つくり手インタビュー

Interview

2026/03/03

福島 教仁 さん

有限会社 福島建設

埼玉県

工務店

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2026/03/03

福島 教仁 さん

有限会社 福島建設

埼玉県

工務店

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2026/03/03

福島 教仁 さん

有限会社 福島建設

埼玉県

工務店

どの言葉にも謙虚さがにじむ福島教仁さんですが、大工の技術の話になると揺るぎない自信が凛と立ち上がります。もともとは野球少年とのこと。自信の理由は地道な鍛錬だということは明らかです。家づくりの仕事をしながら、次世代に技術や知識、そして伝統というスピリットを伝えるために重ねている試行錯誤について伺いました。

福島 教仁 さん(ふくしまのりひと・49歳)プロフィール
1977年、埼玉県生まれ。高校(農業科)卒業後、大工であり有限会社福島建築を経営する父の手伝いを始めるが、技術を学ぶ必要性を感じ職業訓練学校に入学する。卒業後は熊谷の工務店で6年間の修業を積みながら、同時に専門学校で学び二級建築士を取得。福島建設に戻り、技能グランプリで賞を受賞するなど、数々の技術競技大会で優秀な成績を収める。2016年8月28日、福島建設の代表取締役を父より引き継ぐ。

大工の家系に生まれたけれど


⎯⎯⎯  おじい様もお父様も大工さんとのことですが、継ごうと思われたのはいつ頃からですか?

福島さん(以下、敬称略)「いえ、大工になろうとは思ってなかったです。僕は子どもの頃というか学生時代はずっと野球をしていて、高校も野球が強いという理由で学校を選んでいて他のことはあまり考えてなかったです。それまでも手伝いはしていたので、卒業後は流れで親父の下で働きはじめましたが、すぐにちゃんとした大工になるのは難しいと感じました」

⎯⎯⎯  難しいというのは?

福島「身内だと感情的になりやすいこともあって、教えるのも習うのも難しいなと感じたんです。とくにうちの親父は我が強いというか職人気質で。ぶっきらぼうな言葉を僕も素直に聞けなくて。なので、熊谷(埼玉県)にある職業訓練校に入って大工仕事を学ぶことにしました」

⎯⎯⎯  職業訓練校はどれくらい通うのですか?

福島「1年です。1年でカンナの研ぎから始まって大工に必要な基本の技術をひと通り教わります」

⎯⎯⎯  卒業後、改めて就職をされたわけですね?

福島「実家ではなく熊谷の工務店に6年間勤めました。訓練校で色々な工務店の仕事を見学に行ったのですが、そのなかの1社です。伝統構法の家をつくっていて、自分もこういう仕事がしたいと思って、『社員を募集していないんですか?』と聞いてみたら、『来る? いいよ』と受け入れてもらえたんです。ようやく道が見つかった気がしました」


当初はプレカットで社寺づくりをしていた同業の方から「手刻みでなければ難しい部分があって、そこは福島さんに助けて欲しい」という依頼が。写真はその手刻みの現場。


きっちりと美しいスキのない組み上がりが目を引く。作業中の福島さん。
上記写真4点:福島建設

人との関係づくりの大切さも学ぶ


⎯⎯⎯  勤めてみて、どのような職場でしたか?

福島「親方のほかに親方の息子さんも含めた3人の職人がいて、みなさん優しい人たちでした。親方は祖父と近い年齢でしたが、いつもニコニコしていて、それでいて仕事は細やかで丁寧、技術力ももちろん素晴らしくて。お客さんも堅くていい方ばかりなんです」

⎯⎯⎯  “堅い”というのは、どういう意味でしょうか?

福島「伝統を重んじるというか、ずっとその地域に暮らしてきて、これからもその地域や家を大切にしていこうという想いがある方たちです。親方とお互いに信頼関係があって敬意を払いあっていて、だからしっかりとしたいい家が建てられるんだなと感じました」

⎯⎯⎯  6年間というのは大工修行としては長いのでしょうか? 短いのでしょうか

福島「たぶん長めです。ただ、最初から『5年は勤めてね。その間に一人前になれるよう、こっちもがんばるから』と言われていて。あとの1年はお礼奉公です。この間に2級建築士の勉強をして試験に合格しました。僕は本当に勉強が苦手なんですが、専門学校の成績優秀な友人たちと一緒に勉強しながら、人生最大の馬力を出して奇跡の合格です。けっこうな学費を自分で出したので、必死でした」

⎯⎯⎯  仲間にも恵まれたということですね! その後独立ということですか?

