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新代表 大江忍インタビュー これからの「職人がつくる木の家ネット」

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今回の特集では、2013年11月、奈良で行われた第13期木の家ネット総会にて、満場一致の賛同で新代表に就任した大江忍さんの人となり、これまでしてきた活動、これからの木の家ネットに賭ける想いを語っていただきました。

職人がつくる木の家ネット 新代表の
大江忍さんって、どんな人?

大江忍さんは、愛知県日進市で「ナチュラルパートナーズ」という工務店を主宰し、地域ビルダーとして、木組土壁、自然素材、石場建ての家などを数多く手がけています。また「緑の列島ネットワーク」「職人がつくる木の家ネット」という木の家づくりと深い関わりのある2つの団体の代表として、国産材や日本の職人の知恵を生かした家づくりを広めるための活動を行っています。また、石場建てを含む伝統的な家づくりを建築基準法に位置づけるための国土交通省補助事業の検討委員会の運営にも、事務局として3年間携わりました。

まずは、大江忍さんがなぜ木の家づくりをするようになっていったか、今に至るまでの来し方についてお訊きしました。

大工にあこがれ、父と寺巡りした少年時代

ヨハナ ご出身は名古屋と豊田の間の日進で 、今でも日進に住み、お仕事していらっしゃるんですよね?

大江 今でこそ、日進といえば、名古屋のベッドタウンですが、私が子どもの頃は、まだ里山の風景がたくさん残っていましたよ。小学校高学年あたりからかな、家がどんどん建って、地元以外の人がたくさん引っ越して来たのは。そんな時期でしたから、遊び場といえば、裏山か、工事現場でした。裏山では竹を伐って、秘密基地めいた小屋を作って遊んでいたし、現場では、大工さんがはたらいているのを眺めながら、木の切れっ端を拾ってなんか作ったりしていましたね。あと、小さい頃の記憶をいえば、親父に連れられて、寺めぐりを随分していましたね。知恩院とか清水寺とか、今でも大きな門を見てびっくりしたことが印象に残っています。

ヨハナ 古きよきものをなんとかして残していきたい、つくり続けていきたいという気持ちは、そんな原体験に根ざしているのかもしれませんね!同じ日進ということは、ご実家にお住まいですか?

大江 昭和44年に親父が建てた家に、今でも親子3代で住んでいます。その頃の家なので、伝統構法の家ではないし、かといって今どきの高気密高断熱でもなく、半端に寒い家だったので、最近リフォームしました。木造軸組の家は、構造的によっぽどひどくなければ、耐震補強をしたり、温熱環境をよくしたりという手直しができるから、いいですよ。父からみればひ孫が生まれるのに備えて、無垢の木を張って気持ち良くしました。

ヨハナ これからはそうやって、あるストックをどう直したり、維持したりしていくかを考えるのも、大事なことですよね!・・それにしても、自分の代はそのまま住んできていながら、初孫さんのためには直すんですね〜

大江 直した割には、あんまり泊まっていってくれないですけどね(笑)

ヨハナ 学校ではどんな感じの子だったんですか?

大江 中学までは学級委員や生徒会長をしたり、いわゆる「いい子」としていつも先頭に立っていたようなところがありましたが、高校に入ってすぐ、不良っぽいやつに呼ばれてリンチを受けたことから、高校時代はなるべく目立たないようにしてました。

ヨハナ 辛かったですね・・

大江 強いやつ、高圧的なやつが嫌いという反骨精神は、その時に培われたのかな。いじめを受けたことも、今思えば、私の精神を形作るバネとなっているかもしれません。

古い町並みや古建築を学に、学生活動にも積極的だった大学時代

ヨハナ そして、名城大学の建築学科に進学されだんですね。

大江 まちづくり系の研究室で、有松、今井町、奈良井宿、高山、美濃など、古い町並みの残るところに随分と出かけましたね。古建築サークルの仲間達と行くこともあれば、ひとりで自転車旅をすることもありました。

大江さんおすすめ、名古屋市緑区の有松の町並み。有松鳴海絞りという涼やかな絞り染で栄えた。

大江 サークルの運営に関わったり、建築系学生の愛知県連盟の活動にも加わったり、一年生の時からキャンプ、建築旅行、講演会などの企画をしたり。

ヨハナ そうやって、コトを起こしたり、人と一緒に何かを動かしていったり・・これは!と思うとひと肌ぬいでしまう性格は、昔も今も、変わりませんね〜

大江 みんなで「理想の村を作るんだ!」と意気込んで、長野県の山奥の売木村の山で伐採したカラマツ材で山荘を建てたり、自然農法の福岡正信さんの勉強会に行ったりしたことは、いい思い出です。

