今回の取材を前に、鹿嶌さんは単に建築だけではなく、事務所には生活にまつわる店舗も併設していると聞き、訪れるのがとても楽しみでした。その心は一体どんなところにあるのでしょうか。家づくりとその周辺を幅広く語って頂きました。

鹿嶌友代さん(かしま ともよ・61歳)プロフィール
1964年(昭和39年)愛知県知多郡美浜町生まれ。工務店 株式会社 風(木と土と風の家 家工房)代表。20年に渡り、夏は涼しく冬は暖かい、風が通り清々しい空気で満たされる、土壁・土葺屋根の真壁構造の家づくりを手がけている。
もともと建築に興味はなかった
⎯⎯⎯ まずはプロフィールを教えてください。出身はこの辺りなのですか?
鹿嶌(以下敬称略)「隣町の美浜町です。知多半島南部の帯状になっている地形で、東側が三河湾、西側が伊勢湾に面しています。観光開発もあまり進んでいない小さな町で、人口はどんどん減っていくばかりです。昔は山の中で磨き砂(今で言うクレンザー)が取れて、ものすごく高値で売れたため、別荘地やら繁華街ができるほど一時バブルになったそうです。しかし落盤事故が起こり、磨き砂自体も化学合成できるようになったため需要が減り、今のような町になっていきました。国立公園にも指定されている風光明媚なところなんですが。その後、小学校の時に武豊町に越してきて以来どこへも出ていません」
⎯⎯⎯ 建築のお仕事を志されたきっかけは?
鹿嶌「何も建築の勉強はしていなかったですし、興味もなかったのです。しかし、子供ができて保育園に預けて働く機会を頂けて、工務店に勤めることになりました。30歳を過ぎてからのことです」
⎯⎯⎯ そうなんですね。意外です。工務店ではどんなことをされていたのですか?
鹿嶌「その工務店は不動産の仕事と建売りと注文住宅をやっていた会社で、建築の知識がない私は「何ができるの?」と聞かれた時に、営業しかありませんでした。子供の保育園の迎えにも行きやすかったこともあり営業として働きだしました。案の定、建築の知識が全くないため、思うように働けなかったので、現場に行ったり、職人さんに話を聞いたりして、知識を身につけました」
⎯⎯⎯ そこからですか。伝統構法や土壁の家などをされていたのですか。
鹿嶌「いえ、一切ないですね。30年ぐらい前の話ですので、伝統構法が民家と結びつけて考えられるような時代ではありませんでした。土壁をやりたいという希望の方は僅かながらいらっしゃいましたが。それよりも、工期が短く、利益率も高くて、職人さんにも技術を必要としない2×4が全盛期でしたね。でも、職人さんからは、話を聞けば聞くほど2×4の悪さみたいなものを教えられました」
⎯⎯⎯ なるほど。例えばどんなことですか?
鹿嶌「建てている間に悪さがわかってくるらしいのです。『空気が悪い』とか『合板の匂いで気持ちが悪くなる』とか… じゃあ軸組はどうなのって話をすると、『断熱材を入れるという時点で、もはや2×4と何も変わらない建物だよね』という話でした。今度は左官屋さんに話を聞くと、『やっぱり土壁の家の方がいいわな、涼しいし』と言われるんです。そんな話を聞きながらも、私は2×4の家を売っていたのです」
今の日本の建築は体に良くないのかもしれない
⎯⎯⎯ 疑問だらけのなか営業をするのはつらいですね。そこからどのようにして、木と土の家に辿り着いたのですか?
鹿嶌「子供の病気がきっかけです。知識を深め社内で徐々に認めてもらい、設計の勉強をし始めた頃、当時2歳くらいだった我が子の、喘息・アトピー・アレルギーの症状がひどかったんです。横になるとすぐに喘息の咳が出て、おまけにアトピーで肌も痒くて、全く眠れないという状態でした。吸入をしたり、薬を塗ると一時的には治まるけれど、薬が切れるとまた症状が出る。その繰り返しでした」
⎯⎯⎯ それは辛いですね。我が家もアレルギー持ちが多いので分かります。
鹿嶌「当時通っていた病院の皮膚科の先生から「暖房はどうしてるんだ」と聞かれ、「ファンヒーターです」と答えたら、「そんなのを使っているからこの子はこうなるんだ。乾燥するし、灯油を焚いて気化したものが、ファンで空気中に全部出てるんだぞ」と教えてくれたのです。
