「火事と祭りは江戸の華」という言葉がありますが、限られた土地に建造物が建ち並ぶ現代の東京において、一軒の火事は周囲を巻き込む大きな災害になります。
戦後、焼け野原になった浅草で、材木を供給し復興に貢献した土手加藤材木店。5代目の加藤晶久さんは、100年以上続くその看板を守りながら、工務店としての事業に大きく舵を切り、耐火性能を追求した伝統的な木の家をつくり続けています。


土手加藤材木店が面している通りの先に東京スカイツリーが見える。
土手加藤材木店が面している通りの先に東京スカイツリーが見える。


加藤晶久さん(かとうあきひさ・54歳)プロフィール
昭和45年東京で、創業明治26年(昭和26年に株式会社となる)の土手加藤材木店を経営する加藤家の次男として生まれる。大学は建築学部に進学し、卒業後は家業を継ぐ。5代目を引き継いでからは工務店業を開始し、経営と同時に設計(2級建築士)を行う。

東京23区内で木の家に住むということ

⎯⎯⎯東京の名所・浅草は浅草寺の本当にすぐ近くに会社を構えていらっしゃるのですね。

加藤さん(以下敬称略)「歩ける距離ですが、観光地としての浅草は浅草寺周辺の限られた場所で、ここまで来るとマンションや企業の社屋ばかりになって、みなさんが期待するような下町の風景とはちがうかもしれないですね」

⎯⎯⎯確かに。こちらの社屋もモダンな印象ですし、大通り沿いだからか、周囲を見渡してもビルが多く木造の建物は見当たらないです。

加藤「都内でも土地単価がすこぶる高い地域ですからね、商業用ビルばかりで個人宅がそもそも少なくなってきています。ちがう街から土地を買って一戸建てを新築しようと思っても、もはや売りに出される土地じたい、土地面積は小さなものであっても非常に稀です」

左:企業のビル入り口。お寺や神社の多い浅草らしい風景。 左:土手加藤木材店の裏手にある住宅街。隙間なく建造物が並び、火災への対策が必要なことも納得できる。
左:企業のビル入り口。お寺や神社の多い浅草らしい風景。 左:土手加藤木材店の裏手にある住宅街。隙間なく建造物が並び、火災への対策が必要なことも納得できる。

⎯⎯⎯東京23区内に家を建てる、しかも木のぬくもりが感じられる家に住まうことができる、とても贅沢なことのように感じます!

加藤「国産無垢の木の家は高価なもの、というイメージがありますか? そう思っている方は多いようなのですが、じつは木材こそリーズナブルなんです。鉄筋なんてどれだけ値が張ることか。確かにコロナ禍の頃にはウッド・ショックなんて呼ばれた木材の価格上昇がありましたが、もうかなり落ち着いています」

⎯⎯⎯なるほど、資材費の節約になるのですね。それは大きなメリットですよね。

加藤「高価な木であれば、いくらでも高いものがありますが、うちはもともとが材木商ですから、高級といわれる桧(ひのき)でさえ、うまい仕入れ方のノウハウもありますし、予算や暮らしのイメージ、用途にあった木の選定をしています。もちろんね、手ごろというだけで木の家をつくっているわけではないですよ。やっぱり私は木が好きです。子どもの頃からずっと材木がある場所で遊びながら育っていますからね」

左:土手加藤木材店の外観 右:材木の加工場
左:土手加藤木材店の外観 右:材木の加工場
左:事務所内 左:事務所内の飛び出した梁がユニーク!「切るのが面倒だから残しただけですが、書類をピンで留めたりと意外に便利でね(笑)」と加藤さん。上記写真4点:土手加藤材木店
左:事務所内 左:事務所内の飛び出した梁がユニーク!「切るのが面倒だから残しただけですが、書類をピンで留めたりと意外に便利でね(笑)」と加藤さん。上記写真4点:土手加藤材木店

材木を直接お客様に届けるための工務業

⎯⎯⎯木のどういうところが特にお好きなのですか?

加藤「優しい風合いに癒される感覚がありますし、感触もいい。よくよく見ると材木になっても1本1本に個性があって見飽きません。年とともに色の深みが増したり、割れたり場所によっては歪むこともありますが、それにも味わいがありますし。もしメンテナンスが必要になっても他の素材に比べて扱いやすい。木の家は経年劣化ではなく“経年深化”するものだと、私は思っています。木の個性を見極めて、手作業で加工して、整然と並べていく大工の仕事を見るのも、子どもの頃から好きでしたね」

⎯⎯⎯老舗の土手加藤材木店を工務店業へと舵切りしたのは加藤さんだそうですね?

