蔵の街、栃木の中心を流れる巴波川(うずまがわ)
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第12期木の家ネット総会 栃木大会

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2012年7月
栃木市嘉右衛門地区が伝建地区に!

2012年10月13日から14日にかけて、栃木県栃木市で、職人がつくる木の家ネット 第12期総会 栃木大会が開かれました。いきなりですが、愛知県小牧市から参加した、丹羽明人さんからの感想をご紹介しましょう。

「総会開催地となった栃木のまちは、かつて商人の街として栄えた賑わいを彷彿とさせる町並みが残る、大変素敵なところでした。コンサル会社主導ではなく、うだちの会、行政、学識経験者の連携による町づくりが実を結び、住民の暮しと観光とが両立する形で再生されてきたところに、この街の魅力があると感じました。また、『伝統的建築群保存地区』指定に向けての活動の中で、かつて大工や左官などの多くの職人がまちを支えてきた構図が息を吹き返したことで、伝統的な建物達は本来の職人技術と仕様で修復されています。これにより、まちには見せかけではない本物の魅力が漂っていました。

 

木の家ネットで栃木の会員さんは、大兵工務店の山本さんお一人だけしかいません。総会初日、10月13日のお昼過ぎに栃木商工会議所で木の家ネットのメンバーを出迎えたのは、揃いの法被を着込んだ山本さんの地元の仲間たちでした。伝建地区指定をひとつの目標としながら、蔵の街を再生させるという夢をもって、栃木のまちづくりに携わってきた職人仲間、「卯立ちの会」のメンバーです。

前回、山本さんの「現場報告」の取材で栃木を訪れたのは2010年の10月。その頃は、行政、小山高専の先生方、「卯立ちの会」の職人メンバーなど、官民こぞっての連携で、伝建地区指定に向けて最後の努力をしているところでした。「嘉右衛門町」「栃木町」の二つが当初から伝建地区の候補となっていましたが、みなさんの努力が見事に実り、まずは「嘉右衛門町」が、2012年7月に文部科学省より伝建地区の指定を受けたのです。

「嘉右衛門町」には、かつて江戸と徳川家の霊を祀る日光東照宮との間を往来していた例幣使街道に沿った街で、当時の敷地割りと、江戸時代からの商家がかなりの密度で残っていることが、指定のカギとなりました。

嘉右衛門町地区と栃木町地区。新栃木駅と栃木駅の中間付近に位置している。
(栃木市教育委員会発行「伝建かわら版」3号より)

歌麿が愛したまち、とちぎ

プログラムは、まずは、総会と同じ日程で開催されていた「歌麿祭り」でお忙しい中を縫って木の家ネット総会に顔を出してくださった来賓の栃木市長の鈴木俊美さんにご挨拶に始まりました。巻紙に心をこめて筆書きした直筆の挨拶文をくるくるとひもときながら話をされたのがとても印象的でした。

栃木市 鈴木俊美 市長

栃木市では、市内ゆかりの旧家に江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の肉筆画が3点も現存していることが、ここ5年ぐらいの間に次々と明らかとなりました。歌麿が実際にある期間栃木に逗留していたという説も有力視されており「歌麿が愛したまち」ということで、伝建地区指定とあいまって栃木市の歴史的価値再評価の流れを作っています。

「歌麿祭り」では、肉筆画の展示はもとより、蔵の街どおりを中心においらん道中、朗読、古本市、スタンプラリーなどさまざまなイベントが同時開催されており、多くの人が訪れていました。地元の歴史的価値あるものを最大限にアピールして、他所から栃木の町を訪れたくなる魅力を作ろうとしていることが、伝わってきます。

小山高専、栃木の町に
サテライト・キャンパスをオープンする

次に、栃木市に隣接する小山工業高等専門学校(小山高専)の学校長である苅谷勇雅先生に「歴史的町並みとの共生」と題した基調講演で、栃木市に伝建地区が誕生するまでの経緯についてお話いただきました。苅谷先生は、元は文化庁文化財鑑査官であった方で、建造物保存や景観政策がご専門です。平成21(2009)年より小山高専の学校長に就任されましたが、それ以前から先生は栃木のまちづくりにずっと関わっておられました。

小山工業高等専門学校 苅谷勇雅 学校長

小山高専は日本でもめずらしく「伝統建築コース」を有する高専であり、栃木市の伝建地区指定に至るまでのプロセスにおいても、積極的な関わりをしてきています。2011年8月には、蔵づくり大通りに面した街中に、かつての蔵作り店舗裏の住居・中庭・蔵からなる敷地を修復再生し、小山高専のサテライト・キャンパス兼「とちぎ歴史文化まちづくりセンター」をオープンさせました。ここが中心となって栃木のまちづくりや歴史文化についての情報発信、地域の子供達との科学工作などを通じての交流を行い、にぎわいの創出に貢献しています。