「じゃあ石油ストーブどうなのですか」と聞くと、「石油ストーブは上でお湯を沸かしておけば、その水分で乾燥を防げるし、風で灯油の成分が回ることもあまり考えなくていいから、定期的に窓を開けてあげればまだいいんじゃないか」と教えてもらえたのです。灯油が不完全燃焼するとアルデヒドが発生するんですよね。
当時の日本では、アルデヒドという名前すら一般的には耳にすることがありませんでした。しかし2x4材には防腐剤としてそれが普通に使われていたのです。そんなものを建物ごとラッピングするような家の中に大量に入れていくのは、確かに良くないのかも知れないと思って調べていくと、なるほど、当時ドイツなどでは使用を禁止されている薬剤だったのです。
⎯⎯⎯ そんなこともあったんですね。
鹿嶌「その後、自分で設計するようになり、引き渡し前にお掃除に入る機会があって、自分の仕事を見てほしくて子どもを連れて行くと、2〜3分で「頭が痛い」とか「お腹が痛い」とか「気持ちが悪い」と言い出して、外に出ると治るんです。最初は体調が悪いのかなと思っていたのですが、毎回こうなる。やっぱりこれはおかしい。ひょっとしたら今の日本の建物は良くないんじゃないか。子供の病気のこととも結びついているんじゃないか。と思い始め、図書館で本を読み漁って勉強しました。
そしてある時、確証はなかったのですが、お給料をくださっている社長に『ホルムアルデヒド等の薬剤を使っていない建物で、しかも壁の中が湿気ないものを作らないと、例えば10年後とかに腐ってしまうんじゃないでしょうか。その家に30年もローンを払っていくるというのは良くないと思う』と、私は言ってしまったのです。
そうしたら当然ですが、『君は何を考えているんだ。それが土壁なのか在来なのか分からないけど、その薬剤が入っていない材料とは無垢のものを指すんだろう。そんな工期のかかる家を作って、どこに利益が出ると言うんだ』という答えが返ってきました」
⎯⎯⎯ 状況を想像すると言葉が出ません
鹿嶌「もうこれ以上、こんなものは売れないと思って、3年間お世話になって独立しました。ですので、“建築を志した”というよりは、”我が子が病気になるようなものを、他のご家庭に自信を持って勧められない”と思ったのがきっかけですね」
⎯⎯⎯ ごもっともです。貴重なお話をありがとうございます。
家と、自然や環境に興味がある人を、結びつける場所
⎯⎯⎯ それでは独立されてからのことを聞かせてください。
鹿嶌「はじめは個人事業として自宅で「家工房」という屋号の小さい工務店を立ち上げました。最初に広告を打ったのですが、アトピーやアレルギーのことに触れている文言を載せていたので、それを見て沢山の人が来てくださったんです。皆さんと座談会をしてお話を伺っていると、建物の影響で体の調子が悪くなるお子さんが大勢いるということがわかりました。その時のお客様からご注文を頂き、3〜4年間くらいは、お仕事をさせてもらいました。ありがたいことです。その後に株式会社風として法人成りし、ここをオープンしました。今では【オーガニックショップ 風の村】、【喫茶店 ゆらぎ】、【荒物・雑貨店 にちにち】を併設し、今年で21年になります」
⎯⎯⎯ 事務所だけではなく、お店も併設したのは?
鹿嶌「建築業を進めていくには、別に他のお店はなくてもいいんです。しかし、直接的な営業をしない方針なので、知ってもらうきっかけとしては、『土壁を作っている株式会社風』を直接宣伝していくより、こういう空間を見て、お買い物をして、お茶を飲んで過ごしてもらい、『これ何?なんか違うな』と思って調べてもらう方が、導入の裾野が拡がると考えたんです。
オーガニックとか、山とか海とか、そういうちょっとぼやけたイメージで、自然のことを気にしている人は沢山いらっしゃいますよね。しかし、その中に、『そういえば家もそうだよね』と感じている人はすごく少ないのです。オーガニックの食品を買いに来る方でも、家のことや身に纏うものと、自然や環境との関係性は気にしていらっしゃらない。だからこそ、その人たちのアンテナの延長線上に、家が結びつく場所をつくったのです。どうしても、ホームページやSNSで見ても、『いいね』で止まっちゃうので、体感してもらうということは、わずかな需要を担っていくにあたって、とても大事なことだと考えています」
ここで鹿嶌さんの拠点である「木と土と風の家 家工房」と併設する3つの店舗をご紹介します。
◎木と土と風の家 家工房