大江 という感じに、学生生活は充実してはいたのですが、大学の授業に関していうと、木造については、ほとんどと言っていいほど教わりませんでしたね。

ヨハナ 木の家ネットのみなさんで大学に行っている方の多くが、そう言いますよね〜 なんとかしていかないと・・

大江 けれど、在学中から木造系の設計事務所や建築現場でアルバイトをしていたので、丸鋸を使ったり、杉板を張ったりぐらいの施工も体験はしました。実際に動いた分、身についたな、という実感はあります。

ヨハナ バイト代もらって、課外実習してたんですね(笑)

いつも仲間の真ん中にいる、学生時代の大江さん。

地域ビルダーとして真壁土壁の家づくりを数多く実践

ヨハナ で、卒業後は、現場監督に!

大江 「やはり、現場を知らないと」という意識は学生の頃からありましたので、卒業後の進路としては、設計事務所でなく工務店を選びました。現場監督経験三年をそこで積み、一級建築士の受験資格を得て退社。ちょうどその頃、設立されたばかりだった豊田市足助の第三セクターの産直住宅の会社に、現場監督と設計担当として入社し、翌年、26歳で一級建築士に合格しました。

ヨハナ 足助といえば、三河地方で作られる塩やお茶を信州に運搬するのに、川を運ぶ舟から馬に乗り換える中継地として栄えたところですよね。

中馬街道の要所として栄えた足助の町並み。

大江 街道筋の伝統的な町並みが残っているということを地域資源ととらえ、地元の木で伝統的な町並みに合う住宅を作ろうとしていた会社だったので、やり甲斐はありましたよ。

ヨハナ 現代計画研究所が提唱する民家型構法を取り入れたと聞いていますが。

大江 そうなんですよ!ただ、現代計画の民家型構法は、柱をあらわす真壁づくりでありながら、ボードに漆喰塗りの乾式構法なんですよ。いくら見た目は「真壁の家」であったとしても、合板やボードのような自然に還らないものを使うというのはいかがなものか、せっかく、伝統的な要素を大事にするのなら、土壁で建てればいいじゃないかと疑問に思いましてね。

左/乾式工法=ボード+漆喰塗り 右/湿式工法=小舞土壁+漆喰仕上げ

ヨハナ 現代計画の基盤がある東京と違って、愛知には土壁が可能な生産体制がまだありますからね〜

大江 それを用いないテはない!ということで、すぐに方向性を変えて、200軒以上は木組み土壁の家を建てました。土壁を実践していく中で土の施工を知るようになっていったことは地元の足助の中世城郭の復元を手がけるきっかけともなりました。以来、伝統構法の城郭建築などににも多く取り組むこととなりました。

大江さんが主宰するナチュラルパートナーズが木工事監理で修復作業をする最初の施工例となった舞鶴城山手御門。甲府駅北口一体がよっちゃばれ広場を歴史的な建造物が囲む形で再開発されていく端緒となりました。詳しくはNPO法人甲府駅北口まちづくり委員会で!

「アトピー環境研究会」や「中部自然住宅推進ネットワーク」を立ち上げ

ヨハナ 地域ビルダーの実行部隊として先陣を切りながら、自然住宅系の会も立ち上げられていますね。

大江 地元の木と土壁でつくる家づくりがNHK衛星放送でとりあげられたことがきっかけで自然食品店の店主から声をかけられ、シックハウスにならないような住宅を自然素材でつくるにはどうしたらいいかということについて学び合う会を1992年にたちあげました。これが「中部自然住宅推進ネットワーク」で、60回ほど市民向けのセミナーを開きました。中部とついているのは、関西や関東でも同じ年に「自然住宅ネットワーク」が立ち上がったからです。

ヨハナ シックハウスということが社会問題になり始めたハシリですよね!健康上の理由から伝統構法にたどり着く人が出てきたのもその頃からでした。

大江 その翌年の1993年にも、国立名古屋病院の皮膚科医である深谷先生の呼びかけによる異業種研究会「アトピー環境研究会」の立ち上げに参加しました。建築関係、お医者さん、カビ、ダニの専門家など、いっしょになって、150件ほどのアトピー患者さんやシックハウスの患者さんの家の測定、環境調査や建物の実測を行い、研究発表の講演会などをして、住まいにおける化学物質等の害について市民に警告を発し続けました。98年には、「建築知識」で失敗しない健康住宅のマニュアルの記事も仲間と書きました。

