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設計士・草野鉄男さん(草野鉄男建築工房): 納得してたどりついた本物の木の家づくり

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納得してたどりついた 本物の木の家づくり

草野鉄男建築工房
設計士:草野鉄男さん

1961年(昭和36年) 富山県生まれ
1984年(昭和59年)東洋大学工学部建築学科卒業
1993年(平成5年) 設計事務所勤務を経て草野鉄男建築工房を設立
2000年(平成12年) 富山木構造スクール(現・木の家スクール富山の前身)をスタート
2001年(平成13年)緑の列島木の家スクール富山として再スタート

インタビュー実施日時:2012年8月7日 / 2013年2月27日(Skypeで追加取材)
於:富山県富山市
聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)

富山で無垢の木の家の設計を数多く手がけながら、「木の家スクール富山」を主宰、木の家づくりの裾野を広げている草野鉄男さんにお話をおうかがいしました。

建築家にあこがれて

富山の大工の家系の生まれです。父親は大工。じいさんは宮大工。ひいおじいさんは木を見て製材できる、木挽き大工でした。

幼少時代は、じいさんが昭和初期に今この事務所のある敷地に建てた家で育ちました。昔は街道面の間口を規準に税金をかけられたので、上市街道に面していたこの家の間口は2間しかなかったのですが、奥行きは15間もあり、奥の方に作業場がありました。小さい頃はそこで父親が使う材料の端材で工作したりして遊んでいました。

幼い頃の草野さん。昔の自宅の裏には大工さんの作業場があり、その横で撮ったもの。

10歳の頃、父が別の場所に新築した家に引っ越して、今でもその家に住んでいます。木の節も活かそうという今どきの木の家づくりとはまったく逆の、長押から建具まですべてが無節の秋田杉の普請。節のないきれいな柱、目の詰まった長押など、木材関係者からは「あんたんとこは、トロで建てたような家やな」と言われていました。

材料のよさが自慢だったばかりでなく、昔ながらの大工の美学が凝縮したような家でもあります。天井が格天井になっていたり、座敷などに数寄家的な高い技術をかけていたりと「大工が腕をふるった家」らしい家です。昔の富山では冬は大工仕事といっても雪下ろしぐらいしかできません。そんな閑散期には、父は自分なりに手をかけて改装していましたね。

富山に帰って木造住宅を手がける

富山の高校を卒業した後、上京して、東洋大学の建築学科に進みました。親はもう引退近い年齢でしたが、建築関係に進学したことを喜んでくれました。しかし、大学では、父が仕事していた木造や木のことは、全く教わりませんでしたね。その頃の建築の学生の多くがそうだったように、ぼくも安藤忠雄に憧れていました。その一方で、吉村順三や清家清が作るような木造の小住宅にも「こんなに小さいのに、機能的で、ぬくもりがあって、いいな」とも、思っていました。

ベースを弾く草野さん。写真は結婚式の時のもの。

大学時代、バンドでベーシストをしていて、プロのミュージシャンになろうと思った時期もありましたが、卒業後は富山の設計事務所に勤めはじめ、1993年に独立しました。その頃はもう引退していた父が、ぼくのために自宅の一部を事務所として使えるように改装してくれて、開業後の一年間、今の事務所をじいさんの家の跡地に建てるまでは、そこを使っていました。

独立して一軒めの仕事は、バンド時代に世話になった楽器店の店長のお宅の新築でした。米松の梁を見せ、柱材は白い漆喰風のAEP塗装の大壁で覆い、天井にはシナベニヤ板を張りました。「木の香りのする」家として、当時、富山の情報誌などにも取り上げられましたが、使っている木は、外材や木質系材料で、おもてにあらわれて見えている木の量も、実際の材積も、今ぼくが作るような無垢の国産材でつくる「本物の木の家」ほどには、多くはありません。ただ、独立当時から「木の空間」へのこだわりはありました。

独立して最初につくった家のリビングと子供室。

いっしょに理想の家について勉強しましょう

「理想の家を建てたいのです。いっしょに勉強してください」というお施主さんが現れたことで、転機が訪れました。・・・理想の家って何なんだろう?・・・自分なりにじっくり、考えてみました。せっかく作る家が、20〜25年でこわされるというのではもったいない。アレルギーやシックハウスの原因となるような家は作りたくない。お施主さんと話し合いや勉強を重ねていくうちに、世間で普通に建てられている家は「理想の家」とはいえないことが分かってきました。

では、どうしたら、理想の家がかなうのか? なぜ今の家が長持ちしないのか?アレルギーやシックハウスになぜなるのか? さまざまな要因を、ひとつひとつ取り払って考えていった結果、日本の気候風土に合った伝統的な民家にたどりついたんです。

伝統構法を勉強していくうちに大工棟梁の田中史男氏と現代計画研究所の藤本昌也氏との出会いによって「民家型構法」が提唱されていることを知りました。 それは、伝統的な民家の構造を現代に活かして、国産材の太い通し柱と梁でガッチリとした組まれた骨組みをベースに、ライフスタイル等の変化などに応じて間取りを変えていくことのできる自由度の高い構法で、木のもつ性質を活かしているため、木を覆ってしまうような現代工法と比べると、長寿命なのが特徴です。

