「木の家は大工、左官、建具屋と色々な職人が順番に仕事に入りますが、最後が私たち畳屋なんです」と岡田畳本店の四代目・岡田暁夫さん。仕上げを請け負う誇りと責任感、さらに状況を読み取り対応する柔軟さで、日本の畳文化を守り続けている。その静かで熱い思いを伺った。

岡田暁夫(おかだ あきお・68歳)プロフィール
1957年(昭和32年)1月1日生まれ。埼玉県畳高等職業訓練校卒業後、実家の岡田畳本店に就職し、1998年(平成10年)に代表取締役に就任し、四代目店主となる。岡田畳本店の初代である曽祖父の実家は大宮にある半農の畳店で、1883年(明治16年)に川越にて創業。開業時には相当な苦労があったが、後に結婚した妻の実家が川越であったことで大きな支援を受けられたと伝わっている。
老舗が変容に踏み切ったきっかけ
⎯⎯⎯ プロフィールを拝見しましたら岡田さんはお正月生まれ、めでたいお誕生日ですね。
岡田さん(以下敬称略)「私が生まれた昭和32年1月1日の翌日に、二代目の祖父が他界しました。この時父親は30歳で男1人でしたから、仕事はある程度できたものの若い親方としては大変だったと想像します。祖父の兄弟2人が川越で畳店をしていたので、仕事面で助けてもらったことで乗り越えられたことも多かったと思います。岡田畳本店の由来は、祖父の兄弟が岡田畳店として開いていて岡田の本家という理由から岡田畳本店になりましたが、親戚同士互いに仕事を助け合って商売をしておりました」
⎯⎯⎯ 心強い、ありがたい環境ですね。
岡田「ただ、同じ地域の他店と仕事でぶつかることもあり、そんな『縄張り争い』みたいなことに嫌気を感じたことが、三代目の父が仕事のエリアを川越から外に向けたきっかけになったと聞いています。そのなかで集合住宅などを手掛けるゼネコンさんであったり、プレハブ工法で進出してきたハウスメーカーさんとの縁ができました。当時は木造住宅が台頭している時代でしたから、その仕事に携わること自体に抵抗がある畳店が多いなか、父は積極的に仕事を増やしていきました」
⎯⎯⎯ もしかして、団地ブームがやってきた頃でしょうか? お父様の経営手腕、素晴らしいですね。
岡田「先を見通す力があったというわけではなく、目の前に来たチャンスを必死でつかんだんだと思います」
⎯⎯⎯ 岡田さんご自身はどのように畳のお仕事に進まれたのですか?
岡田「高校を卒業した私は、父親が薦める畳訓練校に入学しました。理由の1つは、この3年ほど前から、父は組合で運営している訓練校の生徒を店に派遣してもらっていたのですが、挨拶がしっかりとでき不平や不満を言うことなく働いてくれる若い彼らの姿を目の当たりにして、訓練校の厳しい教育方針のもとで、自分の息子もこうなってほしいと強く感じていたからだと思います。私が訓練校に入学して一番の財産になったと思うことは、全寮制で寝起きを共にし同じ釜の飯を食べ、厳しい訓練(修行)を受けた同業の仲間ができたことだと心から思っています。そして訓練校を卒業し、実家の岡田畳本店に入りました。」
⎯⎯ 親孝行ですね。
岡田「仕事がある程度わかって自分の欲もでてきた頃でしたので、日々の仕事の中心になっていたハウスメーカーさんの物件では、よく父親に『こんな安い仕事をなぜするのか?』と生意気を言い食ってかかり、ぶつかることが多かったことを思い出します。また、やりきれないほどの仕事量でしたので、訓練校の同期仲間に手伝っていただくことも多く、私が父親と口論している姿を見て、『岡田、親に対してその言葉使いはダメだ』とよく言われました」

