもしれない。

最後に、電話での取材を快諾してくれた久道さん、写真撮影に協力してくれた弟子の加藤さんに感謝したい。

今回ご紹介するのは千葉県松戸市で「有限会社 タケワキ住宅建設」を営まれている竹脇拓也さん。
タケワキ住宅建設は父の千治(ちはる・78)さんが1972年に創業して以来今年で48年。木の家一筋の会社だ。
竹脇さん自身は大学で構造を中心に学び、大手ゼネコンに就職。東京と熊本で6年間現場監督務めた後、家業のタケワキ住宅建設を継ぎ、2009年には代表取締役に就任した。

「こういった経歴ですので、ずっと木の家をやってきたという訳ではありません。戻ってきてから父親や会社がやっていることを見ながら、木の家について学んできました。」

「しかしよく考えると、幼い頃から家づくりに触れていましたし、高校時代はアルバイトも兼ねて手伝いをしていました。常に身近に木の家づくりというものがあったので、自然と『自分もやってみたいなぁ』と思うようになったのが、建築関係に進もうと思ったきっかけですね」

父親とは少し方向は違うが建築の道を選んで進み、そしてまた木の家に戻ってきた竹脇さん。今では木の家にゾッコンだ。

木への情熱

 

⎯⎯⎯⎯HPに「社長自ら山まで木を見に行き選んでいます」と書かれていましたが詳しく伺えますか?
「毎回という訳ではないんですが《東京の木で家を造る会》に参加していたことと、当時日本の山を色々と見て廻る機会がありまして、ある時『千葉の木で家を建てたい』というお客さんが来られました。その際に、実際に地元の山に入ったり製材所を巡ったりしたのがきっかけで、地元の木も使うようになりました」

「千葉県内はもちろん、近場では東京・埼玉・栃木あたりの山を見にいきます。一口に国産材といっても特性がいろいろあるんだろうなと思い、機会があれば九州や紀州、それから奈良の吉野の山へ行ったりもします。実際に吉野の山で《番付》までして帰ったこともあります」

⎯⎯⎯⎯相当情熱を傾けてらっしゃいますね。では千葉県内の林業はどんな状況だと感じていますか?
「構造材としての材木の流通量自体はそれなりにあると思うんですが、設計事務所や工務店との接点が少ないと感じています。それから乾燥機の問題ですね。天然乾燥をやっているところは弊社が取引しているところを含め数社あります。しかし低温乾燥材の場合は、基本的に千葉の市場に出回るのはグリーン材(乾燥していない状態なのでそのままでは家づくりには使えない)なので、使用現場とのマッチングが難しい状況です。また県内の木材を扱いたいという工務店自体が少ないという側面もあります」

千葉県内で伐採された原木

「千葉県は立地的に住宅の件数自体はかなり多いのですが、やはりプレカットが主力で、国産の材木を使って木の家を建てている工務店となると数えるほどしかないのかなぁという印象です。プレカット工場で木の話をしても、例えば『化粧って何ですか?』といった具合で言葉が通じないんです。《木を見せる》という概念自体がないんです」

木の家を取り巻く状況は寂しそうだが、社内に目を向けると賑やかさを感じることができる。

 


続けていくことの大切さ

 

タケワキ住宅建設には現在、腕の立つ大工が10人(社員大工4人・専属大工6人)いる。特に若手の活躍には目を見張るものがある。34歳の篠塚大工は大工育成塾の2期生として受け入れてて以来、そのまま社員として10年以上働き、今では墨付け・刻みもこなし棟梁として仕事を任せられている。他にも20代の大工が2人、さらに50代〜84歳(なんと!)までベテラン勢が揃う。

20代の大工たちも加工に勤しむ

「ベテランの大工が辞めていくのは止むを得ないことです。幸い、うちには若い担い手が来てくれています。さらにあと何人かフレッシュな力が加われば、徐々に軌道に乗ってくるのではないかと思います」

木の家をつくれる大工が減っていく中で、こういった明るい話は嬉しい。

 

⎯⎯⎯⎯世代間の関わり方についてはどんな思いをお持ちですか?
「昔の棟梁たちは、やはりすごく厳しく育てられて来ています。でもその育て方をそのまま今の若い子達にやってしまうと、あっという間に辞めていってしまいます。そのことを棟梁たちもすごく理解しているので教え方が優しいですね。時に厳しいことも言いますが、うちの親方たちはみんな温厚なので、すごく優しいです(笑)」

4月の上棟の様子。大工たちが力を合わせる。

「できないことがあっても突き放すんじゃなくて、できるようになるまで寄り添って待つような育て方をずっとやって来ています。月日が経てば、一人前にこなせるようになりますし、きちんと自分で考えて何でも行動出来るようになります。《続けていく》ことが大切なんだと思います」

 


⎯⎯⎯⎯では、さらに若い世代に対してはどういった考えをお持ちですか?小学校で講話をされたそうですが、そのことについてお話いただけますか?

「たまたま今年2回お声がけいただき、お話をさせていただきました。1回目は、東京都大田区の池上小学校で、様々な職業について学ぶという趣旨でした。私は工務店ってどういう仕事なのかということを話してきました。東京23区の都会の学校で、マンション住まいのお子さんも多そうなので、木の家を建てて住んでいるのはかなり少ないんじゃないかと思います。身近で木の家に触れる機会がおそらくないので、『こんな家ってあるんだ!?』という驚きを持って聞いてもらいました」

大田区立池上小学校にて

「2回目は市川市の行徳小学校で、4年生の総合学習の授業で防災について学ぶという趣旨でした。ここでは熊本で建てられている木造の仮設住宅の話や、昨年千葉県を襲った台風の被害にあった住宅の修理についてお話してきました。建築というもの自体を知らない子供達が興味を持って見てくれて、中には『自分もやってみたい』という声もちらほら聞かれたので、やってよかったなと感じています」

市川市立行徳小学校にて

⎯⎯⎯⎯防災といえば、東日本大震災の際は千葉では相当な被害があったと記憶していますが、震災の経験を経て家づくりに変化はありましたか?