民家といっても、住空間としては、スッキリとモダンな感じで、これまで自分がいいと思って来た、吉村さんや清家さんのような戦後の木造小住宅と、理想の家づくりと近いと自分が感じ始めていた伝統構法とが、ひとつの像を結んだような思いがしました。山の木が育って材料になるまでかかる時間よりも長持ちする木の家を実現できて、それが、日本の山の循環にもつながるという点にも共感を覚えました。

理想の家づくりは、伝統的な構法で、富山の気候風土に合った家をつくることだと目標が定まり、いよいよ、具体的に建設を進めるために必要な課題をクリアしていく段階へと進むことになりました。今でも伝統的な構法で建てられる大工さんはいるのか? 伝統的な構法に使う材料は、どこで調達するのか? ひとつひとつを解決していくために、あらためて勉強したり、人に会いに行ったりする日々が始まりました。

伝統構法を学びに四国へ

理想の木の家づくりは伝統的な構法で、と決めた頃、お施主さんから「ここの木を使いたいんだけれど・・」と、提案があったのが、徳島のTSウッドハウスの木でした。和田善行さんが代表をつとめられているTSウッドハウス協同組合は、ごく早いうちからWebサイトでの発信をしていて、それをお施主さんが見つけたのです。森林の循環を守り、環境にも人の健康にもやさしい家づくりは、現代工法ではなく、伝統的な構法である、それに適した材を供給するために、葉枯らし乾燥を行い、使う部材に応じて木を活かす「適材適所」での製材をする、ということをTSウッドハウスのサイトでは謳っていました。

お施主さんと徳島へ。右の後ろ姿は和田善行さん

お施主さんに提案された時には、正直言って「徳島からそんな材料を運べるんかいな〜」と半信半疑でした。それから、和田さんとの電話でのやりとりが始まり、徳島まで実際に会いに行くことになりました。会ってみてお話を聞いているうちに、ロシアやアメリカ、カナダなどから運ぶ方がよっぽど不自然なことなんだなと分かり、木の家づくりを通して日本の山に貢献できるということの素晴らしさも知りました。

建築家が建てる、木をあらわしにするおしゃれな空間が住宅雑誌をにぎわせてはいても、梁はベイ松があたりまえ、国産材の「こ」の字も言われないような時代に、徳島の山奥から伝統的な構法のための材を出している和田さんと知り合ったことが、私を変えました。自分が動くことで、自分が望む「理想の家づくり」のより近くにいる人と出会い、出会ったことで道が拓けていった、そんな感じです。

「寸法だけじゃ挽かないよ」

和田さんとのやりとりには、目からウロコなことがたくさんありました。図面から必要な材の寸法と本数をとりまとめて発注する、というのがそれまでのやり方だったのですが、和田さんは「寸法だけじゃ、木は挽けないヨ」とおっしゃるんです。同じ木でも、木の一本一本に個性やクセがある。どこに使うのかが分かれば、そのひとつひとつの性質を活かして挽ける。適材適所で使うように、木を見ながら挽いているからと、和田さんは言うのです。

「床下の土台や大引には、腐りにくい、赤身の部分を使いたいよね」「外壁に使う板は赤身が基本だよ」大学ではもちろん、仕事を通しても大工からも先輩の設計士からも訊くことのなかったことを、どれほど、教えてもらったことか!

会話といっても、私の方は「ああ、そうですよね〜」と答えながら、これが本当の適材適所なのだと、それまでいかに木のことを知らないで来たか、痛感しましたね。それまでにも、自分が設計する家に木を使ってはいました。それでも、木の性質や木の個性までは見ておらず、寸法や金額、要するに「数字で」しか見ていなかったんですね。この時の経験が、今、実践している「本物の木の家づくり」の出発点になっています。

TSウッドハウスのストックヤード。写っているのは当時のお施主さん。

思い出しさせすればよかった

さて、徳島の材を使って、金物接合なしで込み栓やくさびを使った木組み、内外真壁の本格的な木の家づくりをすることに決めました。となると、そのように作ってくれる大工さんがいるか、というのが次の問題となります。

人から人へ、訊ねていくと「大変だけど、できないことないよ」という大工さんがあらわれました。八尾の大工さんで、昔ながらの家づくりを、若い頃にはしていた、というのです。「最近はそんな仕事はなくなったけれど、昔はやってたことだから、やってやれないことないよ」と引き受けてくれました。

和田さんの紹介で、八尾の大工さんもいっしょに、高松の六車棟梁のところに現場を見せてもらいにも行きました。伝統的なつくり方、木組、山の循環につながる家…それまで勉強してきた「理想の家づくり」を、はじめて実物として目にした時の感動は大きかったです。しかも伝統的な構法といいながら、昔の家そのままではなく、とても合理的でモダンな感じがして、そのことがとても新鮮でした。

それでも、その新築の家の構法や技術的な要素を見てみると、それは父や祖父がしてきた家づくりと同じなんです。気がついてみれば、父、祖父ががしてきた仕事を、設計という仕事を通して間接的に継いだといえるのかもしれません。近々、現在の事務所を壊して、今実践している「本物の木の家づくり」に見合ったようなモデル住宅兼事務所として再建しようと考えています。祖父が作った、私が幼少時代を過ごした場所に、祖父の時代からつながる日本の大工技術や木を活かした木の家づくりの拠点ができる。「木の家づくり」をめぐって、ぐるっとひとまわりしてきたようで、感慨深いです。

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上棟式で祝詞をあげる、現役の大工だった頃の、草野鉄男さんのお父さん。