左:社内にある畳の作業場に案内していただいた。 / 右上:畳床を圧縮する機械 / 右下:縁(へり)を縫い付けるのは手作業。
畳職人を育てるということ
⎯⎯⎯ 頼りになる職人仲間がいらっしゃるのですね。
岡田「同期の仲間だけに言える助言です。こうしてハウスメーカーさんなどからの大量に発注される仕事に対して、頼むと快く手伝いに来てくれる仲間がいたからこそ、多くの仕事の難局を乗り越えることができました。この仲間は今でも仕事はもちろんのこと、信頼できる友としてお付き合いをしていただいています」
⎯⎯⎯ 先生方はどういった方々だったのですか?
岡田「先生方はそれぞれご自身が畳屋の親方たちです。畳は定型といいますか完成形がありますから、そこを目指してつくっていくわけですが、みんなやり方が微妙にちがいましてね。何通りものやり方やコツを教えてもらえたことで、自分にあったやり方を見つけることができ、感謝しています」
⎯⎯⎯ 今もその学校で学ぶことはできるのですか?
岡田「はい。ただ、畳訓練校は畳の減少とともに入校する生徒も減っていきました。今年においては入校生が無かったことから休校の手続きを取りました。父の時代には訓練校からの派遣される訓練生が4名もいたことがありました。みんな礼儀正しく真面目に仕事をしてくれてありがたかったのですが、派遣期間が1年のため、ようやく仕事を覚えて戦力になり始めた時に期間終了となり、また次の生徒が派遣される、ということが繰り返されました」
⎯⎯⎯ 1年で入れ替わるのは惜しいですね。
岡田「一から教えていくサイクルに私自身、少し疑問を感じ始めた頃、仲間の設備屋さんが求人雑誌に掲載したら思いもよらず応募が多くあり、雇用できたことを聞き、私も初めてその求人誌で職人を募集してみました。たしか求人掲載の金額は35万円くらいかかったと記憶していますが、初めての求人で3名の応募があり、私は生まれて初めて『入社の面接』というものを経験しました。他にも雇用のための契約や補償などの手続きをすべて初めて経験できたことは、その後、私にとって大きな知識として役にたちました」
⎯⎯⎯ 経営者の道のスタートですね。
岡田「父親の代は、訓練生という機動力を使った仕事で岡田畳本店が大きな信用を得た時代です。そこから求人、雇用などの一般常識を身に着けて安定した経営に舵を切ったのは私の代の岡田畳本店だと思います。同時に、お取引をいただいているハウスメーカーさんもプレハブ住宅から脱却し展示場を各地に展開しインテリアなどで他社との差別化をどんどん押しだしていく営業になり、高級住宅へと変貌していく流れになりました。その頃になるとお客様に対してのマナーなどを我々職人にも求められ、CS(カスタマー・サティスファクション:顧客満足)などの言葉を重要視されるようになりました。この顧客マナー教育に、我々畳店にとって非常に大切なことを学ばせていただき、商売のプラスに繋がったことは間違いありません」

岡田畳本店社屋の入り口

入ってすぐの打ち合わせスペース。畳の素材が置かれリラックスできる。
畳と“恥”の関係とは
⎯⎯⎯ マナーというカタカナの言葉を職人の方から伺うと改めて新鮮です。
岡田「家づくりには色々な職種の方が関わります。建築士、大工、左官と順番に入っていきますが、畳屋は最後に現場に入ります。図面の段階で『こういう畳の敷き方はしないんだけどな』というだけでなく、最後に現場に入って『聞いていたのとちがうぞ』ということもあるんですが、伝え方つまりコミュニケーション・マナーは大切です」
⎯⎯⎯ たしかに言い方によっては角が立ちます。
岡田「そういう時、『恥をかかせてはいけない』という言葉が頭に響きます。傷んだ畳のうえに座らせては恥になる、とくに昔の人はそういう意識が強かったと思います。また、畳には本来やってはいけない敷き方があって、極力避けます。それでも事情があってやっているということであれば、設計の意図に従いますし、周囲の方に声高に言うようなことはしません」
⎯⎯⎯ 周囲の方をモヤモヤした気持ちにさせないご配慮ですね。ところで“やってはいけない敷き方”とは?
岡田「例えば“床さし”や“切腹の間”と呼ばれる敷き方です。床さしは、床の間に向かって垂直に畳を敷くこと。切腹の間というのは、四畳半の場合で半畳の畳を真ん中にして左回りに配置する敷き方です。茶室も同じく四畳半ですが、右回りに配置します。それから、この半畳を部屋の中で東北に当たる場所、鬼門と呼ばれていますが、ここに敷くことも避けます」
⎯⎯⎯ 鬼門! 風水とか家相の世界ではよく目にする言葉ですが、家づくりでも実際に守られている約束ごとなんですね。
岡田「口伝えで言われてきたことで根拠は定かではありませんが、お客様が知らなくても守って仕事をする、これが我々の使命と考えています」