加藤「そうです。先ほど、東京の建築の現状を少しお話しましたが、木造建築が減れば当然材木の売り上げも減ります。この流れはもう父親の代ですでに始まっていました。工務店や大工から材木の注文がくるのを待つのではなく、直接お客さんに売りに行く、直販しようという発想で工務店業を始めました」

⎯⎯⎯お父様は反対されませんでしたか?

加藤「もう父は亡くなっていました。だから決断でした、いえ、決断しなくちゃ持たないと思ったんでしょうね。父は私が土手加藤材木店に入って7年目の頃、63歳で亡くなりました。生きていたら反対したかどうかはわかりませんが、切りかえるのに時間はかかったかもしれません」

木の個性の楽しさを知る加藤さんが設計する、その家の“顔”である玄関。
 「無垢の材木のよさを伝えたい」というの気持ちが伝わるリビングのデザイン。文京区の中古マンションのリフォーム。
冷たい印象になりがちの水場も木を使うことで、優しい空気感を纏う。上記写真3点:土手加藤材木店

“金看板”の重みとありがたみ

⎯⎯⎯ゼロからのスタートではないにしても、準備からお客さんを得るまでにご苦労も多かったのでは?

加藤「建築業界のことは知っていましたし、私は大学で建築を学んでいて建築士の資格も持っていましたが、心配したのは今までの取引先の工務店がライバルになってしまうのではないかということ、そしてやはりお客様の獲得ですよね」

⎯⎯⎯建築学部ご卒業ということは、大学入学の頃にはすでに工務店業をする構想があったのですか?

加藤「いえ、当時はただ建築について学んでみたいという気持ちだけだったのですが。もしかしたら、頭のどこかでこうなることを予測していたのかもしれませんね。材木の商売はずっと右肩下がりで、両親が苦労している姿や、同業者が店を閉めていく状況をずっと見たり聞いたりしてきましたから」

⎯⎯⎯その同業者も老舗と呼ばれるようなお店だったのでしょうか?

加藤「もちろん含まれています。老舗だから生き残れるわけではないということを目の当たりにしました。それでも、いざ工務店業を始めた初期の頃にご注文くださったのは、『おたくのことはお祖父さんの世代から知っている、信頼できるから』とおっしゃってくださる地元の方々でした。歴史や伝統は、守るために責任が重くのしかかることもありますが、大きな力で守ってくれているんだということを改めて知りました。まさしく“金看板”ですね」

⎯⎯⎯歴史や伝統……加藤さんだからこその重みのある言葉ですね。

加藤「いえいえ、店や商売だけでなく、日本の家の伝統工法も同じではないでしょうか。 弊社がつくる家の品質を保つという目的だけでなく、大工の伝統技術を残すことに貢献したいという思いもあり、社員として大工、棟梁を雇用しています」

東京の法規制との折り合い

⎯⎯⎯大工の方も収入が安定していると、安心して仕事に取り組めますから、質も高まるでしょうし、学ぶことに関しても積極的になれますね。

加藤「ゼロから育て上げるということはできませんが、墨付けや手刻みをきちんと身に着けた大工の能力を活かす場をつくるということは大切にしています。プレカットした材木を組むほうが経済的というのは事実ですが、色々と規制がある東京の木造建築で、お客様それぞれのご希望や事情を叶えるとなると、しっかりとした技術を持つ大工が必要です。何に関しても“付加価値”の時代ですからね」

⎯⎯⎯東京の木造建築の規制というと?

加藤「耐震のこともありますが、何といっても防耐火規制です。このあたりは台東区になるのですが、台東区の90%が最も規制が厳しい“防火地域”となっています。まあ、これだけ建物が密集していたら、1件の火事が燃え広がって大惨事になりますからね。これまで防火地域での耐火建築物というと主に鉄筋コンクリートや鉄骨が使われてきましたが、最近は木造でも耐火建築物で住宅を建築することができるようになりました」

⎯⎯⎯何が可能にさせたのでしょう?

加藤「技術というか知見が広まったおかげでしょうか。木材への耐火被覆だけに頼らず、“燃えしろ設計”や“材木の厚みを増やすこと”で火災が起きても延焼を遅らせることが可能なことがわかってきて、柱や梁、階段や軒裏にも材木をそのまま活かした設計ができるようになりました」

限られたスペースを最大限に活かす加藤さんの設計。12.3坪の狭小地でもゆとりの木造耐火3階建て東浅草の家。上記写真3点:土手加藤材木店
限られたスペースを最大限に活かす加藤さんの設計。12.3坪の狭小地でもゆとりの木造耐火3階建て東浅草の家。
上記写真3点:土手加藤材木店

じつは木は火災に強い

⎯⎯⎯耐火のポイントが木の厚みなんですか?

加藤「木材は燃えやすいイメージがあると思いますが、じつは、厚みを持たせた木材は火に強いのです。木が燃えると表面は炭になりますが、その炭化層が耐火層となるので、火は中心部までなかなか到達できません。木には元々自然の耐火性能が備わっているため、火災時でも建物の倒壊は起こりにくい。ですからね、都心部であっても木造建築は十分に可能なんです」

⎯⎯⎯木の本質を改めて教えていただきました!

