木村さんが 大工として本格的な修行を始めたのは20代後半。なぜその選択をし、どのように伝統工法を学び、現在のような本社と鎌倉事務舎、製材場を持ち4人の大工を抱える杢巧舎を経営するまでに至ったのか、知りたくならないでしょうか。記者が代表して伺ってまいりました!

杢巧舎の大工のお二人と木村さん(右)。

木村真一郎さん(きむら しんいちろう・54歳)プロフィール
株式会社杢巧舎(もっこうしゃ)代表取締役、一級建築大工技能士。昭和46年(1971年)、神奈川県足柄下郡湯河原町生まれ。高校卒業後、音響会社に就職しエンジニアとなる。20代後半の時に足柄下郡湯河原町の寺社の専属大工に転職。修業ののち、さらに住宅の建築を専門とする工務店に勤めて独立。同時に杢巧舎を創業。

音響の仕事をしながら
お祭りの花車づくり

⎯⎯⎯  大工の道に進まれたきっかけをお話しくださいますか?

木村さん(以下、敬称略)「地元の祭りの花車をつくったことだと思います。湯河原の夏祭りはなかなか賑やかで、地区ごとに20基くらいの花車を出すんですが、地元の有志だいたい5~6人が集まってつくっていました。物づくりとか道具を揃えるということがもともと好きで、小さいころからずっと参加していました」

⎯⎯⎯  大人になってからも、ということですか? 有志ということはずっと本職ではなかったのですか?

木村「本職は音響の技術職をしていました。大工の仕事を始めたのは20代後半、遅いスタートです。そこから大工の親方に弟子入りしました。花車を作る為に借りていたのがお寺の作業場。そこにに私の親方がいました。」

⎯⎯⎯  どのような建物をつくる親方なのですか?

木村「湯河原にある寺勤めの大工なので、そのお寺の中の新しいお堂をつくったり修繕したりするのが仕事です。当然僕も同じ仕事内容で、主に携わったのは300坪の建物を5~6年かけて建てるというものでした」

⎯⎯⎯  お寺での修行で大変だったこと、よかったことはどのようなことでしたか?

木村「その大工の親方は、とにかく何でも自分でやる人でした、造成工事から基礎工事、屋根工事も。もちろん私たちもやるわけで、土をいじることやコンクリートの仕事はあんまり好きではなかったけれど、何でもできるようになったのはよかったです。今、私が何でも自分でやってしまうので、結局はその親方と同じですね」


取材当日、建築中だった映画『となりのトトロ』の登場人物メイとサツキの住まいをモデルにした家にご案内いただいた。


屋根瓦の美しさと、洋館様式部分につくられた丸窓と屋根の“耳”のかわいらしさのギャップも魅力的。

独立から10年目に
チャンスがきた

⎯⎯⎯  どれくらい修行してから独立されたのですか?

木村「もう1社勤めてから独立しました。37歳の時ですね」

⎯⎯⎯  最初から伝統工法の家づくりを受注されたのですか?

木村「ひとりでしたし、伝統工法とか関係なく声をかけていただいた仕事を請け負っていました。そもそも伝統工法がどこからどこまでのことをいうのか、人それぞれだと思いますが、今どき新築のお寺はコンクリートやボルトのような金物もけっこう使ってつくるので、その時点では自分は伝統工法専門というわけではありませんでした」 

⎯⎯⎯  石場建ての家づくりのご依頼があったのは、独立から何年目のことだったのですか?  

木村「独立してから……10年目くらいですね。今から5年前。『チャンスが来た!』と思い、前のめりでお引き受けしました。そこから技術的なことや手続き、とくに建築許可をとるために必要なことを、集中して猛スピードで詰め込みましたよ。僕はのめり込むタイプなんで。色々なやり方があることがわかり、いいなと思う部分と自分なりの方法論を組み合わせて実践しました」

⎯⎯⎯  無事に建てられて、その後は石場建てのお仕事が続いているそうですね。

木村「そうですね。ありがたいことに、弊社にご依頼くださるお客様は、こちらもご希望は伺っていますが、ほぼ『お任せで』と言ってくださいます」


前出のトトロ風の家の洋館様式部分も石場建てで建てられている。


【杢巧舎の施工例1】

湯河原にある木村さんのご実家。


同じく木村さんのご実家。中央にある長い梁はとくに印象的。


改修を請け負った、横須賀のG氏邸。


葉山のS氏邸。玄関からダイニング、キッチンへと続く広い土間が主役の家。土間は吹き抜けになっている。


杢巧舎が手がけたA氏邸。2階までの吹き抜けを貫くまさしく大黒柱が目をひく。上記写真5点:杢巧舎

伝統工法を専門にしてから
門を叩く若手が増えた

⎯⎯⎯  その頃には、一緒につくるお弟子さんもいらしたのですか?