「そうですね。社内でもその時期から特に耐震に対して意識を持つようになり、構造計算ソフトで耐震等級3以上を標準にしていこうという話になりました。ただ弊社に来てくださるお客さんは、あまりそういった性能や数字を重視される方は少ないです」

「HPにも耐震等級や温熱環境がどうとか、あまり細かい数字の話は載せていないんです。もちろん建てる側としては必要な話ですが、お施主さんをあまり細かな数字にまで引き込んでしまうと、家づくりの本質と論点がズレていってしまいます。性能はもちろん担保した上で、どういう《気持ちの良い木の家》をつくっていけるかを追求していきたいと常々思っています」

 


事前の会話が、未来への礎となる

 

⎯⎯⎯⎯では、竹脇さんの考える《気持ちのいい木の家》とはどのような家でしょうか?

「土地土地に合った自然の力を活かすということですね。陽の入り方や風の通り方を考えて、『陽がここに当たると暖かくて気持ち良いだろうな』とか『風がこの部屋を抜けると気持ちいいだろうな』といった感覚的なことも設計段階で取り入れるようにしています」

⎯⎯⎯⎯タケワキ住宅建設のリフォームの強みは「とことん聞き出すところ。自然素材を活かした提案や、自然素材を使う技術だ」とブログで拝見したのですが、詳しく教えていただけますか。

「リフォームの依頼で数が多いのは、水回りの交換や外壁のメンテナンスなどの部分的な修繕ですが、『暮らしそのものを変えたい』ということで大規模なリフォーム・リノベーションをご依頼させれる方が年々増えてきています」

リフォーム事例

「また中古住宅を購入されてリノベーションにお金をかけ、心地よい暮らしをしたいという方も多いです。地域的に戸建てばかりではなくマンションを買われる方もいらっしゃるので、一口に『自然素材でやりたいんです』と言っても理由や背景は様々です。『なぜ自然素材を使いたいんですか』『どうしてそういう暮らしがしたいんですか』『そもそもなぜここの家を買ったんですか』など、いろんな角度から話を聞き出すことで、その家族が求める根本的な理想の暮らしを掘り下げていきます。その方が後々提案がしやすくなりますからね」

リフォーム事例

「当然限られた予算の中で実現していく訳ですから、一度に全部やり切るのは大変です。例えば『2階の部屋はお子さんが大きくなってきたら手をつけましょう』とか『外構は次回にしましょう』という風に2期・3期に分けてつくり上げていくという提案もしています」

「今日もちょうど工事しているお宅なんかは、もう7年くらいほぼ毎年何かしらの工事をしています。予算を分散させながら家族の成長に合わせて段階を踏んでいく訳ですが、肝心なのは一見関係なさそうなことや趣味のことなんかも含め、最初になるべくいろいろ聞き出して、お互いが納得のいく形で提案しながら進めていくことですね」

⎯⎯⎯⎯細やかな事前のヒアリングがあってこそ、先々のビジョンを共有できるんですね。ではアフターケアで心がけていることについて教えてください。

「自然素材でつくっていく家なので、当然経年変化して行きます。その点は理解しておいてもらわないとトラブルになりますので、事前によく説明して納得してもらうようにしています。それ以上に、心地よさ・自然素材の良さを十分にお伝えして、5年10年経った時に『ああよかった』と言ってもらえるような家づくりを心がけています」

「つい昨日も建てて4年のお宅に伺ったんです。梅雨明けしたばかりでジメッとしていましたが、すごく心地いい空間だったんです。お客さんはその中で日々当たり前に暮されている訳ですが『やっぱり心地いいんですよ』と言ってくれて嬉しかったですね。もちろん、木の色が落ちてきたり、左官でやった壁が割れてきたりはしているんですが、クレームになるのではなく『じゃあこう言う風に直しましょう』とお互いが納得した形でメンテナンスしていくことができていますね」

「また、建てて10年20年経つお宅では、当時小さい赤ちゃんだった子が、小学生や中学生になったり独り立ちしたりして、ご家族のライフスタイルが変化しています。ちょうど『子供に自分の空間を与えたい』と以前のお客さんから相談を受けたのですが、『完全に分けなくてもちょっと目線だけ隠せばいいんです』と仰っていました。設計の段階そういう話をしていたので、みんなで思い描いていた通りの未来になってきていて『よかったなぁ』と感じています」

 


木組みの家 上棟の様子

今回、竹脇さんとの会話の中で特に印象的だったことが2つがある。1つは《気持ちいい》という感覚を大事にされていること。もう1つは《長く付き合う》という姿勢だ。
《気持ちのいい暮らし》や《気持ちのいい人間関係》のために、すぐに結果を求めることなく、長い目で物事を捉え、人と共に、木と共に、家と共に、じっくり付き合うのが竹脇さんの家づくりだ。


タケワキ住宅建設 竹脇 拓也 さん(つくり手リスト)
取材・執筆・写真:岡野康史 (OKAY DESIGNING)

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