2階の柵越しに心地よい風がそよぐ。不思議と蚊が来ない。使用しているヒノキの香りや成分の効果と、風が通ること、そして湿度が外より低いことなどが、功を奏している。


様々な古いものを大切に置かれている

左:“にちにち”の由来となった満州日日新聞 / 右:スバル360。ご縁があり15年ほど前からオーナーに。1964年製とのこと。ハーレーにも乗られているとか。
◎オーガニックショップ 風の村 / あらもの ざっか にちにち
【風の村】地元のものをはじめ、さまざまな自然食品や日用品が並ぶ。店主の実奈美さんは、実は鹿嶌さんの娘さん。
【にちにち】たわし・フック・カゴ・箒など、プラスチック類を使わない自然素材と金属でできた日用品を扱う。頂いてきた古い飯盒(はんごう)の中を開けたら緩衝材として入っていた“満州日日新聞”が名前の由来だとか。


店主の実奈美さんと


◎喫茶店 ゆらぎ
知多半島の無農薬野菜を主に、食材から調味料まですべてオーガニックの素材で提供する喫茶店。自然のなかにある季節それぞれの心地良さに触れながら、ゆっくりと穏やかに流れるひとときを楽しむことができる。


店主の上ノ原さんと

エアコンがなくても風が通り抜け涼しい。そして蚊が来ない!
「家を100年持たせる」と口で言うのは簡単だけど
⎯⎯⎯ 株式会社 風は工務店ですが、どんな職人さんがいらっしゃるのですか?
鹿嶌「これはすごく大きなメリットになって来たんですが、木造しかやらなかったこと、湿式で軸組工法の建物しかやらなかったことで、ハウスメーカーさんの下請けから抜け出したい職人さんたちが集まって来てくださったという歴史があるのです。志のある人と一緒に組めたということは大きかったですね。いろんな方が伝統構法に対して『職人不足でなかなか難しい』ということを仰るんですけど、うちはそれはなかったし、なんならその軸組から伝統構法に切り替えていくときに、『なんとかしてみんなで頑張ってやろう』という風に動いてくれたので、とても心強かったですね。何十年も付き合ってる人ばかりなので、『またなんか鹿嶌さんが変なこと言い出した』『なんか今度は伝統構法やるとか言っとるぞ』と言いながらついてきてくれたんです」
⎯⎯⎯ 鹿嶌さんのお人柄によるところが大きいのでしょうね。何か心がけていらっしゃることはありますか?
鹿嶌「私は、建築業界で当たり前になっている相見積もりをしないんです。とことんその人としか付き合わない。だから、職人さん同士で、任せられる人を探すなり、息子さんに継承するなり、ということが自然にできているんですよね。
工務店に勤めている時に、相見積もりをされている職人さんたちの声も聞いてきました。結局、何が起こるかというと、例えば忘年会の時に社長にペコペコしてビールを注ぎに行ったりとか、ゴルフに行きましょう、食事に行きましょう、飲みに行きましょうって言って営業マンを連れ出して点数稼いだりとか、そんなことが起こってるんですよ。本来の建築の魅力とは全然違うところに労力を費やさないといけないような仕事のやり方はやっぱり違うと思うんです。
なので、新しく入ってきた職人さんに、私がお酌に回っていると、『なんで鹿嶌さんがお酌してるんですか』って言われる。『なんでって、私はだって一番下っ端だからね。釘を叩くこともできなきゃ、土壁を塗ることもできないし、『これをお願いします』って言って頼む方だから、お酌するのは当たり前じゃない』『えーっ』といったことがよくあります。面白いですよね」