製図用のシャープペンシルを使い、畳の敷き方を図解してくださる岡田さん。

畳の断面、構造を見せていただく。
時間がたった畳の“捨て色”の魅力
⎯⎯⎯ 畳はどれくらいで替えるのですか? 新しい畳のあの独特の香りはいいですよね。青々とした色も綺麗です。
岡田「10年はもつと言われています。新しい畳はたしかに清々しくて魅力的ですが、日焼けしてからの畳のほうが付き合う時間は長いです。日本家屋に使われる素材では木はもちろんのこと、左官仕上げの壁や、障子、日焼けした畳など渋い色合いが多いですが、この渋い風合いのことを『捨て色』と言うそうです。まわりの風合いが捨て色になることで床の間の一輪の花がより引き立つ。まさに日本人の心そのものではないでしょうか?」
⎯⎯⎯ 美しい表現ですね。
岡田「すべてのものには『反射率』というものがあるそうで、日本人の肌の反射率と捨て色の反射率はほぼ同じであることから、私たち日本人が古民家などを訪れた時に、なんとなく落ち着いてしまうのは、自分の細胞が保護色の中に置かれたことによって動物的本能から安心感生まれると聞いたことがあります」

左 Before:捨て色に仕上がった畳 / 右 After:教会神殿の畳替え。高麗縁中紋に。
上記写真2点:岡田畳本店
琉球畳に多く人がしている誤解
⎯⎯⎯ あの癒される感じは、い草のいい香りだけの効果じゃないんですね!
岡田「そのようですね(笑)。香りについてお話ししますと、琉球畳の香りってかいだことがありますか? 縁がないのがモダンな印象だと最近人気がありますが、琉球畳とは正確には鹿児島と沖縄の間にあるトカラ列島に自生していたい草(七島い草)を使った畳のことです。琉球と言われるのは沖縄に程近い島にあったことからではないかと想像します。今は、この琉球い草の栽培が盛んにおこなわれた大分県の国東半島が主産地となりました」
⎯⎯⎯ もともとはい草の産地がちがうのですね。
岡田「このい草は茎を切ると、三角形の断面になることがわかります。実際に使用する時にはこの茎を半分に割き乾燥させますが、このとき割かれた茎を包み込むように丸まります。とても丈夫で日焼けにも強く、1枚分の畳表が4~5万円もするのですが、4倍くらい長持ちします。そして、染土で色止めをしないので、い草独特の素朴ないい香りがするんです。一方、客間に使うような“上質”とされていて縁がつけられた畳は、染土とい草が混じった香りがします」
⎯⎯⎯ その客間に使う畳のい草の産地はどちらですか?
岡田「昔は上質と言えばびんごい草、今でいう尾道のあたりでつくっていたい草です。はりと艶があって粒がそろっていて、とても綺麗に編みあがります。けれども生産者さんがほとんどいなくて、現在の主産地は熊本です。今はい草の95%が熊本でつくられています」