加藤「材木屋ですからねぇ(笑)。厚みの話をしますと、東京の狭い土地に建てる家で、壁などに厚みを持たせるとなると、もっと狭くなるのではと思いますよね。東京には都市計画法で定められた敷地についての法的規制が存在するので、なおさらです。具体的には建蔽率や容積率や道路斜線または北側斜線などのことです」

⎯⎯⎯対処法はあるのでしょうか?

加藤「家屋の面積はさらに限られてきますが、そのなかでも解放感を感じていただくために、窓の位置や扉のつくり、家具も含めた素材の統一感、風や光の通りなど、設計の工夫と大工の技術力でつくり出す努力をしています。この点に関しては、都内の工務店でもできているところはそう多くないと思います」

東京の防火地域に建てた3階建ての木造建築。「当然、2階建てより3階建てのほうが規制は厳しくなりますが、素材・工法ともに十分に対応できます」
東京の防火地域に建てた3階建ての木造建築。「当然、2階建てより3階建てのほうが規制は厳しくなりますが、素材・工法ともに十分に対応できます」
「限られた敷地で庭木を植えるのは難しいですが、エントランス付近にデザインとの調和を考えながら植栽しています」と加藤さん。
「限られた敷地で庭木を植えるのは難しいですが、エントランス付近にデザインとの調和を考えながら植栽しています」と加藤さん。
「大工職人による造作家具は部屋に溶け込みますし、機能的で無駄を省くことができるので、狭さを感じずに生活を楽しんでいただく目的で、つくっています」
「大工職人による造作家具は部屋に溶け込みますし、機能的で無駄を省くことができるので、狭さを感じずに生活を楽しんでいただく目的で、つくっています」
光と風を活用した住み心地のいいパッシブデザインにも取り組んでいる。上記写真4点:土手加藤材木店
光と風を活用した住み心地のいいパッシブデザインにも取り組んでいる。
上記写真4点:土手加藤材木店

日本の木の文化を残したい

⎯⎯⎯ずっと東京に住まわれて、歴史というか変化を見続けた御社の底力ですね。

加藤「これからも変化していきます。東京はさらに建築法の規制が厳しくなると言われています。 それでも何とか対応して、木で家をつくる文化を残していきたいです。日本はいい木が採れますし、国の風土にあっていますし、大切な“地場産業”が廃れてしまうのを防ぐことにもなりますからね」

⎯⎯⎯産業が1つ失われたら、つながりのある他の職種にも影響がでますね。

加藤「木を伐り出す山の人たちの老齢化が進み、製材所の廃業も相次いでいます。木材はじつは高価ではないとお話ししましたが、単価が昔のままというのも問題です。100年も続けば企業も産業も息継ぎが必要。弊社もそうだったように。山の仕事を上手に若い人たちに引き継いでいるところもあるようですから、その様子も見届けられたらなぁと思いますね」

仕舞い方を考えるのはトップ最大の仕事

⎯⎯⎯次世代のことも考えていらっしゃるのですね。

加藤「拡大路線ではないのですけれどね。今も口コミでご依頼いただく仕事や、これまでのつながりをとにかく大切にすることは当然していますが、現状跡継ぎが決まっているわけではなく、仕舞い方も考えなくてはいけないのかもしれません。この浅草でやはりずっと商売をされてきた家を継ぎ守っている先輩経営者から『最後を見極めること、常にそこを考えるのが社長業だ』と教わりました」

⎯⎯⎯たしかに。幕引きを決断できるのはトップの人間だけですね。

加藤「ただ、私としては土手加藤材木店の150周年という節目は目指しています。少なくともあと19年頑張れば、父や祖父、先祖たちも納得してくれるんじゃないかと。そして次の時代の姿も見えるのではないかと思っています」

昭和30年頃の土手加藤材木店。上記写真:土手加藤材木店
昭和30年頃の土手加藤材木店。上記写真:土手加藤材木店

取材を終えて

加藤さんから伺ったお祖父様のご様子は、例えば材木の買い付けをする時「ここからここまで全部もらうよ」と豪気で、粋な江戸っ子のイメージそのもの。お祖父様のことをどこか楽しげにお話くださる加藤さんの口調は、少し早口で歯切れがよく、江戸言葉の“粋”に触れさせていただきました。
江戸っ子の粋の芯とは、誇りをもって伝統や歴史、そしてコミュニティを守っていること、きっとそのための我慢強さにもあるのではないかと思いました。

取材・執筆・写真:

小林佑実

つくり手のご紹介

加藤 晶久

株式会社 土手加藤材木店

東京都

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設計

加藤 晶久

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