⎯⎯⎯ 仕事の面で何を一番大切にされてますか。
鹿嶌「土地を探す前からお客さんとお付き合いすることですね。うちで建てるかどうかもわからないし、そもそも家を建てるかどうかもわからない。でも家づくりの話を聞きたい。そんな方とのお付き合いを大事にしたいんです。
『もっと話を聞きたいんですけど、お金はいくら必要ですか』って聞かれるんですが、うちは建築確認申請をかけるまでは一切お金を頂きません。例えば、図面を何枚か描いてもらって、契約金を払ったけど、『鹿島さんとは合わないからやっぱり他所でやろう』と思ったとします。でも、『お金は払ってるし、ここで建てないともったいない』と考えませんか?そういう思いをお客さんにしてもらいたくないんです」
⎯⎯⎯ 他に大事にされていることはありますか?
鹿嶌「職人さんが自分の利益のためではなくて、お客様のために今日一日動けるかどうかは、間に入っている私次第なので、それを現場で気づいてもらえるように心掛けています。
私とお客様よりも、職人さんとお客様の方が仲良くなって、『○○さんがこれつけてくれって言ったからつけといたわ』って勝手にやってるんですよ。『じゃあお金はどうするの』って聞くと、『別にそこにあった材料で作っただけだからいらないよ』ということが普通に起こっています。これはとても大事なことで、家を建てた人とお客様は未来永劫ずっとお付き合いして頂かないといけません。仮に私が死んでも、職人さんとお客様とがお付き合いを続けてくださっていると、何かあった時に安心ですよね。
意図的に仲良くしてほしいと思っているわけじゃないですけど、職人さんたちに想いとして伝わっているから、自分の判断でお客さんとコミュニケーションをとってくれている。みんな下手くそですけどね。ニコリともしないです(笑)」
⎯⎯⎯ 想像がつきます(笑)
鹿嶌「『家を100年持たせる』と口で言うのはとても簡単です。物理的に100年持つポテンシャルのある家づくりをすることもそんなに難しくない。でも、実際に100年持たせるためには、建てた側と住む側の良好な関係が絶対に必要です。
古民家の改修工事を見るとよくわかります。途中から全然違う人が改修すると、合板を貼っていたり、サイディングを貼っていたり、システムキッチンが入ってたりとかするんですよね。もちろん工事した大工さんは誠意を持ってやっているかもしれないけど、それによって何が起こるかまではわかっていない。その建物を『100年持たせるぜ』という気持ちでつくった職人さんの意図はもうここで消されてしまいます。
うちで引き受ける古民家の改修工事では、全部それを剥がして、元の状態に戻して、竹小舞を組んで土壁を作るっていうことをしています。そうすると空気が通りだして、建物の中の雰囲気まで変わってきます。そこが醍醐味ですね」
伝統構法の良さは、体験してもらわないと分からない
⎯⎯⎯ 木の家ネットとの出会いは?
鹿嶌「10年前、建築基準法の改正で『今後10年で土壁の家が建てられなくなる』という趣旨の発表が国交省からありました。私は土壁しかやっていません。その当時が50歳。10年経つと60歳。『じゃあ定年退職で新築は建てなきゃいいか』という軽い気持ちだったんですけど、参加した国交省の講習会の資料の中に、小さく5行ぐらいで『伝統構法はこの限りではない』と書かれていたんです。
伝統構法はこの限りではないけど、果たして民家でもいいのか、よく分かりませんでした。そこで、木の家ネットの大江さんに来て頂いて、あれこれお話しを伺い、《気候風土適用住宅》なら建てられるらしいということがだんだん見えてきました。そしてその流れで木の家ネットにも入会させてもらう運びになりました」
⎯⎯⎯ そういう入会の経緯だったんですね。ひとまず一安心されたと。
鹿嶌「と言いたいところなんですが、そこで困ったことがあったんです。20年前に建てたこのモデルルームは軸組工法なんです。ですのでモデルルームとして使うことはもうできなくなったんです」
⎯⎯⎯ それは困りましたね。
鹿嶌「そこで『伝統工法のモデルルームを建る!』ということで、故郷である隣町、美浜町に山を買って、ここと同じく店舗の併設を視野に入れながら、次の拠点となる伝統構法の建物を建てているところです。生まれたところへ戻っていくようなイメージですね。ここも風は抜けていくのですが、住宅街の中よりも、山の中の方が気候風土適用住宅として適用しやすくなるので、山の中に建てることに拘りました」
⎯⎯⎯ ぜひ拝見させてください。
鹿嶌「はい、この後ご案内します。『風の森の郷』という名前を考えています。『伝統構法だから一体何なの?』ということは、実際に体験してもらわないと分からないので、入門編として宿泊できるようにしてあります。ご飯を食べたり、キャンプをして、下山してお風呂に入ったり、夜はバーで語らったり。そんな体験ができるような場所を計画中です。また、災害が起こったときは地域のハブになれるような場所にしたいと考えています」
◎風の森の郷 宿泊棟