ナチュラルパートナーズの施工例 重度の化学物質過敏症に苦しんでいた子どもたちを連れて宮古島に移住する家族のために、敷地選定から関わり、名古屋から大工、左官職を連れていって、木と土壁の家を作った。

ヨハナ シックハウス、アトピー、化学物質過敏症・・・大変な想いをしている住まい手が、大江さんを頼みに、健康な暮らしの場として木と土の家づくりをするようになっていったことには、そのような背景があったのですね。木の家ネットがたちあがる前の1990年代にひとめぐりした感がありますね。

緑の列島ネットワークの代表理事&木の家ネットの運営委員に

ヨハナ そして2000年代に入り、緑の列島や木の家ネットに関わられるようになるわけですが、そのきっかけとなったのは何でしたか?

大江 「中部自然住宅ネットワーク」で活動していくうちに、つくり手と施主という立場で名古屋工業大学の藤岡伸子先生と知り合い、その頃「緑の列島ネットワーク」を立ち上げたばかりだった長谷川敬さんを名古屋に呼んで講演会をしようということになりました。

緑の列島ネットワーク発足時に、朝日新聞に掲載されて話題となった全面広告。賛同者の名前が、山並みをかたちづくっている。

大江 「都市部の上流域の山の木を使って家づくりを」という考え方に共感して緑の列島ネットワークの会員になる意思を表明したところ「理事もやってよ」とお誘 いを受け、お引き受けする流れとなりました。

ヨハナ 緑の列島ネットワークと共通するメンバーの多い「職人がつくる木の家ネット」に誘われたのもほぼ同時期でしたよね。

大江 入会と同時に中京地区の運営委員も仰せつかり、こちらもお受けしました。その当時は、まさか私がその両方の会の代表になるとは、想像もつきませんでしたが・・・先ほど言われたように「頼まれると引き受けちゃう」性格は昔からなので、いずれも与えられたお役目だと思って、どちらも精一杯つとめさせていただきたいと思います。

緑の列島ネットワークのWebサイト。 こちらも大江さんが代表理事をつとめている。

「ナチュラルパートナーズ」設立

ヨハナ さまざまな活動をしながら20年間はたらいてきた足助の会社から独立、2006年には「ナチュラルパートナーズ」を設立されました。

大江 足助の仕事で設計施工の大変さは身にしみていたので、最初は設計事務所のつもりでいたのですが、やはり家づくりの全責任を負える立場でいる方が、結果的に施主の望む家づくりを完遂できるという想いから、建設業の許可を取り、工務店としました。「それは施工の落ち度です」という逃げ口上が言えない「アーキテクトビルダー」であってこそ、できることがあると、思っています。

ヨハナ 「ナチュラルパートナーズ」とは、工務店というよりは自然食品店のような名前ですよね?

大江 建築だけでなく、衣食住、エネルギー循環、教育から精神性まで、暮らしをトータルに考え、自然や人との調和を提案していきたいという想いがあってのことです。略して「ナパス」と読んでいます!

「暮らし全体をナチュラルに」という想いを込めて設立した、ナチュラルパートナーズのWebサイト
ナチュラルパートナーズの施工例

ヨハナ 足助時代から活躍されてきた大江さんですが、やはり「自分の会社」って、いいものですか?

大江 意思決定が自分でできるようになり、より自由な発想で家づくりを考えることができるのは、やはりいいことだと思います。おかげさまで優秀なスタッフに恵まれ、木組土壁はもちろん、石場建てや文化財修理などの仕事もさせていただいています。

ヨハナ 息子さんたちもごいっしょに働かれているとか?

大江 男の子が二人居まして、上の子は現場監理の見習い中です。うちのベテラン組までの働きになるまでにはまだまだうんと経験が必要ですけれどね。下の子は通信制の高校に通いながら、しつけのやり直しのつもりで、物を運んだり、掃除したりといった単純作業を手伝わせる程度です。設計事務所でなく工務店なので、下働きはいくらでもありますからね!

二人の息子さんたちと。(数年前の写真です)
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「建て主さんと話をしていくうちに、その家族の家の形が見えてくる」と大江さん。