畳表の見本。「右のものほどい草のランクが上がるのですが、きめの細かさがわかるでしょう」と岡田さん。

岡田畳本店では、畳床に炭の成分を加えるなど、健康に配慮した畳の開発も行っている。
畳がもつ環境への包容力
⎯⎯⎯ 畳の縁には役目というか意味があるのですね。
岡田「その通りです。縁は本来は畳の端の強度を高めるためのもので、丈夫な琉球い草だと縁のほうが先に傷むくらいなんですね。本物の琉球い草でつくった琉球畳がいいとご注文くださったお施主さんがいらしたのですが、もう農家さんが2軒しか残っていないので、『2年は待っていただくことになると思います』と伝えました」
⎯⎯⎯ 2年越しですか?
岡田「収穫量が少ない場合も考えてのことです。それでも確証はないので、無事に納品できた時はホッとしましたね。熊本も農家は年々減っていますし、農作業に必要な専用の機械がもうつくられていません。中国産のい草や樹脂や和紙でつくる畳もありますが、やはり国産のい草の畳は残して行きたい、この点は大きな課題です」
⎯⎯⎯ 樹脂は想像していましたが和紙もあるのですね。
岡田「気密性の高いハウスメーカーさんの家用としては、カビや虫のリスクが無いことで使用されることが多いです。デザイン的にもカラーバリエーションがありますし。ただ、木や土を使った日本の伝統的な技術でつくられた家には、やはりい草の畳が最適です。呼吸しながら湿度を調整しますし、暑い日は爽やかに、寒い日は地面からの冷気を遮断します」
⎯⎯⎯ 環境への包容力がありますよね。畳の部屋ならダイニングにも寝室にもなり、人が急に集まってもみんな座れて便利で魅力的です。
岡田「茶道ではたてた抹茶椀が直接畳に置かれますが、何の違和感もありません。一方でフローリングに置かれたらどうでしょうか? この感覚のちがいに畳の力があらわれているように感じます。フローリングにはフローリングのよさはありますが、じつは畳はフローリングよりもホコリを目立たせないし、舞い上げさせないとおっしゃる方もいます」

柿渋で染めた色付きの畳表を縁なしで用い、市松で敷いた畳。上記写真1点:岡田畳本店
お年寄りから赤ちゃんまで畳が守り支える
⎯⎯⎯ たしかに日本家屋がフローリングを多用するようになり、ハウスダストや花粉などのアレルギーがますます増えたという説もあるようです。
岡田「ある程度の弾力があり足腰の負担にもなりにくいですし、転んでも衝撃から守ってくれるので、お年寄りから赤ちゃんがいるご家庭まで、畳を使って欲しいなと心から願っています。この応接室の隣の展示室なんですが、ヨガの先生からご依頼があって定期的にお教室として貸し出しているんです。生徒さんは、ヨガマットを敷かずに直接畳に触れるのが心地いいと好評だと聞いています」
⎯⎯⎯ 畳の魅力を知り尽くしている岡田さんならではのお言葉ですね。
岡田「この歳になるまで頂戴したお仕事すべてが自分にとって貴重な経験になりました。何より思うことは、私がこの畳業界に入った時の畳が、すべて稲わら素材の本畳であったことは大きかったですね。この本畳づくりを若い頃に経験できたことで、技術を要する茶室や寺院の仕事をいただいた際にも、勘どころというか、つくる時に必要な肝の部分を体で覚えらえたことが財産になりました」
⎯⎯⎯ 時に職人の意地にふたをして実直に目の前の仕事をされた結果ですね!
岡田「誇らしい気持ちはもちろんありますが、昔ながらのい草の畳を、特別な場所だけに使うものにならないよう考えていかなくてはいけないなと、改めて感じているところです。日常にあってこそ、畳は魅力や能力を発揮します。求める人が減ればつくる人材も減りますから、焦る気持ちはありますが、やはりコツコツといいものを誠実につくるのことが大切だと思っています」
岡田畳本店の施工例

和室にカラー畳を敷いてモダンな印象に。

お客様の家紋を縁にデザインして畳敷きにした例。

品川の屋形船に敷いた畳。
上記写真3点:岡田畳本店
取材・執筆・写真:
小林佑実
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