福島「最初からすぐに仕事がとれるわけではないので、うちには帰ってきて父の手伝いもしました。それだけではなく、熊谷の工務店や、父の弟2人も大工なので、その叔父たちの仕事を手伝ったりしていました。そこから広がっていって、僕に直接依頼をくださる方も増えていったという感じですね」


モデルハウスとしても使われている福島さんのご自宅。「自分が住みたい家、床の間のある純和風の家をつくりました」
上記写真3点:福島建設


左:立派な柱は義理父から新築のプレゼントなのだそう。「たまたま妻の父も大工で」。同業者ならではの贈り物。
中央:「鴨居と廻り縁を見ると丁寧な大工かどうかがわかりますよ」と福島さん。
右:ヒバの無垢材階段。「角度をつけながら均一につくるためには、いくつもの技術を組み合わせる必要があります。それに、この板がすごくいいものなんです」。


技術の競技大会に連続出場


⎯⎯⎯  叔父様も大工さんなのですね!

福島「ひとりは今は引退していますが、もうひとりは今も現役で、手刻みで家をつくっていて、現代の名工に選ばれています。身内自慢で恥ずかしいですけど」 

⎯⎯⎯  福島さんも伝統的な技術による家づくりをされているのですか?

福島「すごくやりたい気持ちはあるんです。修行させていただいた工務店でも手で刻んでいましたし。でも、そういう依頼がなかなかいただけないのが現状です。いつ来てもいいように技術は磨いてきているんですけどね」

 ⎯⎯⎯  技術を磨くというのは具体的には?

 福島「主には競技大会に出るということですね。本当に集中して大工仕事をするので、グンと腕が上がります。正確に繊細につくろうと思うと道具とくに刃物は大切ですから、研ぎも改めて研究しました。僕はこの研ぎもすごく好きなんですね」

 ⎯⎯⎯  競技大会にはどうやって出場するものなんですか?

 福島「職業訓練校時代に一級技能士の試験は自分から受けたのですが、そもそも技能グランプリは技能士でないと出られなくて。学校の方針で、技能士に合格しているなかで先生がうまいなと評価している生徒を、2人くらい推薦して参加させていました」

 ⎯⎯⎯  それは誇らしいですね。

 福島「最初は『なんで俺が!』と思いましたよ。1日6時間、1日目に設計図を描いて、2日目に木を刻んで組んでと、けっこう大変ですからね。初回は15位内に入ったのですが、金銀銅の賞が取れなかったのが悔しくて。それ以降は自分からエントリーするようになりました。同年代に負けたくないという気持ちがあって」

 ⎯⎯⎯  金銀銅の賞は取れたのですか?

福島「第24回全国青年競技大会、31歳で3回目の挑戦だったのですが、つくり終わって80人近くいた他の参加者のものもひと通り見て、『俺、優勝だ!』と思ったんですね。一番よくできていた。ところが結果は銅賞でした。審査員制で人の考えというか好みもあるし、寸法を測って減点されたりと、採点法だと難しいですよね。でも、競技会で審査員を務める立場になった今でも、やっぱり金賞は自分だよなぁと思っています(笑)」


左:福島さんの写真が、なんとポスターに使用されている!写真からでも集中力の高さが伝わってくる。
中央:第28回技能グランプリ参加中の福島さん。
右:表彰状は数が多すぎてファイルに収納されている。
上記写真3点:福島建設

次世代に伝える立場に


⎯⎯⎯  競技会の審査員をされているんですね!

福島「そうです。入賞経験と競技会の主催団体の推薦があって、務めさせてもらっています」

⎯⎯⎯  次世代を育てる立場になられたということですね。

福島「自分を技能グランプリに推薦してくれた先生に依頼されて、熊谷の職業訓練校で競技会に出場する子たちに教えたりもしています。ものづくり大学(※)と熊谷工業高校でも講師をしています。ものづくり大学は埼玉土建組合の推薦で、1年のうち2カ月間全部で7回、熊谷工業高校は埼玉県の職業能力開発協会からの依頼で月2回教えに行っています」

※ものづくり大学:埼玉県行田市に位置する私立大学。実践的なものづくり教育を通じて、技術者や技能者を育成することを教育目的としている。

⎯⎯⎯  なぜ、こんなに先生業のご依頼があるのでしょうか? 

福島「職業訓練指導員の資格も持っているからですかね。一級技能士をとると、一日講習とその日のうちの試験で取得できるので、ついでと言っては何ですが、取得しました。大学のほうは、ものづくりマイスター制度というのがあって、そのマイスターも持っているので、いただいたお話です」 

⎯⎯⎯  資格とタイトル、たくさんお持ちですね! ここで整理しておきますね。

≪取得資格≫
一級技能士(厚生労働省認定)
二級建築士(国土交通省認定)
職業訓練指導員(厚生労働省認定)
ものづくりマイスター(厚生労働省認定) 
≪建築大会出場歴≫
37回技能五輪大会 敢闘賞 
第24回全国青年競技大会 銅賞
第29回全国青年競技大会 銅賞
第26回技能グランプリ 敢闘賞
第27回技能グランプリ 敢闘賞
平成28年度青年優秀施工者土地・建設産業局長顕彰(建設ジュニアマスター)受賞


技能グランプリの課題は、屋根の構造のもとになっている「四角垂木」。福島さんは24~28回に出場。


左:36歳までしかエントリーできない青年競技大会。課題は「四方転び踏み台」。80人の参加者のなかで銅賞を受賞。
右:杉6寸板を目板で押えた特徴的な板張りの家。丁寧で細やかな福島さんの仕事は親方ゆずり。
上記写真3点:福島建設

若い世代に思うこととは?