石場建て

左:小屋組みあらわし / 右:今では貴重な須戸

無双窓 左:閉 / 右:開

左:薪ストーブ / 右:かまど
◎売店


左:家具屋さんから譲り受けて来た茶箪笥を並べてカウンターにしている / 右:天板はヒノキの美しい一枚板
◎バー


左:傷んだ壁は継いで補修 / 右:欄間をアレンジ
◎トイレ


左:八ヶ岳と同じバイオトイレ。自転車のペダルを漕ぐことでオガクズを攪拌させる / 右:素敵な古建具越しに見る緑が気持ちいい

名鉄河和線がすぐ脇を通る
店舗のテナント自体は未定とのこと。そんな中、建物を先行して作ってしまう鹿嶌さんの先見性と行動力に脱帽です。
⎯⎯⎯ 完成が楽しみです。さらに、これからの展望をお聞かせください。
鹿嶌「家づくりを長年やってきましたが、家を売っているだけでは、伝統構法だろうがハウスメーカーだろうが、ちょっと違うんじゃないかということを強く感じるようになりました。
話が逸れますが、実は別の山(風の森)も所有していて、森の中にコースを作って、自由に遊んでもいいよというファミリー向けのイベントをしていたんです。多い時には2〜300人いらっしゃいました。
子供さんたちは、車から降りて来る時は、ゲームを持って降りてきて、しばらくゲームをしている。そして、だんだんゲームを置いて、森の中に入っていって、木を登り出したり、ダンボールのソリで斜面を滑り降りたり、そういう遊びを自由に始めるんです。保護者の方のは見守るようにと伝えますが、私たちは何も禁止しないし、入ったらいけないとも言わない。夕方『今日はもうこれでおしまいです』と言っても、ほとんどの子供さんは帰らないんです。

見渡す限り一面が『風の森』
その姿を見ていると、“家”の意味が何か違うところに向かっているように思えてならないんです。もちろん、伝統構法を進めていくこともハードとしては大切なんですが、ソフト面、つまり子供さんたちが、本来の姿になれる環境づくりのために、私たちができることは何だろうと考えています。
私たちが目指していく建築の世界の未来は、結果的にそこで過ごした子どもたちの意識によって変わっていきます。人の親として、子どもを産み落とした責任がある者として、子どもたちに自然に触れる経験をしてもらい、意識を育むことが、未来への種を蒔くことだと考えています」
⎯⎯⎯ ありがとうございました。最後に、鹿嶌さんにとって家づくりとはなんでしょうか?
鹿嶌「少し大袈裟かもしれませんが、自然のあり方や地球の大切さを、次の世代に繋げていくために、私が引くことのできる唯一のスタートラインが建築であり、家づくりだと思います」

家づくりそのものを大切にしながら、過去と未来、関係する人など、その先や奥にまで及ぶ深い思慮のもと紡がれる、鹿嶌さんの言葉と、ブレない行動力に惹きつけられました。
「建築に興味がなかった」からこそできる切実なアプローチが確かにそこにありました。気になる方はぜひ知多まで足を運んでみてください。
取材・執筆・写真:
岡野康史
(OKAY DESIGNING)
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