小山高専のサテライト・キャンパス 兼 とちぎ歴史文化まちづくりセンター

講演会の後の時間に、サテライト・キャンパスを訪れると、小山高専の学生が、体験も受け付ける形で、土壁の実物大模型に竹小舞を編んで、藁スサを練り込んだ土をつける作業の実演をしていました。休日の街中のにぎわいの中でこのような作業をしていると、じーっと見学していく人、たまには体験していきたいという人もあり、学生さんは土壁について説明したり、体験希望者に教えたりすることを求められます。

高専に入って習い覚えたばかりの知識や技術が、人に説明することを通して「自分のもの」となっていきますし、卯立ちの会の職人さんに実地で指導を受けることもあります。また、道行く市民の人たちには「土壁はこのようにできているんだな」という作業工程をよく理解してもらうことができます。

その学生が将来、栃木の町を維持していくことを担っていく職人になるかもしれません。ならないとしても、伝建地区がどのように継承されていくのかを理解する市民にはなります。高等専門学校として栃木のまちづくりに積極的に関わる姿勢が、伝統的文化の継承についての啓蒙、人材育成、地元市民との交流など、さまざまな社会的意義を生むことを実感しました。このサテライト・キャンパスを企画、実行された苅谷校長先生のご英断に、心から感服しました。

保存修理やまちなみ計画をバックアップする
「伝統的建造物群保存制度(昭和50年)」

伝建地区に法律的な位置づけを与えるのは、昭和50(1975)年に施行された「伝統的建造物群保存制度」です。昭和25年に定められた文化財を単体として保護する「文化財保護法」とは異なり、伝統的な建築文化財の集まりを「群」として指定して維持保存していくしくみです。

伝建地区に指定されるメリットとしては、まず第一に、景観条例の制定などにおいて、市民の足並みが揃うということがあります。また、古い建物を継承していくためには、保存修理すべき周期があり、平均して30〜40年に1回は瓦、茅葺き、塗装などで不具合が生じた部分を修理し、150年に1回は解体修理を行うのが適当とされます。伝建地区に指定されることで、こうしたメンテナンスにかかる費用の半分を国が見てくれるようになるというのが、第二の利点です。

伝建地区の指定を受けるには、市町村レベルで保存対策調査を行い、保存地区を決定し、その地区についての保存計画の策定および告示をし、文部科学大臣に申し出をし、審査の上、指定を受けるという流れになります。

伝建地区制度は、しくみであると同時に、その街の歴史的な個性を強める方向でまちづくりを展開していく後ろ盾ともなるものです。苅谷先生に見せていただいたスライドでは、トタンから茅葺きに葺き直した「大内宿」、結いで茅の葺き替えをする「白川村」、階高の高い建物を建てないという条例を創った「倉敷」など、さまざまな例が紹介され、この制度によって、地域の歴史的特性がよみがえり、先へとつながっていくことが分かりました。

「歴史町づくり法(平成20年)」
NPOや市民団体も担い手となって

伝建地区は建物群に限った制度でしたが、平成20(2008)年にはそれをさらに推し進めた「歴史町づくり法」が採択されました。たとえば「おまつり」のような無形の文化財があってこそ、その町の地域性が生きるという例があります。文化財とは総合的なものであるという前提のもとに、祭礼、美術、建築、歴史など、さまざまなジャンルを横断した「関連文化財群」として捉えようというのが「歴史町づくり法」のアイデアです。この場合、国交省と文化庁とが手をとりあって、保存に取り組むこととなります。

「歴史町づくり法」を実現するには、所有者と市町村だけでは手がまわりきりません。そこで、NPOや任意団体でも担い手になることが可能とされ、全国各地で文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業が行われるようになってきています。小山高専が蔵の街の中心部にサテライト・キャンパスを置いて保存再生の段階から関わり、修復後も「とちぎ歴史文化まちづくりセンター」伝建地区は日本中で増え続けており、指定を受ける地区は今年で100を越えるとも言われています。社会全体で文化財を継承するというアイデアがより広く定着し、広がっていけば、地方都市の核となる部分に、その町の歴史的個性を体現し、現代にいきづいた形で活用される地区が生まれてくるのではないでしょうか。これからの地方都市の動向が楽しみです。

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蔵の街遊覧船