⎯⎯⎯  大工の技術を学校で教えていて感じることはありますか?

 福島「子どもの頃、親父は僕のことを不器用だと言っていましたが、そんな僕から見て器用だと思える子は少なくなった印象です。僕らの子ども時代って、えんぴつをカッターナイフで削ったりしたものですが、今は便利な道具があって、そんなことしないですから。そういう影響もあるのかなとは思っています」

 ⎯⎯⎯  時代の問題なのでしょうか?

 福島「その一方で、ものづくり大学に、海外から大工仕事に興味を持って学びにきてくれている子たちもいるのですが、若い世代の競技大会なんかに出ると本当にうまいんですよね。技能五輪という世界大会もあるんですが、韓国の子たちは上位に入っています。日本語もきちんと話せますし。『うちに来なよ』とスカウトしたりしていますよ」

 ⎯⎯⎯  スカウトの結果は?

 福島「いや~、なかなか。日本の子たちもですけれど。現代の名工の叔父のところには若い子が来るんです。今もたしか3人いますよ。でも、うちはなかなか来てくれない。自分の持っている技術はすべて教えるつもりですし、優しいほうだと思うんですけどね」

 ⎯⎯⎯  女子の学生さんもいらっしゃいますか?

 福島「います。力仕事は大変だろうなと思いますが、男子よりも丁寧で繊細な仕事をする器用な子が多いですね。大工の世界に、もっと増えていったらいいのになと思っています」

 ⎯⎯⎯  やはり次世代を育てることに、やりがいを感じていますか?

 福島「世代とか、そういう大それたことは考えていませんが、子どもたちが大工の技術の魅力を感じてくれて、面白がってくれる姿を見られるのは楽しいです。自分の好きなものを好きになってもらえるのは単純にうれしい。彼らがその技術や知識を少しでも覚え残していってくれたらとは思います。欲を言えば、僕と一緒に仕事をして欲しいなと(笑)」


県立熊谷工業高等学校の授業内容報告LINEより抜粋。


高校生の作業を見守り指導する福島さん。「集中して考えている時につい腕を組んでしまうのですが、普段はこんなに偉そうではないので、安心してください(笑)」。
上記写真2点:福島建設

石場建てに挑戦する日


⎯⎯⎯  今後の夢や目標にもつながっていますよね?

 福島「夢というか、やりたいなとずっと思っているのが、石場建てで家をつくることで。とくに基礎からつくることを考えたら人手がいります。今はご依頼をいただく一般的な住宅をつくっていますが、それでも若手がいてくれたらなと思います。石場建ての家、伝統的な数寄屋建築の建物をつくるチャンスが来た時のためにも。もちろん僕自身も日々技能を磨いています」

 ⎯⎯⎯  腕を磨くこと、挑戦することがお好きなんですね。

 福島「プラス日本の伝統的な家がやっぱり好きです。細かい部分一つひとつに知恵と技術が詰め込まれていて、『こうすればこうなる』と理屈でわかっていても本当にそれが形になることに、自分でつくりながら感心というか感動するんですよね。つくり手の“手の跡”や人間性みたいなものも残っていたり。とにかくカッコいいなと思うんです」

 ⎯⎯⎯  さすが競技会の審査員、つくり手のこともお見通しですね。

 福島「いえいえ。人のことを言う前に、まずは自分です。誰に見られても胸が張れるように、気を抜かずしっかりつくっていかなくてはと思っています。それがお客様、親方、職業訓練学校の先生、大工仲間や各職方、そして家族と、僕と携わって育ててくださった全ての方への感謝を表す、最大の方法ですから。ここで改めて、『ありがとうございます。これからも宜しくお願いします』とお伝えしたいです」


左:刻みの作業中の福島さん。
右:修行時代から愛用するノミ。「研ぎは大工仕事の基本です」と語るとおり、見事に研ぎ磨かれている。


「上棟式(じょうとうしき)は法被(はっぴ)を着ます。これも伝統を伝えることの1つ」と福島さん。上記写真3点:福島建設

取材・執筆・写真:

小林佑実

つくり手のご紹介

福島 教仁

有限会社 福島建設

01 北海道

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