 木村「弟子というほど、僕は鍛えるとか教えるとかはしてはいなくて、人の仕事を見て学べる子ばかりですが。その頃には1人か2人かな……いました。伝統工法を専門にしてからのほうが、門を叩いてくれる人が増えましたね」

⎯⎯⎯  若い方が、伝統的な技術に関心を抱いて挑戦しようと思ってくれるというのは頼もしいことですね。

木村「そうは言っても、“数字”のことは常に課題です。伝統工法の赤字体質っていうのをどうにかしていかないとと思います。大体、伝統工法をやっている人間って、赤字経営が多いですよね。若い子たちのためにも、どんぶり勘定じゃなく利益を出せるようにしていかないといかんなと」

⎯⎯⎯  製材まで自社でされているそうですね。もはや最初にお話しいただいた大工の親方の方よりも「何でも自分でやる」になっている印象です。 

木村「どうしても欲しくて製材機を買いました。製材機を持っている工務店はあったりしますけど、うちのように乾燥機まで持っているところはあまりないでしょうね。すべての木材を内製しているわけではないです」


これが製材機!


材木の低温乾燥庫。「3カ月ほどかけて乾燥させます」。上記写真2点:杢巧舎

ハンデというものは
存在しない

⎯⎯⎯  WEBも素敵ですが、もしかしてこちらもかなりご自分で手を入れられていますか? 

木村「最初に音響の仕事をしていたとお話ししましたが、おかげで機械系・IT系にも多少強かったりしますので」

⎯⎯⎯  10代から大工修行を始める方もいるなかで、20代後半まで別の仕事をされていたことは、まったくハンデになっていませんね。

木村「すべての経験が活きますから、僕のことに限らず、この世にはハンデなんてものはないと思います。普段生活をしているだけでも、住みやすい家はわかりますし。電気に詳しいおかげで家の中の電気配線もできますからね」


建設中のトトロの家の内部。杢巧舎の仕事のリアルな様子をご覧あれ。


同じくトトロの家の山側に向かってつくられた丸窓の内側。海に向いている大きな四角窓が太陽なら、こちらはまるで月のイメージ。

 

⎯⎯⎯  ほぼ自社で内製できてしまうのですね!

木村「肝心の設計が外注で、設計士を自社で抱えることが今の目標です。意匠設計ではなく、石場建ても含めた構造の計算と申請ができる構造設計ができる人を募集しています。意匠設計、つまりコンセプトを決めたりデザインを考えたりというのは僕もしていますが、さすがに構造の計算はできません」


【杢巧舎の施工例2】 

何枚か建設途中の様子をご覧いただいたトトロの家の完成版の写真。縁側や窓は熱海の海に向いていて、風を感じながらのんびりと過ごす生活シーンが想像される。


1926年に建てられた鎌倉の老舗の酒卸問屋「萬屋本店」を結婚式場に改修。この挙式会場はもともとは酒蔵だった。


同じく萬屋本店の改修後の写真。居住スペースがレストランに生まれ変わった。上記写真3点:杢巧舎

石は存在自体が
ロマンティック 

⎯⎯⎯  他に目標とされていることはありますか? 

 木村「うーん、デスクワークの量を何とかしたいですね。このせいで僕自身は短期的な仕事しかできないので。

自分たちが死んだ後、100年後も、『これ、誰がつくったんだ』って驚かれたり喜ばれたりしたくて、そうなると石場建てかなと。石って何万年も前からあって、恐竜に踏まれても割れずに残っていたんだから、やっぱり強度といったら石でしょう」

⎯⎯⎯  恐竜にも負けない、たしかにすごい強度です。100年後の人を喜ばせるというのもロマンチックですね!

木村「本当は1000年後くらいと言いたいところですが」 

⎯⎯⎯  土壌の強度を得るためにヨイトマケも音頭をとってされていると伺いました。 

木村「人数が必要なので、集めるのも大変ですが。お施主さんやご家族が参加したり、大工仲間やご近所にも声かけたりします。愛着とか関心が強まるというよさもあると思います。長く存在すればいいじゃなくて、誕生の過程から経年変化までまるごと愛される家であってほしいので」


木村さんが音頭をとって行われたヨイトマケの様子。上記写真:杢巧舎

【取材を終えて】
ヨイトマケでは木村さんの歌の節にあわせて「ヨイショ、ヨイショ」とタイミングをあわせ作業を進める場面もあるそうです。クールな印象の木村さんが歌うというのは意外な気もしましたが、歌には地鎮の意味もあるのではないかと思うと、お祭りの花車に惹かれて大工の道に入った木村さんらしいのかもしれません。

取材・執筆・写真:

小林佑実

つくり手のご紹介

木村 真一郎

株式会社 杢巧舎

01 北海道

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大工

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